武道が学校教育の一環と して、 中学校の正課に採用されたのが明治4 4

少年剣道についての
一考察
村
田
寛
三
(体育学教室)
武道が学校教育の一現として、中学校の正課に採用され大のが明治44年である。し走がって、当
時の中学生は、剣道、柔道{当時は撃飢柔術とよばれていた)を必修として、心身の鍛錬上の価値
を認めて実施していた。その後幾変せんを経て、昭和11年に学校武道教授要目が制定され、中学校
の教育課程に位置づけられた。さらに昭和14年には小学校にも準正課として実施されることになっ
た。武道教授の本旨に「武道の簡易方る基礎動作を行在わしめ、これによって心身の錬成をはかり、
同時に日太精神の中核ををす実践道徳としての武道精神を酒養し、以て日本人としての立派な第二の
国民を育成する」とうたっている。負随と柔道を区別しないで、一体の武道として修練することによ
って、心身を鎌り、体位の向上に資すると共に武道を体認せしめ、以て道念を堅固に、併せて礼節を
重んじ、我国伝統の士風振作の一助たらしめることが目標になっていた。さらに昭和16年、国民学
校令発布とともに体錬科武道と名うって、高学年以上の男子に、剣道、柔道を正課として、週2時間
実施する運びとなっ走。この武道を実施するに当っては、「体錬科武道の簡易庄る基礎動作を習得せ
しめ、心身を錬磨して武道の精神を酒養するに貸せしむること」と武道教授の目的を明示している。
則ち皇国民としての基礎的錬成、心身一如の働きのできる真の人間を作ることにあった。文武不岐、
文と武は一体で、文とは人として実践すべき道をきわめることであり、武とはそのきわめられた正し
い道を実践することであるとしていた。武道精神とは、いいかえれば実践道徳であり、それがさらに
国民道徳につ在がるものであるとしていた。時あ先かも戦時体制化、これが戦技訓練に利用され、戦
時的性格を強調する運命に珍かれてしまっ々。’まもなく昭和20年、敗戦をむかえ、武道の全面禁止
ミ
となったのである狐剣道をなんとか復活させたいものと、ここに
しない競技ミ(柔かい袋竹刀で
フェンシングにちかい防具を用いて剣蟷形式で行う〕底るものを発案、個人的格技形式のヌポーツが
少いので、体育の一般的目標を達成する上から、純スポーツとしての体育的価値を認め、昭和27年
学校体育教材として中学校以上に採用されるにいたっ走。ま圭一万では指導者、用具等が整えられれ
ば、高等学校以上の実施可能な学校においてのみ、学校体育の内容の一つとして剣道を実施してもよ
いことになった。やがて昭和27年全日本負臆連盟が組織され、昭和32年に「しない競技と剣道」
ミ
を整理統合して新しい剣道の名のもとに一体化され、その教育的価値を再認識、 学校剣道ミとして、
体育教材に位置づけられ、中学校以上に実施する運びと庇った。さらに必修教材として、昭和37年
中学に、昭和38年高校に教育カリキュラムにうちだされ、明確に位置づけられ現在に釦よんでいる。
したがって学校銚首も、一般体育目標を目ざすものであるが、格技スポーツとしての剣道、体育とし
ての負随の目標は、その特性の上にたって、身体面では、よい姿勢の確保や、生理的機能力、迎効能
力の発達向上、精神面では礼節を尊ぶ、自主的行動、意志の強化、情緒の安定性、自他の安全健在と
を強調している。しかレ』・学校に拾いては、いまだ正課としてとりあげられていない現状である。
一15一
ところで、近年、武道ブーム時代の出現をみるにい走り、とくに套防人口は急激に増加した。その
なかでも、児童達の剣道に対する興味と関心の強さを先かく感じとることができる。これには、全国
の小学校剣道大会とか、地方での少年剣道大会とか、マスコミなどの刺載も影響していると拾もわれ
るが、その他に、子どもの剣道えのあこがれと、親の重1随に対する期待が大きく、負随の教育的価値
を再認識するにいたったことが原因の主なるものと考えられる。これらの要求に呼応するごとく、全
国各地に少年のための場が提供されはじめ、いわゆる町道場なるものを中心に、隆盛に泰もむきつつ
あるが、県内でもすでに諸所で、児童を集めて指導して紅り、奈良市内でも、子どもと親のもとめに
ょるものであろうか町道場ともいうべき稽古場に、稽古着、袴姿で、竹刀をさげ、道具をかついで稽
古に通う子ども升ちの姿をみかけることが多くなってき走。
そこで、本研究は、奈良市内にある講武会及び習心館に入会して剣道の稽古に通っている児童と保
護者を対象に、入会して剣道練習をはじめるようになった動機や目的、並びに剣道の効果などの実態
を知り、可能の範囲で、合後の少年剣道のあり方えの示唆をこころみることにした。
なお、両道場について概観すると、
講式会は、昭和27年発足、一般有志.学生等を集めて、スポーツ的在性格のもとに出発、
昭和35年頃から、少年部を設置、昭和40年になってから現在約100名余の児童が入会、
市警道場約?O坪を借用、高段者約】O名が指導者で、会則にもとづき保護者承認のもとに
入会手続きをとり、毎週、火・木・土曜の午后5:30時∼6:30時の1時間指導してい
る。年3回、級審査会実施、昨年より少年剣道大会開催、奈良市スポーツ少年団に加盟して
いる。
習心館は、個人の自宅内に約40坪の道場を建設、高段者数名が中心となって、昭和35
年より一般.学生、子どもを指導している。同じく会則を虎て父兄承認入会の手続きのもと
に、もっぱら精神教育に重点を拾いて、武道精神による人間形成を目標に、武神を礼拝、稽
古の始めと終りに”習心五則。を唱和している。現在児童約30名余が、毎夜6:30時∼
7:30時の】時間、稽古に励んでいる。年2回会i.瞳錬成会と剣道大会を開催している。習
心五則一ミー剣国を興すの武道を習うべしミミ正々堂々の剣を習い人格の完成を目的とす
ミ
ミ
ベしミ_勇気を持し忍耐の剣を習いネL儀を正すべしミ 質実剛健の剣を習い仁者走るべしミ
ミ
不動心を習い敬神崇祖積徳の道を行くべし
ミ
研究の方法は次のように行った。
調査の対象は、奈良市内の講式会並びに習心館に入会して、練習をしている児童70名とその保護
者49名である。上記の対象について、1968年10月から11月にかけて、質問紙と面接により
実施した。調査の内容は、入会して剣道をするようになった動機と、負1瞳を練習する目的、剣道が健
康や性格や、行動に持よぼす影響、さらに練習(稽古)についての希望事項などについて、それぞれ
項目を設定、解答を求めた。
調査の内容について整理をした結果とその考察について、以下に記述する。
(1〕動機について
児童が入会して剣道練習をするようになった動機は、表1にみられるように、人にすすめられたか
らが71.4%と最も多く選択されている。その主な内容についてみると、父親44%、母親28%、
友人6%、他エ.4%、剣道の先生4%、学校の先生2%であり、親のすすめによるものが非常に多い。
父親のすすめが多いのは当然とおもわれるが、母親のすすめが予想外に多かったことは、
一I6一
表 1.子どもの動機
10
3 05060’70 0
人にすすめられたから
身体が丈夫になるから
_η.4
50
行儀がよくなるから
根性が養えるから
30
27.1
負随が好きだから
27.1
気力が強くなるから
・21.4
危険から自分を守れるから
20
動きが機自敦になるから
1?.1
友だちのやっているのを見てから
映画やテレビや本を
読んだり見たりしてから
太っているのがやせるから
段級をとりたいから
そ の 他
12.g
12.g
8・6
8・6
4.3
母親が子どもにおよぼす剣道の好影響に対して期待をかけていることを示すものと拾もわれ、いわ
ゆる剣道ママの態をあらわしていると考えられる。剣瞳が好きだから27.1%とあらわれているが、
これも、テレビで剣道の稽古や試合を見たり、負瞳.の競技大会を見光り、剣瞳の話を聞いたりなど、
マスコミの影響によるものと考えられる。全体としては、自分からやり.先くて、やりだしたという
自律的な動機は少なく、他からすすめられてする他律的動機で剣道をしていることが多い。
次に、目的につながる動機については、身体が丈夫になるから50%、行儀がよくなるから30
%、根性が養えるから2?%、気力が強くなるから21.4%、動作が機敏になるから21.4%と答
えている。これらの項目は、後述の親の動機と大差なく合致して上位に出現している。子ども自身
も健康度に対する自覚をもっているし、家庭生活で親や家族の者に日頃からミ春節は、からだが弱
い1ミ s儀がわるいミミ根性が榊ミ1弱虫だミミ動作がにぶいミなど小言や注意をうけているこ
とが、子どもに反映して剣道をする目的に選んでいるものと考えられる。ま走交通地獄の危険から
身を守れるのも、剣道練習で身につく機敏浸動作によるもの、との考えから行うという動機も、わ
ずかではあるがみうけられた。
親の動機についてみると、その結果は表2の通りである。
身体を丈夫にするためが63.3%と、過半数をしめている。これは自分の子どもが幼時より虚弱
で、冬になるとよくかぜをひき、医師の手にかかる1ことが多いので、病気にかからぬような健康体
にしたい親の願いから、剣膳練習時に、素足で、素肌に稽古着 枚の姿で稽古することは、皮膚の
低抗力をたかめるのによいであろうし、消極的療法にたよるばかりでなく、積極的に身’体をきたえ
ることによって、多少の不安を感じつつもr券もいきってやらせることだ」との考えが動機になっ
ている例が多くみうけられる。また最近は、肥満児が目立つ。栄養過剰と運動不足によることが主
な原因であるといわれているが、剣道の稽古が、心気力一致のかたちで行なう、はげしい全身的運
動であり、その稽古中で大きな発声と力一はいのとりくみにより促進される発汗作用が、ストレス
解消と身体のひきしめをもたらせ、適度に痔せ’させるのに効果があると考えられて、肥満児をもつ
親の期待的な動機となっているのであろう。つまり体質改善の手段の一つとして健康を維持増進さ
せたいために子どもに寺すめている事例もみられる。つぎに多いのが、根性づくりのため57,1%
一17一
である。こうした精神面は、ミねばりが在いミミやりかけたことをやり通さないミという共通し走欠
点をもつ現代の児童に、負けん気をもつようにさせ老いという根性づくりを套随に期待しているも
のと考えられる。また礼儀・作法を正しくできるように46.9%も半数近く答えているが、家庭の
僕を大切なことと心得ていても、現実には、職業や他の事情で容易でないために、奏1」道がミ札に始
まり、礼に終るミ礼儀正しい態度をきぴしくしこむので、剣道技術の向上を願うと同時に、あるい
はそれ以上に、こうした行儀がよくなることに、大きな期待をかけて、剣道練習をすすめているも
のと拾もわれる。なお子どもにもっときびきぴし走動作ができるようにとか、また、打つか打たれ
るかの極度の緊張感をともなう真剣勝負の気力を体感させることによって、集中心がたかめられる
ことになるので、ひいては物事に熱中する態度が養われることになるのでぱないかなどの期待がか
けられている例もあった。
表2、親の動機
O 10 20
l
I
30 ,刎
50 .60 m 80 %
身体を丈夫にするため
63.3
根性づくりの定め
77.1
礼儀.作法が正しく
できるように
46.9
28.6
きびきびした動作を養うため
物事に熱中する態度を養うため
24.5
子どもが希望し走ので
245
りっぱ在人間にする定め
16.3
気力を方かめるため
14,3
武道精神を養う定め
14.3
体力をつけるため
I2,2
自制心を一養うため
12,2
そ の 他
2〕影響度について
剣道練習をはじめてから、心身の変化にどれだけの効果と影響をもたらしたかについて、表3は、
子どもと親の選択率を比較したものである。
先っ第一に、子どもも親も、ともに身体が丈夫になってきた(64.3%、63.3%)ことを認め
ている。事例として一番多いのは、冬にかぜをひかなくなってき走、次には身体の巾がでてきて体
重も少し増えた、太ってい大身体つきがひきしまってきた、ごはんが拾いしく、食欲が以前より旺
盛になってきた、バスにのっても重酔いし在くなってきた、病気がちであったのが医者にかからな
いですむようになってきた在どの効果を親子ともにあげている。な加筆者も剣道により体質改善を
した経験をもっている。筆者は幼時病弱体で一時は生命の危機にさらされたが奇跡的に助かり爾来
小学4年生頃Iまでは病弱で、休憩時間に仲間が元気に楽しく運動場で遊んでいるのを教室の窓から
うらめしくながめているありさまてあった。父は筆者の短命を予測し、拾もいきって武徳殿へ剣道
稽古に通わせた。寒中床板の上で、素足、素肌に稽古着一枚の薄着で、2年間余、竹刀の素振りと
正座にあけくれしているうちに、徐々に健康をとりもどし、ついに体質をつくりかえてしまっただ
けに、現代っ子のこうした効果的在変化が身にしみて納得される。ついでたかい影響をもたらした
一18一
内容は、精神面で、とくに態度についてであり、起床時と就寝時、。親にあいさつするようになった
り、近所の人にも礼儀正しくあいさつしたり、しっかりし先返事をする態度が現れ、いづれも礼儀
正しくできるようになっ走(37%、24.5%)としている。書た正しい姿勢が保九れ、姿勢がよ
表 3. 子どもと親の感じている影響
01020304050607080
身体が丈夫になってきた
舩.3
_‘__・.‘‘____一・・‘_・・■・_63 3
行儀が正しくできるように
なってきた 一一一一一一
姿勢がよくなってき売
37.1
_24−5
_______一_一一里3
36.7
34.3
おちつきがでてきた
’’一’’一一一一26.5
負けん気がでてき走
31.4
一一一一一一一一26.5
辛棒強くなってさた
27.1
一一一一一一一一一一28.6
動作がきびきびしてき友
18.6
一■.’一16.3
勉強を良くやるように
なってきた
15.7
実線
子ども
点線一__一一親
’一一一一 10.2
大っていたのが
ひきしまってきた
11,4
一一一一一一12.2
波れが残るようになってきた
1O
‘一・一9
明るさがでてき走
8・6
一‘■■’一一16,3
勉強より遊ぶことが
7.1
多くなってき大 ’■3
くなってきた‘34.3%、36.7%)とか、合まてがさついてい先のがおちつきがでてきたf31,4
%、26.5%)、弱虫.泣き虫の弱気がなくなって、負けん気が強くなってき淀、物事に対して根
気がなく、あきっぼいのが根気強く宏ってきたとか、何ごとにもグズグズしていたのが、きびきび
し走動作でできるようになった、ま友明るさがあらわれてき走、などの効果をあげている。いづれ
にしても心身への変化として、わずかながらも好喧しい影響をも友らしている1ことがうかがわれる。
かって筆者が薬小学校に勤めてい走頃(昭和16∼18年)各学級担任教師が、どうにももてあま
してい走.長欠児で、走まに登校すると暴行を働く、いわば非行少年にちかい子ども等約30名余に
空いでい九一教室を彼等の場として提供、養正室と名づけ、講堂を道場に放課後剣道の指導をぱじ
めたのであるが、授業に出席しない彼等が剣臆の稽古時になるとぞろぞろと顔をだしぱじめる。粗
暴で腕力の強い彼等を相手にはげしい稽古ときびしい僕を徹底して実践させた。それ以来、教室授
業をうけるようになり二学習態度の向上をみるにい光り、校風を刷新することにもなった。当時の
社会的背景の相違はあるとしても、九しかに彼等の性格や行動の面に好ましい変化と影響をもたら
したことで、教職員、父兄から感謝されたことを付記する。
制 希望事項について
剣道の練習(稽古)について、どのようにしてほしいかの希望事項のなかで、親子ともに、もっ
一19一
ときびしくしてほしい、との要求が多い。親ば家庭生活で子どもの起居動作や、行儀作法、規律正し
い行動、物の整理整頓など容易にしつけられない側面を、剣道の厳格な指導に期待をかけているもの
と考えられる。もっときびしくしてほしいとの子どもの要求に対し、幼い子どもである故に、保護的
な意図でゆるやかに、拾だやかに、かるく指導することば、剣道のもつ「さびしさ」を体感したい要
求をもつ子どもを欲求不満にさせることになると考えられる。これらの希望からも、今日の少年剣道
フームのなかにひそむ要因の一つに、剣道特有のさびしさが待望されていることがうかがわれる。防
具をつけた1年以上の経験児童のなかでは、もっと子ども同志の試合をさせてほしいの要求が相当に
多い。基本動作をひと通り習得した児童にとっては、拾たがいの間で、勝負にこだわらない力だめし
をしたいとの欲求が拾きることは、エネルギーの満ちあふれた児童期の当然の現われであろう。その
他、稽古時間をもっと早くぱじめてほしいとか、時間をさっちり守ってほしいとか、人数が多すぎる
からパートタイム制のようにして能力別の指導をしてほしいとか、道場がせ一ますぎるのでもっと広い
場所でやらせてほしい、在どの希望をしている。これらの希望事項については、指導方法や、その他
の工夫によって今後に解決される問題であると考える。
以上についてIまとめてみると、子どもたちの剣道練習動機は、人にすすめられて行うこと、そのな
かでも、とくに親からのすすめによることが最も多く、全体として他律的であるのが特長である。そ
の他、健康の維持増進を目的とする身体性およびマナーを身につける社会性、根性をつける、気力を
強くする、などの意志性もその動機となっている。ま老親の動機は子どもと同じく身体性に荘が札
あわせて意志性・社会性をたかめることによって、心身の一元的な健全をねがい期待して、子どもに
すすめていることがうかがわれる。
剣道の心身えの影響度については、親子ともに、子どもが剣道練習をするようになってから、より
健康になってさたこ一と、剣道の特色ともいうべさ姿勢がよくなってさた、など身体的側面の効果を認
め、さらに社会性・意志性・行動性・情緒性と精神的な面についても、好咳しい影響を少なからずも
たらせていることをみとめていることがうかがえる。美的在面てば、両道場ともか浸り厳格安指導が
なされているにもかかわらず、な捺親も子どもも、もっと蓉ぴしくしてほしいと希望していることは
主主目にイ価する。
さらに、これらの結果から、今後の少年剣道のあり方について私見を述べることにする。
少年剣道に親子とも多く期待しているものは何であったろうか、この調査の結果でとらえられたも
のぱ、身体的側面に太さな期待をかけての人問づくりを願い求めていることである。このことば剣道
の練習を通して、より健康体がつくられる可能性を多分にもつものであり、また現に健康度を増進さ
れつつある効果を礼賛しているものである。邊しい身体づくりや体力づくりは、体育運動の目標の一
つの太さた柱であり、適切なる活蛎によって達成されるものであることはいうまでもない。これと同
じく剣道も心身一如の鍛練としで、価値性の高いものをもっているといえる。身体面と精神面は造り
ぱなして考えられない、あくまでも一体のものとした観点に立つぺさであるが、ここでとくに少年剣
道に期待し強調したい一つの側面として、剣道特有の精神力をあげたい。現代っ子に共通してもち合
わせ。足りないものと思われる点は、気力。乏しさである。「日本は子どもの天国」とよくいわれて
いろが、とかくあまやかし過ぎている、外歓り子どもと比較して、例えば.衰のさびしさの面でも、日
一20一
本はあまやかし育てが多くみうけられる。あまやかされた子どもが青年期に入って、無気力となり、
意思力の弱さから無軌道に走ることが原因の一つにもなっているといえる。ここでいう気力とは、端
的に、勇気の心と忍耐の心であると解することにする。すなわち、正しい事に対してばあくまでも正
義感にもえて、あたっていこうとする勇気の心構えと困難な事に直面しても、がまん強く、耐え忍ん
で、くりかえし、くりかえしの努力をしようとする忍耐の心構えを行動にあらわす実践力である。こ
うした気力はさらに意志力の向上にも結びつくものと考える。民主教育のなかに生かされている、邊
しく、正しく、清ぐは、人間づくりのきわめて大切な基本的姿勢である。このような民主的態度を育
てるために、剣道特有の一面である精神力を少年剣道の根底として、現代の子どもに青くませたいの
である。剣道の稽古や試合の場てば、相手を敵視する態度で相対するのではない。「初心を忘るべか
らず打たれて学べ」が剣道である。相手に打走れることは、そこに自分の心や形のなかにひそむ邪心
や隙があるからで、そこを教え、戒め、諭されることであって、ありがたく相手に感謝する心の現れ
が剣道する心である。す哀わち、このような相手があってこそ、自分自身があらゆる面で高められる
ことになる。したがって常に相手を尊重する態度、それが尊い礼法の形と在って、心のこもった礼、
作法が自らあらわれてくるのである。
わが師は、試合に際して「勝つべからず、敗るべからず、和して争ばず」とよくいわれたものであ
る、そして師自ら身を以て実践窮行されたことを拾もいうかべるO当時は子ども心にも、全く矛盾し
たことを言われるものとおもっていたが、これは師のたゆみなき修練からにじみでた一つの哲理であ
った。拾もうに、これば勝つに法あり、・負けるに理あり、勝つべくして勝ち、負けるべくして負ける、
明鏡止水の心境、つねに不動心を信条とすることである。端的にいえば、勝負のみにとらわれるなで
あ.り、事にあたって、打算功利のみを追求する左かれてある。これはまた民主社会のなかに生きる理
念でもある。現代剣道が、邪道的傾向にぱしら左いための警鐘とも考えられる。
今日の原子力一時代に、もはや過去の責道がもつ、封建隆神秘性、好戦性なとは拭いとりさられて
いる。ただ単在る斗争本位の剣道ではないO試合場面は、たしかに激しい斗争の様相を呈してはいる
が、一見、矛盾撞着とおもわれる競争と協同が同居する場で、しかも、そこには充実した気力のばげ
しさのなかに、さぴしさと美しさの渾然とした姿態の調和がにじみでている。剣は相手に向けられて
いるが同時に自分にも向けられている、自分も相手も、ともに相交えた剣先のさなかにあって、おた
がいの邪心を断ちさる剣であり、拾たがいの不正をただす剣であり、相共に正しさを見出し、その正
しさを学びとろうとする場である。争いながら相和し、相和するなかに正しさを競い合う、正しい剣
道を学ぶことを強調するものである。最近、各地で少年剣道大会が盛大に実施されているが、ただた
んに、勝敗のみを競い争うことに終始するものでなく、剣道の真髄ともいうべき、いかに正しい姿勢、
態度で刃筋を正して業倣〕をもちいたかいかに正しい心の持ちかた怜どろく・おそれる・うた
がう、まどうなどの心の乱れがなく、また勝つ定めには手段をえらぱぬような邪心のなべ正々堂々
の心構え〕が現れていたか、どうかの観点で評価する剣道試合であらせた^かような「正しい剣道
を少年剣道の目標にかかげて、気力を青くむ気音を中核に、しゃさっとした芯の一筋が背骨に通って
終始相手を尊重する態度を保持し、相和して争わぬ子ども、すなわち、民主社会に、正しく、清く、
邊しく生さぬく、勇気と忍耐の精神力をもつ、望ましい子どもに育てあげる少年剣道であることを願
うものである。
一班一