韓国社会の在日同胞と民族教育のイメージについて

[企画連載]
KIN_同胞消息15.
韓国社会の在日同胞と民族教育のイメージについて
著者:梁英聖(リャンヨンソン、在日コリアン青年連合)
韓国で近年、とくに映画『ウリハッキョ』のヒットやワールドカップ北朝鮮代表選手で
ある鄭大世選手の活躍がメディアで大々的に報じられるという事実を知らされたとき、韓
国社会でも在日朝鮮人の存在が知られるようになったのかと思うと、とても感慨深かった。
一方でそれらメディア言説の中で描かれる在日朝鮮人のイメージに気がかりがないわけ
ではない。在日朝鮮人といったときのイメージは「=朝鮮学校出身者」となってしまって
ないだろうか? 同時に民族教育の理解もまた、
「=朝鮮学校」という理解になってしまっ
ていないか?
むしろ日本学校に通い、日本語しかできず、朝鮮の言語も歴史・文化も知
る機会を持たず、そもそも自分は何者かよくわからない、といったケースが在日朝鮮人の
多数派である。そういう人たちの存在を、韓国人は在日同胞として、
「同じ民族」として認
めてくれるのだろうか?
認めてくれなければ、その在日同胞理解は、大変残念ながらま
ったく不十分な理解だというほかない。
そんなことを考えるのは、自分自身が朝鮮学校に通っていた頃、自分がそうだったため
でもある。私は高校 2 年の夏休みに、あるボランティア活動を行うことになった。日本の
学校に通っている同世代の在日朝鮮人が、朝鮮語や文化を学び、同じ境遇にある在日同士
悩みを共有するなどのコミュニティ機能を果たしている、「学生会」という団体とともに日
本の学校に行っている在日同胞を探す活動だ。
私はそのときになって、日本の学校に通う同世代の在日朝鮮人が在日全体の 8,9 割であ
り、朝鮮学校に通っている自分たちのほうが実は少数派であることを、はじめて知ること
になった。
私の記憶では同い年の A さんだったと思う。彼女はこう言っていた。自分は在日朝鮮人
であることをひた隠しにしてきたが、学生会のメンバーに出会えて自分が何者かを知るこ
とが出来た。実はまだ学校の友達にも自分が在日であることを名乗ったりできていない。
どう言ったらいいのか悩んでいる――。
かれらのほうが朝鮮学校に通っている私たちよりも、在日朝鮮人の疎外について真剣に
悩んでいた。その事実を前に、私は内心恥ずかしくてたまらなかった。
その時の経験から、かえって自分はなぜ「自分は何者か?」という問いに、自分の存在
を根本から揺るがすほどまでに悩まなくてすんだのか?という疑問を持った。疑問は間も
なく溶けた。簡単にいうと、私はともだちに囲まれていて、ただ遊んでいて泣いたり笑っ
ていれば、それで済んだからなのだ。それを共にするのが「在日」なんだ、という風に「自
分は何者か?」という危ない疑問をわきに置いておくことが、私には許されたのである。
朝鮮語をじつはうまくしゃべれないし、本国にもいったことがなくよくわからないし、1・
2 世世代とは状況が違っておなじ「民族」かといわれればうまく答えられなくとも、ともか
く「ウリ」が朝鮮人だ、ということを実感することが出来たのである。
このことをもう少し抽象化すると、同じ境遇の在日朝鮮人同士、安心して語れる場が、
私にはあったということなのだ。そして日本学校に通っていて、同じ在日同士出会う機会
に(学生会に来ない限り)恵まれなかった A さんには、なかったということなのだ。さら
には私の通った朝鮮学校にあった在日ネットワークは、日本学校に通う在日朝鮮人には開
かれておらず、民族教育のなかでさえ保障されていない=A さんと私は朝鮮学校のなかでは
であうことができなかった、ということなのである。
そのことに私は気づかされた。私はこのショックを、当時の恥の感覚とともに忘れるこ
とが出来ない。
韓国人に次のことを考えてもらえたら幸いだ。在日同胞同志、安心して出会える空間と
いうのが日本社会にはまったくといっていいほど保障されていない、ということを。そし
てそれが保障されてはじめて、民族教育は有効に機能するということを。このことを理解
せず、日本語しかしゃべれなかったり、あるいは自分のアイデンティティに悩んでいる在
日同胞について、
「日本人だ」とか「民族心がない」などと判断するのは誤りであるという
ことを。
韓国政府・社会が在外同胞の民族教育を守るといったとき、
「正しい民族」になるための
言語・歴史・文化…といった「資格」を身に着けさせる、という風に理解しないでほしい。
むしろ重要なのは、在日朝鮮人同士が安心して出会える空間=コミュニティが、政治的立
場を問わず保障される、という点だ。これは朝鮮学校だけをいうのではない。朝鮮学校の
ような学校教育形態だけでなく、一世のハルモニたちが通う夜間学校や民族学級という形
態、
さらには社会人などが有志で集まってハングルを学ぶ KEY のような社会教育の形態と、
在日同胞同志が安心して出会える空間の重要性を、理解してほしいのである。
私たち KEY のハングル講座では、私は朝鮮語それ自体の学習も大事だが、やってきた在
日同士のコミュニケーションにもっとも神経をつかっている。かれらが無意識のうちに感
じ取っている、民族差別やレイシズムに起因する人間疎外を、安心して語ってもらえるよ
うな環境づくりに励んでいる。朝鮮学校以外にも、こういう民族教育の守り方もあるのだ。