仏壇店だより 人の繋がりを心のつながりに 中村正佛堂(和歌山・みなべ) 中村正佛堂の歴史は初 「 小 さ い 時 か ら 後 を 継 ぐ ね」 代 中 村 正 一 氏 か ら 始 ま ものと思っていましたの みなべは南高梅で知ら 年生 で、業界に入ることは当 れる土地、和歌山県の南 る。正一氏は大正 まれで戦前は大阪仏壇の たり前のことでした。修 部に位置する(みなべ町 工程を一通り学び、主に と南部川村が合併して誕 から色々なことを頼まれ ムです」 木地を作り、市内の有力 業先では仏壇仏具の製造 は2004年に旧南部町 店に納めていた。 「 う ち に 戻 っ て 来 て、 一 行くことが次の仕事に繋 壇や祭礼具の販売を通し 祭 礼 が 多 い 土 地 柄 で、 ◎中村正佛堂 和歌山県 た。 てこられて皆さんに仏壇 と。 そして泰介社長の後を 「 そ れ ま で も 家 業 の こ と をお買い上げ頂いたこと 取材で訪問した際には墨 日高郡みなべ町埴田一五 継ぐのが長男の中村光希 を 見 て き た わ け で す が、 は 印 象 に 残 っ て い ま す 」 書 さ れ た 灯 籠 が 店 内 に 七四ー一七 TEL〇七 氏だ。 地元に戻って来て感じた と語る光希さんは根っか あったが、この墨書は中 三九(七二)四四〇一 光希氏は昭和五十七年 ことは、うちの店のある ら仏壇屋としての能力が 村社長自ら書いたものだ F A X 〇 七 三 九( 七 二 ) 生まれ、大学を卒業後に みなべでは、大阪に比べ 備 わ っ て い る の だ ろ う。 という。 四八二〇 佛堂に入り、仏壇仏具の 中村正佛堂に戻ってき 人で店番をしている時に が っ て 行 く と 思 い ま す 」 て、人と人との心をつな 販 売 に 情 熱 を 注 い で き たのは二十四歳の時のこ 二、三組のお客様が入っ と光希さんは語る。 いで行くことになる。 校を卒業と同時に中村正 希さんは語る。 現社長の中村泰介氏は 箔押しや寺院仏具の組立 生 )。 大 阪 と は や は り 仏 ます。頼まれたことを丁 祭礼が心と心をつなぐ 寧に一つひとつこなして のように、光希さんも仏 昭和三十一年生まれ。学 をやっていました」と光 壇市場が異なる。 みなべ町 が売れるということです りも強く、気軽にお客様 がりの中で大切なアイテ 中村社長による力のある墨書の灯籠(左) 中村正佛堂社屋(右) 中村正佛堂は霊供膳用のお供え「ご先祖さま」を開発 地元のあみだ食品が製造販売を行う 本社の隣にはあみだ食品の加工工場がある 大阪の仏壇仏具製造工場 ると大きなサイズの仏壇 「 地 元 は 人 と 人 の つ な が 「 祭 礼 用 品 は 地 元 と の 繋 で修業を積んだ。 宗教工芸新聞 2015 年(平成 27 年)3 月号掲載 11 中村光希氏(左)と中村泰介社長
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