」 2015820111 I発 行】 朝日オリコミ四国 ○惧どの"重 卜 =31よ う 草目褥 新 聞 f,1重 [卜 婁嘉″ i)3411 ビ ジ ネ ス洒訓 1 ヽ ﹂ 鑢 ● ヽ 尚・ ・ ・ 一 摯犠一 ・ 髪 尋 “肇 齢 黎 ≧ 郵藝 r 一 一 一 卜一 許夫柚 1魃 ・ 鵞5‐ . ・ 輔 琲 ・ ・ 絣 VOL175 201≠ 田 月20日 発行 回 響 多 ri・ │: ︱ 一︱ 外 壁 に鮮 や か な木 々 が描 か れ た 四 国 こ ども とお とな の 医療 セ ン 攻 ― =善 通 寺 市 イ 山遊 町 アー トで 病院 に安 らぎを ープン 豊砕 ime ttPL子 :〔 角ギ 四国こどもとおとなの医療センター 院長 中川 義信さん 白い外壁 の大 きな建物 には、 たくさんのハー トの実 がなるカラ フルな木 々が 描 かれている。国 立病院機構が運営する香川小児 病 院 と善通寺病 院が統合 し、一 昨年5月 に開院した総合病院、四 国 こどもとおとなの 医療 センター だ。鮮やかな外観 だけでなく、病 「患 院 の名 前もまたユニー クだ。 者 さんが緊張 せずに過 ごせる癒 や しの環境を作ろうというのが コ ンセプトです。名前を決めるのに も3年 かかりました」 センターは、全国的にも数少な い胎児 の 出生前診断や小児 の心 臓手術 も手掛ける国内有数の医 療拠点 だ。中四国唯 ―の 国指定 の小児救命救急 センターで、専 用 のヘ リポー トも持つ。だが、最 先端の医療体制 に加 えて中川義 信院長 (65)が 特 に重視 している のが、患者の心のケアだ。 「赤ちゃんからお年寄 りまであ らゆる患者さんに寄り添える病院 を作 りたいJ。 そう決意 して取 り入 れ たの は、医療 とアー トの融合 だった。 編集長 篠原 正機 写真 大国 亮 目 2面 に続く 独立行政法人中小企業基盤整備機構 (中 小機構 )補 助金事業 消 費税率 の引き上げにより変化した消費行動を学ぶと共に、消 費税の転嫁 を通切 に実施することの重要性の理解を通して、中小企業・4ヽ 規模事業者等 に 経営 力の強イ しや収益 改善のためのヒントを得ていただくことを目的 に開催 いたします。 `鑢京 員 軍 言 稔 ま 菫 磯 曇 璽 馨 ξ 警 仄 瑳 拍 1蔓 二 I三 二 ill童 ヲ 基調講演「付力 値を高める企業経営 0方 颯予鸞⑮憮 支援織闘簿 対象 環◎:鬱 0∼ 壻食130綴 輸9:3o) ′ ι 場所 :高 松センタービリ 会議室 ●」 R「 高松J駅 より 徒歩10分 ◆ こ でん 「高繰 藩燎より と 徒歩6分 0価 J 喰詢宇財務課長 … 菫中」 J籠 勘 開費税の状況と中小企業.1哺 模事業者対策のポイント 築経済産業が肖費者転換嫁対策室長 … 「,肖 費税の転嫁拒否行為に対する対応」傾題 ゞ小富コンサルタンツ… ) 「消費税率弓LLげ 後の消費行動」 強化刊 蟷翻 議i二 役■つ 曇内閣府 … 輸 マイナンバー 社会保障・税番号制度」 ビント溝難のフ 千ムです、 主 催 /経 営 力 強 化 フォー ラム事 務 局 後 援 (予 定 )/中 小 企 業 庁 中小 機 構 経営力強化フォーラム夢務局 TEL:03‐ 6413‐ 75'7 FAX:03‐ 6418‐ 7099 │ 一 炉 =一 ― ― ― BttnlESSんヽGAWA 【 2】 2015.820 1日 24時 間 1年 365日 、 全 ての患者 を受 け入れ る ―ン中川 義信さ ん 譴得甜 ン な看護衣は子どもたちに好評だ。 「病院 とい うのは独特の臭いがし て、真 つ白な服を着た看護師 に センターの前身、香川小児病 注射されるという怖いイメージが 院の思春期病棟 には、不登校 や あると思うんです。可愛らしい看 家庭内暴力などで心や体 に深い 護衣だと、赤ちゃんに手を差し出 傷を持つ子どもたちが入院してい したら、手を差 し出し返してくる。 た。病棟 の廊下の壁は子どもたち やっぱり安心するんでしようね」。 が殴ったり蹴 つたりして開けた穴 だらけで、修理 してもすぐにまた 今 ではアー トは、子どもだけでは なく、成人 の患者や病院職員の 「何とかならないか 穴が開いた。 …… 」。院長だった中川さんは頭 癒やしにも繋がつていると中川さ んは話す。 を抱えていた。 2008年 、入院 している甥のお 選 ば れ る病 院 へ 見舞 いに来ていたアートデイレク 「開院して2年 余りが過ぎました ターの女性 と出会った。現状を相 「絵を描 いてみましよう が、まだまだ道半 ば。大切なのは 談すると、 よ」。長さ約601ラ の壁に色とりどり これからです」 センターは独立行政法人の国 の大きなクスノキを描 いた。子ど もたちも一緒 に描いた。すると、 立病院機構が運営するが、国費 「それ以来 ピタッと穴が開かなく で賄われるのは研究費の一部程 なりました。絵に癒やされて子 ど 度で、経営 は診療収入など病院 もたちの心が落 ち着 いたのか、 の自己資金でやつていかなけれ アー トにはとても大きな力がある ばならない。センターの建設費約 2∞ 億円も全額自腹だつた。 と実感しましたJ 「病院経営 を成 り立 たせるの 当時、国の病院再編事業に伴 い 、老朽化 した香川小児病院 と は、やはり良い治療です。良い結 果を出 して患者さんに選 ばれる 善通寺病院を統合 し新センター を作る計画は日々進んでいた。し 病院にしなければいけない。アー か し、急 きよストツプをかけた。 トもそのきっかけになればと思つ ていますJ 「アートを全面的に計画 に組み込 選んでもらうために掲げている むことにしました。外観は茶色 か 「スタツフには1日 24 信念がある。 褐色 になる予定でしたが、設計士 さんにお願いして変えてもらいま 時間 1年 365日 、全ての患者さん を断らずに受け入れるよう言 つて した」 こうして誕生 した新 しいセン います」 現在医療 の世界 は、病院 の規 ターには、いたるところにアー ト 模や設備 に合わせて役割分担 し が取り入れられている。 ていく機能分化の流れにある。国 窓の無い手術室の壁には風 が 吹き込む窓を描き、天丼にはスト は総合病院や大学病院に対して、 急性期や重症患者を治療する高 レッチヤーで運ばれてくる患者の 度医療 に特化するよう求め、紹介 目線 で讚岐富士を描 いた。廊下 状 が無いと診てもらえないところ の壁 には小さな棚を作 つて美術 も少なくない。だが、中川さんの 作品や花 を置き、入院患者 が好 「子どもはどこからが きな絵を選んで病室に飾れるよう 考 えは違う。 急患なのか分かりませれ 熱を出 にと画家 や美大生が描 いた絵画 を200枚 購入 した。受付 ロビーに した、嘔吐 したと、親 は夜中でも は子どもたちが遊べる大 きなから 子どもを抱 えてやつて来ます。そ の状況 で紹介状が無か つたらダ くり時計もある。 メですよとは言えません」。これは 看護師 の自衣 もやめた。動物 医師になりたての頃、尊敬する恩 のイラストなどが入ったカラフル 壁 に 穴 が 開 か な くな った 群﹁ =│::[ ‐ 壁には窓、天丼には護岐富士が 描かれた手術室 スタッフはカラフルな看護衣を着て 職務にあたる ‐ なかがわ よしのぶ Ю 暮 [儡 医 師 L_ 讐電 ヒなの 冒階 鼈 篤鶉濯徽ポ ︲ 十 F亀 ‐ 1轟 証 加え、これだけ大きな病院の建設 にも携わることが出来 た。人生と は不思議なものですね」。中IIIさ んはしみじみと語る。 アートを全面的に取り入れる新 たな試みは当初、国や他の病院 から強い反発があつた。だが、開 院後は全国から100を 超 える自治 体 や病院が視察 に来ている。既 に次の新たな試みも始 めている。 たまたま巡 り合 った小 児 医 療 タイ、モンゴル、上海などの病院 や大学と交流を深 め、アジアをエ 小学生 の時、野 口英世 の伝記 リアとした選 ばれる病院をつ くり を読んで感銘 を受け、命を救う最 たいと話す。 した。 に立ちたいと医師を志 前線 「国際的な仕事をして、若 いス 小児脳神経外科を専門に歩 んだ させてあげ へ タッフにも海外を経験 いと 行きた 「実は小児病院 が、 手を挙げ たわけではなか ったん たい。世界 中から、こんなところ はどこにもないと言われるような です」 病院にするのが次の目標ですね」 徳 島大学医学部を卒業後、外 部 の病院 で研修 することになっ た。候補 の研修先 は小児病院か ら大人の病院までいくつかあつた が、大学 の医局から割 り当てられ たのが、たまたま香川小児病 院 健康保険鳴商病院脳 神経外科 医長、 「小児医療 に携わると子 だった。 徳島大学医学部講師などを経て y]曹 慶 られます。 高 どもの成長を見続け ど 響擦 日 音壼雪ξ 『 院長 校や大学に入った時、報告をしに 訪ねて来てくれる子もいる。そう 1週 T署 いうのはとでもうれしいですね」 1医 療センタ∵ の で医師として 香川小児病院 善通寺市仙遊町2丁 目1番1号 スター トを切つて今年 でちようど TEL 0877 62 illllレ TAX 0877 62 6311 つこ の最前線に立 になる。 40年 命 とでつ らい思 いをす ることも多 かった。しか し、脳腫瘍 で目が見 えなくなった患者 に手術をしたら 抵誘導言 理霊醗 団載 寺丸亀陸軍勧 曳病院の 次の日には目が見えるようになっ に 改 称 鑢聾顆院 た。寝たきりで目を覚まさなかっ "3昨 饒 塁 驚 諏蜃 酸 で て自分の足 た患者が治療を経 善通寺病院となる 歩いて退院していくこともあった。 1膨 ど ` 衛戌病院 讚 創立 儡 決して忘れることのない光景だと 1945年 国立善通寺病院伏見分 院 として 再発 足 振り返る。 56年 国立善瀬寺病院か ら分離 し 「たまたま小児病院 に振り分け 75年 られて今 の私 があります。患者さ 2004年 独立 行政法人国立病院機 構 割 ‖」り犠 院 となる ん一 人 一 人を治す という喜びに 師に最初 に教えられたことでもあ 「症状が重い軽いに関係なく、 る。 年齢にも関係 なく、地域に必要な 医療を提供する。これが私たちの 果 たす べ きことだと思 っていま す」。センターには、年間 に時間 外の急患が2万 人、救急車が4000 台入って来る。県内の医療機関 では最も多い数字だ。 目 鐵 称 発 際こ 改 宗 襲
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