マレビトの会 『長崎を上演する vol.4』 2015.3.28(Sat.)-29(Sun.) 立教大学 新座キャンパス 6 号館ロフト 1 3/29(Sun.)アフタートークゲスト:松井周氏(サンプル主宰) - 構成表 - 『生徒たち』 『信平とみ緒』 『ソウル ミーツ ボディ』 『追悼施設にて』 - 松田正隆 演劇の皮膚 演劇の皮膚というものがあるように思える。皮膚は表面であるが、感触をともない、限りなく薄い膜で あるが、それでも厚みをともなう。 俳優が身体とともに舞台空間に現れる。観客に現前する、その感触と厚みが演劇の皮膚である。 もう少し複雑なことも演劇にはある。それは、見えることと見えないことの関わりによって起こる。た とえば、俳優が舞台上にあるとして、ある登場人物として電車に乗っているということであれば、観客は それを電車に乗っている人物として認識する。見えることは舞台の上の俳優であり、見えないことは電車 に乗る人物の像であるが、演技を媒介して見えない像が見えるようになる。 俳優の身体そのものにともなう感触と厚みが見えない像のほうへと移植されるとき、もうひとつの演劇 の皮膚が生まれる。この移植のプロセスは目に見えるわけではないが、俳優と登場人物の狭間に生きもの のように生息するのである。この生きもののように生息するものは、俳優でもなく登場人物でもない、極 めて貧弱な受肉現象である。 しかし、俳優の身体が登場人物の像のほうへ帰属する事態が定着すると、俳優の演技は電車に乗る人物 という意味情報を伝達する手段となる。そのとき演劇の皮膚も失われ、あの、ふてぶてしい登場人物とし ての役者の演技(あるいはその真逆の前衛的な手法に取り憑かれた身体の不可思議な現前!)が舞台上を 席巻することとなる。 三つめの皮膚は、演劇の時間性に関わる。ある行為が次の行為へと移行するときの流れ、運動の持続が もたらす皮膚感覚である。その行為の移行過程はすでに戯曲を起点にした稽古の段階を経て決定されてい るのだが、それぞれの行為は分割不可能で、前の動きから影響され次の行為や状況を要請し流動している のである。すでに舞台上の動きはインプットされ決められているにもかかわらず、その動き自体は未決定 であり、流れの渦中にあるという事態をどのようにとらえればいいのか。 クルーゾーの映画にピカソの創作過程を撮影した映画がある。一つの線が描かれてゆく。次の線がまた 描かれる。色も塗られ、線が消え、違う描線が加わり、それも色の滲みとともに識別不可能となる。その ようにして絵は完成へ、終わりへと動いてゆく。無色のキャンバスの肌合いは一個の絵の皮膚へと変貌を 遂げる。いや、この映画は、一本の線の動きそのもの、見えない次の線との関わりのうちにこそ、時間の 皮膚があることを私たちに突きつけたのである。 演劇にも、皮膚のようにして時間が出現する契機がある。劇=ドラマとは、その動きが産み出す皮膚の ことではなかろうか。 - 三宅一平 この「長崎を上演する」というプロジェクトは、2013 年から続く、今回で 4 回目の(さらに「広島」、 「福島」 へと続いていく予定の)長期的な作品です。 途上であるこの作品を、いまなにか批評したり、客観的に見ることは非常に難しい。 しかし、内部にいるものの声として、有効な言葉を探し出し、ここに書き記そうと思います。 本プロジェクトは「欠落」にこそ、その特徴があると、私は思います。 この作品は、何かが足りていない。 それは何なのだろうか。 被爆都市がテーマにあるにもかかわらず、カタカナのナガサキが直接描かれることはありません。あるのは、 現在の長崎からはみ出ることのない、どこにでもいるような小市民たちのドラマです。 つまり、良かれ悪しかれ、観客として予想する、ステレオタイプとなった「原爆」やそれに伴う「平和」 というイメージはどこにもありません。もちろん、そうした想定を裏切るためだけに作られているわけで はないでしょう。 ただ、被爆後に生まれた作家たちによって現在の長崎が描かれる、この被爆というテーマをあえて迂回し ていることが、何を意味してるのでしょうか。(その現在における被爆の痕跡の薄さは、福島が描かれると きに、コントラストを生むのかもしれませんし、あるいは、両者は「あの日」からの長さが異なるにもか かわらず、継ぎ目がわからないほど、似たものになるのかもしれません。) いくら考えても、この問いに明確な答えがかえってくることはありません。私には、この質問自体が、な にか虚しさを孕んでいるように思えるのです。「ひと昔前の長崎への原爆投下と私たちの現在の生活は無関 係である」と、私の耳にこだまするからです。 けれど、このカタストロフに対する無自覚さが、ふと「我」に返ってきて、その存在を揺さぶる瞬間こそが、 この作品の可能性なのではないかと、同時に私は思うのです。 表象としてのカタストロフの欠落と、 (現在もなお発生している)カタストロフに対する私たちの盲目さが、 奇妙にも並行関係にあるように思われるのです。 * 繰り返しになりますが、この作品は途上です。その全体像の見えなさは、どこへ着地するのか分からない 緊張感を湛えています。この未来の不可知性が、演劇世界と現実世界を貼り付ける糊代となっているのです。 「たかが演劇」が現在を照り返すとき、私たちが世界と直面している危うい関係(それは高度に情報化した 管理社会、グローバリズム、ナショナリズム等々を背景とした、この世界の不安感といっていいのかもし れません)を浮き彫りにするのではないでしょうか。あるいは、そんな社会との関わりさえも飛び越えて、 認識が崩壊するような、内なる狂気を覚える時があるかもしれません。 - 山田咲 マイノリティのためのモニタリングワークショップ 稽古場ではそのことを「再認の失敗」とか「宇宙的身体が現れる」とか言っている。それはつまり戯曲が 構築するドラマ(決定性)から、上演の未決定性がはみ出てきて、一体いま見ているものが何なのか、演 じている俳優なのか動いている人なのかわからなくなり、今までつかってきた認識の方法がかき乱され判 断不能になり宙に浮き、見ている側にその未決定性が覆いかぶさってくるようなことである。このとき人 は目の前の状態に対する判断を保留にせざるを得ないだけでなく、同時に見ている自己に対しての判断、 自分は観客であるとか杉並区在住50代男性公務員であるとかの判断もいったん機能しなくなる。マレビ トの会は、この状態を劇場空間でつくり出そうとしている。しかしそこには深刻な矛盾があった。なぜな らそこは劇場空間であり「再認の失敗」を促すよりむしろ「観客」をつくりだし認識の枠組みを設定する 場だからだ。 未決定性に翻弄された判断停止状態は旅行者のそれに似ている。 文化の隔たった見知らぬ国をたったひとりで訪れて街を歩く。見慣れない所作や物音がフィルターなしで 直にこちらにやってくる。そこでは旅行者は少数者だ。マイノリティであるが故に先ほど述べた未決定性 にこの旅行者はからめとられ、曝されている。劇場でこの旅行者たちが客席に座っているようにするには どうすれば良いのか。俳優がマジョリティになり観客を圧倒すればよいのか?アクトエリアを 5000 人ぐら いの俳優が往来する。50 人ぐらいの観客は未決定性にさらされたマイノリティとなる。まあそうかもしれ ない。面白いアイデアではある。しかしまぬけだ。そこはもはや劇場空間ではなくなるだろう。 真のマイノリティは常に隠されている。そして黙している。彼らは「マイノリティ」と認識されないし、 自らのことをそのように捉える術もない。認識されたとたんにマジョリティとの関係においてその存在は 定義され、語ることばを得るだろう。 やはり劇場空間で「再認の失敗」状態を目指して上演することは不可能なのだろうか。 そこで 2015 年 3 月 1 日にモニタリングワークショップを行った。マレビトの会の上演を「再認の失敗」と いう目的を共有しないモニターに見てもらい、いつ何が見えたかを聞き出す。そして「再認の失敗」が具 体的にどういう状況でモニターの人たちにとって発生したのか、客観的にデータをとって再現可能かを検 証するというわけだ。2014 年春のフレンチレストランのある部分と、2014 年夏のバス停と十人町の部分を 模擬的に上演した。結果、どうやら上演の際に劇場内に現れるいくつかの空間のフェーズに風穴をあける ことが有効らしいとわかった。例えば、戯曲の表象する空間と、演じる側の身体が支配する空間のあいだ に意図的にずれを生じさせる、といったようなことである。 とはいえ回答が出たわけではない。 どのようにして各々の空間のフェーズが立ち現れるのかは、相変わらずそこで見ている観客の認識の度合 いにゆだねられているし、相変わらず劇場空間は強力な力でマジョリティとしての観客を生み出そうとす るからだ。また、隠され黙し、常にことばの外に在るマイノリティの製造方法を、ことばによって定式化 しようなどという試みはもとより愚かであったのかもしれない。 この文章のはじめで、あらかじめ未決定の状態が上演の側にあり、それにより見る側は判断停止におちい るという書き方をしたが、じつはそこに時間的な前後はなく、それらは同時に生起する分ち難い現象なのだ。 ちなみに前回、2014 年夏の「長崎を上演する」の稽古場でこんな話が出たことがある。 「一体この上演は何を目指しているのか?」 「イマジナリーな長崎人を上演によって生産し続け、数を増やし革命を起こすことだ」 冗談だが本気である。 |CAST| 『生徒たち』 作:遠藤幹大 斎藤:島崇 橘:西山真来 桑野:弓井茉那 小宮山:佐藤小実季 田中:生実慧 - 『信平とみ緒』 作:松田正隆 鈴木信平:吉澤慎吾 鈴木み緒:上村梓 『ソウル ミーツ ボディ』 作:松田正隆 梅津正史:生実慧 加納栄太郎:島崇 古賀明日香:佐藤小実季 北園きらら:西山真来 戸田かおる:上村梓 田代奈々子:弓井茉那 熊取佳子:田中夢 門衛・DJ・バーカウンター係・長崎市民:吉澤慎吾 - 『追悼施設にて』 作:松田正隆 警備員:吉澤慎吾 来訪者たち:西山真来 生実慧 島崇 上村梓 弓井茉那 佐藤小実季 三宅一平 山田咲 吉田雄一郎 田中夢 - 生実慧(出演) 2015 年 6 月 25 日(木)∼ 27 日(土) 捩子ぴじん新作公演『Ur b an Folk E n ter tain me nt』 横浜赤レンガ倉庫1号館 - 上村梓(出演) WOWOW オリジナルドラマ『連続ドラマ W 夢 を 与 え る 』 (原作 : 綿矢りさ、監督 : 犬童一心) 5 月 16 日 ( 土 ) スタート 毎週土曜よる 10:00(全 4 話 ) - 島崇(演出・振付) 土方巽没 30 年 DANC E E XPER IENC E WORL D i n 秋 田 「『私』の病める舞姫」 2015 年 7 月 5 日(日) にぎわい交流館 A U 多目的ホール - 西山真来(出演) 映画『乃梨子の場合』 2015 年 3 月 28 日∼4 月 10 日頃予定 ポレポレ東中野ほか 連日レイトショー 甘もの会 『わたし今めまいしたわ』 6 月 12 日(金)∼ 14 日(日) 新宿眼科画廊 - 弓 井茉那(出演) 日伊共同制作『オオカミとヤギ∼「あらしのよるに」より∼』 (国際児童・青少年 演劇フェスティバルおきなわ 2015 にて上 演 ) 東京会場:7 月 25 日(土)∼ 26 日(日) 東京芸術劇場 那覇会場:8 月 1 日(土)∼ 2 日(日) インプログループ、即興実験学校にて毎月ショーとワークショ ッ プ を 開 催 。 ショー:毎月第 3 火曜日 阿佐ヶ谷ライブバー我無双 ワークショップ(座・高円寺提携):毎月第 2 土曜日 座・高 円 寺 地 下 3 階 稽 古 場 - 吉 澤慎吾(出演) Utervision Comp an y J ap an 2015 『Ango / 桜』 2015 年 4 月 22 日 ( 水 ) ∼ 26 日 ( 日 ) 錦糸町 SIM STUDIO C s t 5 月 1 日 ( 金 )・4 日 ( 月祝 )・8 日 ( 金 )・15( 金 ) 渋谷文化総合センター大和田 大練習室 7 月 、南仏アヴィニヨンフェスティバル OFF 2015 にて上演 予 定 。 - 山 田咲(主宰)、佐藤小実季・西山真来(出演) DEAD THEATER TOKYO 第 1 回公演 『桜の園』 2015 年 7 月 17 日(金)∼ 19 日(日) RAFT いかだ辺境劇場参加作品 http://www.dea d th eater tok y o.s tr ik in g ly .com 『 長 崎 を 上演する』これまで 4 回の上演の集大成となる公演を、9 月に立教 大 学 新 座 キ ャ ン パ ス 、 2 0 1 6 年 3 月 に 愛 知 県 芸 術 劇 場にて予定しています。詳細は決定次第、マレビトの会 Web サイト に て 発 表 い た し ま す 。 『 長 崎 を 上演する(仮)』 2 0 1 5 年 9 月 下旬 立教大学 新座キャンパス 2 0 1 6 年 3 月 下旬 愛知県芸術劇場 小ホール 2 0 0 3 年 、 舞 台芸術の可能性を模索する集団として設立。代表の松田正隆の作 ・ 演 出 に よ り 、 2 0 0 4 年 5 月 に 第 1 回 公 演 『 島 式 振 動器官』を上演する。2007 年に発表した『クリプトグラフ』では、カ イ ロ ・ 北 京 ・ 上 海 ・ デ リ ー な ど を 巡 演 。 2 0 0 9 , 1 0 年に被爆都市である広島 ・長崎をテーマとした「ヒロシマ―ナガサ キ 」 シ リ ー ズ (『 声 紋 都 市 ― 父 へ の 手 紙 』、 『 P A R K CITY』、『HIROSHIM A―HA PCHE ON:二つの都市をめぐる展覧会 』) を 上 演 。 2 0 1 2 年 に は 、 前 年 の 3 月 に 発 生 し た 震災と原発事故以後のメディアと社会の関係性に焦点を当てた『ア ン テ ィ ゴ ネ ー へ の 旅 の 記 録 と そ の 上 演 』 を 発 表 し た 。「ヒロシマ―ナガサキ」シリーズ以降、集団創作に重きを置くとと も に 、 展 覧 会 形 式 で の 上 演 や 、 現 実 の 街 中 で の 上 演、インターネット上のソーシャルメディアを用いた上演など、既 存 の 上 演 形 式 に と ど ま ら な い 、 様 々 な 演 劇 表 現 の 可 能性を追求している。h ttp ://www.mar eb ito.or g / E -m a il : info@ marebito.org ア イ ダ ミ ツル、生実慧、稲田真理、遠藤幹大、大庭裕介、上村梓、駒田大輔、佐 藤 小 実 季 、島 崇 、島 田 佳 代 、新 保 奈 未 、 田 中 夢 、谷 岡紗智、中村みなみ、中 山佐代、西山真来、松尾元、松田正隆、三宅一 平 、森 真 理 子 、山 田 咲 、弓 井 茉 那 、吉 澤 慎 吾 、 吉田雄一郎 関 彩 耶 、 平石直輝、山本義剛 西野正将
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