スウェーデンの宗教改革

15/06/10
デンマークにおける宗教改革
•  クリスチャン2世
•  最後の連合王→スウェーデンの離反、ルター派容認の姿勢…貴族・聖職者の反感→廃
位・追放(1523)→神聖ローマ皇帝カール5世の後援を得てノルウェー侵攻・幽閉
(1532)
•  フレゼリク1世
•  制限された王権…ルター派布教禁止の一方でH.タウセンの保護、ルター派の是非をめ
ぐるオーゼンセ議会(1526-27)の開催
•  伯爵戦争(1534-36)
•  スレースヴィ公クリスチャン(ルター派)の国王選出→オルデンブルク伯クリスト
ファ(旧勢力→クリスチャン2世の復位を主張)との対立
•  クリスチャン3世
•  カトリック司教(ルンド・ロスキレ・リーベ)逮捕→コペンハーゲン議会(1536)…
伯爵戦争の責任をカトリック教会のものとして教会領を没収
•  ヴィッテンベルク派による教会法とコペンハーゲン大学再興(1537)、C.ベーダセン
とB.バラディウスによる『クリスチャン3世欽定訳聖書』(1550)
•  即位憲章(1536)…ノルウェーの王国参事会を廃止し、デンマーク王国に併合
スウェーデンの宗教改革
•  グスタヴ1世ヴァーサ
•  財政負担の拡大→教会からの借金と寄付(1522-24)
•  ダーラナ農民の蜂起(1525-26)→ヴェステルオース議会(1527)…教会
財産譲渡
•  福音主義宣言(1536)…L.アンドレイとO.ペートリによる『グスタヴ・
ヴァーサ欽定訳聖書』(1540-41)
•  初期ヴァーサ朝
•  ポーランド王ジグムント3世のスウェーデン王即位(1593)
•  ウップサーラ宗教決議(1595)…カトリック礼拝の禁止→教会法の制定
は1687年まで遅れる
•  ストーンゲブローの戦い→シーギスムンド王の廃位決議(1599)
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バルト海世界における
主権国家間の主な国際戦争
•  リヴォニア戦争(1558∼83)→モスクワ・ツァーリ国への対抗を目的としたフィンラ
ンド大公ユーハンとポーランド王女カタジナの結婚(ポーランドではリトアニアとの
ルブリン合同)→ヤム・サポルスキ条約(1582)/プリューサ条約(1583)
•  バルト海世界におけるスウェーデン・ポーランド・ロシア間の抗争の開始
•  北方七年戦争(1563∼70)→シュテッティン条約(1570)
•  スウェーデンの「帝国」化の開始
•  三十年戦争(1618∼48)→デンマーク参戦(1625∼29)→スウェーデン参戦(1630∼
48)→ウェストファリア条約(1648)
•  ドイツ諸侯としての「スウェーデン王」→バルト海世界の覇権
•  大北方戦争(1700∼21)→ニシュタット条約(1721)
•  「バルト海帝国」の崩壊、ロシア帝国の勃興
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デンマーク・スウェーデン間で
行われた主な戦争
•  カルマル戦争(1611∼13)→クレーネト条約
•  デンマーク王権の拡大の契機、スウェーデンの国制改革の契機
•  トシュテンソン戦争(1643∼45)→ブレムセブルー条約
•  スウェーデンの版図拡大
•  カール・グスタヴ戦争(1657∼60)→ロスキレ条約(1658)、コペンハーゲ
ン条約(1660)
•  スウェーデンの版図最大化、デンマーク王権の危機→絶対王政確立
•  スコーネ戦争(1675∼79)→フォンテーヌブロー条約(1679)
•  スウェーデンにおける1680年代の改革事業と絶対王政の確立
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