○『若冲』澤田瞳子(さわだとうこ) 文藝春秋 2015年4月 この本の主人公は伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)という江戸時代に活躍した画家 です。1717年に生まれ、1800年に亡くなっています。結構な長生きです。若冲 は京都の老舗の青物問屋の長男として生まれました。今も京都の市場といえば錦町 市場なのですが、そこで野菜を扱う問屋です。ところが、家業をせずにひたすら絵 を描き続けました。家業は弟たちに譲り、生涯、絵に没頭します。当然、家族とは 確執が生まれます。しかし、彼を一番悩ませたのは、彼に恨みを持つ義弟です。画 才を持つ義弟は若冲の絵の巧妙な偽物を描きます。その絵を巡る闘いが物語りの中 心です。 若冲は「世に二つとない絵を描く」画人として有名でした。彼の絵の特徴は、動 物や植物を色彩豊かにしかも精密に描くことです。特に鶏を描いた絵が多くありま す。物語の中でうら寂れた道具屋の老婆に「お前の絵はすべて、己のためだけのもの。そない独りよが りの絵なんぞ、わしは大嫌いじゃ」と言われます。若冲が絵に心血を注いだのは結婚してすぐに亡くな った妻への思いから描くものでした。老婆をそれを見透かしていたのでした。しかし、これこそ近代の 西洋絵画が目指した画家自身の自己表現ではないかと思います。若冲は近代の自画を持っていた画家で はなかったのでしょうか。 夏休み中に『若冲と蕪村』という展覧会を見る機会があり、小説の中に登場する絵の実物をみること ができ、感動を新たにしました。 ○『あの家に暮らす四人の女』三浦しおん 中央公論新社 2015年7月 帯に「ざんねんな女たちの、現代版『細雪』」とあります。『細雪』は谷崎潤一郎 の小説です。今年は谷崎潤一郎没後50年ということで、 『細雪』を敢えて意識して書 かれた小説と言えます。『細雪』は神戸の芦屋に暮らす、4人姉妹の物語ですが、こ の小説は東京の古びた屋敷に暮らす母娘とその家にたまたま住むことになった2人、 併せて4人の女の物語です。中心になっているのは、佐知という40歳近くになるこ の家の娘です。刺繍教室を開き、刺繍で生計を得ています。そしてその母の鶴代。 鶴代は働いたことがないという結構なお嬢様でしたが、今は年を重ねて自由気まま に暮らしています。その家に住むことになったのが、まず、佐知と同年代の雪乃。 たまたま佐知と知り合いになり、長年住んでいたアパートが取り壊しになることを 機に雪乃の家に住むことになりました。そして、多恵美は雪乃の会社の後輩で、ストーカーにつきまと われていてこの家に匿われる形で住むことになりました。 途中まで淡々と物語は進むのですが、後半になると、カラスがしゃべったり、カッパのミイラが登場 したりと奇想天外な物語になってきます。後半で三浦しおんの面目躍如と言ったところでしょうか。 ○『一路』浅田次郎 中公文庫 2015年4月 (2013年2月中央公論新社) 「一路(いちろ)」はこの物語の主人公小野寺一路の名前です。江戸末期、美濃の田名 部郡を領分とする蒔坂左京大夫は旗本でしたが幕府の扱いは大名同然であり、参勤交 代の義務が課せられていました。田名部郡などは架空のものです。その参勤交代の御 供頭を務めるのが小野寺家でした。御供頭とは、参勤交代のすべてを取り仕切る役目 です。一路の父弥九郎が不慮の死を遂げ、19歳の一路が突然その御供頭を務めること になりました。父から何も教えられていないばかりか、参勤交代に帯同したことすら ない一路は慌てふためきます。しかも、周囲の誰もが協力してくれないばかりか、御 殿様は世間からうつけ者と言われるバカ殿様。御役目を果たせねばお家取りつぶしに なってしまいます。そんな一路を救ったのが、焼死した父親が最後まで守った1冊の 冊子でした。「元和元年辛酉蒔坂左京大夫様行軍禄(げんながんねんかのととりまきさかうきょうのだい ぶさまこうぐんろく)」と表紙に書かれた冊子は、参勤道中の心得を書いたものでした。ただ時代が古い、 江戸初期のものでした。しかし、他に頼るもののない一路はこの冊子に則って古式ゆかしき参勤交代を 進めます。暗躍するのは、御殿様の命を狙う一味。果たして無事に、江戸に着けるのか。武士とは何か、 忠義とは何かを問いかける物語ですが、スリリングな展開で一気に読んでしまいました。
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