論 文 心臓の柔軟性を表す新しい指数 µ 非会員 瀧澤 非会員 山城 清∗ 俊介∗∗ 非会員 黒田 滋樹∗∗ 正 員 上田 ●亮∗ New index µ regarding the flexibility of the heart Kiyoshi Takizawa∗ , Non-member, Masuki Kuroda∗∗ , Non-member, Shunsuke Yamashiro∗∗ , Non-member, Yoshisuke Ueda∗ , Member A new approach of analysis for electrocardiogram(ECG) is presented. The long series of R-R intervals, for several hours, was expressed as a picture on the screen of computer. The study of the picture suggested a numerical expression calculating an index named µ. The index µ seems to reflect the flexibility of the heart. The hearts of old persons have small µ, suggesting rigidity, and those of young persons have large µ, suggesting their flexible and soft hearts. We found, unexpectedly, that some young and healthy looking persons have small µ. This fact may lead us to find innovative anticipation of the heart attack that has been the blind spot by the traditional method. キーワード:心電図, 時系列解析, カオス, 突然死, R−R間隔 Keywords: electrocardiogram,ecg,chaos, heart-attack,RR-interval 装着することによって心電図を取得する。得られた長時間 1. まえがき の心電図全体を包括的に捉えそれを観測することで、従来 原始的な心電図診断技術が現れてから、約 110 年以上が の診断学とは全く異なる視点から心臓のリズムを評価する。 経過した。A.D. Waller が開拓したものである (1)∼(4)。 我々の手法により、長時間の心電図から心拍のリズムを表 以後、本格的な心電図診断学が W. Einthoven によって大 す特徴を抽出し、その変化を集約、画像化する。それらの きく進歩した (5)∼(10)。しかし、長い年月の間にあまりに 画像は被験者ごとに特徴のある図形となって表れる。 洗練されつくされ、古典的診断学の域に入ってきていると 本論文では心臓のリズムを評価する方法として指数 µ を いえよう (11)∼(13)。さらに、成熟完成の域に達している 提案する。µ は画像から算出するもので、心臓のリズムを という錯覚に陥っているとも考えられる。これらの診断学 ただ一つの数字で表す。ここに µ の臨床的な評価を行う。 の問題点として、ある瞬間の波形診断と数分間のリズムの µ は時系列解析の結果得られた指数であるから、心電図 不調による短時間診断を基本としていることが挙げられる。 のみならず広い分野で発生する時系列にも応用が可能であ 長時間にわたってデータを収集するホルター心電図も異常 る。この可能性についても言及する。 〈1・1〉 心 電 図 波形や異常リズム検知の可能性が高まったとはいえ、依然 自律神経支配下にある洞結節から として短時間診断の延長を基本としており、斬新な解決策 の刺激電圧が、伝導路を通りながら順次心筋を収縮させ、 とはなっていない (14)。 合理的に血液を送り出す。心電図は皮膚表面での電位変動 本研究では、日常の生活を妨げることなく簡単な装置を から得られる数ミリボルトの電位変化を表す(図1)。大き ∗ ∗∗ な心筋の塊である左心室の電位誘導を示すものが鋭く高い 公立はこだて未来大学 複雑系科学科 Department of complex systems, Future University-Hakodate 〒 041-8655 北海道函館市亀田中野町 116 番地 2 116-2, Kamedanakano-cho, Hakodate, Hokkaido, 041-8655 東京工業大学 大学院情報理工学研究科 数理・計算科学専攻 Department of Mathematical and Computing Sciences, Tokyo Institute of Technology 〒 152-8552 東京都目黒区大岡山 2-12-1-W8-34 東京工業大学大 学院情報理工学研究科数理・計算科学専攻柴山研究室 2-12-1-W8-34 Ookayama, Meguro-ku, Tokyo 152-8552, Shibayama laboratory 電学論 C,125 巻 1 号,2005 年 R点で、本研究の基本的な対象である。図2は連続した心 電図波形である。各心拍はR点を持ち、その間隔はR−R 間隔と呼ばれる。 2. 提案手法 〈2・1〉 ウインドウ 心電図は多くの情報を含んでお り、更に長時間心電図では膨大な長さとなり特徴を捉えに くい。ここでは特徴の中でも心拍のリズムに着目し、観測 1 図 3 R−R間隔とウインドウの定義 図 1 心臓の構造と電気的伝道路 Fig. 1. Fig. 3. Structure of a heart R-R intervals and definition of window 〈2・2〉 特徴量 x, y 各ウインドウに対して異なる 二つの特徴量 x, y を定める。ウインドウを走査させること で x, y 各々の時系列データが得られる。 R点の総数を L、R−R間隔データを RRk (1 ≤ k ≤ L)、 ウインドウサイズを n とする。 ( 1 ) R−R間隔の平均 (ミリ秒) 図2 (1 ≤ i ≤ L − n + 1) の下で n−1 ∑ RRi+k yi = n 心電図の例 k=0 Fig. 2. An example of ECG (physionet: http://physionet.org/physiobank /database/nsrdb/) R−R間隔の数分間の平均を求める。これにより数 分間の心臓の変化を取得できる。 ( 2 ) 瞬間のR−R間隔 (ミリ秒) 案する。 (1 ≤ i ≤ L − n + 1) の下で xi = yi − RRi ある時点 i での yi とその時点でのR−R間隔の差を 心拍のリズムはR点から得られるR−R間隔によって決 とる。これにより瞬間のR−R間隔の変化を取得で まる。R点は生態現象の中で最も鋭利なスパイク状の波形 きる。 データの一単位をウインドウによって区切る解析方法を提 〈2・3〉 二次元平面への描画 であり、ノイズの影響回避が比較的容易である。加えて、 これによってウインド R−R間隔は被験者の状態によって鋭敏に変化するため、 ウサイズ n の範囲に着目した二つの時系列データが得られ 特徴抽出に適している。これらの特徴から心電図よりR点 る。しかし依然としてデータ量は膨大であり俯瞰性にかけ を抽出し、R−R間隔を対象とした解析を行う。 る。そこで x, y を x − y 平面上の点として描画し特徴を可 R−R間隔の変動を表す繊細な特徴を捕らえるため、一 視化した(図4)。画像は横軸に x, 縦軸に y をとる。画像 度に解析する時系列データをウインドウによって区切る。 化の際、非常に近い二点を区別することはできないため、1 図3において、縦軸はR−R間隔をミリ秒で、横軸はR− ピクセルの画素中に含まれる複数の点を描画する場合、色 R間隔の個数 (無次元) を表しており、取得開始から i 番目 の濃淡で区別した。一つの画素に一つの点がある場合には のR−R間隔を RRi としている。 灰色、点が増えるにしたがって黒色に近づけた (図 4)。 ウインドウとは、R−R時系列データ全体のうち連続す 以上の手法により得られる画像が心臓の特徴を表現して る一部の時系列であり、その大きさをウインドウサイズと いると予想し、それを実証するため次章の実験を行った。 呼ぶ。図3では RRi から RRi+n−1 の n 個のデータがウイ 3. 実験環境とR点認識 ンドウであり、ウインドウサイズは n となる。 〈3・1〉 心電図取得環境 時系列のR−R間隔を解析する際には、まずウインドウサ 心臓のありのままの状態を イズを定める。つぎにR−R間隔の時系列上でウインドウ 見るため、被験者は通常の生活の中で取得機器を装着する。 を走査させ、その範囲における特徴を抽出する。 通常の生活とは、激しい運動や入浴などを除く日常の生活 ウインドウサイズを変化させると、抽出する特徴が変化 のことである。本実験では 23 歳から 92 歳までの男女 22 する。大きくとると巨視的な特徴抽出が可能となり、小さ 名を対象とした。 くとると微視的な特徴抽出が可能となる。実験の際に用い るウインドウサイズは 4 · 1 にて述べる。 2 IEEJ Trans. EIS, Vol.125, No.1, 2005 心臓の柔軟性を表す新しい指数 µ R−R間隔から導出される心拍数が人の心拍数の範囲であ る 30 から 400 の間に収まっている RRi のみを選択し、そ れ以外は除去することで行った。 R−R間隔はミリ秒で表されるので、一つの RRi から逆 算された 1 分あたりの心拍数は以下で導出される。 心拍数 = 60 · 1000 RRi (1/min) 4. 提案手法の心電図への適用 〈4・1〉 実験条件 ここでの実験は前章の手法で、描 画する実験である。 図 4 x − y 平面に描画した例 ウインドウサイズ n は、180(健常な成人で 3 分程度) と Fig. 4. An example of drawing dots on x − y coordinate した。心電図の取得時間はR点の個数で 10000(成人で 2.5 時間程度) とした。 〈3・2〉 取得機器 〈4・2〉 実験結果 実験に用いた心電図取得機器を表 被験者ごとに異なる画像が得られ た。画像には多くの特徴が潜在している。不整脈の場合、 1 に挙げる。取得機器は心電位測定機器と Analog/Digital R−R間隔が不連続的に大きく離れ、結果として点集合の 変換機器からなり、得られたデジタルデータを用いて解析 範囲が分離して島のような模様が観測された。しかし、本 を行った。 論文では、点集合の集散のみに着目した結果を示す。つま 表 1 心電図取得機器仕様 Table 1. The specification of the electrocardiographic り、点集合全体が小さく集中する人 (図 6)、発散する人 (図 7)、およびそれらの中間の人 (図 8) という 3 群に分類した。 それを基準に、個人の特徴を評価した。 Cardiac potential device Range of the potential -5mV to 5mV Analog/Digital conversion Sampling rate 1000Hz Potential accuracy 10bit Sampling time accuracy 10µsec 〈4・3〉 画像の分類 画像を分類すると、次の傾向が 見られた。 ( 1 ) 若い健康な人:点集合は散らばる ( 2 ) 30 代から中高年者:点集合の散らばりは小さく 〈3・3〉 R点の認識 なる R点の認識には次のアルゴリ ( 3 ) 高齢者:さらに点集合は狭い範囲に集中する。 ズムを用いた。以下での点は離散的な時系列データを指す。 ( 4 ) 若く健康的に見える人の一部:点集合が集中して 心電位の正の変動幅が、ある閾値以上の状態で一定時間 いる例が見られる 継続したとき、その開始点を Rleft とする。次に、Rleft より 後に心電位の負の変動幅が、ある閾値を上回って一定時間 続き、それが終わった点を Rright とする。このとき、Rleft と Rright の間における離散的な最大電位の点をその心拍に おけるR点とする (図 5)。 図 6 小さく集まる例:88 歳女性 Fig. 6. 図 5 R点の認識アルゴリズム Fig. 5. R point recognition algorithm 取得は日常生活の中で行われるためノイズの影響は避け られず、R点誤認識の可能性がある。そこで最小限のフィ ルタリングを行い、その影響を抑えた。フィルタリングは、 電学論 C,125 巻 1 号,2005 年 3 Centering example :88 years old,Female • Pmax : 一つの格子に含まれるの点の最大個数 と定義し、µ を以下で定める。 µ= 10 · Psin Pmax · Pmul 実験に必要な格子幅 M 、取得時間 L は以下で定義する。 • M = 格子の幅と高さ。幅と高さは等しい • L = 解析対象データのR点の個数 この定義により、指数 µ は点集合が散らばると大きくなり、 集まると小さくなる。つまり µ により、4 · 3 で示した心拍 リズムの特徴 (点集合の集約度) を数値化することができる。 図7 Fig. 7. 〈5・1〉 心拍リズムの状態と µ の関係 散らばる例:24 歳男性 µ が心臓の特 徴を表していることを示すには、年齢、健康状態、疾患の Scattered example:24 years old, Male 種類、その時の体調等が似た被験者ならば近い値となり、 逆に、条件の異なる被験者ならば µ は異なる値となる必要 がある。つまり、理想的には µ が以下の条件を満たす • 異なる状態 (個人差、体調差) の場合には異なる値 • 同じ人が同じ状態で取得した際には、同じ値 この条件を評価するため、µ が以下の条件を満たすかどう か、評価を行った 条件 1 同一人物が近い時刻で再取得した場合は近い値 条件 2 異なる人で取得した際にはある程度異なる値 〈5・2〉 µ のパラメタ M, L の決定 µ の計算にはパ ラメタ M, L が必要であり、これらを調節することで µ の 範囲を変化させる。M, L の値は条件 1, 2 を目的として決 図8 Fig. 8. 中間の例 32 歳女性 定する。 Moderate example:32 years old, Female 先の実験で描画した点集合の集約度を定量的に評価する M が大き過ぎると、Pmul と Pmax が大きくなり、µ は 0 に近づいて個人差がなくなる。逆に小さ過ぎると、Pmul と Pmax が 0 に近づき、µ は限りなく大きくなる。 また、対象データの長さ L が大き過ぎると点集合が重複 する可能性が高まり、µ の値は小さくなり個人の特徴を見 ため、指数 µ を提案する。µ は点集合の重複点を数えるこ 失う。逆に、小さくし過ぎると、被験者の状態が少し変化し とで定義する。x − y 平面を格子状に区切り、同一の格子 ただけで µ が大きく変動し、安定した判断ができなくなる。 5. 数値化手法∼µ の提案 内に存在する点を重複点とする (図 12)。重複点の個数を表 6. 準備実験:L, M の決定と µ の評価 準備実験として、パラメタ L, M を決定する。 L の決定のため、R−R間隔が 20000 個以上ある被験者 22 名を対象とした。n は 180 とする。 まず L を定め、条件 1 より µ の条件を評価し、さらに M を定める 〈6・1〉 L の決定 被験者 22 名に対して n = 180, M = 1.0 の条件下で L を変化させた際の結果が図 10 であ る。L が 10000 付近より小さい場合、µ 値の変動が不規則 になることがわかる。この結果から L は 10000 以上を妥当 図 9 点集合を格子に区切った例 とする。 Fig. 9. An example of separating dots into grid Psin = 2, Pmul = 6, Pmax = 4 同時に L は取得時間に比例し、被験者の負担にも直結す る。したがってできるだけ短いほうがよいと考え L を 10000 に固定することが妥当と判断した。 〈6・2〉 部分時系列における µ の変動 す変数は • Psin : 「同一格子内に他の点が存在しない」点の数 • Pmul : 「同一格子内に他の点が存在する」点の数 5 · 1 の条件 2 を評価するため、 部分時系列の開始位置を変え、近い時刻での µ を比較する。 〈6・2・1〉 実験条件 4 IEEJ Trans. EIS, Vol.125, No.1, 2005 心臓の柔軟性を表す新しい指数 µ 100 80 µ 60 40 20 0 0 5000 10000 図 10 Fig. 10. 15000 L L と µ の関係 20000 25000 30000 A graph with µ on the y-axis and L on the x 表 2 パラメタ M と変動係数の比較 本研究では 10 分程度の差を被験者の状態が大きく変動し Table 2. A comparison between a coefficient of variance and M ない時間と仮定した。 実験はある時点での µ と、その約 10 分後の µ とを比較す ることで行う。約 10 分後の µ を得るためには、その時点から M 1000 個のR点を読み飛ばせばよい。ここでは L = 10000 の下で読み飛ばすR点を 10000 まで変えるため、R点が 20000 以上ある被験者を対象とする。 読み飛ばすR点の数を S とすると、µ はそれを引数として µ(S) = R点を S 個読み飛ばした時点から計測したµ と記述できる。 L = 10000 で S を (0 ≤ S ≤ 10000) の範囲で 1000 お minimun average of coefficient maximum value of variance value 0.1 0.12 0.30 0.57 0.2 0.12 0.30 0.62 0.3 0.14 0.32 0.64 0.4 0.11 0.28 0.58 0.5 0.12 0.30 0.65 0.6 0.15 0.31 0.60 0.7 0.10 0.29 0.60 0.8 0.10 0.29 0.58 0.9 0.14 0.29 0.58 1.0 0.12 0.30 0.63 きに変化させ、µ(S) の変動係数が小さく抑えられるかを検 証した。ここで変動係数は標準偏差と平均の比で定義され、 変動係数が小さいほど S に対して µ が変動しないことを示 している。 変動係数 = 〈6・2・2〉 結 この結果から M が小さくなるにつれて µ の値の変動は µ(S) の標準偏差 µ(S) の平均 大きくなり、個々の特徴が大きく現れていることが分かる。 逆に、M が大きくなると個々の特徴が埋没してしまう。 そこで 5 · 1 の条件 2 から、これらの中間をとり M は 0.4 果 µ(S) の S に対する変動係数の平 均値と最大値の結果が表 2 である。この結果、変動係数を 最大 0.65 程度に抑えることができ、平均で 0.3 程度となっ た。また、パラメタ M は µ の変動にはほとんどを影響を とした。しかしこれは画像の定量化での、ひとつのパラメ タを定めているだけであり µ の本質的な意味を変更してい るものではない。 〈6・4〉 画像と µ の比較 与えていないことが確認される。 定めたパラメタを用いて 4 · 3 前項で定義した µ の計算方法を用 にて示した画像を µ で定量化した結果を表 3 に示す。この いて、横軸に M をとり µ の値をグラフで描画結果が図 14 結果から µ は定義どおり、点集合の集まり具合を表現して である。ここでは L = 10000 とした。 いることがわかる。 〈6・3〉 M の決定 電学論 C,125 巻 1 号,2005 年 5 100 80 µ 60 40 20 0 0 0.2 0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4 M 図 11 M と µ の関係 Fig. 11. Table 3. A graph with µ on the y-axis and M on the x 表 3 図と µ の関係 化する心拍リズムの状態を表している。µ が小さいほど老 A comparison between the figures and µ いた心臓を、大きいほど若い心臓を表している。 Age Gender Centering example 88 Female(Fig.6) Scattered example 24 Male(Fig.7) Moderate example 32 Female(Fig.8) また、µ は、加齢以外に、心臓の環境への適応力を表現 µ 0.34 していると考えられる。大きい µ は、R−Rリズムが頻繁 22.84 に変化することを表し、環境の変化に柔軟に適応した結果 7.61 であり、小さい µ は逆のことが言える。 この年齢に依存しない例があるという意外性こそ、µ の 重要な特徴といえる (後述の表 4(]))。 7. 本実験∼µ の算定 8. 論 考 本実験は被験者 22 名、準備実験にて定められた M =0.4, L=10000 を用いて µ を算出した。 〈7・1〉 実験結果 µ の値に応じて分類を行った (表4)。 分類は以下 3 群である。 • 一群:0 < µ ≤ 5 • 二群:5 < µ ≤ 15 • 三群:15 < µ 本研究の当初の目的は、長時間の心電図データを観察す ることによる末期患者の死の予測であった。しかし、この 期待は裏切られた。心臓が丈夫な患者は死亡直前まで丈夫 であることが分かったにすぎない。ところが、通常の心電 図検査で正常と診断された若い人の中に、本研究の基準で は高齢者と判断すべき小さな µ を示す人がいることが発見 屋内で日常生活、自室で日常生活とは、それぞれ行動範囲 された。 の広さをあらわす。家とは数部屋を歩行移動しうる範囲、 この事実は、これまで診断あるいは予測が不可能であっ 自室とは一部屋の中での移動範囲である。 た心発作による突然死の手がかりになるのではないかと考 この結果から次の事実が読み取れる。 えた。この結果に気づいた時期を機に、それまでの目的を ( 1 ) 高齢者は主に一群に属する 急遽変更したのである。瀕死の患者が、近い将来亡くなる ( 2 ) 若年者は三群を中心に二群にも属している ことは不思議なことではないし、死が予想されているため、 ( 3 ) 中高年者は二群を中心に一群、三群にも属している 周囲に与える影響も少ない。しかし、元気な働き盛りの人 ここで、高齢者は 70 歳以上、中年者は 50 歳以上として の突然の死は、家族にとっても、社会的にも被害が大きい。 いる。 したがって、目標の変更は非常に重要かつ緊急性を伴う意 〈7・2〉 考 察 実験結果から、µ は加齢に伴って変 味深いものがある。 6 IEEJ Trans. EIS, Vol.125, No.1, 2005 心臓の柔軟性を表す新しい指数 µ 表4 Table 4. 全被験者の状態、取得条件と µ の比較 Lists of µ for all examinees with a health condition and an expetimental condition Groups Age Gender Health condition Experimental condition µ Group 1 92 Female Bed ridden Bed ridden 0.26 88 Female Feebleness of age、Bed ridden Bed ridden 0.34 94 Male Bed ridden Bed ridden 0.50 81 Female Feebleness of age Bed ridden 1.00 85 Female Bed ridden Bed ridden 3.21 63 Male Hypertension Self-supporting 4.07 58 Female Normal Self-supporting 4.55 78 Female Hypertension Self-supporting 6.01 32 Female Obesity tendency Self-supporting 7.61 (]) 72 Male Hypertension Bed ridden 57 Male Normal Self-supporting 10.21 22 Male Normal Self-supporting 10.74 (]) 32 Female Obesity tendency Self-supporting 12.65 60 Male Arhythmia Self-supporting 13.13 70 Female Normal Self-supporting 14.41 65 Female Normal Self-supporting 18.19 23 Female Normal Self-supporting 19.98 24 Male Normal Self-supporting 22.84 23 Male Obesity Self-supporting 23.54 32 Female Normal Self-supporting 29.89 37 Male Arhythmia Self-supporting 32.41 36 Male Normal Self-supporting 32.88 Group 2 Group 3 8.76 心拍のゆらぎは にみえる人の突然死の何例かは、このような限界に近づい カオス的であるという考え方が起こり、新鮮な見方といえ ている可能性がある。突然死を解明しようとする多くの研 る (15)∼(18)。しかし、決定論的モデルあってのカオス理 究があるが、あまりに複雑な仮説の域を出ない (23)∼(27)。 論という大前提に基づくものではなく、確率論的なデータ µ を用いた診断システムは、高齢者の危機を察知できる。 処理の域を出ない。しかし、ゆらぎやカオスという概念が 同時に、健康に見える人の突然死を回避する対策が急速に 心電図診断学に持ち込まれて以来、長時間にわたる心臓の とられることが期待される。 〈8・1〉 最近の傾向から本研究へ 〈8・4〉 今後の画像解析と µ の単純性 動きを一括して把握し、観察する概念が生まれたことは歓 不整脈、ある 迎すべきである (19)∼(22)。 いは心不全等では、画像に島のような模様を作りながら点 膨大な数のデータを一目で観察するためには、全データ 集合が集まる場所が複数現れる。異常な状態に陥った心臓 を1画面に収集して表示することが有効であり、その画像 のリズムは、無秩序に拡散するものではなく、ある程度の の特徴を一つの数値で簡潔に表現できたことは大きな収穫 規則性があるものと思われる。画像の複雑さは未解決であ であった。それを可能にしたものは、最近の情報処理技術 り、今後の研究発展に繋がるものである。毛玉のように丸 の急速な発展である。その環境の変化が、本研究を加速さ め込まれた時系列の画像は、未知の情報の宝庫であるとい せた。情報処理能力の発展が追い風となり、心臓を観察す えよう。 る手段と意識が広がった。 心電図取得と診断は医師の仕事。体重、体温や血圧測定 〈8・2〉 直感と仮説 は誰でもできるもの。そのような慣習が定着している。し 若く健康な人の µ は大きく、高 齢者や瀕死の人の µ は小さい。µ の大きさは、心拍リズム かも、体重計、体温計や血圧計の重要性ははかり知れない。 の環境への適応力を表している。環境とは、自律神経等多 それ等に似て、ただ一つの数値 µ は直感的に受け入れやす くの因子が考えられる。その複雑な変化に敏感に対応でき い。また、その中に従来の心電図診断学では見えないもの ることが大きな µ を持つことであり、そうでないことが小 がおぼろげながら本研究では見えている。µ は、新しい心 さな µ を持つことである。µ は、心臓の柔軟性を表現して 電図診断学として、医師不在でも手軽で重要な役目を担う いると考えられる。 『若く健康に見えるにもかかわらず、例 ことができるはずである。 外的に硬い心臓を持つ人がしばしば見受けられる。この意 〈8・5〉 将来の課題と発展 本研究では、心電図デー 外性こそ、本研究で最も重要な知見であった』と言っても タを使って µ を論じてきた。発想は新しい心電図解析方法 過言ではない。 として始まったが、それ以外の時系列データの特徴解析も 〈8・3〉 加齢と突然死 高齢者は小さな µ を持ち、心拍 可能なはずである。例えば、航空機の翼の振動を解析した は等間隔で整然とそろっている。あまりに整然としすぎて 場合、破壊につながる振動と通常の振動との区別などであ いる。環境への対応力が落ちた心臓が、残されたリズム機 る。 能を最大限使い果たす姿であるのかもしれない。若く健康 本研究は、そのような普遍性を追及することも視野に入 電学論 C,125 巻 1 号,2005 年 7 れている。 9. 結 (21) 論 長時間の時系列データに対し、その特徴を表すひとつの (22) 指数 µ を提案した。そして µ を心電図のR−R間隔に適用 (23) する実験を行い、R−R間隔の微妙な変動にともなう一つ (24) の重要な側面を得た。しかし同時に、若年にもかかわらず 高齢者の数値となる例が見られた。 (25) 今回の実験では µ をR−R間隔の時系列データの変動か ら定義したが、さまざまな他の時系列データにも適用可能 である。これは時系列データをひとつの指数に集約して表 (26) 現する µ の普遍性を示している。 (27) 文 tive heart failure. 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