廈門・金門合宿資料(2012 年 8 月) 福田円([email protected]) 台湾海峡における冷戦と中国 「一つの中国」原則の起源 はじめに 台湾海峡における冷戦と中国に関する先行研究 ・ 台湾海峡危機の研究が主 ・ 米華/米中関係史>中国現代史、日本における「二つの中国」論の研究 ・ 中国現代史:「台湾解放(祖国統一)」や「一つの中国」原則の強靭さ ⇔当時の客観的状況←それに対する指導者の認識←具体的目標の設定と追求 ⇔「一つの中国」原則…上記のプロセスの中で形成されていった「方策」の側面も 近年の史料状況 ・ 台湾の史料…国民党中央常務委員会会議録、外交部档案 ・ 中国の史料…外交部档案、一部地方档案(中央からの指示) 1.純軍事的闘争(1949-1953) 台湾海峡を挟む軍事的推移 ・ 古寧頭の戦い(1949)…海空軍力の限界、渡海作戦へのトラウマ ・ 台湾海峡「中立化」と中国の朝鮮戦争参戦 …解放軍部隊の移動:華東軍区の前線から朝鮮戦線へ …朝鮮戦争中の戦闘:国府軍による大陸沿岸部への突撃作戦 「台湾解放」の棚上げ ・ 沿岸諸島「解放」計画…度重なる延期→大陳、金門攻撃作戦の方案(1953) ・ 中国承認問題と代表権問題…国連における「侵略者」決議以降は消極的 2.政治軍事的闘争(1954−1958) 「台湾解放」の再提起 ・ 政治軍事的闘争への回帰…「宣伝方針に関する指示」 ・ 第一次台湾海峡危機(1954-55) …米華条約と SEATO へ抗議、大陳列島「解放」、「台湾解放」の正当性 金門・馬祖「解放」の先送り ・ 金門・馬祖の重要性と軍事的資源 …予算と軍事力不足、大陳列島>金門・馬祖 ・ 「二つの中国」問題を自覚 …西側諸国の台湾防衛=対中封じ込め継続、国連における停戦論 1 廈門・金門合宿資料(2012 年 8 月) 福田円([email protected]) ・ 米中大使級会談と台湾の「平和解放」 …停戦交渉の回避、米華離間、米政府の金門・馬祖放棄を誘う 第二次台湾海峡危機(1958) ・ 政治軍事的作戦としての金門砲撃(8/23〜) …米軍を攻撃しない作戦の模索、上陸作戦の可能性を曖昧化 ・ 闘争における限界 …金門封鎖作戦:9 月下旬(9/22)には封鎖が破られる …外交交渉:米中大使級会談/ソ連の関与/国連(AA・中立諸国) ・ 「解放しない」決定と「二つの中国」論への反駁 …最低限の目的:福建前線の防空、対大陸攻撃の軽減 …戦闘行動への批判と停戦圧力⇔戦闘行動停止を訴える米国の戦略 ★金門・馬祖を「解放せず」、砲撃を暫時停止→「告台湾同胞」(10/6) ★蒋介石・ダレスコミュニケ(10/23)→「再告台湾同胞」(10/25) 3.政治的闘争(1959-) 中台分断線の明確化 ・ 福建分断線の固定化…「解放しない」決定の公言(1959)、福建建設 ・ 雲南分断線の安定化…中緬国境画定(1960)→国民党ゲリラ部隊討伐 ・ 「大陸反攻不支持」の確認(1962) 「一つの中国」原則の形成 ・ 「二つの中国」問題の深刻化 国連代表権(1961)/中ソ・中印対立/承認獲得とのジレンマ ・ 外交による「一つの中国」への関与獲得 ラオス(1962)→フランス(1964)→旧仏領アフリカ(1964-65) おわりに 台湾海峡の冷戦における分断線の明確化 …分断線は漸進的に確定、米華とは交渉せず 軍事的闘争から政治的闘争へ …金門・馬祖「解放」の追求から、「二つの中国」反対へ 「一つの中国」原則の起源 …「一つの中国」への関与を条件とする妥協⇔国際的地位の向上 2
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