発行日 毎月15日 大日本生産党機関紙 第1326号 平成28年1月15日 1 月 号 平成二十八年 年頭所感 大日本生産党 党首 丹 野 寛 親 ……… 1 中東プレゼンスはアメリカからロシアに移る ……………………………… 5 魚釣島を中共侵攻から防衛するのは「台湾空軍」? ………………………… 6 好評連載 或る運動者の回想録〈第3回〉 …………………………… 丹 野 寛 親 ……… 7 活動報告 ………………………………………………………………………… 8 発 行 所 本 社 〒157-0065 東京都世田谷区上祖師谷 2-5-24-103 電 話 (03) 5313−0215 賛助購読料 年額 3,000円(年10回発行) ホームページ http:// 大日本生産党.com/ 中 央 情 報 通 信 社 主幹/杉 山 清 一 編集長/谷 田 透 平成二十八年 謹 賀 新 年 大日本生産党 党首 年 頭 所 感 本年も宜しくお願い申し上げます。 丹 野 寛 親 昨年は、一月より公式党ホームページを公開して我が党の運動目的・日本国憲法改正草案・ 活動報告・写真館・中央情報通信︵PDF︶・公開質問状等々を活用し、党全体の概要紹介を 此れまでにない広報手段で以て行なってみた。そして一年を通し、閲覧状況をアナリティク スして国別・市町村別に統計を取り、反響やユーザー層をレポートして改善点を洗い出して、 更なる活用実績を作れるよう対応策検討中である。 やはり現在の情報化社会の中では、ホームページをフルに活用し一般ユーザー層を把握し 党運動推進に結び付けることが、如何に合理的かを反映した結果となった。 さて世界情勢は凄まじい勢いで変貌しており、とりわけ﹁イスラム国﹂︵IS︶によるフラ ンスでの同時多発テロは、勢いを増し世界各国に飛び火して世界秩序は崩壊の予兆を見せつ けている。こういう状況の中で、発展途上国においては宗教 対 立・人種差別による失望感が 蔓 延 し、経 済 格 差 に 起 因 す る 貧 困 層 の 人 々 は 守 る べ き 国 や 家 族 を 失 い、一 部 若 者 達 に 絶 望 の 中 か ら 唯 一 生 き る 意 味 を 導 い た の が 過 激 派 テ ロ 組 織 と の 出 会 い で あ る。そ う し た 人 々 は 母 国を捨て家族を失い生きる定義を中東地域に拡散して﹁聖戦﹂ を 繰 り 返 し て い る。全 世 界 の 富 裕 層 と 貧 困 層 の 齎 し た、負 の 遺産は血で血を洗う﹁世界テロ戦争﹂へと拡大している。 ◇ さ て、本 年 の 年 頭 所 感 は 例 年 の 内 外 情 勢 と は 違 っ た 観 点 か ら述べてみたいと思う。我が国のマスコミ報道機関は、一部を除いて自国の国益を軽視した 報道が大半であるが、この現状を国民は理解しようとしていない。 此れまで我々は戦後の報道について、多くを批判する事はしなかったが、今回だけは朝日 新聞社の報道体質はどれほど批判されても反論の余地がないと断言する。﹁知る権利﹂と称し て、政府や地方自治体等々全国各地に於いて反体制的な取材を行い、事実に基づかない報道 をして何の反省もしていないと言える。 所謂﹁従軍慰安婦﹂の問題でも吉田清治なる詐話師をあやつり我が国にとって不利益を超 越して虚偽の記載をしながら、紙面に於いて僅かばかりの反省と社風改善を嘯く一方で、何 らの謝罪も無ければ反省もない。そして現在も﹁知る権利﹂﹁報道の自由﹂とうそぶいて日本 中に偏向報道を蒔きちらしている。 一体この朝日新聞社とは、何処の国の機関が制作に加担しているのか、一度会社全体を身 辺調査してもおかしくない。我が国に於ける報道は、殆どが朝日新聞の政府や地方自治体の 批判に始まり、終始国益を無視した プロパガンダと言っても過言ではなく、ペン先一つで銃 剣にも勝る革命新聞の様相を呈している。 我々は決して戦前・戦中の朝日新聞を忘れてはならない。﹁鬼畜米英討つべし﹂﹁皇国死守﹂ と い う よ う な 見 出 し の 踊 る 当 時 の 朝 日 新 聞 の バ ッ ク ナ ン バ ー が 現 在 も 数 多 く 残 っ て い る 。ま た、昭和十二年頃に﹁神風号﹂なる飛行機を持ち東京∼ロンドン間を飛行させたりして国威 1 高揚を新聞社として行っていた。こういう事実を直視すれば、朝日新聞社が戦後に於いて占 領軍側に寝返り戦後体制構築に率先して奔走し、如何に売国的な新聞報道を繰り返してきた か明白であろう。 所謂従軍慰安婦の問題でも﹁裏付け取材﹂が不十分でありながら、あたかも韓国メディア と合議したような報道をする始末であった。 また、昨年暮れには東京地方裁判所に於いてフィリピンのカジノ事業に関する記事で﹁ユ ニバーサルエンターテインメント﹂が朝日新聞社に名誉を棄損されたとして損害賠償を求め た訴訟の判決で、事実でない部分があったとして三百三十万円の支払いを命じられた。過去 には、同社支局が襲撃されて居合わせた記者が散弾銃で撃たれ死亡した事件も悲惨な事件で は あ っ た が、こ れ も 真 相 は 現 在 に 至 る ま で 犯 人 特 定 と 検 挙 は で き て お ら ず、こ の﹁赤 報 隊﹂ とは一体何者かと、いま現在も謎めいたまま迷宮入りとなっている。 我々はことさらに朝日新聞を敵視しているのでない。戦前・戦中・戦後と我が国が激動の 時代を通じて、同新聞社の報道姿勢を直視すると、外患招致に血道を上げ、国益を故意に損 ねるような偏向報道が余りにも多い事実を問題にしているのである。 今後も我々は、マスコミが我が国をミスリードするような報道をしてはないか、その動向 を厳重に警戒しなければならない。 ■中韓に屈して外交大敗し大罪を犯した安倍内閣総理大臣 昨年末にいわゆる﹁従軍慰安婦問題﹂で言語道断の事態が発生した。いったい﹁最終的か つ不可逆的な解決﹂とは何事か! 我 々 は、こ の 大 罪 に 対 し て 安 倍 晋 三 内 閣 総 理 大 臣 と 岸 田 文 雄 外 相 を 痛 烈 に 批 判 す る も の で あ る。我 が 国 の 先 人 に 対 す る 侮 辱 の 限 界 を 超 え て い る。こ の 問 題 は、過 去 の 我 が 国 政 権 が 戦後賠償として謝罪し、 ︵これ自体が許されない事だが︶それ 以後も韓国政府から求められるままに賠償金を払い解決済み の 事 案 で あ る。従 っ て 今 更﹁解 決﹂な ど と は 日 本 外 務 省 の 官 僚は国賊であり、 安倍晋三内閣総理大臣も同罪である。韓国は、 反日政策を止めず幾度も大統領が変わるたびに、この問題を蒸し返しては自国の内政失敗を 我が国になすり付けてきた、言わば恐喝常習犯である。 腹立たしいのは︿日韓・慰安婦最終解決↓首相おわび↓十億円拠出﹀と、何故ここまで我 が国の政権と官僚は、外国の恐喝・恫喝外交に屈してしまうのか理解できない。 今回の事態は、 ﹁国交正常化五十年﹂を節目とし日韓両政府が﹁従軍慰安婦問題﹂の泥沼化 によって対立する事態を避け、関係改善の機会を逃すまいとの意図があるのだろうが、これ はとんでもない誤算である。 日本外務省の外交事例優先で、韓国との﹁従軍慰安婦問題﹂を解決するとなれば、将来的 に竹島問題も飛び火してしまい自国の領土を不法に占拠されておりながら、﹁金で買い戻す﹂ という前代未聞の事態を招きかねないのである。 これまで安倍政権は一時的に、国内事情を意識して韓国に強気の態度を示していたが、国 民 間 の 感 情 的 対 立 が 際 立 ち 増 悪 表 現 が ネ ッ ト で 飛 ぶ 交 う 頃 か ら、決 着 を 意 識 し た 対 応 に な っ ていた。そこには日韓関係の悪化が北東アジア地域に於ける情勢を不安定化させ、歴史問題 でもめれば、中国・北朝鮮とも同じ側で我が国を牽制してくるとの懸念が決着を急がせたの かもしれない。しかし、それは日本外交が独自の路線を築けず、常に米国側の要請に沿った 外交しかできないことを内外に示したものである。 我が国は韓国と﹁従軍慰安婦問題﹂で和解する必要はない。無謀にも恫喝・恐喝のために 創作された﹁問題﹂であって毅然と解決済みとして対応すれば、今後真の日本外交事例とし 中韓慰安婦像 2 て全世界に示せたはずである。 ◇ ここまで政府が弱腰なら、我等は今こそ内田良平党祖の示してきた亜細亜解放の意義を再 確認しなければならない。 朝鮮半島に関しては明治に於いて日清・日露戦争の結果により、我が国が清国・ロシアと 韓国との支配関係を、世界列強の目前で断ち切ったのである。 当時の日本の使命として我が国の初代内閣総理大臣であった伊藤博文統監より、内田良平 党祖は﹁韓国国情調査﹂という任務と、統監府嘱託という職名を与えられ﹁身分は官吏でも 身は自由﹂という立場で韓国内の民政に関わる任を受け、韓国に経綸を授ける為に奔走された。 当時の韓国は李朝五百年とはいえ腐敗したまま、 日本・ロシア・清国︵現中国︶の包囲下にあっ た。形 態 は 独 立 国 で あ っ て も 実 態 は、列 強 国 の 支 配 影 響 を 受 け た 非 独 立 国 に 過 ぎ な か っ た。 そこへ日本が清国を日清戦争で勝利し、韓国を清国より切り離した。そしてまたロシアとの 死闘を繰り返し、日本の勝利となって韓国は亡国の危機を日本との連邦という起死回生の大 事業に転換させたのである。 当時の日露戦争は、戦局が北へと広がり日本軍にとって必要なのは兵站の拡充であり、鉄 道はまだ釜山から京城までしかなかった。もっとも欲しい京城から清朝国境の鴨緑江より新 義州までの路線がない。この鉄道の敷設が、日本軍にとって急務であったが韓国政府は非協 力的であり、かえってロシア軍に協力する始末であった。当時としては日本軍が現地人を動 員することは不可能に近かった。 しかしこのとき、鉄道敷設に立ちあがったのが李容九率いる﹁一進会﹂である。李容九と 内田良平党祖との関係はご存知と思うが、当時韓国の政界には親日・排日の二派があり、日清・ 日露戦争でも日本軍に対しては、協力・非協力が明確であった。そうした中でも、内田良平 党祖と李容九の救国済民の精神は国を超え、亜細亜解放の大義に奔走したのである。 我々は現在に於いて、そうした内田良平党祖の事跡を忘れてはならない。現在の我が国の 政界も韓国・中国の政界人も、過去の歴史認識を作り変えたり或いは自国の内政失敗に利用 し事実に反したメディア戦に転換している。 今 年 は ア ジ ア 地 域 の 情 勢 に 注 視 し て、如 何 な る 我 が 国 に 対 す る 恫 喝 行 為 も 我 が 党 の ネ ッ ト ワ ー ク・大 衆 運 動 に も 展 開 し 対 応 し て い く 行 動 の年としたいと思う。 ■飯島勲氏という人物像 飯 島 勲 氏 の 我 が 国 を 愛 し 国 益 を 死 守 す る 思 い は、賛 否 両 論 ネ ッ ト で 盛んに論じられているが、氏については、私なりに考えてみた。 小 泉 純 一 郎 元 総 理 首 席 秘 書 官 の 職 が 筆 頭 に 目 立 つ が、飯 島 氏 の 生 い 立ちを追っていくと、非常に﹁人間・飯島勲﹂が見えてくる。 同氏は、長野県辰野町の生まれである。終戦の昭和二十年生まれで飯島家は江戸時代、庄 屋の家柄だ。しかし氏の父親は工場の運転手であり、子供の頃は家庭的には恵まれてはいな かった。同氏の講演会などでも話しているようだが、高校は定時制で旋盤工として働き短期 大学を卒業後は、都内の法律特許事務所で職員となる。昭和四十七年頃縁あって小泉純一郎 の秘書となる。 採 用 面 接 の 際 に、苦 し か っ た 家 庭 生 活 の 話 を 一 心 に 話 し た が 相 手 に さ れ て い な い と 思 い、 諦めたとき小泉元総理は﹁よし、わかった﹂と採用した。その後は、総理就任まで小泉純一 郎氏を全力で支えてきたのは周知の事実である。 さらに、総理大臣秘書官時代は、アメリカの同時多発テロに端を発した世界情勢の変貌に 対しても、小泉純一郎氏を全力で支えて、日米同盟による日本の立場を明確にし、陰に日向 3 になり国益重視の対応を如何に非難されようと、揺らぐことなく難局を乗り切ったのは同氏 の功績なしには考えられないと言える。 同氏の官邸に於ける話の中で、第二次安倍内閣おいて内閣官房参与に就任した際にまず驚 いた事は、左派系の人間が約八十人官邸に出入できるパスを持っていたのと、そのうち一人 については前科者であったと語られている。 飯島氏は着任早々、総理官邸のセキュリティが大幅に低下している現状に驚き、情報管理・ 官邸に於けるセキュリティ対策を断行している。その中でも内閣情報調査室・警察関係の危 機管理の甘さや官邸情報管理体制の弱体化が、民主党政権に於いて如何に横行して国家の骨 格を破壊していたかを公にしている。 また、同氏の北朝鮮による拉致問題も就任早々から解決に向け、訪朝を断行したが進展せ ず成果を得られなかったが、その原因は我が国の政府と外務省が米国・韓国の圧力に翻弄さ れた為であろう。抑々外務省は、やってる事、言ってることが全く違うのである。私は過去 に何度も日本外交の衰退の要因は、外交事例重視の体質に問題があると断じてきた。 考えてみれば民主党政権時に於いては、当初からマニフェストにしても膨大な量をメディ ア通じ嘯いていたが、考えてみれば何一つ実現したものはない。かろうじてパフォーマンス で各省庁の事業仕分けをメディアを通じて主張し﹁有言実行﹂を叫ぶ程度であった。 また、同氏も公然と発言しているが、国賊である鳩山由紀夫元総理の沖縄県普天間基地移 設に関わる失態や、中国・韓国では売国奴の態度で土下座までして南京事件・従軍慰安婦の 問題を加害国の代表ヅラで塗り替えようとした。 さすがに寄せ集め民主党といえども、此処までバカ丸出 し で は﹁宇 宙 人 と バ カ は 紙 一 重﹂と 断 じ た が、事 は 既 に 遅 く中国・韓国メディアに全世界へさらし者として放映され る始末であった。そればかりかクリミア半島問題でも鳩山 はわざわざ出向いて、訳の分からない言動を繰り返す恥知 らずの﹁アホ﹂である。 こ れ が 世 界 に 名 だ た る﹁ブ リ ジ ス ト ン タ イ ヤ﹂の 御 曹 子 とは、全世界に向けこの企業の失速を曝け出した様なものであろう。民主党政権とは、鳩山 由紀夫・菅直人・岡田克也代表らが、この国を売り飛ばした暗黒時代であった。 陰に隠れて﹁国民の生活が一番﹂と嘯き、陳情窓口を一本化して多数の造反議員を出した 元民主党幹事長小沢一郎も、またもや壊し屋の手腕を振るい最後には離党し少数政党を作っ たが、その現状を見れば一目瞭然であろう。 どの政党が政権を担ってみても、我が国が﹁官僚支配政権﹂の現状から抜け出すことは不 可能に近い。 過去、ただ一人二十世紀に於いてそれを可能にした指導者がいた。ドイツ第三帝国を設立 したアドルフ・ヒトラーである。私はヒトラーを称賛はしないが、国益を衰退させる要因で ある﹁官僚支配﹂を脱却する一つの手段としては、興味深いものがある。 國を愛し想い、世界に名立たる国家構築を考える事は、日本人として当然であり誇りである。 オリンピックでメダルを受賞することも大事な国の誇りであり、科学や文学でノーベル賞を 受賞することも偉大な我が国の誇りである。しかし、そうした立派な国民が居ても、国を代 表する者が祖国を軽んじて、自国の国益を阻害するようでは情けない。 また如何なる国にも機関にも侮られてはならない。同じ日本人同士が思想や歴史観の違い により争ったり、他国の内政干渉を誘発するような国民に成り下がってはならない。 そうした思いを胸に飯島勲氏は、内閣官房参与という立場を超えて日本全国を駆け回って いるのではないかと言える。 西大門刑務所前で土下座 4 中東プレゼンスはアメリカからロシアに移る アメリカが中東を支配しようとして失敗したのが明らかになって十年以上になるが、﹁アラ ブの春﹂などのミニ革命などが各地で発生したり、アルカイダやイスラム国のような親米から 反米に転換したテロ組織の台頭などがあり、アメリカに代わってアラブ支配に手をつけようと する無謀な国はこれまで現れなかった。 イスラム国がフランスで起こした無差別テロは、この八方睨みの状況を大きく変えた。テロ リストの供給地になっているのはアラブが主たるもので、封じ込める必要性が急激に高まって きたのである。 アメリカは世界一喧嘩の強い国だが、喧嘩そのものは非常に下手である。喧嘩は弱いが喧嘩 上手なのは、北朝鮮・イスラエル・イギリスなど多数あるが、喧嘩に強くて喧嘩が上手なのは ロシアくらいのものだ。そこで、必要悪という意味で、中東プレゼンスをロシアに握ってもら いたいという願望が強くなり、ロシアもまたEUやアメリカの同意を取り付けた上で乗り出し てきたようだ。 アメリカは当初﹁アラブに民主主義を根付かせたい。民主主義こそ国民を最も幸福にする道 である﹂という、相変らず親切の押し売りのような信念で乗り出し、リ ビアやイラクなどの﹁独裁政権﹂を倒すことに血道を上げた。 イラン映画﹁独裁者と小さな孫﹂︵写真下︶のマフマルバフ監督は言 うーー﹁フセインもカダフィも失脚したが、後の状況は余計に悪くなった。 独裁者というのはシステムである。政治が悪いのは、システムの中で暮 らす国民が悪いのである﹂。 アラブの民族は大半が﹁砂﹂だと言われる。きつく握っていなければ 散らばって収拾がつかなくなるが、力で握り続けるとその形に固まって しまう。野放図にすれば、国家や政府はすぐに崩壊するので、信賞必罰 をはっきりしなければならない。そんな常識が、先進国アメリカには理 解できなかったのである。だから民主主義の押し売りをして﹁独裁者さ え倒せば解決する﹂と早合点した。 今、シリア問題が世界の重荷になりつつあるが、中東のガンと呼ばれ るイスラエルとパレスチナの対立を引きずったまま、アメリカは抜き差しならなくなっている。 エジプトとロシアは、シリアの国家を維持することで合意した。アフガンやイラクを根拠とす るテロはまだ拡大するが、ロシアが情け容赦のない軍事制裁をすると見られる。イスラエルも ト ル コ も ア メ リ カ に 距 離 を 置 か れ 始 め た こ と で、 自 身 が 改 革 し な け れ ば 邪 魔 者、除 け 物 に な る と危機感を強めている。 アメリカが軍事援助していたアラブの反体制組織が、アメリカが与えた武器と資金でテロ組 織となり、イスラム国のように石油密売をして資金源にしている組織からトルコなどの企業が 買い取って輸送し、アメリカ系企業が商売している。ここで思い出されるのは、第二次世界大 戦 の 直 前 ま で 、 ナ チ ス を 支 援 し ヒ ト ラ ー を 支 え て い た の は ア メ リ カ 企 業 ︵ フ ォ ー ド やGM︶と ウォール街の投資家たちだったことだ。それは歴史の事実であり、ユダヤ人から財産や権利を 取り上げて追放する政策はヒトラーのアイデアではなく、アメリカ企業からの依頼だったとま で言われている。尤も、ニューヨーク五番街に鍵十字の旗が並んでいたことも、フォードの労 働組合がユダヤ人殲滅を決議していたことも、今では﹁なかった事﹂にされているが … 。 イスラム国を打倒せよ、全滅させよ!と意気込んだアメリカだが、実際には空爆を続けても イスラム国は潰れなかった。パリで大規模テロが発生し、フランス軍は独自に﹁イスラム国の 5 軍事拠点﹂を空爆したが、その場所は早くからアメリカの偵察衛星がキャッチしていたと明か された。アメリカはイスラム国の軍事拠点を知っていながら、関係ない所ばかり空爆していた ことが明らかになったのである。その上に、イスラム国のテロリストは﹁シリア政府発行旅券﹂ を所持していたなどと公表して、まるでテロリストが身分証明を所持して事件を起こしている かのように宣伝し、世界中から顰蹙を買った。これほどまでアメリカの中東政策は破綻し、軍 事作戦も破綻しているのだ。 ﹁アメリカなのか中国なのか﹂と言っている日本人には分からないだろうが、外交というも のは国益を考えれば八方睨みになるものである。中央アジアから中東そして北アフリカにかけ ては、まさに八方睨みの外交でなければ生き残れない。アメリカの理想論も現実政策も、その 上に軍事行動も破綻した現状では、国連安保理事会でアメリカの﹁シリア制裁﹂という軍事独 走 を 止 め た ロ シ ア に プ レ ゼ ン ス は 移 っ て い る。ア メ リ カ が 三 ヶ 月 か け て も 一 歩 し か 前 進 し な かったイスラム国攻撃は、ロシアが一週間で十歩ほど前進させた。 アメリカの中東プレゼンスは確実にロシアに移る。それに対して、世界は否定することは出 来ないだろう。アメリカは今年から、アジアに強力なプレゼンスを確立しようとするが、その 中で我が国と同一の価値観は﹁中共の軍事プレゼンスを許さない﹂という一点であり、そのた めに﹁日米韓の集団安保体制﹂は急がれる必要事項である。 国際政治とは、﹁両目を開けて抱き合う﹂か﹁両目を瞑って殴り合う﹂か、或いは﹁片目を瞑っ て握手する﹂の三種類しかない。日本が採用するべき選択は明らかであり、そのための国民世 論の成熟度は重大な課題となる。現実を理解した上で﹁解った上で騙されなければならない﹂ こともあると認識すべきだろう。 魚釣島を中共侵攻から防衛するのは﹁台湾空軍﹂? 自衛隊も在日米軍も、魚釣島に侵攻を続ける中共に対しては腰が引けている。戦争したくな いという日米の本音を、中共は見抜いている。だから、恫喝も脅迫も挑発も平気で行なうので ある。仮に日米の戦力が﹁百発百中﹂でも、中共が弾の数より多く襲来すればお手上げなのは﹁鄧 小平理論﹂のとおりである。 アメリカの軍産複合体と呼ばれる業界では、﹁戦争直前の緊張バランス﹂という状況が最も 儲かることを熟知している。そして、敵国と定めた相手に立ち向かうヒーローは、正義を与え られた弱小国であるほど大国は儲けられる。結局はアメリカがイラク戦争から学んだものは、 伝統的な﹁戦争商売﹂の本質なのである。 台湾にはアメリカの意向に従うことを目的とする政党などが、米軍基地整備に尽力していた。 それがアメリカの﹁台湾特別法﹂による台湾防衛に合致し、台湾国内に﹁在台米軍基地﹂が年 末に誕生した。そこにはアメリカの戦闘機が配備されることになっている。 さてそこで強気になったのが台湾空軍で、アメリカから偵察用や戦闘用のヘリコプターまで 導入し、魚釣島に挑発を仕掛ける中共に対して﹁防衛ライン﹂を構築すると言い出した。一昔 前の﹁金門島と馬祖島が防衛ライン﹂と言っていた反共台湾の面目躍如というところか。 台湾の﹁親米政党﹂は、台湾の帰属は中国ではないとの主張であり、国民党政権が﹁外省人政府﹂ だと言い切る。台湾人の台湾、という主張からは﹁一つの中国﹂はあり得ない。 自衛隊も海上保安庁も中国解放軍の艦船や航空機に撃たれれば、その時点で日本政府は﹁戦 争も出来ず、外交処理も出来ず﹂という八方塞がり状態に陥る。それではアメリカも日米安保 を発動することが出来ない。あくまで日本が売られた戦争であっても、戦争状態にならなけれ ば日米安保は発動されない。 台湾は本年、日米との﹁裏合意﹂の有無は不明ながら、中共に露骨に対応することにしてい るようだ。これが我が国にとって吉と出るのかどうか … 6 或 る 運 動 者 の 回 想 録 ︵ 丹 野 寛 親 第 三 回 ︶ 回想録も第三回となりました。昨年は拙宅が台風災害に遭いましたため、第二回で一旦ストッ プしてしまい、今号にまでずれ込みましたこと、改めてお詫び申し上げます。 さ て、前 回 ま で は 鴨 田 徳 一 先 生︵現 最 高 顧 問︶ 、 故北 上 清 五 郎 元 党 首、 故白 井 為 雄 先 生 と の 出会いや想い出話を書いてきました。 故岑泰彦氏の笑える想い出話もありましたが、この辺で 少し肝を冷やした話をしてみたいと思います。 ◇ いつの頃だったか、まだ昭和の終わり頃の事でした。当時、岑氏の周りには﹁オヤジ﹂と言 う呼び方で同氏を囲んでいる、私からしてみれば異様な男衆が多数おりました。此れまでにも 述べたように、何かにつけては私に因縁をつけて脅しをかけてくる日々でした。 ある一人の党員︵?︶が、私と当時地区行動隊員であった現党本部副幹事長兼党首秘書の堤 一清氏の二人に電話をかけてきました。丹ちゃんと一ちゃんにオヤジの事で頼みたいことがあ るから、是非会ってもらえないかと丁重に言ってきたのです。私としては、普段から訳の分か らない言動ばかりの人なので警戒して適当にかわしていたが、堤氏が﹁先輩でもあるから、一 度会って話を聞いてみよう﹂ということになり、会う約束をして、指定の場所へ二人で出かけ てみた。 待ち合わせ場所に着くと、私たちが乗ってきた乗用車にニコニコしながら乗ってきて﹁すま ないね … 忙しいのに。この先の喫茶店で話そう﹂と言うので車に乗せて走らせると、突如豹変 して、﹁お前たちの命はもらった、黙って真っすぐ山の方へ行け﹂と凄み始めた。 後部座席に乗り込んだ相手は、何やら刃物と拳銃の様な物を懐からチラつかせながら威嚇し てくる。 私は、とんでもない事になったと肝を冷やしながら走る車の中から、どの時点で飛び降りた ほうがいいか考えていると、堤氏が落ち着いた雰囲気で相手に対して穏やかな口調で﹁なんば 言いよるとね。おい達は、あんたが話があると言うから来たとばい﹂そげんコツされる理由は なか と …。 ところが相手は、普段から悪い薬でも飲んでるかのように、ろれつが回らず激しく ﹁なんて命乞いしよるとか、往生さしちゃるけん覚悟せんか。﹂ 何だか余計に火に油を注ぐような事態となり、対応策が見えない事態である。 私はこの状況の中で、余裕で対応している堤氏が不思議だった。もしかして何か反撃できる 武器でも隠し持っているのかと思っていたが、車は市街地より山手の方向にと進んでいた。そ うこうしているうちに相手は、余計に目を血ばしらせ興奮している。 車はちょうど市街地から山道に入る手前の交差点に差しかかった時だった。反対方向から猛 スピードで向かってくる一台の乗用車が見えた。なんとフロントガラスからはみ出さんばかり の岑氏の顔ではないか。この時ばかりは岑氏が地獄に仏と見えた。 そして車の前で急停車し、飛び出してきて﹁こんバカたれが、なんばしようとか﹂と相手を 張り倒し罵倒した。まるで劇場版のシーンであったが、こちらにしてみれば冗談じゃない。 一歩間違えば刃傷沙汰の事件である。しかし、周りにも野次馬達が集まり始めて、誰かが警 察に通報したようで、 遠くからサイレンの音が聞こえだした。岑氏が相手を車へ押し込めて、﹁丹 野、堤よ事務所に来てくれ﹂と、そ の 場 を 立 ち 去 っ た の で 我 々 も 何 事 も な か っ た 態 度 で 静 か に 立ち去った。 さて事務所に着いてみると、なにやら上機嫌で先ほどの不埒者が数名の党員達と酒を飲みな がら宴会気分である。これには、さすがの堤氏も切れた。オヤジこれは何のマネや!と激しく 7 連 載 ③ 生産党ホームページをご覧下さい URL は http:// 大日本生産党 .com/ です。 党の窓口として広く国民の皆様にご認識頂き、国内外 諸問題の情報発信や、正しい世論の構築に役立てたく 存じます。一人でも多く普及にご協力お願いします。 怒った。すると岑氏は﹁おっ、一清、丹野、どうした? お前たちも飲め﹂ … 何ということだろう … この人たちは一体何を考えているのだ。と私は呆然としていたが、収 まりがつかないのが堤氏である。﹁オヤジ俺たちを揶揄ったのか﹂ふざけるなと意気込んだが、 これまた岑氏のいつもの調子で笑いながら﹁一清、丹野よ、此奴は俺の事やお前たちの事を案 じて、突っ走ってしもうただけぞ。そう膨れ面せんで一緒に堅めの盃を交わせ﹂ … なんてこと だ … この人たちは、私ばかりか少しでも自分たちの仲間内に沿わないと思うと、茶番劇を演じて でも、自分たちの威厳を保とうとするのか … 暫くして、堤氏がもう帰ろうと立ち上がるので私もその場を離れた。そして、堤氏が﹁丹野、 お前どう思うか。俺はあいつらの事が分からん﹂と言うので、仕方ないので帰りましょう、と 帰路に着いた。 その道中で堤氏が何度も悔しがっていたが、その後、数年後に堤氏も私と同様に岑氏のハチャ メチャな行動に翻弄されて、党運動どころではない事態へとなっていった。 しかし、そうした同氏と経験が党運動に於ける同志としての絆が強くなる要因となったこと もまた事実である。 阿部右善前党首が、以前よく﹁君たちは、本当に弥次さん、喜多さんみたいに仲が良いね﹂ と言われていたが、先に述べたように所謂﹁岑塾﹂での経験が、その後の党運動において我慢 と辛抱という教えに繋がったと思う事がある。 しかし当時、堤氏は心中穏やかではなかったと思われます。 ◇ 私は回想録の執筆にあたり、なるべく面白く書くように心がけています。何故かと言えば、 党との出会い各諸先生との貴重なお話や、此れまで出会って先立たれた岑氏を始めとする先輩 たちとの想い出が、どんなに貴重であったかを読者の同志に解って欲しいという一念からです。 国 を 愛 し 同 志 を 重 ん じ る こ と は 、 党 運 動 に 於 い て 掛 け 替 え の な い 重 要 な﹁志﹂と思うからで あります。その積み重ねをもって、我が国の歴史・伝統継承へと繋げていくべく皆様の努力を 希望します。︵次号に続く︶ 地方本部活動報告 ■関西本部 ◇一月八日︵金︶ ・午後六時半より尼崎にて﹁むすびの集い﹂ 勉強会。党員、有志計七名参加。資料は﹁今 年は価値観転換と世論激変に振り回され る﹂ほか。 ■九州本部 ◇一月三日︵日︶ ・唐津神社に初詣︵写真①②︶の後、堤九州 本 部 長 が 経 営 す る、﹁か ら お け い ち﹂︵写 真③︶にて恒例の﹁九州本部新年ご挨拶会﹂ を 開 催。本 部 長 以 下 党 員 十 名 参 加。堤 本 部 長 よ り 新 年 の 挨 拶 が あ り、新 支 部 発 足 を励みにし今年一年の活動に精進するこ とを一同誓い合ったあと、お雑煮などをご 馳 走 に な り な が ら 、閉 店 間 際 ま で 親 睦 を 図った。 ① ② 8
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