3ページ

「パリは
パリは燃えているか」-
えているか」-燃
」-燃えなかったパリ
えなかったパリに
パリに感謝
学年主任
生田目 智文
昨年の12月にパリ・ベルギーへの修学旅行が終わり、早2ヶ月が経とうとしています。
初めて飛行機に乗り、そして初めて外国に行った生徒がほとんどだと思います。事前学習で生徒一
人一人が作成したファイル全部に目を通した。パリやベルギーについての「食」「文化」「政治」「スポ
ーツ」「ファッション」に焦点を当てて、様々な調査研究をしているものが見て取れた。しかし、その全て
が現代のもので、その深みのなさに残念な感想を持ったのを覚えている。現在のパリやベルギーの佇
まい、すなわち「古い教会」「美術館」「博物館」「町並み」「絵画や展示物」そして「エッフェル塔」その
全てのものが在って当たり前であることを前提にファイルが作成されているのである。今回私たちが訪
れて滞在したパリは、今から69年前灰燼(燃えて灰となる)と化す危機にあったことを調べて欲しか
った。そして、人間の英知と勇気とがその危機を救ったが故に私たちが現在こうして修学旅行で、い
や世界中の人々がパリを訪れて、そのすばらしい景観を目にすることが出来るのだということを感謝し
て欲しいのである。その危機的状況とは、第二次世界大戦中のことであった。ヨーロッパの大半を武
力で占領したヒトラー率いるナチス・ドイツは、フランス軍が降伏したあとパリを占領し、パリを防衛す
るために大勢の軍隊を駐留させた。しかし、1945年ノルマンディーに上陸したアメリカ・イギリス軍を
中心とした連合軍は、各地でドイツ軍を破り、破竹の勢いでパリに向かって攻め込んでくる。レジスタ
ンスと呼ばれるナチス・ドイツに抵抗するために組織された市民達の義勇軍もパリで市街戦を構えて
いた。敗色の濃くなったナチス・ドイツ軍は、パリを防衛するドイツ軍のコルテッツ司令官に一つの命
令を下す。それは「パリ中に爆薬を仕掛け、パリを跡形もなく灰燼にするよう燃やせ」というものだっ
た。司令官は、兵士に命じてパリ中のあらゆる建物や橋、あの私たちが登ったエッフェル塔にも大量
の爆薬を仕掛けた。それを聞いた聡明な部下達や中立国スウェーデンの領事は、爆破を命令しない
ように懇願した。いよいよ連合軍がパリに迫り、レジスタンスがドイツ軍に発砲して市街戦が開始され
た。ベルリンのヒトラーからは直ちに「パリを爆破せよ」という命令が下る。しかし、コルテッツ司令官は
最後まで爆破の命令を出さずにパリを守った。ドイツ軍の司令部に攻め込んだ連合軍にコルテッツ司
令官は逮捕された。「2千年の歴史のあるパリは、あと2千年残さなくてはならない」と言いながらコル
テッツ司令官が部屋を出て行く。机の上に置かれた電話から、ベルリンにいるヒトラーが「パリは燃え
ているか、パリは燃えているか・・・」と何度も叫ぶ声が聞こえたという。こうして戦争の最中にも、命を
賭けて人間の創造した歴史と文化を守ろうとした人々のことを私たちは学ぶべきである。そうした人々
のおかげで、現在私たちが旅したパリやベルギーのような歴史と文化が残る町並みを見ることが出
来たことに感謝しなければならない。そして、我が国にも多くの文化的遺産があったにもかかわらず、
太平洋戦争でその多くを消失したことを憂い、人類にとって戦争は全くの無意味であることをこの修
学旅行を通じて学んで欲しいと思う。そして、今回生徒一人一人が学んだことを、いつの日かまた行く
であろうパリ・ベルギー旅行に生かしてくれることを望む。
1914
2013
今回、修学旅行を通して、
自分の将来に、現実味が増
した気がする。海外が心か
ら好きで、どのような形で
将来と結びつけることが
出来るか、ゆっくりと考え
ることが出来た。今回の旅
行は、自分の将来について
大きな意味を持つものに
なった。
今回のフランス・ベルギー
ではたくさんの文化の違
いを見つけることができ
ました。今後、この経験を
生かして自分の将来への
可能性をどんどん広げて
いきたいです。
日本と違って建物が大きか
ったり、料理、文化も違く
て世界は広いなーって思っ
た。
でもおかげで日本の良さに
も気づけたのでよかった
行く前は行きたくないと思
ってたけど、行ってみたら
予想以上に楽しくて帰りた
くないと何回も思いまし
た。
エッフェル塔にも登りま
した。まさかの、階段で一
番上の展望台までいきま
した!
もう足が上がらなくなる
くらいきつかったです。景
色がとてもよかったです。