いつくしみの特別聖年を迎えるにあたって

Kyo.Prot.N.101/2015
2015 年 11 月 29 日
京都教区の皆さまへ
いつくしみの特別聖年を迎えるにあたって
カトリック京都司教
パウロ 大塚喜直
■はじめに
教皇フランシスコは、2015 年 4 月 11 日(復活節第二主日、神のいつくしみの主日1の
前晩)に、大勅書「いつくしみのみ顔」
(Misericordiae Vultus)をもって、
「いつくしみ
2
の特別聖年」 の開催を発表されました。
(中央協議会発行の大勅書の冊子、または、
中央協議会ホームページのいつくしみの特別聖年の項目に掲載されています。)
この特別聖年は、本年 2015 年 12 月 8 日、無原罪の聖母の祭日(第二バチカン公会
議閉会 50 周年)に開幕し、2016 年 11 月 20 日、王であるキリストの大祝日で閉幕しま
す。
教皇の「大勅書」には、主に三つのポイントがあります。①聖年の開催方法、意義、
モットーの紹介、②聖年を実り多く生きるための具体的な助言、そして、③聖年をと
おして生き方を変える機会とするように、という呼びかけです。
来年 2016 年の司教年頭書簡は、教皇フランシスコの意向を受けて、
「神のいつくし
み」をテーマにして書きますので、この書簡では、京都教区の皆さんに向けて、
「大勅
書」から、特別聖年を迎えるための準備に役立つ簡単な説明と、聖年について知って
おくべき若干の補足説明をします。
日本語版の「大勅書」では、
「あわれみ」と「いつくしみ」の 2 つの表現が用いられ
3
ています 。また、「あわれみ」と「いつくしみ」の二語は、あえて漢字表記をせず、
ひらがな表記に統一されています。わたしも、それに倣います。
また、教皇フランシスコは、教皇聖ヨハネ・パウロ 2 世が、神のいつくしみをテー
マに 1980 年に書かれた回勅「いつくしみ深い神」
(Dives in misericordia)も参考にして
いるので、皆さんもこの本を是非、お読みください。
1.
特別聖年のモットー
いつくしみの特別聖年のモットーは「御父のように、いつくしみ深く」です。
「あな
たがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい」
(ルカ
6・36)というイエスのことばを念頭に、教皇は、御父がわたしたちにいつくしみ深い
かたであるように、わたしたちも他の人に対していつくしみを示す者となることを望
まれます。
1
2.
特別聖年の目的
教皇は、特別聖年の目的を以下のように述べます。
「いつくしみ、それはわたしたち
の罪という限界にもかかわらず、いつも愛されているという希望を心にもたらすもの
で、神と人が一つになる道です。わたしたちのまなざしを、もっと真剣にいつくしみ
へと向けましょう。わたしたちが、御父の振る舞いを示す効果的なしるしとなるため
です。これこそ、わたしがこのいつくしみの特別聖年を公布した理由です。この特別
聖年は、信者のあかしがより力強く、より効果的になるために、教会にとってふさわ
しい時となるでしょう。」
(
「大勅書」2-3)
3.
教皇フランシスコの勧め
特別聖年を有意義に過ごすために、教皇はとくに以下のことを勧めています。
① 巡礼を行なうこと、人を裁かず、赦しを与えること。
② 社会において疎外された弱い人々に心を開くこと。
③ いつくしみの業を行なうこと。
4.
社会において疎外された弱い人々に心を開く
教皇フランシスコは、
「大勅書」15~16 で、今日の世界に見られるさまざまな悲惨な
状況に対して、人間の無関心、心の麻痺と惰性、白けた態度などを改めて、人間の尊
厳を奪われた多くの貧しい兄弟姉妹の傷をよく見るために、目を開こうと言われます。
そして、わたしたちキリスト者各自も、また教会共同体も、いつくしみの神秘を宣言
し、神のいつくしみを生活の中で証しする使命のために、特別聖年をよい機会とする
よう、呼びかけます。
5.
いつくしみの業とは
教皇が勧める「いつくしみの業」ですが、日本語版「大勅書」15 では、
「慈善の業」
と訳されています。
「いつくしみの業」は、中世からある伝統的な言い方で、14 の行為
にまとめられています。これは、キリシタン時代の日本にも紹介され、
「どちりなきり
4
したん」
(公教要理書)では、
「慈悲の所作」と呼ばれています 。
6.
1)
巡礼と聖年の扉5
聖年の扉(ポルタ・サンタ)
いつくしみの特別聖年は、12 月 8 日、ローマにあるバチカンの聖ペトロ大聖堂
の「聖年の扉」の開門に始まり、12 月 13 日待降節第二主日には、ローマの司教座
聖堂としてのラテランの聖ヨハネ大聖堂と、城外の聖パウロ大聖堂の「聖年の扉」
が開門されます。また、この度の特別聖年では、教皇の意向によって、世界のす
べての教区の司教座聖堂と、司教が指定する聖堂などで、「いつくしみの扉」が、
同 12 月 13 日に開門されます。これらの扉は、2016 年 11 月 13 日(年間第 33 主日)
に閉じられ、11 月 20 日、王であるキリストの大祝日に聖ペトロ大聖堂の「聖年の
扉」が封印され、特別聖年が閉幕します。
2
京都教区では、京都司教座聖堂である「河原町教会」と、今年新しく献堂され
た「福知山教会」と「鈴鹿教会」で「いつくしみの扉」が開かれます。
2)
巡礼と聖年の扉
教皇は、特別聖年の扉を「いつくしみの扉」と呼び、巡礼との関係を次のよう
に説明されます。
「巡礼は聖年の間、特別なしるしです。というのは、巡礼は一人
ひとりがそれぞれの人生を通して歩む旅路を表わすイコン(像)だからです。人
生とは旅です。人間は旅人であり、望みの地までの道のりを歩む巡礼者です。ロ
ーマやその他各地の聖なる扉にたどり着くためにも、めいめいが自分の力に応じ
て旅をしなければなりません。それは、いつくしみはたどり着くべき目的であり、
そこに達するためには努力と犠牲が必要だということを示すしるしとなるでしょ
う。ですから巡礼が、わたしたちに回心を促すものとなりますように。聖なる門
をくぐりながら、神のいつくしみに抱かれるままに任せましょう。」
(「大勅書」14)
3)
特別聖年のロゴ
いつくしみの特別聖年のロゴとモットーはともに、この特別聖年をよく表現し
ています6。京都教区では、ロゴの掲示板を作製しました。教会や修道院、学校や
施設で掲示してください。ロゴを見るたびに、聖年のモットー「御父のように、
いつくしみ深く」を思い起こし、特別聖年の恵みを祈りましょう。
4)
特別聖年の「四旬節」
教皇は、いつくしみの特別聖年の「四旬節」を特別の思いで過ごすよう呼びか
けられます。神のいつくしみを祝い、また実践するための集中期間として、深く
味わいながら過ごします(「大勅書」17)
。四旬節の主日のみことばをよく黙想し
ます。
また、四旬節の祈り、断食、愛のわざを行うために、イザヤ書 58・6~11 を黙
想することを勧めています。また、四旬節第四主日に先立つ金曜日と土曜日(2016
年 3 月 4~5 日)に「主にささげる二十四時間」の祈りも行われます。各共同体で、
工夫して実施してください。
7.
1)
特別聖年の免償7
巡礼と免償
教皇は、この特別聖年の免償が、神のいつくしみの純粋な体験として一人ひと
りに届くことを願っています。それは、免償が何よりも神からの恵みだからです。
免償を受けるために、
「いつくしみの扉」に向けて短い巡礼を行ないます。巡礼
においては、神のいつくしみについて黙想し、ゆるしの秘跡とミサに与って心の
準備をし、信仰宣言を唱え、教皇のため、また教会と世界の善を願う教皇の意向
のために祈ります。
3
2)
聖年の扉に赴くことができない人々
病者や高齢で一人暮らしの人などには、特別の配慮があります。教皇は、
「主は、
その受難と死と復活の神秘を通して、苦しみと孤独に意味を与える道を示してお
られ、病気や苦しみを生きることは、主に近づく体験として大きな助けになる」
と述べています。これらの人々は、聖体拝領をする、または、ミサや共同体の祈
りに、実際に、もしくはメディア(テレビやラジオ等)を通して参加して、聖年
の免償を受けることができます。
3)
受刑者のために
教皇は受刑者に思いを向け、ゆるしを最も必要とする者に寄り添う神のいつく
しみが、これらのすべての人々に届くように望んでいます。受刑者は、刑務所の
礼拝堂で免償を受けることができ、自室の扉をくぐるたびに、御父を思い、御父
に祈ることは、彼らにとって聖年の門をくぐることと同じ意味を持つとされます。
4)
死者のため
免償は、亡くなった人々のためにも得られるものです。故人がいつくしみ深い
御父から罪のゆるしをうけ、永遠の憩いを与えられるように、ミサの中で祈りま
す。
8.
1)
回心とゆるしの秘跡のすすめ
いつくしみの特別聖年において、ゆるしの秘跡をうけることが、とくにすすめ
られています。教皇は、聴罪司祭らに対し、いつくしみ深い御父の真のしるしに
なるようにと願っています。
2)
妊娠中絶をした女性たちについて
教皇は、特に妊娠中絶をした女性たちについて述べています。堕胎の悲劇にお
いて、深い傷を心に負い、今も苦しんでいる人たちが、過ちの重大さを理解し、
真摯な心でゆるしの秘跡に与り、御父との和解を求めるように勧めています8。
3)
犯罪組織に関わる人々への呼びかけ
いつくしみの特別聖年を、生き方を変える機会として示しながら、教皇は犯罪
組織に関わる人々、汚職に関係する人々に回心を呼びかけています。
9.
聖ファウスティーナ・コヴァルスカ修道女
教皇は、神のいつくしみの深く生きた聖人、聖ファウスティーナ・コヴァルス
カ修道女を心に留めながら、人間に、心の扉を開け続ける神に感謝するように呼
びかけています9。
4
《いつくしみの特別聖年に、知っておきたいこと》
1
神のいつくしみの主日
教皇ヨハネ・パウロ 2 世は 2000 年から、復活節第二主日を「神のいつくしみの
主日」と定めました。聖霊の慰めの賜物を豊かに受け、神への愛と隣人への愛を
強めます。この主日に全免償を受けることができます。
2
通常聖年と特別聖年
カトリック教会の聖年は、教皇ボニファティウス8世によって 1300 年から 50
年毎の開催として始まり、1475 年から、すべての年代の人が一回でも聖年を体験
できるようにと、25 年毎に行なわれるようになりました。一番最近は 2000 年の大
聖年です。特別聖年の開催は、重要な出来事などを機会に公示され、1983 年に「贖
いの聖年」が開かれています。
3
用語「あわれみ」と「いつくしみ」
今回の特別聖年のモットーは、ルカ 6 章 36 節の聖句からとられています。日本
語訳の聖書やカトリック教会の公文書では、ラテン語「Misericordia」は、文脈に
よって、主に「あわれみ」か「いつくしみ」の用語が用いられています。
日本語辞書での「あわれむ」(憐れむ・哀れむ)の意味は、たとえば「愛する、
ふびんに思う、同情する、恵む」とあり、「慈しむ」は、「愛する、かわいがる、
大切にする」とあります(
「広辞苑」
)
。
一方、仏教用語である「慈悲」は、慈(いつくしみ)と悲(あわれみ)の二文
字並べていますが、日本語では一般に「いつくしみ」と「あわれみ」をあまり区
別せずに、両方を含んだ意味で使われるように思います。
旧約聖書では、神のあわれみやいつくしみという神の本質は、種々の概念とこ
とばで表現され、主に 2 つの系統があります(参照 「いつくしみ深い神」の注
52 番)
。
一つはヘブライ語の「ヘセド」という語で、誠実さ・忠実さを意味し、相手に
対する恵みや、愛の意味も含みます。神とイスラエルの民が結んだ契約から見る
と、民は神に対して契約を守る忠実さ(ヘセド)が要求され、神は民に変わらぬ
態度(ヘセド)を示します。しかし、民が契約を破ったとき、
「ヘセド」は忠実さ
よりも、契約を破った民に神が与えるゆるす態度やその寛大な愛を表すようにな
ります。
もう一つの系統は、母胎に相当する「レヘム」と、その複数形の「ラハミム」
(は
らわたの意味)という語から由来し、母が自分の腹を痛めて産んだこどもに抱く、
母親の強く深い感情を指します。そこから、
「ラハミム」は、やさしさ、忍耐、ゆ
るす愛、無償の愛といった態度を含むあわれみも表します。これら一連の意味は、
母胎からくるイメージなので、母性的な特徴を帯びていますが、それとは対照的
5
に、先の挙げた「ヘセド」
(忠実)は、父性的な特徴を帯びていると言えます。
4
5
「慈悲の所作」
(十四の慈悲)
「ミゼリコルディア」という活動は、1240 年フィレンツェのピエロ・ディ・ル
カ・ボッシによって創立されたものと伝えられています。日本ではキリシタン時
代、ミゼリコルディアの組・慈悲の組という名称で導入され、1583 年正式に承認
されました。
「慈悲の所作」は、マタイ 25 章などからまとめられたキリスト者の根本的実践
事項を遂行するためのもので、最後の審判の折にはその実践の有無を各自に厳し
く問われるべきものとして、全信者にとっての根本的義務であると考えられてい
ました。信徒たちは、
「どちりなきりしたん」(キリシタン時代の公教要理)にも
あげられた慈悲の所作を暗記して、日々の生活の中でその教えを実践していまし
た。ここでは、参考のために「
「どちりなきりしたん」の本文から引用します。
●色身(肉体)にあたる七つの事。
一つには、飢えたる者に食を与ゆる事。
二つには、渇したる者に物を飲まする事。
三つには、肌を隠しかぬる者に衣るいを与ゆる事。
四つには、病人を労わり見舞う事。
五つには、行脚の者に宿を貸す事。
六つには、囚われの身を受くる事。
七つには、死骸を収むる事これなり。
●スピリツ(精神)にあたる七つの事。
一つには、人によき意見を加ゆる事。
二つには、無知なる者に道を教ゆる事。
三つには、悲しみある者を宥むる事。
四つには、折檻すべき者を折檻する事。
五つには、恥辱を堪忍する事。
六つには、ポロシモ(隣人)の不足を許す事。
七つには、生死の人とまた我に仇をなす者のためにデウスを頼み奉る事これなり。
聖年の「聖なる扉」
聖年に、巡礼者がローマの大聖堂を訪問し、
「聖なる扉」のある門をくぐる伝統
があります。
「わたしは門である」
(ヨハネ 10・7)と言われたイエス・キリストこ
そが、神との交わりに入るための開かれた門であり、御父への「道・真理・いの
ち」
(ヨハネ 14.6)であるという教えに由来します。聖年に聖なる門をくぐるとき、
罪から恵みへと歩み出ることを思い起し、キリストがわたしたちに与えた新しい
いのちを生きるために、
「イエス・キリストは主である」と告白します。聖なる門
をくぐる巡礼だけでなく、生活の中で出会う人の不安や苦しみ、困難と悲しみの
中に、イエスの姿を見出すよう努めることも大切なことです。
6
6
いつくしみの特別聖年のロゴについて
ロゴとモットーはともに、この特別聖年を見事に表現しています。
「御父のよう
にいつくしみ深くなりなさい」
(ルカ 6・36 による)というモットーは、御父に倣
い、人を裁かず、罪に定めず、むしろゆるし、愛とゆるしを限りなく与える(同 6・
37―38 参照)
、そうしたいつくしみを生きるよう促しています。イエズス会司祭マ
ルコ・イヴァン・ルプニック(Marko Ivan Rupnik)によって制作されたロゴはま
るで、いつくしみについてごく簡潔にまとめられた神学大全のようです。ここに
描かれている迷い出た人間を連れ帰るために両肩で担ぐ御子は、あがないによっ
て受肉の神秘を完成したキリストの愛を表しているため、古代教会でたいへん親
しまれていたイメージをなぞるものです。
ロゴは、よい羊飼いが人のからだにしっかりと触れ、それもその人の人生を変
えるほどの愛を込めて触れるということがよく伝わるようデザインされています。
細部も見逃せません。よい羊飼いは、最高のいつくしみをもって全人類を担って
いますが、その目は、背負われた人の目と合体しています。キリストはアダムの
目を通して、アダムはキリストの目を通して見るということです。ですからわた
したち一人ひとりは、新しいアダムであるキリストのうちに、自らの人間性と待
ち受ける未来を見るのです。そのまなざしの奥にある御父の愛を見つめながら。
この場面は、アーモンドの形の後光を背景としています。この形も古代・中世
の図像学ではなじみ深いもので、キリストにおける二つの本性、神性と人性を象
徴するものです。三つの同心楕円は外に向かって段階的に明るく彩色され、人間
を罪と死の闇から外に連れ出そうとする、キリストの動きを感じさせます。ただ
し、濃いほうの色がもつ深みは、すべてをゆるしてくださる御父の愛の深さのは
かりしれなさをも表しています。
7
免償と聖年
聖年は、もともと回心への呼びかけの時です。わたしたちは、霊的な旅路を歩
んでいく中で、人間的な弱さから罪を犯し、御父への巡礼の道から離れてしまう
ことがあります。神のあわれみと豊かさは何よりもまず、罪のゆるしにあらわれ
ます。そして教会は、罪のゆるしにともなう償いの免除を、神からの恵みとして、
聖年の機会にいっそう豊かに与えることを実践してきました。
免償とは何か
罪のゆるしは、通常「ゆるしの秘跡」を通して与えられますが、つねに罪の傷
跡が清められる必要があります。神の無償のゆるしによって、神と教会との和解
をもたらす恵みは、罪を犯してよごれた心の醜さと被造物へのゆがんだ執着を少
しずつ取り除き、その人の生活全体がよい方向に変わることと結び付くはずです。
これが、償いと呼ばれるものです。司祭は罪をゆるすにあたって、特定の祈りや
善業を償いとして命じます。免償は、この償いを免除するもので、罪のゆるしで
はありません。
7
死者のための全免償の代願
免償は、自分のためだけでなく、代願の形式でいつでも死者に譲ることができ
ます。この熱心な代願は、この世を去った人々への愛のわざとして教会は奨めて
います。
免償を受ける条件
一般に免償を得るためには、大きな罪のない、神と一致した心でもって免償を
受けたいという意志が必要です。信者はどの免償を得るためにも、
① ゆるしの秘跡にあずかり、
② 感謝の祭儀(ミサ)に参加して、ご聖体を拝領して、
③ 教会が定めた事柄を果たすことが必要です。
8
堕胎の罪のゆるし
通常、堕胎の罪に対しては、司教、または司教がその権限を託し任命した司祭
だけが赦しを与えることができますが、このいつくしみの特別聖年において、す
べての人が恩恵を受けられるように願われる教皇は、特別な準備を奨励した上で、
聖年中、すべての聴罪司祭らにこの権限を認可されました。ただし、日本は以前
から、特別にすべての司祭にこの権限が与えられています。
9
聖ファウスティナ・コヴァルスカ(Faustyna Kowalska)
ファウスティナ(1905 年 8 月 25 日~1938 年 10 月 5 日)は、ポーランドの貧し
い農家の 10 人兄弟の 3 番目の娘として生まれ、幼少の頃から農作業の手伝いをし
て、敬虔な両親から信仰を受け、教会のミサや祭礼に参加し、祈りの生活をして
成長しました。しかし、当時はロシアの支配下に置かれていたため、十分な教育
を受けることができませんでした。
19 歳の頃、内的な声に気づき、やがてその声の主がイエス・キリストであると
確信し、長年温めてきた修道生活へ入る決心をし、
「あわれみの聖母会」という女
子観想修道会の門をたたきました。一年以上待たされた末、入会し修道女として
誓願を立て、修道名を「御聖体のマリア・ファウスティナ」にしました。修道女
として台所、庭の手入れなどの勤めを果たしました。
1931 年 2 月 22 日、白衣のイエスの姿を見て、「私の姿を絵に描き、『イエスよ、
あなたに信頼します』と書くように」といわれ、また「私のいつくしみを受けな
さい」という啓示を受けました。
1936 年、厳しい修道生活で体調を崩し、ついに結核にかかり、1938 年 10 月 5
日、死去しました。1993 年 4 月 18 日、教皇ヨハネ・パウロ 2 世によって列福され、
2000 年 4 月 30 日、列聖されました。
8