丸串古墳発掘調査成果速報(A4両面) [PDFファイル/1.73MB]

赤穂根島所在
丸串古墳発掘調査成果速報 愛媛大学法文学部考古学研究室 ・ 上島町教育委員会
2015/08/22
調査の経緯と目的
丸串古墳は、岩城島の海峡を挟んで対面する赤穂根島に所在
し、島の南西端の丘陵頂上に立地します。遺体を収めた箱式石
棺の存在はかねてより知られていましたが、耕作や木の根の影
響を受け、かなり崩壊が進んでいました。また、石棺内には人
骨片が露見しており、一刻も早い対応が求められていました。
こうした事態を受け、愛媛大学考古学研究室では 2008 年に
踏査を、今年の 3 月には測量調査を行いました。そして8月1
日から1週間、上島町教育委員会と合同で発掘調査を実施しま
宮ノ浦遺跡
した。今回の発掘調査では、
①崩壊しつつある箱式石棺に露見している人骨を検出すること
②石棺の構造を解明すること
丸串古墳
③石棺南側に古墳からの崩落土を篩い掛けすることで副葬品
第1図 丸串古墳 ・ 宮ノ浦遺跡位置図
などを検出することを目的としました。
丸串古墳
第2図 赤穂根島内における丸串古墳位置図
写真1 丸串古墳発掘調査前状況
調査成果
石棺の構造について
蓋石と側石の枚数に関しては、現状では蓋石4枚、長側石3枚、短側石1枚を確認しています。これらにより推定される
石棺の長さは 165 ~ 170cm×40cm( 長軸 × 短軸 ) と考えられます。蓋石1枚、西側の短側石1枚、南側の長側石1枚について
は発見できませんでした。
長側石
165 ∼ 170cm
40
cm
頭蓋骨
短側石
写真2 推定される石棺の規模
写真3 調査風景
1
短側石
石棺の長側石は深く掘り込んだ掘方に立てられており、掘方に
は土を「裏込め」として入れて安定させていました。また、石棺
の床は地山の上に土を一層敷きつめていた状況も確認できました
地山の掘り込み
地山の掘り込み
( 写真4・5)。
床面
石棺の短側石は長側石に比べて長さ ( 高さ ) が短く、短側石下
裏込め土
に見られる礫の上にも床面と考えられる層の土が入り込むこと
からこの礫は短側石を立てる前に置かれたものであることが
地山
分かりました ( 写真6)。石棺を構築する際の順序としては、
①長側石、②礫、③短側石と考えられます。
長側石
写真4 長側石の構造 ( 西より ) ①長側石
長側石
③短側石
地山
礫
短側石
裏込め土
頭蓋骨
写真5 短側石と長側石 ( 南より ) ②礫
写真6 短側石と礫との関係 ( 南より ) 出土遺物について
歯
石棺内より見つかりました。歯の部位に関しては前歯 ( 切歯 )
や奥歯 ( 臼歯 ) が計7本見つかっています。
頭蓋骨
石棺内で一部露見していたものを検出しました。
人骨の部位については頭蓋骨の耳の上あたりの側頭葉と
呼ばれる部位が見つかっています。
製塩土器片
5世紀代と考えられる製塩土器片が古墳周辺の
崩落土より見つかりました。
写真7 出土した歯
今後の課題
写真8 製塩土器 写真9 頭蓋骨出土状況 箱式石棺は瀬戸内地域では一般的に古墳時代に属するものが多いですが、丸串古墳については年代を確定できる資料は現段階
では得られておらず、時期を示すことができていません。まずは時期を確定すべく、出土した人骨片や歯を骨考古学 ( 形質人類
学 ) の専門家と協同で研究を進めていきたいと考えています。また、箱式石棺のつくり方については、短側石と長側石の長さ
( 高さ ) が異なるという珍しい特徴をもっており、周辺に似たような事例はないのか調査していきたいと考えています。
謝辞 丸串古墳の発掘に際して児島公尊氏、谷若倫郎氏、宮脇馨氏には多大なご支援・ご協力をいただきました。記して感謝申し上げます。
調査参加者:村上恭通、笹田朋孝、柳本照男 ( 以上、調査員 )、有馬啓介 ( 上島町教育委員会 )、ダシポンツァグ・グルラグチャー、西垣克哉、小田原あかね、織田誠司 ( 以上、愛媛大学 )
※本資料は織田誠司 (4回生 )、西垣克哉 ( 修士1回生 ) が作成しました。
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