ナウいヤングは今どこに ■新編集講座 ウェブ版 第23号 続・死語の見出し 2015/3/1 毎日新聞大阪本社 代表室長(元編集制作センター室長) 三宅 直人 この連載では以前、「アベック」という言葉が紙面から消え、次第に「カップル」に取って代わられた経緯を取り上げま した(2014/5/15 第 4 号「消えた『アベック』 死語の見出し」)。「死語」とまでは言わないにしても、時代からずれ、い つの間にか消えていく言葉は他にもあります。たとえば「ヤング」であり「ナウい」です。紙面の具体例を紹介しましょう。 ■ ベテラン記者の「死語」宣言 2 月19日の大阪版に「わが町にも歴史あり」という連載が掲載されて いました=図1。記事では、通天閣に多くの若者が集まったイベントに 触れた中で、 「ヤングというほとんど死語」という表現が出てきます=図 2。筆者の松井宏員記者は、この連載企画で 2013 年度の「坂田記念ジ ャーナリズム賞」 (※)を受賞した社内有数の書き手。そのベテランにし て、 「ヤング」という言葉に死語宣言をしているのです。 ※ 元毎日放送社長、故坂田勝郎氏の遺志を継ぎ、大阪のジャーナリストを顕彰する賞 もちろん、サッカーの「ヤングなでしこ」=図3(2014/10/28 朝刊スポー ツ面)=や「ヤングボーイズ」 (スイス)=図4(2015/2/20 夕刊スポーツ面)= のように、固有名詞で「ヤング」は出てきます。でも、若者の代名詞と して「ヤング」を使うことは、ほとんどなくなったようです。 ■ あの時、君は輝いていた ㊤ 図 1 ㊧ 図 2 ㊦図3 ㊤図4 かつては違いました。「ヤング」は、文字通り、若い感覚にあふれた 言葉として、積極的に使われていました。 先ほどの連載と同じ通天閣を取り上げた 23 年前の記事を見ましょう =図5(1992/4/30 夕刊社会面)。 「なにわなくとも通天閣」という駄じゃれが ちょっと気になりますが、「東京のヤングに大阪情緒、大受け」という ■ ラジオは「ヤング」 私の少年時代、関西では、 「ヤング タウン」 (毎日放送)や「ヤングリク エスト」 (朝日放送)などのラジオ深 夜放送が隆盛でした。テレビでも「ヤ ングおー!おー!」 (毎日放送)とい う番組があり、 「ヤング」が当時の若 者に支持されたことが分かります。 見出しは大真面目。今風に言えば、観 光のトレンドを追った記事です。 私は 1970 年代に中学、高校、大学 時代を過ごした世代ですが、当時流行 したラジオの深夜放送の番組名に「ヤ ング」が冠されていたように(左欄参照)、 ㊧ 図 5 ㊨ 図 6 「ヤング」は輝いた言葉でした。 70 年代、 「ヤングに一眼レフブーム」 =図6(1979/12/1 朝刊家庭面) 、 「おっとヤ ングにまかしとき」=図7(1972/10/22 都内版)、「ヤングに反発、両大関」 =図8(1972/11/19 朝刊スポーツ面)など、 「ヤング」が多数見られたのです (「ヤング」力士が輪島と魁傑なのは驚き、と言って通じるのは非ヤング世代だけかな)。 ㊤ 図 7 ㊧ 図 8 ㊧ 図 9 ■ 「ナウい」が「ナウかった」時代 「ヤング」と来れば「ナウい」です。死語の代表例として、「ナウい ヤング」という表現が、冷やかし交じりに紹介されることもあります。 縮刷版を繰ると、 「ナウいヤング」は見つからなかったものの、 「ヤング 言葉使い」 「ナウい選挙PRパンフ」がありました=図9(1982/12/22 都内 版) 。赤坂や六本木など「ナウい」スポットを抱える東京・港区の話です。 この前後の時代、 「ナウな職業」=図 10(1979/1/14 日曜別刷り)、 「ナウい 売り場」=図 11(1986/5/1 夕刊くらし面)、 「ナウな毛皮コート」=図 12(1981/3/4 朝刊家庭面)=と、あるわ、あるわ。 「ナウい」のオンパレードです。 見出しから察するに、「ナウい」は、「最先端」とか「流行の」とか、 ㊤(左から)図 10、11、12 そんなトレンディーな(これも死語か)雰囲気を醸し出しています。 「ナウいお寺さん」=図 13(1999/5/7 朝刊社会面)=や「ナウな古道具屋」 =図 14(1976/4/30 都内版)=のように、斬新さと伝統の同居を表現した見 出しもありますが、「ナウい」がプラスイメージなのは確かです。 ㊤(左から)図 13、14 ■ 赤電話、ダイヤル回して… そんな時、ふと目に留まったのが、「ナウい通り」の見出しがついた コラム「赤でんわ」です=図 15(1982/8/9 夕刊社会面)。街角の話題を達者 な筆で書く連載で、当時の東京本社夕刊に掲載されていました。「人と 人をつなぐ」という意味で「赤でんわ」と命名されたそうです。 携帯の普及で公衆電話が姿を消している現代。今のヤングは赤電話= 図16=など見たことがなく、コラム名もまた死語なのかもしれません。 ㊧ 図 15 加えてもう一点。赤電話は長らく、ダイヤルを回してかける方式でし た。プッシュホンや携帯の普及が進んだ今、「ダイヤルを回す」という ㊦ 図 16 こと自体、もはや通じない表現になりつつあるのでしょう。 80 年代にヒットした小林明子の歌「恋におちて」では、道ならぬ恋に 悩むヒロインが、男に電話をしようとダイヤルを回しながら、ためらい の気持ちで手を止めてしまうシーンが歌われていたのを思い出します。 ■ 土曜の夜と日曜は ちなみに「恋におちて」では、ヒロインが「土曜の夜と日曜」男に会 いたいと願うシーンが出てきます。平日の夜、男は自分の家に寄ってく れるけれど、週末は家族と一緒なので会うことができない。そう理解し ました。「土曜の夜と日曜」という表現から、週休2日制が定着する前 ㊧ 図 17 ㊨ 図 18 のことだと思われます。土曜の午前中は、会社も学校もありました。 それこそ死語ですが、その土曜のことを「半ドン」と呼んでいました。 辞書によると、 「半分のゾンタク(オランダ語で日曜日)」が語源だとか。 紙面でも「半ドンスト(土曜スト)」=図 17(1966/4/30 夕刊社会面)=や「国 連半ドン(米国の雪害)」=図 18(1978/2/8 夕刊社会面)=の例が見えます。 「恋におちて」の 80 年代、紙面に「週休二日制反対」の投書が載る、 そんな時代でした=図 19(1980/5/15 朝刊投書面)。公務員の週休2日法が成 立したのは 90 年代に入ってからのことです=図 20(1992/3/28 朝刊2面)。 ㊧ 図 19 ㊨ 図 20
© Copyright 2024 ExpyDoc