千葉大学人間生活工学研究室修論概要(2000) 平成 12 年度千葉大学大学院自然科学研究科 修士論文 仮想空間内の奥行知覚に及ぼす両眼視差と運動視差の効果 学籍番号:99UM3124 所属分野:人間工学教育研究分野 山本伸樹 1. 研究背景及び目的 近年、バーチャルリアリティ(Virtual Reality ; VR)と いう言葉がよく聞かれるようになってきた。この技術は 医療、建築設計、意匠設計、福祉、教育、エンターテイ メントなど幅広い分野での利用が可能であり、また高い 利用価値があると考えられている。 VR には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といったさまざ まな感覚が関わっているが、本研究では VR に最もかか わりの大きい視覚要因について、その立体視映像の提示 問題に着目した。 現在の多くの立体映像表示機器では両眼視差が奥行知 覚のために利用されているが、立体視映像の固有の問題 として焦点調節と輻輳の乖離がある。通常、焦点距離と 輻輳角はリンクしている。しかし両眼視差のみを与えて いる立体視映像では、焦点調節への刺激位置は一定であ るにもかかわらず輻輳刺激が異なっている対象を見続け ることになる。この生理機能における実空間との働きの 違いが、 仮想空間における奥行知覚誤差を生じさせたり、 眼精疲労を生じさせる原因のひとつではないかと考えら れている。本研究では、仮想空間における奥行知覚に焦 点を絞り、VR において有効な奥行知覚要因である両眼 視差と運動視差を組み合わせて実験を行い、それらの要 因が奥行知覚に及ぼす影響を明らかにすることを目的と した。 2. 方法 ■実験概要 本実験におけるタスクは、仮想空間に配置された2つ の球に対し、 「2つに球の前後関係」、 「2つの球の奥行距 離」について回答するというものであった。仮想空間映 像は、ヘッドマウントディスプレイを通して被験者に与 えられた。2 枚のカラー LCD が使用されたヘッドマウン トディスプレイには、コンピュータから出力された右目 用と左目用の映像が、コントロールユニットを介してそ れぞれ入力された(図 1)。 左眼用映像 HMD で融像 ■被験者 両眼立体視が可能な男子大学生8名(平均年齢22±0.5 歳)を被験者とした。いずれの被験者も視力 0.7 以上(矯 正視力含む)であり、視覚的異常はなかった。 ■実験条件 実験には「提示映像」と「奥行距離」に関してそれぞ れ 5 条件が設定された。提示映像条件は,A:運動視差の み(左右の映像差なし),B:小さい両眼視差と運動視差, C:小さい両眼視差のみ,D:大きい両眼視差と運動視差, E:大きい両眼視差のみの 5 条件で,提示される 2 球間の 距離条件は,球の直径 D に対し,0,0.5D,1D,2D,5D の 5 条件を設定した(図 2)。 5D 2D 1D 0.5D 0 D 図 2. 設定距離 ■測定項目 測定項目は、 被験者の回答による前後判断と知覚距離、 及びタスク前後の近点距離、フリッカー値、視力、主観 評価、タスク中の血圧、瞬目率であった。 ■実験手順 実験は提示映像条件ごとに行われた。電極コードの接 続、血圧計測用のカフ、ヘッドマウントディスプレイの 装着が完了すると、2 分間の開眼安静の後タスクを開始 した。被験者ごとにあるいは各試行ごとに回答するまで の時間が異なったためタスク時間は 35-45 分と多少前後 した。以下に映像条件あたりの実験手順を示す(図 3)。 35∼45min 図 3. 実験手順 実験は、ヘッドマウントディスプレイの映像に集中さ せるために暗室で行われた。実験者も同じ室内に入り、 操作、指示を行った。 運動視差は実験者によって 3-D マウスの操作で与えら れた。その際、一定の運動視差を生じさせるために、ヘッ ドマウントディスプレイに提示される映像は常に実験者 によって 2 台のモニタで確認された。 右眼用映像 奥行知覚 図 1. 提示映像例 1-4 3. 結果と考察 ■前後判断の誤答率(図 4) 解析の結果、小さい両眼視差のみの条件(C)では誤答 率が 51.9%と最も高く、両眼視差に運動視差を加えた 2 つの条件(B,D)では誤答率は共に 20%台と低かった。こ れらの結果から仮想空間における対象物の前後判断には 運動視差が有効であることが示唆された。また「小さい 両眼視差 + 運動視差」条件(B)は「大きい両眼視差」条 件(E)よりも有意に低かった。これは「小さい両眼視差」 条件(C)を基準とした場合、両眼視差を大きくすること による奥行知覚感度の増加よりも、運動視差を与えるこ とによる奥行知覚感度の増加の方がより有効であること を示している。 距離条件に関しては、2 球間の距離が 0、0.5D の条件が 他の条件と比べて有意に高い値を示した。2 球間の距離 が大きくなるに従って誤答率は低くなった。 ■知覚距離誤差(図 5) 分散分析の結果、5つの奥行距離条件のうち、4 つの 条件で有意な結果が得られた。どの奥行距離条件でも 「小さい両眼視差 + 運動視差」条件(B)が最も知覚距離 誤差が小さいという結果であった。また 2 球間の距離が 近い条件では「大きい両眼視差」条件(E)は誤差が大き かった。この結果から、両眼視差が大きくなるというこ とは、立体感、奥行感は増し、対象物の前後知覚の精度 は上がるが、その対象間の距離知覚の誤差も大きくなっ てしまうことがわかる。これらの結果から、 「大きい両眼 視差」は対象物間の距離を正確に知覚するには効果的で ないことがいえる。 ( %) ( %) .7 * * 60.6 80.8 * * * * * * * * ** * .7 60.6 .5 誤 40 答 .4 .3 率 20.2 誤 40.4 答 .3 率 20.2 .5 .1 提示映像条件 E 大.誤答率 D 大+誤答率 C 小.誤答率 B 小+誤答率 運動.誤答率 A 0 0 (Hz) 0 奥行1 0.5 奥行2 1 奥行3 2 7 6 5 4 38 3 37 2 36 1 0 35 34 A タスク前 タスク後 列4 列3 タスク前 タスク後 B C D E A.運動視差のみ B.小視差+運動視差 C.小視差のみ D.大視差+運動視差 E.大視差のみ 図6. フリッカー値の 経時変化と変化量 ■主観評価 眼の疲労の項目に関しては有意差(タスク前後の値を 比較)がみられたものが多かった(*:p < 0.05)。 「眼の 疲れ」 の項目ではすべての映像条件で有意差がみられた。 提示映像条件別では、 「小さい視差のみ」の条件で眼の疲 労すべての項目で有意差が認められた。「小さい視差の み」の条件では「前後判断」の誤答率が高かったが、判 断の難しい映像が眼を疲れさせる原因となったのであろ う。 全 身 疲 労 だるさ 吐き気 肩こり 発汗 頭痛 頭が重い めまい イライラ 眠気 眼の疲れ 眼の乾き 眼の痛み 焦点あわせの困難度 A B C * * * * * D * * * * * * * E * * * * * * * * * * 5 奥行4 距離条件 (Hz) 41 40 39 眼 疲 労 .1 00 千葉大学人間生活工学研究室修論概要(2000) ■生理指標 各項目においてタスクによる眼の疲労あるいは精神的 負荷を示す結果となったが、映像条件による違いは認め られなかった(図 6)。これは立体視、非立体視の別以前 に、手がかりに乏しい条件下において2つの球の距離判 断をするというタスク自体の負荷が大きかったのではな いかと考えられる。 奥行5 図 7. 主観評価におけるタスクの前後値の比較結果 図 4. 映像条件と距離条件ごとの誤答率 <奥行距離 1D> <奥行距離 0> 1.8 提示映像条件 4 * * * E 2 1 B 8 * 6 * 4 3 2 1 A 小+運動視差奥行5 E E 5 運動視差のみ奥行5 提示映像条件 A.運動視差のみ B.小視差+運動視差 C.小視差のみ D.大視差+運動視差 E.大視差のみ D 大視差のみ奥行4 C 大+運動視差奥行4 B 小視差のみ奥行4 運動視差のみ奥行4 A D * * 7 0 0 C 提示映像条件 <奥行距離 5D> 知 覚 距 離 誤 差 * 3 A 大視差のみ奥行3 D 大視差のみ奥行1 大+運動視差奥行1 C <奥行距離 2D> 5 知 覚 距 離 誤 差 0 B 小視差のみ奥行1 A 小+運動視差奥行1 運動視差のみ奥行1 0 1 .5 B C D 提示映像条件 E 図5. 提示映像条件にお ける知覚距離誤差 大視差のみ奥行5 .2 大+運動視差奥行3 .4 1.5 大+運動視差奥行5 .6 2 小視差のみ奥行3 1 .8 * * 2.5 小視差のみ奥行5 * 1.2 知 覚 距 離 誤 差 * ** 小+運動視差奥行3 1.4 運動視差のみ奥行3 * 1.6 小+運動視差奥行4 知 覚 距 離 誤 差 3 4. まとめ 仮想空間における奥行知覚に関して、単純に対象物間 の前後を判断する場合と、対象間の距離を正確に判断す る場合には、有効な奥行手がかりが異なることがわかっ た。前後の判断のみを要求される仮想空間では運動視差 も両眼視差が大きいことも有効な手がかりである。しか しその距離を正確に判断しようとした場合、大きな両眼 視差設定ではかえって誤差が大きくなってしまう傾向が あることがわかった。このことは、作成する仮想空間の 目的に応じた奥行き手がかりを与えることの重要さを示 している。 例えば、ゲームやテーマパークなどのエンターテイメ ントの分野においては、立体感、奥行感のために大きな 両眼視差は有効な手段である。しかし、医療分野や、設 計分野では、距離の正確な知覚が必要である。この場合 は画像を頭の動きに連動させることによる運動視差の奥 行き手がかりによって最適な環境を提供することになる だろう。
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