卒業生 - 留学情報社

Interview
2015
「日本の職場は“信頼感”
仲間意識”
“チームワーク”
が素晴らしいと思います」
馬振(マ シン)さん
中国山東省済南市出身
徳島工業短期大学を卒業し、㈱ホンダカーズ徳島に整備士とし
て入社して13年の馬さん。日本で車の整備の仕事をしたいと、留
学を決意したのは32歳の時だった。
妻と一粒種の愛息を故国に残し、一人留学に旅立った馬さんは、
いかにして日本の社会に溶け込むことができたのか。
来日から15年間の軌跡を聞いた。
は一言、「日本人の社員には絶対に負けないように頑張
れ!」とプレッシャーもかけられました(笑)。それも
あって2年生の時は、アルバイトも週2回に減らし、勉強
に集中しました。
――今の仕事は楽しい?
車検、点検、整備などを9年間経験しましたが、今は
オプション用品をつけてカスタマイズする新車整備が主
な仕事です。 日本のお客さんは細かくて、ミリ単位の
傷も気にする。そんなお客さんが完璧な新車をほしいと
望んでいるわけですから、私も気を使って仕上げていま
す。
The Track of Life
――どうして日本に留学しようと思うようになったので
すか?
中国では大学に通いながら日本車などの販売の仕事を
していました。自分に合っている仕事でしたが、次第に
日本に留学して車の整備の仕事がしたいと思うようにな
りました。父が日中の通訳をしていて、私も高校卒業後
の1年間、日本語を勉強していました。そんなこともあ
り、留学への憧れが日に日に募ってきたんです。でもそ
の時私は32歳で、結婚し子供もいました。悩みました
が、最後は「子供ではないのだから自分で決めてくださ
い」という家族の後押しで留学を決断しました。
――徳島工業短期大学を選んだ理由は?
自動車整備の勉強ができる学校を探していた時、済南
での留学説明会で私の父が徳島工業短期大学の理事長と
知り合 い、父から話を聞いて、後はとんとん 拍 子で
……。ほんとに幸運だったと思います。
――日本語はかなりできたのですか?
中国で学んだ日本語は、日本に来たら全然通じません
でした(笑)。2000年の2月に来日し、学校が始まる4月
までの2か月間は図書館にこもって猛勉強、それからは
メモをとって家中の壁に貼り、1∼3か月で覚えたらはが
す、を繰り返していました。徳島工業短大では、最初の
半年くらいは授業についていくのが大変でした。専門用
語はひたすら暗記し、日常会話はアルバイトの機会も利
用しながら定着させていきました。
1967
誕生
1986
高校卒業
1999
大学卒業
2000
来日
2002
就職
――学校での思い出は何かありますか?
今から振り返ると楽しい思い出ばかりが浮かびます。
旅行に行ったり、先生の家に何日か泊まりに行ったり。
私は海外からの留学生としては第一号だったので、周囲
は全員日本人学生。初日の朝学校へ行ったら、初めて会
うのにみんなが「馬さん、おはよう!」と挨拶してくれ
て、嬉しかった。勉強の面では、「日本事情」や「倫理」
の授業が印象に残っています。日本人の考え方の理解、
日本で生活していく上でのコミュニケーションの仕方な
ど、とても役に立ちました。実技では学生時代にエンジ
ンの分解、組み立てなどを経験できたことが大きかっ
た。会社に入ってからも役に立ちましたね。
――アルバイトはしていたんですか?
料亭の洗い場でのバイトが長かったです。ここでは社
員旅行に連れて行ってもらったこともあって、いい思い
出がたくさんあります。(料亭の)ご主人とはいまでも親
交があり、今の仕事に就いてから10年間で社用中古車を
10台ぐらい買ってもらったんですよ!
――大変なことも多いでしょう?
冬になると、プラスチック製の部品は固くなったりして
取り付けが大変。同じミスを2回、3回すると落ち込んだ
りもします。それから、体力的にきつい時もありますね。
今HONDA 車は売れていて、新車整備は大忙しです。間
に合わなければお客さんへの納車が遅れてしまいますか
ら、作業は深夜に及ぶこともあります。でも少しずつ成
功体験を積み、この仕事がますます好きになっていま
す。今は整備の仕事はほんとに楽しいと思っています。
なにしろ全然動かない車が動くようになるんですから。
惑がかかった時も、私ひとりではなく上司が必ず一緒に
謝りに行ってくれるし、人に対する「公平」、「尊敬」の
考えが日常に根付いています。また、弊社には、上司か
ら褒めてもらうより、お客さんから「ありがとう」と声を
かけてもらえるほうが嬉しいという社風があります。お
客さんから「馬さんの対応がよかったからこの車を買っ
た」と言われた時は最高! やる気が出ます。「花一
面、蝶自来(はないちめん、ちょうじらい)」――花々の
群生に蝶々が舞っているイメージですが、これは弊社の
企業理念です。「社員(花)一人ひとりが笑顔なら、お
客さん(蝶)が自ずから訪ねてくださる」という意味で、
私はこの言葉が好きです。
――将来はどうしたい?
来日した時は、日本で就職するか中国に帰るか、正直
に言うとはっきりわかりませんでしたが、ただいつも「夢
をもってやれば、なんでもできる」と考えてきました。今
から考えると徳島工業短期大学に留学し日本で就職して
正解だったと思います。この会社に就職した時に妻と息
子を日本に呼びましたが、こちらで家も買い、息子は
今、大阪の専門学校に通っています。下の子供も小学生
です。いつかは中国に帰りたいとも思いますが、中国は
急激に発展し、私の実家へ行ってもどこかわからないほ
ど変わってしまって……(笑)。徳島の生活は最高です
し、今は家族の生活基盤もここです。今後も大好きな今
の仕事で頑張ってみようと思っています。
――中国にいるお父さんはどうおっしゃっていますか?
「ずっと日本にいてください」と(笑)。
――日本の職場、今の会社についてはどう思っています
か?
会社に入って13年ですが、日本の職場は「信頼感」、
「仲間意識」、「チームワーク」がすばらしいと思いま
す。みんなが助けてくれます。ミスをしてお客さんに迷
応援団から
応
YELL
彼が後輩たちの就職への道を作ってくれた
馬さんは、本学留学生の日本での就職第一号。その後も毎年、後輩たちが日
馬さん
本の企業に就職できています。企業の方々の力添えもあってのことだと思いま
――就職活動は、大変でしたか?
私の場合、就職は本当にラッキーでした。学校の理事
長が今の会社の会長と親しく、1年生の時に会社訪問に
連れて行ってくれました。会社を案内してもらい、最後
に会長のところへ挨拶に行ったら、会長がいきなり従業
員のみなさんの前で、「この人は2002年度のうちの新入
社員です」と言ってくれたんです。でもその時会長から
すが、一方では慣れない異国で努力した馬さんが、後輩に道を拓いてくれたと
も言えます。会社の皆さんの信頼を得て、生き生きと働いている馬さんを見る
と、私も、さらにいい人材を育てていこうという気持ちになります。これからも
頑張って整備士の仕事に邁進してほしいと思います。応援しています。
徳島工業短期大学 理事長
近藤孝造さん