す。当時は星の位置を測量し て船の場所を割り出す天文航 なく、座礁の危険におびえな 法の時代です.正確な海図も ︶ 0110 久万高原天体観測館 ︵ 側の3つが見えます。本土で も南九州や四国の南部、紀伊 半島の南端では、1番上の1 のこのコーナーでご紹介した からす座が南の空にやってく るころ、沖縄や小笠原では上 がら、命懸けで船を進める船 乗りたちが、行く手に見える 十字架の形の星に、神の加護 を祈ったであろうことは容易 に想像できます。私たちが現 在抱いている南へのあこがれ を誘う星というイメージ以上 の存在だったことでしょう。 ヨーロッパよりも緯度の低 い日本からだと、チャンスに 恵まれれば少しだけその姿を 見ることができます。先月号 41 つが見えます。町内でも大川 嶺で観察された記録が残って います。 久万美術館だより た か し げ ◆新収蔵披露特別展示 ﹁とりこ﹂ 森 堯茂 今回は、現在展示中の作品 の中から、新たに館蔵品に加 わり、初公開の彫刻作品とそ の 作 者・ 森 堯 茂 氏 を ご 紹 介 します。 い べ よし はる いものがあります。 そして、久万美術館の原点 である ﹁井部コレクション﹂ を育んだ故井部栄治氏との 関わりもあり、井部氏を顕彰 する久万美術館のモニュメ ント彫刻の作者でもありま す。 また、同じように野外に設 置された大きな作品も県内 外各地に広がっています。 ﹁とりこ﹂ 今回収蔵された は、永年所蔵されていた神奈 川県在住の由緒ある方から ご寄贈いただきました。 最も精力的に活動してい た時期の作品で、森氏自身に とってもたいへん思い入れ の深いものだということで す。大 作 で は あ り ま せ ん が、 緊張感と躍動感に満ちた秀 作です。 色々と想像力をふくらま せてご覧ください。 ︵日︶ まで︶ ︵七月十日 「少年式」のようす ◆六・七月の休館日 毎週月曜日。ただし七月十 八日 ︵祝︶ は開館し十九日 ︵火︶ が振替え休館になります。 ︵火︶ 、十三日 ︵水︶ 七月十二 は、展示替えのため臨時休館 させていただきます。 森 堯茂「とりこ」 1958 年、ブロンズ はありませんから、十字の形 を見るには南へ旅行しなけれ ばなりません。台湾やハワイ なら何とか見えるくらいの高 さですが、グァムやサイパ ン、東南アジアの国々なら、 南の空のほどよい高さに見る ことができます。たかが星を 見るために海外旅行なんかで きるか! という方もご安心 を。将来は日本から十字の形 を見ることができるのです。 地球の自転軸は常に北極星の 方向を向いているわけでな く、少しずつ移動していま す。このため南の空にやって くる星座の高さも変化し、将 来は日本からも見えるように なるのです。ただし1万5千 年ほど先のことなので悪しか らず。 一九二二∼ は) 、 森堯茂氏 ( 愛媛県川之江市 現 ( 四国中央 市 生 ) まれの彫刻家です。 東京美術学校卒業後、学徒 出陣を経て、戦後は県内で教 壇に立ちます。一九四九年上 京し、やがて自由美術家協会 会員となって活動。一九五〇 年代∼六〇年代にかけて、東 京国立近代美術館の ﹁前衛美 術 の 人 展 ﹂や、神 奈 川 県 立 近代美術館の ﹁野外彫刻展﹂ 、 毎日新聞国際美術展、宇部野 外彫刻展などで活躍しまし た。 六五年以降は、松山を拠点 に、個展・グループ展などで 活動しています。愛媛におけ る現代美術の先駆者の一人 として、その存在には意義深 15 ☎ 国内から見えると言って も、4つ全部が見えるわけで フィリピン・セブ島で撮影した南十字星。 中央よりやや右側にある十字の形です。 南十字星 20 ∼日 日本 本か から らも も見 見え える る? ? 南の の星 星 ∼ 南 全天に 個ある星座の中で 最も小さいのは、みなみじゅ うじ座です。南十字星と言え ば有名ですが、これが星座の 名前であることは意外に知ら れていません。最大の星座で あるうみへび座の 分の1の 面積しかありませんが、1等 星を2つも持つなど、明るい 星の多い星座です。 ヨーロッパからは見えない ため、西洋文明にその存在が 知られたのは 世紀から始ま る大航海の時代でした。当時 16 アジアに向かう船は、アフリ カ西岸で水や食料を補給しな がら、南端の喜望峰を目指し ていました。つまり船は南に 向かって進むことになりま 88 14 6 月号
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