特集光をつくる X 線自由電子レーザーが拓く 生きた細胞のナノレベル観察 西野吉則 にしの よしのり 北海道大学電子科学研究所 オングストローム(10-10 m)ほどの短い波長をも される。 つ X 線自由電子レーザー(XFEL)は,現在,日本の 超短パルス X 線による放射線損傷のない生物 SACLA とアメリカの LCLS でのみ利用可能な最 試料の観察のアイデアは,古くからあった1。こ 先端の光である。XFEL パルスの発光時間はフェ の ア イ デ ア を 一 躍 有 名 に し た の が,2000 年 に ム ト 秒(10 -15 秒) オ ー ダ ー と,大 型 放 射 光 施 設 『ネイチャー』誌に発表された,スウェーデン・ SPring-8 からの X 線と比較して 1000 分の 1 以下 ウプサラ大学の Janos Hajdu らのグループによる, の短さである。フェムト秒オーダーの超短パルス 計算機シミュレーションの結果である2。彼らは, XFEL で試料を照らすと,試料が放射線によって 1 個または少数個の生体分子に,フェムト秒パル 大きな損傷を受ける前の一瞬の姿を捉えることが スの強い X 線を照射すると,原子が動く間もなく, できる。放射線損傷は,X 線や電子線などを用い ほとんど損傷のない試料から高分解能での回折パ て生物試料をナノから原子レベルで観察する際に, ターンが取得可能であることを示した。このアイ 分解能を制限する大きな問題となっている。放射 デアの原理検証実験は,ドイツ・ハンブルクにあ 線損傷を低減するため,従来は,試料を極低温に る紫外線~軟 X 線領域の自由電子レーザー施設 保つ方法がとられてきたが,XFEL は放射線損傷 FLASH を 用 い て,Henry Chapman ら に よ っ て の問題を根源的に解決する可能性を秘めており, 2006 年に示され,XFEL 計画の大きな後押しと 生物試料の高分解能観察に革新をもたらすと期待 なった3。 Observation of living cells at the nano level opened up by X-ray free-electron laser KAGAKU 4 4 4 4 4 4 4 4 LCLS や SACLA の登場により,放射線損傷の ない生物試料の測定が,オングストロームほどの 短い波長をもつ硬 X 線領域でも行えるようにな Yoshinori NISHINO 0076 4 Jan. 2015 Vol.85 No.1 コヒーレント X 線回折パターン 生きた細胞 X 線自由電子レーザー (XFEL) マルチポート CCD 検出器 集光鏡 マイクロ液体封入アレイ(MLEA) 図 1―パルス状コヒーレント X 線溶液散乱 (PCXSS)法の概念図 った。特に,微小なタンパク質結晶を次々と液体 折イメージングする測定が行われている9。 ジェットで打ち出し,XFEL による回折パターン 筆者らは,XFEL が可能にする放射線損傷のな を取得する,シリアルフェムト秒 X 線結晶構造 い生物試料観察の特徴を活かして,生きた細胞の 解析(SFX)が盛んに行われている4。ショットごと 定量的なナノイメージングに成功した10。電子顕 に異なる結晶のサイズや方位は,データ解析によ 微鏡や X 線顕微鏡で用いられる線量は,放射線 り決定される。当初は,既知の構造をもつタンパ に耐性をもつ微生物も死んでしまうほど強力であ ク質結晶が実験に用いられたが,2012 年になり るため,細胞を生きた状態でナノレベル観察する 未知の構造のタンパク質の原子構造が解かれた 。 ことはこれまで不可能であった。フェムト秒の超 この成果は, 『サイエンス』誌によって,2012 年 短パルス XFEL は,生きた細胞の X 線ナノイメ の科学の 10 大ニュースの一つに選ばれた。また, ージングに道を拓く。しかし,先行する LCLS で 吾郷日出夫らが SACLA で示したように,ループ は,試料は真空中を飛翔しており,細胞を生きた にマウントしたタンパク結晶に対して回折実験を 状態に保つことは困難であった。 5 あ ごう 行っても,放射線損傷の影響を受けることなく高 精度で結晶構造が決定できる 。 そこで筆者らは,パルス状コヒーレント X 線 溶液散乱(PCXSS)法と名づけた独自に考案した手 6 XFEL のもう一つの特徴である,ほぼ完全な空 法 を 用 い て,生 き た 細 胞 の 観 察 に 挑 ん だ。 間コヒーレンスを用いると,試料が結晶でなくて PCXSS 法の概念図を図 1 に示す。PCXSS 法は, も,コヒーレント回折パターンを用いて,試料の 溶液試料を測定できることが特徴である。生物が イメージングができる。高分解能の X 線対物レ 生きていくためには水は必須であり,溶液の測定 ンズを作ることは技術的に困難なため,対物レン が行えることは,生物試料観察にとって理想的で ズの代わりに計算機を用いるコヒーレント回折イ ある。PCXSS 法では,試料をマイクロ液体封入 メージングは極めて有効である。コヒーレント回 アレイ(MLEA)チップと呼ばれる,筆者らが独自開 折イメージングは,部分的にコヒーレントな放射 発したデバイスに入れる。MLEA チップには, 光を用いて技術開発が行われ,細胞や細胞小器官 窒化シリコン簿膜で挟まれた微小な溶液槽が,2 などの生物試料のイメージングが行われてきた 。 次元に多数配列されている。窒化シリコン簿膜は 7, 8 LCLS では,エアロゾルビームで打ち出されたサ X 線の照射窓となるが,強力な XFEL のシングル ブミクロン(10 m 以下)サイズの生物試料等に対し ショットで簿膜が破壊されるため,多数の独立し て,XFEL のシングルショットでコヒーレント回 た溶液槽が必要となる。 -6 X 線自由電子レーザーが拓く生きた細胞のナノレベル観察 科学 0077 実験では,Microbacterium lacticum という牛乳 1.0 の中に生息するサブミクロンの大きさの微生物細 胞を観察した。この微生物は,耐熱性があり,加 熱殺菌時に注意が必要な厄介者である。殺菌は製 画像強度 品の品質保持に関わるため,この微生物の研究は, 酪農においても重要性をもつが,大きさがサブミ クロンと小さいため,通常の光学顕微鏡で内部構 造を観察することは困難である。XFEL 実験に先 立ち,MLEA チップ中に生きた細胞を閉じ込め られることを,バクテリア細胞の生死を判別でき る 蛍 光 標 識 を 用 い て 確 か め た。実 験 の 結 果, MLEA チップ中に細胞を封入した後に,MLEA チップを 1 時間真空中に置いても,ほとんどの 100 nm 0.0 図 2―XFEL で観察した生きた細胞の画像 細胞が生きていることを確認した。 PCXSS 測定を SACLA で行った。SACLA が発 生する光子エネルギー 5.50 keV(波長 0.225 nm ほど) をナノメートル分解能で定量的に観察できる優れ た手法であることが示された。今後,生きた細胞 の XFEL を,集光鏡を用いてマイクロメートルほ を系統的に測定することで,未だ解明されていな どの領域に集め,MLEA チップ中の生きた細胞 い原核微生物のゲノム複製やそれに続く細胞分裂 に次々と照射した。細胞からのコヒーレント X などの,重要な細胞内現象の解明に繫がることが 線回折パターンは,SACLA で独自開発されたマ 期待される。また,XFEL の集光度をさらに向上 ルチポート CCD 検出器を用いて計測した。測定 させることにより,より小さな生体粒子の観察や, したコヒーレント回折パターンをデータ解析する さらなる分解能の向上も期待される。これにより, ことにより,試料の画像が得られる。X 線は透過 従来の結晶構造解析などでは見ることのできなか 性が高く,主に軽元素からなるサブミクロンの大 った,溶液中の生体分子のナノ構造やダイナミク きさの細胞を,ほぼ完全に通り抜けてしまうが, スの解明が期待される。また,生物試料のみなら XFEL が発生するコヒーレント X 線を用いること ず,溶液中で機能を発揮する物質材料のナノレベ により,重金属で細胞を染色するなどの人工的に ル観察にも,重要な役割を果たすと期待する。 イメージコントラストを高める試料調製の必要が なく,内部構造を鮮明に観察できる。 図 2 に PCXSS 法で観察した生きた細胞の画像 文献 1―J. C. Solem: J. Opt. Soc. Am., B3, 1551 (1986) 2―R. Neutze et al.: Nature, 406, 752 (2000) を示す。細胞の画像には,極めて興味深い特徴が 3―H. N. Chapman et al.: Nat. Phys., 2, 839 (2006) 見られた。細胞の中には,ダンベル型をした画像 4―H. N. Chapman et al.: Nature, 470, 73 (2011) 強度の高い部分が存在した。この領域は,X 線散 乱強度の強い DNA などの物質で構成されている ことが示唆される。実際に,画像強度の強い部分 は核酸で構成され,それ以外の部分はタンパク質 で構成されていると仮定すると,画像強度の高い 部分とそれ以外の部分の強度比を,定量的にほぼ 説明することができる。 筆者らの研究により,PCXSS 法が生きた細胞 0078 KAGAKU Jan. 2015 Vol.85 No.1 5―L. Redecke et al.: Science, 339, 227 (2013) 6―K. Hirata et al.: Nat. Methods, 11, 734 (2014) 7―J. Miao et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 100, 110 (2003) 8―Y. Nishino et al.: Phys. Rev. Lett., 102, 018101 (2009) 9―M. M. Seibert et al.: Nature, 470, 78 (2011) 10―T. Kimura et al.: Nat. Commun., 5, 3052 (2014)
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