2015年6月25日第53号

1年団通信
2015年6月25日発行第53号
発行責任者:大野孝之
[email protected]
印 刷 所:丸亀市立飯山中学校
http://www.hanzan-jh.ed.jp/
6月23日沖縄全戦没者追悼式 平和の詩
6月23日に毎年行われている沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県立与勝(よかつ)高3
年、知念捷さん(17)朗読の平和の詩全文(6月24日四国新聞掲載)を載せます。沖縄
の言葉を使っている部分もあり難しいとは思いますが、何度も何度も読んでみてください。だ
んだんと心に染(し)み入ってきます。そして、平和について考えてください。
いま国会では、私たちの国が敗戦の反省のもと、戦後70年続けてきた平和についての
考え方を大きく変更するのかどうかということが話し合われています。
つい先日、その国会で選挙をできる年齢が18歳に引き下げられ、みなさんももう数年も
すれば自分たちの代表を選ぶ選挙に参加できます。選挙に参加する(棄権-きけん-する
ということも含めて)ということは、自分たちの国の行方(ゆくえ)を決めることに自分も責任を
持つということです。みなさんも、自分の生きている社会の動きに関心を持ち、知識を身に
つけなければなりません。中学校での勉強はそのためのものでもあります。がんばりましょう。
私は、私たちの国、日本が絶対に戦争をしない国であってほしいと強く強く願っています。
「みるく世(ゆ)がやゆら」
平和でしょうか
夏至南風(かーちーべー)の
みるく世がやゆら
湿った潮風が吹き抜ける
平和を願った
せみの声は微かに
戦の時代は
古の琉球人が詠んだ琉歌が
もう終わった
私へ訴える
平和で豊か
「戦世(いくさゆ)や済(し)まち な時代はもう
すぐやってくる
みるく世ややがて
家臣たちよ、
嘆(なじ)くなよ臣下
嘆い て は い
命(ぬち)ど宝」(注 2)
けない
七〇年前のあの日と同じように
命こそ宝
風の申へと消えてゆく
クワディーサーの木々に触れ
せみの声に耳を澄ます
「今は平和でしょうか」と
私は風に問う
花を愛し
踊りを愛し
今年もまたせみの鳴き声が
私を孫のように愛してくれた
梅雨の終(おわ)りを告げる
祖父の姉
七〇年目の慰霊の日
戦後七〇年
大地の恵みを受け
再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた
大きく育ったクワディーサーの木々の間を
祖父の姉九十才を超え
彼女の体は折れ曲がり
戦争の風化の現状を
ベッドへと横臥(おうが)する
私へ物語る
一九四五年
みるく世がやゆら
沖縄戦
彼女の夫の名が
彼女は愛する天を失った
二十四万もの犠牲者の名が
一人
刻まれた礎に
妻と乳飲み子を残し
私は問う
二十二才の若い死
みるく世がやゆら
南部の戦跡へと
頭上を飛び交う戦闘機
礎(いしじ)へと
クワディーサーの葉のたゆたい
夫の足跡を
六月二十三日の世界に
天のぬくもりを求め探しまわった
私は問う
彼女のもとには
みるく世がやゆら
戦死を報(しら)せる紙一枚
戦争の恐ろしさを知らぬ私に
亀甲墓に納められた骨壷(つぼ)には
私は問う
彼女が拾った小さな石
気が重い
戦後七〇年を前にして
一層
彼女は認知症を患った
戦争のことは風に流してしまいたい
愛する夫のことを
しかし忘れてはならぬ
若い夫婦の幸せを奪った
彼女の記憶を
あの戦争を
戦争の惨めさを
すべての記憶が
伝えねばならぬ
漆黒の闇へと消えゆくのを前にして
彼女の哀(かな)しさを
彼女は歌う
平和の尊さを
愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように
みるく世がやゆら
あなたが笑ってお戻りになられることを
せみよ
お待ちしていますと
大きく鳴け
軍人節の歌に込め
思うがままに
何十回
クワディーサーよ
何百回と
大きく育て
次第に途切れ途切れになる
燦燦(さんさん)と注ぐ光を浴びて
彼女の歌声
古のあの琉歌(うた)よ
無慈悲にも自然の摂理は
時を超え今
彼女の記憶を風の中へと消してゆく
世界中を駆け巡れ
七〇年の時を経て
今が平和で
彼女の哀(かな)しみが
これからも平和であり続けるために
刻まれた頬(ほほ)を
みるく世がやゆら
涙がつたう
潮風に吹かれ
蒼天(そうてん)に飛び立つ鳩(はと)を
私は彼女の記憶を心に留める
平和の象徴というのなら
みるく世の素晴らしさを
彼女が戦争の惨めさと
未来へと繋(つな)ぐ