交通事故の被害者と加害者の手記

第 24 回交通安全シ.ンボジウム配布資料
宮崎県警察本部交通部交通企画課
交通事故の被害者と加害者の手記
※平成 17 年警察白書「世界一安全な道路交通を目指して」より
1 交通事故の被害者の声
「まわり道」
明け行く空を仰ぎ、さわやかな風を胸いっぱいに吸い込みながら自転車を走らせていると、「生きていて良
かった」と、しみじみ思うことがある。新聞配達の仕事も楽ではないが、激しい交通事故で 6 年間の入院生活
を余儀なくされた私には、日々元気に仕事ができるだけ幸せな気分になる。それは、紅葉狩りの帰り道のこと
だった。もう 10 数年前の事故なのに、いま思い出しても頭痛や吐き気が起きるのだが・・。赤信号で止まっ
ていた私たちの車に、居眠り運転のダンプカーが追突し、自家用車はペシャンコに踏み潰されてしまった。
私一人だけが命をとりとめ、意識不明の重体のまま救急車に乗せられた・・・・・らしい。
そんな私が 6 ヶ月後に意識を回復したときには、複雑骨折した肋骨が喉からとびだしており、手足の関節はバ
ラバラで、再起不能と思える状態だった。心の傷は癒しようもなかったが、本当に苦しい検査や度重なる手術、
孤独感や絶望感から繰り返した自傷行為などなど。その後の激しいリハビリ生活を含めて、私は通算 8 年間
も人生の「まわり道」をすることになってしまった。しかし、苦しんだのは決して私だけではあるまい。事故
を起こした運転手さんだって、良心の呵責や責任感に苛まれたに違いない。被害者も加害者も遠い遠い「ま
わり道」をさせられる交通事故だなんて、もうまっぴらごめんだ。いや、私のように社会復帰できれば、「ま
わり道」をしたとしても、またやり直しができる。しかし、毎年 1 万人近くにのぼる交通事故死亡者は、「ま
わり道」さえ選択することができず、無意識のうちに天国への片道切符を手にすることになる。
また、交通事故で負傷する年間 100 万人以上の人が通るであろう、私と同じような辛く厳しい「まわり道」
のことを、運転者一人ひとりが肝に銘じるべきである。
2 交通事故の加害者の声
「手離した命」
この世で一番大切にしなければならない人を、僕は手離してしまった。何て情けない男だろう。その日、夕
方に仕事を終え、前日から泊まりに来ていた彼女と映画を見に行き、
その後、少し一距離はありましたが、知人の居酒屋に晩ご飯を食べに行きました。二人ともお酒は好きな方な
ので、二人でご飯を食べに行って酒抜きということは決してありませんでした。そして、どこに行くにも車で
移動していました。午前 2 時前になり彼女も「帰ろう」と言い出したので、帰ることにしました。
そして、いつものように「これくらいの酔いなら大丈夫だろう」といい加減に考え、車を運転し始めました。
店を出てすぐ彼女は「気持ちが悪い」と言い、シートを倒して寝てしまいました。僕は少しでも早く家に帰っ
て、ゆっくり休ませてやりたいと思いながらハンドルを握っていました。と次の瞬間、工事現場のガードレー
ルに激突。私は居眠りをしてしまったのです。ハッと思い横を見ると、助手席でシートを倒して寝ていた彼女
がいません。その代わりに白いガードレールが後部席の方へ伸びていました。まさかと思い後部席を見ると彼
女はガードレールで後部席に打ちつけられていました。私は「何てことをしてしまったんだ」とある種の恐怖
感を覚え、急いで救急車を呼びました。その救急車での数分、彼女を呼びつづけましたが、何の返事もないま
までした。それは即死を意味していました。私はと言えば、左肩の打撲程度でほとんど無キズに近い状態でし
た。その後、私はその場で逮捕され、翌日釈放されました。最初、彼女のご両親やご兄弟に謝罪に行った時は
「顔も見たくない」と追い返されましたが、2 度目からは気持ちも落ち着いておられ、非常に寛大な態度で接
してもらいました。決して許すことができないはずなのに、彼女のご両親は「あなたにつらく当たっても娘は
帰ってこないのだから」
、
「娘が好きになった人だから」、
「あなたは娘の分までしっかり生きてちょうだい」と
いったお言葉をいただいたり励ましてもらったりしました。そして、事故を起こしてから約 1 年後、裁判が始
まり、その 2 ヶ月後に懲役 1 年 4 月という実刑判決を受け、現在は市原刑務所で服役しています。
彼女のご両親に会いに行くたび、優しい言葉を掛けてくださったり、出所後の僕の生活を心配してくださった
りして、とてもよくしてくださるのに、私は何もしてあげられません。
今はこの市原刑務所で受刑者としてしっかり反省し、今までのいい加減な気持ちをすべて捨て去ろうと努力し
ています。そして 1 日でも早く出所できるよう遵守事項を守り、1 日でも早く償いをしていきたいと思ってい
ます。事故を起こして殺人者になり、私の兄も世間に対し負い目を感じていると思います。また、友人も同じ
目にあっていると思います。私のいい加減な気持ちがいったい何人の人に迷惑を掛けたか、また、いったい何
人の人が悲しんだか、それを決して忘れることなく生きていきます。私は殺人者なのです。前科者です。人間
が一番してはならないことをやってしまいました。それなのに、1 年足らずで刑務所を出ます。周りの人は「運
が悪かったんだよ」といいますが、私は決してそうとは思いません。全て私のいい加減な気持ちが起こした事
故の原因だと思っています。自分の命で償えられるのなら簡単です。自分の命と引き換えに彼女が生き返るわ
けがないのです。ならば、自分が彼女の分まで生きて、彼女のご両親に償いをしていくしかないのです。それ
が彼女に対するおわびであるのだと思っています。
車社会に生きよう∼交通事故防止心の作文集∼』
(財団法人石川県交通安全協会発行)より交通事故により大破した自動車
『贖いの日々』(財団法人東京交通安全協会発行)より※交通事故により
大破した自動車