昔は学校でも古事記を教えていた。古事記は日本で一番古い国史ということになっている。 これができたのが和銅5年、712年のこと。 天武天皇のみことのりによって、元明天皇が太安万侶に銘じて、稗田阿礼が覚えていたの をかきとめたとなってます。 みことのりが出てからわずかに4カ月で作られたんですよ。 その次の日本書紀はげんしょう女帝とのとき作られている。 いわゆる二人の女帝のときにつくられている。 さて、古事記の背景になりますが、 天智天皇の時代、天皇は自分の直系の息子(後の 弘文天皇)に皇位を継がせようとし、それに対し、 天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)が地 方豪族を味方に付けて反旗をひるがえした壬申の 乱、いわゆる天皇家の内輪もめがあったわけです。 内乱までの間に、ちょっと余談ですが、 天武天皇のお后は額田王、非常に美しい才女でい らっしゃっため、天智天皇は額田王を欲しがり、 天武天皇はお后を差し出した。そのかわり、天武 天皇は天智天皇の娘二人を后に迎えた。それが 後々持統天皇になっておるんですね。 つまり、持統天皇は自分の兄弟と夫との争いを見 ているわけです。そのあと、元明天皇が皇位につ きましたが、 元明女帝の息子さんは病弱で、そこでもう一度内 乱があるとこまるので、古事記を編纂したという 経緯があります。 また、このときに天照大神を女性神であるとした という説もあります。 世界中で太陽神は男性であり、女性であるのは日 本だけ。アマテラスはオオヒルメ、つまり、太陽を拝む巫女を神格化したのではないかと。 現に伊勢神宮では天照大神を太陽神とは絶対おっしゃられない。太陽のようなお働きをさ れる神様とおっしゃっている。言いかえがあるわけです。 そんな背景があって、天照大神を女性神とした、女性を天皇の始祖として、争いの無い国 を作ろうと古事記ができているのです。 ところで、なぜ、国史を、学校で勉強するかというと、過去にこういうことがあったから、 今があるということを教えるためなんですね。われわれは両親がいて、そのまた両親がい て、そのまたずーっと御先祖様がいてここにいるわけで。その時代時代のことが、今の現 実社会に投影されとるわけです。それをしることで、今我々はどう生活するかを学ぶ。そ れが古事記を学ぶことであり、国史を勉強することと思っていただければいいんじゃない かなと思います。 古事記は一挙に編纂されてますが、内容は非常に深くて、いわゆる神様のことが書かれて いるのですが、編纂されるまでに過去の部族の対立とか、殺しあいの歴史もあったはずな のに、そういうことは書かれていない。神様の働きのもとに、日本はこういう風に作られ たとしか記録所に残っていないわけです。残してないというべきか。だから、いまは古事 記は歴史書じゃなく、文学書のコーナーにあることが多いですね。国の歴史としては一番 古いものなんですけどね。 そろそろ本文に入りましょうか。こういう話をすると、みんな眠たくなってくる(笑)。 マニアックな話をしていいのか、どうなのか、むずかしかったらゆってくださいね。 古事記は万葉ことばで書かれてます、全部、今祝詞もそうです。 天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神 産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。 こうかいてます。この読み方だけでもかなりの解説がかいてます。本居宣長の古事記伝と か、その後に古事記を研究した方々によってこの読み方もそれぞれ違う。どれが正しいの かというのもわからないわけです。 ま、ここにかかれているように、天地がはじめて始まった時に、高天原におできになった 神は「あめのみなかぬし」とかかれています。 初は始まるの意味。世界神話の世界の始まりは天地が二つにわかれた過程から始まることがおお いですね。 天地が初めておこると、火山活動が活発でどろどろしてる状態。そのときできた神様が「あめのみな
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