陽気ぐらし 団参 教祖百三十年祭 【第3回】 立教 178 年(平成 27 年) 5 月 31 日(日) 斯道会別席団参 〈別席の誓い及び別席受付時間〉 別席の誓い 8:00 〜 16:00 ※初めて別席を運ばれる方は、「別席の誓い」の前に、 本島詰所で「初席前のお話」があります 別席受付時間 午前席 8:00 〜 9:30 午後席 12:00 〜13:30 記念講演 10:00 〜 11:00 おつとめ 12:00 〜 12:15 第二食堂 東礼拝場 昼食は 11:00 ~ 13:00 本部食堂 参加御供:ひとり 500 円(高校生以上) ※教会ごとまとめて大教会へお届けください 〈陽気ぐらし団参について〉 「記念講演」は本島大教会【陽気ぐらし団参】の行事です。 「おつとめ」は定時のおつとめです。当日は大勢の参拝者が見込 まれますので、東礼拝場に入りきれないときは他の礼拝場にて ご参拝ください。おつとめ終了後、その場で解散となります。 「参加票」は事前にご記入の上、当日の受付箱へご投函下さい。 (別席場、第二食堂、東礼拝場、本島詰所などに係員がいます。 ) 「斯道会別席団参バッチ」は所属教会または大教会でお求め下さい。 天理教本島大教会 しどうかい 斯道会とは おやさまお一人から始まったたすけ一条の道は、八方に広がりました。 ふかやげんじろう その一つ、京都の深谷源次郎は、おやさまの陽気な教えに魅了され入信しました。そして明 てっさい 治 15 年春、鍛冶仕事のさなか、真っ赤に灼熱した鉄滓が源次郎の右眼に飛び込んで激痛が走り、 あわや失明のところを不思議な全快のご守護を頂かれました。 「この神様のためなら、身命を捧げて」と盤石の信仰信念が定まった源次郎は、それから「結 構源さん」と呼ばれるほど、なにがあっても親神様のご守護と信じ、喜びを見いだして、陽気 ぐらしへの道を徹底して歩まれました。 そして導かれた人々が、病気に悩み事情に苦しむ人々に声をかけ、たすかりを願って誠真実 をつくし、おぢばがえりしてご守護いただかれ、さらに人たすけへ転換していきました。 明治 17 年 3 月上旬、深谷源次郎はおぢばに帰り、 しどうかい 「さあ/\/\真実受け取った、受け取った。斯道会の種は、さあ/\今日より さあ/\埋んだ。さあ/\これからどれだけ大きなるとも分からん。 」 (稿本天理教教祖伝逸話篇・一四一「ふしから芽が切る」より) とのお言葉を教祖より頂戴し、斯道会講結びのお許しをいただきました。 その後明治 22 年「神道天理教会河原町分教会所」として地方庁に認可され、さらに明治 41 年 11 月 27 日、天理教が一派独立した後は「河原町大教会」となり今日にいたっています。 こしのくに 本島の道は明治 29 年 1 月、越乃國支教会布教師である佐藤栄佐が本島に立ち寄り布教したこ とに始まり、明治 35 年本島布教所設立のお許しをいただきました(初代所長は高橋直秀・越乃 よしぞう 國支教会長が兼務)。なお、このとき設立に中心的な役割を担った片山好造(後の 2 代会長)は しゅうせんかた 斯道会講社第三〇八六号の周旋方(講社の役員)に名を連ねています。 昭和 6 年越乃國分教会が河原町大教会より分離昇格したのに続いて、昭和 15 年本島分教会は 越乃國大教会より分離し、大教会に昇格しました。 斯道会(河原町大教会)から生まれた大教会は、本島を含め 36 教会(直属分教会 1 ヶ所を含 む)あり、分教会数は 3600 有余に達し、まさに大木のように、道が私達につながっています。 「斯道会別席団参」とは、教祖 130 年祭に向かう年祭活動の仕上 げの年にふさわしい成人へとおた すけの実践を誓い、教祖にお喜び 東中央 京城 頂くための競い合いをもって大い にその意気を高め、おたすけの成 那美岐 席者を目指しています。 ぜひこの旬に、周囲の方に声を かけ、おぢばがえりと別席にお連 れさせて頂きましょう。 朝倉 北洋 筑紫 西陣 越乃國 鎭西 西海 大垣 山國 名古屋 東濃 蒲生 都賀 秦野 小南部 日光 甲賀 日野 網走 湖東 中野 中根 河原町 言葉に、本島大教会は 600 名の別 本島 大原 岐美 果につなげていこうというもの。 「別席場をいっぱいに」を合い 亀岡 鹿島 秩父 斯道会 佐野原 水口 嶽東 沼津
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