国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業研究の方略

第 64 回全国社会科教育学会
シンポジウム
2015.10.10
国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業研究の方略
松岡
1
靖(京都女子大学)
はじめに
本シンポジウムで示された課題は,「社会科教育研究者及び実践者は,どの
ように学習指導要領とかかわり,どのように国家と向きあっていけばよいのだ
ろうか。」である。この課題に基づき,本シンポジウムで取り上げたい問題とし
て次の三点がある。
第一は,国家と社会科教育学の関係性の問題である。
社会科教育学が学として存在するなら,国家からの独立していることが条件
となる。つまり,専門家としての研究者は,国家から独立していることがその
要件であり,国家を相対化し批判対象としても独立性は守られなければならな
い。他方,社会科教育実践の中心となる教員は,国家機能の一部である教育行
政の一員であり,国家の教育観が反映された学習指導要領を順守することが義
務付けられている。これらの国家に対する独立と従属の相反する基本的立場の
相違が,今日的状況の中でより同質化され,研究と実践領域の曖昧さを導き,
学の主体は何であるのか,当事者間の不信を増幅させている。
第二は,社会科教育研究者と国家(学習指導要領)の関係性の問題である。
社会科教育学は,本来,「学習指導要領の拘束から脱却すること」を学とし
て存在する根拠理由としてきた(市川,1970)。しかし,新自由主義に基づく
成果主義が大学に適応されることで教育学研究の独立性が危機に瀕している。
つまり,教員養成を主とする大学にとっては,教育学研究より教員養成におけ
る成果が目的化され,例えば,社会科教育学の蓄積された理論体系より学習指
導要領を確実に習得させることを優先する教員も存在する。このような国家権
力の代弁者としての研究者と従来からの研究者との間で,教育研究の在り方に
ついて,埋め難い溝を生じさせている。
第三は,社会科教育実践者と国家(学習指導要領)の関係性の問題である。
学習指導要領の法的拘束性と成果主義が結びつくことで,教育現場に対する
行政的関与が強まり,教育現場に画一化と横並びの意識を生み,教員自らが独
自の社会科教育観に基づく授業を開発,実践しようとする意義を見いだせない
状況を生じさせている。このことは,学習指導要領に準拠した教科書をいかに
効率よく理解させるのかが,授業構成上の中心課題となり,教師が教科書に基
づく常識的な見解しか示せないことで,学習者にとっては社会科授業で学ぶ意
味と意義を見出せない問題を生じさせている。
以上の三点の問題は複雑に絡み合いながら,社会科教育研究の現実的状況を
示している。
本発表では,特に第三の問題に焦点づけ,国家(学習指導要領)に依拠した
社会科授業研究の方略について提言することを目的とする。なぜなら,この現
実的状況は,国家権力による研究・実践への関与の肥大化により,今後更に拡
大することが予想されるからである。その場合,研究として学習指導要領に基
づく立場を否定することは容易であるが,実践的立場から言えば,その選択は
実践者の社会科教育研究の遊離を招くと思われる。
したがって,次の手順で論を展開していく。最初に,我々が向き合うべき国
家観について検討した上で,国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業につ
いて定義づけ,課題を明らかにする。次に,教科書メディアとしての限界性を
示した上で,学習指導要領に準拠した教科書活用の視点を明らかにし,教科書
を活用した授業構成について論じる。そして,実践研究の観点から,授業評価
の在り方について検討した上で,国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業
研究の方略について提言する。
2
国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業
(1)国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業とは
多くの国家観は大別すれば二つに分類される。一つは,「人為的国家観」で
あり,他方は「自然的国家観」であるとする(慶野,1994)。
前者は,国家の本質を人為的権力による権力組織,また,利益共同体等の人
為的なものとして,後者は,文化,伝統を共有する自然共同体として見なして
いる。本シンポで示された「どのように国家と向き合うべきか」の問いは,権
力組織としての人為的国家とどう向き合うべきかであり,学習指導要領は,そ
のような権力作用の一部として位置付けられる。そして,教育行政の一員であ
る教師は, 1958 年以降,学習指導要領が法的拘束力を持ち,近年の行政的指
導性が高まる中で,より遵守することが求められるのである。
このように,国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業を,「国家権力に
従属し,学習指導要領を絶対視する社会科授業」と定義づけよう。
偽政者が構成する行政の一員として国家に従属し,権力作用としての学習指
導要領から逸脱できない教師が成す授業であり,そのような授業は,現状の教
師文化によって形成されているのである。
(2)教師文化論に基づく本質的課題
教師文化に関して,佐藤(1994)は,これまでの我が国において模索されて
きた教師像の類型と照合させ,
「公僕としての教師」
「労働者としての教師」
「技
術的熟達者としての教師」
「反省的実践家としての教師」の4点でまとめ,これ
らの型を,
「官僚化」対「民主化」と「専門職化」対「脱専門職化」の2つの軸
で捉えている。「官僚化」を国家志向,「民主化」を子ども志向と解釈すれば,
次の座標平面上に示すことができる。
官僚化(国家志向)
公僕としての教師
技術的熟達者としての教師
(教育行政の文化)
(教育センターや大学の教師
教育の文化)
脱専門職化
専門職化
労働者としての教師
反省的実践家としての教師
(教員組合の文化)
(自主的研修やインフォーマル
な研究会を基礎とした文化)
民主化(子ども志向)
図1
佐藤学「教師文化の構造」に基づき筆者作成
佐藤によれば,図1の型のうち「公僕としての教師」が現行の教師の支配的
文化であることを指摘している。本稿で示した学習指導要領を絶対視する教師
は,
「公僕としての教師」として位置づくであろう。つまり,官僚的(国家志向)
であり,脱専門職化を標榜する教師となる。
実際,これまで多くの実践研究が,社会科授業改善の手だてを明示しながら
も,現実的には汎用性に乏しかった。それは,研究的に一般化が図れないとい
った問題より,むしろ,現実の社会科授業を成す教師の多数が「公僕としての
教師」として位置づいているからである。つまり,学習指導要領に基づかない
授業を認めず,かつ,社会科教師としての専門性を求めていないのである。戦
前,そして,戦後の民主教育の花形教科であった時期に盛んであった,インフ
ォーマルな民間研究団体による自主的研修が衰退し,教職研修の制度化を基盤
とした官制研修が中心となっている今日,新たな内容開発研究は,個別事例に
留まざるを得ない状況を生じさている。しかし,公僕として学習指導要領を遵
守するだけの教育は,官僚機構に依存し,教師の実践的課題は,目の前の子ど
もより国の代弁者である教育委員会等の権力機構に目が向きがちである。佐藤
が指摘しているように,
「公僕としての教師」等をいかに民主的で専門的な「反
省的実践家としての教師」に転換させるための手立てを示せるのかが,実践上
の本質的課題であり,今日の状況の中で,どのような方略があるのか検討する
ことだと考える。
しかし,現状は,教育委員会の指導性の増大,教師の多忙化,地域・家庭の
変容,子ども時代の喪失など,学習指導要領に依存せざるを得ない状況が多岐
にわたる。現実的には,現状を踏まえた上で,学習指導要領に依拠した社会科
授業を研究的に意義づけるために,どのように改善を図ればよいか,その方略
を示すことが重要だと考える。
学習指導要領を絶対視する授業の中心的課題は,次の二点である。
第一は,学習指導要領に準拠した教科書も絶対視されることである。
学習指導要領の拘束性の高まりから,その具体的事例を示した教科書使用の
圧力も高まり,教科書内容を漏らさず教える授業が求められる。このような授
業では,教師の学習対象に関する内容的検討が不十分となり,学習者にとって
学習する意味を感じられない授業に陥りやすい。
第二は,学習指導要領に書かれている内容が批判対象とならないことで,研
究的意義を示し難い点である。
授業で明らかにすべき問題の根拠理由が学習指導要領となれば,問題の本質
が曖昧となり,授業研究としては不十分と見なされる場合が生じるであろう。
以上の課題は,前者が,社会科授業に対する実践的課題,後者が,実践者が
授業研究として意義づけるための課題と見なすことができよう。
では,教科書を絶対視することの何が問題であり,どのように改善を図れば
よいのか,また,どのようにして,実践的な研究の意義を示せばよいのか,次
に示していく。
3 教科書を相対化する社会科授業
教科書を絶対視せず,相対化する授業とは,教科書メディアの限界性を踏ま
えた上で,教科書活用の視点を明確化し,教科書を相対化した授業構成を図る
ことである。
これまでの教科書研究に関して,藤瀬(2014)は,従来の教科書活用研究を整
理し,教科書の有効活用を目指す教育臨床学的な研究,
「教科書を教える授業と
教科書で教える授業とは何がどう異なるのか」という一般教授学的な問いを社
会科教育の文脈に即して解明する応用教授学的な研究に分類し,自らの研究に
ついて,教科書を教育内容とするだけでは国家・社会の形成者の育成が難しい
ことを教師に自覚させることを目指す「批判的教科書活用論」といった社会科
教育特有の教科書活用法を提起している。この論に基づく授業では,教科書の
考える学習課題を「予想」
「探求」
「「吟味」させる過程を通して,教科書記述を
多様な解釈に過ぎない相対的真理として学習させることを可能としている。
本発表では,内容的解釈を授業者に依存させるのではなく,教科書メディア
として特質から,実在する教科書内容に依存しながら,その活用視点を明らか
にした相対的な活用方略を提起する。なぜなら,教科書内容を絶対視している
教師にとって,内容を批判的に検討することは容易ではなく,教科書の活用場
面の明確化を図ることで授業改善につなげる方が適当だと考えるからである。
最初に,教科書のメディア論的位置づけを示しておこう。
教科書は,情報を媒介
するメディアである。レ
執筆者
ン・マスターマンが,
「メ
ディアは社会的に構成し
たものである」ことを明
らかにした(藤井,2007)
ように,メディアが示す
教科書紙面
教科書記述
教科書無償化制度
メッセージには社会的,
教科書
経済的,政治的文脈を含
社 会的( 経 済 的 ・ 政治 的 ) 背景
(1)教科書のメディア論的位置づけ
んでいる。つまり,無垢
で何の影響も受けないメ
ッセージは存在しないの
である。この意味から,
学習者
図2
教科書のメディア論的位置づけ
教科書メディアが情報に介在し意味を与えるのであり,そのメディア自体に社
会的(経済的・政治的)背景が存在する。このような教科書メディアを構造的
に表せば,図2のようになる。
教科書執筆者からの情報は,教科書紙面として構成される段階で,形式的・
構造的影響を受ける。また,教科書として学習者に届く段階で制度的影響を受
ける。そして,教科書メディア自体,教科書検定制度などの社会的(経済的・
政治的)影響から逃れることはできないのである。
(2)教科書メディアの限界性
以上の教科書のメディア論的位置づけに基づき,教科書メディアの限界性に
ついて示しておこう。教科書メディアの限界性は,構造的限界性と内容的限界
性に分かれる。
構造的限界性とは,規定された紙面の中にコンパクトにまとめられなければ
ならないといった紙面構造の限界性であり,情報は単純化されるとともに,学
習材として成立させるために,内容記述中に,追究すべき「問い」と答えがあ
らかじめ用意される,価値内容が一方的に示される等の影響を導いている。
内容的限界性とは,教科書メディアの内容は,教科書執筆者の恣意的選択に
基づき記述され,構成されるといった限界性であり,内容は執筆者が選択した
事例とそのことの情報に基づき構成される。また,教科書検定等の社会的(経
済的・政治的)影響から逃れることができないメディアであり,時の偽政者の
価値解釈が一面的に示される場合も存在するのである。
以上の限界性を踏まえれば,教科書を絶対視し,教科書だけで教えることは,
社会に対する一面的な見方や考え方を学習者に導くことにつながることに気づ
くであろう。実は,学習指導要領に依拠しながら,学習指導要領解説に示され
た「・・・多面的に考えたり,公正に判断したりするなどの態度や能力」を育
成できないのである。では,教科書を使って,どのようにしたら,学習指導要
領に依拠した上で,授業改善につながるのか。本稿では,その答えを教科書活
用の視点から検討していく。
(3)教科書活用の視点
学習指導要領に依拠した授業を論ずるにあたり,今一度,現行の学習指導要
領改訂時の「改善の基本方針」について検討しておこう。
「改善の基本方針」で
は,次のように示されている。
「社会科,地理歴史科,公民科においては,その課題を踏まえ,小学校,中学校及び高等
学校を通じて,社会的事象に関心をもって多面的・多角的に考察し,公正に判断する能力と
態度を養い,社会的な見方や考え方を成長させることを一層重視する方向で改善を図ること
とした。」
(
「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」
中央教育審議会答申,2008 年)
多面的・多角的に考察するとは,「社会的事象を様々な側面(方向)から,
また,様々な立場」から考察することであり,そのことを踏まえた上で,公正
に判断する能力と態度を育成することを求めている。当然,思考は認識と表裏
一体の関係にあるので,社会的事象の持つ多面性を「認識」した上で,多面的・
多角的に考え,学習者が自分なりに,合理的に「判断」できる能力を求めてい
る。このことに基づき,教科書の限界性を踏まえれば,次の三パターンの教科
書活用の視点が想定できる。
第一は,学習(認識)のベースとしての活用である。
第二は,学習(判断)の事例としての活用である。
第三は,学習の比較事例としての活用である。
学習(認識)のベースとしての活用は,教科書メディアは単純化された情報
(常識的な内容)しか示せないといった限界性に対応するために,教科書を学
習のベースとした上で,より多面的・多角的に学習を構成するために,学習内
容の焦点化を図り,他の教材を補完的に位置づける活用となる。
学習(判断)の事例としての活用は,教科書メディアは一面的な価値を示さ
ざるを得ないといった限界性に対応するために,教科書を価値判断の事例とし
て示し,別の価値を示した教材と比較させることで多面的に考え,合理的に価
値「判断」させるための活用である。
学習の比較事例としての活用は,教科書メディアは執筆者による恣意的な事
例選択といった限界性に対して,教師の教材開発に基づく授業の比較事例とし
て位置づけ,より認識の一般化を図るための活用である。
以上の教科書活用の視点に応じて,具体的な教科書活用の方策を次に示して
いく。
(4)教科書を活用した三パターンの社会科授業構成
小学校社会科単元を事例に,教科書活用の授業改善方策を示していく。
<学習(認識)のベースとしての活用>
教科書による概括的
事例に焦点づ
学習
けた学習
図3 認識の焦点化を図る活用
①単元例
「日本の国土の広がりと国土」
②学習指導要領の記載内容
目標(1)「我が国の国土の様子,国土の環境と国民生活との関連について
理解できるようにし,環境の保全や自然災害の防止の重要性について関心を深
め,国土に対する愛情を育てるようにする。」
内容(1)「我が国の国土の自然などの様子について,次のことを地図や地
球儀,資料などを活用して調べ,国土の環境が人々の生活や産業と密接な関連
をもっていることを考えるようにする。
ア
世界の主な大陸と海洋,主な国の名称と位置,我が国の位置と領土」
③教科書の記述内容と課題
小学校社会科教科書(2012)では,「国土の広がりや領土について調べてみ
ましょう」と学習問題が提示され,北端,南端,東端,西端の島々が示され,
国土の領域が概括的に学習されることとなっている。
しかし,このような学習だけでは,記述された知識を表面的に覚える学習に
陥り,国土領域の背景にある多様な社会の姿を学習者が考えることはできない。
教科書の基本的な認識をベースにしながら,教師自身の意図に応じて,例えば,
領土問題を考えさせたいなら北方領土である択捉島に焦点づけたり,また,排
他的経済水域における問題を考えさせたいなら沖の鳥島に焦点づけたりするこ
とで,領土に対する多面的・多角的な見方・考え方を育成することが重要であ
る。そこで,実際に,沖の鳥島に焦点づけるなら,次のような学習展開が考え
られる。
④改善を図る授業構成
<学習展開>
展開
導入
学習内容
教科書の記述内容を活用して,日本の範囲につ
いて概括的に理解する。日本の南端である沖の鳥
教材
教科書
沖の鳥島の写真
島に焦点づけ,沖の鳥島の情報を示し,学習問題
を成立させる。
「沖の鳥島は,島ですか,岩ですか」
展開 1
沖の鳥島について調べ,沖の鳥島が島か岩か, 沖の鳥島の資料
その理由を明らかにする。
展開2
沖の鳥島保全の事実から,沖の鳥島を保全する活
動の背景を考える。
保全活動の資料
「なぜ,沖の鳥島を守るために,たくさんのお金
をかけるのでしょうか?」
まとめ
沖の鳥島を保全する活動とそれに従事する
人々の背景にある,鉱物資源と海洋資源確保の点
から,排他的経済水域を守る意義や「沖の鳥島は
島ではない」と主張する国々との国際的な関係等
について意見をまとめる。
教科書の知識内容をベースにしながら,焦点づけることで,より多様な社会
的見方・考え方を学ぶ授業が構成できる
<学習(判断)の事例としての活用>
副教材による対
教科書による常
立する価値
識的価値
図4 多面的な価値判断を図る活用
①単元例
「広島市のごみ分別問題」
②学習指導要領の記載内容
目標(1)「地域の産業や消費生活の様子,人々の健康な生活や良好な生活
環境及び安全を守るための諸活動について理解できるようにし,地域社会の一
員としての自覚をもつようにする。」
内容(3)「地域の人々の生活にとって必要な飲料水,電気,ガスの確保や
廃棄物の処理について,次のことを見学,調査したり資料を活用したりして調
べ,これらの対策や事業は地域の人々の健康な生活や良好な生活環境の維持と
向上に役立っていることを考えるようにする。
ア
飲料水,電気,ガスの確保や廃棄物の処理と自分たちの生活や産業との
かかわり
イ
これらの対策や事業は計画的,協力的に進められていること。」
③教科書(副読本)の記述内容と課題
広島市の副読本(2012)では,広島市のゴミの量の変化を例として示し,分
別されたゴミのゆくえを紹介し,ゴミ分別はいいことだといった価値内容を示
している。
しかし,このような学習では,ゴミ分別の背景にある循環型社会の仕組みが
学習されず,ゴミ分別に対する一面的な見方しか示されない。このような常識
的な価値を注入するのではなく,他の価値内容と比較させることで,多面的・
多角的な見方を育成する授業に改善することが大切である。教科書が示す価値
を問い直す学習は次のような展開が考えられる。
④改善を図る授業構成
<学習展開>
展開
学習内容
教材
導入
児童のゴミ分別の経験について意見交流し,広島
副読本
市の8種類分別について調べる。
広島市のゴミ排
「なぜ,広島市では人口が増えているのに,ゴミ
出量グラフ
を出す量は減っているのだろうか?」
展開 1
教科書に基づき,分別されたゴミの行方を調べ, 循環型社会構造
循環型社会としてまとめる。
図
「ゴミ分別は大切ですか?」
展開2
ゴミ分別は必要ないことを主張するTV番組を
TV 番組ビデオ
視聴し,ゴミ分別が無駄なのは本当かどうか,広
島市のゴミ分別について更に調べる。
「ゴミ分別が無駄なのは本当だろうか?」
まとめ
広島市のゴミ分別の問題点を明らかにし,これか ゴミ分別に対す
らの広島市のゴミ分別について対策を考える。
る市民の意識ビ
「ゴミ分別の種類数はどうしたらいいですか。ま デオ
た,市民のゴミ分別の意識を高めるには,どんな
対策が考えられますか」
教科書が示しているゴミ分別が大切だといった一面的で常識的な価値を問
い直す学習が構成できる。
<学習の比較事例としての活用>
教科書
の選択
事例
開発教
材によ
る事例
認識の一般化
図5 認識の一般化を図る活用
①単元例
「日本の自動車産業」
②学習指導要領の記載内容
目標(2)「我が国の産業の様子,産業と国民生活との関連について理解で
きるようにし,我が国の産業の発展や社会の情報化の進展に関心をもつように
する。」
内容(3)「我が国の工業生産について,次のことを調査したり地図や地球
儀,資料などを活用したりして調べ,それらは国民生活を支える重要な役割を
果たしていることを考えるようにする。
ア
様々な工業製品が国民生活を支えていること。
イ
我が国の各種の工業生産や工業地域の分布など
ウ
工業生産に従事している人々の工夫や努力,工業生産を支える貿易や運
輸などの働き」
③教科書の記述内容と課題
教科書では,工業製品の分類の後,トヨタ自動車を事例として示し,生産過
程と運輸の働きを学習した上で,社会的ニーズに応じた自動車づくりの事例が
示されている。例えば,第五学年単元「マツダ自動車」を工業学習の事例とし
て開発した場合,地域の産業であるマツダが,全体の自動車産業の典型事例と
して示されて良いのかといった課題が残る。しかし,地域の身近な産業を取り
上げることで,子どもたちの興味関心を引き出しながら授業構成が可能となる。
したがって,実際に「マツダ自動車」を取り上げるなら,教科書に示されてい
る「トヨタ自動車」の生産の工夫と比較させ,同様な工夫がなされている点や
社会的ニーズに応じた生産の工夫(リサイクル品・資源の有効利用・地球環境
のための向上の工夫)や世界で売れる車を目指した車作り(外国の気候に合わ
せた車作り・世界標準の車作り)等について気づかせ,それらを比較し,関連
付けてまとめることで,自動車産業全体の仕組みとして捉えさせることが可能
になる。
④改善を図る授業構成
展開
学習内容
教材
導入
身近な工業製品について意見交流し,製造業の
教科書
出荷グラフから機械工業の中でも自動車工業
アンケートプリ
に注目し,自分の家の自動車がどんな理由で買
ント
われているのか調べる。
「家ではどんな車が,どんな理由で買われてい
ますか」(消費者ニーズ)
展開 1
広島での自動車の販売数から,広島でマツダが
販売台数グラフ
売れる理由を調べる。
「なぜ,日本で 4 位のメーカーであるマツダが,
広島では 2 位なのだろうか?」
展開2
マツダ自動車の生産の工夫と教科書のトヨタ
教科書
自動車の生産の工夫を比較し,消費者ニーズ, マツダ自動車資
社会的ニーズ,世界で売れる車づくりの点か
料
ら,自動車生産全体の仕組みとして構造的にま
とめる。
「マツダやトヨタは多種多様な車をたくさん
売るために,どんな工夫をして生産しているの
だろうか?」
展開3
10 年後の社会を予測し,未来の車をデザインし
交流する。
まとめ
自動車生産の特徴から,製造業全体の特徴を考
え,構造的にまとめる。
マツダ自動車だけでなく,教科書に示しているトヨタ自動車など,他の自動
車工業についても比較させることで,自動車産業全体の仕組みとして一般化を
図ることができる。
*その他,教科書メディアは社会的影響から逃れることができないといった限
界性に対応するために,限定的な単元ではあるが,新旧の教科書を比較し,
その影響について,学習者が自分なりにその政治性について考えさせる活用
も可能である。
4
実践研究としての社会科授業評価
学習指導要領を絶対視する授業において,「どのようにして実践的な研究の
意義を示せばよいのか」といった問いに対して,何が課題であり,どのような
研究的価値を示すことができるのか検討しよう。
授業実践は,授業者の授業理論を検証する場である。授業者の持っている授
業仮説は授業実践を通して検証され,次の授業にフィードバックされる。しか
し,授業理論の根拠が絶対視された学習指導要領であるなら,その根拠を問う
ことは難しくなり,批判可能性はないに等しくなるのである。
このような授業に関して研究的意義を示すには,授業実践内容を対象とする
だけでなく,実践を構成する「状況」を対象とした研究課題を設定することが
適しているのではないか。なぜなら,授業は特有の「状況」の中で実践され,
そのような「状況」を省察できるのは,実践者だけだからである。したがって,
社会科授業実践を構成する多様な「状況」に関して検討していきたい。
(1)社会科授業を構成する多様な「状況」
今日的「状況」と研究の関係性を問い,多様な「状況」における社会科授業
研究の必要性を示したのは,吉川(2014)である。吉川は,地域・学校の多様化,
学習環境の多様化,子どもの多様化,教師の多様化といった「4 つの多様化」
が今日の社会科教育の場を揺さぶる動きとして示した上で,
「一般的な学校の普
通の環境で,標準的な子どもを平均的な教師が行う社会科の授業」を想定した
研究は,現実対応の困難な事態に陥ってしまうことを指摘し,
「状況」に対応し
た「応用研究」といった研究パラダイムを再構築する可能性について言及して
いる。
このことに基づけば,
「4 つの多様化」が構成する「状況」に応じて,その「状
況」が,社会科授業研究の何にどのように関与するのか明らかにすることが課
題となる。しかし,例えば,学習環境が多様化し ICT 環境が整備された「状況」
の中でも,また,都市部と農村部の子どもの生活環境が異なる「状況」の中で
も,教師が子どもに教材を通して教えるといった授業の基本形態は,授業と名
がつく限り変わらない。
問題は,様々な「状況」が影響する授業実践の多様な「状況」を特定した上
で,どのような要因が子どもの変容をもたらしたのか明らかにすることだと考
える。
これまで社会認識の成長を計る評価要素は,授業者の発問等の指導技術と教
材といった教授学習システムの基本的要素に限定させることで,社会科授業研
究の科学化に寄与してきた。しかし,多様な「状況」の中で,本当にその発言
内容が,また,ノート記述内容等が,発問と教材等によってもたらされている
のか,問い直すことが必要ではないだろうか。
(2)多様な「状況」に応じた評価要素
では,様々な「状況」が影響を与える授業実践の多様な「状況」とはなにか。
このことに関連して,佐藤(1998)によるとシュワブが「実践的様式」におけ
る課題領域を「教師」「子ども」「教材」「環境」の 4 つの要素のマトリックス
で明らかにし,2つの要素だけのマトリックスでも合計10の課題領域が成立
することを示している(図6)。
教師
教師
子ども
教材
環境
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
子ども
教材
環境
⑩
図6
佐藤の課題領域の図に基づき筆者作成
これらの課題領域は,教師・子ども・教材・環境といった授業成立に影響す
る要素間の関係性を課題領域として示しているのであり,授業実践に影響を与
える「状況」と見なすことができるであろう。先に示した「4 つの多様化」に
関して検討すると次の通りになる。
例えば,地域・学校の多様化による学校ごとに授業が個別化せざるを得ない
「状況」は,教師がその地域特有の教材を準備し授業するといった,教師と教
材の関係性等に影響を与える。また,学習環境の多様化に伴う ICT の環境整備
等の「状況」は,子どものコンピュータ・リテラシーといった子どもと教材の
関係性等に影響を与えている。更に,子どもの多様化による学習経験の差異が
深まる状況は,子ども相互の人間関係等に影響を与えるであり,教師の多様化
に伴う教師の発達段階の差異は,教師の子ども理解の深さといった教師と子ど
もの関係性に影響を与えるのである。
つまり,
「教師」
「子ども」
「教材」
「環境」の 4 つの要素間の関係性といった
「状況」が,授業実践に影響を与えるのであり,佐藤(1998)は,10の課題
領域に関して,次の具体的な課題が成立することを例示している。
<①教師・教師>=教師の専門技術,教師のアイデンティティ,教師のライ
フヒストリー,など
<②教師・子ども>=教師と子どもの関係,教師の子ども理解,子どもの教
師理解,など
<③教師・教材>=教師の教材観,教師の教育内容の理解,など
<④教師・環境>=教室環境の構成,教具の選択と準備,教科書や黒板や視
聴覚機器の活用など
<⑤子ども・子ども>=子どものアイデンティティ,子どもの人間関係,子
どもの身体と言葉,ジェンダーなど
<⑥子ども・教材>=認識と表現の内容と方法,認識と表現の個性と多様性
学習の概念など
<⑦子ども・環境>=学習環境のデザイン,学習の社会的文脈,学習資料の
活用など
<⑧教材・教材>=教育内容と教材の構成,教育内容の構造など
<⑨教材・環境>=教科書,教材と教具の準備など
<⑩環境・環境>=教室の文化,教室の空気,教卓や机や椅子の配置,掲示
物と展示物など
したがって,授業の評価要素を限定するのではなく,教師・子ども・教材・
環境といった 4 つの関係性といった「状況」の中で,授業評価を位置づけるこ
とができれば,実践者ならではの「状況」に対応した「応用研究」として意義
づけることが可能になると考える。
5
結論
本発表では,本シンポジウムで示された課題に対して,実践的な立場から,
社会科教育実践者と国家(学習指導要領)の関係性の問題を取り上げ,国家(学
習指導要領)に依拠した社会科授業研究の方略について提言することを目的と
した。最初に,国家(学習指導要領)に依拠した社会科授業とは,
「国家権力に
従属し,学習指導要領を絶対視する社会科授業」であると定義づけた。そして,
そのような授業は,現状の教師文化に応じて形成されていることを示した上で,
学習指導要領に依拠した社会科授業を研究的に意義づけるために,どのように
改善を図ればよいか,その方略を示すことが重要だと問題提起し,学習指導要
領を絶対視する授業の中心的課題として,次の二点示した。
第一は,学習指導要領に準拠した教科書も絶対視されることである。
第二は,学習指導要領に書かれている内容が批判対象とならないことで,研
究的意義を示し難い点である。
第一の課題に対しては,教科書を相対化する社会科授業として,教科書メデ
ィアの限界性を踏まえた上で,教科書活用の視点を明確化し,教科書を相対化
する授業構成を図る方略を具体的に示した。第二の課題に対しては,実践を構
成する「状況」を対象とした研究課題を設定することが,実践者ならではの研
究的意義につながることを指摘した上で,「教師」「子ども」「教材」「環境」の
4 つの要素間の関係性といった「状況」の中で,授業評価を位置づける可能性
について言及した。しかし,具体的な評価場面を示すことができなかったこと
が,課題として残った。
以上の検討から,次のことが指摘できるであろう。実践者は国家(学習指導
要領)の束縛から離れることはできない。しかし,学習指導要領に依拠しなが
らも,教科書活用の視点から教科書を相対化することで,何のために何を子ど
もたちに教えたいのか,授業構成を省察することにつながるであろう。また,
授業研究を多様な「状況」の中で評価する視点を持つことは,子どもたちの成
長過程を省察する機会を生むことが期待できるのである。
したがって,実践者が国家と向き合うとは,国家に依存するのではなく,国
家・社会の形成者の一員として,子どもたちの成長に目を向けることであり,
眼前の子どもたちの成長に責任を持つことではないだろうか。
<参考・引用文献>
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版局,pp.18-23.
・佐伯啓思(2001):『国家についての考察』飛鳥新社,321 頁。
・佐藤学(1996):『教育方法学』岩波書店,pp.141-142.
・同上,pp.58-59.
・藤瀬泰司(2014)
:
「批判的教科書活用論に基づく社会科授業づくりの方法―
教育内容開発研究に取り組む教師文化の熟成―」『社会科研究』第 80 号,
pp.21-32.
・藤井玲子(2007)
:
「市民教育としてのメディア・リテラシー―イギリスの中
等教育における学びを手がかりに―」『立命館産業社会論集』第42巻第4
号.
・水野博介(1998):『メディア・コミュニケーションの理論―構造と機能―』
学文社,200 頁。
・松岡靖(2014)
:
「教科書に基づく社会科授業改善の方略」
『学校教育』第 1158
号.
・吉川幸男(2014)
:
「学校の今日的状況と社会科授業の研究~シンポジウムの
趣旨とまとめ~」『社会科研究』第 80 号,pp.1-8.
・東京書籍(2012):『新しい社会5上・下』
・広島市小学校社会科教育研究会編(2012)
:
『わたしたちの広島市3・4年』.