第五章:来て・見て・寄って「さがみはら」

第五章:来て・見て・寄って「さがみはら」
「現状:観光目玉のない都市・さがみはら」
21 世紀の日本は人口減少の時代になるのが確実な中、観光振興や企業誘致による地域外
から人や資金を集めることが重要になってきます。何もしなければこの相模原市でさえも少子
高齢化による人口減少や都心回帰などにより人口流出、あっという間に衰退してしまいます。
【相模の大凧】
【桜まつり】
それでは相模原の観光には何があるでしょう。
市民桜まつり、相模の大凧、上溝の夏祭り、東林
間サマーわぁ!ニバルなどがあります。しかし観
光で歴史的な経緯で出来たものは少なく全体と
してパンチが薄い印象は否めません。
(1)地域を知ることによる観光振興
■戦争遺跡の活用による町おこし
相模原市は最大の観光目玉になりうる材料を死蔵させています。それは市内に残る旧日本
陸軍の施設跡です。相模原市も他地域からの移ってきた方も増え、自らの住む場所がどんな歴
史を持っているか知らない方も増えており残念です。「海軍と言えば江田島」ということは知られ
ていますが、それでは「陸軍は?」「行幸道路の由来は?」と言う問いに何人が答えられるでしょう。
相模原市は 1937 年(昭和 12 年)に陸軍士官学校が今のキャンプ座間に設置以来「相模原
軍都計画」で軍事施設を建設、市街地も計画的に整備されました。戦後米軍基地として施設を
接収、順次返還後も相模総合補給廠・米軍住宅・キャンプ座間は今なお基地として残っています。
子供たちも学校の郷土史で学んでいるでしょうが両親からも地域の歴史を教える。それに
加えてアジアに遺棄された旧日本軍の兵器も譲渡してもらい市立博物館にて展示、観光資源
に活用する。全国に「さがみはら」の名前をとどろかすツールにしたいと考えます。
■セカンドスクールによる津久井経済活性化
武蔵野市(東京都)では夏休みに小学 5 年・中学 1 年生に対し農山漁村に 1 週間滞在するセカ
ンドスクールを実施しています。普段とは異なる暮らしに触れ、体験し心豊かにするのが狙いです。
これを相模原市内の公立小・中学校でも実施したらどうでしょう、行き先は津久井。津久井の
山や湖を中心とした暮らしを短期間ではありますが体験させ貴重な経験を積むと共に子供たち
に津久井との一体感を意識させる効果もあると思います。(津久井の子供たちには湘南など海の
エリアに行ってやはり普段にはない貴重な体験を積んでもらいます)
他の効用としてセカンドスクールによる観光収入が挙げられます。武蔵野市の例では子供 1
人あたりの費用は 7 万円です。市内の公立小学校の 5 年生は約 6 千人、中学 1 年生は 5 千人。
両方合計で 1.1 万人の子供たちは旧津久井 4 町に散らばり
7.7 億円もの観光収入を毎年もたらします。表 1 でわかるように
【表 1:平成 17 年観光客数】
旧城山町における 2007 年一年間の宿泊客数が 1.5 万人です
から 1.1 万人の子供たちのもたらす経済効果は大きいでしょう。
■大学誘致の効用
2003 年青山学院大学が厚木から淵野辺に移転しましたが
学生数は約 1 万人。うち 2 割の 2 千人が市内に下宿と仮定。
月間の生活費は親の仕送り 10 万円、アルバイト代 5 万円の
15 万円、12 ヶ月で年間 36 億円。全て市内消費ではなくても
大きな消費購買力がある。そこで利用者数は少ないが広大な
未利用地を抱える JR 相模線沿線に大学誘致をはかりたい。
地域
相模原市
城山町
津久井町
相模湖町
種別
人数
宿泊
-
日帰り
3,628,000
合計
3,628,000
宿泊
15,000
日帰り
5,730
合計
20,730
宿泊
97,000
日帰り
829,000
合計
926,000
宿泊
57,000
日帰り
508,000
少子化により学生の就職活動やアルバイト先確保、通学に
合計
565,000
便利ということで大学の都心回帰が目立ちます。都心の大学は
宿泊
44,000
校舎が老朽化したり手狭になっても郊外移転せず高層ビル型
藤野町
日帰り
537,000
キャンパスにして都心を離れません。郊外移転すると入学希望
合計
581,000
者数が減るのです。首都圏でも不便なキャンパスは敬遠される
参考:神奈川県入込観光客調査報告書
傾向にあり、そこを誘致するのですから優遇税制のセットが不
可欠です。ターゲットは地方にあるが入学希望者減少で首都圏移転を考えている大学です。
(2)サブカルチャーによる商業振興
■オタク文化は「さがみはら」を救う!?
昔は電気店でにぎわった秋葉原も最近はオタク文化、サブカル
チャーに興味がある人達の「聖地」になっております。野村総研で
はサブカルチャー文化は 3,900 億円の市場規模と推測。そのオタク
文化を活用、相模大野商店街活性化の起爆剤としたい。
2002 年 10 月に小田急線西側再開発事業で核となる高島屋が
進出を撤回して以降、地元の方々の努力にもかかわらず有効な対策が見出せておりません。
元気な商店街として参考となるのは中野区にある「中野ブロードウェイ」。1966 年(昭和 41 年)
に出来た商店街でしたが普通でした。そこに 1980 年古本買取の「まんだらけ」が進出。
その後、商店街の店が次々廃業する度にそこに新規出店、今やコスプレ、アニメ本、アイドル
グッズなどの店が並び週末には多くの若者でにぎわいます。普通の品物を売る商店も相乗効果
で売上も増加、街全体が活気に満ちています。相模大野は小田急線で都心に 50 分、駅から伊勢
丹まで大型アーケードがあり小規模な商店が多く立ち並び、若者も多く条件は揃っております。
「やる気」と「アイデア」があれば「新交通システム」がなくても相模大野は大きく変われるのです。
★観光サバイバルプラン
1)戦争遺跡・セカンドスクールによる観光振興
2)大学誘致及びオタク文化活用により商業活性化をはかる