(元の話)山のぬしと煮た笹の葉 むかし、里から遠くはなれた山奥で、ナギをして暮らしている一家がありました。大変 貧乏で、この夫婦にとって財産というのは、一人娘と、牛と馬が一頭ずつあるだけでした。 その娘は色の抜けるように白い、美しい娘でした。ふた親はこの娘を大事にして、ナギ へも連れて行かず、娘はいつも家で麻をうんだり、かしき(炊事)をしたりしていました。 山の主がこの娘を見初めました。 「あの娘を嫁にしならん。 」と恐ろしいことを考えました。そして、おそい山桜が咲き乱れ て、静かに散りはじめた頃、山の奥から、この家の方へ出てきました。 そっと百姓家の中をのぞいて見ますと、親たち二人は、里へくだって、娘一人が留守を しています。 「これはまい所(よい所)へ来合わせたわい。」 山の主は喜んで、家の中へ入って、娘をさらっていこうと、すきをねらいました。そし て、娘が向こうむきになった時、勢いよくかけむしろをあげて、中へ入ろうとしました。 「わぁっ。 」 そう悲鳴を上げて山の主はさっと後にさがりました。入り口のまぐさに、煮た笹の葉が さしてあったのです。 「畜生!」 山の主は思わず叫びましたが、その煮た笹の葉が邪魔になって、どうしても中に入るこ とができません。山の主は仕方なく五寸ほどの小蛇に化けました。 「どこか狭い隙間でもありゃ、入れるんじゃが。」 ほうぼう探しましたが、どこにも笹の葉がさしてあります。山の主は仕方なく、娘が外 に出てくるのを待つことにしました。 長い間待ちました。待ちくたびれた山の主は、小蛇の姿のまま蕨の葉の上に乗って、う とうとと眠ってしまいました。 山の主としてはたいへん不覚なことでした。不意の雨かと思うと、それは娘の小用を頭 から浴びていたのでした。山の主は女の不浄にあうと、呪術ができなくなることを忘れて、 娘が小用をたす所の、ワラビの葉の上に寝ていたのです。 「あっ。 」と思いましたが、もう間に合いません。 「しまった。来年の今日まで丸一年、この小蛇の姿のままでいなきゃならんわい。」 山の主は、じだんだふんで、口惜しがりましたが、どうすることもできません。しぶし ぶと、山の奥へ帰っていきました。 「なあに、立夏の日には、まぐさにさした煮た笹の葉を取りかえる日じゃで、その日、す きをみて中へ入ってやるわい。 」 山の主は煮た笹の葉を取りかえる日を知っていましたから、来春まで待つことにしまし た。 一年も過ぎて、立夏の日がきました。山の主は、前年の失敗にこりて、小蛇から、りっ ぱな若者に姿をかえました。そして、飛ぶような勢いで娘の家のほうまで出てきました。 娘の家の近くまで来た山の主は、 「これはまたどうしたことじゃい。 」と驚きました。 この冬は近年にない大雪でした。そのため、雪崩れや、雪解け水に押し流されて、ナギ 畑は荒れほうだい、家も傾きかけています。 夫婦は一生懸命、毎日毎日それをなおしにかかっているのですが、二人の手にはおえそ うもないのです。疲れきった父親が、 「この畑を元どおりにしてくれる者がおったら、おりの大事な娘の婿にするのじゃが。」と 嘆いています。山の主は、 「これはいいことを聞いたわい。 」 喜んだ山の主は、荒れ果てたナギ畑を、見る間に元どおりのりっぱな畑にしました。 そして表から、 「家も畑も元どおりにして進ぜたで、約束どおり娘をくりょ。」とよびたてました。 見ると、立派な若者ですから、これは分に過ぎた婿殿よと、母親は丁寧に申しました。 「むさい所でござんすが、どうぞこちらへ。」 ところが若者は、 「わけがあって家の中へは入れん。」と言います。 ちょうど家の中では火なた(いろり)で、笹の葉をぐつぐつ煮ていたのです。 「それでは、いま笹巻を作ったところです。それでもあがってくださりょ。」 母親は木地盆に笹巻を山盛りにして差し出しました。若者は、 「それは身の毒だから。 」と気味悪そうに、かたく断ります。 母親はそれをきくと、これはおかしい、と疑いをもちました。それで、 「それならお茶なと」と言って、茶の中に笹の煮汁を少し入れて差し出しました。 若者は、一口飲むと、 「きゃっ」と叫ぶと、真黒な一かたまりの雲のようになって、飛んで行ってしまいました。 一家の人たちは驚きながらお互いの、無事を喜びあいました。 それもつかの間のことで、夜になると、奥の谷から恐ろしい響きとともに、山の主がお しよせてきました。そして家の遠くのほうで、 「昼の約束だから、娘をよこせ。 」とわめき立てました。 家の中では娘を中にして震えながら、山の主が昼間家の中へよう入らなかったことを思 い出して、じっとしていました。外では山の主が、いよいよせきたてます。 「家の中に笹の煮汁があっては入れんで、家ぐる(家もろとも)連れて行くぞ。 」 そう叫ぶと家がめりめり音を立て始めました。 母親は娘を片手でしっかり抱きかかえ、 「はよう外へ出にゃ、連れて行かれてしまうぞ。 」と叫びながら、笹の葉の煮たのを娘にか ぶせ、三人で窓から逃げ出して、遠くの丘のかげにかくれました。 そして恐る恐るのぞくと山の主は数丈もある大蛇になって、家を幾巻きにもして、もっ ていってしまいました。連れ出せなかった牛や馬も一緒に行ってしまいました。 牛や馬はこれ以後この災難の元になったワラビを食べぬようになったと伝えられていま す。それから、山小屋では今でも、お茶の中へ笹の葉を二、三枚入れて似ることになって います。それは山の邪気を払う呪だと考えられているのです。 それから、ワラビやぜんまいの葉に坐る蛇は、小さくても恐れるのは、山の魔の化身だ と伝えられているからです。 【参考資料】 ・江馬三枝子. 『日本の民話9美濃・飛騨篇』 .1978 年.
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