第11課 コーパスに基づく文 法研究(二)

コーパス言語学入門
第11課
コーパスに基づく文
法研究(二)
上海外国語大学
毛文偉
いわゆる非対格動詞説の検証
ー意図性という視点から
言語の類型
本稿はいわゆる非対格自動詞説の是非の確認を目的
とする。非対格というのは、もともと言語類型のひと
つであり、欧米のバスク語とエスキモー語がその典型
である。英語においては、自動詞文と他動詞文の主語
は普通同じ格(主格)で示されているが、バスク語と
エスキモー語においては、それと違って、自動詞文の
主語は他動詞文の対象語と同じ格形式で明示されてい
る。言語類型学者は前者を主格(nominative)・対格
(accusative)言語(主格言語)、後者を能格
(ergative)①・絶対格(absolutive)言語(能格言語)
と名づけた。日本語は基本的には主格言語に属する
(図1)。
①「能格」というのは、Burzio1986の用語で、非対格
(unaccusative)とほぼ同じ意味で使われている。
図1
主格言語
太郎が
次郎が
太郎を
主格
対格
能格言語
倒れた
太郎B
対格
倒れた
倒した
次郎A
太郎B
倒した
主格
対応する他動詞では目的語(対格)で表される項が自動詞で
は「対格」を持たずに生成されることから、「非対格自動詞」また
は「能格自動詞」と呼ばれる。一方で、自動詞には動作主を主
語とするものもある。能格自動詞ではないので、「非能格自動
詞」と呼ばれる。
考察の対象
非対格自動詞とは意図を持たず受動的に事象にかか
わる対象を主語に取る自動詞のことであるが、影山
1993は意図性の有無によって、日本語の自動詞は非能
格自動詞(例1)と非対格自動詞(例2)に分けられる
と述べた。
1. 男の子が教室の中で遊んだ/あばれた/叫んだ。
(影山(1993:44)例(1)aを再掲)
2. 木の枝が折れた。(影山(1993:45)例(4)aを再掲)
影山説の問題点
しかし、例3における「暮れる」は非意図的で非対格
自動詞とされているが、その主語の「日」は受動的に
事象にかかわるとは疑わしい。また、「下がる」(例
4、5)、「動く」のような意図的用法と非意図的用法
を両方持つ動詞も少なからず存在し、それを非能格自
動詞とすべきか、あるいは非対格動詞とすべきかは疑
問になる。
3. 日が暮れてきた。(非意図的)
4. ボートは相変らず上がったり、下がったりしていた。
(非意図的)
5. 登美子は傾斜にしたがって右に下がろうとしてい
た。(意図的)
意味役割付与の一貫性の仮説
Baker1988は「項目間で同一の意味関係は、D構
造において同一の構造位置で表出される」という
意味役割付与の一貫性の仮説を提示したが、影山
(1993:46)はそれに基づき、図1を作成し、深層
構造において、主語を目的語位置に生成するのが
非対格自動詞であると述べた。
影山1993 による動詞分類(1)
他動詞
非対格自動詞
VP
VP
NP1
男の
子が
V’
NP1
V’
NP2
V
NP2
V
木の
枝を
折っ
た
木の
枝が
折れ
た
男の子が木の枝を折った。
木の枝が折れた。
影山1993 による動詞分類(2)
他動詞
非能格自動詞
VP
VP
NP1
男の
子が
NP1
V’
NP2
V
木の
枝を
折っ
た
男の子が木の枝を折った。
V’
V
男の
子が
暴れ
た
男の子が暴れた。
動詞の意図性について(1)
影山(1993:43)は意図的に動作を行う動作主を主
語に取る自動詞が非能格、意図を持たず受動的に事象
にかかわる対象を主語に取る自動詞が非対格であると
指摘しているが、意図的な用法を持つ動詞には非意図
的な用法を兼ねるものが多数存在する(例6~9)。
6. ついでにもう一箇所回ろう。(意図的)
7. エネルギー消費のツケが地球大気に回ってきたの
だ。(非意図的)
8. 北海道や沖縄から飛んできた患者もあった。(意図
的)
9. 林の樹は幹が折れ、枝が飛んでいた。(非意図的)
動詞の意図性について(2)
逆に、普通非意図的な動作を表すと思われる動詞
が文脈によって意図的な動作を表すように読み取られ
る例もしばしば見られ(例10~13)、いわゆる非能格
動詞と非対格動詞の間に明確な一線を画することは難
しい。
10. 二人のからだが、たたみの上に転がって、にぶい音
を立てた。(非意図的)
11. 沼本は余り相手が投げられてばかりいるので、自分
の方も投げられねば悪いとでも思ったのか、蓮実が
技をかけると、沼本も転がってやっている。(意図的)
12. 空気が漏れてボートは沈んだ。(非意図的)
13. アメリカ人記者からは「これが資本主義」というあきら
めの声も漏れる。(意図的)
他動詞の意図性
また、氏は自動詞を非対格、非能格自動詞にわけ、他
動詞と同列したが、実際、他動詞とされるものの中にも、
動作主の意図的な動作を表しえないものがたくさん挙げ
られる(例14、15)。
14. 懐中電灯の光も、同じように私の目を射した。
15. 怖さで私は一切を忘れてしまった。
そして、意図的な動作を表す他動詞でも、副詞などの
影響で、非意図的な動作を表すことがある(例16、17)。
16. 彼はうっかり給料袋を机の上においたまま、仕事で
部屋を出た。
17. 思わず空を見上げていた。
意味役割付与の一貫性の仮説
上述したように、影山(1993:46)は意味役割
付与の一貫性の仮説に基づき、図1を作成し、深層
構造において、主語を目的語位置に生成するのが
非対格自動詞であると述べた。
しかし、非意図的動詞文において、いわゆる非
対格自動詞文に相当する他動詞文が存在しないこ
ともがある。その場合、深層構造において、主語
が果たして目的語位置に生成するかは問題にな
り、影山1993の規定を違反し、当該動詞は非対格
動詞として認められないことになる。
無対非意図自動詞の場合
「死ぬ」「あふれる」「しびれる」「くさる」
「ほれる」など無対非意図的自動詞が述語になる
場合、対応する他動詞が存在しないため、
Baker1988の仮説が適用せず、深層構造において、
主語が目的語位置に生成することは立証できない
(例18~20)。
18. 英子は腹膜炎を併発して死んだ。
19. 雨水が下水からあふれて、路の上が川になってい
る。
20. 僕は舌の先が微かにしびれるのを覚えた。
自動詞文が他動詞文の結果として
考えられぬ場合
そして、対応する他動詞が存在しているとはい
え、非意図的自動詞文が表す事象は他動詞文の結
果として考えられない用例も多数検索される(例
21~22)。この場合、自動詞文と他動詞文は同じ
事柄を表していないため、Baker(1988)の理論は適
用しない。
21.雨が落ちて来た。(『野火』大岡昇平)
21’.?(誰かが)雨を落としてきた。
22.膝に、卓の脚がぶつかり、空になったサイダーの瓶
が倒れた。(『確証』小谷剛)
22’?(誰かが)サイダーの瓶を倒した。
つまり
非意図的自動詞文において、深層構造では主語
が目的語として考えられるのは一部に過ぎず、そ
のほかは主語として現れてきた名詞の自らの変化
に着眼して述べていると考えるべきである。つま
り、非意図的自動詞は、すべて非対格的用法を持
つわけではなく、また非対格自動詞文において
も、その主語が常に受動的に事象にかかわるわけ
ではない。
また、意図的な用法を持つ動詞(いわゆる非能
格自動詞)には非意図的な用法を兼ねるものが多
数存在する。
いわゆる非能格動詞の場合
このような自動詞が述語になる場合、もし再帰用法
であったり(例23)、あるいは主語が非情物などで
あったりすると(例24)、非意図的な動作・変化を表
すようになる。この場合、それに対応する他動詞文が
考えられ(例23’、例24’)、深層構造では自動詞文
の主語が目的語として考えられ、非対格性を持つもの
と認められる。
23.傍聴席から一つだけ手があがった。
23’.傍聴席から(誰かが)一つだけ手をあげた。
24.担架は、粉雪の降りしきる中を営門の方にゆっくり動
いて行った。
24’(誰かが)担架を粉雪の降りしきる中を営門の方に
ゆっくり動かして行った。
助動詞とのかかわり
また、動詞に受身、可能、自発、希望の助動詞が
後続する場合、その主語は受動的なものとして考え
られることがあり、当該述語は非対格性を帯びるよ
うになる。
25. 私達が叱られるもの。『放浪記』 林芙美子(受身)
26. 二人で働けば、毎日飯が食べられる。『放浪記』 林
芙美子(可能)
27. イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。『人間失
格』太宰治(自発)
28. どういう事情なのか話がしたいと要求してきた。『兎
追い鹿の山 』黒川欣映(希望)
結論
日本語の自動詞を非能格自動詞と非対格自動詞に二
分することにはそもそも無理があり、動詞が表わす非
意図的な動作、変化は他者の意図的な動作に起因する
場合とそう解釈できない場合があり、前者は非対格的
である。そのため、非対格自動詞という名づけは適当
ではなく、非対格用法を持つ自動詞と呼んだほうがよ
り言語事実にかなうように思われる。
非意図的な動詞文における主語が深層構造において
必ずしも目的語位置に生成しないということは、日本
語には非対格性の普遍性は見られないということを意
味するが、いわゆる非対格性は動詞、主語、副詞、助
動詞など多岐にわたる要素と関わりがあり、文レベル
でさらに掘り下げて考察する必要があるといえよう。
N-V型複合名詞の構成について
本研究の目的
いわゆる非対格性を論じる際、研究者の視点がそれ
ぞれであり、統語的な立場から論ずるものもあれば、語
彙意味論的な立場に立っていわゆる非対格、非能格動詞
の性質を探る研究も多数見られる。その根本的な違い
は、いわゆる非対格性を動詞の語彙的な意味特徴によっ
て単語レベルで考察すべきか、それとも文レベルで統語
的に追求すべきかにあると言えよう。
影山1993は、N-V型複合名詞生起の可能性を証拠に非
対格自動詞と非能格自動詞、他動詞の項構造が違うと指
摘したが、本稿はそれを再検討し、N-V複合名詞生起の
メカリズムを追及する。
影山1993の説
影山(1993:47)は日本語の動詞を他動詞、非能格自動
詞と非対格自動詞に分類し、その項構造は例1で示された
ようであると述べた。氏は<>の中の要素を内項、その外
側を外項と設定し、N-V型複合名詞生起の可能性を持っ
て、その妥当性を立証した。
(1)
a.他動詞:
(主語<目的語>)
b.非対格完全自動詞: (
<主語>)
c.非対格不完全自動詞:(
<主語(補語)>)
d.非能格完全自動詞: (主語<
>)
e.非能格不完全自動詞:(主語<補語>)
N-V型複合名詞の例
(2)
他動詞→OV型 値下げ、人殺し、町づくり
親が子供を育てた。→子育て○
親育て×
非対格→SV型 心がわり、胸やけ、地すべり
非能格→SV型(少)犬掻き、兎跳び、蛙泳ぎ
例(2)に示された「N-V型」型複合名詞生起の可能性
を証拠に、影山1993は非対格自動詞の主語と違って、
非能格動詞、他動詞の主語は深層構造では外項にあた
るため、複合語に入れないと述べた。
影山1993説の問題点(1)
ここで問題になるのは、まず氏の示した項構造の設定
である。周知のように、日本語の動詞が取る名詞句には
必ず必要とされるものと補助的に添えられるものがあ
る。前者は項と呼ばれているが、その数によって、動詞
は一項、二項と三項動詞に分かれている。文脈からの示
唆がない限り、述語が要求する項が不足すると、文がお
かしくなる(例3~5)。
(3)○雨が降る。(一項動詞)(3’)?降る。
(4)○先生はビールを飲む。(二項動詞)
(4’)?先生は飲む。
(5)友谷さんは白粉を首筋につける。(三項動詞)
(5’) ?友谷さんは白粉をつける。
(5’’) ?友谷さんは首筋につける。
影山1993説の問題点(2)
例1で示された動詞の項構造は一項動詞と二項動詞
の場合を想定して設定したが、三項動詞には適用しな
いのが明らかである。
また、自動詞はすべて一項動詞として扱われている
が、「ぶつかる、似る、できる、分かる」のような自
動詞にも必ずガ格、ニ格で示された項が必要とされる
。氏は項構造では、時間や場所、手段などの付加詞は
除外すると規定したが、例6~8で観察されたように、
「彼女の体」などの名詞句は明らかに動作の対象を示
している。
(6)私は彼女の体にぶつかった。
(6’) ?私はぶつかった。
影山1993説の問題点(3)
(7)彼女は祖母さんに似ていた。
(7’) ?彼女は似ていた。
(8)私は日本語ができる。
(8’) ?私はできる。
これらの成分なくしては、文がおかしくなるため、
ヲ格で示されていないからといって、それを項として
認めないわけにはいかない。が、このような自動詞の
項構造はどんなものかは疑問に思われる。
影山1993説の問題点(4)
また、他動詞文において、目的語のほかに補語もよく同
時に現れてくるが、その位置づけが示されていない。
また、項というのは述語が要求する名詞句のことであり
、必須格でない限り、あくまでも補助的な成分とされる補
語は、主語などより動詞との関係が疎いはずである。それ
にもかかわらず、例1で示されたように、いわゆる「非対
格不完全自動詞」文においては、「補語」が必須格でない
のに、必要項である主語よりも動詞に近い[内項]に位置す
ると想定されていて、項の定義と矛盾しているように思わ
れる。
影山1993説の問題点(5)
また、内項が複数あるときは最も内側の内項が動詞と複
合するとされている(影山1993:198)が、次表で示された
ように他動詞、非能格自動詞を中心とする複合語において
、ヲ格で示された目的語はもちろん、ニ格ひいてはデ格で
示される補語もよく観察される。これも、複合語に融合す
る際、いわゆる目的語と補語は質的な差がないことを示唆
している。
他動詞
非能格自動詞
動詞
釣る
焼く
回す
跳ぶ
遊ぶ
行く
ヲ格 魚釣り たこ焼き 根回し 馬跳び 女遊び 道行き
ニ格 夜釣り 直焼き 後回し 横跳び 夜遊び 先行き
デ格 船釣り 炭焼き 手回し 片足跳び 川遊び
×
「外項+動詞」型の複合語例
「親」、「人」、「男」、「女」のような一般化した人
名詞あるいは「神」、「烏」、「陽」のような名詞が主語
に立つと、たとえ述語が他動詞、非能格自動詞であるとし
ても、N-V 型複合語に生起する可能性がある(例9~10)。
9.いくつかの作品を発表、親譲りの文才と言われた。(他動
詞)(『天声人語1990年』)
10.わっと男泣きしたことがあった。(非能格自動詞)
「名詞+非対格動詞」型複合語における名詞も一般化が進
んだため、特定の対象を指し示すことができなくなった。ちなみ
に、非対格動詞にしても、名詞との組み合わせが無条件に複
合語に結合できるわけではない(例11~12)。
11.前の崖が崩れましてのう。→#前の崖崩れ
12.コスガさんの目や鼻や口は色が抜けて→×色抜け
「N-他動詞」型複合名詞
他動性とは、「動作主の行為・作用が被動作主に及ぶこと
」であり、その特性として①動作主と対象物の2つの参与、
②作用の結果としての対象物の変化、③動作主の意志の存在
などが挙げられている。この三つを基準にして日本語の動詞
を検証すると、自・他という形態的区別と他動性、意図性と
はパラレルな関係にはないことが分かる。
動詞例
殺す、焼く
他 倒す、回す
動 待つ、見る
詞 思う、忘れる
誤る、起こす
動作主 対象の 対象物の 方向性
の意志 関与 状態変化
○
○
○
×
×
○
○
○
○
○
○
×
×
×
×
×
○
×
×
×
ヲ格
ニ格
デ格
人殺し
× 炭焼き
将棋倒し 前倒し 手回し
客待ち
×
×
年忘れ
×
×
×
×
×
「N-自動詞」型複合名詞
動詞例
動作主 対象物と 方向性 ガ格
の意志 の接触
ニ格
×
×
掴まる、戦う
○
○
×
回る、動く
○
×
○
身動き 外回り 夜回り
×
○
×
庭付き
×
×
×
×
○
星回り
×
右回り
×
×
×
山崩れ
×
東京生
まれ
自
付く
動
詞 回る、流れる
崩れる、生まれる
×
ヲ格
「似る」、「浮かぶ」、「できる」などは非意図的な
もので、非対格自動詞と考えられるが、複合名詞に生起
しない。
結論
「N-V」型複合名詞の実態を検証してわかるように、同じ他
動詞あるいはいわゆる非対格、非能格自動詞でも、すべて名
詞と複合名詞に融合できるものではない。同じ項構造と想定
されるものの間になぜこんな顕著な相違が伺えるか説明しが
たい。つまり、「N-V」型複合名詞の生起の可能性は、動詞
の項構造上の違いを証明する証拠にはならなく、またいわゆ
る非対格、非能格自動詞を検証する目安にもならない。
「N-V」型複合名詞においてはヲ格、ガ格名詞のほかに、動
詞が方向性を表す場合あるいは場所、時間が問題になる場合
、ニ格、デ格名詞も現れる。語彙的な意味とは、「世界の一
断片をある切り方で切り取って表したものである」(仁田
2000:15)が、発話者の注目するところが一断片として切り
出されるのはごく自然なように思われる。もちろん、複合名
詞の生起において、熟成度も大きくものを言う。