広野原 団 地 へ の入 居 始ま る

戸です。
さらにバリアフリーに
なっており夫婦共に将来に
不安はありません。地域の
皆さんと新たな人生を歩ん
でいきます。
東日本大震災で2階建の自
宅は大津波の直撃を受け一瞬
にして全てを失い、家族の命
だけが救われました。
その後、復興が進展せず先
が見えないことによる不安や
平
平穏
穏で
であ
ある
るこ
こと
とを
を祈
祈
の
の復
復興
興と
とこ
この
の一
一年
年の
の
願
願い
いは
は胸
胸に
に納
納め
め、
、町
町
平成 年の初日の
平成 年の初日の
出
出を
を拝
拝ん
んだ
だ。
。私
私的
的な
な
明けましておめで
明けましておめで
と
とう
うご
ござ
ざい
いま
ます
す。
。
町民皆様が議会に
町民皆様が議会に
寄
寄せ
せら
られ
れる
る期
期待
待を
を思
思
い
い。
。
よ
よう
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努力
力し
して
てい
いき
きた
た
の
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る
公
公園
園が
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全面
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り
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新年
年を
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迎え
えた
た。
。
き
きあ
あげ
げた
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広野
野町
町を
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ら、
、先
先輩
輩が
が築
築
ン
ンと
とな
なり
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ます
す。
。以
以前
前
の
の場
場と
とし
して
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二ツ
ツ沼
沼
昨年は町の復興に
昨年は町の復興に
向
向け
けた
た取
取り
り組
組み
みが
が具
具
多
多く
く着
着手
手し
し、
、提
提示
示さ
さ
体
体的
的に
に見
見え
える
る事
事業
業が
が
べ
べく
く精
精進
進し
して
て行
行き
きた
た
に
に前
前進
進、
、進
進展
展さ
させ
せる
る
周
周年
年と
とな
なる
る今
今年
年着
着実
実
と
とし
し
い
い。
。
れ
れた
た年
年で
であ
あっ
った
たと
と思
思
う
う。
。
貫
貫校
校建
建設
設に
に向
向け
けた
た造
造
発
発行
行・
・編
編集
集責
責任
任者
者
(渡邉 正
俊)
防 潮 堤、 浜 街 道、
(渡邉 正俊)
防 潮 堤、 浜 街 道、 駅
駅東
東側
側開
開発
発、
、中
中高
高一
一
成
成、
、役
役場
場前
前商
商業
業施
施設
設、
、
異
異は
はあ
あれ
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今日
日の
の町
町の
の
月です
委
委員
員長
長 渡
渡邉
邉正
正俊
俊
副
副委
委員
員長
長 北
北郷
郷幹
幹夫
夫
委
員
委
員 塩
塩 史
史子
子
委
員
委
員 渡
渡辺
辺久
久長
長
委
員
委
員 門
門馬
馬 巧
巧
委
員
委
員 畑
畑中
中大
大子
子
委
員 小
磯利雄
委 員 小磯利雄
議
長
議
長 鈴
鈴木
木紀
紀昭
昭
広
広報
報委
委員
員会
会
ました。
り
り組
組み
みで
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あり
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、町
町民
民
防
防災
災拠
拠点
点 道
道の
の駅
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ひ
ろ
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のと
と事
事業
業主
主体
体の
の差
差
しかし、この度、広野原団
地に入居できて顔見知りの皆
の
のニ
ニー
ーズ
ズに
に添
添っ
った
たも
も
4165(広野町議会事務局)
次の定例会は
今 年 は 町 民〝 憩 〟
今 年 は 町 民〝 憩 〟
姿
姿を
を大
大き
きく
く変
変え
える
る取
取
さんと挨拶や、娘や孫と将来
の
ので
であ
ある
ると
と思
思い
いま
ます
す。
。
●編集/広野町議会広報委員会 TEL0240
今年は明るい気持ちで頑張
ります。
います。
の話が出来ることに感謝して
ストレスから孤立を感じてい
27
新たな生活環境で新年を迎えた感想は
広野原団地への入居始まる
戸と、木造2階建て住宅
復興のはずみとなる広野町災害公営住宅「広野原団地」
が下浅見川字桜田地内に完成しました。住宅は鉄骨2階
建て集合住宅4棟
広野原団地の集合住宅に
入居でき、新たな住宅で正
月を迎えられたことは感無
量であります。
カレンダー等を掛ける所
が欲しいなど小さな要望は
ありますが、立地場所が良
0402
75
しょう こ
ゆきのぶ
しま だ
10
古代人も生活したであろうこの場所での新たな生活の
始まりに期待や不安など感想をお聞きしました。
みゆき
く まさ
き
島田 幸信さん庄子さん
-
27
-
38
福島県双葉郡広野町大字下北迫字苗代替
坪井 喜久正さん幸さん
つぼ い
く二重ガラスで暖かく電車
の音も聞こえません。
979
3
ま インタビュー
●発行/福島県広野町議会 〒
-
広野原団地全景
35
ち かど