1 <「校長室便り」51> 自分を語る 秋の花が咲き出した

<「校長室便り」51>
自分を語る
秋の花が咲き出した。最初に見たのは葉鶏頭だったような 気が
する。汚れのないベルベットのような緋色が鮮やかだった。彼岸花
もそろそろと思っている頃、自分の家の庭にクリーム色のものが既
に咲いているのに気づいた。その後通勤途上のいつもの場所に赤い
花が咲き出した。コスモスも咲き出すだろう。細く長い茎はいつも
風に揺れている。
学校では文化祭の後、体育祭も終わった。この「校長室便り」 は
いつも時期遅れになってしまう。
今回書くのもそうだ。9月10日(木)の朝日新聞「ザ・コラム」に稲垣えみ子編集
委員が「あれから1年
寂しさを抱きしめて」という記事を書いていた。50歳を機に
会社員人生をやめようと考えていた矢先、コラムを担当することになってしまい悩みに
悩んだ。
迷った末「自分のことを書く」ことにして、アフロヘアにした話を書いた。編集長は
驚き困ったが、時間がないことを理由に押し切った。すると、これが意外なことに28
年の記者生活で最も大きな反響があった。
この記事にはアフロヘアの稲垣編集委員の写真も載っ
ていて、私自身朝日にもこんな女性記者がいるのか、と
驚いた記憶がある。今回の記事はそのときから1年、寂
しさを抱きしめつつ朝日新聞を辞めるという記事だっ
た。
私は、この記事にかなり共感を覚えた。というのは、
この「校長室便り」を書くに当たって常に稲垣元編集委
員のような迷いを感じているからだ。
「校長室便り」は校長としての発信なのだから、個
人の意見・考えを自由に書いていいというものではない。だから、学校運営・経営に関
して自分はこうしたいとの考えはあっても、それが職員会議等正規の意思決定プロセス
を経ていない限り書かない。当たり前である。
かと言って、官公庁の通知文書のように主体を隠した文書では誰も読まないだろう。
誤解のないように言うが官公庁の文書は周知の必要があるものであり、別に書き手の感
情移入は必要としない。が、「校長室便り」はそのようなものではない。
私は若いときからいろいろな通信を書いてきた。担任の時は学級通信を、また教科担
任としても教科の通信を、そして学年主任の時は学年職員と一緒に学年便りを、そして
生徒指導部長の時はこれまた生徒指導部職員とともに生徒指導部便りを出した。
クラス担任、教科担任の時は自分の考えを極めてストレートに生徒達に語った。朝の
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ホームルームで語りきれないこと、担任としての自分の
気持ち・考えを述べ、教科通信では授業の補足、関連事
項などを書いた。週1回くらい、原稿用紙で15枚程度、
多いときには30枚から50枚以上書いた。
生徒の中にはもらってすぐそれをゴミ箱に捨てる者も
あ
いた。が、30年以上経っても捨てられずに持っている
という元生徒もいる。図々しく言わせてもらえば、生徒
にも保護者にもそれなりに評価されたのではないかと思っている。
唯、自分が率直に語ったこと、それも熱を入れて語ったことで、気をつけてはいたが、
不快な思いを味わい、また傷付いた生徒もいなくはなかっただろうと思う。
この「校長室便り」は今回で51回目、これは一旦とぎれた後でのことで前にも26
回書いている。そのときにある記事でクレームを受けたことがあった。しかし、どのよ
うな表現も、書くものであれ話すものであれ、すべての人に受け入れられるものなどあ
り得ない。常に無難を意識して書いたものなど誰も読まないだろう。ということは書く
に値しない。
しかしまた、先にも述べたが、これは校長としての文章でもある。どうしても 立場を
意識する。また、何らかの意味で成田高校・付属中学校・付属小学校の広報的役割を果
たすことも考えている。
さっき、自分がいろいろ書いてきたことを述べたが、クラス担任、教科担任の時と比
べれば、学年主任、生徒指導部長の時は少し自己抑制的になったし、校長になってみる
と更に抑制的になっている。しかし、繰り返すがその人間の感情の感じられない文は書
くに値しない。
結論はもう出ているが、校長としての立場と個人の感情をどのようにバランスを取っ
ていくかが問題なのである。これは、今までもそうしてきたし、これからもそうしてい
くだろう。
物言えば唇寒し、と感じることは誰にもあるだろう。しかし、人を叱ること、批判す
ることも含めて、言い方、書き方には十分気をつけねばならないが、やはり言うべきこ
とは言わねばならぬだろう。
今の高校生、大学生は一般的に、人に優しく人を傷つけないように随分配慮している
ように思える。しかし、青春時代はある意味で互いに傷付けあう時期であり、人間の成
長・成熟は心の傷を代償とするのではないかと、私は思っている。
誰も傷付くのはいやだ。人を傷付けて喜ぶ人もそういないだろう。しかし、結果とし
て、時に相手を傷付けてしまうことがあっても、自分を率直に語ることが必要な時もあ
るのではないだろうか。
(2015.9,19)
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