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萩・明治維新150年記念事業
文久3年(1863年)、萩藩は攘夷決行により欧米列強を敵とし、今か
ら150年前の元治元年(1864年)、禁門の変により朝敵の汚名を着せら
れ、幕府による長州征伐が始まります。
萩藩は四面楚歌、絶体絶命の危機に陥りますが、苦節5年、藩論を
統一し、身分を超えた兵制を敷き、松下村塾門下生を主軸に、激動の
時代を切り拓き、明治維新という偉業を達成します。
平成30年(2018年)に「明治維新150年」の節目の年を迎えるにあたり
近代日本の扉を開いた先達の歴史をひもとき、「明治維新胎動の地」
として、先達の織りなす「幕末・維新の萩物語」を語り広め、次の世
代に語り継ぐため、記念事業を展開していきます。
テ ー マ
◆ 江戸時代の地図が今なお使える「萩まちじゅう博物館」を楽しもう!
◆ 先達の織りなす「幕末・維新の萩物語」を語り継ごう!
◆ 19世紀末の世界史の奇跡と言われる日本近代化の原点となった「萩」を学ぼう!
ロ ゴ マ ー ク
年
元号(西暦)
文久3年
(1863年)
元治元年
(1864年)
月
日
事
跡
5月10日
〔攘夷決行〕下関海峡において、アメリカの商船を砲撃する。同月23日
にはフランスの通報艦、同月26日にはオランダ軍艦砲撃する。
5月12日
〔長州ファイブ密航留学〕志道聞多(井上馨)・山尾庸三・野村弥吉
(井上勝)・伊藤俊輔(博文)・遠藤謹助は英国に密航留学する。
6月7日
〔奇兵隊結成〕高杉晋作が奇兵隊を結成し、初代総督となる。
8月18日
〔八月十八日の政変〕会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派がクーデ
ターを起こし、長州藩は京都堺町御門警護の任を解かれ、三条実美ら七
卿も罷免されて長州に走る。世にこれを七卿落ちという。
9月1日
〔女台場完成〕6月9日に菊ヶ浜に土塁の築造を命ずる。6月25日に着工
し、9月1日にほぼ完成する。女台場(おなごだいば)という。
6月5日
〔池田屋の変〕京都池田屋の変で吉田稔麿(24歳)が闘死する。
7月19日
〔禁門の変〕禁門の変(蛤御門の変)が起こり、長州軍は敗れる。久坂
玄瑞(25歳)、入江九一(28歳)などが戦死・自刃する。6月5日に京都
池田屋の変で吉田稔麿(24歳)が闘死し、この年、松下村塾「四天王」
のうち3人が死去する。
8月2日
〔第1次長州征伐〕7月23日に長州藩追討の勅命が下り、幕府は長州藩征
伐を諸侯に命令する。
8月5日
〔下関戦争〕英・米・仏・蘭の四カ国連合艦隊が下関を砲撃し、長州藩
兵はこれに対して3日間にわたり応戦する。
12月15日
元治2年
慶応元年
(1865年)
※4月改元
表
〔晋作挙兵〕髙杉晋作が下関(赤間ヶ関)で挙兵する。
1月6日
〔大田・絵堂の戦い〕前年に高杉晋作が下関で挙兵し、諸隊は美祢郡
(現美祢市)に進軍。1月6日夜半、美祢郡中央に位置する大田や絵堂を
戦場にわずか10日間で藩政府軍を打ち破った。元治の内訌ともよばれる。
3月23日
〔藩論統一〕萩藩主毛利敬親は、幕府に対しては恭順を旨とするが、藩
内においては富国強兵・武備の充実に努めるという、武備恭順の方針に
藩論を統一する。
4月12日
〔第2次長州征伐〕幕府は長州征伐を再度命ずる。
1月21日
〔薩長同盟〕木戸孝允は西郷隆盛らと会議して長州藩と薩摩藩の政治
的・軍事的同盟の締結を行う。
6月7日
〔四境戦争〕2月12日幕府軍は四境を包囲しようとする。毛利敬親は、
諸臣に抗幕戦の準備を命ずる。6月7日幕府軍が進撃し大島口で戦いの口
火が切られ、四境戦争が始まる。
慶応3年
(1867年)
4月14日
〔高杉晋作没〕高杉晋作(29歳)が馬関で病死する。
12月9日
〔王政復古〕江戸幕府を廃絶し、摂政・関白等の廃止と三職の設置によ
る新政府の樹立を宣言する。
明治元年
(1868年)
1月2日
〔戊辰戦争〕長州藩・薩摩藩を中核とした新政府軍と旧幕府軍の戦い。
1月2日の鳥羽・伏見の戦いから始まり、明治2年5月18日函館戦争におい
て旧幕府軍が降伏し終結する。
3月14日
〔五箇条の御誓文〕明治天皇が示した明治政府の基本方針。
10月23日
〔明治維新〕明治天皇即位。改元の詔書が出される。
慶応2年
(1866年)
≪お問合わせ 萩市企画政策課 電話0838-25-3569≫
平成27年2月5日発行〔Ver.3〕