『神に役立つ者となろう』 ​ エレミヤ書13章1~11節 2015.3.8(日) 『とり

『神に役立つ者となろう』 ​
エレミヤ書13章1~11節 2015.3.8(日) 『まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった
木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』 詩篇1篇2~3節 エレミヤは神の命令通りにした。亜麻布の帯を買い、岩の割れ目に隠し、放置…そして帯は腐った。この帯のよ
うに神の民も「役に立たなくなった」と告げられる!亜麻布とは祭司の服を作る生地。「亜麻布の帯が腐る」とは
第一に、祭司的役割の喪失。神の民は、すべての国民と世の人々の仲介をする使命を担っていた…にも関わらず、
彼らは偶像を拝み、神から離れた「ただの人(Ⅰコリ
ン
ト3:3)」以下だった。第二に彼らは「帯」の役割も失う。神と人
と結び合わせるべき存在意義を失った。 クリスチャンの存在意義は、世の光であること(マタイ5:14、16)。それは、罪の闇を照らし、世に神の愛を輝か
せる!教会から一歩出て…職場、学校、家庭で…。苦手な人に出会い、誰かに冷たくされ、辛い試練の中…あなた
はクリスチャンだろうか?そんな要求は面倒だ!と思うなら信仰を間違えている!私たちは自分では光れない!ク
リスチャンの輝きは神の光の反射!主に心を向け、イエス様を心にお迎えしてこそ輝く愛の光! 神の民は「心の割礼がなかった(エレミヤ9:26)」。洗礼を受け、どんなに礼拝に通っていても、神の愛を『心』
で受け止め、その赦しや慰めが『心』に響かなければ人は変わらない。しかし神(聖霊)が、その心に語られるとき
がくる!そのとき、説得が納得に変わる(エゼ
キエ
ル
36:26~27)。主の本気の愛に触れて人の願望は変わる!自己中心的
心が、赦し、思いやり、平和を願うようになる。 「役立つ(ツァーラハ)」とは『幸せ』の意。神はバ
ビ
ロ
ン捕囚により民の腐った性根を打ち壊して祝福を回復された。こ
れこそ『将来と希望を与える計画(エレ
ミヤ
29:11)』だった。神は、『何の役にも立たない』存在を、『何をしても栄え
る(詩篇1:3)』存在へと変えてくださる!そのために、『教えを聞こうともしない者(エ
レ
ミヤ
7:13)』でなく、『教えを
喜び、昼も夜も教えを心に響かせる(詩篇1:2)』幸いな毎日を願い求める者となろう! 『とりなしの祈りと希望』 ​
エレミヤ書14章1~9、20~21節 2015.3.15(日) 『…私たちの背信ははなはだしく、私たちはあなたに罪を犯しました。イスラエルの望みである方、苦難の時の救
い主よ…あなたは私たちの真中におられます…私たちを、置き去りにしないでください。』エレミヤ書14章7~
9節 エレミヤ14:1~6に神の裁きとしての飢饉の悲惨な描写がある。背信の故に、神の裁きが決定的となる中、民は
どうすべきだったのか? ➊まずは神の預言を正しく聴き直すべきだった!民は、神の裁きとその理由を聞いたにも関わらず、神の言葉より
偽りの預言者の言葉「剣も飢饉も疫病もない!あるのは平安だけ!」を信じた。罪の指摘もない、悔い改めも迫ら
ない、耳に心地良い言葉だけを求め、偶像礼拝を止めなかった。主イエスも『にせ預言者たちには気をつけなさい
(マタイ7:15)』と警告。偽りの預言は絶対に実現しない!聖書が「神の言葉」である最大の理由は、その預言の全
てが、人類の歴史を通して実現してきたことにある!ユダヤ人に関する預言(3回も祖国を失い、約2600年間離散
していた民が、預言通り祖国再建)、キリスト預言(約350箇所)も、全て実現! ➋第二に、人が御前に正しく生きるように教える神の御声を聞くべきだった。『その方が来ると、罪について、義
について、さばきについて、世にその誤りを認めさせ…(ヨハネ16:3)』。神は、ただご自分の正しさをぶつけ
るだけでなく『私の目は夜も昼も涙を流して、やむことがない。私の民の娘、おとめの打たれた傷は大きく、いや
しがたい…(エレミヤ4:17)』と、エレミヤと一体となって泣き、悲しまれた。この神の憐れみに向かって、エレミ
ヤはとりなしの祈りを捧げた。この深い憐れみを知る時、どんな対立があっても、悔い改めて向き合い、一致の道
を選択できる!ここに『将来と希望の計画(エレミヤ29:11)』がある。 エレミヤは神を「イスラエルの望み(ミク
ウェー
8節)」と呼ぶ。ミ
クウ
ェ
ーとは『水源』の意。神が天の水門を開いてこそ恵
みの雨は注がれる。希望と水源とは直結していた。順境でも逆境でも変わらず主に向き、御名を呼び、主に叫ぶと
き、必ず答えがある。本当の希望は、神ご自身にあり、本当の平安はこの源である神様と結ばれてこそある! 『幸せになるための神の知恵』​
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(結婚式の式辞より) 2015.3.21(土) 『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。…』 哀歌
3:22~23 神様の御心は、すべての人が幸せになることである。神に創られた者は、どこで幸せを見つけるのか?人は、神の口から
出るひとつひとつの言葉で生きる(マタイ4:4)とある。つまり、幸せな生涯には神の言葉(神の知恵)が必要なのであ
る。➊第一の知恵は、『過去からの解放』である!神のいつくしみ、恵みは、朝ごとに新しいとある。過去にどんなに辛い
思い出があり、どんなに悲しい出来事があり、昨日が最悪と思える日であったとしても、朝を迎えるたびに、神は新しく恵
みを注ぎ、新しい一日を始めさせてくださる!朝ごとに、「今日が、あなたの人生の初めの日だよ」と語りかけてくださる
のである。 ➋幸せへの第二の知恵は『将来の不安からの解放』である!主は『…あすのための心配は無用です。…労苦はその日その日
に、十分あります(マタイ6:34)。』と言われる。ある人は、明日どころか一週間、いえ何年分もの心配や不安を『今日』背
負い込んで潰れかけている。神様は、一日一日の重荷を負うのに必要な力を下さる。昨日は過ぎ、明日はまだ来ていない。
だから、その日一日一日に集中し、『今』目の前にいるパートナーを愛し支え、『今日』の相手の必要に集中する!これが
幸せの秘訣である。今日一日頑張ることだけを考える!これが「一日一生」の幸せである。 ➌そして幸せになるための第三番目の知恵…『今』を最高の幸せで満たす知恵は、『感謝すること』である!それは、幸せ
にしたい人と、「いつも有難う」という言葉・態度で向き合うことである。感謝する人は幸せな人、感謝される人も幸せな
人なのである。ある方が言った。『人は幸せだから感謝するのではない。感謝するから幸せになれる!』と。 結婚生活は(いや、全ての人生は)、祈りの生活である。人生には、力を合わせ、努力して、なんとかなるものもあれ
ば、どんなに頑張ってもどうにもならないものがある。だから祈る。「今日も事故やケガから守られますように/今日も元
気で笑顔でおれますように/今日も感謝を忘れることがないように…」。一日一日を神に守られ、支えられる幸せを、共に
祈り求めていこう! 『神に信頼する幸せ』​
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エレミヤ書 17章5~9節 2015.3.29(日) 『主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほと
りに根を伸ばし…暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。』エ
レミヤ
17:7
~8 神の御心は私たちを祝福することだが、あなたは生活のあらゆる場面でその幸せを実感しているか?エ
レミ
ヤ17:9
『人の心は何よりも陰険で…直らない』とあり、私たちが神の祝福から遠いことを告げる。「陰険(ア
ー
コー
ブ
)」とは
「押しのける・欺く」の意。私たちは神を押しのけ、その愛も赦しも慰め認めず、まるで神がいないかのように自
己中心に生きている!『…良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結ぶ…(マタイ7:17~19)』。『良い
木』とは『実を結ぶ木』のことで自然界には存在しない!『その人は、水路のそばに​
植わった​
木のようだ。時が来
ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える(詩篇1:3)』。『​
植わった​
』は受動態で『水のほ
とりに​
植え替えられた​
木』の意!「悪い木」は、砂漠に生えたまま、葉も茂らず、実を結べない。『良い/悪い』
は善悪の問題ではなく、神への信頼の有無のこと!「呪いの人生」とは、命の泉である神から離れ、頑張っている
のに空しく、生きる意味を見失った人のこと!一方「祝福の人生」は、あらゆる場面で神を信頼するので、逆境や
困難に関係なく、常に実を結ぶ(エレ
ミヤ
17:5~8)。➊呪いから祝福へ至る第一のホ
゚イ
ン
トは、キ
リ
ス
トを信じ、その罪と罰か
ら救われたかどうか。イエス様は『私たちの代りに呪いとなられた(ガ
ラ
テヤ
3:13)』。罪の奴隷(自己中心)の人生か
ら、罪から救い、呪いを解いて下さるお方を礼拝する人生へと『植え替えられる』必要がある。➋第二に、この世
のものへの依存からの解放!主は言われた『たとえ全世界を手に入れても、あなた自身を失ったら何の得もない(ル
カ9:25)』と。お金も健康も趣味も仕事も、それを下さった神以上に執着するものではない。➌そして最後に究極の
祝福である「永遠」に対する備えを持つこと!私たちに命を与え、その故に慈しみ、幸せを備えて下さるお方を知
り、その方に命を委ね、信頼して生きる時、そこに溢れるのは感謝のみ!