Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College グ レ ゴ リウ ス 改革 に お け る 聖 職者 「 独 身」制 の 革新 性 尾 崎 秀 夫 は じめに 金 銭 な ど の 対 価 を 支 払 っ て 聖 職 を獲得 す る シ ア と独 身 義務 に 反 し て 妻 モ ニ 帯 す る 聖 職 者 の 存在 は 当時 の 教 会 腐 敗 の 象徴 で あ り シ モ 、 者 「 独身」 制 の 確 立 は い わ ゆ る グ 般に ら レ 、 2つ 。 が 、 しか し 聖 職者 「 独 身」 制 に つ 、 が か 、 っ ニ 根絶 と聖 職 一 あっ た 。 1 改 革 は 開始 した と さ れ ) こ れ 、 に した よ うに シモ 、 て は 、 それ に つ い て て は い 確認 で きる 史料 は 聖 職 者 独 身義 務 の 強 力 な主 張 者 が 十 年 以 上 3) レ 。 ア 運 動 に 教 皇庁 が 積極 的 に か か わ り始 め た 聖職 者 「 独 身」 制 に つ ア につ ニ 決議 し た と伝 え られ る 教 会 信 頼 度 は 必 ず し も高 く な い 、 て反 シモ て グ レゴ リウス で た び た び 非難 決議 が 行 わ れ た こ と が い しか もそ の 後 に 書 い た もの で あ り っ 改 革の 目標 の 一 つ リウス 筆 者 が 前稿 で 明 らか 、 9 世主催の 教 会会議 で 会議 は 少 数で よ っ アの 対 策 は と も に こ の 教 皇 の 登 位直後 か ら強力 に 推 進 され た と の 問題へ の され る 2 ) レオ 9 世 の 登位 に よ オ レ ゴ ニ い て は シモ ニ ア と同等 に 取 こ 9世の オ 登位 に と は確 認 で きる り組 ま れ た わ け で は な た と言 え る で あ ろ う 。 聖 職 者 「独 身」 制 に行 わ れて い なか っ へ の 教 皇 庁 の 取 り組 み が た こ とが 、 グ レ ゴ リウ て聖 改 革 開始 と と も 看過 さ れ て きた 理 由の ひ とつ は 、 け る聖 職者 「 独 身」 制 の 革 新 性 が 認 識 さ れ て こ な か 改革 に お い ス っ この た こ とで あ る 改革 にお 。 職者 「 独 身」 制 とは 何 を 意味 した の で あ ろ うか グ レ ゴ 通説 リウ ス で は 4 世 紀 初 頭 以 降 教 会会 議 や 教 皇 書 簡 な ど で 命 じ ら れ た 聖 職 者 「 独 身」 。 、 一 25 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College 制 が 有名無実 で あ っ た た め さ れ る 4> しか し 。 同 じ で は な い と考 え る の に理 解 で きる で あ ろ う 、 ある 。 あ え て 単純化 し て 言 え ば 。 聖 職 者 夫 婦 に は 禁欲 が 命 じ ら れ る 、 こ れ に 対 しグ レ ゴ リ ウ ス 改革で の 聖 職者 「 独 身」 制 は 前 で あ っ て も聖 職 者 夫 婦 は 同居 して は な らな い 点 は 聖 職 者 「独 身」 制 る 新 しい 要 素 で あ り の 、 、 そ れ 故 反 対 も強 か 、 と 改 次の よ う 、 妻 うこ と と言 結婚が叙品 っ た 。 この の で あ 。 で は 、 教 皇 庁 が こ の よ う な聖 職 者 「 独 身」制 を 明 確 に 打 ち 出す の は い らで あ ろ うか 。 結論 を 先 に 述 べ る と 1059年 に 教 皇 ニ 、 催 さ れ た ロ ー マ 教 会会 議 か ら と 考 え られ る ニ 、 とい うこ とで あ っ た 、 、 レ ゴ リ ウス 4 世 紀 以 来定 め ら れ た の は 叙 品 後 の 結婚 禁止 で 。 帯 者 の 叙 品 は 問題 と さ れ ず で 復活 が 目指 され た 筆者 は 4 世 紀以 降 の 聖 職 者 「 独 身」 制 と グ 、 革で それは グ レ ゴ リウ ス 改 革 で そ の 、 コ 。 2 世 時 代 ま で を概 観 し た 後 、 1059年 の ラ ウ ス 「 独 身」義務教令 を 検討 し 、 意義 を 考 察 し て その ロ レオ 9 世 の 死 後か ら マ きた い い もと 開 ス 、 ー か ラウ コ 本稿 で は 2世の つ 教会 会議 で 聖職 者 。 1 . ヴ ィ ク トル 2 世 ( 在 位 1055 〜 1057 年 ) レ オ 9 世の 死後 ル 2世 1055 年 に ア イ ヒ 、 と して 教 皇位 に つ い た 。 シ 彼は ク ん 、 彼は 跡づ けた研究 は ヴ ィ ク トル ィ ク ゾに よ る と い 、 る 2世 、 ダマ ル ス ス トが ヴ ィ ク ト 2世 レオ 9 、 。 、 管見 で は な い よ 。 こ こ で は 、彼 が う に 教 会改 革 を 継 承 し 開催 し た 教 会 会議 を 概 観 し 、 、 聖 職者 で 、 の 倫 理 改 革 を行 っ た 。 トル は 登位 を 開 催 して ト司 教 ゲ ー プ ハ 9 世 の 改 革 の 継承者 と さ れ る が 5) そ の 活 動 を 詳 細 に オ 2 世 が どの か を検討 した い ヴ 、 レ ッ レ メ ンス 世 に 続 く 4 人 目 の ドイ ッ 人教 皇 で あ っ た もち ろ テ ュ 。 「シ の この 年の 6月に フ ィ レ ン ッ ェ 皇 帝 臨 席 の も と 教会会議 教 会会議 の 決議 は は っ き り と は 伝 わ っ モ ニ ア て い ない 。 ボ ニ 異 端 と も っ と も愚 か な 慣 習 で あ る 司 祭 の 姦 淫 fornica− − 26 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College tioは 神 の 剣 に よ て 断罪 され た っ 違 反 や 姦淫 の 罪 で 罷 免 され 」 た うか とい ア 禁止 ニ う6} 姦淫 とは 何 を 意味す る の 。 あろ で るの は聖 キ リ ス ト教徒 全 般 に 求 め られ る 倫 理 、 ボ 。 ゾは ニ 以 後 問 題 とな る 上 級 聖 職 者 の 女性 と の 同 居 に つ 、 とい 蓄妾concubinatus 、 、 教 会会議 で 多 くの 司 教 が シ モ 俗 人 か 聖 職 者 か に 関係 な く 。 あ ろ うか は この そ れ は 平信徒 よ りも高 い 倫 理 が 求 め ら れ る 聖 職者 の 倫 理 に も と る 罪 で 。 あ ろ うか で 。 う語 を用 い て る 7 )。 い 従っ て こ こで 、 い て て い 言われ キ リ ス ト教 徒 全 般 に 求 め ら れ 職者 に の み 求 め られ る もの で は な く 、 性倫 理 と 考 え られ よ う る 。 ボ ニ ゾ の 記 述が き な い と され て い 、 る 8) フ ィ レン ッ 。 決議 が な さ れ た と伝 え る る と も劣 ら ず 聖 職 えフ ィ レ ン ツ しか 伝 え て ニ に従っ て で は聖 て い の は ボニ ゾ だ けで あ る な い 9) マ 。 ン い シの て は せ る い て レオ 。 9世の 跡 を受 け 。 、 ヒル デ 検討 さ れ な か ブラ の 不 貞 を 攻 撃 した と 述 べ て い る が ペ トル ス モ ニ ン た っ アが こ この トを フ ラ トは リ ン ミ ア ニ さ トル ス ・ダ ミ ア フ ィ レン ツ ェ 教会会議 あ る い は 検 討 され た と し う 。 改革 を続行 さ に派遣 し 、 い て な い lD い で ボ 教皇は 一 、 その ア と聖 職 者 ニ ゾ はシ ニ ア を犯 し た ア ン ブ ラ ン モ ニ ボ ニ ゾ 同 様 聖 職 者 妻帯 を 攻 撃す 。 。 たの 教 会 会 議 を開 い た が 具体 的 に は シ モ 、 と を 記 す の み で あ る 12) て い 、 ンス ヨ ン で 教 会 会議 に つ と しか 伝 え て 広まっ ダ た と 考 え る べ きで あ ろ っ ・ダ ミ ア ニ も こ の 教 会 会 議 に 言 及 し て 司 教 が 罷 免 され た 当時 シ こ ・ 彼 に勝 。 ヴ ィ ク トル は 西 方 教 会 に お け る 改 革 の 主 導 権 を 確 な 日 時 は 分 か らな い 司教 が 罰 せ られ た ス ベ 、 正 。 も信用 で 教 会財 産 の 譲 渡 禁 止 が 決 議 さ れ た こ と 、 『 教 会 会議 決 議 集 成 』 も ヴ ィ ク トル は ヒ ル デ ブ ラ 握 り続 け た の で あ る る う と す る ペ トル よ もそ れ ま で の 法 令 が 確認 さ れ た に 過 ぎ な か 、 と も看過 で きな い 。 職者 「 独 身」 制 に つ その 後 こ 10 教会 財 産 譲 渡 禁 止 を 記 す の み で あ る ) 、 に必ず し 教 会会 議 で 聖 職者 の 性 生 活 に か ん す る ェ 者 に 厳 し い 性倫 理 を 求 め 教 会 会議 に つ ェ 一 彼の 記述 は 般 明確 で な い だ け で な く い るが 枢機卿 ア ヒ ル デ ブラ 、 シ モ ン ラゴ ンの ニ ニ アで コ 数名 の ラ ウス も 、 トを ア ル プ ス 以 北 に 派 27 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College 遣 した と 述 べ リ ヨ ン リヨ ンで の シ モ 、 教 会会議 で は シ モ られ なか た と思 わ れ る っ その 頃、 ジ ュ で も教 モ ジ ェ ッ が堕 落 し た生 活 と ノ ル 「堕 落 敵対で あ り 、 ョ マ し た生 ーム の ェ につ い る い 。 っ 言葉が記 され て い るが ー なお バ た と は思 わ れ な い て い ス トウ は 、 オ ル デ リ ヴ ィ ク トル が リ ジ が 、 はな こ こ で はル ー ア る 15) 。 ン リ 司教 た め に 罷 免 され の う な 生 活 で あ ろ うか よ ィ の その 理 由は ギ ー ョ ョ 。 オ ル ー ム が ム に 対 する 「 神 に 対 す る 不 信 仰」 か ら聖 職 者 この 、 で あっ て 、 モ 。 ジ ェ そ れ に 聖職者 は 明 らか に 「 独 身」 制 。 ッ ク ・ヴ ィ タ ー リ ス の 『教会 史』 を根 拠 に 、 ヴ トル 時代 ィ ク の 教 会 会議 で 16) 。 ヒ ル デ ブ ラ ン トは ト ゥ ー ル で も教 会 会 議 を招 集 し て ガ リ ウ ス の 異 端 的教 て い な い 17 ) 。 シ ャ タ ー 伯 が 簒奪 し て ロ い り聖 職 者 妻 帯問 題 は 義 が 問題 と な っ ・シ ン た財 ュ 大司教 ラ モ ニ ン ル たの で あ 取 り上 げ られ な か っ た トゥ ー ル ボ ー と エ ク ス 大 司教 ポ ア とともに 、 り 、 る い よ そ 、 ー グ ユ ベ レ の 子ワ 、 ル や は 。 、 教 皇 特使 で あ る ア が 出席 して 開催 さ れ た 。 。 一 、 うで あ る 18} 聖職者 「 独 身」 制 で あ っ た と さ れ る 19) は こ で こ と しか 知 ら れ て お らず ーズ 教会会議 は ン ス 。 聖 職者 妻 帯 は 問題 と な っ ・ ソ ー ヌ で の 教 会 会議 も 産 を教 会 に 返 還 した 1056 年 の 9 月 に 開 催 され た 題 は シ デ ン 教 会 会 議 で 妻 帯 司 祭 に 妻 と 別 れ る こ と を 強 制 した と 言 う ュ ン ル マ 教 皇の 決 定 を得 て ギ 、 そ れ は 1064 年 の リ ジ ュ 教 会会議 で あ っ て い ノ ル 、 「 神 に 対 す不 信 仰 と 自分 に 対 す る 不 誠 実 な 大 司 教 」 と 治的 対 立 か ら大 司 教 位 を罷 免 さ れ た の がかかわ 、 帯 問 題 は 取 り上 げ ー ム との 対 立 ョ い て ない が 「 独 身」制 に 反 す る 何 ら か の 問題 が あ っ た と は 言 え な い 政 うに この よ 。 聖 職者妻 、 い 活」 と は ど の を 罷免 し た と伝 え て た しか に 公ギ ン デ ィ ク ・ヴ ィ タ ー リ ス は モ ジ ル ー ア ン 大司教位 の ギ チ して ッ 皇特 使 の も と教 会 会 議 が 開 催 さ れ て 。 る 13) い 。 ヒ ル デ ブ ラ ン トは 直接 タ た と伝 え ら れ る 且4 ) デ リ 処罰は あ っ た が アの ニ ア 的司教罷免 を伝 え て ニ ここで ル も問 た しか に 第 28 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College 7 条 で聖職 者 「 独 身」 制 に か か わ る 決議 が 行 わ れ て い 教会職 を行 う司祭 ない 位 階 と 職 務 を失 う20) 。 、 しか し この 、 決議 に は 新性 は 認 め られ な い グ レ ゴ リ ウ ス 改 革 の 聖 職者 「 独 身」 制 に お け る 革 、 なぜ な ら 。 ら な い と の 命 令 は 含 まれ て 。 司祭 つ 助 祭 ら役 職 に 就 い て 、 こ と 、 、 子 供 を も うけ る こ い る すべ 21 聖 職者 の 列 か ら 除去 す る ) 」従 っ て 。 こ れ ま で 再 三 命 じ ら れ た こ と を繰 1056 年 に はス ペ イ 次 の よ うに 決 定 して ンの コ 禁 じる と を完 全 に ン 、 「 神 の 助 け に 支 え ら れ 、 使徒 座 の 司 教 ク レス よ この た すべ し 。 い る しか し 、 「 我 々 は 付 け加 え る バ ー い て も同様 に 定 め る ウ ス が こ れ コ ニ 。 22) 。 。 バ ース 。 バ ー ス を承 認 し た 」 しか し 。 トウ は (中略 ) 妻 と 別 れ い 。 、 、 決 第 6条を 贖 罪 を果 る 24) 。 すな わ ち 、 そ 。 この こ に は 。 なぜ な ら、 こ の 決議 の 「近 親者 同 士 で 結 婚 し た者は」 決 議 は 近 親結 婚 を禁 じ て い る の で あ っ て 一 。 23)」 トウ が 省 略 し た 箇 所 が 問題 で あ る ス 中 心 は こ の 部 分 で あ る か らで あ る と書 か れ て ある 、 さ も な け れ ば 教 会 と キ リ ス ト教 徒 の 共 同 体 か ら 追 放 され る べ し 結婚 した 司祭 と助祭 に つ 。 決 議iは の 教 会 会 議 の 決 議 の 最後 決議 内容 が 教 皇 庁 の 承 認 を 得 た こ と は 確 認 で き る うに 引 用 し て 、 が 妻 帯 司 祭 と 助祭 に 破 門 ィ ク トル 議 の 内 容 は バ ー ス ト ウ の 主張 と は 異 な る と思 わ れ る 次の の で ポ ス テ ラ で も教 会 会 議 が 開 催 さ れ た 。 「 司教 。 禁 令 に 反 す る 者 が あ れ ば、 り返 し て 定 め た に 過 ぎな い を もっ て 妻 と 別 れ させ る よ う命 じた と し て い る とあるの で 、 る い 自分 の 配 偶者 と 関係 を 持 、 この 。 決議 と 基本 トゥ ール ーズ教 会会議 の こ トウ は こ の 教 会 会 議 に 派 遣 さ れ た 特 使 に ヴ に 聖 職者 「 独 身」 、 ル ビ ラ 教 会会議 の 聖職者 に て の 決議 は この 。 4 世紀初頭の エ ル ビ ラ 教 会 会議 は エ 職 者 夫婦 が別 れ て 暮 ら さ ね ば な ここ には聖 、 ない か らで ある い 制 法令 の 出発点 と考 え られ る 的 に 同 じ と言 え よ う 。 助 祭 ら 聖 職者 は 妻 な ど の 女 性 と 禁 欲 を 守 らね ば な ら 、 守 ら ない な ら 。 る 、 29 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College 聖 職 者結婚 を 問 題 と し て い る の で は な い 『 教 会 会議 史 』 も よる 近親結婚 につ 、 結 婚 に か ん す る 決議 と は し て く異 な る の で め る に つ い な い 。 て定め て い と考 え られ る るの で れて い て は 、 こ こで 、 別 の 決議 と し て 定 あっ て 聖 職 者 夫婦 全 般 に別 居 を命 じて 、 マ ヴ ィ ク トル は 、 ロ ー 近 親結 婚 を して 、 マ リ シ カ 司教 ア ク トが キ い る 聖 職者 夫婦 い るの で は 。 この で 教 会 会議 を 開催 し た エ ー テ ィ に 移 され た こ とが 伝 えら 。 は モ ニ ァ は た び た び 問題 と され た が シ 、 ヴ ィ ク トル 、 あ る い は 彼 の 教 皇特 使 が 関 係 した 教 会会 議 で 前 か ら の 規 定 を 繰 り返 し は あ る もの の 、 聖 、 職者 「 独 身」 制 に つ い て は 革 新 的規 定 は ま だ 認 め ら れ な い テフ ス フ ァ ヌ ス ュ ァ ヌ ス 9世で 9世 ( 在 位 1057 ある 、 よ っ もに た 以 の で 1058 年 ) 〜 。 彼 は ロ ー トリン ゲ 改革派 司 教 の も と 大 助 祭 と な っ た で 協 力者 とな り の 、 。 6 月 末 に 亡 くな っ た ヴ ィ ク ト ル 2 世 の 跡 を 受 け て 教 皇 と な っ た の ジ 教会 る だ け で あ る 26 ) い うに . 取 り上 げ る な ら 決議 で は よ 2 ル ク に 決議 を 聖 職 者 の て 、 この の ある こ の 、 とル ク レ 。 以 上 、 レ ェ 。 最 後 に 1057 年 4 月 会議 につ 従っ 記すの み で い て フ な い 25) 近 親 結 婚 と 聖 職 者 結婚 と は 問 題 が 全 聖 職者結婚禁止 を 、 きで あ ろ う べ い 有 名 なへ 一 。 モ ン テ ・カ て サ ン ・ク リ ソ ゴ ノ 司 シ ノ 公 の 息子 フ リ ー ド リ ヒ レ オ 。 9世 と と もに 修道院長 とな っ た後 る 27 )。 祭枢 機 卿 と さ れ ー プル に 派遣 され る な ど ン ス タ ン テ ィ ノ コ ッ ン 枢機卿 、 、 ヴ で 、 は ス テ リエ ー ロ ーマ に 来て 彼 ィ ク トル 2 世に フ ンベ ル トゥ ス とと 重 要 な役割 を果 た して い 。 ク レメ ン ス 2 世以 来の 6 異なり 皇帝 の 指 名 き ン 、 、 ハ イ リ ヒ 、 人 目 の ドイ ツ 出 身教 皇 で あ る が あ る い は 推挙 が あ っ た わ け で は な い 3 世 は すで に こ の 世に な く 、 一 まだ 幼 い ハ イ 5 人 とは 、 以前の 。 彼 が登 位 し た と ン リ ヒ 4 世 が皇 帝 30 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College そ の 母 で あ る ア グ ネス が 摂 政 と な っ て とな り 、 廷 の 承 認 な く行 わ れ た 抗 した ゴ 。 たが の 息子 で 彼 は ロ ー トリ ン ゲ ン 公 ト フ リ ー トの 弟 で あ ッ た っ もっ と も 。 彼 の 登位 は ドイ ツ 宮 い 、 ス テ フ 、 し ば し ば 皇帝 に 反 、 ァ 登 位 時点 で ヌ ス の 教 皇 庁 が ドイ ッ 宮 廷 と の 対 立 姿 勢 を 明確 に し た と い うわ け で は な い 位が 急が れ た の は ーマ ロ 、 た っ 、 フ ァ ヌ ス は テ ス 。 ト フ リ ー ト を 当 て に す る こ とが で きた た め ゴ ッ そ の 後 ま もな くル ッ カ 司教 ア ンセ ル ムス と な っ た ヒ ル デ ブ ラ ン ト ら を 使 者 と して ドイ ッ 宮 廷 に 派遣 し て ス テフ ・ダ ミ ア ル ス も とで も改革 が 続行 した こ と は 確 か で あ る ァ ヌス の 「独 身」 制 に つ 聖 職者 は 、 オ ス テ ィ ア の レ オ は ス 、 テ フ ァ 約 、 8 2つ だ けで あ る ロ ーマ 教 会会議 で 知 られ て 、 ル ッ カ の ン 。 る うで あ る ン ム 聖職者 に イ この 。 い は ニ 。 30 し た 」 と述 べ て い る ) 者 と民 衆 を 召 集 る の は 。 、 修道士 か らサ ン ・ヴ ィ チ ン ェ 。 シ モ 、 ニ い る 。 テ ー トを 与 え た こ と だ け で あ る 31 ) もち ろ ん で あ ろ うか で ン ツ ォ ドな る 司 祭 に 与 え た カ プ ア 市 民 に 聖 務 停 止 令 を 発 し た 「 独 身」制 に か か わ る 決 議 よ る 29 )。 い 「しば しば 教 会会議 に と りわ け聖 職 者 ヌ ス は ーマ 最初 の は ロ 教会会議 で あ る は と る 28) 。 月 と い う彼 の 短 い 在位期 に 開 か れ た 教会会議 で 知 られ て ヶ の 教 会 を奪 い ラ や大助 祭 彼 は まず ペ ト 。 認 め られ る の らか の 革新が い て は何 と司 祭 の 結 婚 に か ん して 都 市 の 聖 職 しか し い を オ ス テ ィ ア 司教 枢 機 卿 と し て 改 革派 を強 化 し て ニ また そ 貴族 の 介 入 を 避 け た い とい う事情 が あ り れ に 対 す る 軍 事的 保 護 と し て で あ 彼の 登 。 ア に か ん す る 決議 こ と 聖 職者 もな か っ た 教 会会 議 は 教 会改革 と は ほ と ん ど 関 係 が な か っ た と 思 わ れ 。 も う一 つ は フ ォ ン タネー ト ゥ ム ル ド と ラ ン ドル フ な る 者 が 聖 ノ 大 司教 ヴ 先 の ィ ド 2 名 を召 喚 教 会 会 議 で あ る 32 ) 当時 。 職 者 の 腐 敗 を批 判 して (グ イ ドー ) が 招 集 し た の した が 彼 ら は 現 れ ず らは こ れ を 意 に 介 さず 、 、 が この 教 会 会議 は な お 教会 批 判 を続 け 一 、 い た 。 、 ミラノで ア リア こ れ に 対 して ミ ラ 教 会会議で あ る 。 2 人 の 破 門 を宣 言 大司 教 は した 。 彼 パ タ リ ア」 彼 ら に 従 う群衆 は 「 31 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College と呼 ばれ る よ う に な る 33) 。 ス テ フ ァヌ ス は ヒル 当 た らせ た ない 。 で の破 小 しか し 。 、 ス 、 ル の 聖なる フ ァ ヌ ス は フ ォ ン タ ネー トゥ ン ドル て い フ ーマ 教 会の 慣習 は ム 教会会議 い 、 す なわ ち 。 き り分 か ら た と思 わ れ 35) 聖 職 者 「 独 身」 制 の 問 。 る グラ テ ィ ア ヌ ス 異なる っ 教 皇 は ま だ本 格的介 入 を意 図 し て は 、 言 葉 と して 次 の よ うな 条 文 が 記 さ れ て ロ て は は 調査 に 、 は 妥協 的 措 置 を と っ た と伝 え て 明 確 に 取 り上 げ た と は 考 え られ な い 12 世 紀半 ば に 編 纂 さ れ た い わ ゆ デ テ 大ラ 事 態 の 成 り行 き を見守 っ こ で い しか し い ず れ に せ よ 。 題をこ ば 門 を撤 回 した と語 り 、 が と っ た 措 置 につ ス テ フ ァ ヌ ス ラ ン ドル フ に よ れ る か ら で あ る 34) お らず 、 デ ブ ラ ン ト らを 特使 と し て ミ ラ ノ に 派遣 して 教令 集 に は る 36) い 厂東 方 諸教 会 の 慣 習 と 。 東 方教 会 の 司 祭 、 ア レ クサ ン 、 助祭 、 副助 、 祭 は 結婚 で き る 西 方 教 会 の 司 祭 は 副 助 祭 か ら司教 まで 結 婚 は 許 さ れ な い 」 。 ィ アヌ ス 伝 えて い に は 理 解 困難 な 部 分 も あ る が 、 に結婚 が 、 こ れ を ロ 管 見 の 限 りで は グ ラ テ で の 、 発言 と して ィ アヌ ス だ けで あ る 7 世 紀末 の 。 よ うな誤解 の 由 来 を こ こ 検討 す る 余裕 は な い で 教 会 法 で 明確 に 定 め られ て い る ベ トル ス ・ダ マ の 聖 職者に い 。 こ の 、 発言 を ま た 、 内容 的 。 東 方 教会 で 司祭 わ ゆ る トゥ 叙 品 後結婚 す る こ と は 禁 じ られ て 、 。 こ こで 西 方教 会 の 司祭 に 結婚 が 許 され な い と い うこ と で あ る が じた と伝 え て るが ル ッ ロ 一 司 教 を の ぞ く東 方 教 会 の 聖 職 者 に は 時 的 貞 潔の み が 課 さ れ 、 通常 の 夫婦 の 性 生 活 は 許 され た が トへ の 書 簡 で い 革 新 的発 言 と は 言 え な い 、 許 さ れ た と い うの は 事 実 に 反 す る 教 会会議 で この 。 ーマ 教会会議 グラ テ るの は は 、 、 ミア は 。 とで あ り 、 問題 と な る の す なわ ち 。 ス テ フ ァ ヌ ス た と え 彼 らが 妻 と 別 れ を 果 た す よ う命 じ た 39 )」 と い うの で − て い て ある 。 、 な ん ら革新性 は 認 め られ な い 38) 9 世 が 聖 職者 「 独 身」 制 に つ 、 は 。 4 世 紀以 降の これ は 1064 年 頃 書 か れ た と 考 え ら れ る トリ ノ 司 教 ク ニ ス テ フ ァ ヌ ス い る 、 ニ こ 、 た 3η い ス て い も テ て の ロ 聖 職 と内 陣 か ら去 り 、 ァ ヌ ス がこ の ー 贖罪 、 フ ル 次 の よ うに 命 「 不 貞 に 暮 らすす べ が ベ 命令 を い つ 、 32 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College ど の よ う な 形 で 出 した の か は 、 明 ら か で な した オ ー ウ ェ ・ブ ル ン 令 は ペ トル ス ・ダ い 「 妻 と別 れ て 。 るよ 1057年 の は ニ に よ ミア ム て しか 伝 っ 箇所 も」 と の い て う に も思 わ れ る が は 、 ー ロ は 最近 。 教 会 会議 と し て こ 証言 だ け で の ニ うに ス テ の よ は、 こ とは 言 えない ス テ フ ァ ヌ ス 。 っ 8 、 ヵ レ 。 オ い る が 制 し て は も っ ぱ ら 4 世 紀 以 来 の 規 定 が 繰 り返 さ れ る だ け で 3. 二 テ フ ァ ヌ ス の 出 ベ ネデ ィ 死後 ク トゥ ー ロ 、 ゲラ ル を非 難 す る と と も に う 。 ロ こ れ を見 て ーマ に 入っ て て 聖職 者 「 独 身」 、 新 た な主 張 は な 、 ベ 貴族は ヴ ェ ッ これ に 。 レ トリ 司教 ヨ 反 対 した ペ トル ン ッ ェ ネス を教 皇 に 選 ハ ・ダ ミ ア ス ゲ 承 認 を得 、 ス トリ 教 会 会 議 を 開催 し て ベ ネデ ゴ ッ 、 ネデ ィ ブル ゴ ー ニ ュ 出 身で ロ ト フ リ ー ト ら の 軍 事 的支持 の も と に ク トゥ ス 10 世 は ロ も長 くは な い が 新 た な 一 歩 が 踏 み 出 され た の で − ある 、 は 、 ン公 ゴ ッ ィ ク トゥ ーマ に ロ トブ ス 向か ー マ か ら逃 亡 、 ゲ ラ ル ドゥ ス は 1059年 1 月 24 日 に 登 位 式 を行 い し 、 ニ 大 司教 ゲ ラ ル ド ゥ ス を ン ス は 彼 の 在位 期 も 2 年 と必 ず い し教皇庁 を 中心 ー トリ ドゥ リ ー ト と帝 国宮 廷 の マ シエ ー ナで フ ィ レ 、 。 彼に 。 。 10世 と し た ス ヒ ル デ ブ ラ ン トら と 合 流 し 選 出す る て は聖職 2世 ( 在位 1058 〜 1061 年 ) :コ ラ ウ ス ス 、 ない の で あ る い い とは で き な い こ 9 世 が 登位 革 が 開始 し て か ら 10年 近 くが 経 過 し て お明確 には 現 れて が新 た 月 と い う短 い 在位 期 間 で は そ れ を明 確 に 打 ち出 す こ とは で き な か っ た の か も しれ な い とす る 教 会 改 い 。 、 た と して も 命 残 念 な が らペ トル 、 9 世 時代 に も 聖 職者 「独 身」制 に つ フ ァ ヌ ス この 、 そ う断言 す る こ と は で き な い 者 と妻 の 別 居 を 強 制 す る と い う新 し い 要素 を 確 認 す る そ の 意 図が あ る が 40 ) い え ら れ て お ら ず 、 た しか な証拠 は な な段 階 に 一 歩足 を 踏 み 出 そ う と し た の か も し れ ない が ス ・ダ ミ ア 簡 を英訳 トル ス の 書 ペ 、 聖 職 者 夫婦 の 同居 禁 止 を 意味 し て 、 き り した っ マ い 、 ニ コ ラ ウス 2 世 と 名乗 っ そ の 間に 聖 職者 「 独 た 41 ) 身」 制 。 に つ 。 33 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College ニ ラ ウス は その コ 後 皇 選 挙 教 令 を定 め た は 、教 身」制 に つ とで こ 教会会議 を 開 催 し た 有 名 な もの も重 大 な 決議 が な さ れ て て い ーマ で 4 月に ロ 、 る い あ る 42) で しか し 。 それ は 第 。 この 。 、 教会会議 聖職 者 「 独 3 条 で ある まず、 。 第 3 条 を訳 出 し て み よ う 。 誰 も 、 ミサ に 疑 い な く妾 を 囲 っ た り女 性 を引 き入 れ て 出 るべ か らず もっ て 定 め る 独身に つ 者に い い 司祭 。 それ 故 。 助祭 、 定め の 後 て の 全 能の 神 に よ 、 う に 宣 言 し、 命 じ る よ て こ の よ 聖 務 を行 わ ず 1059年 の ー ロ マ の 書 簡46 )が ガ ス 、 ロ 、 規 定の 内容 は る教 トロ と聖 て い ー す 。 ニ ュ の べ ーマ 教会会議 コ 司 教 た ちへ の の この 次 、 る 者 と と も に 司 祭職 に お い っ 、 ボ ニ こ 。 各地の キ リス ト て 回勅 44) ガ リ ア 、 ル フ ィ の 、 司 教 た ちへ れ ら で 伝 え られ る 貞潔 そ れ は 送 ら れ た地 方 に 対す 、 ゾ も こ の 教 会 会議 で 聖 ユ 職者 の 貞潔義 務 に ー グ の 年 代 記 も 貞潔規 定 を る 49) 。 決議 は あっ た 。 ある この 。 て 神 の 承 認 を得て 我 々 に 書 簡 45) ア マ か ん す る 決議 が な さ れ た と伝 え48 )、 フ ラ ヴ ィ ニ の 、 2世 によ ラ ウス 決 議 を伝 え て い る 。 い 職者 の 権威 を も っ パ ウ ロ の て の キ リ ス ト教徒 に 送 ら れ た 皇 の 配 慮 か ら で あ ろ う47 ) 伝 えて レオの聖 。 完 全 に 一 致す る わ け で は な い が 、 と を破門 を 判 決 が 下 さ れ る ま で 、 ミサ を 挙 げず い て の 教 会 会議 の 決 議 は ニ コ ペ 先 の 定め に 従 っ 、 る司祭の 教 会 か ら職 務 を受 け る べ か ら ず 43) 、 教徒 に 書 簡 で 伝 え られ た アキテーヌ 良 き記憶 の 教 皇 、 そ の よ うな 聖 職 者 は うな こ と に つ 福 音 書 や 書 簡 を読 ま ず て 。 の こ い 妾 を 公 然 と 囲 っ た者 、 囲 っ て い る 妾 と別 れ な て 、 使 徒聖 っ の よ っ 、 る と知 っ て 聖 なる 教 会 会議 は 以 下 、 副助祭で 、 い 第 1 2 に つ 、 の 点で これ 、 こ れに よ っ 決議 で 言 う妾 と は まで て聖 、 の 職者 「独 身 」 制 を変 更 す 聖 職 者 夫 婦 の 同居 は 明 確 に 禁 じ られ た 正 妻 以 外 の 女 性 とい う意 味 で は な い る 一 。 もの こ で とで 当時の 34 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College 教 会法 で は 妻 と妾 は 明 確 に 区 別 さ れ て 不道徳 な ニ ュ ア ン ス な い 50) 教会会議 の 決議作 成 者 は も 1059 年 末 に ヒ ル デ ブラ ン 禁 じられ て る と述 べ て い を禁 じ た の で あ る 51 ) トに 宛 て た 書 る 52 )。 ボニ ゾ 簡で も た 聖 職 者夫婦 は 同 居 を 許 され て い 決議 が 初 め て な の で あ る 55) 革新性 を 示す も うひ と つ の 点は れたの は 命 じた この こ 、 、 。 る こ と を認め た の で め で あっ た と を 禁 じて 。 4 世紀の い る 57) 。 ガ また ある ン 、 ・ダ ミ ア ス ニ 教会会議 で 司 教 た ち は 妾 と る 53 ) た 54 ) い れ 以前、 こ 。 確に禁 じら それが明 。 叙品 。 と で あ る 56 ) す な わ ち 、 一 抗す この 、 聖 職者 夫 婦 の 同 居 は 教 会法 で 、 この 、 トル ペ 。 暮 らす 聖職 者 を 排 除す る よ う命 じ ら れ た 、 と伝 え て い 前 に 結 婚 して 従っ て 。 こ と 、 。 を 含 む 妾 と い う言 葉 を 用 い た の で あ ろ う 決議 は 聖 職 者 が 妻 と 同居 す る い い 不 貞 聖 職者 の ミ サ の ボ イ コ ッ 般信 徒 が 聖 職 者 を 判 断 し そ こ れ は明 。 権威 に 反 の らか に そ れ まで の 教 会法 に 反す る 定 会会議 は 、 妻 帯 聖 職 者 の グ ラ教 、 トを 信徒 に ミ サ を拒 否 す る こ 『 偽 イ シ ドル ス 教 令 集 』 は 、 信 徒 が 聖 職 者 の 行 動 を判 断 す る こ と を 禁 じ て い る 58) 。 も っ と 、 不 貞聖 職 者 ボ イ コ 。 す な わ ちす べ も けで は な い 司教 た ち へ の 書 簡 で は ボ イ コ ヌ 、 ガ ー ニ ュ の リ ス ト教 徒 に て の キ の ス コ トは 上 記 の す べ て ッ 、 ボイ コ ッ コ 、 い る 59) 。 また 、 ペ 教 皇 庁 の キ リ ス ト教 世 界 全体 へ トル の ス ・ダ ミ ア な らず 、 助 祭 の 朗読 す る 書 簡 を 聞 い て は な ら な い 」 と書 い て ッ ニ ル フ ィ ガ リア 、 ア キ テ ー ブ レーシ 、 るわ い 、 い ャ 妻帯聖職者が ない しか し 。 や ク レ ミサ を ボ イ が トリ ノ 司教 へ の 35 書 て い 助 祭 の 朗 読 す る福 音 や 副 い る こ と か ら60) 、 信徒 に トが 教皇庁 の 戦術 と し て 採用 され て い た こ とが 分 か る の で あ る 一 、 ーナ、 モ 命令 と し て 「女 性 と 関係 を 持 っ る こ とが 知 られ て い る 司 祭 の ミサ に 出 て は よ る ボ イコ 、 多 くの 民 衆 が 妻 帯 聖 職 者 の な ど 多 くの 司 教 区 で トした と伝 え て ッ 簡で ン ツ ァ るが トに は 言 及 さ れ て ボ ニ ゾ は ロ ー マ 教 会 会議 の 決議 が 伝 え られ る と ェ い ー グの 司教 た ち へ の 書 簡 と ユ 年代 記 で は 聖 職 を行 うこ と を 禁 じ る の み で ピア チ 史料 に 記 され て 宛て ら れ た 回勅 と ア マ トが 命 じ られ て ッ の 。 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College しか し こ 決議 に は 「良 き記 憶 の 教 皇 レ オ の 聖 職者 の 独 身 に つ 、 後」 と の 一 節 が あ り 通 常 め の もレ オ い 。 はな く 。 し い い て 定 る レオは い 前稿 で 示 した よ うに 。 レ オ ユ世 。 1 世 は 聖 職者 夫婦 の 同 居 を承 認 して い 「 古 き 良 き法」 で あ っ て あ る 63 ) 彼 ら が そ の 立 法 を レ オ 。 、 い 、 そ れ は 教 会 法 に 受 け継 、 た しか に レ オ 法 とは 言 及 され て こ こ で て 重 要 な 発 言 を して お り 改 革 派 もそ の 立 法 を 革 新 的 な 法 と は 考 え て 、 中世 に お で 、 「 独 身」制 に か ん す る 革 新 は 認 め ら れ な い は 聖 職 者 「独 身」 制 に つ が れ て き た 62) だが 1 世 と考 え る べ き と思 われ る レオ 、 9 世 時代 に 聖 職者 オ て の も し そ うで あ る な ら 、 や は り聖 職 者 「 独 身」 制 に か ん し て 9 世 が 画 期 と 言 うこ と に な ろ う 9 世で レオ る 61 ) 。 い 9 世 に よ る もの を指 す と考 定 め とは レ オ こ の 、 え られ て レ の なか っ た る なぜ な ら 。 。 、 しか 西欧 革新 で あ っ て は な ら な い か ら 1 世 に 遡 らせ た の は 、 そ の 正 当性 を よ り強 化 す る た め で あ っ た と考 え られ よ う 。 ニ の コ ラ ウス は 1060 年 と 1061年 に も ロ ー マ 決議 の 詳細 な 記録 は 残 っ ル フ ィで 教 会会 議 を 開 き 、 た 教 皇 特使 ス テ フ 、 、 ニ コ ァ ヌ ス が ある 対に 反 リ ヒの クス い る ラ ウ ス っ て い また こ な い が の 司祭 、 メ 助 祭 ら聖 職者 に 貞潔 に また 派遣 さ れ フ ラ ン ス に 妻 と別 れ な い 聖 直前 に 開 催 さ れ た ヴ ィ エ ン ヌ 教 会 会議 同 様 の 決 議 が 行 わ れ た と 思 わ れ る 66 ) 、 。 2 世 は 聖 職 者夫 婦 の 同 居 禁 止 の それ ら 1059 年 7 月 に 南 イ タ リ ア の 、 。 、 とい う 、 聖 職 者 「独 身」 教 会 法 の 伝 統 を 変 更 す る 方 向性 を 明 確 に 打 ち 出 した 。 1059 年 の い 、 開 催 し た ト ゥ ー ル 教 会会議 で も る 65) い 制 に か ん して そ れ まで の で しか し 。 。 詳細 な記 録 は 残 すなわ ち い 従 わ な い 者 を 破 門 で 威 嚇 した 64 ) 職 者 の 罷 免 を命 じて で も な い 女 性 と 同居 し て 、 生 き る よ う勧 告 て 教 会 会 議 を 開催 し た が で よ ロ っ ー て マ 教 会会議 の 決議 が 画 期 的 で あ っ た も示 さ れ て 名 で 書 簡が 書 か れ た が 1059 年 の ロ ー マ 教 い る 。 こ 。 まず こ の こ ろ 、 こ とは 、 ア ウグス ブ こ れ に対す る 強 ル ク司教 ウダ ル れは ブ リッ シ ュ に よっ て イモ ラ 司教 ウ ダ ル リ 会会 議 で の 聖 一 職者 「 独 身」制 に か ん す る 決議 に 反 対 36 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College して 書 た い こ と が 明 らか に さ れ て ベ トル ス ・ダ ミ ア ニ が 1059年 に ニ が シモ トル ス に よ れ ば ペ 。 トに 宛 て た 書 簡 に よ る と ン トル ス ・ダ ミ ア ニ と ル ア と 聖 職 者結 婚 を 根 絶 す ニ 起 こ し た68 ) く到 着 し た と き べ 、 、 ラノで は ミ 、 正 当化 し よ う と し た カ の ア ンセ ル ム ス ッ 多 くの 聖 職 者 が 暴 動 を 女性 と 同 居す る 聖 職 者 は 聖 職者 貞潔 の 定 め 、 ー マ 教 会 の 法 に 従属 反 抗 す る 聖 職者 は ミ ラ ノ 教 会 は ロ 。 し て お らず 、 ロ ー マ 教 皇 は ミ ラ ノ 教 会 の 事柄 に 介 入 す る 権 限 を 持 っ て と主 張 し トル ス は 彼 ら の 威 嚇 行動 に よ り身の ペ 、 た 、 帯 聖 職 者 に打 ち据 え られ 上 げ る と、 妻 ロ ーデ ィで も 。 ペ 。 。 ペ 。 司 教 の グ ル ー プ と出 会 の と ー トス カ ナ公 、 教 区 司 祭 た ち も同 じ で あ っ た い る と主 張 した 70 )。 の 決議 の 革新性 を示 して い る と い う こ と が で き よ う か た と ゴ トフ リー ト ッ 。 うに 激 し い 反 対 運 動 が 各地 で 起 こ っ た こ とは 、 先 。 で は 。 ニ ラ ウス コ ンデ ル ア レ クサ ン デ ル の 2 世 に よ る 革新 は 以 後 の 教 皇 に 受 け 継 が れ た の 詳 細 な検 討 は 今 後 の 課 題 と す る が ア レ クサ へ この よ っ 彼 ら は 、 彼 ら の 結 婚 は 教 会 法 で 認 め られ て の 彼 の 命が そ れ が 許 さ れ な け れ ば彼 ら は 罪 に生 、 ス に よる トル ま 危 う く殺 さ れ か か っ た と い う69 ) 、 トル ス が あ る イ タ リ ア きる こ と に な る と言 っ た い 司教 が 教会 会 議 決議 を読 み 、 彼 ら は 妻 を 持 つ 権利 を強 く擁 護 し 、 ャ な い 危険 さ え 感 じた と い う トル ス が 司 祭 に 妻 と離別 す る よ う説 得 し た と き ペ 、 危険に さら され た き ー 司教 区 に 戻 っ た ブ レ シ ボ ニ ゾ に よる と 、 、 そ れ に もか か わ らず彼 ら は 誤 っ た 根拠 で そ の 恐 る べ き行動 を 反 して お り に デブラ 2 世 の 特使 ペ ラ ウス コ ヒ ル い る 67)。 2世 レ ゴ る 72} グ レ ゴ リウ じて い る 73) すな わち い る ス し71) 書 、 ー ロ 筆 者 の 見 通 し を 簡単 に 述 べ る な ら 7 世 に 継 承 され た リ ウス 2 世 は 1063年 の 出席 を禁 じて 。 グ 、 、 マ ロ と言 うこ とが で 、 きよ う 。 教 会 会 議 で 妾 を囲 っ て い る 司 祭 の ミ サ 簡 で も再 三 7 世 も 1074年 の あろ う で 、 職者夫 妻 の 同居 を 非 難 し て 聖 ーマ 教会会議で 聖 職 い 者夫婦 の 同 居 を 禁 。 、 聖職者 「 独 身」 制 に か ん して 一 ニ コ ラウ ス 2 世 時代 は 転 換点 で 37 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College あっ た 1059 年 の 。 ロ ー と暮 らす 聖 職 者 の ミ サ マ 教 会 会 議 は 聖 職 者 夬婦 の 同居 を禁 じ る と と もに へ の 教 会法 の 伝統 か ら 新 し い 一 歩 を 踏 み 出す 定 め で あ っ た の レ ゴ グ リウ 7 世 に 継承 さ れ た ス 制 に か ん す る 革新 性 は ニ で 出 席 を 信 徒 に 禁 じた の で あ る が コ グ レ 。 ゴ 妻 そ れ は そ れ まで 姿勢 は そ して こ の 改革 に お け る 聖 職 者 「 独 身」 リウス 2 世 時代 に 出 現 した ラ ウス 。 、 、 と言 う こ とが で きる 、 あろ う 。 お わ りに い わゆ る グ レ ゴ 9 世 に始 ま リウ ス 改革は レ オ っ た とされ る 重 要 な 要 素 の ひ と つ と さ れ る 聖 職者 「 独 身」 制 に つ が確 立 す る の は 、 。 は 9 世 か ら数 え て 3 代 目 の 教 皇 で レオ 1059 年 の 代 と言 え よ う ロ ー マ レ ゴ リウ ス 改革 は 単 に 教 会 法 に 定 め られ て 、 一 歩 を み 出 す もの で あ 踏 ある 改 革教 皇 庁 の 方針 ニ コ ラ ウス 2 世時 画 期 と考 えて 問 違 い の っ た 。 で ある 訴 え られ て い 。 た 74) グ レ ゴ リ ウ 。 る 立 法 が 激 しい 反 発 を招 聖 職 者 の 貞潔 は 不 可 欠 と され た 現 実に 。 、 い い た の は そ れ まで は個 人 の 、 た法 叙 品後 、 、 そ の い た の 監 視 を信徒 に 改 革 以 前 に も再 三 教 会会 議 改 革 に お け る 聖 職者 「 独 身」制 に か ん す ス 、 まさにそ の 革新性 に よる の で ある 。 秘 蹟 と い う神 の 恵 み を伝 達 す る 儀 式 を 執 り行 う者 に 必 要 の 家 の 中で 覚に よ らざる を得 ない られ て られ たの は 夫 婦 の 同居 は 承 認 され て そ れ まで の 教 会 法 規 の 遵 守 は い 法 の 伝 統 か ら新 た な 改 革教 皇 庁 は 聖 職 者夫婦 の 同居 を 禁 じ る と と も に 委ねた の 、 な が ら空 文 化 して 4 世 紀 以 来 教 会 法 で 定め 、 、 い そ れ は そ れ まで の 教会 。 結 婚 と 聖 職 者 夫婦 の 性 交渉 の 禁 止 で あ り だが で 、 その 、 。 規 の 遵 守 を 訴 え た だ けで は な い で 教 会会 議 第 3 決 議 が そ て しか し ない で あ ろ う グ の い 。 。 実際 教 会 法 で は 夫婦 間 の 貞潔 を 守 る よ う命 じ る 本 当 に 守 られ て こ れ が 、 い る か は 聖 職 者 自 身の 自 聖 職 者 夫婦 に 子 ど もが で きる な ど な い こ とが 明 る み に 出 る こ と もあ っ た で あ ろ う 。 一 の み それ が 、 グ レ ゴ リウス 守 改革 38 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kalsel Kobe Kaisei College College は 聖 職 者 夫婦 の 同 居 を禁 じ る こ と に よ で ある 。 で は 、 あ ろ うか よ うに グ につ い 、 そ の 貞潔 を確 立 し よ う と し た の 括弧付 きの 聖 職 者 「独 身」制 で は な く 真 の 聖 職者独 身 で ある 、 。 なぜ こ の よ う な 革 新 的 法 規 が ニ 。 て 、 すなわち 制 が 目指 され た の っ コ ラ ウス 2 世時 代 に 定 め ら れ た の で そ の イ ニ シ ャ テ ィ ヴ は 誰 が と っ た の で あ ろ うか レ ゴ て は今 リウス 改 革以 降 、 後の 課 題 と し た い 継承 さ れ て い 。 くの で あ ろ うか また そ れ は どの 。 これ らの 問題 。 一 39 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronlo Library Service Llbrary Kobe Kaisei Kobe Kaisei College College 注 1) ・ブ た とえば 、A リッ シ 『グ レ ゴ リ ウ ス 洋二 改 『 叙 任 権 闘争 』 ( 野 口 洋 二 訳 ) 創 文社 、1972年 、 3 〜22 頁、野 rl ュ 革の 、 研究』 創文社 、 1978年 、80〜89頁 、 。 2 ) Anne Llewellyn Barstow Married Priests and tlte refbrmin . New York and g Pap α ay, Toronto 1980 P . 51 . 3 ) 拙 稿 「教 皇 レ オ 9 世 と聖 職 者 『独 身』 制 」 「神 戸 海 星 女子 学 院 大 学研 究 紀 要 』、第45 号 、2007 年 、31 〜49 頁 。 4 ) 野 口 、前 掲 書 、34頁 八 代 崇 「 聖 職 者 の 妻 帯 と 教 会 一致 」 『キ リ ス ト教 学 亅26 1984年 102 〜103頁 5) Colin Morris The Pap α 1Mon α rchy : The WesternChurehf}’nz 10. 50 to 1250. Oxford 1989 88−89. PP . 6) _sy oniaca heresiset turpig. sima fornicatiosacerdotum divino mucrone percusa est . Nam in eadem synodo multi episcoporum per symoniacam depositi sunt et quam plures fornicationis crimen . . . MGH Libelli Li cle 七e ( LdL ) 1 p590 ;1. S. Rebinson The Pap t per ref ・rm ・f the ete enth cerLtur . y Lives f P pe Le ・ IX and P ・pe Greg ・ry VII( Pap l ref )rm ♪ 2004 p 」 95 . 7) た と え ば 、1059 年 4 月 の ラ テ ラ ノ 教 会 会 議 で 罰 せ ら れ た 妻 と 同居 す る 聖 職 者 に つ い て sac − concubinatos erdotes et levitas と して い る MGH LdL 1 pp . 594. 8) 拙 稿 「教 皇 レ オ 9 世 と 聖 職 者 『独 身』 制 」 『 神 戸 海 星 女 子 学 院大 学 研 究 紀 要』 45号 2007年 ’ −P . =PL ), 9) J . Migne Patrologt ae cursus completus Paris 1844−64( ,8酬 2s L 跏 ,221 vols . 144 coL322 ; The Fathers of the Church丿 漉 ∫’ el Z Con . tinuation ’ Tlbe Letters ef Peter D mian ‘=Peter D nzlan ), voL3 , tr. by Owen J . Blum O . EM ,p . 151 . 10 ) G . D. ]M 【 ansi Sacrorttm concitiorum nov α et amplissirna eollectio ,60 vals . Paris 1901− 27 (=Mansi ),19 col . 825. 11 ) MGH LdL 1 p592 。 Robinson Papal reforrrt pp199 −200 . ボ ニ ゾ は こ の 教 会 会議 を ス テ フ ァ ヌ ス 9 世時代 と して い る 12) PL l45, col . 433;PeterD mi n voL3 pp . 1 3. 1−132 , 13) Mansi 19,co1 . 837. 14) Ibid. 837−840. ,cols . 15) The ecclesi stic 1 history o プ Orderic Vitalis (…Orderic Vitα tis) voLIV ed . M 朗 orie − Chibnall Clarendon Press 1973 , 84 . 87 . pp 16 ) Barstow op . cit . . Orderic Vitalis vo1 . II pp . 29 〔F291 .バ ース ト ウ は 19 世 紀 に 出 版 さ れ , p S6 . た 古 い Le Prevost版 を参 照 して お り、第 5 巻 の 9 と 指 定 し て い る が 、私 の 参 照 した Chibnall 版 で は 該 当 箇 所 は 見 あ た ら な か っ た バ ース ト ウ は 参 考 文 献 にChibnall 版 も げ て い るの だ , , , 。 、 、 。 , [} , , a 皿 ” リ , ・ , = ・ , , ・ α , = α , 、 。 , , 、 α , , α ( α α , 。 , 丿α α , , , , , , , , , , 。 α α , , α α , , , , , , , 挙 。 か ら、そ の 該 当 箇 所 も 明記 す べ き で あ ろ う 。 また あ り、聖 職 者 夫 婦 の 同 居 を 禁 じ る と は 書 か れ て い 、 この 法令 は叙 品 後の 結 婚 を 禁 じる も の で な V 17) Mansi l9,cols . 839−842. 18) Mansi 19,cols . 843−844。 19) C . 」. Hefele−H . Leclercq Histoiredes conciles (=H −L ), t . IV , Paris 1907 pp . 1122−1123 . 20 ) Mansi 19 col . 848,Placuit quoque presbyteros , diaconos, & reliquos clericos qui ecclesi − asticos tenuerint honores abstinere omnimodis ab uxoribus vel reliquis mulieribus . Quod si non fecerint honore s 三mul & offTicio priventur & apropriis episcopis excommu − nicentur . 21) Mansi 2, − coL11 col505 .Placuit in totum prohibere episcopis presbyteris et dia ;PL 84, conibus vel omnibus clericis positis in ministerio absti 皿 ere se a conjugibus suis et non ( , , , “ , , , , , , , ” “ , , 一 40 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronio Library Service Library Kobe Kaisei Kaisei College College : vero fecerit ab honoreclericatu generare filio quicunque ・ 2322 855 858. ) Mansi l9 cols . Barstow o . cit . p . 214 n . 20 . Adjicimus _ acQnjugio ) ρ . ” exterminetur , , “ , expleant , . Ita disponimus de expellantur poenitentiam & , Christianorum & consortio aut ab ecclesia , presbyteris& separentur , , diaconibus conjugatis . ” Mansi 19 col . 858 .ut hi consanguinei qui sun 七conjugati , − H L t IV Paris 1907 . 1124 . 25) ,. , , p −858. cols . 26) Mansi 19 857 t ’ cit . 89 Agostino Paravicini Bagliani L Eglise romaine de 1054 ti 1122 27 ) Morris o ρ . ; −M , in: ed . J. . et L . Pietri A . Vauchez , r6forme et affirmation de la Papaut6 , Mayeur Ch . p59 . など M. Venard, Histoire du christi nisme 5,Descl6e,1993, cit . p . 85;Friedrich Kemp 嶋 肪 e C1協 rc ん ‘ 疏 e 28) 野 口 、前掲 書 、90 〜9 頂 Blumenthal op . tr. by Anselm Biggs New York 1980 p , 358 . , age(offeud αlism. Controversy Church 雇 Mb π 孟rc 勿 加 肌 the 29 ) U 七a −Renate Blumenthal Th陀 lnvestiture ∫ Press p . 77 . Centur Ninth to the Twelflh ) 1988 UniversityofPennsylvania VII . 693 . 30} MGH Scriptores p 31) Mansi 19,cols . 865−868. 32 ) Mansi l 9, cols . 865−866. 33 ) パ タ リ ア に つ い て は 、野 口 、前 掲 書 、 110− 111頁 井 ヒ雅 夫 「パ タ リ ア (1 )」 『人 文 学 』 136号 、1981年、 1 〜33頁。 同 「パ タ リ ア (2 >」 『人文 学 報 』 30号 、 1981年 、56 〜88頁 、 を 24 ) ,, “ , , , , ; , , , α , 。 。 , π , , , , α , , , , , α , , 、 見よ 。 IV Paris 1907 p . 1131, 34) H −L t . 35) 井 上 、前 掲 「パ タ リ ア (2 )」、59頁 115. by Emil Friedberg Corpus Iuris Canortici I Leipzig 1879( 3nd 。 Graz 1995) col . 36) Ed . , “ Aliterse habetorientalium ecclesiarum 七raditio aliter huius sanctae Romanae ecclesi − , , , , 。 , , ae Nam . autem eorum ecclesiae sacerdotes , diaconi atque , uel occidentalium nullus subdiaconi sacerdo istius copulantur matrimonio 七um a subdiaeono usque ad ; episcopum licnetiam habet coniugium sortiendi . こ れ は Jaffe Regest Pontificum Rom α norurn (= Regest ) n . 4375 に も 1057 年 の ロ ー 教 会 会 議 で の 決 議 と し て 採 録 さ れ て い る 。 Celibacソ in East αnd West Herefbredshire 藍 989 p . 139. Christian Cholij Clerical . { ・ る の 立 『 海 星 女 子 学 院 大 学 短 期大学研 究 拙 稿 「西 欧 中 世 に お け 聖 職 者 『 独 身亅制 成 」 神戸 〜 紀 要 』、第 38号 、1999年 、214 217頁 col . incontinentes exstiterant de conventu PL 145, 409; omnes clericos Romae qui _. , − et choro ecclesiae exire ut per poen clerieorum praecepisset quanquam reliCtis feminis, itentiae se lamenta corrigerent et de ;tamen quia sanc 七〇 viro inobedientes fueran 七, ” sacrario ad tempus exirent , 269 . PL 145 col . 400 ;Peter Damian t. 5, p . F. Kempf ,p . cit . p . 359 ;Bagliani Op cit. p . 59. , − つ これに い て は 、Hefele Leclercq o ρ. cit . pp , 1139−1169. を見 よ , Mansi 19 cols . 897−898. Ut nullus missam audiat presbyteri quem scit concubinam muliere 皿 . Unde etiam ipsa sancta synodus indubitanter habere aut subintroductam − statui 七 dicens: Quicu皿 que sacerdotu 皿 , diacono hoc capitulum sub excommunicatione − beatae memoriae praedecessoris nostri sanctissi rlm subdiaconorum , post constitutum duxerit vel ductam non concubinam pala mi papae Leonis de castitate clericomm ex parte omnipotentis Dei auctoritate beatorum apostolorum Petri & Pauli reliquerit , ” α , α 37) 38) マ , , , , 。 39) “ , , 40 ) 4D42 ) 43 ) , 〔〜 , , , , 。 , “ , , , , , 皿 , , , praecipimus,& omnino contradicimus ut missam , 一 41 non cantet neque , evangelium vel 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronio Library Service Library Kobe Kaisei Kobe Kaisei College College in presbyterio ad divina ofHcia legat neque iis qui praefatae constitutioni obedientes fUerintmaneat neque partem ab ecclesia suscipiat , quousque a ー nobis ロ パ sententia super hujusmodi Deo concedente ッ 中世 史研 究 会編 procedat.ヨ 『 西 洋 中世 史料集 』、東京大 学 出 版 会 、2000年 、215 〜216 頁 に 和 訳 が あ る 。 44 ) PI 143 cols . 1315−1316 , 45 ) PL 143 co1 . 1315;Mapsi 19 col , 897 . 46 ) PI 143 coL1317 . 47 ) H −L t. IV Paris,1907,p . 1167 n . 1. 48 ) MGH LdL I, p . 594;Robinson o ρ. cit . p . 204. 49 ) MGH Scriptores VIII p . 409 . 50) James A . Brundage Concubinage and Marriage in Medieval Canon Law ed 。 Vem Bullough and James A . Brundage Sexual Practiees nd the Mediev α l Churclt Buffalo NY 1982 pp . 119 −128 . 51 ) Barstow op . cit. P56 . 52> PI 145 coL90 ;PeterD α mi α n t. 3,p . 25, 53 ) MGH LdL I,p . 594;Robinson,o ρ.c 肱 ,p . 204. 54 ) MDortel −Claudot, Le pr6tre et le mariage : Evolution de la 16gislation cann 圭 que des orig − ’ − ine au XIIe si壱cle , L ann6e c α nonique l7( 1973 ) pp . 335 337 .拙稿 「中 世 前 期 に お け る 聖 職 者 夫婦の 同居 に つ い て 」 『 神 戸 海 星 女 子 学 院 大学 研 究紀 要 』、第43 号 、2005 年 、19〜35頁 55 ) 1022 年 の パ ヴ ィ ー ア 教 会 会 議 決 議 を こ の 決 議 の 先 駆 と す る 見 解 も あ る が 、パ ヴ ィ ーア で 問 題 と さ れ た の は 聖 職 者 の 性 倫 理 で は な く 教 会財 産 の 保 護 で あ り、1059年の 決議 と の 間 に 関係 性 を見 い だ す こ と は で き な い Uta −Renate Blumenthal Pope Gregory VII and the =Nicolaitism) in: ed . Prohibition of Nicolaitism ( by Michael Frassett, Mediev 1 Puritor ・ and Piety, Essa型 s on Medieval Clerical Celib Refbrm . New York , α ay αnd Religious 1998, 240−241. pp . 56) Blumenthal Nicolaitism pp . 242 ・ 243 ; Barstow , op . cit. . E. Lynch Marriage and , p 56 ;J . −canonical synop − celibacy of the clergy :The discipline ofthe western church an historico ; sis Part II Thejurist 32( 1972 ) p . 189 . 57) Mansi 2 col . 1102 .拙 稿 「西 欧 中 世 に お け る 聖 職 者 『 独 身』 制 の 成 立 」 『 神 戸 海 星女 子 学 院 大 ・ 学 短期 大 学 研 究 紀 要 』、第38 号 1999年 215頁 55 8) Blumenthal Nlcolaitism . p . 244. ( MGH LdL I p594 ;Robinson,Papal refbrrn ,p . ) 205, ! 0 O1 Peter D α mian t. ) PL l45 cel , 5 ,p . 261. ! 一 0 ) た と え ば 、 ヨ ー ロ ッ パ 中世 史 研 究 会 編 、前 掲 書 、215 −一 216頁 Blumenthal Nicolaitism . 243 . も で は い レ 筆 者 前 稿 そ う考 え て た 。 拙 稿 「 皇 オ 9 世 と 聖 職 者 『独 身亅 制 」 『神戸 海 p 教 星 女 子 学 院大 学 研 究 紀 要 』 第 45 号、2007年、44頁 62 ) 拙 稿 「 聖職者 『 独 身』 制 の 成 立 」 『 神 戸 海 星女 子 学 院 大 学研 究 紀 要 』 第 38号 、1999年 、229〜 230 頁 Gerd Tellenbach The church in western Europe from the tenth to the e α r 砂 twelfth centut : tr . by Timothy Reuter p . 165も こ れ を レ オ 1 世 と して い y ,Cambridge,1993, epistolam ac missam cum , , ” , 」 , , 」 , , , , , , , , , , α , , , , , , , 」 , , , 。 、 。 , α , , , , , , , , 、 , ソ , 、 。 , , , , 。 , , 。 。 , , る 63 ) 。 世 良晃 志 郎 「中 吐法 の 理 念 と 現 実 」 『岩 波 講 座 世 界歴 史 7 年 409〜415 頁 、 、 中世 1 』 所 収 、岩 波 書 店 、 1969 。 H −L 亡。 IV Paris 1907 p . 1185 . 656667 927 , ラ Mansi 正9 col . − H L t . IV Paris 1907 , p . 1202 , ラ ’ Ulrich d Imola Etude sur 1h6r6sie nicolaite ラ Augustin Fliche, ; 桝 ラ , レ , , , , , , ’ 一 I七alie au en milieu du Xle 42 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronio Library Service Library Kobe Kaisei Kobe Kaisei College College religieuses II 1922 pp . 127−139.ウ ダ ル リ ク ス の 書 簡 は 、 MGH Revue des Sciences − LdL I, 254 260 を 見 よ pp . PL 145 coL90 3 pp . 25−26. 68) ;Peter D α mi α n t. LdL I p594 . Robinson Papal reform p . 205.ボ ニ ゾ は、 ロ ン バ ル デ ィ ーア の 他 の 司 69) MGH , 教 た ち は 妻帯 聖 職 者 に 買収 さ れ て 、教 令 を公 布 し な か っ た と い う 70 ) Barstow op . cit. p . 57 . 4501. 71) Jaff6 Regesta n . 72 ) Ja 理6, Regestα , n . 4477. 73 ) Jaff6 Regest , n . 4827. 34 74 ) 野 冂 、前 掲 書 、 〜35頁 siecle , , , , , 。 , , , , , , 。 , , , , , α 。 一 43 一 一 NNII-Electronic 工 工 Eleotronio Library Service Library
© Copyright 2024 ExpyDoc