スコットランドにおける地方政治と女性地方議員(PDF 529KB)

スコットランドにおける地域政治と女性地方議員
Community Politics and Women Councillors in Scotland
春日雅司(神戸学院大学・人文学部・教授)
Masashi KASUGA (KOBEGAKUIN UNIVERSITY)
竹安栄子(京都女子大学・現代社会学部・教授)
Hideko TAKEYASU(KYOTO WOMEN’S UNIVERSITY)
はじめに
本稿は、スコットランドにおける地域政治の概要ならびに女性地方議員に対するインタビュー資料
にもとづいて、彼女たちの立候補から選挙、議員活動、地域とのかかわり、女性と政治の問題などに
ついてまとめたものである。
筆者たちはこれまで、わが国における地域政治を社会学的関心から取り扱い、数回にわたる全国規
模のサーベイ調査に加えて個別に聞き取り調査を行い、量的調査と質的調査の両面からその全体像を
描き出す試みを行ってきた。たしかに、この種の調査はそれ自体として非常に重要で意義あることで
ある。しかし、いくら詳細かつ科学的な調査を繰り返しても、そこには限界があることも否めない。
というのも、われわれが行ってきた調査は「○○市」とか「○○県」
、「近畿圏」、さらには「日本」
の地方議員であって、日本という枠組みを出るものではないからである。日本の内部に限定して、○
○市と××市、○○県と××県をそれぞれ比較する、さらに一つの県の内部で都市部と非都市部を比
較し、それぞれの地域がもつ特徴というものはそれなりに描き出すことができる。だが、日本そのも
のの特徴を描き出すのに、○○県や××市と日本全体を比較しても意味のないことで、日本全体の特
徴を知るには、日本以外の国や地域との比較が必要である。そこで比較可能な海外の国や地域を選定
すべく、文献や資料などで検討すると同時に実際に出かけてその様子を探ることにした。ただし、わ
れわれの問題関心は、われわれが政治学者ではないということもあり、主として選挙結果や政治状況
そのものではなく、むしろその国や地域の「社会」がどうなっているのかにあった。この場合の「社
会」とは、人々の社会関係のあり方を指す。日本の調査では、政治を通した地域社会における人々の
社会関係のあり方を探っていたので、やはり比較の対象も同じようなものにならざるを得ない。われ
われは自分たちが研究対象としている社会関係を、あくまでも政治の結果として現れるものに限定し
ているが、しかし仮説的には異質な社会と比較する方が日本の特徴がより鮮明に出てくると考えた。
そこで村落共同体の地理的配置に注目し、日本のように集村(塊村)ではなく、散村の形をとる地域と
して有名なスコットランドに白羽の矢が立てられた。むろん、対象をスコットランドに絞るまでのプ
ロセスも、決定に至るまでには、実際は様々な紆余曲折があり、また調査地域を決定してから色々な
情報を収集し多少なりともその地域の歴史なり、社会や文化について理解するのはなかなか骨の折れ
る仕事である。これはスコットランド以外の地域についても言えることではあるが、しかしスコット
ランドには他の多くの地域にはない特殊な事情もあった。そのことについては後ほど簡単に触れたい。
また今回、女性議員にしぼった理由は、われわれ両名の社会学的な関心から出ている。社会学者と
して社会や文化を見ていく上で、いわゆる「ジェンダー」の視点が取り入れられるようになったのは
それほど古いことではない。直接的なきっかけは 60 年代から 70 年代のさまざまな社会運動にある
が、定着してくるのは 80 年代以降である。当初、政治社会学的な関心はもっぱら男性議員を中心と
して作り出される政治社会にあったが、女性政治家との出会いや女性研究者の参入によって、ジェン
ダーを軸とした政治社会の解明は新たな研究領域として脚光を浴び、学会でも受け入れられるように
なったと考えている。
インタビュー調査の方法とインタビュー原稿について
このインタビューは 2001 年の 2 月と 8 月に春日と竹安が直接議員の所属する地域へ行って実施し
た。インタビューした数は 2 月に 4 名、8 月に 8 名であった (1)。議員へのアポイントメント等、スコ
ットランドでの手続きは Hugh Bochel が担当した。しかしこのインタビューには大きな問題、乗り
越えねばならない問題が三つあった。
第一の問題はインタビュー調査そのものである。スコットランドに来たわれわれは、約束の日時に
カウンシルの受付へ行き、その後案内されて議員のオフィスか、ロビーや会議室のような場所でイン
タビューし、相手の了解のもとに内容を録音した。ただし、録音条件が必ずしも同じではなかったた
め、一部の議員については部分的に聞き取りにくい箇所が生じていたが、全体の作業に大きく影響す
るものではなかった。こうして録音されたテープの内容はテープ起こしをし、文字として読みとるこ
とができるようにした。一口にインタビューと言っても、日本で日本語を用いて行う場合でさえ地域
や相手によっては聞き取りに困難を感じることがあるのに、ましてやイングランドではなくスコット
ランドでインタビュー調査をするというのは、少し事情に詳しい方ならいかにそれが無謀なものであ
るかお分かりいただけるはずである。スコットランドに来てから 10 年、その間竹安がスターリング
大学に 1 年滞在した以外、短期間の滞在を繰り返しているとはいえ、語学が専門ではないわれわれ
にとって、ここの英語にはいつもてこずっている。大学関係者には、いわゆるわれわれが学校で習っ
た英語を話す人がちらほらいるが、しかしローカルの人たちと話をするというのは、なかなか骨の折
れることであった。インタビューそのものは時には雑談や関連質問もあったが、原則として所定の質
問項目に回答してもらうという形で、一人 1 時間半程度で終わったが、このインタビュー・テープ
を文字化するということが第二番目の大問題であった。やはり地元の人に依頼するしかなかったわけ
であるが、幸いスコットランドの地域政治のデータ収集・整理をしている Election Studies の
Dorothy Bochel がこの重労働を快く引き受けてくれた。議員の話は、文字にしてみると、基本的に
はわれわれが学んだ英語ではあるが、しかし会話文であるのと、話の勢いとして繰り返しや突然のひ
らめきのようなもの、更には辞書にないような地域特有の表現なども数多く見られたが、彼女はこれ
ら全てを極めて適切に文字にしてくれた。
さてここまでは順調にいったが、さらに第三番目の問題があった。これを日本語にする作業がそれ
である。これは考えただけでも気の遠くなるようなことであり、できることなら専門家に委託してし
まいたいものであった。われわれは、いっそのこと英文で原稿を書けば、インタビュー原稿をわざわ
ざ日本語にする必要はないのだがとも考えた。しかし、内容を読むにつれ、これはぜひ日本の女性地
方議員の皆さんに読んでいただきたいという気持ちを強めていった。日本の女性議員とのインタビュ
ーでも、
「スコットランドではこうなんです、ああなんです」という話をすると、
「それはぜひお聞き
したい」という反応が必ず返ってくる。そこで、なんとか生の声を文字の形で伝えたいという願いを
持っていた。そうこうしているうちに、幸いにも春日が 2003 年 9 月より、グラスゴーにあるストラ
スクライド大学に客員教授として赴き、多少自由な時間がとれたのを利用し、それまで遅々として進
まなかった翻訳が一気に仕上げられた。上述のように、内容に関して一外国人にはとても理解しよう
のない箇所が多々あり、時にはストラスクライド大学やその他の図書館を利用し、また数度 Dorothy
の自宅を訪問し、長時間にわたって不明の箇所を質問しながら翻訳が進められた。これで完全だと言
うつもりはないが、とりあえず、公にしても大過のない段階であろうと考えている (2)。
なお、ここでインタビューした議員は全て 1999 年春の選挙で選出された人たちであるが、その後
2003 年春に改選され、再選された議員もいるが、一部は現在議員を離れている。われわれは 2003
年の選挙結果は考慮に入れなかった。本稿はインタビューに応じてくれた議員の個人名は全て匿名と
した。しかし議員の所属するカウンシル、政党名については、内容を理解していただくために必要で
あるので、それらをまず以下に明らかにしておきたい。
インタビュー議員一覧
インタビュー議員の政党と人数
カウンシル名
Highland
The Scottish National Party 1 名、Independnet 1 名
Stirling
The Labour Party 1 名、The Conservative Party 2 名
North Lanarkshire
The Labour Party 1 名
Prerth & Kinross
The Labour Party 1 名、The Liberal Democratic Party 1 名
The Conservative Party 1 名
Edinburgh
The Labour Party 1 名、The Conservative Party 1 名
Dundee
The Labour Party 1 名
第一部 スコットランドの地域政治概要
はじめに
スコットランド Scotland はイギリス(英国)の一部である。しかしブリテン島の北にある単なる部
分ではない。その歴史をひもとけば、ローマ帝国やバイキングに始まり、中世以降はしばしばイング
ランドの侵略の危機にさらされながらも、イングランドやウェールズとは異なる、しかし独自の政
治・経済・文化の集積体として、そのアイデンティティを保持し続けてきた。実際、1707 年までス
コットランドは独自の議会を持っていたが、しかしこの年イングランド議会と連合し(事実上併合さ
れたと言ってよい)、次第にグレートブリテンの部分となっていく。むろんしばらくはそのことに抵
抗する動きもあったが、だが時が経過するにつれ、スコットランドは大英帝国の繁栄の一翼を担うだ
けでなく、むしろ産業革命と農業革命の牽引車として華々しく世界に登場するきっかけを得たことが
わかる。その後、19 世紀半ば以降の大飢饉を機に人口の流失が起こるが、それでも当時世界の最先
端を行くスコットランドの工業技術は「帝国の工場」として大英帝国の繁栄を支えた。変化が訪れる
のは 19 世紀末から 20 世紀にかけての大規模な人口流失によってである。経済繁栄の陰に農村部だ
けでなく都市部でも人口が減少し、世界の技術革新から取り残されたスコットランドはイギリスの
「お荷物」としてその地位を低下させていく。1960 年代になって北海油田が発見され、スコットラ
ンドにもナショナリズムの機運が盛り上がるが、1979 年、サッチャー政権下で行われた住民投票は
僅差で分権賛成派が破れ、サッチャー政権はスコットランドに対する支配権を確立する。だがその強
硬な態度ゆえにスコットランドに新たな分権の火種をもたらした。この機にスコットランドとウェー
ルズ(そして制限付きで北アイルランド)に独自の議会を設立する意志を問う住民投票を実施すると
約束した労働党の党首ブレアが 1997 年の総選挙で圧勝、ここにブレア率いる労働党政権が誕生し、
翌年の住民投票でスコットランド議会設立賛成派が過半数を占め、1999 年、1707 年以来 292 年ぶ
りにスコットランド議会 Scottish Parliament が再開された。この議会がもつ意味は、基本的には国
防と外交の機能を除くスコットランド内部の政策決定権にあるが、とりわけ注目されているのは 3%
の範囲内で税率を変えられるという部分である。スコットランド議会が発足して 4 年、最初の議員
改選も 2003 年 5 月に終わり、現在新たにエディンバラ市のホーリールードに建設中の新議会棟は、
無駄遣いだと批判されながらも、その完成を待つばかりになっている。
「権限委譲 devolution」と訳
されるイギリスの新たな地方分権の試みは始まったばかりであるが、このように、スコットランドは
自らの独自性を生かしつつイギリスという全体の一部として、新しいアイデンティティを模索してい
る。
1. スコットランドの地方自治体とはどういうものか
政治的には事実上イギリスの一地域として存在するにすぎなかったスコットランドも、地方分権の
新たな試みが始まると共に一躍世界の注目を浴びる存在となった。人口がわずかに 506 万人、面積
も 77.9 千平方キロしかなく、北海道の人口・面積(567 万人、83.5 千平方キロ)とよく似たこのスコ
ットランドには現在、イギリス国会にはない独自の権限を持ったスコットランド議会が置かれている。
わが国の市町村に相当する基礎自治体=カウンシル Council は 32 あり、都道府県に相当するものは
ない。しかし 32 の単一カウンシルからなるこの行政区画も、実は 1995 年に組織替えされたもので、
それまでの約 20 年間はわが国と同じように二層制をとっていた。
図 1 に現在のカウンシルの地図を、
図 2 にスコットランドの地域行政システムの変遷を示した。スコットランドの地方行政制度は、19
世紀以降のものに限定してみると、1889 年の地方自治法 Local Government Act に始まり、1900 年
の Town Council Act、1929 年の地方自治法を経て、ほぼ 45 年間変わらずにいた。その後 1973 年
の地方自治法(75 年より実施)、ならびに 1994 年の地方自治法(95 年より実施)を経て現在に至ってい
る。図の実践部分がいわゆる地方自治体であるが、74 年の再編により、それまで細かく分かれてい
た自治体がより大きな規模のものに変わるのに伴って、その自治体の中には更にいくつものコミュニ
ティ community 組織が形成され、住民の意見がよりよく反映されるよう配慮された。このコミュニ
ティは、わが国の町内会・自治会とその機能は類似しているが、しかし構造や運営方法は大きく異な
る。
図 1 スコットランドの現在のカウンシル図
資料:Scottish
Government, http://www.scotland.gov.uk/Resource/Doc/933/0009386.pdf
図 2 スコットランドの地方行政組織の変遷
A)1929 年~1975 年 (3)
Counties of cities (4)
Counties (33)
Large Burghs
Small Burghs
(21)
Districts
(176)
(196)
Communities
C)1995 年~現在 (5)
B)1974 年~1995 年 (4)
Regional Councils (9)
Councils (32)
Island Councils (3)
District Councils (53)
Communities
Communities
2. スコットランドの地方議員選挙
わが国とスコットランドの地方議員選挙を比較すると、そこに注目すべき二つの大きな相違点があ
る。一つは「政党」の役割の違いであり、もう一つは選挙制度の違いである。「政党」の役割につい
ては次に項を改めて説明したい。まず、選挙制度についてふれておこう。
わが国の場合、市区町村議員の選挙は、市区町村という自治体全体を一つの投票区とする大選挙区
制度がとられている。したがって、わが国の地方選挙にはインタビューに出てくる「投票区」という
概念がなく、
「選挙区」と「投票区」が一致したものとなっている。スコットランドは一つのカウン
シル=「選挙区 Constituency」の中が細かく「投票区 Ward」に分かれ、投票区ごとに一人だけ選ぶ
小選挙区制度をとっている。たとえば、スコットランド最大の都市・グラスゴー市には 2003 年 5 月
現在、有権者が 45 万人余りいて、議員が 79 人いる。日本では、この場合有権者は候補者のうち一
人の氏名を投票用紙に書き、得票数の多い順番に、上から 79 名が当選となる。しかしグラスゴーで
は、市内を 79 の投票区に分け、それぞれの投票区で得票の多い候補者 1 名を当選とする(これは‘first
past the post’と言われる)。しかも投票区の範囲画定も、有権者名簿にもとづいて、全ての投票区で
有権者の数にばらつきがないように調整される。それも選挙の度に調整されるため、前回の選挙では
同じ投票区だったお隣さんが、今回は別の投票区ということも珍しくない。議員にしても、前回自分
の投票区にいた有権者が今回の選挙では別の投票区になるとか、前回は別の選挙区だった有権者が今
回は自分の投票区になるということが、選挙の度に生じるわけである
(6)。この小選挙区制度につい
ては、わが国の衆議院議員選挙で導入されているが、死票が多いといった問題を克服するために比例
代表制を併用している。スコットランドでもそういう批判はないこともないが
(7)、しかし日本のよ
うに、選挙の時はむらを二分して争い、勝てば官軍、負ければ 4 年間みじめな思いをして暮らすと
いうことはない。
「議員は支持者の代表ではなく、選挙区内の有権者全体の代表である」わけで、議
員になれば、支持してくれた人たちだけでなく、支持してくれなかった自分の選挙区の有権者全体に
対しても政治責任をもつことが大事だと考えられている。選挙は 4 年間の勝ち組と負け組みを決め
るものではなく、単に代表を誰にするかを決定するゲームにすぎない。したがってこの方法だと、選
挙区内の投票区にいる有権者数の平等が限りなく実現されるというだけでなく、有権者から見て、自
分の地域で行政責任を持つ議員が誰か、それが明確になるというメリットがある
(8)。わが国の大選
挙区では、いわゆる議員間の「縄張り」のようなものはあっても、決してフォーマルなものではない
ため、生活する地域の政治行政上の責任を一体誰がとるのかが有権者にとっては不明確になりやすい
し、議員にとっても、自分の住んでいる地域の問題に対して必ずしも責任をとる必要がない。そうい
う意味では、選挙結果の数字から見ると「死票」が多くても、議員になれば「投票区」という有権者
全体に対する責任が明確になるスコットランド方式のメリットは大きいと言わざるをえない。
3. 候補者はどのようにして生まれるのか――政党の役割
それでは、候補者はどのようにして生まれるのか。基本的にはわが国同様誰でも立候補できる。日
本と違うのは立候補できる年齢が 21 歳だということである。しかし実際の選挙では、日本のように
多くの候補者が雨後の竹の子のごとく立候補するということはない。その理由は、政党制にある。す
でに触れたように、スコットランドは小選挙区制をとっている。これは、一つの選挙区で最も多く得
票した一人を当選とするシステムであり、日本の衆議院議員選挙で採用されているものと同じである。
たしかに、衆議院議員選挙では一つの投票区から多くの候補者が立候補している場合もあるが、しか
しここではたとえ立候補しても政党から出ていなければ当選する見込みはほとんどない。なぜか。そ
の理由は、有権者は基本的には候補者個人に投票するのではなく、候補者の所属する政党に投票する
からである。ここが日本の場合と決定的に違う所である。わが国でも、たとえば公明党や共産党のよ
うに党本位に投票する場合もあるが、スコットランドは全候補者の政党所属割合が 9 割を超えてい
る。これは、日本の市区町村議会選挙で 8 割以上の候補者が無所属で立候補するという現象とは対
照的で、わが国の有権者が候補者の政党にではなく、候補者個人に投票することを物語っている。ス
コットランドの場合、たとえば 2003 年の選挙で無所属 Independent 候補者の割合は 9.6%、当選者
に占める割合は 14.7%である
(9)。しかも立候補の時は無所属で、当選すれば特定の政党に所属する
ということはほとんどない。Independent(無所属)は、
「政党に頼らない独立した存在」を意味してい
るからである。政党候補は中央から地方まで一貫した政策のもとに、たとえ地方議員であっても各種
情報や政策策定などについて党の指導を仰ぐことができる反面、党の原理原則に反した行動がとれな
いという不自由さを持つ。無所属議員はそういうものに縛られない反面、選挙や議会内などでも組織
的に行動できないという弱さがある。スコットランドに無所属議員が多い、とりわけ「ハイランド」
と言われる北西部地域に広範囲にわたって無所属議員が多いのは
(10)、保守党・労働党という戦後の
イギリス政治を二分してきた政権政党に頼っていても何もしてくれないという思いがあるからだと
言われている。事実、広大な土地と島嶼部にわずかな人口しかいないこれら地域に対する政策は、い
かなる政党が政権につこうとも、今のところ妙案なしというのが現実であろう。
今、候補者の 9 割以上が政党から立候補すると述べたが、政党による選挙区ごとの立候補者選出
の経緯について説明しておかねばならない。政党は選挙区内にある投票区の事情を勘案し、どの投票
区から候補者を出すか決定する。支持層の分布から、確実に勝てる投票区(これを’safe seat’と言う)
と勝てない投票区を分類するが、たとえ勝てない投票区であっても余程の事情がない限り候補者を立
てる
(11)。その際、党としてどの候補者を立てるかは、投票区の党が決定する。その決定の仕方は、
党員全体に呼びかけて候補者を募る場合や、党の幹部が特定の人物に立候補を要請する場合などがあ
る。いずれにしても候補者となった人物は、党員全体(おおむね党員数の少ない投票区)か選抜委員会
(おおむね党員数の多い投票区)で、党の候補者にするかどうか最終決定される。該当者は「インタビ
ュー」を受け、経歴、政策に対する意向、議員としての適格性などがチェックされる。党で候補者と
して決定されれば、あとは選挙に臨むだけである。スコットランドでは個別訪問が許されているため、
多くの女性議員は投票区内の有権者を個別に訪問したり、道行く人たちに話しかけたりすることで支
持を訴える。有権者も自分が支持する政党を決めている場合が多く、自宅にポスターを貼ったりする
ことでその意志を示すが、しかし候補者はこの訪問によって支持政党の翻意を伝えられたり、新たな
支持者を獲得することもあるようである。選挙カーに乗りスピーカーから大音量で支持を訴えたり、
都市部であっても人通りの多い繁華街で街頭演説をするなどという光景はなく、選挙戦は静かに進む。
4. スコットランドの地方選挙の結果について
1974 年以前のスコットランドには約 430 の基礎自治体があり、そこに議員が約 3,500 名いたと思
われる。この基礎自治体の数は時代や報告者によってまちまちであるが、District を除いておおむね
一致しているものの (12)、議員の数等については、実は大きな問題をかかえている (13)。それは、地方
選挙の結果についてわが国であれば自治体の担当部署が全てきちっと整理し、報告書の形で残してい
るため、戦後一時期を除き、有権者数、立候補者、当選者ならびに票数などについて市区町村、都道
府県、そして全国の様子をはっきり知ることができる。しかしスコットランドは事情が違う。スコッ
トランドには行政による選挙記録がないのである。少なくとも 1974 年以前の選挙については、そう
いう便利なものがない。自治体は選挙に関するデータを残していないのである。どうして候補者や選
挙結果を知るのか。最も一般的なのは新聞である。あるいは場合によって一部の団体が選挙結果の一
部を公表しているということもある。しかもこれだけの数の自治体で、ほぼ毎年のように選挙が行わ
れていたわけであるから(たとえば、議員の任期が 3 年であれば、3 分の 1 ずつ毎年改選していくと
いう方法がとられた。毎年 5 月の第一木曜日が選挙デーとなっていたが、地方議員選挙の投票率の
低下はここでも悩みの種であり、74 年の改革では Region と District の選挙を 4 年に 1 度とした)、
これを包括的に掲載している新聞もない。もし知りたければ、それぞれの地域をカバーしているロー
カル新聞を集めねばならない。1974 年以降につては研究者によって詳細が包括的にまとめられてい
る
(14)。したがって、ある時点の議員の数を把握することは不可能ではないにしても、たとえば戦後
の選挙結果を全ての自治体にわたって知りたいとなると、絶望的にならざるをえない。
5. コミュニティについて
議員のインタビューに出てくる「コミュニティ・カウンシル」という場合の「コミュニティ」とい
う言葉は、情緒的・感情的な人々の集まりとか気のあった者同士というような日常用語としてすでに
人々に馴染みのあるものであったが、
「コミュニティ・カウンシル」という言葉は 1974 年の行政区
画改革を機に導入された地域範囲を表す概念である。60 年代後半から 70 年代にかけて、わが国でも
「コミュニティ」という言葉がもてはやされ、戦後のニュータウン建設ブームに乗って「コミュニテ
ィづくり」が行政側によって推進され、伝統的な地域までもがこの言葉を用いて、地域の再編を進め
たことは記憶に新しい。スコットランドの行政区画改革にあたっては、諮問委員会が結成され、さま
ざまな角度から意見を求め、行政効率と住民満足の限界効用点が求められた
(15)。もちろん、そこに
時の政権の政治的意図が見え隠れすることも否めないが、しかし上に指摘したように、何も変えなく
てもいいのかというと、そのまま放置すれば、既存の行政制度が破綻することも目に見えていた。委
員会はかなり詳細な報告書を提示しているが、既存の小さな自治体を廃止し、より大きな自治体に移
行するにあたって、既存の地域アイデンティティを生かす目的から、そこに存在する地域範囲を「コ
ミュニティ」と名づけ、新制度の下でフォーマルな集団として位置づけようとしたのである。そのた
め、委員会は人口規模に応じて 69 の自治体を選び、そこに住む 1,446 人の有権者にアンケートを実
施し、その結果をもとに「コミュニティ」なるものを定義づけた。それによると、4 つのコミュニテ
ィが区別された (16)。
1)Parish・・・もともとは「教会」を同じくしていることから発しているが、教会だけでなく、小
学校、地元の商店、郵便局、コミュニティ・ホールなどを共有している範囲を指す。当時、スコット
ランドには 878 の Parish があるとしているが、最終的には 800 ほどであると算出している。
2)Locality・・・これにはいくつかの質の違うものがあり、①おおむね Small Burgh と一致する範
囲(当時は 176 の Small Burgh があった)、②週一回出る地域新聞を持っているとか、バス・ステー
ションがあり、そこからあちこちに向けてバスが出ている、銀行や一定規模のショッピング・センタ
ーがある、あるいは地元の人を雇う小規模な工場がある、こういう地域を指す。この①と②の条件に
合致するものとして、ここでは 100 から 250 という数の範囲を示している。
3)Shire・・・それまであった 33 の County とほぼ同じ範囲であるが、総合病院や中高等学校(ス
コットランドでは、小学校を primary school、日本の中学と高校を一緒にしたものを secondary
school と言う)がある、資格を出せる学校がある、多目的の店が並ぶショッピング・センターがある、
大規模な雇用者を雇う工業・商業施設があるという範囲の地域も含め、全部で 37 という数字をあげ
る。
4)Region・・・大都市 city を中核として出来上がる広い範囲の地域であるが、大都市がなくても
人々が日常生活の必要を満たすために行き来する範囲も region とし、スコットランド全体で 5 つか
ら 9 つあるとしている。
以上の 4 つのコミュニティは、最も少なく見積もって約 940、最も多く見積もって約 1,100 あるこ
とになる。しかし、ここで定義づけられたコミュニティは、新しい行政区画をどのように画定してい
くかという、
「地域範囲」だけに焦点をしぼったものとして提示されているにすぎない。したがって、
利害関心や親近感、情緒的なつながりといったもので形成されるコミュニティは度外視されてい
「また、スコットランド全域にコミュニティ・カウンシル
る (17)。ただ、報告書の答申要約部分では、
が設けられるべきである。これは地方自治体でもなく、国会の法令に基づいて作られるものでない。
地域コミュニティは、自らコミュニティ・カウンシルを持つかどうか決定するものとする。このカウ
ンシルは、地域アメニティ[文化的な施設や設備:引用者注]を改善し、ディストリクトやリージョン
が用意したその地域に対する特定のサービスや設備を運営していくために、また伝統的な行事や催し
事を行う上で地域の人々に意見を求めることができる」とその存在意義を示唆し
(18)、より大きな行
政体にすることで住民の意見がうまく反映しなくなることを避けようとした。ただしここでは、コミ
ュニティがどういう範囲で作られるべきか触れていない。この委員会原案をもとに作られた実際の最
終答申でも、ほぼこの内容がそのまま受け入れら
(19)、ここにコミュニティ・カウンシルなるものが
出来たのである。もっとも、この最終答申では、コミュニティ・カウンシルの大きさと構成メンバー
について、
「コミュニティ・カウンシルの範囲は、人口が極端にまばらな地域を除き、委員会によっ
て確認された「パリッシュ Parish」の範囲より少し大きなものにすべきである。カウンシルが真に
横断的に地元の意見や活動を確実に反映するためには、選挙で選ばれた人や地元のいろいろな組織の
代表などと並んで、カウンシルを構成する人員について考慮すべきである・・・」(20) と明記するこ
とで、従来のパリッシュがそのままコミュニティ・カウンシルに変身する愚を避け、またカウンシル
の構成員についてもいろいろな利害当事者が参加できるようにすると共に、議員の参加も可能にした、
いや議員の参加を促したのである。こうして、地方議員はコミュニティ・カウンシルに参加するよう
になる。1974 年に再編された後にできたコミュニティ・カウンシルは、パリッシュより大きな範囲
で作られたはずである。ただ議員の参加が促された結果、議員の数と同じか、あるいは人口のまばら
な投票区でも、あるいは逆に人口は密集しているが利害関係が大きく対立するような投票区では、コ
ミュニティを分割せざるをえないわけで、コミュニティ・カウンシルの数は議員数より多い数となっ
た。表 1 は、1975 年以後のディストリクト・カウンシルと統合後のカウンシルの議員数である。こ
れによると、選挙年によって多少増減はあるものの、議員は約 1,220~1,230 人程いることがわかる。
ということは、最も基礎的な範囲のコミュニティは、議員一人に一つと計算しても 1,220 余りあるこ
とになる。実際は一人の議員が複数のコミュニティを持つ場合もある(全ての議員というわけではな
い)ので、1,220 以上あると考えられる。では、実際にどれだけあるのか。コミュニティ・カウンシ
ルは自治体から財政援助を受けることができるので
(21)、ある程度まで明確にすることが可能である
が、はっきりした数を確定することは難しい。一般には 1,300 以上あると見るのが妥当であろう (22)。
1995 年の自治体改革では、それ以前と以後の議員数に大きな変動がないことから、コミュニティ部
分にはほとんど手をつけずに、二層制を一層制にしたこともわかる。
表 1. 1974 以後の District と Unitary Council の議員数
(実数)
1974
1977
1978
1982
1986
1990
1995
1999
2003
1,110
1,117
1,124
1,149
1,154
1,158
1,161
1,222
1,222
注)1974 年から 1992 年まで、三つの島嶼部の選挙は Regional Council の選挙時にお
こなっていたので、実際は 74 年から 92 年までは、上の数字に 74 が追加される。
6. スコットランドの女性地方議員
スコットランドの女性議員の数は、上に説明したように、1974 年の選挙まではそもそもスコット
ランド全体の統一的記録がないため不明である。しかし、1974 年の自治体改革にあたって出された
委員会答申に記述があり、それを手がかりに 1965 年の女性議員の割合が分かる (23)。また 1974 年以
後は、すでに紹介したように、スコットランド全体の選挙結果が整理されるようになり、統一的に把
握できる。表 2 は 1974 年から 94 年までの女性議員の立候補者割合と議員数割合を、表 3 は 1995
年以降の政党別に見た女性議員の立候補者割合と議員数割合の変遷である。
表 2 1974-1994 年度選挙の女性の「立候補者割合/議員割合」
1974
District 14.4 / 12.9
1977
16.3 / 14.1 17.8 / 14.3
1974
Region 12.1 /10.2
1980
1978
16.7 / 12.1
1984
1988
1992
21.6 /17.1
23.5 /19.6
26.7 / 21.5
1986
1990
1994
19.7 / 15.1
21.3 / 16.2
22.4 / 17.4
1982
17.3 / 12.7
(%)
表 3 1995-2003 年度選挙で政党別に見た女性の「立候補者割合/議員割合」
1995
(%)
1999
2003
保守党
26.5
26.8
31.0
27.8
32.3
22.8
労働党
26.7
23.9
23.7
21.7
26.0
20.2
自由民主党
32.6
28.9
37.9
33.8
37.6
33.5
スコットランド・ナショナル党
24.2
20.4
24.9
24.9
25.0
24.7
スコットランド・社会党
32.1
0.0
27.0
0.0
27.9
0.0
無所属
15.5
16.2
16.6
15.6
16.9
16.6
その他
25.9
0.0
23.9
9.1
13.8
0.0
合計
25.7
23.0
27.1
23.5
28.5
22.6
注 23 で触れたように、1960 年代半ばのスコットランドには平均 10%弱の女性議員しかいなかっ
たが、その後順調に増加し(表 2 の District の割合ならびに表 3)、70 年代には 10%を超え、90 年代
には 20%を超え、現在 23%ほどに達している(表 2 の Region の割合はやや低い)。わが国の女性地方
議員が現在 8~9%であることを考えると、丁度 40 年ほど前のスコットランドと同じ数字である。も
ちろん、スコットランドが 10%から 24%まで達するのに 40 年近くかかっているからといって、わが
国も 40 年経たねば 4 分の 1 にならないということではない。しかし逆に、40 年経てば自動的に 4
分の 1 になるというわけでもないことを忘れてはならない。スコットランドの女性議員たちが語っ
ていたのは、ここに至るまでいかに苦労してきたかということ、さらにまだまだ根強い男女の不平等
(意識と制度の両面)についてであった。労働党はスコットランド議会の設立にあたって、党が推薦す
る立候補者に関して半数を女性とするという政策を打ち出したが、地方選挙に関する各党の女性議員
の割合を 1995 年以降の選挙でみると(表 3)、候補者・議員数ともに自由民主党が最も高い割合で、
労働党がなお芳しくない数字に留まっているのがお分かりいただけるであろう (24)。
さて、このような女性議員たちであるが、その活動について少し触れておこう。わが国でも地方議
員を専業としている場合もあれば、他の仕事もしながら議員活動をしている場合もあるが、スコット
ランドでも事情は同じである
(25)。また、われわれが女性議員たちから聞いた限りでみると、地方議
員の給与は年間、基本給で約 6 千ポンド(当時のレートで 120 万円)、その他に交通費や公務にかかわ
る費用などが歳費として請求できる(必ず定額が支給されるわけではない)。また委員会の委員長、副
委員長などの役職に就いている場合は手当てがつく。したがって、最低で 7~8 千ポンド(150 万円)、
最高で 3 万ポンド(600 万円)程度であると推測できる
(26)。これは議員以外の仕事をした場合に得ら
れる収入と比べて相当安いし、日本の地方議員の給与・歳費に比べても格差があると言える。しかも
役職など何もしない場合は議員以外の仕事をする時間もあるが、政権与党になり委員会などの役職を
すると時間的余裕がなくなり他の仕事ができない、したがって給与以外の収入の途がないというディ
レンマもあるようである。スコットランドの地方自治体全体の支出は、2001 年から 2002 年の会計
年度で 77 億ポンド(1 兆 5 千億円)であるが、そのうち 39%が中高学校以下の教育費に使われた (27)。
カウンシルの役割の主なものとしては、今触れた教育の他に、ソーシャル・ワークならびにコミュニ
ティ・ケア、住宅
(28)、警察と消防、プラニング、経済発展、レジャー・リクリエーション・芸術、
清掃と環境維持などであり、規模の大きなカウンシルではそれぞれ議員が委員会 committee を設け
ているが(エディンバラ市はキャビネット・システム)、規模の小さなカウンシルでは個別の委員会を
設けず、全ての事項を全員で協議するという形になっている。議員はこれらの委員会あるいは全体会
議で政策策定ならびに決定をしていかねばならない。またそれぞれ自治体には選挙された「長」(日
本の首長)はおらず、議員間の互選で長が選ばれる’Provost’と言われる人がいる。’Provost’は「長」
と訳しているが、儀礼的な役割、たとえば自治体の行事や来賓の接待などが主な仕事である。こ
の’Provost’は法律で定められているが、しかし法律では定められていないもう一つのポストがある。
これは’Leader’と呼ばれているもので、カウンシル内の多数派のリーダーがだいたいその任にあたる。
この人物は重要な委員会の委員長であったり、議員全体の会議で議長の役割を演じたりする。したが
って、政策策定に重要な役割を果たし、政治的な影響力の強い存在である。カウンシルによっては、
この’Provost’と’Leader’が同一人物という場合もあれば、両者が別々という場合もある (29)。
このような議員は自治体の外でも大きな役割を演じている。それは各種団体(学校やスポーツ団体
など地域に根ざしたもの)やコミュニティ・カウンシル、そして個々の有権者などと自治体とのパイ
プ役になるということである。議員は各種団体やコミュニティ・カウンシルの会合に出席し、その意
見を聞く。場合によっては自分の意見を言い、行政側の意向を伝える。また個々の有権者が抱える問
題は「サージェリーsurgery」という公開の相談会の場で聞くか、電話やメール、直接訪問などの手
段で相談内容を聞き、役所の担当部署にかけあったりするなどして解決につとめる。このような、い
わゆる「世話活動」
が議員にとってかなり大きなウエイトを占めている点は、わが国と類似している。
われわれがインタビューした議員はもちろんであるが、女性議員たちの多くは妻であり母である。
この苦労についても興味深い話が多かったが、この紹介は別の機会に譲り、ここでは女性の政治参画
についていろいろな質問の中で語ってくれており、これをインタビューの最後に紹介して終わりとし
たい。
注
1) 本稿は次の助成金による研究成果の一部である。①春日と Hugh Bochel(リンカーン大学・政治
学科・教授)は「女性地方議員のキャリア分析」をテーマとして、2001 年度と 2002 年度、神戸学院
大学人文学部より研究推進費の交付を受けた。②竹安栄子は「スコットランドと日本の女性議員の比
較研究」をテーマとして、2001 年度と 2002 年度、京都女子大学から研究助成金の交付を受けた。
なお、これらの助成金による研究成果のうち、Hugh Bochel が来日し日本で春日・竹安と共同で行
った研究の成果については、Catherine Bochel, Hugh Bochel, Masashi Kasuga and Hideko
Takeyasu, ‘Against the system?: women in elected local government in Japan’, Local Government
「日本と英国の地域政治における
Studies 29-2, 2003.を参照。③文科省科学研究費(海外学術調査)、
ジェンダー構造の比較調査」
(2003-2005 年、研究代表・竹安栄子、共同研究者・Hugh Bochel、研
究課題番号 15402040)
。
2)インタビュー原稿の邦訳は 12 名分で原稿用紙約 500 枚分に相当する。ここではごく一部を紹介
するだけであるが、これらは別の形でその全体を紹介したいと考えている。
3)数字は Committee of Inquiry into Local Government in Scotland: Report, 1981, p.11,による。
この時代、スコットランドの行政区画は 4 つの市と 33 の County から成る。4 つの市はそれで独立
の自治体と見なされたが、33 の County は二層制をとり、その中にはさらに Large Burgh, Small
Burgh, District の 3 種類の下位自治体が混在していた。ただし、どの County にも必ずこの 3 種類
の自治体があったわけではなく、Large Burgh も Small Burgh もなく District だけで構成される場
合や、Large Burgh がなく Small Burgh と District で構成される場合もそれぞれいくつかある。こ
の制度は 1929 年の地方自治法で決められ、1974 年まで適用されていたものであり、制度発足時に
は City や Burgh には人口規模の定義があった。しかし Royal Commission on Local Government in
Scotland 1966-1969, Chairman : The Rt. Hon. Lord Wheatley, Appendices, 1969, pp.22ff.に示され
た 1968 年時点の数字でみると、4 つの City では Aberdeen と Dundee が 18 万人、Edinburgh が
47 万人、Glasgow が 95 万人とスコットランドでは群を抜いて人口数が多いのに、Burgh と District
の中を見ると、最大人口と最小人口は Large Burgh が 2 万 2 千人から 9 万 5 千人、Small Burgh が
300 人から 2 万 4 千人、District が 50 人から 6 万 4 千人ともはやこのような区別が意味をなさない
状態にあったことがわかる。
4) Royal Commission, Appendices による。行政区画は原則として二層制をとり、9 つの Region
と、
その Region の中に District が設けられていた。
しかし Shetland, Orkney, Comhairie nan Eilean
Siar(Western Isles)の 3 つの島嶼部については Region と District の機能を併せ持つ単一の Council
のみが置かれていた。ただし、この 3 つの島嶼部の選挙は Regional Council の選挙時に行われてい
た。なお、Regional Council と District Council の選挙は、1974 年に同時に行われ、その後 Regional
Council は 4 年おきに、District Council は 1977 年と 1980 年に改選され、その後 4 年おきに、それ
ぞれ実施した(表 2 参照)。
5)スコットランド全体が単一の Council で 32 区画に分けられた。ただし、選挙の際の投票区の有
権者数は、3 つの島嶼部が例外扱いされている。この点は注(8)参照。
6)この選挙区を画定する委員会(Local Government Boundary Commission for Scotland)が設け
られており、ホームページ上で委員をはじめ、さまざまな情報が公開されている。
7)たとえば、1999 年の選挙で、West Lothian 選挙区の Calderwood 投票区には二人の候補者がい
てそれぞれの得票率が 50.9%と 49.1%であった。この場合、半分近くが死票となる。さらに、Argyll
and Bute 選挙区の South Kintyre 投票区には 6 人の候補者がいてそれぞれの得票率が 20.8%, 17.3%,
16.9%, 16.9%, 14.2%, 13.8%であった。この場合 20.8%を獲得した人が当選、残り 79.2%が死票とな
る。スコットランド議会議員選挙ではこの弊害を少なくするために、129 ある議席のうち 73 は小選
挙区制度で選ばれるが、残り 56 議席は比例配分される。しかし単に総得票数を比例配分するのでは
なく、73 の小選挙区で次点となった候補者の所属する政党の得票合計に応じて比例配分(ドント方式)
するという方法が採用された。
8)わが国でも問題となっている「一票の格差」と類似した問題はスコットランドにもある。スコッ
トランドでは、選挙区によって一投票区当たりの平均有権者数は、島嶼部の 3 つのカウンシルでは
平均 700 人ほどであるが、逆にグラスゴーとエディンバラは 6,000 人を超える。その他はほぼ 2,000
人から 4,000 人以内と、かなりばらつきがある。しかし選挙区内にある全投票区の最大有権者数と最
小有権者数の差は、おおむね 1.2 倍から 1.3 倍程度であり、これを維持するために投票区の線引きが
選挙の度に見直されるのである(Scottish Council Elections 2003: Results and Statistics, H. Bochel
and D. Denver eds., Election Studies, 2003 参照)。これはスコットランド議会議員選挙でも、下院
議員選挙(そして EU 議会議員選挙)でも同じである。なにもかにも「平等」というのではなく、島嶼
部や人口密度の低い地域の「特殊性」を勘案した「平等」に対する考え方はわが国の選挙制度を考え
るにあたっても示唆する所があると思われる。
9)2003 年選挙で無投票だった投票区を含めた 1,222 投票区のうち、無所属議員のいる投票区は 231
あり、18.9%に達する(無投票だった投票区の候補者のうち、無所属は 70.5%であった)。しかし次注
で触れるようにハイランドと 3 つの島嶼部の無所属議員を合計すると 119 名で半分を超える。これ
に更に無所属議員の多い 3 つのカウンシルを合計すると 172 人となり、無所属議員全体の 4 分の 3
が 7 つのカウンシルに集中しており、局部的現象であることが理解できる。
10)2003 年の選挙で無所属議員の割合が多い 7 つのカウンシルとその割合は次の通りである。
Orkney(100%)、Shetland(77%)、Comhairie nan Eilean Siar(77%)、Highland(72%), Moray(62%),
Argyll and Bute(61%), Scottish Borders(44%).
11)表 4 は党がどれだけ候補者を出し、どれだけ議席を獲得しているかを示したものである。それ
によると、
たとえば 2003 年選挙で、
保守党は 1,222 ある投票区のうち 798 の投票区に候補者を出し、
実際に当選したのは 123 名(投票区)であることを意味している。政党別の勝率(下段÷上段×100)を
2003 年度の結果でみると、保守党 15.4%、労働党 55.3%、自由民主党 25.9%、スコットランド・ナ
ショナル党 18.7%、無所属 47.3%となり、労働党が最も効率の良いことがわかる(無所属は同一の投
票区で複数人立候補している場合があるが、その他の政党はそのようなことはない)。しかしいずれ
の党もたとえ’safe seat’でない投票区であっても、原則として支持者の確認と掘り起こしのために候
補者を立てる必要がある。では政党は誰を立てるのか。党員の中で、長年党のために尽くしてきた人
から選ぶのが基本である。もちろん人物(性格)や能力(特に人前で話す能力)という要因も考慮される。
事実、われわれがインタビューした女性たちの大半は、いずれ議員になることを予期しつつ、党のた
めに尽くしてきたと語ってくれている。
表 4 1995-2003 政党別に見た候補者数(下段)と当選者数(上段)
保守党
労働党
自
由
民主党
1995
1999
2003
(実数)
スコットランド
スコットランド
ナショナル党
社会党
無所属
その他
合 計
586
935
527
994
--
361
108
3,511
82
614
121
181
--
154
7
1,159*
728
980
607
1,057
--
404
158
3,934
108
551
156
204
--
191
12
1,222
798
920
676
969
315
488
29
4,195
123
509
175
181
2
231
1
1,222
*二つの投票区で選挙が実施されなかった。
12)1929 年から 1974 年の間の基礎自治体数は、City と County についてはどの数字も一緒である
が、Burgh と District については若干の増減がある。たとえば、Adams, I., 1978, The Making of
Urban Scotland, London/Croom Helm Ltd., p.264. によると 1929 年から 1975 年の間、Large
Burgh は 19~21、Small Burgh は 173~176、District は 198~199 としている。事実、Royal
Commission, Appendices, pp.27-33. を見ると、他の数字は同じであるが、District は 198 となって
いる。
13)議員の総数 3,500 名ほどという出典は、Royal Commission, Appendices, p.104. Appendix 25
「スコットランドの地方議員」という記述による。そこには、
「ストラスクライド大学政治学科で行
った調査研究の一環として、G.H.フランス氏は 1965 年の前半、すなわちこの委員会が立ち上げられ
る前に、スコットランドの地方議員調査を行った。この調査が行われて 4 年が経過しているが、そ
の結果はとても興味深いものであり、関連部分をこの報告書の付録に掲載するのが適当であると判断
された。これらは現在作成中である。質問票は全ての burgh, county, city の議員に送られ、2,234 名
の回答があった。回答してきた割合は burgh が 66%、county が 64%、city が 60%であった」とし、
議員の属性、家屋の所有形態、他の仕事との関係、学歴、地域との関わり、選挙、報酬などの項目に
ついて概説している。この記述をもとに、われわれはこの調査そのものの存在について追跡したが、
なお不明であり、その詳細を明らかにできていない。したがって、ここに示す議員数はあくまでもロ
イヤル・コミッションの記述にもとづくもので、われわれは、ここに示唆された回答数 2,234 名を手
がかりに、全体の回収率を 64%として全議員数を推測してみた。
14)これらの結果は John Bochel, Dadid Denver, Hugh Bochel などが中心となり Scottish
District Elections; Results and Statistics(1974, 1977, 1980, 1984, 1988, 1992), Scottish Regional
Elections; Results and Statistics(1974, 1978, 1982, 1986, 1990, 1994), Scottish Council Elections;
Results and Statistics(1995, 1999, 2003) という形で選挙年度毎に出版されている。
15) す で に 引 用 し て い る Royal Commission が そ れ に あ た る 。 こ れ は 本 論 (Report) と 付 録
(Appendices)、さらにいろいろな利害関係団体や既存の County などから寄せられた報告(Written
Evidence)から成っている。なお、’Community’については Report, p.139ff.参照。
16) ibid., pp.142ff.
17) ibid., p.139. この点は、この報告書の最初に断ってある。
18) Scotland: Local Government Reform, Short Version of the Report of the Royal Commission
on Local Government in Scotland, 1969, p.12.
19) Reform of Local Government in Scotland, Presented to Parliament by the Secretary of
State for Scotland by Command of Her Majesty, February, 1971, pp.18f. この案をもとに 1973 年
にスコットランド地方自治法が作られた。
20) ibid., 第 64 項。
21)その額は、
1999 年度で年平均一カウンシルあたり 543 ポンド(約 11 万円)である。Scottish Local
Government Handbook, Scottish Local Government Information Unit, 2000, p.33.[以下 SLGH と
して引用する]
22) 事実、ウィルソンとゲームは、コミュニティ・カウンシルの数を 1,350 としているが、その数
の根拠については明示していない。Wilson, D. and Game, C., 2002, Local Government in the
United Kingdom, Third Edition, Basingstoke/Macmillan, p.57. 他の資料によると、設立当初は
1,300 以上の申し出があったことも分かっているので(Morris, G. and Coutts, G., 1989, Local
Government in Scotland, Second Edition, Edinburgh/W. Green & Son Ltd., p.49.)、ウィルソンと
ゲームの言う 1,350 という数はほぼ妥当であろう。
「女性は 10%に
23)Royal Commission, Appendices, p.104.その第 11 項に女性議員の記述があり、
満たない。Cities の議員の 16%が女性で、Counties と Burghs はそれぞれ 10%と 9%であった。こ
の数字はスコットランドの 21 歳以上の女性割合が 54%であるのと対照的である」と記している。こ
れは 1965 年のことである(注 13 参照)。
24)女性議員がスコットランドでもなぜ少ないのか、その理由はさまざまである。しかしスコット
ランドの政治を特徴づける政党制が、実はその原因になっていることも事実である。女性議員へのイ
ンタビューからは、女性が党の候補者に選抜されることの難しさが読み取れた。つまり、候補者たち
は男女を問わず党活動を長年続け、その中で政治的に社会化され、名を知られてきた者たちである。
党で活動する女性は多いにもかかわらず、女性の候補者が少ない客観的理由のひとつは、活動時間や
活動内容の点で女性は絶対的に制約されていることにある。男性は育児(や家事)を妻任せにしていく
らでも空いている時間を党活動に使える。したがって短期間で政治的社会化が完了し、そこそこ名を
知られ、候補者にふさわしい政治資質を身に付けられる。しかし、女性の場合は育児(や家事)から解
放された後になって本当の政治的社会化が始まる。当然候補者に選ばれるのも遅い。今回は紹介でき
なかったが、女性議員たちのこの問題に対する指摘は、今後女性議員を増やす上で解決しなければな
らないハードルとなるであろう。また、スコットランドの地方議会で圧倒的優位を保ちながらも、女
性議員の割合が無所属とその他を除けば最下位に低迷している労働党に課せられた課題でもある。
25)議員をフルタイムの仕事だと考えている割合は、1999 年時点で 23%いる。この調査は Scottish
Local Government Information Unit の委嘱を受けて行われた、Vestri, P. and Fitzpatrick, S, ‘The
What, Where and When of Being a Councillor’, Development Department Research Programme
Research Finding No.88. (http://www.scotland.gov.uk/cru/resfinds/drf88-00.aspのアドレスで公開
されている)を参照。
26)議員の基本給は、1997 年度、人口規模に応じて 3 ランクあった。人口 10 万人以下が 5,445 ポ
ンド(約 110 万円)、10 万人以上 15 万人未満が 5,989 ポンド(約 120 万円)、15 万人以上が 6,534 ポン
ド(約 130 万円)であった。また、役職手当もカウンシルの人口規模によって異なるが、最大 29,750
ポンド(約 600 万円)、最低 250 ポンド(約 5 万円)であった(SLGH, p.25.)。そうすると、議員全体で
は基本給と手当を合わせて年間 700 万円以上収入のある人もいるわけだが、女性議員の場合は、な
かなか主要なポストにつけないため、収入も少ないということがわかる。
27) Scottish Local Government Financial Statistics 2001-2002.
28)第二部の議員インタビューに「カウンシル・ハウス」あるいは公営住宅の話が出てくるが、カ
ウンシルなどの公的住宅に住む割合は、1981 年に 52%であったものが 2001 年には 24%と、この 20
年間で半減しているが(SLGH, p.55.ならびに Housing Trends in Scotland 2003)、地域によってはな
お高い割合を占め、ここに住む人たちからの相談が多いと語ってくれた議員も何人かいる。
29)スコットランドに 32 あるカウンシルのうち、’Provost’が女性であるカウンシルは多い
が、’Leader’が女性というのは 5 つほどにすぎない。
第二部 女性議員たちの声
次に紹介するのは、スコットランドの女性議員たちの生の声である。議員は全部で 12 名いるが、
それぞれの項目で順不同である。また内容を理解する上で支障のない固有名詞(人名・地名)は匿名(例、
あの人・この人・あの町・この町)にした。したがって、基本的には、ある一人の議員の声が順を追
って再構成できないようにしてある。[ ]は編者・訳者が文脈を理解していただくために挿入したも
のか、内容理解のための注、あるいはインタビューの途中の質問などである。文中の「・・・」は少
し考え込んでいる場合や文脈上前後が飛んでいる場合である。また、話の最初につけた番号は識別の
ためのものであり、項目間の関連性はない。
1. 立候補の動機
女性たちが政治家を志すにはどのような動機があるのであろうか。「なぜ議員になったのですか」
という質問に対する答えを、以下羅列的に紹介しよう。
①「理由は、私が変な人間だからでしょう・・・それが理由です。私はコミュニティ・カウンシル
におりました。コミュニティ・カウンシルが手紙をくれました。私たちがやろうとしていたことがで
きなくなってしまい、その段階で私はフラストレーションがたまっていました。[たとえば、役人が
返事をよこさなかったとか]いいえ、役人は返事をよこしました。しかし私はその時、[議員になれば]
もっとやれるんじゃないかと感じたのです。
」
②「かつてとても些細な事で議員にお願いしたことがあります。でも彼はなんの助けにもなりませ
んでした。そこで、それだったら私の方が男である彼よりましな議員になれるのではないかと思った
のです。
」
③「私は[大学で]英国内や海外の企業論のコースを専攻しまして、コンサルタントをしておりまし
た。コンサルタントが私の仕事で、20 年やってきました。それで何か違うことをしたいと思い探し
ておりました・・・私が立候補した理由は、社会のために何か役に立ちたかったのです。
」
④「政治に興味がありました。この 10 年、私は活動家でした。そして、基本的には、ここで皆さ
んに何かしてあげたかったのです。役割の一部として、ソーシャル・ワークとしてではなく。でも、
自分で全く何もできない、誰か他の人の助けが必要な人たちのために本当に何かをしてあげようとし
ています。私は現実志向のとても強い人間です。私は皆さんの中に入っていって、そして何かをして
あげるのが好きなんです。
」
⑤「そうですね、大人になってからはずっと政治的な活動をしてきましたし、ここの大学時代、学
生として労働党に入っていました。それで大人になってからずっと党員として活動してきました。い
ろいろな政治的出来事のある時いつも何かしたいと思いましたが、そのチャンスが訪れたのは、教師
の仕事をやめてからです。子供たちも大きくなりましたし。[教師の]雇用条件が議員になることを禁
止していたわけですから。さて、
「どうして私は議員になろうとしないの?」と自問し、私は単純に私
たちの世界を住みよい所にしたいと思いました。それはばかげているように聞こえる、でも私は皆さ
んのために生活の質を良くしていくために、地元の事をまとめていきたかった、そして私の近くに住
み、生活の質を良くしたい人たちのために自分の才能を役立てたかったのです。
」
⑥「私は最近でこそとても活動的ですが、皆さんに[名前を]知られていませんでした、全く無名だ
ったんです。地元の人間ではありませんし、単に選挙に立候補しただけなんです。と言いますのも、
党が立候補を要請していた人が、指名の二日前になって辞退したんです。彼の雇い主が立候補を認め
なかったものですから。そこで党は急遽別の人間が必要になり、それが私になったのです。立候補す
るのにあたって、何も考えがなかったのです。私は単に候補者になり、その人が準備してきたことを
引き継いだだけなんです。それは全く未知の経験でした。
」
⑦「子供が 3 人おります。子供たちは地元の学校へ行っておりました。私は子供の遊び仲間や学
校に強く関わっていました。私は政治志向がとても強く、活動的でしたが、でも背景にあることは・・・
それと子供たちについては、ナースリーにはやりませんでした。ナースリーのすぐ近くに住んでいた
のですが、基準が子供たちに合っていないと強く感じました・・・それで立候補を要請された時、ナ
ースリーの問題は私を立候補に駆り立てる論点の一つだと思いました。その地域はずっと保守党の地
盤でしたので。私は本当に「負け犬」として立候補するけど、でもいったんキャンペーン活動に入る
や、私は議員が好きで、議員になりたい、勝ちたい、そして議員の仕事をしたい、と心底思いました。
」
⑧「たまたま議員になりました。私はマーガレット・サッチャー政権下の出来事にとても怒りを覚
えるようになっていました。よく夫に「腹を立てたまま、そばに座るなよ」と言われたものです。サ
ッチャー首相のやっていることを見ていたら、なんだということになりますでしょう。私もそうでし
た。
」
2. 政党からの推薦
最初に、政党から選ばれる一般的なプロセスを説明しているものから始めよう。
①「議員に選ばれるには二つの段階があります、通常は。私の場合は政党の政治システムでなりま
したので、まず党が党を代表する人を決めます。つまり、私の投票区には 6 千人の有権者がおりま
すが、私なり他の候補者に投票する権利のある有権者が 6 千人いるということになります。市には
50 万人の有権者がおります。私は 6 千人の代表なわけです。この 6 千人が恐らく 4 人ほどの候補者
の中から通常一人選びます。この 4 人とは、労働党か左派、保守党か右派、中道の自由民主党、そ
してスコットランド・ナショナリストのそれぞれ正式な代表なわけです。有権者全員で、立候補する
人を決めるわけではありません。有権者たちが決めうる唯一のことは、労働党に一票を投ずることで
す。したがって、労働党に投票したければ、
「私」に投票しなければなりません。ですから、超えね
ばならぬハードルは、私が住む地元地域で受け入れてもらうこと、そして政党として誰が立候補する
かを決めることのできる人たちは、その地域の労働党の党員なのです。現在、有権者 6 千人のうち
党員は 60 人います。この党員全員が召集され、選ぶべき人を決定します。私は自ら名乗り出て、立
候補したいと言いました。そこには私以外に 3 人候補がいて、党員がその中から選びますが、皆女
性でした。
」
次に、党に推薦してもらう最も典型的な形を紹介しよう。一つは、党から立候補の打診を受ける場
合である。
②「前任者の選挙参謀をしておりましたので、彼が辞めた時、党が私に立候補しないかと聞いてき
たのです。
」
③「夫が[地域の]保守党のリーダーです・・・彼はリーダーで、以前議員をやっていたのですが、
議員に向いておらず、党が他に立つ人を求めていました。で、私に要請してきたのです。
」
④「最初に、党がたずねてきました。候補者になりたい時には、選抜プロセスを経なければなりま
せん。候補者のリストを提出し、次に候補者の地元でインタビューを受けます。地元の党員たちが候
補者にインタビューするのです。その後、党員たちは代表にしたい人を選びます。」
⑤「私が立候補した選挙区では、私はそこには住んでおらず、8 マイル離れた所に住んでいたので
すが、労働党が適当な候補者をその選挙区内で見つけることができなかったんです、そこで党が私に
立候補しないかと。恐らく選挙区内の人たちからすればやけっぱちの手だったんでしょうが、結局受
け入れてくれました。
」
⑥「党に要請されました。その背景にはとてもいろいろなことがあります。3 人子供がいるという
ことは、したいことも時間も制約されるのではないかとも考えましたが、党がカウンシルの構成を見
ていたのだと思います・・・私が立った時、ある女性が 2 年前にディストリクト・カウンシルに当
選していました。ここにはリージョナル・カウンシルとディストリクト・カウンシルがあり、私はリ
ージョナル・カウンシルに立候補したのです[この二つについては、図 2「地方行政組織の変遷」の B
を参照]。これは地域範囲が大きく、ディストリクト・カウンシルには労働党から女性が出ていて、
彼女が小さなディストリクトを受け持っていましたので、助かりました。それは重要なことです、彼
女がいてくれたことは。
」
以上の例は、党が特定の人物に要請する場合である。これとは別に、自分から名乗り出る場合があ
る。
⑦「それまでやっていた議員が引退し、私の住んでいた町に空きができました。ここは住んでいる
町全体が一つの選挙区なものですから。私は自ら志願しインタビューを受けました。他にも志願者は
いましたが、私が選ばれました・・・[この町の]保守党には支部システムというものがあり、本部事
務所が一つあると、そこからさらにあちこちのコミュニティに支部を持つというシステムになってい
るんです。党が選抜委員会を結成し、この委員会が私を選抜しました。その時、私は[党内の]有権者
に[立候補の]名乗りを上げ、それがうまくいき、その後 4 年おきに当選し続けています。」
これは、党が’safe seat’を持つ投票区の話である。この議員は、自分から候補者になることを申し
出て、選抜委員会のインタビューを受け、選抜委員会の議決を経て立候補者となった。党が選抜した
ということは、ほほ間違いなく議員になれることを意味する。ただし、選挙活動を何もしなくていい
のかというとそうはいかない。
次は、自分の住む場所とは違う投票区から、当て馬として立候補し、思いがけず当選した例である。
⑧「私の住む投票区で立候補した人たちの選別が行われ、彼はなんとか議員になるべく、候補とし
て選ばれました。彼は議員になりたいのです。それから一週間ほど後、私は党から電話で「あなたが
別の投票区で候補者に選ばれました、そこに適当な人がいないものですから。心配いりません、そこ
は保守党の地盤ですが、わが党もみすみす票をとられたくないので、対抗馬が必要なんです」と言わ
れました。
「わかりました」と答えましたが、勝つとは思いませんでしたし、勝てるとも思いません
でした。
」
このように、スコットランドでは政党から出る場合は、いずれの党もだいたい同じような手続きを
踏むことになる。では、無所属の場合はどうか。
⑨「私は彼女[前任者]を知ってました。実は、彼女が推薦したいと私に申し入れてきたのです。彼
女が引退を決意した時、私は地元のコミュニティ・カウンシルのメンバーでした。それまで彼女はと
てもいい仕事をしてきたので、誰も対立候補として立ちませんでした。彼女が引退を決意し、私に後
を託しました。
」
つまり前任者も無所属であって、有権者が無所属を望んでいるわけである。上に触れたように、ス
コットランドの北部ではしばらく無所属が強く支持される傾向が続いている。
次も政党から出ているが、もともと党で活動していたわけではなく、立候補を決意して党員になっ
た例である。
⑩「立候補しようといったん決めた時、どうやって選挙を戦っていいものか本当に知りませんでし
た。とてもナイーブだったんです。そこで地元の政党とコミュニティ・カウンシルに入り、地方政府
について多くのことを理解しました。私はたくさんの下地となる仕事、コミュニティでの仕事やボラ
ンティアをしていました。こういったことが、コミュニティ・カウンシルに入ったり、自分を知った
り、人々に私を知ってもらったりするのに役立ちました・・・立候補を決意してから政党に入りまし
た。というのも議員になるための全手順を政党なら知っていると思ったからです。ですから議員にな
るために党員になりました。それまでいつもこの党に投票していましたし、いつもこの党を支持して
きましたが、議員になりたいと決断するまでは積極的に活動していたわけではありません。」
政党の最後に、われわれはよく支持が「党」か「個人」かということを問題にするのであるが、そ
れはスコットランドでもよく問題になる。「コミュニティ」の所で農村部の「地域のつながり」を紹
介するが、ここでは都市部における「党」と「個人」の関係について耳をかたむけてみよう。
⑪「[投票の 62%獲得したということですが、それは個人的なものですか、政党への投票ですか]
初めて私が立候補した時、私は労働党の候補者でしたし、皆さんも労働党の政策が好きでしたので、
党への投票だったと思います。全体としてみると、ひとつの政治的立場を持っている人たちにしてみ
れば、成人後に自分の立場を変えるということはめったにないことです。ですから、大部分の人たち
は一つの政治的立場にこだわり続けます。でも議員になって何年かすれば、政党にあまり関心のない
人たちが私に接触してきたり、知ってくれたりしますので、私は一定水準の個人的気持ちのつながり
が出来上がったと考えます。でも多くの専門家は、そういう関係はごくわずかしかできないと考える
ものです。よくて、個人的関係は私の支持してくれた人の 10%位だと。明らかに私は何事について
であれ、どなたであれ、その方の助けになってきた。でも、その人たちが私に投票してくれたかどう
か、私には分からないのです。この二つのこと[助けになることと投票すること]は、互いに全く無関
係なんです。しかも「ご承知のように、私は保守を強く支持しておりまして」と言われたり、そう予
測できても、私はなおこういう人たちの代表であり、かれらにも[労働党の支持者と]全く同じように
サービスしています。ただ、都市部では無所属の候補者として立候補することは難しいと思います。
その理由は、有権者の皆さんが候補者個人をあまり知りたがろうとしないからです。農村部に住んで
いるのでしたら、たとえば地元の医者とか教師とかいう人たちがいますし、また皆さんその人のこと
を聞いたり、どういう人か知ったりしますが、都市部ではそうはいかないと思います。都市の人たち
は移動が激しく、すぐ隣の人以外知りえないからです。政党システムの意味するところは、誰かに投
票する場合、自分がほしいと思う政策を政党から知ることができる、ということじゃないですか。例
えば、誰かが労働党に投票するとしますと、その人は、労働党から出た候補者が個人の車よりも公共
輸送機関を重視し、貧富の差の容認より平等を重視し、私学教育よりも公教育を重視している、とう
ことを知っているわけです。候補者は労働党がしようとしている全体像を反映しており、また党に投
票しようとする人は、党を代表している事柄を支持しようとしているわけです。全てに同意している
わけではありませんが、おおまかな政策のアイデアを持てば、特定の人を支持することになります。
ですから、今申し上げたことが都市部で皆さんがどうして政党のラインに沿って投票するのか、その
理由なのです。
」
3. 選挙活動・・・方法、訴えた事
選挙活動の基本は個別訪問と路上などで有権者に直接訴えることである。
①「私は個別訪問をし、あちこち行ってドアをノックし、質問に答えましたがとても楽しかったで
す。選挙の前はとてもとても忙しくて、どう処理していいかパニックに陥りました。それで自分の仕
事に邁進しようと決心し、いつものカウンシルの仕事をし、あらゆる選挙関連の仕事をしていました。
でもそこで、私はひざを痛めてしまいました。私たちはたくさん個別訪問をし、ビラ配りをして、い
い運動になりました。私はさらに出かけ、灯柱にポスターを貼るのを手伝いました。私は若くないに
もかかわらずです。
」
若くして立候補した次の議員の場合も同じである。
②「確かにみなさんはお前なんか何も知らない、人生経験も浅いと思うんでしょう。若さという不
利な条件を克服する唯一の方法は、選挙区の人たち全員のドアを実際にノックして歩くことでした。
1800 戸ありました。私がノックできたのはそのうちほぼ 95%で、皆さんと話すことができました。
面と向かって話すことが、写真や名前を見てもらうのとは違い、本当の私を知ってもらう唯一の手段
でした。皆さんは私と実際に話してみる、そのことが不利な点を克服できた秘訣です。」
同じく若くして立候補した次の議員も、若さが立候補に不利だっとしながらも、その選挙運動を次
のように語る。
③「[若いということは]不利だったと思います。あちこちドアをノックし、通りで皆さんに話しか
けた時、皆さんに「あんたは若すぎる」と言われました。そう言われたことが何度あったことか。い
や、唯一有利な点は私がしてきた仕事でした。それは私にも議員が務まることを証明してくれたので
す。それが議員になれた理由でした。
」
④「私が最初に立った時・・・私は夢中で働きました。全てのドアをノックして、
「私は、あなた
の代表になって、
あなたにこういうことをしてあげられる人間だ」ということに気づきました。でも、
議員になってある程度時間がたつと、私が選挙区でしてきたことは間違いなく私のためになりまし
た。
」
⑤「私は他の人の選挙活動にかかわっていましたので、そこから学んでいました。加えて、私には
とてもいい選挙参謀がおりまして、彼がとてもよく働いてくれました。とても鋭い人で。私たちはあ
ちこちお願いにまわりました、ほとんど投票区全てを、私と参謀とその奥さん、夫と夫の友人でお願
いにまわりました。それと特定の有権者に手紙を送りました。そこには、労働党が皆さんにとってど
ういう意味をもつのか、また地元のカウンシルがなぜ重要かについて書いておきました。ありふれて
いて、とても伝統的な選挙運動でした。
」
⑥「私は党の候補者に選ばれるや、二週間活発にキャンペーンをしました。ドアをノックして、皆
さんに自民党の政治を理解していただけるよう話しかけました。やったことはそういうことです。で
も私がいくら言っても、だれも分かってくれませんでした。有権者にとって私に投票するということ
は、一種のカケのようなものでした。二度目の選挙では自分の能力を証明しなければなりませんでし
た。私に仕事ができるのか、できないのか。
」
他方、農村地域では、やはり日本と類似した点もある。
⑦「私がなぜ勝てたかですか。そうですね、皆さんが私を信頼してくださったからだと考えており
ます。何の約束もしませんでした。私が申し上げたことは、地元の皆さんに耳を傾け、皆さんのため
に戦いましょうということです。この二回の選挙では、皆さん私のことをよく覚えていてくれ、その
間私が何をしてきたか皆さん理解して下さったと思います。ですから、そのことはとても助かります。
農村地域では、勝てた理由は皆さん私を知っていることだと申し上げたい。
」
個別訪問をすると、異なる政党を支持されていることをはっきり告げられる場合もある。
⑧「この前の選挙で、私は自由民主党に一部の票を奪われました。この候補者はそんなに名を知ら
れている人じゃないのですが、私が[個別訪問である人の]ドアの所に行くと、「私は自民党に入れる
つもりです、だって自民党は全ての学生の授業料をただにしようとしていますから」と言われました
[スコットランドでは大学の授業料が無料であったが、労働党政権は数年前から有料とし、それを更
に段階的に上げていく予定である:訳者注]。
」
4. 議員の収入と活動について
まず収入について紹介したい。これには、活動内容からして十分だというものもあれば、不十分だ
というものもあったが、政権与党の場合は多忙の割に不十分だというのが本音のようであった。
①「私の収入は二つに分けることができます。一つは基本部分。これは議員の皆さん全員がもらっ
ているもので、年 6 千ポンドほどです。もう一つは責任に応じて支払われるもので、役職につきま
す。与党のリーダーとして私は 1 万 5 千ポンドほどもらっていますので、合わせると 2 万ポンドほ
どになります。
」
②「私は年 6 千ポンドもらっていますが、それでは食べていけません。ですから他の手立てもし
ています。夫が私を養ってくれていますし、他の収入もあります・・・どの議員も議員になったから
貧しくなったという人はいません。
」
③「報酬は多くありません。年 6 千 5 百ボンド。副議長をしていて、これとは別に 6 千ポンドも
らっています。全部合わせて、年 1 万 2~3 千ポンドです。でも議員年金の権利もない、企業年金も
ない、失業手当もありません。以前は電話の受付業務のチーム・リーダーをしていて、年 1 万 8 千
ポンドに医療手当、歯科手当、年金の権利、年金積立金の免除などもろもろの手当や権利、さらに自
動車保険や住宅保険などもついていました。議員になってそれらを全て放棄することになりましたが、
でも議員はやりがいがありますし、私がしたかった仕事だと思っています。
」
④「議員になりたての時はナイーブでしたので、いくらいただけるのか知らなかったんです。議員
がいくら使い、いくらもらえるかを考える手がかりがなかったのです。ですから議員になっていくら
もらえるのか知りませんでした。その後、いただくものがこんなにわずかでとてもショックでした。
でもお金のために議員になったんじゃないと思いましたし、お金をどう使うべきか考えませんでした。
[95 年の自治体]再編後、私には責任者手当があります。皆さん 6 千 5 百ポンドいただいている。私
は機会均等委員会のスポークスマンとして別途 3 千ポンドいただいております。旅費も出ます。私
には十分だと思いますが、もし 6 千ポンドだけだとそうはいきません。議員報酬をフルタイムの仕
事として払うべきだとは思いません。議員をフルタイムの仕事にしたいとも思いません。他の仕事を
放棄したいとも思いません。ですから、議員の報酬としては十分だと思います。いろいろ議論はある
ようですが・・・。
」
次に、カウンシル内部での仕事を一つ紹介しておきたい。これは副市長の例である。
⑤「現在、私は副市長もしておりますので、執行部に留まるというのは適当ではないのです。理由
の一つとして、あまりにも多忙だということがあるのですが。ここスコットランドでは、市長と副市
長は、主に市の名誉職になっております。市長は 4 週おきに全議員を招集しますし、ある点では議
長に似ています。下院の議長をご存知ですか。議長はしゃべることはできますが、ある程度「中立」
でなければなりません。私はこの市長の代理でして、彼が病気になったり不在、日本でもその他でも
そうでしょうが、不在にしなければならない、訪問者の応対や何かで、その時は私が議会の議長にな
ります。また市長の役目として欠かせないことは、市を代表して何かをする、UK を代表して女王が
するように、ということです。首にチェーン[市長は行事などの際、首から地域に由来する模様など
で型どった金属製の比較的大きなチェーンをつけるが、これは国王の王冠と同じように、市長を意味
する:訳者注]をつけて皆さんを歓迎する。こういうことは「市の義務」と呼んでいますが、政党の政
治的義務とは意味が違います。市長と私はたくさんのスピーチを作らねばなりません。学校の 100
周年祝典や、何かのクラブや協会の 50 周年記念、聖餐式、さらには新しい工場の竣工式や新しいス
ーパーマーケットの開店などなどでお祝いの言葉を述べます。社交的で話ができる、そしてディナー
でスピーチする。それをするのが市長と私なのです。私が副市長になったのは 2 年前です。そのた
め、私が今朝してきたような、来客の応対ですが、そのような公式の仕事をするための時間をとらね
ばなりません。他所の市長さんや市の方がここに来られたら、市長か私が応対します。身分の高い方
の訪問であれば、ディナーを催したり、ランチを共にしたりしなければなりません。そういったこと
があるのです。ご質問の前に申し上げておきますが、大抵の方が思われることとして、それならどう
して市長選挙に出ないのか、という疑問がわくと思います。でもここでは、議員として選ばれ、その
議員たちが市長になる人を決定しております。ニューヨークなどとは違うのです。ここでは議員の互
選で[市長を]選ぶのです。
」
議員活動の中で非常に重要な意味をもつ、いわゆる「世話活動」。ここに一つだけ典型的な例をあ
げておく。
⑥「私は月一回開かれるコミュニティ・カウンシルの集まりに行きます。来た人たちは私に質問し、
私はそれに答えます。この町には投票区(ward)システムがあり、それぞれの通りが一つの投票区とな
ります。それでこの投票区に住むどなたかがその通りを代表します。そこで何か不満があったり、あ
るいはコミュニティ・カウンシルに言いたいとか、文書で提出したいという場合、たとえば「道路に
あいた穴のことでなんとかしてほしいが」という申し出に対して、私は、
「あ、その問題については
承知しており、手元に上がっております。すでに処理済です」とか、あるいは「その問題は初耳です」、
でメモして、
「早々に修理するよう手続きを進めます」と回答できます。[その他、不満や問題として
はどのようなものがありますか]今日みたいな日[前日、現地は雪が降った:訳者注]は、家に帰れば、
留守電にはきっと、お分かりでしょうけど、道路に砂がまかれていないという電話が何本も入ってい
ます。幸い、私はこの町でも最もひどい道路の一つに住んでおります。どんづまりの丘の上にいます。
私は長い柄のついた雪かきを持っています。それで、幸運なことに家に帰れば、こう言ってあげられ
ます。
「ご存知のように、私は最も悪い道の一つに住んでおります。お宅はしばしば除雪してもらっ
てますけど、私はこれまで一度だって除雪してもらったことはございません。それを思えば、まだよ
ろしいのではございませんか」って。こんなことで煩わされるのはよくあることなんです・・・皆さ
ん、私をこう考えている。ベッドルームが二部屋の家に住み子供が 2~3 人いると、もう一部屋ほし
いでしょう。そこで私の所へ来て、もっと大きな家はどうやったら手に入るかと尋ねる、あるいは、
新居を買うことも借りることもできない夫婦が、なんとかしてほしいとやってくるとか。[公共住宅]
委員たちはそういうことに関わっているのです。委員会にいる人たちはしばしば、公共住宅の視察官
に悩まされます。視察官たちは借り手たちがもらすいろいろな不満をチェックしにやってくるからで
す。それでしばらくして、借り手たちが役所は無責任だと感じれば、私に電話してきて、「なんとか
してください。修理をもっと早くするようにしてください」と頼んできます。[そういう問題はどの
ようにして解決しますか]簡単ですよ。議員ですから、組織の誰に電話すればいいか承知してますか
ら。ここは大組織で多くの不満があふれかえっています。受話器を取り上げても、電話主の望む人の
所には決して回さない。電話は他の部署に回り、
「担当が違います」と言われる。ご承知のように、
私に関する限り、もし不満がきたなら、誰に連絡したらそれを解決できるかを正確に知っています。
[じゃ、直接その人に連絡して言うんですか]「電話で不満を聞いたんですが・・・そちらの管轄だと
思いますが、排水か何かがつまってるそうで。見ていただいて、いつ直せるか連絡してください」と
言います。したがって、私だけがいつ直るか知っているのです。[あなたは大きな影響力を持ってい
るのですね]ええ。役人は、私が関わっていることの意味を知っていて、彼らは承知しているんです
ね、不満を言ってる人が役所に直接連絡済みだということを知っているのです。だから私を通してい
るんだということ。私が中継ぎをしているが故に、私に話が来たのであり、そのため私は改善された
のかされないのかを承知しているわけです。そこで、万一適切な期間内に改善されなければ、その理
由を知っていなければなりません。私はそれが改善されるよう中継ぎの仕事をしているのであり、そ
れで判ってもらえない場合は、責任者(director)の所へいきます。
」
さて、スコットランドの地方議員は「サージェリー」と名づけられた「相談」の場を設けているこ
とが多く、カウンシルのホームページや広報などで案内している。われわれは、このサージェリーを
開いているかどうか聞いたが、公開して定期的に行っているがゆえの悩みも語ってくれた。
⑦「ええ、隔週で[行っています]。でも高齢者、障害者、幼い子供のいる所には私から出かけます。
[家までですか]ええ、家まで行きます。でも夜遅くに家に来られるのは皆さんいやがりますけどね。
ですから私は、相談日に来ることのできない場合は、行くことにしています。」
⑧「ええ、行っています。月一回、学校でですけれど、学校が休みの時はやりません。つまり 6
月と 7 月はほとんどですね、学校が閉まりますので。4 月には時にできないことがあります、学校が
閉まりますので。[サージェリーには何人位来ますか]普通はゼロ、時には 4 人です。地元に問題があ
るかどうかによります。[電話をかけてくる場合もありますか]電話でね。皆さん電話をしてきます。
サージェリーはちょっと今時代遅れでしょう。でも、私たち自由民主党はそれを続けるべきだと主張
しています。ただ生産的かというと、そうは思いませんが。
」
⑨「はい、第一週にしています。毎月第一水曜日、やむをえない用事とか、誰かが突然訪れて相談
にのらなければいけない時を除き、私は 6 時から 7 時か 8 時まで地元の図書館におります。するこ
とはほとんどありません。理由は、今時、皆さん電話を持ち、大抵 E メールをお使いになるからで
す。大半は電話をかけてくるか、手紙をよこします。でも私はなおサージェリーを開いております。
月の第一水曜日、6 時からそこにおります。どなたも予約しなくていいのです。6 時から 6 時半まで、
誰も来なくても、そこにおります。どなたも来られない場合、時にはそういうこともありますが、6
時半に引き上げます。前回、先週ですが、5 名お見えになりまして、そこに 1 時間半おりました。で
も時には 0 とか 1 名ということがあります。お見えになる方はだいたい常連さんとか、電話はある
があまり使い慣れていないお年寄りとか、私の顔をちょっとのぞきに来られる方とかです。時には、
一人でさびしいとか、話し相手がほしいとか、いつも現れる人とかが来られます。また問題をかかえ
ていて、
「そうだ、今日はサージェリーの日だ。図書館はすぐそばじゃないか」と気づかれた方がお
見えになります。
」
⑩「ええ、毎週。私は自分の投票区で毎週サージェリーを行っておりますが、そこにはたくさんの
公共住宅があります。投票区の他の場所は、おおむね持ち家が建っております。サージェリーにはそ
れほど多くの人が来ませんので、月一回にしたいのですが。でも毎週やっているのは、投票区にいる
どなたにも来ていただけるようにということからで、皆さんサージェリーに来ることができる。もし
来ることのできない方がおられれば、たとえば高齢者の方ですが、私の方からご自宅へお伺いしてい
ます。ご本人が電話をしてきたり、代理の方が電話してくれれば、私の方からお伺いします。同僚た
ちの全てがそうしているわけではありませんが、男性議員は訪問しないようです。しかし私はそれが
高齢者であろうが病気の人であろうが、気にしないことにしています。私はどなたに対しても公平に
しております。皆さんに気軽に来ていただけるようにしております。[それをどこで行っていますか]
投票区のホールで行っております、地元の、有権者の皆さんが住んでおられる。そのホールで 1 時
間行っております。もう一つのサージェリー、私はそれを夕方小学校で行っております。そこには昼
間借りることのできるホールがないのです。お年寄りは夜間外出したがらないですし、女性は皆さん
夜間の外出を嫌います。それで、午後ホールで開くことができるようにサージェリーの場所を変更し
ました。大抵は電話、皆さん多くは電話ですが。手紙をよこす人もたくさんおりますし、役所にやっ
て来る人も多いです。
」
⑪「ええ、しています。隔週で、地域の会議場で行っています。そこは小さな公会堂で、そこを確
保しています。以前は毎週していたのですが、隔週になったのはつい最近です。月曜はサージェリー
の日なんですけれど、月曜日に会議室で座って待っていても誰も来ない週もあれば、次の週には何人
か来る時もありました。それで今は隔週にしましたが、とてもにぎわっています。」
⑫「ええ、月一回、地元の小学校で行っています。で、それを土曜の朝にしています。その時間で
すと、皆さんスーパーに買い物に行くのに学校の前を通りすぎることに気づいたんです。それともう
ひとつ気づいたのは、若いお母さんたちが子供を連れてくることができるということです・・・私は
もちろんサージェリーの場にいますし、また電話に出もします。サージェリーは、まあ職務の付けた
しみたいなもので、私がそこにいるということを一部の人が知っているということです。でも学校の
ない時、ファッション・ショーやビンゴ・ティーの集まり[お茶と軽い食事をとりながらビンゴ・ゲ
ームをする。都市周辺には専用の場所もある:訳者注]に行くとか、50 才代以上の人たちが何か勉強
会をする時とか、私がちゃんと仕事をしていれば、そういう集まりに参加していますし、または私が
出かけていれば、私がどこにいるかどなたかご存知なんです。それと私はサッカーの熱烈なファンで
して、土曜の午後にはいつもサッカー場におります。そう、お分かりのように、そう表現することが
許されるならば、私はサージェリーは必要悪であり、しなければいけない何か、だと思います。街で
皆さんに出会えますし、皆さんも私に連絡できます、あるいは住所と名前を書いたメモを渡してくだ
さるとかすれば、私と話せます。さらに電話は鳴り止むことがありません。
」
⑬「ええ、月に 2 回しております。私の選挙区は二つの地域に分かれております。一つはとても
いい所でして、生活水準も高いのですが、もう一つは違います。ですから、私の投票区には二つの地
域があります。これはとても興味深いことです。違う問題があるわけですから。ですから私はサージ
ェリーをそれぞれの地域で行っています。[どれ位の方が来られますか]実際はとても少ないです。大
抵は電話か手紙か E メールで連絡してきていると思います。
時には 2・3 人ということもありますし、
時には誰も来ないということもあります。いろいろです。依頼人がそうする方が話がしやすいという
場合、その人の自宅へ伺うことも時にあります。[これからもサージェリーを続けられますか]恐らく、
少し変えることになるでしょう。今は夜の 7 時から 8 時までしております。何人かの議員さんのお
っしゃるには、サージェリーは 7 時がいいそうです。その時間は皆さんに来てもらいやすい。サー
ジェリーに行こうとする人にとっては、7 時がいいようです。7 時に行けば、待たなくていいと。ど
なたかが来ている場合、いつもは 7 時 45 分くらいまでおります。私はサージェリーを続けたいと思
います。理由は、皆さんがサージェリー以外のいろいろな方法で私と出会うように、サージェリーが
いろいろな人たちの出会いの場を提供しているからです。」
議員の中には、やっていないとか、やってきたがやめたと答える例もある。やっていなかったり、
やめるというケースは、とりわけ農村部に多いようである。
⑭「やってきました。小さな村で一時間やっていました。一時間椅子に座っておりました。とても
平和でした、本当に。でもやめたんです。理由は、時おり、サージェリーの時間が終わって帰ると電
話が鳴るんです。電話主はさっきいた村の人だと思うんです。それで今はやり方を変え、問題があっ
て私に会いたい人がいれば、私がその人の自宅まで出かけることにしました。私はその方がいいと思
ってます。家庭内に何か問題がある場合、私に個人的に会いたいと思えば、私の家にやってきてもい
いし、どこかで会う約束をして会ってもいいからです。だって、家の中で話すには都合の悪いことが
あるとか、プライバシーに関わることを話したいということもあるじゃないでか。[いつサージェリ
ーをやめたんですか]2 年ほど前です。私はサージェリーを 13 年やりましたが、その間、来られたの
はわずか 20 人ほどにすぎません。ですから、続ける理由なんてありません。農村地域では、このこ
とはとても重要ですが、皆さんサージェリーに来たがらないんです。都市部でしたら事情が違い、議
員は忙しいんでしょうけれど。農村的状況では物事のしくみが違うんです。
」
⑮「いいえしておりません。理由は、していたのですが、どなたも来ませんでしたので。私の地域
が申し上げたような地域ということもあります。もし問題があれば、電話をすればいいということを
皆さんご存知です。私のポリシーは、皆さんの問題を 24 時間以内に対処するということです。待っ
ていただく必要はございません。何かしてほしいことがあれば、すぐ対処いたします。私が考慮しな
ければならないもう一つのことは、私の地域には保守が一人と SNP[スコットランド・ナショナル党]
が 3 人いて、保守の支持者は全員私がめんどうを見ている、SNP の所には行きたくないものですか
ら。ですからもし問題がある場合、私は保守の支持者の皆さん全員に連絡をとっているということで
す。
」
⑯「最初議員になった時は月一回やっていましたが、相談もそれほど多くなくやめて 4 ヶ月ほど
になります。新学期が始まり、皆さんがホリデーから戻られたら一度やりたいとは思っています。他
の月はなくてもいいと思います。問題ですか・・・考えようとしています。漁村、私はこの漁村地域
のコミュニティ・カウンシルの集まりに参加していますが、地元の皆さんがしばしば参加してくれま
す。それでそれをサージェリー代わりに利用させていただいております。というのも、皆さんこの会
議や終わった後、
私と直接話すことができますし、逃げ帰るようなことがないものですから。皆さん、
会議で私をつかまえることができます。会議の後はたくさん問題が出てきました。共有地に塀を立て
ている男の人がいて、この人のことで多くの人たちが私に話しにきました。何か議論しなければいけ
ない時は、皆さん集まられるようです。
」
⑰「いいえ、やっていません。[必要ないですか]思うに、私のような都市近郊地域ではそれをやっ
た方がいいんでしょう。でも、農村地域では、みなさん電話で済ませます。近郊地域からも電話して
こられますよ。ちょっと、正直なところ、時間をつくるのがとても難しいんです。」
カウンシルでの仕事、有権者の問題解決、そしてサージェリー活動など議員はいろいろな仕事をこ
なしているが、われわれは「平均すると、議員の仕事にどれ位時間を費やしていますか」という質問
をしてみた。
⑱「お答えするのは難しいですね、平均とおっしゃられると。思うに、会議はそんなに長くないで
す。一回 3 時間か 4 時間。半日は政治的な仕事があります、カウンシル内のグループで行う。それ
と読書に、委員会や他のことのための読書に相当使います。最も重要なのが地元での事ですね。毎日
3 時間か 4 時間。とても大変です。とすると、一日平均 3 時間か 4 時間ですね、大方」。
⑲「[その給与でもまだましだとお考えですか]答えるのが難しいですね。理由は、議員というもの
はフルタイムであるべきだとは考えないからです。有権者も反対でしょう、
「なぜ議員がフルタイム
である必要があるんだ、われわれはそんなにしばしば邪魔しているわけじゃないのに」と。しかしこ
れは個人的な意見にすぎません。もしフルタイムで議員をするならば、自分が何をすべきかというこ
とについて視野の狭い見方から始めるべきで、そのことを大きな視野で見ないようにするのがいいと
思います。それともう一つ、政治に関心のない人々に関わってもらうことが重要です。いや、私は議
員はフルタイムであってはならないと思います。コンピューターの操作やあちこちから来るメッセー
ジを処理することは、難しいことではありません。
」
⑳「[週に何時間、議員として働いていますか]さあ、あえて言えば、週 3 日か 4 日でしょうか、朝
から晩までですが。朝から晩まで働いたとして、週 3 日から 4 日になるでしょう。[議員報酬につい
てはどう思われますか]そうですね、報酬は誰でもその仕事がやりたいと思えるような額を払うべき
だとは思います。というのも、現在の額はやる気を失わせますから。もし誰かが議員になって仕事を
やめ、家族を養おうと考えると、誰もなりたがらないでしょうね。妥当な額というのがあるはずです、
妥当な。それが皆さん、とりわけ女性たちが議員になりたいと思わせるものであるべきです、とりわ
け女性がです。もし十分な報酬が支払われているなら、女性たちも子供の世話が必要なら自分で払え
るでしょうから、その時女性たちはこのような仕事をしたいと思うでしょう。なぜなら、議員は女性
にぴったりの仕事ですから。[ご自身、フルタイムの議員とお考えですか]いいえ。理由は、私が議員
とは別に二つの仕事を持っているからです。最初の仕事は議員をやっている 6 年前に始め、二番目
の仕事はやってから 2 年半になります。ですから私は三つの仕事をこなしている。そう、4 つしてい
ます。私は母であり、主婦でもありますので。」
21「夏場は時によって暇な時もあります。でも 9 月になると、たくさん委員会があり・・・そう
ですね、月曜は一日に 12 時間。そうですね、週 30 時間か、週 40 時間ですか。会議に行き、時には
夜もある。ここの会議を別にしても学校評議会に地元のコミュニティ・カウンシルがありますので。
学校評議会は 6 週おきに一回、コミュニティ・カウンシルは月に一回あります。各種委員会は 6 週
に一度です。ですから私たちは 6 週に一度はカウンシルが人であふれ返りますし、戦略政策委員会
と資源委員会も・・・委員会は全て水曜に開催されますので、水曜にはいつも何かが起こります。
」
5. 「コミュニティ・カウンシル」について
最初に、少し長いものであるが、コミュニティ・カウンシルがどういうものであるかを説明してく
れている話を紹介しよう。
①「私の投票区に三つのコミュニティ・カウンシルがあります。地理的な範囲は小さいのもあれば、
大きいのもあります。で、昨夜はその一つの会議に参加しました。[どういう人たちがそこで働いて
いますか]地域に居住している人たちです。現在は、もし人員が必要な場合には選挙するというシス
テムをとっています。その地域に住む人がどなたかを推薦します。推薦する人もされる人もそこに住
んでいなければなりません。推薦を受ける人は、通常は活動的で、コミュニティを大事に思っている
人です。申し上げておきたいのは、全体として、これらの人たちは自分たちの地域をとても大事にし
ているということです。その役割は、自分たちのコミュニティで意見を言うことです。かれらは私に
話すこともできますし、他の全ての組織にも話せます。それはボランティアです。そこで活動してい
る皆さんを心から尊敬しています。私が多くの事柄についてしている心くばりなんてわずかなもので
す。私はコミュニティにかかわり、コミュニティで働いたこともあります。コミュニティ・ディベロ
プメントですが。私たちの役目は、このようにコミュニティを支えている人たちを支えることだと思
いますので、会議に出席しています。そうすると、私たちがカウンシルでやっているいろいろなこと
にかれらも関わるようになります。ワーキング・グループ、あるいはエリア・フォーラムのようなも
のがいくつかあり、そこにコミュニティの人たちが行き、他の地域の人たちと交流します。こういう
グループやフォーラムが一緒になり、より強力に意見を言い、そして私たちの所に来て、「ねえ、こ
っちを先に、あっちを先に、あれは後でいい」と言います。かれらの優先事項は、主に教育、高齢者
の世話といった社会的な事柄や、道路や良質の住宅、食料などです。コミュニティ・カウンシルはど
の地域にもあります。別に市民会議というものも持っていまして、これは私たちがコミュニティや企
業などから人を招いて結成しています。[あなたの投票区だけですか]いいえ、カウンシル全体です。
投票区にはコミュニティ・カウンシルがあり、その上部団体としてエリア・フォーラムがあります。
このエリア・フォーラムの上に市民会議があるのです。いずれのグループとも、カウンシルが予算を
どう使い、私たちがどういう政策を立てるのかということに対して影響力を持っています。議論が市
民会議にまわされると、コミュニティの人や企業の人は参加できなくなりますが、あらゆる人たちが
そういうグループに参加できます。どのカウンシルでもそうだというわけではありません。この地域
カウンシルのこの与党が行っていることです。ですから私たちはあらゆる種類の会議をかかえており
ます。[コミュニティ・カウンシルには何人くらい集まるのですか]昨夜は 20 人ほどでした。それに
は私とコミュニティの警官も含まれます。警察署にはコミュニティで働く警官がいます。警官とは緊
密に連絡をとりあっていますし、彼はサージェリー[コミュニティ担当の警官が行う相談会で議員の
ものとは違う:訳者注]も行っていますので、犯罪や公共物の破壊などなどについて相談にやってくる
人がいるはずです。私たちは薬物などについても問題にします、当然ですが。警官と私はそれぞれで
得た情報を共有し、一緒に行動します。
申し上げるまでもなく、スタッフは信頼できる人なのですが、
しかし私たちは互いに理解しあう義務があり、また密接に協力して仕事を進めます。彼と私は昨夜そ
こに出ていましたが、コミュニティ・カウンシルのメンバーでもあるんです。加えて、この会議は公
開されています。昨晩は天気が悪く、余りにも天気が悪かったもので[前日、この地域に雪が降った:
訳者注]、投票区からは 20 人ほどしか参加しませんでした。[若い人は出席されますか]私たちは若い
人にも参加してもらうよう努力しています。一つの地域、私には三つ地域がありますが、昨晩はそこ
のコミュニティ・カウンシルだったのです。そこでは皆さん、カウンシルが運営を助けているユース・
グループから若い人に出席してもらおうとしています。何人か参加していましたが、退屈していまし
た。カウンシルの一員として私たち自身がこのメンバーを任命しました。そこには二人の学生代表が
おり、中高学校[secondary school スコットランドは日本の中学と高校が一緒になっている:訳者注]
からこの委員会に参加してもらっています。7 つの中高学校から男女一人ずつ代表を選挙で選んでも
らいました。これまでは一人だけだったんですが、常にバランスが大事ですので要求し二人になりま
した。それで男女一人ずつということのなったのです。ですから、この委員会には二人の若者がいま
す、高 2 と高 3 ですが。17 歳くらいでしようか。学校には全て、中高と小学校の全ての学校には学
生カウンシルがあり、学校の若者たち、子供たちですね、は委員を選挙します。学生カウンシルと学
生フォーラムは私たちの所に来たり、手紙を書いてよこしたり、地域フォーラムや市民会議に参加し
たり、また重要だと思う問題を提起したりします。ですから、私たちは若い人たちをカウンシルに加
えることによって、とても創造的な試みをしてきました。そのことがカウンシルに対する若者の関心
を維持しているのです。かれらはいろいろなことをしたがっている、ユースクラブがほしかったり、
皆で集まったり、ダンスをしたり、スポーツをしたりです。でもかれらは重要で目立つ事には敏感な
のです。そういう事柄に私たちはサービスを提供すべきだと考えています、スポーツ施設やいろいろ
な事に。[子供たちに地方政治について教えることは重要だと思いますか]え、そう思います。地方政
治って、自分たちのコミュニティのこととか、どうしたらコミュニティを便利にできるかとか、自分
たちは権利をもっているんだとか、自分の意見を持つこと、だと思うんです。多くの若い人が委員会
に参加しています。まだやるべきことはたくさんありますが。若者たちはコミュニティ・カウンシル
には退屈しています、参加はするのですが、出ていってしまいます。学生委員会や学生フォーラムの
ように同世代のグループには関心があるようですが。」
次に紹介するのは、政党から出ているにもかかわらず、コミュニティ・カウンシルを通じて地域の
人たちとつながりができるだけではなく、そこでいろいろな仕事を積極的に引き受けることが議員に
なるための通過儀礼だと強調しているものである。
②「私は地域コミュニティに深く関わっていました。私はこの町の教会の日曜学校を運営していま
したし、女子青年会の代表も二度勤めましたし、町の博物館のガイドもしていました。ですから地域
コミュニティとはいろいろおつきあいをしていましたし、地方政治レベルではそのことがあるから皆
さんが投票してくださった。それは、人々のためにやってくれているんだと、皆さん見ておられたこ
となんです。政治や行政の枠の外で。コミュニティ生活の中のことについては、皆さん関心をお示し
になられるようです。
」
③「[候補者になる前は、どのような活動をしていましたか]コミュニティ・カウンシルの委員長に
なりました。コミュニティ・カウンシルに加わり、すぐ委員長になりました。この地位についてから、
歩道の予算獲得や歴史的建造物の照明の設置、ニューズレターの作成などを取り仕切りました。こう
いったことは村にとっていい事ばかりでした。フェンスを取り替えたり、トラスト[財産などの管理
団体:訳者注]やチャリティから資金を出してもらったり、さらにたくさんのお金も集めました。です
から、コミュニティ・カウンシルがそれまで何にもしてなくて、他の委員長の方たちが皆ただ文句を
言うだけったったが、こんなことをするなんて初めてだということを、皆さん理解したのです。私は
「こういうことが私たちが問題にしてきたことであり、また皆さんが望んでいると思うことです」と
言いました。そうしてそれから私はあらゆるボランティアの仕事をし、プロジェクトを立ち上げまし
た。ですから議員になるためにとても一生懸命働きました。
」
農村地域では、新たに作られた「コミュニティ・カウンシル」が機能していることは事実であるが、
旧来のコミュニティ意識、
つまり「地域の人たちの情緒的なつながり」もまだまだ根強く残っている。
ここに紹介する例は、地元でよく知られた家族の一員と結婚たからこそ、その地域に受け入れられ
たものである。
④「ここの農村地域では、その人がよく知られているかどうかで差が出る傾向があります。私の利
点は、ここで数世代続いた家族の一員だということです。家族はここで長いこと暮らしてきましたが、
それがとても有利だったと思います・・・私はコミュニティ・カウンシルを通じて皆さんを知りまし
た。また農村地域には強いコミュニティ精神があると思います。皆さん互いに協力しあって生きても
います。私がカバーしている地域は、私が住んでいる峡谷と谷が幾重にも連なっておりますが[スコ
ットランドには、川や湖を挟んで峡谷 strath や谷 glen が数多く見られる:訳者注]、皆さんは教会を
通じて私と結びついています。ですから、私も教会をつうじて皆さんを知っているわけです。私たち
は皆牧草地を持っていますので、互いによく知っているのです。ですから、それが役に立ちます・・・
でも、受け入れてもらうにはしばらく時間がかかりましたし、そのことは事実上私自身の出方にかか
っていたと思います。でも何も問題ありませんでした。
」
また都市的な地域と農村的な地域の両方を抱えている場合は、それなりの悩みもある。
⑤「私は今、二つコミュニティ・カウンシルを持っています。かつては 9 つでした。議員になっ
た時、村は一つでした。カメレオンという意味をご存知ですか。コミュニティはカメレオンみたいな
ものだったのです。どのコミュニティもそれぞればらばらだということを分かってください。どのコ
ミュニティでも起こっていることは同じだったのですが、見方はばらばらでした・・・村にはそれぞ
れの村のやり方があったのです。農村部は都市部と全く違います。この町でも都市的な地域は何事も
同じようにしようとします。ですが、西部の農村は同じ事でも同じようにはしたがらないんです。農
村部は皆違うやり方でその事をしたい。でも議員が複数いる都市的な所では皆さん一つの見解にまと
まろうとするのに、農村部はどれもこれも信じられないほど違った仕方で何かしようとするんです。
」
6. 女性として、政治家として
最後に、女性として、政治家として悩み、男性のこと、政治を志す女性たちへの励ましや注意など
を語ってもらおう。
①「この国では多くの女性が自分を過小評価していると思います。でも最大の問題は、伝統的に男
性が議員になりたがり、多くの女性が政治にあきあきしていることです。第一に、女性は自分たちが
政治を理解すべきだとは考えていませんし、それを理解しょうとする動きすらしません。私が知る限
り、政治にかかわりをもつ女性は全て政治をとても楽しんでいますし、退屈なものじゃなく、人々の
日常生活に直接影響するものだということをみんなに分からせようと努力しています。学校に何冊本
を置くか、住民税をどこにどれだけ使うか、警官の給料をどれだけにするか、こういうことを決めて
います。われわれは人々の日常を左右することを決めています。最大の問題は地域民主主義の教育を
受けていないことです。人々は、自治体が何をすべきか、自治体がどんな決定をするのかを理解して
いません。もし女性が、コミュニティでやっていることと全く違うことができるんだということに気
づけば、政治にかかわるようになるし、それは教育に課せられた重大な課題だと思います。われわれ
は小学校から始めるべきで、子供たちに市民と民主主義の意味を教え、自治体が何をするところなの
かを理解させるべきだと思います・・・私はカウンシルにしばしば友人を連れてきますが、みな興奮
します。ここにいることはすばらしいことだと思うんです。でも私が子供の時は、女性たちはそんな
ことを思いもしませんでした。考え及ばなかった。なぜなら誰も教えてくれなかったし、状況を変え
るにはとても長い時間のかかることだったからだと思います。でも、今は事態を変えたいと思えば変
えられますし、スコットランド議会でわれわれは男女同数を実現しました。これはいい。というのも、
女性の健康問題はじめ多くの事柄が明らかにされましたし、その他いろいろな事柄も明らかにされ、
本質的には、市民民主主義についての授業が全ての学校で採用されるようになることを意味していま
す。そうすることが、政治がどんなにおもしろく興味深いかを分からせ、事態を乗り越える唯一の方
法なんです。多くの人が感じているのは、ドアのむこうのタバコの煙でもうもとした男たちばかりの
部屋で意思決定されてきたが、それが次第にオープンで風通しがよくなり、女性たちもそれに加わる
ようになってきた、と。
」
②「[もっとたくさんの女性が立候補した方がいいとお考えですか]そうすべきだと思います。でも
皆さんに関心を持ってもらうのは大変です。私は男女に大きな違いがあるとは思いません。たとえば、
三人の女性たちの言うことのどれかを選別する必要があるとも思いません。議員が務まる能力のある
人たちであれば、その人たちを勇気づける必要があると思います。特に女性だから考えたり感じたり
することができないとも思いません。私はできます。夫と私は数年間ホテルを持っていたことがあり、
コックを雇っていました。シェフではなく普通のコックです。私たちが通常雇うコックというのは女
性たちでして、普通の主婦でした。
「単なる」主婦と言ってはいけませんが、でも料理の上手な主婦
たちでした。ですが、自分の家で料理が上手だからといって、商売として料理が上手な女性を探すの
は簡単ではありません。議員も同じことが言えます。女性があまり議員になりたがらないという理由
は、多分、彼女たちに自信がないからだと思います。多くの女性たちが、多くの男性たちと同じよう
にして議員をあえてしたくないというわけではないと思います。
」
③「カウンシルのあるこの地域はとても男性支配の強い地域です。ここには未だにメンバー全員が
男性という組織もありますし、またそのことが問題になっています。たとえば私が初めて地方政府に
行っ時、直ちにリージョンの副コンビーナーの地位を与えられました。恐ろしいことです。しかしそ
れが私の仕事でした。[何かの集まりに招かれて]受付に行き、ディナー会場に行く。そこでどなたか
が「ところで、あなたはどなたの奥様で?」と聞くでしょう、お分かりのように。そこで、私は考え
る。
「ちょっと待てよ、これは私の仕事じゃないか」と。私には夫なんか必要ありませんし、夫が私
を仕事に連れていくこともないし、私が夫を仕事に連れてきているわけでもない。また女性議員があ
る論題を提案しても、[役所の]一階にあるいくつかの障害を乗り越えないと、とても成功しないと思
います。一階というのは、男性が支配している所です。むろんこのカウンシルのことですよ。男性議
員にとっては、団結して反対する、でもある事については通過させるというのが楽なことです。女性
にとっては、とりわけ「女性の問題」であれば、もっともっと通過し難くなります。最初はたたかれ
て退却してくる、でも前もってそのことを聞いていれば、あちこちの頭をけとばし、なぐりつけて前
へ進み、そして自分が厄介者・邪魔者・謀反人になればいいのです。大抵の男性は強い女性、
「強い」
、
いや私はむしろ「断固とした」という言葉を使いたいですが、
「断固とした」女性には抵抗しきれな
いものです。男性が抵抗できる唯一の方法、それは私たちを無視することはではありません。でもあ
てこすりはしてきます、何のエネルギーも使わずに批判するだけですから。男性は女性が議員には向
いていないと言うくらいのことでしょう。」
④「思いますに、ここでは依然として男性が支配しております。依然として男性中心に物事が組み
立てられています。[社会構造全体ですか]ええ、仕事のことであれ・・・社会構造全体です。どこを
見ても、男性が多い。改善はされつつありますが。思うに、こういうことは、首相のような指導者た
ちが進めるべきです。未だに階級システムが残っていますし、他の事柄も全てこの調子です。でも変
わりつつあります。ですから、女性がもっと活躍できるようにするには、
「私たちいいチャイルド・
ケアの施設がほしいわね」といったカウンシルについての話しをしますが、そういうことを優先させ
て、それを提供すべきです。自分も男性と同じなんだと女性が感じることができ、
「あ、家で子供の
世話をしなくてはいけないんだ」という罪悪感を女性から取り除くようにすべきです。考えを変える、
そのためには女性同様、男性の価値観や考え方を変える必要があります。思うに、教育システムは男
女の意識や考えに変化をもたらすのに大きな貢献ができますし、学校もそれができます。私たちは、
小さな子供の時から若者たちに意見を求める必要があります。事実、私たちはナースリーの子供にも
意見を求めています。男の子にも女の子にも閉じられているドアがないよう平等だと思えるようにす
るにはどうしたらいいか、尋ねて見る必要があります。それは、男の子がナースリーの看護士になり
たいならなれる、女の子が伝統的に男性のやってきたことと思われていることをしたいならできる、
ということなのです。
」
⑤「私は、女性は地方政治に向いている、女性はとても有能な地域のまとめ役だと思います。私は、
女性がとりわけ国際政治に関心があるとは思いません。むしろ日々の生活の中で人々の問題を処理す
る、大抵の女性がそれに向いています。女性はとてもいい聞き手ですし、とても適切な判断ができる
と思います。私がある女性と話している時に、問題をかかえた女性がやってくる。女性は問題をかか
えている時、しばしば人に話すことで問題を解決していくものです、特にどうこうという指示を受け
なくとも。このように、女性って、自分たちで解決策を見つけられるんです。[じゃ皆さんは女性議
員の方が話しやすいとお考えなんでしょうか]ええ。女性の方は、地元に男性議員がいて、彼女の問
題に関心を示してくれても、それでもまちがいなく女性議員に話そうとするでしょう。男性、私は男
性を決して邪魔者扱いしているわけではありません。もし何か腹立たしいことがあるなら、それをす
ぐ誰かに話してしまいたいと思うでしょう、男性であれ女性であれ。でも多くの女性が感じているこ
とは、直面している問題について自分たちがどれほど心配しているか、男性には到底理解できないと
いうことです。私は、女性議員なら彼女たちの気持ちを理解できると思います。多くの女性が私に言
いました、
「女性に相談するのがいい」と。加えて、彼女たちは店で私を見かける、通りで私をみか
ける、子供といる時に見かける、そして私に気楽に話しかける、そういうことをする方が彼女たちに
とってしやすいことなのです。
」
追記
なお、本稿を書き上げるにあたって、スコットランドに関するさまざまな質問に答えていただいた
ストラスクライド大学政治学科・学科長・J.ミッチェル教授、講師の N.マガビィー氏、また政治学
科の秘書のみなさんにもいろいろとお世話になり、紙上を借りてお礼を申し上げたい。