バルカン戦争とサラエボ事件

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サラエボ事件
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全 に解 体 した。
テネ グ ロが 独 立 し、一
弔 一次 大 戦 によ って
誕 生 し た多 民 族 国家 ユーゴ ろ フビ アは完
も セルビ アの コソボ自 治 州 な ど で民 族 紛
争 が 勃 発 し た 。ま た 2006年 には モン
け る国 民 国家 形成 の苦 闘 は、現 在 も な お
続 いて いる。1990年 代 の旧 ユーゴスラ
ビ ア内 戦 で は大 量虐 殺 が 発生 し、そ の後
﹁
ヨーロッパの火 薬 庫 ﹂と よば れ、一
弔 一次
大 戦 の震 源 地 と な った バルカ ン半 島 に お
現在 も続 く
バ ルカ ンの民族 問 題
ボ で 、南 スラ ヴ 統 一国 家 建 設 を 目 ざ す 秘
密 組 織 の 援 助 を 受 け た セルビ ア人 青 年 に
射 殺 さ れ た ︵サ ラ エボ 事 件 ︶。オ ースト リ
アは セ ルビ ア政 府 の 責 任 を 追 及 。ドイ ツ
8日 、セルビ アに宣 戦
の支 持 を 得 て 、7月 2
を 布 告 し た 。セ ルビ アを 支 持 す る ロシ ア
が 総 動 員 令 を 出 し て これ に応 じ る と 、ド
イ ツが ロシ アと フラ ンスに宣 戦 。ここに第
一次 世 界 大 戦 が 始 ま った。
8 日 、オ ースト リ ア=ハ
1914年 6 月 2
ンガ リ ー帝 国 の皇 位 継 承 者 夫 妻 が 、陸 軍
演 習 の観 閲 に訪 れ て いたボ スニアのサ ラ エ
世 界 大 戦 の始 ま り を 告 げ た
サ ラ エボ の銃 声
各 国 の利害 がからみ合う
﹁ヨーロッパの火薬庫﹂バルカン半 島 で、
第 一次世 界 大戦 の
口火 が切られた。
バルカン半島を 火薬庫 にした
大国 、小国 の思惑
9世紀
オ ス了ン帝 国 の衰 退 にと も ない、︲
以降 のパルカ ン半 島 では次 々と 国 民 国家
が 誕 生 したが、多 民族 が 混在 す る地 域 で
あったため、ラ
﹂れらの国 はしば しば 国境 を
め ぐ って対 立 し た 。こう し た状 況 を みた
ロシ アは、スラヴ 系 諸 民族 の 一体 性 を 主
張 す るバ ン=ス ラヴ 主 義 を 唱 え て介 入 。
これ に対 し、オ ーストリ ア=→ ンガ リ ー帝
国 はドイ ツのう し ろ 盾 で バ ン=グ ル マン
ノ=ろ フヴ主義 を押 さえ込
主義 を唱 え 、パヽ
も う とした。
1908年 、オ ースト リ アが 突 然 ボ ス二
アと ヘルツ■コビ ナ を 併 合 す る と 、甲 ンア
2年 に セルビ アを 中 心 に バ ル カ ン 同 盟
は︲
を 締 結 さ せて 対 抗 し よ う と し た 。し かし
ロシ アの意 に 反 し 、同 盟 諸 国 は イ タ リ ア
と 戦 って いた オ ス了 ノ帝 国 に 戦 争 を し かけ
︵
第 1次 バ ル カ ン戦 争 ︶、バルカ ン半 島 の
オス了ノ帝 国領 のほとんど を奪 った。さら
に、獲 得 し た 領 土 の分 配 を め ぐ り、゛
フル
ガ リ アと周 辺 国 と の 第 2次 バ ルカ ン戦 争
を起 こした。この、ナショナリズムむ き出
しの領 土 争 奪 戦 の結 果 、敗 れ たブ ルガ リ
アがドイツ、オーストリアに接近 す るなど 、
バルカン半 島 は大 国 、小 国 の利 害 が複 雑
に絡 み合 う ﹁
ヨー ロツパ の火 薬 庫 ﹂と な っ
たのであ る。
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ドイツのバンこグルマン主義に対抗するロシアの帝国主義イデオロギーとなつた。
パン=ス ラヴ主義 覺
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バル カン戦争
バルカン半島の領土をめぐるパルカン同盟と
オスマン帝国の戦争。バルカン同盟諸国が勝
利したが、その後、獲得 した領土をめぐリブル
ガリアと他の周辺国との戦争が起こつた。
オーストリアの皇位
継承者の夫妻がセ
ルビア人青年に暗殺
された。これをきつ
か け に第 一 世 界 大
戦が勃発。
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+
ヨーロッパの火
﹁
始 ま つた第 一方
飽