中学校歴史的分野「身近な地域の歴史」学習の効果に関する実証的研究

群馬大学社会科教育論集
第 19 号
2010.3
中学校歴史的分野「身近な地域の歴史」学習の効果に関する実証的研究
−授業「碓氷線の歴史」の授業開発・実践を通して−
志 田
第1章
福 二
はじめに
ある。「身近な地域の歴史」学習のねらいは,
学習指導要領から、①地域への関心を高めさ
本研究は,
「身近な地域の歴史」学習の在り
せる,②地域の具体的な事柄とのかかわりの
方とその学習効果を明らかにすることを目的
中で我が国の歴史を理解させる,③歴史の学
とするものである。
び方を身に付けさせる,の3つである(以下
「身近な地域の歴史」学習は,実際の中学
それぞれをねらい①,②,③と表す)と理解
校の教育現場においては,決して重視されて
されるが,1998 年度版では,ねらい③に重点
いるとはいえない。後述するように、志田が
が置かれていることが読み取れる。
行った調査では,
「身近な地域の歴史」学習の
ところが,2008 年度版学習指導要領では,
県内中学校での実施率は 45.0%であった。な
「学び方を学ぶ」ことから「伝統や文化への
ぜ,これほど実施率が低いのか,そこにはど
関心を高める」ことへ,重視する点が移行し
のような問題が存在し,どのような方策によ
ている。一方で,地理的分野ではあるが「地
ってそれらが解決できるのか,そもそもこの
域社会の形成に参加,努力する態度」が強調
学習は,社会科の目標である公民的資質の育
されており,このような新しい視点も含めた
成のために有効なものであるのか。これらの
教材開発が必要であると考える。
ことを,
「身近な地域の歴史」学習の授業開発,
実践を通して検証していき,この学習の有効
性を確認していくことが本研究の目的である。
第3章
中学校社会科歴史的分野の教科書に
おける「身近な地域の歴史」学習の取
扱い
第2章
中学校学習指導要領における「身近な
地域の歴史」学習の取扱い
本章では,中学校社会科歴史的分野の8つ
の教科書の記述を検討し,どのような方針の
本章では,中学校学習指導要領における「身
近な地域の歴史」学習の取扱いについて,そ
もとに「身近な地域の歴史」学習を展開しよ
うとしているのかを考察した。
の変遷を分析することから,この学習が重視
どの教科書も,学習指導要領を受けて,調
されるようになった背景やねらい,さらには
査活動のスキルを中心にした「学び方」を重
今後のこの学習の方向性を考察した。
視した取扱いになっており,課題解決的な学
「身近な地域の歴史」学習が,明確なねら
習の形態を取り,校外へ出かけての調査活動
いのもとに歴史的分野の学習に位置付けられ
を想定して書かれていることが特徴である。
たのは,1998 年度版学習指導要領からである。
また,教科書の記述は,ねらい③について
背景には,
「生きる力」の育成という教育全体
は十分活用できるが,①,②に関しては,直
の目標を受け,
「学び方を学ぶ」学習の重視が
接活用することはできず,示された例を参考
に地域に当てはめて教材を作り出すことは,
アプト式という特殊な運転方法により 66.7‰
教師自身の力量に任されており、その分教材
という日本一の急勾配を運行した路線である。
を開発する労力と能力を教師に要求する。
この碓氷線の鉄道文化遺産は,近代化遺産と
しては日本で最初に重要文化財とされ,現在,
第4章
群馬県内中学校における「身近な地
域の歴史」学習の授業実践の実態
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の1つとして
世界遺産に暫定登録されている。
「身近な地域の歴史」学習の素材としての
本章では,志田が 2007 年度に群馬県内全公
立中学校に対して行った,「身近な地域の歴
碓氷線の歴史の価値は以下の5点である。
⒜
地域の特性が生かされる点と,地域社会
の形成者としての自覚を育成する点
史」学習に関するアンケート調査の結果と県
内中学校での先行研究をもとに,県内中学校
碓氷線の歴史は,日本の近代化を陰で支
における授業実践の実態について考察した。
えた鉄道員たちの努力と苦難の歴史であり,
そこでは,この学習の実施率が,45.0%と
鉄道とともに栄えた地域の歴史そのもので
半分にも満たない実態が明らかとなった。実
もある。それらの思いを生徒たちに感じ取
施しない理由には「授業時間の確保が難しい」
らせることは,地域社会の形成者としての
が最も多く、
「教材化する時間がない」「地域
自覚につながるものと考える。
に適当な素材がない」
「生徒の身に付くものが
⒝
地域の文化遺産を尊重する態度を育成す
る点
ない」
「教師の力量不足」等が挙げられた。ま
た、実施に際しても「十分な時間をかけてい
地域に住む生徒たちに,碓氷線の学習を
ない」
「見学や調査活動が実施されていない」
通して,地域の文化遺産の価値を理解させ,
「学び方が軽視されている」等の課題が見ら
尊重し,守り,活かしていこうとする意識
れた。
を持たせることができると考える。
これらをこの学習の課題と捉え,その解決
⒞
地域の歴史から日本全体の歴史を理解さ
せる点
の手立てとして、
「年間指導計画への明確な位
置付け」
「教材の共有化や共同開発、教材の形
碓氷線の歴史は,日本の近代化の歴史を
式の工夫」
「資料分析のスキルの計画的な取り
大変よく反映しており,一地域の一分野の
組み」
「見学や調査活動に代わるような活動の
できごとから,日本全体の歴史を捉えなお
工夫」等を提案した。
すことができる好素材であるといえる。
⒟
第5章
資料から歴史的事象を考察させ,歴史の
学び方を身に付けさせる点
碓氷線の歴史と「身近な地域の歴史」
碓氷線に関しては,さまざまな資料,特
としてのその教育的意義
に写真資料が豊富に残っている。生徒は
様々な資料に基づいた学習が可能であり,
第4章で考察した解決の手立てを,具体的
資料活用の力を育成する教材となる。
事例を使い授業実践の中で試みるため,地域
素材として碓氷線の歴史を取り上げた。そこ
⒠
見学の実施の点
で,本章では,碓氷線の歴史の概要と「身近
碓氷線の文化遺産については,生徒はほ
な地域の歴史」学習としての碓氷線の歴史の
ぼ全員一度は訪れている。見学に代わるも
教育的意義について考察した。
のとして,生徒たちの共通の体験を授業の
碓氷線とは,1997 年に廃線となった信越線
横川−軽井沢間の通称で,1893 年に開通し,
中で活かすことは有効であると考える。
以上の ⒜∼⒠ の観点は,現行あるいは新学
習指導要領において,いずれも歴史的分野で
授業構成を考えた。また,考察させる課題を
重視,強調されているものでもある。このよ
日本全体の歴史と関わらせることで,日本全
うに,碓氷線の歴史は,
「身近な地域の歴史」
体と地域との関係を常に意識させ学習させた。
学習の意義を検討する上で有効な素材となり
さらに,社会の大きな変化と関係づけながら,
うると考え,研究対象として設定した。
碓氷線の歴史を時代を追って捉えさせた。
開発した授業は,学習指導案の形式で示し
第6章
「碓氷線の歴史」の授業開発
た。単元名を「碓氷線の歴史」とし,単元目
標を「碓氷線の歴史の学習を通して,生徒の
第6章では,
「身近な地域の歴史」学習の課
身近な地域への関心を高めさせるとともに,
題解決のための方策と,学習指導要領に示さ
日本の近代化を地域の観点から理解させ,さ
れている学習のねらいに基づいて授業の開発
らに,写真を中心とした資料を分析していく
を行った。課題解決のための方策について,
ことを通して,資料活用能力を身に付けさせ
授業の中で次のように具体化した。
る」とした。
第1に,授業時間の確保が難しいという課
第1時
写真から見る碓氷線の特殊性
題に対して,年間指導計画を見直し,7時間
第2時
碓氷線の建設と人々のくらし
計画で位置付けた。
第3時
日本の近代化を陰で支えた人々
第4時
明治政府はなぜ碓氷線を建設した
第2に,教材化が困難であるという課題に
ついては,引き継ぎしやすい形式(指導案の
のか
細案やワークシートの作成,プレゼンテーシ
第5時
碓氷線と日本の近代化
ョンソフトによる資料の提示)で教材化した。
第6時
碓氷線と産業革命の進展
第3に,
「学び方」が重視されていないとい
第7時
碓氷線と私たち
う課題については,写真を中心とした資料の
単元の計画は,第1時から第3時までは,
分析を,身に付けさせたい「学び方」と捉え
主に写真資料を分析することによって資料活
学習を進めた。
用能力を高めさせながら,碓氷線が,碓氷峠
第4に,見学や調査活動の実施が難しいと
の特殊な地形により,最新の技術,多額の経
いう課題については,写真を使う,生徒が一
費,多くの人々の犠牲や労苦の上に建設,維
度訪れたという経験を生かす,校内で調べる,
持されたことを理解させるために設定した。
各家庭で聞き取りを行わせるなどを行った。
第4時では,生徒たちに資料を選択・分析・
次に,学習の3つのねらいについては,ね
活用させて,考察・まとめさせる作業を行わ
らい①については,
「日本で最初」という言葉
せ,それを第5時に意見交換させ,碓氷線が
をキーワードとして,碓氷線の先進性を捉え
日本の近代化,特に産業革命をめざす明治政
させ,日本全体の歴史の中での碓氷線の重要
府によって建設されたことを理解させること
性に気付かせた。また,鉄道員たちの碓氷線
とした。第6時では,明治末期のパイプライ
に対する心情や,保守のための努力を理解さ
ンの建設から,産業革命のさらなる進展と碓
せるために,彼らの心情がわかるような資料
氷線の輸送力不足をとらえさた。第7時では,
を使って授業を構成した。さらに,地域の現
その解決の方法として幹線初の電化が行われ
代的な課題に目を向けられるようにするため,
たことと,それ以後の碓氷線の変遷について
廃線後の,現代までを学習範囲に含めた。
社会の動きと関わらせて理解させ,最後に単
ねらい②については,近代化を理解させる
元の課題「なぜ,碓氷線は,安中市にとって,
ために,近代化における鉄道の役割を中心に
また日本の歴史にとって重要なのか?」を考
えさせることで終結とした。
ない。両者の関わらせ方をもっと工夫するこ
授業の実践は,2008 年 6 月∼7 月に筆者が
とが今後の課題である。ただ,関わらせて考
勤務する安中市立松井田東中学校2年生2ク
察する意識は持てるようになったと考える。
ラス(45 名)を対象に行った。
最後に,ねらい③については,今回の学習
を通して,資料を活用して歴史的事象を考え
第7章
「碓氷線の歴史」の授業実践の分析
ていくという歴史の学び方の基本的な姿勢は
多くの生徒が理解できた。今回の学習では,
第7章では,授業実践前後に行った調査等
特に写真を中心とした資料を使って考察させ
をもとに,生徒の変容等についての分析を行
る学習方法を行ったが,このことは学習を理
い,研究の成果と課題をまとめた。学習の3
解するうえで大変有効であった。しかし,興
つのねらいに沿って,それを以下に示す。
味・関心を高める効果は,理解する上での効
まず,ねらい①については,地域や地域の
果ほどではなかった。また,ワークシートの
歴史への興味・関心が非常に高まることが明
分析から,課題を解決するために資料を活用
らかになった。しかも,その高まりは,単に
することは,十分できたとはいえない。
「面白かった」というものではなく,地域の
全体を通して言えることは,生徒は今回の
歴史を学ぶことの大切さ,地域の文化遺産の
授業について大変肯定的に受けとめてくれた。
再評価や保存への意欲,地域に対する誇り,
多くの生徒が意欲を持って学習に取り組み,
地域の人々に対する共感というような,地域
学習の成果も十分挙げることができたと思わ
の形成者としての自覚につながるような,よ
れる。今回の実践を通して,
「身近な地域の歴
り質的に高い興味・関心である。
史」学習の授業開発の一つの方向性は示せた
また,今回の実践では,写真資料や鉄道員
のではないかと思う。また,この学習の効果
の家族の回想等の資料を通して,地域の人々
も,今回の研究を通して確認することができ
の生活や心情について考えさせること(=社
たと考える。
会史的な学習)を取り入れたが,多くの生徒
が,彼ら先人の考えや思いは理解できたと答
第8章
おわりに(省略)
えている。しかし,そのことで興味・関心を
高めた生徒は少数にとどまった。もっと生徒
開発した授業の詳細については,志田福二・
の心にインパクトを与え,より直接的にその
岩永健司「中学校『身近な地域の歴史学習』
心情を理解できるような方法を工夫する必要
の授業開発研究―単元『碓氷線の歴史と現在』
があると考える。
の開発―」
『群馬大学教育実践研究』第 26 号,
次に,ねらい②については,社会経済史的
2009 年。
な学習を好きと答える生徒が大幅に増加した。
授業実践に関する生徒へのアンケート調査結
これは,今回の授業が産業革命や近代化にお
果に関する分析・考察は,志田福二・岩永健
ける鉄道(碓氷線)の役割を学習したことに
司「中学校『身近な地域の歴史』学習の効果
よる成果であり,地域の一事象からでも日本
に関する実証的研究―授業『碓氷線の歴史と
の歴史の大きなテーマ(近代化,産業革命等)
現在』の実践から―」
『群馬大学教科教育学研
を扱うことが可能であることをある程度示す
究』第 8 号,2009 年。
ことができたのではないか考える。
一方で,地域の歴史と日本全体の歴史の関
わりについての理解の度合いはそれほど高く
平成 20 年度修士論文要旨
(しだふくじ:安中市立松井田東中学校教諭)