1.水産資源と外来種の歴史的背景 2.我が国

中部・企業内技術士懇談会・中部青年技術士会合同例会
外来種はホントにお邪魔?-水産資源から外来種問題考える事例集ー
1.水産資源と外来種の歴史的背景
我が国は豊饒な海と多くの河川・湖沼を有するため古くから水産業が盛ん
であり、奈良時代には既にコイの養殖が行われていた記録が見られる。外来
魚の導入は不足する蛋白質を補うための食料増産や観賞用が主な目的で
あり、古くは 1502 年に中国(当時は明)からキンギョが観賞用として輸入され
た1)。外来種の本格的な導入・定着は戦後、食料増産のための養殖や観賞用、
またレジャー用の釣魚や釣り餌として多くの外来魚や外来水産生物(甲殻類
や貝類等)が導入されたことに由来する。
特に 1970 年代以降のルアーフィッシングブームに伴うオオクチバスやブ
ルーギルの分布拡大は在来生態系や水産業に多大な影響を与え(図1)、無
秩序な外来種の導入を危惧する声が高まった。生物多様性条約がリオデジ
ャネイロで締結された 1992 年には水産庁が「移入すれば問題になり得る主
な外国産魚種に関する文献調査」2)を取りまとめた。このことは外来種を「野
放し」の状態から「管理しながら利用」する方向への転換を示しており、後の
「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(以下、外
図1.オオクチバスによる在来生物群集への影響1)
来生物法と略す)の施行に繋がった。
2.我が国における外来魚の法的な位置づけ
現在、我が国には 312種の淡水魚が存在する。そのうち国内外来漁は 44 種、国外外来漁は 50 種であると報告されて
おり 3)、如何に外来漁の比率が高いかが理解できよう。
従来輸入される外来漁を規制するための法令としては、「水産資源保護法」や「持続的養殖生産確保法」を運用してい
た。だがこれらの法令はあくまでも防疫目的であるため、より積極的に外来魚の輸入を直接規制するために「外来生物
法」が 2005 年に施行された。外来生物法は、「特定外来生物による生態系、人の生命・身体、農林水産業への被害を防止
し、生物多様性の確保、人の生命・身体の保護、農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上
に資すること」を目的としている。その影響により「特定外来生物」、「未判定外来生物」、「要注意外来生物」、「種類名証
明書添付生物」が指定され、それぞれの種の取扱いを規定した。外来魚の外来生物法での分類と共に表1に示す。
ただし、外来生物法では国内外来種は対象外であり、アユやコイ等の日本産魚類の移植放流の法的規制は歴史的な
経緯や社会通念上極めて困難であろう。希少種や地域固体群が存在するなど保全が必要な場合には、「内水面漁業調
整規則」により放流を規制している例がある。滋賀県では1951年以降、県内に生息しない水産生物(卵を含む)の移植を
禁止している。同様の取り組みは福島、埼玉、新潟、山梨、長野、愛媛、佐賀の各県で実施されている。
表1.外来生物法における外来生物の分類と相当する外来魚 4)
外来生物法により規制をうける
外来生物法の規制を受けない
特定外来生物
未判定外来生物
種類名証明書添付生物
要注意外来生物
国外在来種のうち在来種の存続を脅かす
など生態系を破壊してしまうか、人に危害
を加えたり健康に害を与える、あるいは産
業に重大な悪影響を与えるか、与える可
能性がある生物。特定外来生物に指定さ
れれば、全国一律で飼育、栽培、保管、運
搬、輸入が禁止され、防除が実施されるこ
ととなり、違反すれば罰金が課せられる。
生態系への影響やその他被害を及ぼす疑
いがあるか、実態が良く分かっていない
生物が指定され、輸入する場合には事前
に主務大臣(環境大臣、農林水産大臣)へ
の届出が必要となる。届出があった種が
生態系その他に被害を及ぼす影響がある
と判断された場合は特定外来生物に指定
され、輸入規制を受ける
特定外来生物や未判定外来生物に外見が
良く似ている生物が指定され、輸入の際
には外国の政府機関等が発行した証明書
を添付しなければならない。
特定指定に伴う大量投棄の危険性がある
ものや、生態系等に対する被害の恐れが
あるが科学的知見が不足しているもの。
政令で指定
環境省令で指定
環境省令で指定
オオクチバス
コクチバス
ブルーギル
ストライプトバス
ホワイトバス
パイクパーチ
ヨーロピアンパーチ
チャネルキャットフィッシュ
カダヤシ
ノーザンパイク
マスキーパイク
ケツギョ
コウライケツギョ
⇒税関での判定手続を円滑にするための
便宜的区分
サンフィッシュ科(特定3種以外)
パーチ科4属(特定2種以外)
ペルキクティス科4属
モロネ科4属
ケツギョ属(特定2種以外)
Ictalurus 属(特定1種以外)
Ameiurus 属
カワカマス属(特定2種以外)
Gambusia holbrooki
特定外来生物+未判定外来生物
計13種
1
環境省(中環審)がリストアップ
ナイルパーチ
マーレーコッド
ゴールデンパーチ
ソウギョ
アオウオ
オオタナゴ
タイリクバラタナゴ
ブラウントラウト
カワマス
ニジマス
ナイルティラピア
カワスズメ
グッピー
カムルチー
タイワンドジョウ
タイリクスズキ
カラドジョウ
コウタイ
マダラロリカリア
ヨーロッパナマズ
ウォーキングキャッ
トフィッシュ
3.外来魚および外来水産生物はどうやって導入・定着したのか?
表2.外来魚および外来水産生物の導入・定着経路と受けた影響 5)
侵入・定着の経路
外来魚・外来水産生物
タイリクスズキ
(原産地:中国大陸沿岸)
養殖施設からの逸出
チャネルキャットフィッシュ
(原産地:北アメリカ)
ナイルティラピア
(原産地:アフリカ)
放流用種苗への混入
①琵琶湖固有種
ハス、ワタカ、ビワヒガイ等
②国外外来種
タイリクバラタナゴ等
③国内外来種
オイカワ、アブラハヤ等
オオタナゴ
(原産地:東アジア)
観賞魚の遺棄
グッピー、パールダニオ
マダラロリカリア等
シナハマグリ
(原産地:朝鮮半島、中国からベトナム)
食用活魚への混入
サキグロタマツメタ
(原産地:朝鮮半島、中国沿岸)
遊漁のための放流
養殖や釣り用に用いる
生餌への混入
他の生物を除去する
ための放流
カワマス
(原産地:北アメリカ東岸)
アオゴカイ
(原産地:朝鮮半島、中国沿岸)
ソウギョ
(原産地:中国大陸東部)
ムラサキイガイ
(原産地:地中海周辺)
バラスト水に混入
ミドリイガイ
(原産地:インド洋から
西大西洋の熱帯海域)
環境教育のための放流
メダカ
事
例
西日本や九州沿岸で養殖されていたものが輸送中に逃げ
出したり、台風等の影響で養殖用生け簀が破損してそこから
から逃げ出したと考えられている。現在房総半島から宇和海ま
での太平洋沿岸、瀬戸内海、日本海側の丹後地方沿岸に生息
すると言われている。
霞ヶ浦で食用として養殖されていたものが、何らかの原因
で生け簀から逃げ出したと考えられている。現在は利根川水
系に定着している模様。
温泉地や湧水地で食用に養殖されている個体が逃げ出し、
定着している例が報告されている。
名古屋市内では、工場から温廃水が流れ込む荒子川に定着
している。
全国各地の河川で放流されている琵琶湖産のアユ種苗へ
の混入により、ハスやワタカ、ビワヒガイ等の琵琶湖固有の魚
種やタイリクバラタナゴ等の国外外来種、オイカワやタカハ
ヤ、アブラハヤのような本来その地域に分布していない在来
魚(国内外来種)が分布を広げている。
例えばオイカワは、本来西日本を中心に生息するが、最近
は東北地方でも定着が確認されている。
淡水真珠養殖用のヒレイケチョウガイ(中国大陸産)への卵・
仔魚の混入により導入されたとの説がある。
沖縄島では観賞用のマダラロリカリア(通称プレコ)等の熱
帯性の魚種が人為的に放流(遺棄)され、20種の外来種が定
着している。これらは沖縄の亜熱帯気候下では容易に繁殖す
ることが可能で、優先種となってしまった河川も存在する。
①食用として活きたまま輸入され、しばらく国内の養殖場で蓄
養される。その際に放出した浮遊幼生が野外に定着したと
考えられている。
②潮干狩り用に放流した個体が定着
有明海や瀬戸内海に少数生息しているが、最近本来生息し
ていない浜名湖などでも定着が確認された。輸入アサリに混
入して持ち込まれたと考えられている。
遊漁のため栃木県の日光湯ノ川や長野県の梓川等国内各
地に導入され、湧水の豊富な場所で定着している。
受けた影響
在来のスズキとは集団遺伝学
的に異なり、交雑は起こらないと
考えられている。
しかし在来のスズキとの過度の
競争的関係が生じる可能性あり。
旺盛な食欲により在来魚への
食害や競争、それに伴う漁業被害
が報告されている。
在来漁と生息環境や餌を競合
する可能性がある。
琵琶湖固有種のハスは肉食性
が強く、在来魚への食害が憂慮さ
れている。
タイリクバラタナゴは在来のニ
ッポンバラタナゴと交雑し、遺伝
多様性を破壊してしまった。
在来のタナゴ類など淡水産二
枚貝に産卵する魚種と競争関係
に陥る可能性がある。
熱帯性観賞魚は沖縄の気候条
件で繁殖、大型化するため在来魚
との間で競争関係に陥る可能性
がある。
野外で在来のハマグリとの中
間体が捕獲され、交雑が起きてい
ることが指摘されている。現在遺
伝学的手法により解析中。
アサリに穿孔して捕食(下写真)
するため水産被害が報告されて
いる。特に伊勢湾での被害が大き
い。
在来のイワナやヤマメ、アマゴ
と生息空間や餌をめぐって競合
する。
またイワナとは系統的に近く、
繁殖時期も重なるため容易に交
雑する。種間交雑ではカワマスの
雄がイワナの雌と配偶する組み
合わせが多く、イワナ個体群が一
方的に不利益を被る。
釣り餌として輸入され、「アオムシ」や「アオイソメ」という名
で販売されている。活きたまま水域へ棄てられ、これが定着し
た例が報告されている。
在来のゴカイ類やイソメ類との
競合が心配されている。
ソウギョは1日で体重の1~1.5倍の水草を食するため、各地
で水草除去のために放流された。
過剰に放流された結果、水域の
水性植物群落を壊滅させ、生態系
に影響を及ぼした例が報告され
ている。
船舶のバラスト水による浮遊幼生の侵入や船底付着による
侵入が主に考えられている。
最近では付着した中国製ブイが漂着した報告があり新たな
侵入経路として注目されている。また他の貝類に混入して輸
入されていることも確認されている。
現在では日本全国の浅海域に分布している。
港湾施設や海水取水口・排水口
への付着による汚損が問題化し
ている。
またカキ養殖などで付着によ
る収量低下が発生している。
環境教育の一環としてメダカが放流されている。
2
遺伝子型を考慮せずに放流し
たため、本来分布しない集団の遺
伝子型の固体が見られ、遺伝子汚
染が心配されている。
4.外来魚および外来水産生物の何が一体問題なのか?
表3.外来魚および外来水産生物の与える影響 6)
外来魚および外来水産生物が与える影響
事
例
摂餌による影響
大型の肉食性魚類ほど大きな影響があり、さらに
その繁殖力が強い場合には在来生物の地域絶滅を
起こす可能性がある。
競争による影響
在来魚と外来魚の生態学的地位(ニッチ)が似て
いる場合には競争関係に陥りやすい。競争が激化す
ればどちらかの種が衰退する。
在来魚同士なら共進化の結果、①餌を替える、②
繁殖時期をずらす、③同じ生息場所でも生息水深を
変えるなどの棲み分けが行われる。
遺伝子汚染
同種内の亜種間あるいは地域集団間では生殖的
隔離が不完全もしくは隔離機構が全く無く、一般に
交雑個体間での繁殖も可能。つまり亜種や地域集団
レベルの外来種が導入されれば容易に交雑して、在
来個体群の遺伝的性質が変化する。
地域集団は長い時間の中でその地域の気候風土
に適応しているので、遺伝的性質が急速に変化すれ
ば適応度が低下する可能性がある。
タイリクバラタナゴとニッポンバラタナゴの交雑
在来のニッポンバラタナゴが中国原産のタイリ
クバラタナゴとの交雑により絶滅に近い状態に追
い込まれた。
導入された外来魚の行動が生息環境を過度に改
変し、水生生物の生存基盤を破壊してしまう。
ソウギョやコイによる生息環境の破壊
長野県の木崎湖や野尻湖ではソウギョの放流に
より水草群落が壊滅した。
またコイは水草を摂餌するだけでなく、水底を
索餌によって撹乱する。さらに泥を舞い上がらせ
るため、大量濁りが発生し植物プランクトンや水草
の光合成を阻害する。
ソウギョやコイの寿命は長いため、長期にわた
って生態系に影響を及ぼす。
生物多様性への影響
生息環境の破壊
感染症・寄生虫の媒介
危害を加える
人体への影響
魚類の遺伝多様性が維持されていれば免疫力の
多様である。外来魚が媒介する感染症や寄生虫症が
在来種にとって未知であれば免疫を持たないため大
きな被害が発生する。
外来起源の感染症は大抵養殖種苗の生産と放流
に由来する。単一の種苗を同時にかつ大量に飼育す
るため被害が拡大しやすい。
魚類には背鰭や腹鰭の棘に毒を持つものや鋭い
歯や棘を有するもの存在するが、これらの特性を有
する外来魚が導入されれば、人に危害が及ぶ可能性
がある。
オオクチバスによる食害
琵琶湖のイチモンジタナゴや伊豆沼(宮城県)
のゼニタナゴが壊滅状態に追い込まれた。
カダヤシによるメダカの駆逐
沖縄島ではカダヤシの侵入後、数年でメダカを
駆逐した。
オオタナゴによる在来タナゴ類の圧迫
霞ヶ浦で繁殖が確認されているオオタナゴは体
が大きく、産卵母貝をめぐる競争で在来のタナゴ
類を圧迫している可能性がある。
コイヘルペスウィルス病
霞ヶ浦においてコイヘルペスウィルス病により養
殖コイの大量死が発生。持続的養殖生産確保法に
基づいてコイの移動禁止命令が出された。
ピラニアによる咬傷
全国で観賞用のピラニアが遺棄された事例が
報告されている。ピラニアは鋭い歯を有し、取扱い
によっては咬傷を負うため注意を要する。
オオクチバスによる顎口虫による寄生虫症の媒介
オオクチバスの生食による顎口虫による寄生虫
症が2001年に秋田県で報告された。
顎口虫による寄生虫症はかつて、外来魚である
カムルチーの生食でも多く報告されている。
寄生虫症
外来魚・外来水産生物に特有な寄生虫症は未だに
報告されていないが、未知の新しい寄生虫症を媒介
する可能性があり、注意を要する。なお外来魚が既知
の寄生虫症を媒介した例は報告されている。
漁業被害
①外来魚による在来魚の捕食により有用水産資源が
減少。
②外来魚が介在する感染症や寄生虫症により、水産
資源が減少する。
③鰭の棘が鋭い魚種が大量に網に掛かれば、網から
外す手間が掛かるだけでなく、網の破損を招くな
ど漁業の作業効率を著しく低減させる。
④商品価値のない外来魚が大量に混獲された場合
には餞別や処分のための手間や費用が掛かる
チャネルキャットフィッシュによる漁業被害
近年、霞ヶ浦で大繁殖しているチャネルキャット
フィッシュは商品価値が無く、選別や処分に手間や
費用が大きな負担となっている。また鋭い棘を有
するため魚網から外すのに手間取る上、魚網が破
損する等の被害が発生している。
地元では商品価値を持たせるため、食用魚とし
て利用できないか検討が進められている。
外来魚の影響による在来魚の減少は、地域伝統の
食文化の衰退や消滅に直結する。
琵琶湖におけるニゴロブナの減少
琵琶湖のニゴロブナは鮒鮨の材料として古くか
ら重宝されてきた。鮒鮨は滋賀県の無形民俗文化
財であり、地域に密着した伝統的食文化である。
しかし、近年オオクチバスやブルーギルの食害
や環境の破壊による産卵場や稚魚の育成場の消
失の影響でニゴロブナが減少してしまった。
従来は庶民の味であった鮒鮨が、今では高級料
理になってしまい伝統的食文化の継承が危ぶま
れている。
産業への影響
食文化の破壊
3
5.事例:アユの種苗放流における外来種問題
表4.アユ種苗の種類と特徴 7a)
アユは古くから漁業資源として重要な役割を果たしてきた。
海から離れている山岳地域では海産魚の入手は困難である
ため、アユは貴重な蛋白源として食され、独特の食文化を構築
湖産
してきた。また釣りやアユ簗などレクリエーション面でも重要
な役割を果たしてきた。
ところが近年、ダムや堰堤等の人工工作物により河川が分
断されたことや河川環境の荒廃に伴い、アユの遡上量が減少
してしまった。アユは川底の石に付着した藻類を主食としてい
るため、アユの減少は河川の物質循環に変化を及ぼし、水質
海産
河川産
の悪化にも影響していると考えられている。またアユ減少に伴
う他の生物(生態系)への影響も無視できない。
そこで失われた生態系を回復させるべく、種苗放流を行う
ことで遡上量が補われてきた。種苗は、①琵琶湖産(湖産)、②
海産、③河川産、④人工産に分類される(表4)。
人工産
琵琶湖の鮎は湖で一生を終える陸封型で、体長6~10cm と小さい
が、河川に放流すると通常の大きさに成長する。湖産アユは、①水温
が低くても成長が良く、②なわばりの性質が強く釣り易いため、長ら
く放流の中心であった。
ところが、①再生産に寄与しない、②冷水病を保菌している確率
が高い、③また最近、何らかの影響でなわばりを作らないものが増
加している等の理由で、放流種苗の割合が3割程まで減少している。
湖産アユは遺伝的に他のアユと異なり、種の分化過程にあるもの
と考えられている。
河口付近の海洋を回遊している稚アユを捕獲して河川放流や養
殖に使う。天然もののため安定供給が難しい。また最近は天然資源
自体が減少傾向にあるため、放流量も少ない。遺伝的撹乱は無いと
考えられる。
河口付近で遡上してきた稚アユを捕獲して放流用に使う。遡上で
きないダムや堰堤の上流河川への放流に使われている(天竜川な
ど)。遺伝的撹乱はないものと考えられる。
人工産アユとは、卵から孵化、稚魚の飼育、親魚の飼育までアユの
一生を人が育てたもの。現在の放流種苗の主流であり、約 6 割を占
める。人工産アユには、①海産アユを親にするもの、②琵琶湖産を親
にするもの、③海産と琵琶湖産と交配させたものがある。主流は海
産系である。
再生産に寄与する可能性が高く、遺伝的撹乱が少ないメリットが
あるものの、釣魚としては「釣れない」と評価が悪い。
※養殖アユとは、稚アユを海、川、湖で捕獲し、池で飼料を与え育て
たもの。
アユ種苗の放流による遡上量の増加には、①漁獲量の安定と増加、②釣り人等の遊漁者の増加による経済的効果、③
物質循環の促進(アユへの同化作用)に伴う河川浄化効果等のメリットが期待できる。しかしながら、湖産アユなど本来そ
の河川に存在しない国内外来種を導入することは、①交雑による在来アユの遺伝多様性の破壊、②在来アユや他の在来
魚との競合、③感染症(冷水病)の持ち込み、④種苗に混入する他の国内外来種の持ち込み等のデメリットも孕んでおり、
以下に詳述する。
5-1.種苗放流のメリット
①漁獲量の安定と増加
アユは極めて生産性の高い魚種で、川で過ごす5ヶ月間に最初の現存量の約 15 倍、また水面1㎡では最高 400g の純
同化速度となると試算されている
7b)
。また川幅が20m程の中流域で、石が大きくアユの生息に好適な場所では、1km当
たり1億円前後のアユの漁獲が可能との報告もある 7c)。このような高い生産性を誇る魚種は温帯域ではアユのみであり、
漁業振興のための種苗放流の重要性が認識されよう。
全国で毎年約 1200 トンの種苗アユが放流されているが、技術の進歩により1990年頃には安定した成果が得られ、例え
ばダム上流に種苗アユを 1 トン放流すれば、10 トンの漁獲が確実に得られるようになり、放流の効果は極めて高いことが
立証された。
しかし、放流のみで漁獲をカバーしたため、産卵床の造成や保護区の設定等、天然アユの保護や再生産への対応が疎
かになり、河川環境の更なる荒廃を招いた。また後述するように種苗放流に伴う冷水病の発生により、捕獲率が低下して
しまうに至った。つまり種苗放流だけでは豊かな川をつくることは出来ないといえよう。
最近では矢作川が天然アユの復活・保全のため、産卵場の造成や漁協と電力会社との協力によるダム取水管理、稚ア
ユの遡上計測、水質管理等を行い、成果を挙げている。
②釣り人等の遊漁者の増加による経済的効果
表5.木曽川水系のアユ種苗の種類と特徴 7d)
河川の維持管理や放流事業を行うには莫大な費用を要
する。漁獲したアユを市場へ出荷すれば、売却益が得られる
が、市場では他の河川産のアユや養殖アユとの競争があり、
相場が上下するため安定した収益を得ることが難しい。と
ころが良質なアユを生産する河川では多くの遊漁者が集ま
り、入漁料を徴収すれば、河川の維持管理に供することが可
能なため、遊漁者にとって魅力的な河川作りが重要となる。
その際には種苗のコストや感染症への耐性、釣り易さ、再生
産性等を総合的に判断する必要がある。一例として、木曽川
水系の放流事業における種苗の内訳を表5に示す 7d)。
4
③物質循環の促進(アユへの同化作用)に伴う河川浄化効果
河川に流入する生活排水には汚濁の原因となる窒素やリンが含まれているが、これらは川底のコケ(珪藻等)に吸収
され、成長に利用される。このコケをアユが食することで骨格や筋肉に同化される。このアユを釣り等により漁獲すれば、
汚濁物質を河川から除去したことになる。
高橋、秋山が高知の物部川で行った調査によれば、アユ釣りのシーズン中に釣りによって取り除かれた窒素は 1.6 トン、
リンは 320kg と推定された(20年の平均値)。この値は5~10 月に物部川に流れた窒素の1%、リンの20%に相当する7a)。
5-2.種苗放流のデメリット
①交雑による在来アユの遺伝多様性の破壊 7a)
放流される種苗アユの生息域が異なれば、在来アユとの交雑が心配される。交雑は個体群の遺伝多様性を破壊し、そ
の河川で生き残るために必要な形質を失う可能性をもたらす。
特に多くの河川で放流されている湖産アユは在来の天然アユや他の種苗アユと見た目は似ているが、遺伝学的には
明らかな違いが見られ、異なる種への分化の過程にあると考えられている。湖産アユは今から10万年ほど前に琵琶湖で
陸封された結果生じた個体群であり、長い時間を経て淡水に適応した形質を獲得したものであるといわれている。ただ
し、飼育池の中では在来の海産アユとの交雑が容易に起こることが確認されているため別種とまでは言えない。従って、
自然条件下での湖産アユと在来の海産アユの交雑の可能性は否定できない。仮に交雑すれば両者の中間的な性質の子
が生まれ、海水に適応できないという湖産の性質も受け継がれるため、生残率は相当に低くなると予想される。事実、遡
上アユには湖産アユの遺伝子を持つものは確認されておらず、仮に交雑体が生じても流下後に海で消滅しているものと
思われる。しかし、在来海産アユとの交雑がおきれば、在来海産アユの産卵が無駄になってしまうため、結果として資源
の減少を招く可能性は否定できない。
このような事態が想定されることから、高知県の内水面漁業連盟では 2002 年から湖産アユを放流種苗に使わないこ
とを決定した。
②在来アユや他の在来魚との競合
アユの存在が河川生態系における他の生物との関係は片野等により詳細に検討されている
。オイカワやウグイなど
7e)
多くの魚類は雑食性であり、水生無脊椎動物や陸生昆虫類と底生藻類の双方を摂食する。一方、アユも珪藻や藍藻など
の底生藻類を旺盛に摂食する。故にアユが種苗放流により過剰に生息すれば、底生藻類を争うこととなり、在来のアユや
他の魚種との競合関係を生じることとなる。特に湖産アユはなわばり意識が強いため、在来のアユが締め出される可能
性も否定できない。また他の在来漁についても、アユの存在下ではオイカワやウグイが攻撃を受け、瀬の一等地から川
の岸際や水面近くに生息場所を替えることが報告されている。
③感染症(冷水病)の持ち込み 7f)
冷水病はもともと北米のマスの病気で、低水温期の稚魚に発生し、死亡率が高い。ア
ユ冷水病は、フラボバクテリウム・サイクロフィラム(Flavobacterium psychrophilum)とい
う細菌による疾病であり、鰓・肝臓・腎臓の貧血、体表の白濁、鰓蓋下部、下顎の出血の
他、体表の潰瘍等の穴あき症状を特徴とする(図2)が、症状が認められないこともある。
なお、アユにこの病気が確認された当初は、冷水病の発生は稚魚期の低水温期に限定
されていたが、最近の傾向では、すべての成長段階で発生しており、発生水温も 16~
20 ℃が中心となっている。
アユ冷水病の感染経路は完全に明らかにはなっていないが、
①保菌湖産アユ(80%以上が冷水病菌を保菌しているとも云われている)の放流
②保菌アユを運搬した水を川に捨てることによる感染拡大
③解禁後に持ち込まれる保菌オトリアユから川のアユ全体への感染拡大
④保菌オトリを運んだオトリ缶の水からの感染
⑤冷水病発生河川で釣りをした人のタビ、ウェーダー、タモ網、引き船などからの感染
⑥保菌アユを養殖する流域にある養殖場からの排水による感染拡大
等の点が感染経路と考えられている。
5
図1.アユ冷水病の症状7f)
また人工種苗の中には、地場の天然アユと比べて冷水病への耐病性が極めて低い場合があるとの報告がある。冷水
病に対する耐病性は遺伝的にも決定されることが確認されており、地場産天然アユを親魚として活用することで人工種
苗の耐病性及び放流効果が向上する。これは地域固体の遺伝多様性が生存に必要な形質を発現する好例であり、遺伝
多様性の保全が如何に重要であるかを示している。
冷水病の防止には漁協による種苗管理のみならず、遊漁者による釣り具の消毒や養殖業者による排水の殺菌等の協
力が必須であり、正しい知識の普及が急務である。
④種苗に混入する他の国内外来種の持ち込み
種苗アユ、特に湖産アユは古くから日本各地の河川に放流されてき
た。琵琶湖は世界三大古代湖の一つであり、非常に独特で多様な生態
表6.「河川水辺の国勢調査」で
本来の生息域以外の河川で確認された種 7g)
区
系を構築してきた。琵琶湖に固有の魚種も多く、これらは琵琶湖の豊
かで重層な生態系の中でこそ安定に維持さえている。湖産アユも琵
分
琵琶湖及び淀川水系特産種
琶湖の環境に適応すべく、進化を経ており、他の在来アユと遺伝的形
態が異なっている。
ところが湖産アユの放流に伴い、日本の各地に本来その土地にい
ない琵琶湖固有の魚種や他の国内外来種が種苗に混入する形で放
西日本に広く分布する種
流され、定着している事例が報告されている。「河川水辺の国勢調査」
により本来の生息域以外の河川で確認された種を表6に示す。
7g)
特に琵琶湖原産のハスやヒガイは食肉性が強いため、導入先での
在来漁に対する食害が危惧されている。
またオイカワ等は在来の個体群と交雑することで、遺伝多様性が
西日本を中心に
東日本にも分布する種
破壊される可能性がある。また湖産アユに混ざって放流された琵琶湖
東日本に広く分布する種
産オイカワが冷水病を保菌しており、放流先の在来のオイカワが壊滅
北海道特産
種
名
ゲンゴロウブナ
ニゴロブナ
ワタカ
ハス
ビワヒガイ
ホンモロコ
スゴモロコ
アブラボテ
シロヒレタビラ
カネヒラ
イチモンジタナゴ
カワムツ
タカハヤ
カワヒガイ
ムギツク
タモロコ
オイカワ
モツゴ
カマツカ
ニゴイ
ゼゼラ
ツチフキ
ズナガニゴイ
イトモロコ
デメモロコ
コウライモロコ
アジメドジョウ
アマゴ
キンブナ
タナゴ
フクドジョウ
する被害も発生している。
実際に遺伝多様性が破壊された事例としては、湖産アユ種苗に混入した外来種のタイリクバラタナゴが種苗放流とと
もに全国に拡散し、在来のニッポンバラタナゴと交雑したケースが挙げられる。現在純系のニッポンバラタナゴは、大阪
府、香川県と九州中北部のみに分布している。
参考文献
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2)全国内水面魚業協同組合連合会,移入すれば問題になり得る主な外国産魚種に関する文献調査,水産庁(1992)
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4)松沢陽士,瀬能宏,日本の外来魚ガイド,p.18~20,文一総合出版(2008)
5)a)池田清彦,外来生物事典,東京書籍(2006)
b)日本生態学会編,村上興正,鷲谷いづみ監,外来種ハンドブック,p.109~121,地人書館(2002)
c)日本農学会,シリーズ21世紀の農学 外来生物のリスク管理と有効利用,p.161~166,養賢堂(2008)
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7)a)高橋勇夫,東健作,ここまでわかったアユの本,築地書館(2006)
b)石田力三,アユ その生態と釣り,p.152~154,つり人社(1988)
c)川那部浩哉,水野信彦,豊川水系での水資源開発と鳳来町,水問題協議会(1982)
d)内水面漁業研究所,水試ニュース,vol.378,愛知県水産試験場(2007)
e)片野修,阿部信一郎,水産総合研究センター研究報告
別冊第 5 号,p.203~208,水産総合研究センター(2005)
f)アユ冷水病対策協議会,アユ冷水病対策協議会取りまとめ,農林水産省(2008)
g)建設省,平成2~7年度 河川水辺の国勢調査年鑑(1992~1997)
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