1 よぞらの下にゆめはふき出す 文 :10 式戦車 挿絵 : 伊藤ベク 2 3 私は、他の人とは違う。宇佐見董子もまた、思春期にあ りがちな考えを抱く一人だった。不幸なことに、彼女は本 当に、他の人とは異なる、不思議な力を持っていた。 だから、そうした観念は、中学校の三年間を通じて強化 され続けた。 「はーい。ありがとうございまーす」 董子の、幻想郷での行動は、大きく二通りに分けられる。 顔見知りを巻き込んで幻想郷のどこかを冒険するか、今の ように、博麗神社でだらだらと過ごすか。 お も む ろ に 董 子 は 起 き 上 が り、 嬉 し そ う に 茶 碗 を 手 に 取った。 うか、ソーシャルギア工場って感じ。授業もつまんないし、 「あっちじゃそういう人、全然いないのよねー。なんてい に置かれた二つの茶碗に、お茶を淹れている。 董子は座布団を枕にして寝そべっているし、霊夢は、座卓 を賭けて争った者同士であるなど、思いもよらないだろう。 子と霊夢の姿を見て、この二人が以前、一つの世界の命運 大して興味がない様子で話すのは、彼女の前に立ちはだ かり、結界の破壊を食い止めた少女、博麗霊夢だ。今の菫 「物を浮かべられます、なんてこっちじゃ普通だからねえ」 認識からくる疎外感への、防衛機制でもあったのだ。 董子の、他者に対する蔑視は、自身が異分子であるという 幻想郷は、董子にとって、極めて居心地の良い場所であっ た。他の人と違う自分が、当たり前に受け入れられる場所。 けらけらと笑った。 菫子は、その言葉に、不意を衝かれたようだった。きょ とんと音が聞こえるような表情を浮かべて、一拍おいて、 「あんた、めんどくさいわね。かなり」 霊夢は、しげしげと董子の顔を覗き込んだ。董子は、居 心地悪そうに視線を逸らす。 「前から思ってたけど……」 の」 「ところが違うのよ。あっちじゃ有象無象が頼んでもない しょ?」 「 寝 て だ ら け て お 茶 飲 む だ け な ら、 あ っ ち で も で き る で ないわ」 「くーっ。これこれ、これがないと、こっちに来た気がし 嫌になるわ」 「まーね。めんどくさいし性質悪いわよー」 彼女が幻想郷に出会ったのは、そんなときだ。 「よくわかんないこと言ってないで。お茶淹れたわよ」 「 以 上 の 議 論 に よ り、 こ の 反 応 に よ っ て 生 じ る 熱 エ ネ ル 「外の世界じゃ、あんたも私も非合理が服着て歩いてるよ 「そんなの不条理じゃない!」 がするのよね」 しすぎると、あんたも、皆も、碌な目に遭わないような気 「何か、いやーな予感がするの。あんたがこちらに深入り た風もなく、霊夢は続ける。 突然の言葉に困惑する董子の顔は、大好きなおもちゃを 取り上げられた子供じみている。その様子を大して気にし 「どうしてそんなこと言うの」 た方がいいわよ」 「別にあんたが来る分には歓迎するけど、程々にしておい 「はい。正解ですね」 ます。つまり、エネルギーが保存されています」 し、その分の化学エネルギーが熱に変換されたと考えられ 「はい。化学反応によって物質がより安定な状態へと変化 えると考えられますか。宇佐見さん?」 「このことから、閉鎖系内において、どのようなことが言 思議な場所は、居場所を失う。 一度理想化を行った後にノイズの影響を考慮する方法論 の下では、彼女自身の持つ特別な力や、幻想郷のような不 る。少なくとも、彼女にはそう思えた。 世界でのみ成り立つ、机上の空論を無批判に垂れ流してい 董子は、彼女が言うところの「退屈で陳腐で無価値な授 業」に引き戻されていた。教員は、極限まで理想化された ギーは、次のように表すことができます」 のに話しかけてくるし、おちおちゆっくりお茶も飲めない 董子は悪戯っぽく、幽霊を真似る仕草をする。 うなもんじゃない」 当の昔に暗記した「正解」を述べると、教師は、満足げ な声で言った。 その様子をじっと見つめ、霊夢は無言を保つ。董子は、 沈黙に戸惑いを覚えたようだった。 董子は、黙して語らず、落ち着かなさげに帽子を弄んだ。 「今日は帰るわ」 すよ」みたいなことを得意げに教えられるのだろう。「わ 「はいはい。お帰りはあちら」 † 下らない。董子は思う。どうせ、大学に行けば「実はエ ネルギーは質量と変換できるから必ずしも保存しないんで 4 5 処理し、その情報を現実世界に出力することのできる装置 流行りの服の調べものなど、大抵の用は足りる。 言うまでもないことだが、董子は、そうして大学で学ぶ 内容すらも必ずしも正解でないことを知ってしまってい である。携帯端末は携帯端末で便利だ。しかし、それは外 かりやすさ」とやらのために、嘘を教えられているのだ。 る。エネルギー・質量が保存するのなら、鉄塔を倒すこと 出時に運用するPCの代替物に過ぎない。 人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。 すらやってのけた彼女自身は、どこからエネルギーを得て だが、董子にとってはそれでは全く不足だった。董子が 求めたのは、ネットの奥底に潜む情報を探し出し、情報を いるのか。 そろ眠らなければと、菫子は背伸びをして、メーラーを確 菫子は、夕食すらまだ摂っていない。諸々済ませて、そろ 日は沈み、いわゆるよい子が寝るべき時間が迫りつつある。 オカルトボールに紛れ込んでいた月の都について調べて いたとき、メールの着信を知らせる通知音が流れた。既に 今日も、董子は旅に出る。PCの小さな窓から。 「あれ、何だろ」 チャイムが鳴った。前世紀から変わらない、授業の終わ りを告げるおきまりの音。 「それでは、本日の授業はこれまでとします」 退屈な授業が終わった。 † 認した。 メールには、暗号化が行われていることを示すアイコン が表示されている。董子は、好奇心が疼くのを感じながら、 董子の一日は、学校から帰宅してから始まる。自分の周 りにやってくる「有象無象」からの誘いを振り切って自室 地上連絡部 幻想郷問題科 冷泉稲葉(Inaba Reizei) メールを開いた。 つきましては、お礼や、今後のご協力につきまして、ご相談がございますので、下記の 要領で打ち合わせ場所までお越しください。 記 1. 打ち合わせ場所:喫茶マーチヘア 深見駅西口店 2. 集合日時:6 月 13 日(土) 14 時 30 分 3. 持ち物:特になし 4. その他:集合時刻の 15 分前には、所持する電子機器は全て電源を完全に落としてく ださい。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― † 地上の全てを見つめる 天兎通信社 に立てこもり、パーソナルコンピュータを立ち上げる。 先日は、幻想郷に関する件につきまして、ご協力を賜り、大変感謝しております。 ツキノウサキ パーソナルコンピュータを私有している高校生は、この 時代、多くない。若者が求めている娯楽のための媒体とし 以上 て、現代のPCは大袈裟に過ぎるからだ。携帯端末一つあ いつもお世話になっております。天兎通信社の冷泉です。 れば、友人とのコミュニケーション、音楽鑑賞、映画鑑賞、 秘封倶楽部会長 宇佐見董子様 6 7 董子は、極めて奇妙な心の動きを感じた。このメールは 危険だ。全く身に覚えのない「ご協力」なることについて 触れられ、幻想郷にまで触れられている。そして、彼女の にとって、家庭は、無条件に安心することのできる場所で はあった。 菫子は、小さくため息をついて、椅子から立ち上がった。 でも、あの人たちは、どんなに私を愛してくれていても、 私とは違う。 う。行って碌なことにならないだろう。良くて異常者、悪 都合を全く考えずに日付を指定してその場所まで来いとい ければ、彼女の理解を超えた何かが手ぐすね引いて待って † 今日の夢での、靈夢たちとのひとときに思いを馳せなが ら。 いる。 董子の理性は、そう告げている。 「やあ、待ってましたよ」 しかし、彼女は、その場に向かわなければという、いわ く言い難い衝動に駆られた。 行こう。 何者かが何事か話しかけてくるが、菫子の心はここにな い。普段の菫子を知る者なら、抜け殻のよう、という形容 を使うだろう。 あこのまま無視したら、きっと後悔する。 董子はそう決心して、コンピューターを待機モードに移 行させた。週末までは、まだ時間がある。 「す・み・れ・こ・さ・ん?」 「わっ」 「すみー。まだご飯食べないの?」 菫子の世界に、母親の声が侵入してきた。 「あー。ちょっとしたら行くー。暖めといて!」 た。裕福な家庭で育ち、豊かな愛情を注がれて育った菫子 ならば、きっとここで引き下がっただろうと。でも、と菫 我に返った菫子は、改めて声を掛けてきた相手を確かめ る。金髪の小柄な、若い女性で、下手をすると菫子と同じ その抜け殻のような菫子も、耳元で話されて、流石に我 に返った。 か、少し年上くらいにも見える。 子は拳を握りしめる。 菫子は内心鬱陶しさを感じつつも、同時に、両親は常に 自分を受け入れてくれるだろうという安心感を覚えてい 「随分気がかりみたいですね。よっぽど向こうに行けない 「貴方が誰かは知らないけれど、私はこの先に行きたいの。 ことが?」 菫子は腰を抜かしそうになった。昨夜の出来事を、既に 把握されている。そして、相手は、このことに驚く菫子の 私は宇佐見菫子。貴方は?」 今の菫子は、目の前にいるような怪異と立ち向かうため の方法を知っていた。 表情を見て、意地悪く笑っている。その表情は、どこか、 少女は、薄く笑った。 「私はドレミー・スイート。貴方に、二度と忘れられない 「良いでしょう」 昨夜の夢で見た少女の笑顔に似ていた。 † 立ちはだかっている少女は、興味深そうに眉を動かし、 菫子の目を見つめた。 「悪いけど、ここから先は通行止めです」 微笑みを浮かべ、泰然と佇む。その姿に、菫子は強い近寄 取り出す暇もなければ、電波塔を呼び出す余裕もない。そ 菫子は、まさにそれを見た。奇妙に曲がり、あるいは不 規則に飛び交う弾幕。必死に避けるばかりで、自作拳銃を 悪夢を見せてあげるわ」 りがたさを感じた。 て、焼けるような痛みに呻いた菫子は、そのまま夢の世界 幻想郷への旅を期待して、夢の世界へ向かった菫子の前 に、見慣れぬ白黒い服の少女が立ちはだかった。眠たげな 菫子の口が、何かを言いたそうに開く。しかし、その口 は、何らの言葉も紡ぎ出さない。 から叩き出された。 † うしている内に、全周から迫ってくる弾幕に押しつぶされ 「あちゃあ。驚かせちゃったかな。わかりやすく言うと、 私は夢の番人として、貴方を幻想郷に行かせるわけには行 かないんですよ」 こともなげに彼女は言った。菫子は思う。少し前の自分
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