連合平和行動in沖縄参加 沖縄平和行動に参加して 【始めに】 6 月 23 日~25 日の3日間、太平洋戦争における最後の日米決戦であった沖縄戦(1945 年)から 70 年目の「慰霊の 日」に、連合 2015 平和行動in沖縄に東海地区(三重、愛知、岐阜)の 37 名が参加しました。全国から連合の仲間が集 結し「平和」の尊さを実感すると共に「次世代への継承」の必要性を思わされた平和行動となりました。 沖縄はすでに梅雨明けはしていましたが、いずれの日も曇り空で日焼けする事はありませんでした。湿度が高く、じ とじとする日々で汗を拭きながら皆さん精力的に沖縄戦や沖縄の文化を学ぶことが出来た事は、大変良かったので はないかと思います。 ≪1日目≫ 【結団式】 23 日の早朝、中部国際空港(セントレア)にて三重(参加者 9 名)、愛 知(参加者 18 名)、岐阜(参加者 10 名)から 37 名が集結。幹事団体の 連合三重の佐々木団長が挨拶され、平和行動in沖縄がスタートしまし た。 【首里城見学】 低気圧の影響で予定時間より、若干遅れて那覇空港に到着し、昼食 会場の「あしびうなあ」にバスで移動、沖縄料理で腹を膨らませたあと、 首里城 奉神殿にて 首里城を見学しました。 首里城は約 500 年の琉球王国の象徴です。首里城はその役割から、大きく3つの空間に分けられます。正殿1階や 南殿・番所、北殿、書院・鎖之間など、御庭とよばれる広場を中心に、政治や外交が行われた『行政空間』。そして、信 仰上の聖域が点在する城内でも、最も神聖な聖地として崇められた、京の内の『祭祀空間』。さらに、国王とその家族 が住む御内原と呼ばれた『生活・儀礼空間』となっていたようです。残念ながら沖縄戦で焼失し、現在の首里城は199 2年に復元され、世界遺産にも登録されています。 【2015平和オキナワ集会】 那覇市民会館大ホールにて、2015平和オキナワ集会が開催さ れ全国の連合の仲間1,360名が参集しました。 第 1 部は、「これからの平和運動と次世代への継承を考える」とのテ ーマで山根木連合総合組織局長をコーディネーターに、連合沖縄青年 委員長 大城正志氏(JP)、連合広島青年委員長 古賀清美氏(自動車 総連)、連合長崎青年委員会事務局長 朝長一幸氏(自治労)、連合北 海道青年委員長 斉藤信氏(自治労)がパネラーとなり、それぞれが行 ってきた平和運動とこれからも戦争の悲劇と平和の大切さを自分達か ら若い人に一人でも多く伝えていきたいとの発言がありました。 連合岐阜の参加者 10 名 第2部の平和式典では、古賀連合会長、大城連合沖縄会長、 連合沖縄 大城会長あいさつ 安慶田沖縄副知事(代読)の挨拶の後に、平和メッセージ、連合 広島へのピースリレー、連合沖縄(女性委員会)の桃原美智子 さんが、平和アピールを読み上げ、全員の拍手で確認されまし た。その後の『めんそーれ 平和交流集会』では、全国の連合の 仲間と立食パーティーで盛り上がりのある交流ができました。 ピースリレー 平和アピール ≪2日目≫ めんそーれ 平和交流集会 旧海軍司令部壕 【ピースフィルードワーク】 2日目は早朝より、連合沖縄青年委員会のメンバーがガイド役となり、沖 縄戦の戦争の経緯や状況を学びました。コースは3コース有り、連合岐阜 は、戦跡コース(南部戦跡に学ぶ)に参加しました。バスは3台で、同車は連 合青森、連合秋田、連合大阪、連合京都、連合福井。 コースは旧海軍司令部壕→嘉数高台(普天間基地)→ひめゆりの塔→ 平和祈念公園→平和集会(県庁県民広場) 嘉数高台(普天間基地) ■旧海軍司令部豪 昭和19年に日本海軍設営隊によって掘られた司令部豪で、高台に位置 し敵の動きが良く見える場所を選んだようです。手掘りでカマボコ型に掘り ぬいた横穴にコンクリートと杭木で固められた地下陣地には、4,000 人の兵 士が収容されたそうです。現在は大田海軍少将のいた指令室、幕僚室、下 士官兵員室、医療室などが公開されています。 ひめゆりの塔 ■嘉数高台(普天間基地) 高台からオスプレイも見ることが出来ました。オスプレイの飛行する様子 は見られませんでしたが、米軍ヘリコプター2機が離陸する様子は見られ ました。航空機騒音の発生や航空機墜落の危険性など、沖縄が抱える米 軍基地問題の象徴ともいえる基地です。 平和祈念公園 ■ひめゆりの塔 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒達によっ て編成された看護部隊「ひめゆり学徒隊」。彼女たちは軍とともに最 後まで行動し、献身的に看護活動を行ったそうです。激戦の中で、多 くの生徒が砲弾に倒れ、あるいは自決を余儀なくされたそうです。終 戦後まもなく1946年4月に第三外科壕跡に両校の戦没者が祀られ たそうです。 ■平和祈念公園資料館 平和集会(県庁前県民広場) 公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、 沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没 者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上 には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が 50 基建立されて います。沖縄戦は、最後の日米の地上戦とも言われかなり悲惨な戦争 でした。20万人超の戦没者のうち、日本軍約9万超、住民約9万超とな り数字的に見ても悲惨な戦争であることが伺えます。 デモ行進(国際通り) 【平和アピール行進】 夕方、那覇市内の県庁前公園にて全国の連合の仲間が集結し、平和 集会を行いました。大城連合沖縄会長の挨拶の後、連合沖縄から順に 北上する形でデモ行進を行いました。県庁前⇒国際通り⇒牧志公園まで シュプレヒコールを行いながら各県アピール行動を行いました。 夕食を兼ねた連合岐阜参加者による交流会も大変盛り上がり、各単組 の仲間意識も深められた会となりました。 【解団式】 23 日には飛騨高山高校など修学旅行生も慰霊 3日目は、午前中那覇空港にて連合三重、連合愛知、 連合岐阜の3県が再度集結し、解団式を行いました。連合 愛知の牧田団長が挨拶をされ、今回の平和行動で得た経 験を一人でも多くの人に、また70年の節目を迎え今、戦 争の恐ろしさと平和の尊さを次の世代にも伝えていけるよ うな活動をしてほしいと述べられ、東海地区の2015平和 行動in沖縄が終了しました。 【終りに】 23日の平和を祈る戦後70年の沖縄全戦没者追悼式に安倍首相が登壇すると、会場からヤジが巻き起こりました。 その様子は、連合の平和式典でも挨拶の中で紹介されました。沖縄県民の8割が反対する辺野古移転を強引に推し 進めようとする安倍首相。民意無視のトップに沖縄の人々は怒りをぶつけました。その抗議の声を海外メディアが 大々的に報じています。沖縄の問題は、基地問題だけでは無いことも含め、戦後70年を節目に私たちは勿論のこと、 次世代の若者たちにも戦争の恐ろしさと平和の尊さを考え、行動していく事が必要だと感じました。皆で考え、行動し よう!
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