構造上の基本型は中世からそれ 例外ではない。女性のドレスの 167-年フランスにおいても 『ヴアルテール』 の舞台となる 男性のほうだった。 出してきたのは、女性ではなく 新なイメージで自己の身体を演 くの間'時代が変わるたびに斬 ともそれに先立つ180 年近 成された偏見であって'少なく にかけてのごくl時期の間に形 込みは'1 9世だ後半から訓世紀 ションは女のもの」という思い 性のほうである。「奇抜なファッ きいのは、女性よりもむしろ男 る想像力の豊かさの度合いが大 であるが、自らの身体に発揮す 0 年を概観すれば一目瞭然 れる。 1 7世妃の「男らしさ」 ずしりとした満足感を与えてく 似体験させてもらったような、 ランスの雰困気をどっぷりと疑 れておりへ ルイ1 4世治世下のフ の排准方法までリアルに再現さ 変色) やトイレがなかった時代 れ人が着るシャツの色 (茶色く がいきとどいているうえ、雇わ い」などのしぐさに至るまで日 所の細部から「王は足を組まな って、1 7世紀フランスの城の台 でクレジットされているだけあ るクラヴァットをあしらう。ボ に首元にはネクタイの前身であ 口と襟元からのぞかせる。さら スたっぷりのシャツを着て、袖 さらにその下にはフリルとレー りあしらわれたヴェストを見せ、 置づけちれている服である。 上、現代スーツの祖先として位 この上善の下から装飾がたっぷ 体線に沿う服、の意) とい ' 上着は「ジュストコール」(身 れるようになり'重商主義政策 ション・システムがお手本とさ ッパ各地でフランス流のファッ ュリエのギルドが成立、∃1ロ てもいい。1675年にはクチ モードに支えられていたといっ じである)0 実際'ルイ14世の絶対王権は スと見紛う衣服。これは服飾史 まず、遠目には膝丈ワンピー 現代スーツの租 を消耗させたやり方と発想仏同 反を起こせるだけの財力と気力 交代を強いることによって'謀 戸幕府が諸国の大名たちに参勤 る強化をはかったわけである(江 寸前に追い込み、王権のさらな ルイ王は廷臣たちの財力を破産 らず秘められている。 実は現代に連なる要素が少なか も似つかぬこのファッションに、 的なモードである。 てしまった'当時としては画期 わせをすっかり昔日のものにし 着&半ズボンのこと) の組み合 らルイ王の政治的なたくらみで いた。 この 「儀礼」の強訴はどうや ット&ホウズ、詰め物入り短胴 ド・ショース (英語ではダブレ ヘア。 であったプール・ポワン&オー・ ほんの数年前まで男子の正装 20世把的な「男らしさ」とは あったらしい。謀反を起こす危 管) は莫大な制作箕 (40億円) ール』(ローランド∴ンヨフィ監 力において'『宮廷料理人ヴアテ ことに、歴史考証の専門家、 るが、20世紀の男性服とは似て の断絶を感じてしまいがもであ 相反する各ディテールに現代と ーを費やさせる。それによって' して莫大な衣装費用とエネルギ 礼としての衣装の重要性を憩調 険のある貴族たちに'宮廷の儀 に見合うだけの見ごたえがある。 マリ=フランス・ノエルの名ま さて'ファッションの歴史2 廷での儀礼」として求められて 新流行の華美を競うことが「宮 「スーツ」においては、つねに最 イ1 4世の宮廷人たちが着るこの 生まれていない時代のこと、ル 世妃以降の「紳士」服観は告だ るような装いをよしとしない柑 とはいえ、人にふりかえられ かぶった、ロングのカーリー・ 衣装・美術・音楽の絢偶たる迫 で20世妃の観客を陛目させるo 陽王」ルイ1 4世は、こんな出立ち えるシルエットの衣服。 をはいた、タイツで覆われた脚。 羽飾りつきの帽子をな めに バックルつきハイヒールの靴 連なる膿とみなされるのである。 の衣服システムは現代スーツに るという構成要素において、こ +3ピースのスーツで完成され ジュリアン・サンズが扮する「太 ほど大きな変化を見ていないが、 遠目には膝丈ワンピースと見 そ異なるけれど、シャツ+タイ く0 る、上着と共布の半ズボンをは はニー・ブリーチズ) と呼ばれ トムズにはキュロット (英語で つまり'各アイテムの形状こ 98 立つ赤にしたところが'コンプ 欠点かくしのパーツをあえて目 のものだったらしいが、そんな も身長の低さをカバーするため ウのハイヒールである。 ルに赤を使った'スクエア・ト といえば、なんといってもヒー いるルイ1 4世の靴で有名なもの しているが、肖像画に残されて 男は赤いヒールの靴をはいたり は赤いタイツをはき、また別の のショットが頻出する。ある男 足- この映画には印象的な足 自害するヴアテールがよろめく ルイ王のハイヒールはそもそ ヘアスタイルと仲間意講 のカーリー・ヘアのかつらも同 たい気高さが漂う。 きこなされた時には'近よりが れの男の気概と余裕をもっては せんとするような、高慢すれす けに、あえて足下に火を呼びよ 一歩まちがえると下品に転ぶだ ひらと赤が舞うという光景は、 欠点かくしといえば、ロング ブな起源をもつ靴である。 あたりからはきはじめたスノッ イビーリーガーが1920年代 足下に赤 出である。 貴なる足下にちらりと赤」 の演 馬車から降りる宮廷人の足、 ワイトバックスもアメリカのア 現代に連なる要素その2は「高 レンガ赤が使われているが、ホ トパックスのラバーソ ルにも 底にその例が見られる。ホワイ イタリアのジンターラなどの靴 いて、たとえばエルメスとか' なる。 ルイ王によって育まれたことに 族趣味を誇るブランドに生きて いるという趣向は、現代でも貴 遠ざかる後ろ姿の足下にひら 妃的な「モード」の基盤もまた、 離したのもこの頃である。20世 流行」の意味を表す女性形に分 的な意味を表す男性形と、「最新 詞が「様態へ 様相」という哲学 たハイヒールをはくのが通例に として、ヒールと底緑を赤くし も、一般人と自らを区別する印 なる。 財源になる。「モード」という名 てハイ・ファッションは貴重な をとりはじめたフランスにとっ に転じてしまうルイ1 4世らしい。 レックスすら王の特権的な栄光 この王にならって宮廷人たち 靴底に赤ないしオレンジを用 1671年4月10日。コンテ大公のもとに"汰 陽王〝ルイ14世の臣下ローザン侯から届い た手紙は、大公が懇願したとおりに、国王 が彼の居城を訪問することが記されていたD 年老いた大公は莫大な借金を厭わず、ヴェ ルサイユをも上回る空事を主催し、失われ ていた国王の信頼を取り戻そうと考えたo そして、その実宴のすべてをひとりの料理 人に託した。それがフランソワ・ヴァテー ルである。フランスきっての料理人がわず か12日間で準備した大空辛のゆくえは-・・ 決して容易ではなかったのである。 文=中野香織 写Jt=El本ヘラルド峡善 199 ンスをとろうとするものらしい。 する顔は'威嚇的な前髪でバラ と野心的な気負いが微妙に同居 すまでもなく'疎外される不安 かぶっていたのだった。 かのリーゼントヘアを持ち出 にチンケな前髪隆起型かつらを りだけ、個性と呼ぶにはあまり ン侯爵 (ティム・ロス) がひと 彼らからのいじめにあう口-ザ のバリエーションなのに対し' の廷臣たちがイン・フォリオ型 こと。『ヴアテール』では、多く ュアンスの髪型にする」という 識を共有する者同士は'似たニ にも見られて'それは 「仲間意 需品となる。 現代にも通用する法則がこ 年以上'ヨーロッパの男性の必 じゅうに広まり'その後10 習慣はまた く間にヨーロッパ らく倭勢を誇る。かつら着用の オ型フルボトムのかつらがしば 頂でくぼみを作るイン・フォリ 場する廷臣がかぶるような、頭 車がか り'『ヴアテール』に登 代になってますます巨大化に拍 けだった。このかつら、1 4世の 隠すために着用したのがきっか 世が若くしてはげはじめたのを 起源である。もともとはルイ1 3
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