アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉に関する考察

修士論文
アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉に関する考察
―反解釈の視座から―
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科
グローバル・スタディーズ専攻 博士課程(前期課程)
橋本昌幸
3I120301
2014 年 1 月
Regarding the “Pain of Others” over Africa:
From the Perspective of Against Interpretation
Abstract
It is impossible to fully understand and imagine the dense reality of the “pain
of others” unless one is directly involved in situations. The discussion of this thesis
centers on Susan Sontag’s theory, especially the one presented in Against Interpretation
and Regarding the Pain of Others. Although her works have been widely celebrated, her
theory has not been perceived as a systematic world-view in the academic field. In
Chapter 1, I examine Susan Sontag’s theory by means of rereading her writings, which
is followed by an analysis of the “pain of others” in Africa in Chapter 2. The
representation of events in Africa such as war, poverty, plague, hunger and human rights
violations, tends to be put forward in negative lights. This chapter unravels this
tendency by seeing them as an “invitation to pay attention, to reflect, to learn, to
examine the rationalizations for mass suffering (Sontag 2003a, 104).” Chapter 3
explores a way in which her theory can be applicable in Subaltern Studies, by
examining Gayatri Spivak’s sophisticated reflection on the issue of representation.
1
目
次
序章 .......................................................................... 1
問題設定 .................................................................... 1
章構成 ...................................................................... 6
第一章 スーザン・ソンタグ、反解釈の思考 ................................... 6
第二章 アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉 ..................................... 7
第三章 サバルタン‐他者、知識人‐私たち ................................... 9
第一章 スーザン・ソンタグ、反解釈の思考 ...................................... 11
第一節 反応の基準 ......................................................... 13
第二節 反解釈の系譜........................................................ 17
第二章 アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉 ........................................ 24
第三章 サバルタン‐他者、知識人‐私たち ...................................... 33
第一節 サバルタン・学び直すこと............................................ 36
第二節 スピヴァクの脱構築を〈反解釈〉する .................................. 38
終章 ......................................................................... 45
参考文献 ...................................................................... 1
日本語文献 .................................................................. 1
外国語文献 .................................................................. 2
インターネット .............................................................. 6
序章
問題設定
〈他者の苦痛〉は、苦痛を経験した人びと以外が完全に理解し、想像できるように作
られ、書かれてはいない。
〈他者の苦痛〉を観ることには多くの問題がある。これらを観ることは人の残虐な嗜
好性を悪化させてしまうため(Sontag 2003a, 91)、このようなものを流通させることは正し
いのか、いったい何の権利があって〈他者の苦痛〉を拡散するのか、日常的に苦痛を経験
することのない人たちが他者の側に立ち、〈他者の苦痛〉を解釈してよいのか、しかしそも
そも他者とは誰か、他者と呼ぶことが正しいのか、何が苦痛なのか、苦痛について述べる
ことは正しいのか、どのような基準を満たし正しいと言えるのか、このような問題を考え
続けることが〈他者の苦痛〉を観ることには必要である1。
本研究における〈他者の苦痛〉とは、戦争による死・怪我、貧困、飢餓、病気、人権
侵害といった、代表/表象によって作られ、書かれた他者の身体的・精神的苦痛について
の作品である。例えば、それらの作品は映像や写真といった視覚的なもの、または小説や
論文を構成する言葉そのものである。本研究では、特に後者の言葉を分析対象とし、どの
ように他者が代表/表象されているのか、概念や理論、思考、思想、つまり代表/表象の
様式・形式を取り出す。第一章では、米国の批評家として知られるスーザン・ソンタグの
思考を体系化するために写真(論)についても言及する。
本研究での他者とは、ソンタグによれば代表/表象(写真や映像)によって晒され、
私たちによって観られる人びと(they)である。他者はアフリカ、アジア、ラテンアメリカ、
ヨーロッパ、アメリカなどの悲劇が起こった地にいる。一方、
〈私たち(we)〉とは、
「特権的
かつ相対的に安全 (Sontag 2007, 126)」2な場所にいる者たちであり、
「彼/彼女らが体験し
1
本研究では、〈他者の苦痛〉を観るという表現を使う。観るとは、私たちが他者の苦痛を
代表/表象したもの観る視線についてであり、第一章の〈スペクタクル化〉
〈観客〉などの
概念を参考にした。
2 筆者訳。原文の訳出の際には、ソンタグ=木幡(2009)を参考にした。同様に、本稿内英語
の原文の訳出には、適宜、邦訳を参考にした。以下に英語の原文とその邦訳を記す。
Butler(2004)―バトラー=本橋(2007)、Culler(1982)―富山&折島訳(1985)、Das(1997)―ダ
ス=坂川(2011)、Guha(1988)―グハ=竹中(1998)、Levinas and Kearney(1986)―本橋訳
(2007)(本橋訳(2007)の引用、210-1 頁を参考にした)、Said(1979)―今沢訳(1993)、
Sontag(1966)―ソンタグ=高橋他(1999)、Sontag(1969)―ソンタグ=川口(1974)・ソンタグ=
邦高(1969)、Sontag(1990)―ソンタグ=富山(1992)、Sontag(2003a)―ソンタグ=北條 (2003)、
Sontag(2003b) ― ソ ン タ グ = 木 幡 (2002) 、 Sontag(2007) ― ソ ン タ グ = 木 幡 (2009) 、
1
たこと〔苦痛〕を全く体験したことのない者、全て (Sontag 2003a, 113)」である。狭義の
意味では、
〈私たち〉は米国人のことで、それはソンタグの『ハノイで考えたこと』から推
測できる。しかし、
「特権的かつ相対的に安全」な場所にいるという定義に従うと、日常で
は悲劇の起こらない地に住み、悲劇を遠目から観ることのできる人びとも、まぎれもなく
〈私たち〉である3。日本もまた例外ではない。
ソンタグは、私たちを定義することによって、戦争地への厳密な理解と想像の不可能
性を強調している。
私たちは戦争がどのくらいひどいのか、恐ろしいのか、そしてどのようにそれが平常
となるのか、実際には想像できない。理解できない。想像できない。それは、戦火の
中で、身近にいた人々を倒した死からなんとか免れた全ての兵士、ジャーナリスト、
救援活動者、個人の目撃者が断固として感じることだ。彼/彼女らこそが正しいので
ある(Sontag 2003a, 113)。
彼女の不可能性の主張は悲観的である(Chan 2010)。しかし〈他者の苦痛〉を観る際には、
この不可能性を認め、多方面から分析し、その分析の正当性を考慮しなければならない。
それにもかかわらず、〈他者の苦痛〉を観ることの正当性を問い直し、様式・形式を取
り出す研究はきわめて少ない。もちろんほとんどの研究はそれに触れることもあり、軽視
、、
しているわけではない。しかし〈他者の苦痛〉を観ることの正当性ついては主題にならな
、、、
い。ほとんどが苦痛について述べる研究であり、これらが他者の苦痛を代表/表象した作
品になる(例えば、ある戦争について、ある貧困についてなど)
。
Spivak(1976)―スピヴァク=田尻(2005)、Spivak(1985)―竹中(1998)、Spivak(2010a[1988])
― ス ピ ヴ ァ ク = 上 村 (1998) 、 Spivak(2010b[1999]) ― ス ピ ヴ ァ ク = 上 村 (2001) 、
Wittgenstein(1965)―ウィトゲンシュタイン=大森(2010)。なお Buckley-Zistel(2006)、
Butler(2005)、Cohen(1995)、Scott-Villiers(2011)は筆者が訳した。以上の訳出には、原文
、、
の斜体は傍点で、
“ ”や‘ ’は「」で表した。また引用文中に筆者が補足する際には〔〕
、、
で、補強する際には傍点で示した。原文著者が何かしらの記号を使用している場合には、
筆者のものと差異づけるためにその都度記した。以下の原著が仏語・独語・一部の英語の
ものは、邦訳より引用した。バルト=花輪(1985[1980])、コンラッド=中野(1958[1899])、デ
リダ=白井(1984[1983])、ドゥボール=木下(2003[1969])、ドゥボール=木下(2000[1992])、
グ ラ ム シ = 山 崎 (1961[1948]) 、 フ ー コ ー = 蓮 實 (2006[1972]) 、 マ ル ク ス = 伊 藤 & 北 条
(1954[1852])、サルトル=平井(1955[1940])。その際に、(ドゥボール=木下 2003[1969])の
ように翻訳者と[ ]の中に原著初出版年を記した。
3 以下では、
〈私たち〉という概念から括弧を取り、私たちとする。
2
そうしたなかでも、本研究の第三章でも言及するガヤトリ・スピヴァクは、
〈他者の苦
、、、
痛 〉 に つ い て 述 べ る こ と を 批 判 的 に 分 析 し て い る (Spivak 2010a[1988]; Spivak
2010b[1999])4。知識人が代表/表象によって主体性を他者に与え、作り変えていくことに
ついて、スピヴァクは批判している。しかしこのような研究は他者の苦痛を代表/表象す
る(知識人)側のリテラシー(道徳)批判であり、
〈他者の苦痛〉を観る私たちの側のリテ
ラシー(道徳)批判ではない。つまりこれは代表/表象する側に対しての理論枠組みであ
り、安全な場所にいる私たちには当てはまらない。加えて、スピヴァクの対象はサバルタ
ンのみである。知識人、さらには、サバルタンという狭い範囲内の主体・客体にのみ彼女
の理論は適用する。
〈他者の苦痛〉について述べることを批判的に分析する研究とは異なり、ソンタグの
『他者の苦痛に関して(Regarding the Pain of Others)』5は〈他者の苦痛〉を観ることの正
当性に関する研究に属する。この正当性に関する研究は、代表/表象する側と私たちの側
を越境し、そしてあらゆる他者を含む広い範囲内の主体・客体を網羅する。これの重要文
献とされるのは、苦しみについての論文集『社会的苦しみ(Social Suffering)』
(邦題『他者
の苦しみへの責任』
)である。特に、本研究と問題意識の近いものはクラインマン夫妻の“The
Appeal of Experience; The Dismay of Images: Cultural Appropriations of Suffering in
Our Times”とヴィーナ・ダスの“Language and Body: Transactions in the Construction”
である。前者のクラインマン夫妻は、ピューリツァー賞を獲得したケヴィンカーターのハ
ゲタカと少女の写真と彼の最後に言及しながら、
〈他者の苦痛〉を流通させることの是非に
ついて論じている(Kleinman and Kleinman 1997)。
ヴィーナ・ダスはルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学を用いながら、インド
人女性の苦痛を対象に、その苦痛を認知し、認識するための方法を提示している。痛みの
移動についてウィトゲンシュタインによると、
人が他人の身体の中にある苦痛を感じることを見るためには、ある場所に存在する苦
痛の基準、と私たちが呼ぶ事実のようなものを調べなければならない。
(中略)私がそ
の苦痛の事実に基づいて苦痛を感じるとするなら、例えば眼を閉じて私は〔それを〕
私の左手にある苦痛であるとする。誰かがに私の右手にある苦痛に触ってみろという。
4
5
日本では真島(2005)、乙須(2012)の研究がある。
邦訳は『他者の苦痛へのまなざし』
。以下から、『他者の苦痛』とする。
3
私はそうする。そしてあたりを見回すと、私は私の隣の人(の胴体に繋がっている手
を意味する人)の手に触っているのに気がつく(Wittgenstein 1965, 49)。
ウィトゲンシュタインの思想をダスは、
「想像上、共有された苦痛の表象は存在しているが、
経験されることはない。しかしその場合、言語は適切に苦痛の世界と繋がっていないだろ
う(Das 1997, 70)」と解釈している。(ウィトゲシュタインは相手に触れて痛み(歯痛)を
感じ取るとしている。)ダスの認識枠組みは、
〈他者の苦痛〉を契機として、
〈想像上の他者〉
の苦痛を認知しようとしている。つまり「想像の世界において他者の苦痛が言語及び身体
に居場所を求め、探している(Das 1997, 88)」ことを前提として、他者に反応しようとして
いる。しかし実際の他者の苦痛と代表/表象によって作られた〈他者の苦痛〉は完全には
一致しないように、必ずしも〈想像上の他者〉と現実の他者は同一ではない。〈想像上の他
者〉の苦痛は疑似環境における客体でしかないのである。彼女は〈他者の苦痛〉に反応す
るというよりは、他者の苦痛があると推測する。彼女の対象は、他者の苦痛あるいは〈他
者の苦痛〉ではなく、〈想像上の他者〉の苦痛なのである。彼女の主張は後で述べるソンタ
グの指摘したものとは異なる。しかしダスは共有できる苦痛について詳述し、
〈想像上の他
者〉を想像することで他者の苦痛に近づこうとしている。
ジュディス・バトラーも苦痛について論じている。バトラーは、エマニュエル・レヴ
ィナスの〈顔〉という概念を使い、他者(の顔)から苦痛を汲みとり、
「どのように他者が
私たちに道徳的要求なし、私たちに道徳的要求を呼びかけているのかを説明する(Butler
2004, 131)」
。彼女によると、
「これら道徳的要求は私たちの頼みではなく、拒否することは
できない(Butler 2004, 131)」
。レヴィナスの以下の論にバトラーは従っている。
顔への接近はもっとも基本的な責任のとり方である。(中略)顔は私の前(en face de
moi)ではなく、私を超えたところにある。〔第一に、〕その顔は死を前にして、死を見
通し晒す他者である。第二に、まるで彼の死の共犯者になるかのように、顔は一人で
死なせてくれるなと私に要求する他者である。それ故に、顔は私に、あなたは殺して
はならないと言う。顔との関係において、私は他者の場所の強奪者とされる。スピノ
、、、、、、、
ザが存在の自己保存〔conatus essendi〕と呼び、全知性の基本原理と定義する、有名
な「存在の権利」は顔との関係によって挑戦を受ける。それに応じて、他者に反応す
るという私の義務は自己保存への私の自然権、le droit vitale を停止させる。自己が単
4
体では生存できず、自己の世界内存在の中では意味を見出すことができないという事
実に、他者を愛するという私の倫理的関係は基づいている。
(中略)顔の可傷性を私自
身に晒すことは私の存在に対する存在論的権利を疑問に付すことである。倫理的には、
他者が存在する権利は私自身のそれを超え最優先され、倫理的な命令に縮約された最
重要事項である。あなたは殺してはならない。あなたは他者の命を脅かしてはならな
い(Levinas and Kearney 1986, 23-4)。
ここでの他者、そして顔はビン・ラーディンやサダム・フセイン、そして中東の人びとの
ような米国に敵と見做された人びとである。バトラーはここから「それは他者の苦しみを
知覚し、人が与えた苦しみを調べることで、自身の殺人衝動、圧倒的な恐怖を抑えようと
求める衝動に倫理的に立ち向かうことである(Butler 2004, 150)」
。彼女は他者の〈顔〉をみ
ることによって、あなたは殺してはならない、他者を殺すなと主張し、自己反省を促す。
(イ
ラク戦争やアフガニスタンでの米国軍による殺人を指している。
)ここでの他者は、ダスと
同様に〈想像上の他者〉といえる。他者(の顔)が殺すなと言っていると想像することで、
米国人に別の視点を提供している。
以上の研究は基本的に苦痛が共有可能であるとしている。それとは反対に、ソンタグ
は苦痛の共有不可能性を論じている。厳密には、ソンタグは、なぜ苦痛が共有(理解と想
像)不可能であるかを批判し、そして〈他者の苦痛〉が行動を促すための契機と見做して
いる。それは〈他者の苦痛〉が「既成の権力による多数の苦しみを正当化することへの注
意、熟慮、学習、調査を誘う以外にはなりえない(Sontag 2003a, 104)」ことを意味してい
る。さらに、これらは「死の象徴、現実の感覚を深めるための観照の対象、望むなら世俗
的なイコンのように用いることができる(Sontag 2003a, 107)」。ダスとは異なり、彼女は〈想
像上の他者〉の存在を否定するのである。
ソンタグにとって〈他者の苦痛〉
(『他者の苦痛』の場合は写真)は、契機であると同
時に、芸術作品でもある。彼女の最初の論文集『反解釈』(Against Interpretation)によ
ると、芸術作品それ自体は「何らかのより開かれ、豊かな方法で、私たちを世界に連れ戻
す、力強く、魔術のように魅惑的で、模範となるもの(Sontag 1966, 28)」である。さらに
芸術作品は「何かを知ることの形式または様式の経験なのである(Sontag 1966, 21-2)」
。彼
女は〈他者の苦痛〉を意識(観照(contemplation)(Sontag 1969, 16))=反応し、行動(注
意、熟慮、学習、調査)するまでの過程を『他者の苦痛』で論じている。それに加えて、
〈他
5
者の苦痛〉がどのように代表/表象されているかの様式・形式を明確にすることで、それ
らは私たちにとっての「模範」的な芸術作品になる。これが『他者の苦痛』の本質である。
つまり〈他者の苦痛〉を観ることの正当性を問う(苦痛の共有でなく反応について)
ソンタグ以外の研究には、
〈他者の苦痛〉への反応から行動までを議論していない。それら
の研究には、なぜ反応できないかということを無視してしまっているのである。
また、以上のソンタグの思考は正確に理解されてはいない。例えば、苦痛の共有不可
能性を前提としながらも〈他者の苦痛〉を契機とし、共有化の地平を模索していると彼女
は理解される(土佐 2006, 203-4)。あるいは、彼女の主張は〈他者の苦痛〉を契機と見做す
こと で〈他者の 苦痛〉に反 応していな いと結論付 けられるこ ともある (Butler 2005,
825-826)6。
章構成
第一章 スーザン・ソンタグ、反解釈の思考
このようにソンタグは、
〈他者の苦痛〉を観ることの正当性を考察するという視点から、
理解・想像不可能性を考慮に入れ、
〈他者の苦痛〉への反応から行動までの議論に空白を指
摘している。本研究の第一章では、この思考を第二章でアフリカをめぐる〈他者の苦痛〉
について考察するための分析軸として用いるために、再考し、体系化する。彼女の思考は
学問の領域において正確に体系化されることはなかった。それは彼女の芸術論と政治哲学
が分断されてきたことを意味する。第一章では、両者を結び付ける。
そのために、〈反応の基準〉
、〈反解釈〉
、
〈沈黙〉という四つの概念を中心に彼女の思考
を体系化していく。最初に、〈怪しげな特権〉は、私たちが〈他者の苦痛〉を観ること―私
たちと他者の繋がりを意味し、「他者の苦痛の観客になったり、それを拒否したりする
(Sontag 2003a, 99)」ことを私たちに可能にさせる。
イメージによって〔私たちに〕確認され、他者が負わされた苦しみへの想像上の〔距
離の〕近さは、
(テレビ画面でクローズアップされる)遠くの苦しむ人びとと特権的視
聴者との単なるうその繋がりを示唆する(Sontag 2003a, 91)。
6
港千尋はソンタグの主張を「すんなりと受け入れられる意見」
、
「驚くほど常識的」と批判
している(港 2003, 332-3)。
〈反解釈〉を考慮しなければ、ソンタグは単純なことしか論じ
ていないようにみえる。
『他者の苦痛』では、ソンタグは人間の認知の限界を示しているに
すぎない。
6
この概念は第三章で、スピヴァク的な特権を補完する役割を果たす。スピヴァクは、知識
人が認識の暴力‐国際的分業の下で、彼/彼女らの特権を学び直し、サバルタンに向き合
わなければならないとしている。他方で、ソンタグに基づけば、私たちは〈他者の苦痛〉
を観ているから他者に反応-行動しなければならないとする。
〈怪しげな特権〉はスピヴァ
クの知識人批判から私たちへの批判へと対象を拡張する。
私たちは、他者を観ることのできるこの〈怪しげな特権〉を所有しているからこそ、
〈他
者の苦痛〉に反応しなければならない。しかし私たちは〈他者の苦痛〉を観ることで冷笑
的になってしまい、その現実が存在しないものとして、行動に移さず、同情し、無関心に
なってしまう。この〈反応の基準〉の低下が、私たちの理解・想像の不可能性を象徴して
いる。
〈反応の基準〉は私たちの冷笑性を批判するための分析軸となる。
〈反解釈〉は、
〈他者の苦痛〉を芸術作品として模範的な対象と見なし、その代表/表
象の様式・形式(用語、概念、または言い回しみたいなもの)を列挙する一種の方法であ
る。これはなぜ私たちがそのような代表/表象をするか、その構造(背景や環境)を明ら
かにする(解釈する)ことではなく、様式・形式を取り出し、〈あるがまま〉を述べること
である。
最後に、
〈沈黙〉とは、
〈反解釈〉で列挙したものを芸術作品として観照するように主
張することである―芸術作品は「観客の不在(Sontag 1969, 16)」を要求している。私たち
は解釈に頼るのではなく、様式・形式を取り出し、それが何かを述べなければならない。
〈反
解釈〉はその方法であり、沈黙はそれを助ける視点である。私たちは〈他者の苦痛〉が観
照に価するものとして見做さなければならない。
〈他者の苦痛〉はある主体によって作られ、
書かれたものであり、悲劇を繰り返さないための模範例でもあるし、感覚を深めるもので
もある。本研究では、これらを総合して反解釈的思考と呼ぶ。
第二章 アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉
反解釈的思考の具体的な対象はアフリカをめぐる〈他者の苦痛〉である。アフリカと
いう漠然と広い地域を対象とすること(の理由と意義)は、アフリカに多くの悲劇及びそ
れを巡る代表/表象(あるいは言説)があり、それらを未開・野蛮の枠組みで見ることが
7
あるためである(松田 2009, 14)7。アフリカには多くの悲劇がある。それにもかかわらず、
マスメディアに取り上げられることは少なく(悲劇の数によって報道の数が比例しなけれ
ばならないかは議論の余地はあるが)、現代のアフリカに対して、私たちは既存の枠組み以
外に持ちあわせていない。
(野蛮はともかく未開―もちろん実際に救済が必要な所は多いが、
すなわち救済すべき場、行動に移されないが救済すべきというイメージだけはもっている
ということが多い。
)またその枠組みを根本から問い直すことも容易ではない。第二章では、
その未開・野蛮スキーマ的解釈を避け、ソンタグの分析軸を用いて、アフリカをめぐる〈他
者の苦痛〉に反応し、契機とすることの必要性を論じる。その試みはアフリカをめぐる〈他
者の苦痛〉の様式・形式を取り出すことである。
アフリカは様々な形で代表/表象される。アフリカには、十億人の市場や豊富な資源、
多様な文化がある。近年では、将来有望な市場・投資先として注目される。対照的に、ア
フリカを代表/表象することは、他者の苦痛に関連づけることである。第二章では、いく
つかの〈他者の苦痛〉の形式・様式を取り出す。最初に、アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉
は、国家/システム・レベルから紛争の発生要因を検証することで、
〈他者の苦痛〉に対し
て行動を深める出発点となる。しかしこれは擬人化された国家と多数の死者の関係性が見
えなくなる。次に、ジャーナリストや写真家は学問的視点よりも、感情や善意に訴えかけ
ることで、個人レベルの苦痛に目を向けている。これらは小説や自身の立場、経済的に北
の世界にいることについて言及する。最後に、代表/表象する者はある構造に変化をもた
らすために、(本来の意味を失う可能性があるにもかかわらず)他者と他者の自己記述に意
義を与え、あるいは想像不可能な出来事を考察するために理論的形式を用いて苦痛を考察
7
もちろんアフリカ以外にも、中東やアジア、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、アメリカなど
をめぐる〈他者の苦痛〉は確実に存在する。筆者がアフリカを選んだ理由は興味と能力に
よるものである。しかしアフリカを選ぶ理由を考えるにあたり、〈他者の苦痛〉を比較し、
優先順位をつけなければ明確な理由をだすことはできなかった。例えば、中東では、明ら
かなイスラム教への宗教的偏見・差別がある。しかしそれに対する理論的枠組みは不十分
である。ならば、筆者はアフリカではなく、中東を対象として選ぶこともできたはずだ。
しかしそうしなかったのは、上記でも述べたとおり、興味と能力という単純な理由である。
理由を出そうと思えば、現代、死者が最もでており、戦争状態の所がいくつもあり、飢餓、
貧困、エイズ、といった人間の苦痛がアフリカにある。しかしその理由に従うならば、私
たちが〈他者の苦痛〉をどれほど苦痛であると見做すことができるかは数で決まるという
ことになる。これは明らかに本研究と矛盾する。本研究は反解釈的思考により反応-行動
することを主張するが、数によって〈他者の苦痛〉を観てしまえば、私たちの側から苦痛
の度合いを測り、私たちが恐怖する苦痛を選択し、それ以外を捨象することになってしま
う。いわばバトラーが指摘したような「排除の概念」である(Butler 2004, XIV-XV)。私た
ちは数によっては〈他者の苦痛〉に反応する能力を持ち合わせてはいないのである。
8
することがある。〈他者の苦痛〉には、他者を認識するための様式・形式が中にあり、理解
を促す道具主義的な性質がある。ソンタグが述べているように、
〈他者の苦痛〉は契機でし
かないのである。このようにアフリカの〈他者の苦痛〉の様式・形式を取り出すことは、
〈他
者の苦痛〉を観ることの、スピヴァクの行程(itinerary (Spivak 2010a[1988], 268)8)表(サ
バルタンの痕跡を集めること、つまり脱構築すること)、またはサイードの財産目録(Said
1979, 26)(
『オリエンタリズム』のこと)9のようなものを作ることでもある。アフリカは
そういった〈他者の苦痛〉の財産目録を充実させる対象である。
第三章 サバルタン‐他者、知識人‐私たち
スピヴァクは認識の暴力や国際的分業と知識人との共犯関係を指摘している(Spivak
2010a[1988])。その分析枠組みと「
〔米国やヨーロッパのフェミニズム理論を持つという知
、、、、
識人的〕女性の特権を体系的に『学び直す』(Spivak 2010a[1988], 267)」姿勢はサバルタ
ン女性に話しかけるすべを学び、その存在を明らかにした点で代表/表象という政治的問
題の所在を明確にしている。しかしスピヴァクの議論もまた、代表/表象する(知識人)
側の代表/表象の問題にのみ終始し(フーコー、ドゥルーズ批判)、そこから、〈他者の苦
痛〉を観る私たちの側のリテラシーには考察を広げようとはしなかった。
スピヴァクはサティ(夫の亡骸とともに自殺するサバルタン)の慣習を持つインドの
女性をサバルタンとしている。しかし彼女たち以外のインド人すべてをスピヴァクが定義
づけたサバルタンとして代表することはできない(Loomba 1998, 236)。つまりスピヴァク
の代表/表象の議論の欠点はスピヴァクが対象とする主体・客体の範囲が非常に狭く、別
の他の苦痛を捨象してしまっている。これは新たなサバルタンを生み出してしまうことで
ある。
第三章では、他者を観ることについてスピヴァクとは別の視点を提示し、スピヴァク
的脱構築の対象をサバルタンから他者へと、
〈学び直すこと〉の対象を知識人から私たちへ
と範囲を拡張する。さらに、ソンタグの思考は反応から行動までであるため、その欠点を
8
スピヴァクはサバルタン研究の動機を次のように書いている。「性別化された主体の痕跡
を辿る行程を構成する諸要素は散種の可能性を見つけて、収集されることはない。
(中略)
〔しかし〕私はサバルタンとしての女性の意識という途方もない問題に向き合った(Spivak
2010a[1988], 268)」
。
9 財産目録は元々、グラムシによる概念である(グラムシ=山崎 1961[1948], 237)。サイード
はこの概念に沿って、彼なりの財産目録、つまり、
『オリエンタリズム』を創り上げた(Said
1979, 25-26)。
9
第三章で見つけ、代表/表象の問題に当てはめることで、行動からさきへの理論的発展を
スピヴァクのサバルタン・スタディーズの中で検証する。反解釈的な思考は代表/表象の
問題―スピヴァク的脱構築・学び直すことの問題に対処することが可能である。
10
第一章
スーザン・ソンタグ、反解釈の思考
米国の批評家スーザン・ソンタグ著『反解釈』(原題: Against Interpretation)は反リア
リズム、形式的審美主義を確立した(Macrobbie 1994, 82)。彼女の関心は写真、病、哲学、
演劇、小説、人類学、映画、ポルノ、美学、政治ときわめて広く、
『反解釈』出版以前の 1963
年に小説『恩人』
、67 年に『死の装具』、69 年に脚本・監督で映画『食人種のためデュエッ
ト』と、批評以外の活動も幅広く行っていた10。その後も彼女は執筆活動を続け、2004 年
に多くの作品を遺してこの世を去った。
ソンタグは本来、映画や小説を対象に批評している。そんな彼女が戦争・悲劇の地に
関心を持ったのは、ベトナム戦争に対し米国の世論が反戦を訴えたときである。彼女は、
ベトナム戦争時に、ハノイに訪れ、その時、彼女は成熟した人間として持つべき反応を持
ち合わせていないことに気づいてしまう。彼女自身が思い描いていたベトナムとは違って
いたため、
「ベトナムへの政治的・道徳的連帯を含んだ全的な知的・感情的関係を作れなか
ったことは問題であった(Sontag 1969, 212)」
。この「実演者(彼/彼女ら)であることと
観客であること(私)の違い(Sontag 1969, 218)」は彼女の芸術批判の枠組みに基づく思考
と「政治的・道徳的連帯意識」との間を架橋した。
それが、
『他者の苦痛に関して』(原題: Regarding the Pain of Others)(邦訳、
『他者の
苦痛へのまなざし』
、以下『他者の苦痛』
)である。
『他者の苦痛』はソンタグの芸術批評家
としての思考に基づいており、代表/表象された〈他者の苦痛〉に対し苦痛を共有可能で
あるとする既存の研究(Das 1997; Butler 2004)とは異なる。しかし一見すると、ソンタグ
が論じたことは当然と言っていいほど単純である。彼女は、私たちは他者の苦痛に反応し
なければならない、と主張しているだけにみえる。しかし、
『他者の苦痛』の本質は私たち
の〈反応の基準(standards for responding)(Sontag 2003a, 97)〉が危機に瀕しているという
命題に基づいている。ソンタグは〈反応の基準〉を目安に、私たちの〈他者の苦痛〉に反
応する能力の欠如(低下)を指摘している。私たちはそれらを観るという〈怪しげな特権
(dubious privilege)(Sontag 2003a, 99)〉を所有しているのだから、他者に反応しなければ
ならないのである。
ソンタグが述べているように、戦争地や悲劇の地にいない私たちが苦痛について「知
るための近代的な方法は、そこに『現実』になる何か、イメージがなければならない(Sontag
10
それより以前は、出版社で編集や大学で哲学の講師の仕事をしていた(ソンタグ, 松岡
1979a, 173)。
11
2007, 125)」11。しかしそのイメージが行動に移されないような同情あるいは無関心にとっ
て代わる感情を彼女は糾弾している。言い換えれば、他者の苦痛のイメージは同情や無反
応などの感情で解釈されるべきものではない。従って、彼女はその命題から、私たちの危
機に瀕している〈反応の基準〉を一定値に戻すため、イメージ、特に芸術としても理解さ
れる写真をそのための媒体として言及する。
さらに『他者の苦痛』の中で、ソンタグは芸術作品を観るときと同じように、代表/
表象された苦痛を観ている。彼女にとって、芸術作品は模範的な様式・形式を備えおり、
それは私たちを豊かにするものである。彼女は芸術作品の様式・形式を取り出すことによ
って、それを〈反解釈〉しているのである。もし私たちが〈他者の苦痛〉をそう見做すな
ら、例えば戦争に対して熟慮するための感情や知識を形成することができ、無関心や同情
といった解釈を加えないために、〈他者の苦痛〉に〈沈黙〉することができる。
ソンタグの思考はこれまで真剣に体系化されてこなかった。彼女は米国でも名の知れ
た批評家であり、日本でもほぼすべての著書が邦訳されている。また彼女の『写真論』(原
題: On Photography)はロラン・バルトの『明るい部屋』やウォルター・ベンヤミンの『写
真小史』に並ぶ(今橋 2008, 187)。しかし彼女の芸術論の多くが人文科学の分野でのみ紹介
されるに留まり(Hutcheon 1988, 50)、一方の政治哲学(
『写真論』や『隠喩としての病』(原
題: Illness as Metaphor))は断片的な引用で使われる(Baehr 2006)。彼女の議論はアカデ
ミックの世界で真剣に議論されなかったことも指摘されている(McRobbie 1988, 77)。つま
り彼女の芸術論と政治哲学は分断されてきたのである。それは序章で述べたように『他者
の苦痛』は正確に理解されなかったことにもつながる。本章では、
〈反応の基準〉を〈反解
釈〉から論じるため、既存のソンタグ研究とは異なったものになる。
本章第一節では、〈怪しげな特権〉や〈反応の基準〉について触れながら、ソンタグの
『他者の苦痛』における思考を叙述する。第二節では、
『他者の苦痛』での彼女の思考の中
にある理論や思想を、主に『反解釈』と『ラディカルな意志のスタイル(Styles of Radical
Will )』から見つける。それは〈反解釈〉や〈沈黙〉などの概念と照らし合わせながら、反
11
「写真は出来事を確認する。写真は出来事に重要性を付与し、それらを記憶させる。そ
れゆえ、戦争、残虐行為、流行する病、いわゆる自然災害が大きな関心の主題になるため
には、写真的イメージを無数に拡散する様々なシステム(テレビやインターネット、新聞
や雑誌)を通して人びとに届かざるを得ない(Sontag 2007, 125)」
。契機としての媒体は、
世界に確固として根付いており、私たちの了解なしにイメージは入ってくる。
12
応するとはなにか、なぜ反応しなければならないのかを考察することであり、ソンタグの
思考を体系化することである。体系化した彼女の思考を分析軸に、第二章で、アフリカを
めぐる〈他者の苦痛〉を考察する。
第一節 反応の基準
〈反応の基準〉を叙述していくまえに、基準を判断する道具としての写真についての
ソンタグの理解を述べる。彼女は〈他者の苦痛〉
(写真)を対象にし、写真の機能について
論じている。〈他者の苦痛〉
(写真)には、
「写真は美しくあるべきではないし、同時にキャ
プションは道徳を説いてはならない(Sontag 2003a, 68)」という前提がある。その上で、
残虐行為の写真は補強すると同時に例証する。正確にどれくらいが殺されたかについ
ての議論を迂回しながら(数はしばしば最初に水増しされ)
、写真は消すことのできな
い実例を提供する。その写真の例証する機能は意見、偏見、幻想、誤った情報に触れ
ることはない(Sontag 2003a, 75)。
写真の例証する機能には二つの問題がある。一つは、
「人びとは写真を通して記憶するので
はなく、写真のみを記憶することである (Sontag 2003a, 79)」
。写真は起こった事象を簡潔
に表しているため、写真と現実にずれがなければ、優れたものになる。しかし写真のみを
記憶してしまうことは、写真の中で起こっていることのみを現実と認識してしまう。現実
とのずれが大きければ大きいほど、起こった現実を理解することができなくなるばかりか、
全く間違ったことを現実としてしまう可能性がある。(たとえ写真が「意見、偏見、幻想、
誤った情報」という不確かなものであったとしても、私たちのほとんどがそれを真実であ
るかどうか確認できない。
)ロラン・バルトによると、「
『写真』はいわば、そこに写ってい
るものの姿を誇張するのではなく(事実はその正反対である)
、その存在そのものを誇張す
る(バルト=花輪 1985[1980], 139)」
。悲劇的な場所にいる人々の写真はそれを見た人々にそ
の存在を植え付ける。「写真はただちに、民族学的な知の素材そのものをなすあの《細かな
事実》を伝達する(バルト=花輪 1985[1980], 42)」ため、撮影された人びとのイメージを写
真は一般化する。それゆえ、写真はその悲劇的度合いが強くなるにつれてその「意味を曲
げて受け取られる (バルト=花輪 1985[1980], 50)」
。
(本来の撮影者の(現実を写してこの人
たちを救いたいなどの)意図と異なってしまう。
)バルトはジャン=ポール・サルトルを引
13
用している(バルト=花輪 1985[1980], 30)。サルトルによれば、
新聞写真を眺める場合にも、その写真が《何一つ私に語りかけない》ことも当然あり
得る。それはすなわち私がその写真を存在の措定を行うことなしに眺めている、とい
うことである。その時私が見た写真の当人である人物たちはたしかにその写真を通し
て到達させられたわけであるが、しかし存在としての措定を受けておらず、それは恰
も、
「騎士」と「死神」とがデュラーの版画を通して到達されはするが、しかも私はそ
れらを措定しない事情と同断である。その上、写真がいささかも私の関心を呼ばぬの
で私がそれを《像化する》労さえとらぬ場合すらあり得る。写真は漠然と構成されて
対象物をなし、そこにあらわれている人物たちはたしかに人物を構成しているが、そ
れはただそれらが他の人間共に似ているという事実に因るにすぎず、何らかの特有の
志向性を享けていない。それらの人物たちは、知覚の岸辺、記号のそれ、の間にただ
よつていて、その中の何れにも近寄ろうとはしない(サルトル=平井 1955[1940], 51-2)。
人々は写真の中に移った人びとを(差別的な意味ではなく)人間として措定できないので
ある。
写真の例証するもう一つの問題は、なぜ写真を展示するような空間が必要とされるか
という写真の存在理由に関わる。ソンタグはいくつかの疑問を提起する。
そういった〔悲劇の〕写真を展示することの目的は何だろうか?憤りを誘発させるた
め?私たちを「嫌な」気持ちにさせる、つまりぞっとさせ悲しませるため?私たちを
喪に服させるようにするため?これら恐怖が処罰できないぐらい遠い過去にあること
を考慮すれば、そのような写真を見ることは本当に必要なのか?私たちがそれらの写
真を見ることは良いことなのか?それらの写真は本当に私たちに何かを教えてくれる
のか?それらは私たちがすでに知っていること(あるいは知りたいとすること)をよ
り確証するだけではないのか(Sontag 2003a, 82)?
これらの疑問は私たちに、「私たちが責める権利を持っていると信じているのは誰なのか
(Sontag 2003a,83)」という別の疑問を投げかける。またそのような問題提起を行うような
空間を作ることは国家に対して非愛国的だとされることもある(Sontag 2003a, 84)。しか
14
し、私たちはそのような写真を「見ることの意味について、それらが示すことを実際に理
解(吸収)する能力について考えなければならない(Sontag 2003a, 85)」
。戦争や他者の苦
痛について知ることには、そこにいる人びとを救う方法が含まれているわけではない。そ
れでも、
「どれほどの苦しみが、私たちと他者の共有している世界にあるのかという感覚
を拡張し、認識すること自体は良いことである(Sontag 2003b, 272)」
。彼女にとって〈他
者の苦痛〉から考察することこそが、私たちにできることである。それゆえに、ソンタグ
は〈反応の基準〉が低下していることを批判する。
彼女によれば、
「人間が他の人間に対し、恐ろしいほど残虐な行為ができるという証拠
に直面したとき、悪の行為が存在することに絶え間なく驚く人、幻滅(疑いすら)し続け
る人は、道徳的あるいは心理的に大人とはいえない(Sontag 2003b, 272)」
。このような道徳
的・心理的に未熟な
人びとが恐怖に反応しなくなっているのは、どの戦争も止めることが可能であると思
われていないからだ。同情は不安定な感情である。それは行動に移されることを必要
とし、そうしなければ薄れてしまう。問題は喚起された想いや得た知識をどうするか
である。私たちにできることは何もない、しかし私たちとはだれか?彼らにできるこ
とも何もない、では彼らとはだれか?ともし感じてしまえば、人はうんざりし、冷笑
的になり、無関心になり始める(Sontag 2003a, 90-91)。
私たちは冷笑的になってしまうと、他者に何も感じなくなる。もちろん「周知のごとく、
感傷性は残忍性の嗜好と完全に共存し、さらに悪化する(Sontag 2003a, 91)」ため、ソンタ
グは感じることが絶対的に良いとは述べていない。しかし何も感じなくなるとは、
〈反応の
基準〉が危機に瀕していることでもある。それは、
「理性の死、知性の死、純文学の死のよ
うに、現実の死の報告は、現代の政治や文化の中で、間違っていること、空虚であること、
あるいは愚かにも勝ち誇ることを理解しようとする多数の人びとによって、より反映され
ることなしに受け入れられている(Sontag 2003a, 98)」
。私たちは現実の死に反応できなく
なっている。
危機に瀕している〈反応の基準〉の代わりに、私たちはスペクタクルという現実を観
15
るレンズを用いる。スペクタクル化とは、ギー・ドゥボールの概念として知られる12。世界
が観るものと観られるものに分割され、私たちが冷笑的になってしまうことで、私たちは
残虐な行為の代表/表象を現実のものとして認識できなくなってしまう。それは、苦痛は
イメージの総体の中でのみ存在すると決めつけることである13。現実を認識できなくなるか
らといって、それが問題になるわけでなく、そうした認識の下で世界にある苦痛を代表/
表象し続ける。ソンタグはその概念が〈他者の苦痛〉への枠組みに用いられることを完全
に拒否している。
現実がスペクタクルであるということは並外れて偏狭である。ニュースがエンターテイ
メントに変換される、世界の裕福な地域に住んでいる少数の教育された人びとの〔所有
する〕観るという慣習を、それは普遍化する。それは「近代的」になるべく優先的に獲
得された、観るという成熟した様式であり、現実の相違や論争を示す党派政治・伝統的
な形式を廃止するための必要条件である。それは全ての人びとが観客であることを想定
する。それは世界に本当の苦しみはないと強情に、不真面目に推奨する。しかし、他者
の苦痛の観客になったり、それを拒否したりする怪しげな特権を持つ人々がいる富める
国々を世界だと見做すことはばかげている。ちょうど戦争とその深刻な不正、恐怖につ
いて直接何も見たことのないニュースの消費者に基づき、他者の苦しみに反応する能力
を一般化することがばかげているように。そこにはテレビに慣れているとは程遠い何百
万もの視聴者がいる。彼/彼女らは現実〔という商品〕をひいきにするような贅沢をし
ていない(Sontag 2003a, 98-99)。
ここには、スペクタクル概念の批判と、それを通して「誠実の可能性を皮肉る(Sontag 2003a,
99)」人たちへの批判がある14。現実の他者の苦痛に対し「ある年齢に達した人は誰もこの
12
ドゥボールよれば、スペクタクルとは、
「不幸の揺るがぬ中心にあって悲嘆と不安に取り
囲まれた幸福な統合のイメージにほかならない(ドゥボール=木下 2003[1969], 52)」
。また
「スペクタクルとは、物質的に、『人間と人間の間の分離と隔たりを表現』したものである
(ドゥボール=木下 2003[1969], 194)」。現在乱用されているスペクタクルと彼の定義は異な
る。
13 「スペクタクルはさまざまなイメージの総体ではなく、イメージによって媒介された、
諸個人の社会的関係である(ドゥボール=木下 2003[1969], 15)」。イメージの総体は、ドゥ
ボールによれば、存在しない。序章での、〈他者の苦痛〉を観る正当性に関する先行研究は
イメージの総体を分析することから、逃れられていない。
14 ドゥボールも類似したことを批判している。
「愚かな人間は、テレビが見事な映像を見せ、
16
たぐいの無垢や浅薄、この度合いの無知や健忘といった権利を有してはいない(Sontag
2003a, 102)」
。現実を認識できないことは普遍的にはなりえない。悲劇を体験したことのな
い私たちが悲劇を体験した死者や生き残った者としての他者の現実の死・苦痛に反応する
ことの不確実性は、他者に反応しない、できていないことを意味する。つまり「現実の擁
護、現実により十分に反応するための危険にさらされている基準 (Sontag 2003a, 97)」―
私たちの〈反応の基準〉が著しく低いということである。スペクタクルという解釈による
「他者の苦しみに反応する能力を一般化すること」することは、この〈反応の基準〉には
届かない。
〈反応の基準〉一定にするためには、
「どれほどの苦しみが、私たちと他者の共有して
いる世界にあるのかという感覚を拡張し、認識すること (Sontag 2003a, 272)」から始まる。
それには、
「私たちの特権が彼ら、彼女らの苦しみと同じ地図上にある(Sontag 2003a, 92)」
という洞察が必要である。他者の苦痛に関する代表/表象は、
「既成の権力による多数の苦
しみを正当化することへの注意、熟慮、学習、調査を誘う以外にはなりえない(Sontag 2003a,
104)」
。さらに、それらは「死の象徴、現実の感覚を深めるための観照の対象、望むなら世
俗的なイコンのように用いることができる(Sontag 2003a, 107)」
。私たちの世界と他者の世
界は繋がっている。したがって、私たちは〈他者の苦痛〉を観るという〈怪しげな特権〉
を必然的に保持している。それを完全に理解することは私たちにとって簡単ではない。ま
た理解すると思うことすら欺瞞になることもある。しかし私たちはそれらを契機とみなし
個人の行動へ移すことはできるはずである。ソンタグは苦痛の代表/表象が不完全である
としながらも、ある一定の他者への感覚を深めることができるものであると認めているの
である。
第二節 反解釈の系譜
ジュディス・バトラーはソンタグの〈他者の苦痛〉を行動への契機とする思考を批判
している。バトラーによると、ソンタグは道徳的非難の機能を備えている写真を裏切り、
鉄面皮な嘘でコメントを加えれば、すべてが明瞭であると思ってしまう。中途半端なエリ
ートは、ほとんどすべてのことが曖昧で、両義的で、未知の暗号に従って『仕組まれて』
いると知ることだけで満足する。より意志の固いエリートは真実を知りたいと考えるが、
彼ら専用のデータや彼らだけが知っている内密の話をもってしても、個々のケースを判断
することは非常に困難である。それゆえ彼らは、どれほど普通、酬われないままであって
も、真理の方法を知りたいと願うのである(ドゥボール=木下 2000[1992], 88)」
。
17
それを戦争の兵器と見做している(Butler 2005, 825)。それゆえ、
「言うなれば、人が政治的
にできることについて悩む白人リベラルになることは、無我夢中になって、罪悪感を抱き、
内省し、自己陶酔的になることである。また他者の苦しみに効果的に反応する方法を見つ
け損なうことでもある(Butler 2005, 826)」
。バトラーの最初の批判は正しい。ソンタグはま
さに写真が一つの兵器として使われている現状と、それを観る道徳のようなものを描いて
いるからである。しかし「他者の苦しみに効果的に反応」できていないと結論付けること
は細かな思考を見逃している。バトラーは反応することを理解せず、観照の主張、つまり
〈反解釈〉と〈沈黙〉を考慮に入れていない。ソンタグが反応していないとするなら、こ
ういった概念を踏まえて批判しなければならない15。だがバトラーの指摘を真摯に受け入れ
るなら、ソンタグの反解釈を『他者の苦痛』から見つけなければならない。
〈反応の基準〉
は一般的な反応とは異なり、芸術批評の流れを汲んだ反リアリズム・形式的審美主義に原
点がある。
『他者の苦痛』では現代政治の問題を直接に扱ったため、これは詳細に説明され
ていない。つまりバトラーの批判に対応し、ソンタグの〈反応の基準〉を理解するために、
その原点を見つけ、彼女の評論・批評を遡り、照らし合わせていかなければならない。
彼女の「反解釈」は芸術作品に対する批評の在り方について論じている。彼女にとっ
て、
これら〔芸術作品〕は情報や評価を提供する。しかしそれらの独特な特色は(言説的・
科学的知識、例えば、哲学、社会学、心理学、歴史学といった)概念的知識でなく、
興奮、献身という現象、束縛されあるいは魅了された状態での判断といった何かをも
たらす。つまり私たちが芸術を通して得た知識は、
(事実や道徳的判断のような)何か
の知識それ自体というより、何かを知ることの形式または様式の経験なのである
(Sontag 1966, 21-22)。
ソンタグはまたこうも言っている。
「芸術作品それ自体は、何らかのより開かれ、豊かな方
法で、私たちを世界に連れ戻す、力強く、魔術のように魅惑的で、模範となるものである
またソンタグは写真の役割を理解していないとバトラーは決定づけている(Butler 2005,
825)。しかしソンタグは〈反応の基準〉の低下を述べているにすぎないし、その〈反応の
基準〉の低さでの、写真の負の側面指摘している。バトラーの言うように、ソンタグが写
真を裏切っているとは言えない。
15
18
(Sontag 1966, 28)」16。これを〈他者の苦痛〉に当てはめてみれば、それらは何かを知るこ
との形式または様式であり、私たちをスペクタクル化された世界から現実へと「連れ戻す、
力強く、魔術のように魅惑的で、模範となるものである」。私たちは契機として何らかの行
動へと発展させる。
観る者(主体)の感受性を決定するのは、観る者(主体)自身の経験と客体に内在す
るものである。
意識の側の包括的な決定として、もし私たちが道徳性を単数で理解すれば、私たちの
芸術への反応が正確に私たちの感受性と意識を活性化するものである限り、それは「道
徳的」であると考えられる。私たちが道徳的行動のために実際に選択し、やみくもに
軽はずみに服従しているだけではないと仮定すれば、感受性こそが道徳的選択の能力
を育て行動を決定づける。審美的経験(無私性、瞑想性、注意深さ、感情の覚醒)と
審美的客体(優雅さ、知性、表現性、力強さ、官能性)に内在している資質は人生へ
の道徳的に反応するための基本的な構成要素である。故に、芸術は「道徳的」役割を
果たす(Sontag 1966, 25)。
ここでの感受性は審美的経験や客体を高度に構成したものである。もし私たちが芸術作品
に反応することができなければ、私たちは反応していないということになる。私たちが〈他
者の苦痛〉に反応するということは、このような要素を私たちが備えていることが条件で
ある。
感受性を構成するために、一つは、
「内容への考察を形式へのそれに溶解させる(Sontag
1966, 12)」ことが必要とされる。またもし可能であるならば「芸術作品の外形を真に正確
で、鋭い、慈愛のこもった描写を提供する(Sontag 1966, 13)」ほうが望ましい。これらが
ソンタグが最良の批評とするもので、
「ひとりひとりの重要な作家の強力なまでに個性的な
様式(Sontag 1966, 15)」
・形式を明らかにすることである。より詳細にその行為を定義する
.........
..............
なら、
「芸術作品が何を意味しているかを示すというより、どのようにしてそれがあるがま
16
「芸術はあるもの、ある行動の中の意志を対象化し、誘発し、刺激する。芸術家の観点
からすると、それは意志作用を対象化することであり、観客の観点からすると、それはそ
の意志のために想像上の舞台装置を創ることである(Sontag 1966, 31)」
。この主張から、
〈他
者の苦痛〉を観ることには、ある想像上の舞台装置を創ることが好ましい。それはある意
志をその意志であることを際立たせることである。
19
.....
.............
まであるか、さらに言えば、それがあるがままであること示すことである(Sontag 1966, 14、
傍点 Sontag)」
。それは、芸術作品の内容を解釈することではなく、芸術作品の様式・形式
を描くことであり、作家の癖、理論、概念、言葉、構成を述べることである。ソンタグに
よると、
「芸術作品は本質的に何か言っているもの(
『X が言っていることは……』
『X 氏が
言わんとしていることは……』
『X 氏が言ったことは……』などなど。
)(Sontag 1966, 4)」
ではない。芸術の形式・様式を描写する批評は芸術作品の内容を解釈することを拒否する。
ソンタグがこれを指摘するのは、芸術作品への批評はしばしば、
「内容を本質的とし、形式
を補足的とする(Sontag 1966, 4)」
。しかしソンタグによれば、内容の批評・解釈は、第一
に「真の本文である背後の本文を見つけるために、本文の裏側を掘る (Sontag 1966, 6)」
ことであり17、第二に、
「現象を言い直すことであり、実際には、現象の相当物を見つける
ことである(Sontag 1966, 7)」
。ソンタグは解釈について全てを否定しているわけではない。
しかし、
解釈そのものが人間の意識の歴史的視点の中で評価されなければならない。いくつか
の文化的文脈では、解釈は解放の行動である。それは死んだ過去を再構成、再評価し、
〔その過去から〕逃れる手段となる。別の文化的文脈では、解釈は反動的で、不作法
で、臆病で、抑圧的なものである(Sontag 1966, 7)。
彼女は文脈によって解釈を用いるべきであり、その文脈に解釈が必要でないのなら用いら
れるべきではないとしている。ソンタグによる、芸術作品を〈反解釈〉する(または解釈
しない)ことは、高度な反応の思考が要求される。
ソンタグの第二の評論集『ラディカルな意志のスタイル』の中の「沈黙の美学 (“The
Aesthetics of Silence”)」は様式・形式の批評を〈沈黙〉という概念を使ってより発展させ
17 「現代で最も世に知られ影響力の大きい理論はマルクスとフロイトのそれである
(中略)
マルクスにとっては、革命や戦争のような社会的な出来事が、フロイトにとっては、
(神経
症の徴候や言いまちがいのような)個人的生活での出来事および(夢とか芸術作品のよう
な)テクストが、すべて解釈をもたらす機会と見做される。マルクスやフロイトによれば、
、、、
これらの出来事は理解可能に見えるだけである。実際には、これらは解釈なしでは意味を
もたない(Sontag 1966, 6, 傍点 Sontag)」
。三章では、スピヴァクによるフロイト批判があ
る。それはフロイトがある主体をヒステリック患者に変えることで問題を表出させるよう
な解釈がある。本稿、注 30 参照。
20
ている。本研究では、
〈他者の苦痛〉は代表/表象によって作られ、書かれた他者の身体的・
精神的苦痛についての作品を指す。ソンタグはそれらを芸術作品のように見做し、
「模範と
なるもの」
、行動(注意・熟慮・学習・調査)への契機とすることを『他者の苦痛』で論じ
ている。
〈沈黙〉の概念はその「模範となるもの」に加える一つの視点である。ここでは、
〈他者の苦痛〉と〈沈黙〉の関係の関係について延べる。〈他者の苦痛〉という芸術作品は
私たちが〈沈黙〉する芸術であるのか、である。
「沈黙の美学」は、
「あらゆる時代には、その時代にふさわしい『精神性』の目標が作
り変えられなければならない(Sontag 1969, 3)」と始められている。この「精神的目標の最
も盛んな隠喩の一つは『芸術』である(Sontag 1969, 3)」。ソンタグによれば、「芸術は反芸
術、
『主体』
(『客体』
『イメージ』)の排除、意図のかわりに危険、沈黙の追及に繋がらなけ
ればならない(Sontag 1969, 3)」
。彼女は芸術を精神性の目標の隠喩として捉え、
〈沈黙〉の
概念を適用する。ソンタグによると、
「沈黙」は必ずその対立概念を含み、その存在に依存する。そこに「下」のない「上」
、
あるいは「右」のない「左」がないように、人は沈黙を認識するために周囲の音ある
いは言語に気づかなければならない。沈黙は話し言葉や他の音に溢れた世界に存在し
ているだけでなく、あらゆる既存の沈黙は音によって突き抜かれた時間の拡がりとし
ての個性を持つ。(中略)沈黙とは、不可避的に、話し言葉(多く場合、不満や告発)
の一形式であり、対話の中の一つの要素である (Sontag 1969, 11)。
さらに、
沈黙は純粋・不可侵な視点の隠喩であり、見られるまで応答しない芸術作品に相応し
く、人間の監視によっての芸術作品の基準を犯すことはできない。観客は風景に近づ
くように芸術に近づくだろう。風景は観客の「理解」、意味の押しつけ、不安、そして
共感を要求していない。それは、いうなれば、観客の不在を要求し、観客に何もつけ
加えないことを願う。厳密には、観照は観客の側の自己忘却を含意する。実際には、
観照に価する客体は知覚する主体を消滅させる(Sontag 1969, 16)。
あらゆる(沈黙の対立概念である)解釈とともに、
〈沈黙〉は確かに存在する。〈沈黙〉の
21
ためには、解釈が周囲になければならない。
〈沈黙〉は内容を解釈しない。それは客体を観
照する。私たちが〈沈黙〉する芸術作品―観照に価する客体は、
「知覚する主体を消滅」
(自
己忘却)させる。解釈を避けさせないことである。私たちは〈他者の苦痛〉が観照に価す
る客体として見做す。
〈他者の苦痛〉は人によって作られ、書かれたものであり、悲劇を繰
り返さないための模範例であり、自己の感覚を深めるものでもある。
、、、、
個々の芸術作品は何かを知るための一つの形式・理論的枠組み・模範型、一つの認識
論を私たちに教えてくれる。しかし絶対性への野心となる媒介を精神的な目標として
、、
見做せば、あらゆる芸術作品が提供するのは、超社会的あるいは超倫理的な機転の模
範型、作法基準である。個々の芸術作品は言われうる、あるいは言われえない(ある
いは表象しうる、表象しえない)ことについて、ある選好の一貫性を指し示す。それ
は言われうる、言われえない(あるいは表象しうる、表象しえない)ことについての
過去に神聖化された支配を転覆することを暗黙的に提示するかもしれないと同時に、
それはそれ自身の一連の限界をも発する(Sontag 1969, 31-32, 傍点 Sontag)。
精神的目標の隠喩である芸術の向かうところは〈沈黙〉であり、またそれは「絶対性への
野心となる媒介」である。そしてその芸術作品はある何かを転覆させ、一貫性(形式)を
提示し、そして限界を示す。芸術作品はここでより精緻化されている。
〈他者の苦痛〉にこ
れを置き換えてみると、形式が刻まれており、代表/表象の限界を提示する。
一連の反解釈的思考を辿った上で、危機に瀕している〈反応の基準〉と芸術作品(そ
して観照に価する客体)をなぞる反解釈的道徳性・感受性が同じものなのかという問題が
ある。またこのように他者の代表/表象と芸術作品を同一視することは他者に対して好ま
しい行為ではないと指摘される可能性もある。しかし「私たちの経験の中で、芸術作品と
して分類できない多くの項目が芸術作品の性質のいくつかをそなえている(Sontag 1966,
36)」ことがあるように、客体への解釈を避け続ける(沈黙する)様式と、他者についての
ソンタグの様式は類似している(異なっているものは解釈の種類である)
。彼女が糾弾する
ときはいつでも、解釈による対象の捻じ曲げであったように、無反応や同情もまた他者の
苦痛をなかったことにしてしまう捻じ曲げた解釈である。観照に価する作品は芸術次第で
ある。しかし、
〈他者の苦痛〉の場合は観照に価する作品として私たちに見做させるような
22
強制性がある。私たちは〈他者の苦痛〉を観るという〈怪しげな特権〉を所有しているか
らこそ、それらを解釈せずに、反応しなければならない。
苦痛の代表/表象は「特権を持つ人びとやただ安全な場所にいる人々が無視するだけ
の事象を『現実的に』(あるいはより現実)にする手段である(Sontag 2003a, 6)」
。さらに
それは「死の象徴、現実の感覚を深めるための観照の対象、望むなら世俗的なイコンのよ
うに用いることができる(Sontag 2003a, 107)」
。
〈他者の苦痛〉は、
「何らかのより開かれ、
豊かな方法で、私たちを世界に連れ戻す、力強く、魔術のように魅惑的で、模範となるも
のである (Sontag 1966, 28)」
。そして「見ること、そして見ることの断片の蓄積は決して
終わらない(Sontag 2007, 127)」
。
以上を総合して反解釈的思考とし、次章で、アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉の形式・
様式を取り出し、観照に価する客体とする。
23
第二章
アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉
近年、アフリカは将来有望な投資先や市場とみられる(Mahajan 2009)。中国はいち早
くアフリカ市場に注目し、すでに多くの中国人がビジネスのためにアフリカに進出してい
る。
日本もまた 2013 年 5 月に第 5 回アフリカ開発会議
(Tokyo International Conference on
African Development、通称 TICAD)を開催し、
「援助から投資へ」の切り替えを強調した。
こういった取り組みはアフリカを未開地域・野蛮人とみなすような枠組みを変える可能性
を包含している。松田素二によれば、このような枠組みとは、
アフリカで生起するあらゆる種類の政治的対立、軍事的衝突、社会的憎悪すべて部族
間の伝統的関係性で説明してしまう万能の解釈枠組み(部族対立スキーマ)や、その
バリエーションとして、アフリカでの社会・文化的現象を、上から目線で(つねにア
フリカを援助し、啓蒙する対象として捉える目線で)
、一元的に解釈する認識(未開・
野蛮スキーマ)は、代表的なアフリカ・スキーマの一つだろう(松田 2009, 14)18。
アフリカの紛争・貧困・飢餓・病などに関する報道によって、この「部族対立スキーマ」
「未
開・野蛮スキーマ」は浸透してしまっている(白戸 2011)。それはアフリカの報道が主に悲
劇に偏っており、アフリカの多様性を伝えること自体が少ないためでもある。日本では、
アフリカに関する報道が少なく(Hawkins 2008)、その少ない中で悲劇の情報が占められて
いれば、人は固定観念を持ってしまうことも考えられる。他方で、アフリカを市場と見做
すことには、アフリカの人びとが市場の中で自ら選択し機会をつかんでいくということが
含まれている。松田が本来に意味した主体とは異なるが、私たちが「人々の生活世界から
アフリカを捉えなおす(松田 2002, 13)」ことによって、アフリカの人びとを「外部からの
諸条件と葛藤し選択し対処する主体(松田 2002, 13)」とする、別の契機となる可能性があ
る。
この傾向をポジティブなものとすれば、本章はアフリカをめぐる〈他者の苦痛〉とい
うネガティブなものを分析する。
〈他者の苦痛〉という悲劇的な問題を扱うということは、
やはりアフリカは未開・野蛮である、という固定観念を再生産してしまう可能性がある。
これらの解釈を避けるために、私たちはアフリカをめぐる〈芸術作品〉を反解釈する―反
部族対立スキーマのような枠組み(Kaplan 2000)への批判はポール・リチャーズの新野蛮
主義批判に詳しい(Richards 1996, xiv)。
18
24
解釈的思考の過程で、アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉を行動への契機になる〈芸術作品〉
とすることが重要である。
〈他者の苦痛〉は外部からの欲望を満たすためのものではない。
〈他者の苦痛〉は現在の何かしら不具合のある環境を逆転させるものでもない。かといっ
て〈他者の苦痛〉は安易な共感を誘発するほど万能ではない。しかし〈他者の苦痛〉はこ
のような欲望を私たちにもたらす魅力を持っている。それらを提示することもまた反解釈
は要求する。本章では、他者の苦痛に関して、どのような様式・形式で理解されているの
かを明確にしていく。対象とした作品は、主にアフリカに関して代表/表象する側の解釈
が加えられているものである。アフリカに関して事実の報告(例えばニュースや歴史など、
筆者が事実確認できないもの)は対象にはしていない。本章はアフリカをめぐる〈他者の
苦痛〉に反解釈的思考で、私たちの位置からのアフリカ論について、アフリカをめぐる〈他
者の苦痛〉について、アフリカにおける苦痛についての財産目録の基盤を作っていく。
冷戦後のアフリカ諸国では、多くの紛争が勃発し、紛争とその波及は多くの人びとに
苦痛をあたえた。特に、ルワンダのジェノサイドから、波及した第一次・第二次コンゴ紛
争はアフリカ大戦ともいわれるほど、悲惨かつ複雑で、大量の死者を出した。その数は四
百万人から五百万人といわれ、第二次世界大戦後最大の死者数である。
コンゴ紛争は資源紛争の枠組みの中で考えられる19。コンゴ民主共和国では、クロニウ
ム・コバルト・コルタン・タンタルなどが発掘される20。コンゴは「資源の宝庫」ともいわ
れ、資源が豊富であるがゆえに、コンゴの資源をめぐって争いが起こっている。コンゴ東
部を制圧した反政府勢力はルワンダ、ウガンダ経由で資源を密輸したことで富を得ていた
(武内, 2010b, 140)。ジンバブエやウガンダの大統領に近い人物が資源の取引に関わってい
たことも無関係ではない(武内 2001, 283)。資源をめぐる争いは紛れもないコンゴの紛争を
19
また、コンゴ紛争は勢力均衡の安全保障の問題が根底にあった。第一次紛争では、反政
府勢力(カビラ)側にルワンダ、ウガンダ、アンゴラが、他方の政権(モブツ)側にアン
ゴラの反武装勢力「アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)
」が付いていた(武内 2010a, 56)。
第二次コンゴ紛争では、政権(カビラ)側にジンバブエ、アンゴラ、ナミビア、チャド、
スーダンが、反政府勢力側にルワンダ、ウガンダ、ブルンジが支援していた (武内 2010a,
39,56)。ルワンダとウガンダは第一次紛争と同様に反政府勢力の掃討のため、アンゴラはア
ンゴラ全面独立民族同盟の封じ込めのため、そしてジンバブエとナミビアは南部アフリカ
開発共同体(SADC)内の地域安全保障のため、第二次コンゴ紛争に参戦していた(武内 2001,
282-3)。このように既存の安全保障と資源、資源を求める市場の観点からの思考を武内は展
開している。
20 16 世紀からの大航海時代にあっては、ゴム・象牙・鉄・・奴隷としての人間が取引され、
アフリカ人の骨は弾薬として用いられていた(Hochschild 1996 13-6)
。
25
長期化させる要因である21。
しかし資源を巡る争いは反政府勢力や周辺諸国だけの問題ではない。採掘された資源
は先進諸国にも関わっている。コルタンの国際市場での需要増大は反政府勢力の資金の源
と関連している(武内 2010b, 140)22。コンゴ東部の紛争状態の中で、武装勢力はこれら資源
によってその紛争資金を賄っている。このことがコンゴにおける冷戦後の紛争の長期化さ
せる要因もある。武内は苦痛を個人のレベルでみてはいないが、搾取されることを苦痛と
観るなら、多角的な枠組みから、紛争の要因を分析し、アフリカ・スキーマを避けている。
この枠組みは私たちの立場を明確にした上で、複雑な紛争を理解しようとする出発点にな
る。
一方、メディア雑誌のコンゴ特集に目を向けてみると、個人の苦痛を措定し、システ
ム・レベルへと展開していっている。マーカス・ブリーズデールはコンゴ鉱山の現状を『闇
の奥』と変わらないと述べている(ブリーズデール&ゲルトマン 2013, 64)。
『闇の奥』と何
が変わらないかという記述はないが、悲劇的な現状を有名な『闇の奥』で例えている。登
場人物のクルツの「地獄だ!地獄だ!(コンラッド=中野 1958[1899], 188)」という言葉を思
い出してもいい。さらにブリーズデールはコンゴの「変化といえば、資源をむさぼるのが
植民者から多国籍企業になったことぐらいだ(ブリーズデール&ゲルトマン 2013, 64)」と
している。苦痛を受ける他者として措定されているのは子供(兵)である(ブリーズデール
&ゲルトマン 2013, 66-67)。齢十四~十五の子供が銃をぶら下げている状況は私たちのい
る場所から見ることはまずない。さらに、私たちは共犯であるという表現がある。ジェフ
リー・ゲトルマンは「あなたのノートパソコンやカメラ、あるいは金のネックレスには、
微量ながらコンゴの苦悩が含まれているかもしれない(ブリーズデール&ゲルトマン 2013,
65)」と、読者に訴えかける。また彼はドット・フランク法が非合法鉱物の流通を抑える反
面、
「コンゴ産すべての鉱物がボイコットされ、かえって労働者の生活が脅かされるのでは
ないか。そんな批判もある(ブリーズデール&ゲルトマン 2013, 80)」ことを指摘する。最
後の国連関係者へのインタビューはこの問題が行き詰っていることを感じさせる。
21
またルワンダとブルンジもコルタンの不正採掘しており、特に、ルワンダ政府は安全保
障を理由にコンゴ東部での駐屯を決定したとしていたが、同政府管理のコンゴ東部の強制
収容所の下で囚人が資源採掘をしている (米川 2010, 147,158)。さらに南アフリカの 15 の
企業も資源搾取の疑いがある(米川 2010, 161)。
22 コルタンは携帯電話、ノートパソコン、ゲーム機、デジタルカメラ、ビデオカメラなど
の電化製品に、そしてスズは電子工業の部品や缶詰の缶生産に使われる(米川 2010,
140-141)。
26
彼ら〔政府と反乱グループ〕は違法な利益を分け合っています(ブリーズデール&ゲル
トマン 2013, 85)。
簡単な解決策はありません。解決策が果たしてあるのかも、あやしいところです(ブリ
ーズデール&ゲルトマン 2013, 85)。
読者を感情的にさせるために、子供の苦痛はシステム・レベルの批判へと転用される。
苦痛を持つ他者として措定されることが多いのは子どもとあと女性である。写真家の
亀山亮は写真とともに、コンゴ資源問題やジェノサイドの波及による苦痛を「想像を超え
た悲しい物語」として名称している23。そして彼はフツ系民兵たちによって家族全員を殺さ
れた女性、アディラの写真とインタビュー内容の一部を載せている。ここで彼女の言葉を
見てみたい。
兵士たちは夫を切り刻み、性器を切り取って料理しろと迫った。
子どもたちは生きたまま、焼き殺された。
一家全員を殺された。私にはどこも行く場所はない。
どうか私をどこかに連れてってください(亀山 2012, 49)。
この兵士とはフツの兵士のことである。兵士たちがコンゴで行った行為は悪名高い。私た
ちが想定している現実とかけ離れているからだろうか、こういった恐ろしい言葉は私たち
に冷静さを失わせる。兵士たちは私たちが考える人間とは著しく異なるため、兵士たちを
人間として想像することはできなくなる。さらにこのような悲劇が実際にあったと、私た
ちには認識できない場合もある。それほど私たちの想像の域を超えている。同時に、私た
ちはアディラの存在をも想像できなくなる。しかしこの現実が実はなかったと疑うことは、
現実の事象に目をつぶることになる。だからといって、私たちは安易に彼女の立場に立つ
ことはできない。私たちはアディラを観照に価する客体として見做さなければならないの
23
また亀山はアフリカの紛争を「忘れられた戦争」と名付けた。元から覚えられていたか
はわからないが、そこには無視されつづけている戦争の現実がある。ここで苦痛を体現し
ているのはリベリア共和国の少年兵エモンズである。亀山は少年兵のある行動に、
「彼らは
人間として大事な部分、他人のことを思う気持ちがなくなってしまった。そうでないと暴
力の嵐の中で生き残れなかったのかもしれない(亀山 2013, 36)」と判断する。
27
である。
ジャーナリストの藤原章生は、日本人=北の人間の立場で、女性へのレイプの問題に
ついて考察している。藤原は毎日新聞社の南アフリカのヨハネスブルクへの特派員として、
1995 年から 2001 年にかけて駐在していた。彼の駐在中に、彼の妻がハイジャックという
車強盗の被害にあった。幸い、車と腕時計を盗まれただけで済んだが、このとき彼は妻が
連れ去られなかったことに安堵した。犯人は若い黒人たちであった。もし彼の妻が連れ去
られ、レイプの被害にあっていたとしたら、
「黒人を、あるいは黒人たちに憎悪を植えつけ
た白人たちを呪ったかもしれない(藤原 2005, 84)」と、彼は述べている。藤原はジョン・
クッツェーの小説『恥辱』を参考にして論を進めている。
『恥辱』では、主人公である白人
の大学教授の娘がレイプの被害にあう箇所がある。主人公は、その事件を南アフリカの歴
史に求めたが、娘は個人の問題とした。もし彼の妻が『恥辱』の主人公の娘と同じ目にあ
っていたら、藤原は歴史か個人のどちらに原因を求めていたかについて考えている。
個人は国家が犯した罪からどこまで自由になれるのか。クッツェー作品の底には、こ
の問いが流れている。個人の身にたまたま起こったことを、社会の問題にすりかえた
瞬間、個人の自由やその可能性は薄まってしまう。同時に事件を一般化すれば、
「南北
の境界」に暮らす、あるいは南北を行き来する人々の多様な生のあり方を、無視する
ことになる(藤原 2005, 84)。
亀山と藤原の代表/表象から導くことができることは、私たちの立場を考えることで
ある。ソンタグは私たちが苦痛を持つ人びとを本当の意味で理解し、想像することはでき
ないとしている。私たちは他者に共感しているかのように振る舞うこともできる。だが、
もし自分が他者になってしまうときには、どのように考えるだろうか。私たちはアディラ
のこの言葉を観ることができるという特権がある。反解釈的思考では、アディラに共感す
ることはできない。彼女の言葉は私たちに苦痛への想像を掻き立て、他者に主体性を与え
ることで、
〈想像上の他者〉―または自民族中心的に他者を構築してしまう。それほど、彼
女の言葉は私たちをひきつけかねないのである。しかし彼女の周辺の状況を知ることで、
行動に移す契機と見做すことができる。私たちは彼女を模範的なイコンへと昇華する思考
を形成しなければならないのである。
女性はエイズに苦しむ客体としても代表/表象される。大池真知子は『エイズと文学』
28
で、従来の文学研究(小説)に、ノンフィクションの自伝や評伝、インタビューや聞き書
きによるエッセイ、メモリーブックを加え、HIV/エイズがどのように認識されているかを
論じている。特に注目したいのは、
『エイズと文学』の中のメモリーブックについての二つ
の章「第四章 母が書く物語―メモリーブック」
「第五章 メモリーブックに記された死と
性と病」である。二つの章はウガンダのメモリーブックについて紹介し、分析している。
メモリーブックとは、HIV 陽性の人びとが、自身の家族、主に自身の子供に生い立ちや想
いを伝えたものである。メモリーブックの目的は、
「HIV 陽性の両親と子どもたちの間のコ
ミュニケーションの向上」
、
「HIV 感染や他の重要な情報の公開」
、「相続計画」
、「家族の重
要な歴史の執筆」である(Biryetega 2005)。大池はメモリーブックを「死の床で書かれるメ
モリーブック」、「快復を証言するメモリーブック」
、「病を生きるメモリーブック」の三つ
に分類している。ここでは、メモリーブックの内容を引用することはできないので要約す
ると、彼女たちの子供に向けられた彼女たちの人生観や闘病記、アドバイス、家族・父親・
親戚のこと、性について、ときには赤裸々に、ときには沈黙しながら、書かれている。
大池は、HIV 感染が分かるまでの過程、感染を知ったときの衝撃、エイズによる家族
の死、闘病生活を苦痛とする。他者の役割を果たすのは、HIV 感染者であり、メモリーブ
ックの書き手である女性たちである。女性である理由は、男性が HIV/エイズであっても
検査をしなかったり、名乗り出なかったりするからである(大池 2013, 116)。
「HIV と生き
る自己を記述する意味について考察する(大池 2013, 125)」ために、大池はメモリーブック
の対象を書き手による自己記述に限定する。つまり女性たちができるだけ自分の力で書い
たものに対象をしぼって分析している。大池によると、
「書き手が、子どもという他者を想
って、他者への想いを記述し、想いを形にして他者に与える」ことから、女性たちは「ケ
アする者」である(大池 2013, 133)。対照的に、大地は書き手の男性については分析を註に
押し込め、大地は男性のメモリーブックの捉え方が女性と異なることをはっきりさせてい
る。
ある男の書き手によると、男の書き手は氏族や財産の情報を重視するのにたいし、女
の書き手は子どものことを重んじるという。彼自身、妻に聞いて子どもについての項
目を書いたそうだ。また、彼の子どもは彼の感染を知っているが、彼がメモリーブッ
クを書いていることは知らない。彼は、筆者のインタビューに同行して、女の書き手
が子どもとメモリーブックを共有して得たものを知ったため、自分も子どもとメモリ
29
ーブックを共有してみたい、と語った(大池 2013, 273)。
女性は「ケアする者」であり、男性とは異なる。大地は、彼女たちのメモリーブックが、
そのテクストに注意が払われていないのは大きな損失であり、もちろんそれらは「子ども
の宝ではあるが、草の根の書き手自身による貴重な生活の記録であることから、私たち人
類の宝物でもある(大池 2013, 137-8)」とする。大池の調査地では、父方の親族に子どもは
属する。しかし女性たちの夫の多くは亡くなっているので、メモリーブックの「あなたの
家族」の項目は、母方中心の記述になり、父方より母方の親戚について重きが置かれるこ
とになれば、母方の親族に正統性が付与されることになる(大池 2013, 139-140)。つまりあ
る構造を変えるものとして、「ケアする者」たちのメモリーブックは重要な位置を文学研究
の中でもっているのである。しかしメモリーブックが文学研究の世界に流れてしまえば、
大池が懸念するように、メモリーブックの目的からはなれて、その世界に受けるような「う
まい」メモリーブックができてしまうかもしれない(大池 2013, 139)。このジレンマを大池
は深く検証していない。メモリーブックが「自己記述」から表象分析という場に持ってこ
られた時点で、苦痛の表象の一種となってしまうのである。これは、女性と男性の性格・
立場をはっきりさせることによって、そして他者に意義を与えることによって、変化を欲
する欲望であるといえる。
しかし書き手にも家族以外に読んでもらいたい、自身のことを知ってもらいたいとい
う傾向がある(大池 2013, 138)。そのため、そういった変化も必要となる。大池の言うよう
に、
「遠いアフリカの人たちを、気持ちの上で隣人にすることが必要なのではないだろうか。
信じがたい統計の数字に集約される前の、彼ら一人ひとりの暮らしに思いを馳せること。
彼らの声に耳を傾け、彼らの心に寄り添うことが(大池 2013, 5)」
。そのために文学は役割
を果たすとしている。大池の耳を傾け寄り添うことは間違いなく行動である。メモリーブ
ックという構造変化が可能なものを代表/表象することで、エイズへの理解とアフリカへ
の理解を同時に私たちに可能にさせる。実際、エイズには根強い偏見を払しょくしきれて
いない。またエイズとはそもそも何かでさえも理解されていないこともある。ソンタグは
エイズについて著書を書いており、彼女によれば、エイズは第三世界から第一世界へ席巻
した害悪として認知されてしまっている(Sontag 1990, 139-40)。彼女はこういったアフリ
カ、エイズという言葉について、私たちがしうる最悪の思考を指摘している。
「アジア人(あ
るいは貧民、あるいは黒人、あるいはアフリカ人、あるいはイスラム教徒)はヨーロッパ
30
人(あるいは白人)と同じようには、苦しまないまたは悲しまないと信じられている(Sontag
1990, 139)」
。ソンタグは米国人の視点から批判している。しかし私たちも異国の遠い地の、
しかも偏見であふれたエイズについてこのような考察が完全にないと言い切れない。メモ
リーブックについて述べることは、感情に訴えかけ、想像上の距離を短くする効果がある。
第三章では、理論的な面からこういった他者を構築することはスピヴァクの思想とは相反
するけれども、これは実践的な私たちの行動を促すものである。しかし代表/表象が何か
を促すための道具として使われることには、注目しなければならない24。
1994 年に起こったルワンダのジェノサイドは多くの苦痛を遺した。この苦痛は暴力、
殺人、女性へのレイプである。苦痛の傷跡を隠そうと、ルワンダ政府はそれまであったツ
チ、フツ、トゥワといった民族の呼び名を無くした。ジェノサイドを二度と起こさないた
めに、ジェノサイドを忘れるという、矛盾しているようにみえる政策である。スザンヌ・
バックレイ‐ジスタルはスタンリー・コーエン(1995)の「社会的健忘症」を引用しながら、
ポスト・ジェノサイドの社会変性について論じている(Buckley-Zistel 2006)。コーエンによ
ると、
「社会的健忘症」とは、忘れるという方法によって、社会全体が不名誉な過去の記録
それ自体を分離することである。これは組織的・公的・意識的段階で、具体的には、
恣意的な隠ぺい・歴史の書き直しという形で、あるいは情報消失時に生じる一種の文
化的ずれを通して、起こることがある(Cohen 1995, 13)。
バックレイ‐ジスタルはルワンダの人びとは「不名誉な過去の記録」を分離し、社会的健
忘症状態を保っているとしている。加えて、その状態にいる彼/彼女らは意図的であるた
め、彼/彼女らによってこの健忘症は選択されている。つまりその行為は「選択された健
忘症(Chosen Amnesia)」である。彼/彼女らが健忘症を選ぶ理由は、決してジェノサイド
を忘れたからではなく、忘れるために記憶しているのである。その感覚は、ルワンダ社会
で確実に存在するであろう敵体性を覆い隠し、そしてその行為がルワンダ人同士の共存の
ための必要不可欠な要素となっている(Buckley-Zistel 2006, 133-4)。それはジェノサイドに
参加した殺人犯と共存をともにしなければならない被害者たちを適応させる
(Buckley-Zistel 2006, 146)。もちろん、二度と起こしてはいけない、被害者はツチだけで
24
スピヴァクは女性の「道具性」に関しては認めている(Spivak 1985, 360)。
31
はない、との理由から忘れてはならないと言う人たちもいる(Buckley-Zistel 2006, 137-8)。
しかし政府からの強制的な措置、あるいは消えることのない隣人への恐怖、あるいは共存
するための実用主義的な思惑によって、健忘症は彼/女らによって選択され、生きる手段
であることがわかる(Buckley-Zistel 2006, 142)。
ここでは「選択された健忘症」によって論が組み立てられている。殺人を行った相手
と隣人になるということが苦痛であると措定されている。その〈他者の苦痛〉を観る側の
私たちには、経験したことのない苦痛であるために、理解や想像することは容易ではない。
家族や生活のためにその苦痛に耐えなければならない。従って、復讐にかられたり、そこ
から逃げたりなど、現状の否定という手段は無くなってしまう。しかし、たとえ生存手段
であるとしても、なぜ他者がその苦痛に耐えることができるのか、この疑問が私たちを思
考停止にしてしまう。思考を続け、発展させていくために、
「選択された健忘症」が私たち
の理解を助け、私たちに想像させる。「選択された健忘症」はいわば〈他者の苦痛〉に反応
するために翻訳された一言語である。また私たちがそのような代表/表象の様式をもって
〈他者の苦痛〉をみることは(所詮は)外縁の観客であるという特権を持つ証明にもなる
のである。
〈他者の苦痛〉を理解するにあたって、私たちは道具としての代表/表象を必要
とする。つまり代表/表象は〈他者の苦痛〉の相関物でしかなく、私たちの行動を促す記
号でしかない。
最後に、アフリカの他者をサバルタンと呼称することがある。第三章でも定義を示す
が、サバルタンとは、一種の特権化された類の他者である。彼/彼女らは脱構築されるま
では、決して明るみに出ることはないが、その行動が達成された瞬間に注目されることに
なる。それはサバルタン・スタディーズ・グループ(以下サバルタン論者)の努力の結果
であるとも考えられるし、サバルタンという語の持つ魅惑や強さでもある。だがサバルタ
ンという名称はサバルタン論者たちとは別に、独り歩きしているようである。パッタ・ス
コット‐ヴィリアーズは、アフリカにおけるあるレシピエントは、支援や協力を得るため、
外の国に受け入れられるように、「環境保護者」や「抑圧された民衆」として自称すること
がある(Scott-Villiers 2011, 772)。レシピエントたちは積極的に自己の本質を定義し、それ
を利用する。この考え方は戦略的本質主義そのものである。つまり彼にサバルタンという
概念をつけ加えられるレシピエントたちは彼/彼女ら自身によって自己を規定することに
よって発話状態を作り出しているとされる。これはサバルタンという概念が戦略的本質主
義をもたらすということでもある。第三章では、他者構築に関しての議論をみていく。
32
第三章
サバルタン‐他者、知識人‐私たち
「サバルタンは語ることができるか?(Can the Subaltern speak?)」
(以下、サバルタ
ン論)において、スピヴァクは認識の暴力‐国際的分業と知識人との共犯関係を指摘して
いる(Spivak 2010a[1988], 248)25。彼女はまず、ミシェル・フーコーとジル・ドゥルーズの
対談「知識人と権力(“Les Intellectuels et le pouvoir”)」を批判する。フーコーとドゥルー
ズらによると、「理論とは、一つの実践から別の実践への中継のこと(フーコー=蓮實[1972]
2006, 78)」であり、
「一般大衆は、完璧に、明確に、知識人よりも遥かによくものを知って
いる。しかもその事実を、実にしっかりと言明している(フーコー=蓮實 2006[1972], 80-1)」。
スピヴァクはカール・マルクスを引用しながら、これらを批判している。
かれらは自分を代表することができず、
〔だれかによって〕代表されねばならない。か
れらの代表者は、かれらの代表者であると同時にかれらの主人として、かれらの上に
立つ權威として、あらわれねばならない、つまり、かれらを他の階級から保護し上の
ほうからかれらに雨と日光をおくる無制限な統治權力として、あらわれねばならない。
したがって分割地農民の政治上の勢力は、ぎりぎりのところ、執行權力が社會をおの
れに從屬させるばあいにもっともよくわらわれるのである(マルクス=伊藤、北条
1954[1852], 145,〔〕伊藤&北条)。
つまり、フーコーとドゥルーズらは「縮小不可能な方法論的前提としての欲望と権力とい
う主体〔Subject〕」に言及し、
「自己同一的ではないとすれば自己近似的な被抑圧者という
主体〔subject〕
」には触れていない(Spivak 2010a[1988], 248)。スピヴァクによれば、
「さ
らに、主体(Subject)と主体(subject)のどちらでもない知識人たちはリレー競争の中で透明
になっている。だから彼らは代表/表象されない主体を単に報告し、権力や欲望(によっ
て縮小不可能である名無しの主体〔Subject〕)の働きを(分析することなしに)分析する
(Spivak 2010a[1988], 248)」
。知識人たちは被抑圧者である主体(subject)ではなく、権力と
欲望を体現している架空の主体(Subject)を、実際存在するかどうか不確かであるにもかか
わらず、分析対象としている。主体(Subject)は決して縮小されない。つまり主体(subject)
スピヴァクのサバルタン論に関する引用には、主に Spivak(2010a[1988])を用いる。し
かし彼女が改訂している箇所を引用する場合には、改訂版である Spivak(2010b[1999])から
引用する。
25
33
にはなることはできない。主体(Subject)は知識人によって作られたものである。この主体
は他者とは異なる。代表を必要としない主体(Subject)はサバルタンどころか他者でもない
(
「一般大衆は、完璧に、明確に、知識人よりも遥かによくものを知っている。しかもその
事実を、実にしっかりと言明している(フーコー=蓮實 2006[1972], 80-1)」)
。フーコーとド
ゥルーズらは対象が主体であるのか他者であるのかを述べていない。彼らは、自身の周囲
の状況(認識の暴力‐国際的分業)について分析(表象)しないことに加えて、サバルタ
ンを代表しない。
上記の彼女の批判と「
〔米国やヨーロッパのフェミニズム理論・知識を所有するという
、、、、
意味での〕女性の特権を体系的に『学び直す』(Spivak 2010a[1988], 267)」姿勢はサバル
タン女性の(存在の)痕跡が消し去られていることを脱構築することで、代表/表象とい
う政治的問題を明らかにしている。しかしスピヴァクの思想もまた、代表/表象する側(フ
ーコーやドゥルーズのような知識を保持する側、つまり知識人側)による代表/表象がも
つ問題にのみ終始している。彼女は、そこから、
〈他者の苦痛〉を観る私たちの側まで思想
を発展させていない26。スピヴァクは知識人批判のために特権という概念を用いるが、ソン
タグはより漠然とした主体である私たちを批判するために特権という概念を用いる。つま
り〈学び直すこと〉が〈怪しげな特権〉まで及ぶことで、知識人から私たちへ批判対象を
拡張する。
一方、ヴィーナ・ダス(1997)の思考にならえば(本稿 3-4 頁)
、反解釈的思考は〈想像
上の他者〉を捨象している。また第二章で、反解釈的思考にしたがって分析したことから
もわかるように、この思考は私たちの代表/表象の様式・形式のみを分析する。つまりこ
、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、
れは、他者がこのように言われていると示すだけで、他者はこのような人びとであるとい
う他者の本質には触れていない。もちろん、それを考慮しない(解釈しない)ことによっ
て私たちの〈怪しげな特権〉を明らかにし、私たちの反応から行動への過程を述べること
が本研究の主旨である。しかし反解釈的思考がアフリカの他者を無視していることに変わ
りはない。たとえ代表/表象への解釈を避けたとしても、その問題に向き合わなければな
らない。つまり反解釈的思考の中に、主体性の考慮が欠如していることに対処することが
必要である。先述したとおり、スピヴァクはサバルタンの消し去られた痕跡を脱構築する。
しかし(Spivak 2013)では、少し触れている。スピヴァクによると、サバルタンに向き合
うためには、初等教育から改革されていかなければならない。しかし本章で指摘している
想像不可能性からの考察の対象は教育課程にいる人びとだけでなく、その過程を終えた人
びとも含まれる。
26
34
その行動は主体性を非自民族中心的に構築することである。サバルタン・スタディーズの
創設編集者ラナジット・グハはサバルタンを「階級」の一種、
「民衆」とする(Guha 1988, 44)。
グハが定義するサバルタンは周辺に位置しているが、スピヴァクの定義に従えば、サバル
タンは、
「中心‐周辺という表現にさえ含まれず、除外された底辺(Spivak 2010, 266)」の
人びとであるため、周辺の外に位置している。サバルタンといっても、使用者によって定
義は異なる。一方で、本研究における他者は、私たちによって代表/表象の対象とされて
いる人々であるため、周辺に存在している。他者とサバルタンには、周辺の中と周辺の外
という距離がある。スピヴァクの思想は、
〈他者の苦痛〉を観ることの正当性を問うという
より、
〈他者の苦痛〉について述べる(代表する)ことを批判的に分析する。しかしアーニ
ャ・ルーンバが指摘するように、サティ(夫の亡骸とともに自殺する妻)の慣習からイン
ドの女性すべてを代表することはできない(Loomba 1998, 236)。スピヴァクの脱構築よっ
て代表することができないということは、ある主体/客体を対象にしない、あるいは排除
してしまうことである。
第一章では、スーザン・ソンタグの思考を再考し、総合して反解釈的思考とした。第
二章では、彼女の思考を分析軸に、アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉について考察した。
本章では、その反解釈的思考の有効性をサバルタン・スタディーズ、特にガヤトリ・スピ
ヴァクを中心に考察する。代表/表象(representation)の在り方を洗練しているスピヴァク
の思想の中で、反解釈的思考とスピヴァクの思想を比較し、相互補完することで、彼女の
〈学び直す(unlearn)〉姿勢とサバルタンを代表する問題について別の視角を提示する。
第一に、サバルタン論を要約する。スピヴァクの使った概念でよく用いられるのが、
〈サ
バルタン〉と〈学び直すこと(unlearning)〉である。この概念を詳述していく。第二に、代
表/表象の問題点を明確にし、その問題に対して反解釈的思考を比較対象として使用する。
スピヴァクの分析対象は知識人または特定の他者(サバルタン)のみであるため、私たち
または他者へと分析対象を拡張する。つまり私たちを学び直し、他者を脱構築することが
できるかを検討する。その際に、サバルタンという概念の特権視 (Spivak 2010a[1988], 253)
や自民族中心主義的な他者の構築について、あるいはサバルタン女性のために話すことを
目的とした〈学び直すこと〉自体(の男性批判の文脈)についての注意が必要である。
35
第一節 サバルタン・学び直すこと
サバルタン論において、他者(Other)とサバルタンという主体/客体が登場する。スピ
ヴァクによると、他者(Other)とは、
「諸階級の一般の非専門家、非学問的な人びと(Spivak
2010a[1988], 251)」
、例えば、移民労働者(immigrant workers)のような、
「第一世界に直接
近づくことのできる第三世界の諸集団(Spivak 2010a[1988], 259)」である。一方のサバル
タンとは、
「中心‐周辺という表現にさえ含まれず、除外された底辺(Spivak 2010a[1988],
266)」の人びとであり、彼/彼女らは知識人にとって捉えがたい存在である。
、、、
国際的分業の圏域の(完全ではないが)外側で、もし私たちが同一人物〔the Same〕
あるいは自己〔the Self〕に頼り、私たちに関係する同質的な他者〔Other〕のみを構
築することで、
〔第一世界から第三世界への〕善意を終わらせてしまうのならば、私た
ちには捉えることのできない人びとの意識がある。自作農、未組織の農業労働者、部
族民、街頭や田舎の無職の人びと〔zero workers〕がそうである。彼/彼女らに向き合
うことは彼/彼女らを代表する(vertreten)ことではなく、私たち自身を表象する
(darstellen)ことを学ぶことである(Spivak 2010a[1988], 259, 傍点スピヴァク)。
「同質的な他者のみを構築する」行動によって捉えることのできない者たちがサバルタン
である27。スピヴァクは、インド女性の中でも文明世界(大英帝国)から救済の対象とされ
るサティの慣習を持つ女性たちをサバルタンと見做す。彼女によると、
「サバルタン主体の
消し去られた行程のなかで、性差の痕跡は二重に消し去られている(Spivak 2010a[1988],
257)」。言い換えれば、「彼女たちの場合、消費主義の拒絶や撤退、そして搾取の構造は家
父長制的社会関係によってさらにこじれている(Spivak 2010b[1999], 43)」
。
スピヴァクはサバルタンに向き合うことについて、サバルタン論の改訂版『ポストコ
27
自作農や未組織の農業労働者、部族民、街頭や田舎の無職の人びとに加え、グローバリ
ゼーションの下にいる南の最貧困層の女性もサバルタンである。スピヴァクによれば、
「権
力と正当性の場である金融資本市場や多国籍企業の中に、人間味のない「経済的市民」が
いる。そしてもしポスト・フォーディズムや国際的な下請または未組織で永久に臨時雇い
である女性労働者が、現代のグローバリゼーションにおいて、すでに世界貿易の主流にな
っているのなら、「援助」のメカニズムは南の最貧困層の女性によって支えられている。彼
女たちはグローバル規模の闘争(「人口抑制」への反抗、エコロジー)と至る所で私が呼称
するものの基礎を作っている。そこにはグローバルとローカルの境界が不鮮明である
(Spivak 2010b[1999], 42)」
。スピヴァクは「経済的市民」としているが、正確には、
「経済
的市民権(Sassen 1996, 38)」である。詳しくは、Sassen(1996)。
36
ロニアル理性批判』
「歴史」で、少し修正している。彼女によると、「この〔サバルタン女
性〕集団に向き合うということは下部構造の支持の欠如の中でグローバルに彼女らを代表
、、、、、
する(vertreten)ことだけでなく、私たち自身を表象する(darstellen)ことを学ぶことである。
(Spivak 2010b[1999], 42)」
。彼女によると、
「表象(darstellen)することを学ぶ」とは、第一
に、(「知識人と権力」でのフーコーやドゥルーズのような)知識人が無視している国際的
分業に関して述べることを意味する。十九世紀から続く変形とされる国際的分業とは、
「現
地の買弁資本家と保護されずに移動する労働力を通して、一群の国々―第一世界は一般的
に資本を投下する立場にあり、もう一つの集団―第三世界は一般的に投資のための場を供
給している(Spivak 2010a[1988], 257)」状況を指す。第二に、表象はサバルタンを沈黙さ
せている認識の暴力(
「無言のプログラミング機能(Spivak 2010a[1988], 251)」
)を明らか
にすることである。その暴力は、植民地的主体を他者として構成しようとする意識(「同質
的な他者〔Other〕のみを構築する」こと)である。これは、
「危うい主体‐性〔が作られ
ていく〕のなかで他者〔Other〕の痕跡を非対称的に抹消するものでもある。(Spivak
2010a[1988], 249)」28。この一連の表象を基に、サバルタン的主体が沈黙させられてきた痕
跡を明示(脱構築)することが「代表(vertreten)すること」である 。スピヴァクによれば、
サバルタンの痕跡が消されてきた「問題は〔サバルタン〕主体の行程が代表する知識人に
とって魅惑の対象となるように跡づけられてこなかったことである(Spivak 2010a[1988],
254-5)」
。これは魅惑がないからといって代表しないことへの批判と本来代表が必要とされ
るサバルタン的主体がなぜ魅惑の対象でないのかという批判であり、サバルタンへの脱構
築の問題でもある。スピヴァクはこれをサバルタン論で、インドのサティの例から実践に
移し論じている。
次に、国際的分業‐認識の暴力を表象することを〈学び直すこと(unlearning)〉を知識
人は認識しなければならない。ほとんどの知識人は認識の暴力を働かせてしまうかもしれ
ない不安定な知識を保持し、国際的分業の世界において資本を投下する側に生きている。
これを熟慮しないように、知識人は他者を解釈してしまいかねない。スピヴァクはこの態
度を批判している。そして特に、彼女はインド人女性の中でもサティの慣習を持つ植民地
時代の女性をサバルタンと見做し、
〈学び直すこと〉について論じている。
28
さらに、この「第一世界による、他者〔Other〕としての第三世界を流用し、再記すると
いう善意は今日の米国の人文科学において、より基本的な第三世界主義の特徴である
(Spivak 2010a[1988], 259)」
。
37
サバルタン女性という歴史的に沈黙させられた主体(のために聞いたりあるいは話し
たりというより)話すことを学ぼうと探求していくなかで、ポストコロニアルな知識
、、、、
人は、体系的に、女性の特権を「学び直す」。この体系的に学び直すことは、
〔サバル
タン女性を〕被植民者という失われた姿に単に代理させることでなく、それがポスト
コロニアルな言説に最良の道具を与えうることを批評する学習を含んでいる(Spivak
2010a[1988], 267)。
これはジョナサン・カラー29に対しての批判である。この「女性の特権を『学び直す』」と
は、サバルタン女性に話すことを学ぶために知識を得ることのできるという特権を意識す
ることである30。
第二節 スピヴァクの脱構築を〈反解釈〉する
〈他者の苦痛〉は私たちにとって他者に反応するための契機にしかなりえない。これ
が本研究を通しての主張である。第一章では、ソンタグの思考の系譜を総合して反解釈的
、、、、、、、、、、、、、、、、、
、
思考とした。しかし、反解釈的思考は、他者がこのように言われていると示すだけで、他
、、、、、、、、、、、、、
者はこのような人びとであるという他者の本質には触れていない。例えば第二章では、あ
る構造を変えるためにアフリカの〈他者の苦痛〉が用いられているとは述べたが、アフリ
カの人びとがある構造の中でどのように選択し生きているかは述べていない。反解釈的思
考はこのような主体性について述べることはできないので、政治的問題を実践的に分析す
29
ジョナサン・カラーによると、女性が女性として文学を読むには、
「本質とされた性的同
一性に訴え、それに伴う経験を特権化する(Culler 1982, 49)」ことが要求される。さらにカ
ラーはスピヴァクが「彼女の性別を根拠として問題を提示している(Culler 1982, 49)」とす
る。スピヴァクはこれを否定している。スピヴァクは「サバルタン女性が無言であること
が問われないでいるのを問う(Spivak 2010a[1988], 267)」としていることからもわかるよ
うに、カラーとスピヴァクの代表の問題意識は全く異なっている。
30 具体的にスピヴァクがここで指しているのは、女性を形成するものについてである。
「サ
ラ・コフマンによると、フロイトが女性をスケープゴートとして扱うことの不可解な両義
性は、ヒステリー患者に声を与え、彼女をヒステリックな主体へと変えるための当初から
続く欲望への反動‐形成として読まれることがある(コフマン『女の謎』)
。男性的‐帝国
主義的なイデオロギーの形成はこの欲望を「娘の仕掛けてくる誘惑」へと変え、統制され
た「第三世界の女性」を構築する。(中略)「学び直すこと」は、この形成に参与している
ことを、必要ならば沈黙を測定することによって、調査の対象へと関連づけることである
(Spivak 2010b[1999], 48)」
。詳しくは、コフマン(=鈴木 2000[1980])。
38
ることはできない。しかし政治的問題を実践するなら、序章で触れたヴィーナ・ダス(1997)
やジュディス・バトラー(2004)が〈想像上の他者〉を考慮しながら、主体性について論じて
いる。第二章で参照したアフリカに関する既存の研究もその問題に実践的に取り組んでい
る。本研究の問題意識としては、代表/表象の問題の実践的行動について考察しなければ
ならない。それは代表/表象する側によって、自民族中心的に、他者の主体性を構築する
という問題である。
スピヴァクの研究はこの問題を批判的に分析している。彼女のサバルタンに関しての
主な主張は、代表と表象の役割を示しながら、知識人のそれをも喚起している。彼女によ
れば、
この〔サバルタン的主体‐女性〕集団に向き合うということは下部構造の支持の欠如
の中でグローバルに彼女らを代表する(vertreten)〔サバルタン女性が沈黙させられて
きた痕跡を脱構築する〕ことだけでなく、私たち自身〔資本を投下する側による認識
の暴力‐国際的分業、フェミニズム的な女性の知識を得るという特権〕を表象する
(darstellen)ことを学ぶこと〔学び直すこと〕である(Spivak 2010b[1999], 42)。
スピヴァクによるこの表象(darstellen)と代表(vertreten)の問題提起にこそ、ソンタグの反
解釈的な思考が欠点と解答を提示する。
表象(darstellen)においては、ソンタグの〈怪しげな特権〉は表象する対象に当てはま
る範囲を拡張する。反解釈的思考は他者を客体とする判断基準に苦痛を設定する。ソンタ
グによれば、私たちは「他者の苦痛の観客になったり、それを拒否したりする怪しげな特
権 〔dubious privilege〕(Sontag 2003a, 99)」を所有している。スピヴァクの意図する「私
たち自身を表象する」ことは、認識の暴力‐国際的分業と特権について述べることである。
他方、私たちの知識が非学問的であったとしても、現在の国際的分業の下で、ニュース・
新聞・雑誌・著書・論文など様々な媒体から私たちは〈他者の苦痛〉に関する知識を得る。
〈他者の苦痛〉を観ることはこの特権を持っていることを意味し、私たちと他者の間の繋
がりを明示する。ソンタグによれば、「イメージによって〔私たちに〕確認され、他者が負
わされた苦しみへの想像上の〔距離の〕近さは、
(テレビ画面でクローズアップされる)遠
くの苦しむ人びとと特権的視聴者との単なるうその繋がりを示唆する(Sontag 2003a, 91)」
。
この「うその繋がり」は私たちと他者を連関している。この繋がりの名称である〈怪しげ
39
な特権〉はスピヴァクの指す特権とは異なり、知識人から私たちへ対象を拡張する(もち
ろん知識人も含む)
。スピヴァクの思想では、知識人の特権を〈学び直すこと(unlearning)〉
から私たちの特権を〈学び直すこと〉が考慮されていない。彼女は、知識人が認識の暴力
を働かせてしまう知識を持ち、国際的分業に下に存在するからこそ、サバルタンに向き合
わなければならないとしている(Spivak 2010a[1988], 252-9)。しかしソンタグは、私たちは
〈他者の苦痛〉を観ているからこそ、他者に反応-行動しなければならないとする。
〈怪し
げな特権〉を持つ私たちは、知識人のように限定された存在ではなく、「特権的かつ相対的
に安全 (Sontag 2007, 126)」な場所にいる人びとである。
〈他者の苦痛〉を観ることのでき
る環境にいることが、私たちであることを証明する。私たちを対象にする表象とは、私た
ちが冷笑的に〈他者の苦痛〉を観ることを批判することである(Sontag 2003a, 91)。この冷
笑性には、ソンタグによって誠実さが対置され(Sontag 2003a, 99)、私たちが〈他者の苦痛〉
に対し「無垢や浅薄、この度合いの無知や健忘といった権利を有してはいない(Sontag
2003a, 102)」ことを明示する。これは、ソンタグによる〈他者の苦痛〉を観ることの強制
性である。冷笑性の度合いを意味する〈反応の基準〉の低下を示すことが表象であり、ス
ピヴァクの知識人批判を補完する。
両者を補完することによって問題となるのは、表象することよりもむしろ、代表する
(vertreten)ことである。認識の暴力によって消されてきたサバルタンの痕跡を脱構築するこ
とが代表することである。サバルタン的主体とは、スピヴァクにとってはサティの慣習を
持つインド人女性である。彼女は「私たちに関係する同質的な他者〔Other〕のみを構築す
ること(Spivak 2010a[1988], 259)」に注意している。スピヴァクによれば、他者(Other)は
移民労働者(immigrant workers)のような、「第一世界に直接近づくことのできる第三世界
の諸集団(Spivak 2010a[1988], 259)」である。つまり「問題は選択的に他者〔Other〕を定
義することによって、自民族中心主義的な主体〔Subject〕がその主体自体をどのように作
り続けるかである(Spivak 2010a[1988], 263)」
。選択的に定義するとは、他者に語らせるこ
とを意味している。スピヴァクはこの問題について、ジャック・デリダの思想に基づき、
批判する。
デリダは(中略)
(自己を強固にするための他者と反対の tout-autre)完全な他者に「語
りかけ」または「呼びかけ」るのは、そのようなことを用心しているためであり、そ
して「われわれのうちにある他者の声である内面の声を錯乱させる」ためである
40
(Spivak 2010a[1988], 265, 「」の引用は(デリダ=白井 1984[1983], 50-2))31。
スピヴァクは知識人的主体による「自己を強固にするための他者」の構築を否定している。
そして彼女は「自己を強固にするための他者」と対立する他者(サバルタン的女性的主体)
を作りだす。しかし、自己の都合のよい他者(Other)を構築する行動に敵対することで、ス
ピヴァクのサバルタンとは別のサバルタンを彼女は構築してしまっている。スピヴァクは
移民労働者をサバルタン的主体ではないとしている。だが、労働者は彼女が設定する基準
(人種・階級・性差・サバルタン性)から除外されただけであり、あらゆる他者(Other or
other)が苦痛を備えていることもある。
サバルタンの定義は、使用者によって異なる。ラナジット・グハによると、
「民衆」
「サ
、、、、、、、、、、、
バルタン階級」の「カテゴリーに含まれる社会集団や構成要素はインドの人口全体と私た
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ちによって定義された『エリート』の間の差異からなる層を表している(Guha 1988, 44, 傍
点グハ)」。グハの定義するサバルタンはエリートではない人びと、または民衆という意味も
含んでおり、スピヴァクが定義したものとはかなり異なる。グハはサバルタンの定義を続
けている。
、、
「民衆」
「サバルタン階級」を当然占める農村の下層地主、貧窮化した地主、富裕な農
民といった諸階級や諸集団は、ある状況下では「エリート」のために行動することも
あり、そして上記でも説明したように、それゆえにある地方または地域の状況では「エ
リート」に分類されかねない。〔これには、〕歴史家の証拠の綿密かつ賢明な解釈に基
づき分類することは歴史家次第という曖昧さがある(Guha 1988, 44, 傍点 Guha)。
グハの定義に従うと、エリート側に付く人びとと、エリートに付かない人びとは歴史家(知
識人)によって区別される。この区別はサバルタン意識なるものを特権化しかねない
(Spivak 2010a[1988], 253)。これを懸念して、スピヴァクはサバルタンの定義をグハより
も限定している32。
スピヴァクの定義では、サバルタンに位置する主体は、第一にインド人である。第二
デリダの言葉の箇所は、デリダ(=白井 1984[1983], 50-52)から引用した。
さらに、スピヴァクはグハらサバルタン・スタディーズ・グループのこの行為を、エリ
ートではない人びと、つまり人びとの中の差異を見出すことで理念的な存在(民衆、サバ
ルタン)を見つける、としている(Spivak 2010a[1988], 254)。
31
32
41
に、このインド人は資本を投下している側でないだけでなく、それに協力もしていない人
びとである。第三に、このインド人は女性である。第四に、彼女は無言の存在にされてい
る(苦痛の痕跡を消されてきた)。これらの基準を満たし、知識人によってサバルタン性が
承認(脱構築)される。これらの基準(サバルタン性)を満たさずに、サバルタンの名称
を用いると、サバルタンを脱構築する側から攻撃を受けることになる。サバルタンは国際
的分業において資本が投下される側に位置し、投下する側と共犯ではなく、女性であり、
脱構築の対象とされた人びとである。苦痛はその後に追加される。スピヴァクによる脱構
築の過程においては排除された他者がいる。
反解釈的思考は、スピヴァクによるサバルタン的主体を脱構築する行動から外れた人
びとを脱構築される主体とするための緩衝となるものである。これこそが追及されなけれ
ばならない。
ソンタグの場合、基準となるのは〈他者の苦痛〉である。反解釈的な思考とスピヴァ
クの脱構築には、二つの共通点がある。この共通点は反解釈的思考がスピヴァクの基準(サ
バルタン性)を動かすことが可能であるのを明確にする。
〈反解釈〉には芸術作品、〈沈黙〉
や観照といった、解釈を避ける概念がある。ソンタグによると、
解釈そのものが人間の意識の歴史的視点の中で評価されなければならない。いくつか
の文化的文脈では、解釈は解放の行動である。それは死んだ過去を再構成、再評価し、
〔その過去から〕逃れる手段となる。別の文化的文脈では、解釈は反動的で、不作法
で、臆病で、抑圧的なものである(Sontag 1966, 7)。
スピヴァクの脱構築もまた解釈を避けることがある。彼女によると、
「解釈は『意味の導入』
(あるいは『意味を通じての欺瞞』―Sinnhineinlegen)であり、象徴・記号形成である
(Spivak 1976, xxiii)」
。解釈を記号形成・構成であると見做す動因そのものは共通している。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
異なるのは、スピヴァク的脱構築は客体がどのように解釈の対象にされていないのかある
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、
いは無言の状態にされているのかを構築することであり、〈反解釈〉は客体がどのように解
、、、、、、、、、、、、
、、
釈されているのかを述べることである。前者は構造を解体することが本来の目的であり、
、、
後者は構造を提示することが本来の目的である。しかし、結果として両者とも何かを暴露
することにもなる。本来の目的は異なるとはいえ、結果が類似することもある。
反解釈と脱構築が解釈を避けることに加え、両者はある構造の内部にずれを生じさせ
42
ることがある。まず〈反解釈〉は、
、、、、
個々の芸術作品は何かを知るための一つの形式・理論的枠組み・模範型、一つの認識
論を私たちに教えてくれる。しかし絶対性への野心となる媒介を精神的な目標として
見做せば、あらゆる芸術作品が提供するのは、超社会的あるいは超倫理的な機転の模
範型、作法基準である。個々の芸術作品は言われうる、あるいは言われえない(ある
いは表象しうる、表象しえない)ことについて、ある選好の一貫性を指し示す。それ
は言われうる、言われえない(あるいは表象しうる、表象しえない)ことについての
過去に神聖化された支配を転覆することを暗黙的に提示するかもしれないと同時に、
それはそれ自身の一連の限界を発する(Sontag 1969, 31-32, 傍点 Sontag)。
「支配を転覆すること」についてスピヴァクも共通することを述べている。
有力な周縁的テクストを見つけること、決定不可の瞬間を暴露すること、シニフィア
ンという有益な梃子でそれをこじ開けること、在る階層秩序を転倒させること、それ
をただずらすこと、以前から常に銘記されていることを再構成するために分解するこ
と、簡単に言うと、これらが脱構築である(Spivak 1976, lxxvii)。
「支配を転覆すること」と「階層秩序を転倒させること」の二つは、既存の構造から常識
的・恒常的に在るものを暴露することにある。このように〈反解釈〉とスピヴァクの脱構
築は動因を共有する。
反解釈的思考はスピヴァク的脱構築的解釈の「支配を転覆することを暗黙的に提示す
る」
。これは、サバルタン論からはサバルタンと見做されない(スピヴァク的脱構築によっ
て排除された)他者を、再度、脱構築の対象として捉えるための契機である。スピヴァク
はある主体をサバルタンと見做す基準(サバルタン性)に人種・階級・性差・サバルタン
性を設定している。一方の反解釈的思考は基準に苦痛を設定する。言い換えれば、脱構築
から外れたものを、経済的なものの代わりに(あるいは追加して)、苦痛を「抹消の下に
(Spivak 2010a[1988], 249)」おいてみる。これは、第一に、苦痛を経験している人びとを
反応の対象とする(脱構築の対象範囲を拡張する)
。つまり〈怪しげな特権〉に基づき(私
たちと他者の間の繋がりには、人種・階級・性別・サバルタン性が少なからず関わってい
43
るが)
、ソンタグの強制性によって、スピヴァク的基準を無視する。基準(苦痛)を設定す
ると、(エリートであるか問わず)苦痛を経験し、苦痛を経験していない者たちに観られ、
脱構築の対象から除外された他者も反解釈的思考の対象になる。第二に、反解釈的思考は
サバルタンとされなかった他者がどのようにサバルタンでないとされたかを明らかにする
33。そのサバルタンとされなかった理由はこの他者が基準(サバルタン性)を満たしていな
かっただけである。この〈他者の苦痛〉を観照に価する芸術作品へと〈反解釈〉は昇華す
る。これらは「興奮、献身という現象、束縛されたあるいは魅了された状態での判断とい
った何かをもたらす。つまり私たちが芸術を通して得た知識は、
(中略)何かを知ることの
形式または様式の経験なのである(Sontag 1966, 21-22)」
。さらに、
〈他者の苦痛〉を私たち
の行動の契機となるものとして私たちは見做す。その際に問題となるのは、そこから排除
されたサバルタンである。そのサバルタン的主体には、スピヴァクの脱構築の基準(サバ
ルタン性)によって措定されなければならない。これは認識の暴力‐国際的分業を再‐表
象(darstellen)し、そこからサバルタン的主体を再‐代表(vertreten)することによって、反
解釈的思考により消された痕跡を再‐脱構築する。つまり反解釈的思考と脱構築を繰り返
すことによって、これらの行動はあらゆる他者を対象にし続け、両者が解釈を疑い、構造
の内部にずれを生じさせることで、認識の暴力-国際的分業と冷笑性を暴露(表象)し続
けなければならない。
33
「それ故に、
(批評家は彼女のテクストの中で彼女の述べることを彼女が意味しているか
のように振る舞う)基盤の追及として、そして底なしの快楽として、さらなる脱構築は脱
構築を脱構築する。実際は、あらゆる脱構築、これのための道具は、私たちの欲望である。
私たち自身のテクストとは絶えず異なり(私たち自身でないものだけを私たちは欲する)、
それらをいつまでも引き延ばす(欲望は決して満たされない)脱構築的・グラマトロジー
的構造それ自体が、欲望である(Spivak 1976, lxxvii-iii)」
。サバルタンとされなかった他者
がどのようにサバルタンでないかを明らかにすることに関しては、脱構築も可能である。
反解釈がここで有効であるのは、客体を観照に価するものと見做すその芸術的形式至上の
感覚である。これはスピヴァクの基準をまるでなかったかのようにみる。ポストコロニア
ル思想には、常に異質を求める欲望が見られるため、別の欲望でそれを動かす。
44
終章
〈他者の苦痛〉は、決して苦痛を経験した人びと以外が完全に理解するようにはでき
ていない。〈他者の苦痛〉とは私たちが現実にたいして行動するための契機である。
『他者
の苦痛』の中で、ソンタグは〈他者の苦痛〉への反応から行動まで間に、議論の空白があ
ることを指摘している。本研究は、その空白を指摘しながら、〈他者の苦痛〉を観ることの
正当性を考察する視点に立った。
第一章では、第二章でアフリカをめぐる〈他者の苦痛〉を考察するために、ソンタグ
の反解釈的な思考を『他者の苦痛』から取り出した。『他者の苦痛』の中には、〈反応の基
準〉や〈怪しげな特権〉という概念がある。私たちは〈他者の苦痛〉を観ることのできる
〈怪しげな特権〉を所有しているからこそ、他者に反応しなければならない。しかし私た
ちは〈他者の苦痛〉を観ることで冷笑的になってしまい、その現実が存在しないものとし
て、行動に移さずに同情し、無関心になってしまうという〈反応の基準〉の低下がある。
私たちが反応しなければならない理由は私たちが〈他者の苦痛〉を観るという行為そのも
のの根源に求められなければならなかった。この思考過程において、ソンタグの〈反解釈〉
がある。彼女によれば、芸術作品とは、私たち(観る者)にとって模範的な様式・形式を
備えたものである。つまりソンタグは〈他者の苦痛〉を芸術作品のように見做し、そして
それらを模範的なものを備えたものとして、
〈他者の苦痛〉に注意し、反映・学習・調査す
るための契機とする。既存のソンタグ研究では、
〈反解釈〉や〈沈黙〉について述べている
芸術論と〈反応の基準〉や〈怪しげな特権〉についての政治哲学が結び付けられていなか
ったため、
〈反解釈〉の残滓が『他者の苦痛』からは見つけられていなかった。ソンタグの
思考を総合して、反解釈的思考とすることで第一章を終えた。
反解釈的思考は〈他者の苦痛〉への無関心や非行動的同情という種類の解釈を避け、
批判する。第二章では、この思考から、アフリカをめぐる〈他者の苦痛〉の様式・形式を
示した。第一に、苦痛の理論的位置は移動する。武内進一はコンゴ紛争を国家/システム・
レベルに焦点を絞ることによって、複雑な紛争を分析し、アフリカを野蛮・未開とする枠
組みを避けている。しかし武内はその中で、個人レベルの苦痛ではなく、よりマクロなレ
ベルの資源が搾取されていることに注目している。個人レベルに対象を絞り、システム・
レベルへと問題を転換するのは、主にマスメディアの役割となっている。マスメディアは
45
個人の苦痛を措定することによって、コンゴ人の苦痛から、国際市場を背景に資源紛争が
勃発したことへと議論が移っている。これには、個人とシステム・レベル間に苦痛の移動
が見られる。しかし、コンゴ人女性アディラの苦痛に対しては、想像可能である範囲を超
えているため、私たちは彼女を現実として措定できない。私たちはそれを否定するために
苦痛を受けた側の立場に自己を置くことも可能である。しかしそれは、私たちは苦痛を与
えている側にいるとする者たちから批判を受けることになる。その苦痛が私たちにとって
このような思考の不安定さをもたらすものでしかないと観てしまえば、私たちがアディラ
を観照に価する客体として見做していないことを意味している。
次に、女性をめぐるものとして、大池真知子は女性による自己記述について言及して
いる。他者による自己記述とはいえ、アフリカの物語を日本に輸入してしまえば、それに
は解釈が追加される。ここでは、輸入した側による意義を見つける作業が行われている。
つまり〈他者の苦痛〉に意義を与えることで、エイズの問題を提起し、現地の慣習を変え
ようとする。〈他者の苦痛〉にはある欲望を達成しうる道具主義的な特性を備えているので
ある。
最後に、ルワンダのポスト・ジェノサイドを代表/表象した〈他者の苦痛〉も現実へ
の認識を促す道具の役割を備えている。ルワンダの人びとは自身の生活を守るために、ジ
ェノサイドを忘れるように努力している。それをスザンヌ・バックレイ‐ジスタルは「選
択された健忘症(Chosen Amnesia) (Buckley-Zistel 2006)」として、苦痛を経験していない
人びとを説得するように、議論を展開している。ルワンダ・ジェノサイドの被害者が加害
者である隣人の近くに住むという状況下で、他に行くあてのない被害者たちは、生きてい
くためにジェノサイドを忘れようとしている。そういった状況を理解しようと、
「選択され
た健忘症」は用いられる。つまり彼/女らは追憶を拒否(忘却)することで異常と判断さ
れる状況に馴染もうとしている、と私たちに理解される。いわば、これは苦痛を私たちに
理解・想像させるための翻訳された一言語となる。そのような代表/表象の様式/形式で
もって〈他者の苦痛〉を観ることは外縁の観客であるという(
〈怪しげな特権〉を持つ)証
明になる。
〈他者の苦痛〉を理解するにあたって、私たちは道具としての代表/表象を必要
とする。代表/表象は〈他者の苦痛〉の相関物でしかなく、私たちの行動を促す記号でし
かない。
第三章では、サバルタン・スタディーズ、特にガヤトリ・スピヴァクを中心に、知識
46
人とサバルタン、私たちと他者について考察した。スピヴァクは主に人種・階級・性差・
サバルタン性を中心にしてサバルタンに注目しなければならないとした。しかしそれでは、
基準(サバルタン性)から外れた他者は対象とならないことになる。また〈学び直すこと〉
の対象を知識人に絞っているため、限定された範囲のみの理論であった。そのため三章で
は、ソンタグの〈怪しげな特権〉を組みいれることによって、知識人のみを対象とするこ
とで狭い範囲の理論を展開し、サバルタン以外の他者(もスピヴァクのいうサバルタンで
ある可能性があるにもかかわらず)を捨象してしまっているというスピヴァクの思想の欠
点を浮き彫りにし、ソンタグの基準(苦痛)を組み入れることによってスピヴァクの脱構
築を〈反解釈〉的に考察した。
反解釈的思考は〈他者の苦痛〉の様式・形式を示し、契機を促す。だが、ソンタグと
は異なり、ヴィーナ・ダスやジュディス・バトラーのような〈他者の苦痛〉を観る正当性
を問う研究は他者の主体性を重視している。彼女たちはいわば他者を構築しながら、その
、、、、、、、、、、、、、、、、、
正当性を模索している。一方の反解釈的思考は、他者がこのように言われていると示すだ
、、、、、、、、、、、、、、
けで、他者はこのような人びとであるという他者の本質には触れていない。第二章では、
アフリカの他者をめぐる代表/表象が、どのような様式・形式であるかを述べただけであ
り、アフリカの人びとは苦痛に苛まれていると代表/表象されているが、実はそのような
ことはない、といった主体性の構成に関しては全く述べていない。松田素二のいったよう
な、私たちが「人々の生活世界からアフリカを捉えなおす(松田 2002, 13)」ことによって、
アフリカの人びとを「外部からの諸条件と葛藤し選択し対処する主体(松田 2002, 13)」と
するようなことはしていない。反解釈的思考と主体性の記述、両方を達成することはでき
ない。
それは同時に、政治的問題を実践できないだけでなく、ある代表/表象の問題に対処
できなことも意味する。代表/表象の様式・形式を述べる反解釈的思考は、代表/表象の
もつ「私たちに関係する同質的な他者〔Other〕のみを構築すること(Spivak 2010a[1988],
259)」を示すことはできるが、批判することはできない。この問題について批判している
のは、スピヴァクによるサバルタン論である。彼女によれば、移民労働者(immigrant
workers) の よ う な 「 第 一 世 界 に 直 接 近 づ く こ と の で き る 第 三 世 界 の 諸 集 団 (Spivak
2010a[1988], 259)」である他者(Other)を、知識人たちは、自己の都合のよく主体性を与え
作りあげてしまうことがあり、スピヴァクはこれを批判している。
しかしスピヴァクはサバルタンとサバルタンを捨象する知識人のみを分析対象にして
47
いる。これは、スピヴァクが定義するものとは別のサバルタン(痕跡を消された他者)を
作りだしてしまう可能性がある。スピヴァクは移民労働者をサバルタンとしていない。し
かし、それは彼女の設定する基準(階級、人種、性別、サバルタン性)を満たしていない
だけである。
(もちろん移民労働者はスピヴァク以外に対象とされるので「痕跡を消された」
とはいえないけれども)彼/彼女らが苦痛を経験していることも推測できる。これを示す
ことが、反解釈的思考がこの他者(サバルタン)構築の問題に対処する一つ目の役割であ
る。もう一つは、スピヴァクの基準(サバルタン性)を無視して、苦痛を基準とすること
でスピヴァク的脱構築が捉えそこねた対象を捉えることである。さらにその対象を観照に
価する客体と見做すことで、
「何かを知ることの形式または様式の経験(Sontag 1966, 21-22)」
とする。もし反解釈的思考がサバルタン的主体の痕跡を消し去ってしまったのなら、スピ
ヴァクの脱構築によって、この主体を再‐代表しなければならない。両者は繰り返される
ことで、対象を捉え続ける。
反解釈的思考には、スピヴァクのサバルタン論の脱構築と同じように排除の論理が働
いている。例えば、この思考では、先進諸国の他者でない人びとの苦痛は捨象される。こ
れは、私たち(戦争地のような苦痛を経験したことのない側)と他者(戦争地のような苦
痛を経験した側)を明確に分けることで、私たちは私たちの内部の苦痛を観ることができ
なくなる。資本が投下される側に位置し、苦痛を体験したと措定される者たちに対象が限
定される。苦痛が措定されなければ機能しないのなら、この思考には排除の論理が働いて
しまっている。他方、私たちを表象すること―知識人‐私たちの限定の拡張は、国際的分
業の資本を投下する側に位置し、苦痛を体験したことのない者たちに限られる。つまり他
者の内にある〈私たち〉が重要な役割を果たしていることを見逃してしまう。
この欠陥は、ある苦痛を備えているものを芸術作品としてみなす〈反解釈〉と痕跡を
消された者(サバルタン)をたどる脱構築―代表すること及びあらゆる主体を表象するこ
との改良へと展開せざるを得ない。何を基準と見做すか、あるいはサバルタンをどう定義
するか、私たちとは誰か、このような正当性を問い続ける思考変成が〈他者の苦痛〉を観
る際には、必要である。
このように〈他者の苦痛〉は理解することも、想像することも、または分析すること
も容易ではない。これらを観ることは様々な問題を熟慮しなければならない。これらを観
ることは人の残虐な嗜好性を悪化させてしまうため(Sontag 2003a, 91)、このようなものを
48
流通させることは正しいのか、いったい何の権利があって〈他者の苦痛〉を拡散するのか、
日常的に苦痛を経験することのない人たちが他者の側に立ち、
〈他者の苦痛〉を解釈してよ
いのか、しかしそもそも他者とは誰か、他者と呼ぶことが正しいのか、何が苦痛なのか、
苦痛について述べることは正しいのか、どのような基準を満たし正しいと言えるのか、こ
のような問題を考え続けることが〈他者の苦痛〉を観ることには必要である。
私たちの了解なしに入ってくる契機としての他者の苦痛の代表/表象は決して苦痛を
経験した人びと以外が完全に理解し想像できるようには構築されていない。
49
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