アズハルと 2011 年エジプト革命

公開講演会「文明の変革期における宗教の役割」
主催:東京国際大学国際交流研究所
2015 年 5 月 30 日
アズハルと 2011 年エジプト革命
長沢栄治(東京大学東洋文化研究所)
・お話の狙い “変革期のイスラーム社会における宗教の役割”の事例紹介
・最近のめまぐるしい動き 「アラブの春」から「イスラームの冬」へ?
2011 年 1・2 月
→同年夏~秋
チュニジア・エジプトで民衆革命による大統領追放
リビアとシリアで内戦激化
2013 年 1 月アルジェリアで日本人人質殺害事件
7 月エジプトのムルシー大統領の解任(6 月 30 日革命)
同胞団弾圧
2014 年 6 月 ISIS(ISIL:ダーイシュ)がモースル市を制圧、カリフ制の復活を主張
11 月ムーバラク元大統領デモ隊殺害容疑無罪判決
2015 年 1 月シャルリー・エブド襲撃事件
ダーイシュによる日本人人質殺害事件
3 月チュニジア・バルド博物館観光客殺害事件
5 月ムーバラク元大統領公金横領容疑禁固 3 年判決
ムルシー元大統領に脱獄容疑で死刑判決の判断
・
「アラブの春」という言葉の問題性 〈民主化〉原理主義
背後にある偏見:イスラームと近代/民主主義は相いれない
「遅れてきた春」だったのか “欧米からの上から目線”
・アラブの人たち自身の表現
チュニジア「ジャスミン革命」ではなく「自由と尊厳の革命」
・革命(サウラ thawra)の二つの意味
「民衆蜂起」と「体制変革」
第一次世界大戦中の「アラブの反乱(サウラ)」から
ナセルによる 1952 年「エジプト革命(サウラ)」への変化
「革命は起きた」しかし「革命は終わっていない」という表現
国民国家の成熟・再編成のプロセスとしてのアラブ革命
三つのアラブ革命(サウラ)の時代
(1)第一次世界大戦~1920 年代: アラブの反乱とサイクス=ピコ体制
(2)1950・60 年代: ナセルの革命とアラブ民族主義の台頭~没落
(3)2010 年代 →
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国家を作る三つの動きとその対抗・連携関係
(1)域外からの介入の動き:帝国主義の領土分割(サイクス・ピコ協定)~イラク戦争
(2)上からの近代化改革の動き: ムハンマド・アリー アタチュルク ナセル
(3)下からの土着的(イスラーム的)動き: ワッハーブ運動 →ISIS(ISIL)
※相互に結びつき、対抗し合いながら、若者・市民による革命を潰してきたこと
→『世界』6 月号(栗田禎子氏・黒木英充氏との座談会)
→東京大学東洋文化研究所夏季公開講座(7 月 7 日(火)13:30~「中東の激動を読む―「ア
ラブの春」論を越えて」)
今回のお話のねらいは、革命下のエジプトで、国民国家の再編あるいは国家と社会の関係
の組み直しの過程において、イスラームがどのような位置づけを与えられてきたのかを、
歴史的な流れの中で考えてみることにあります。
政治と宗教/国家と宗教の関係は現実の歴史ではどのように展開してきたか。
イスラームにおける政教一致、イスラーム国家とは何かなどの議論についての見方を示す。
(参考)オスマン帝国はイスラーム国家だったか:林佳世子『オスマン帝国 500 年の平和』講談社
拙稿「アズハルと2011年エジプト革命」『ODYSSEUS』(東京大学総合文化研究科地域文化研究
専攻紀要) 別冊2(2014)2015 年 3 月発行
はじめに
2011 年エジプト革命とイスラーム:関心の寄せられたテーマ~イスラーム主義の台頭と限
界(ムスリム同胞団の政権獲得と挫折 サラフ主義者の台頭 憲法改正問題)
1.アズハルとその歴史
(1)現在のアズハル-ナセル時代の改革
アズハル(al-Azhar)とは何か
新アズハル組織法(2012 年 13 号法)による定義「アズハルは、エジプトおよび世界のその
他の国において、イスラームに関係する諸事項、その諸学、その遺産、その法学的・近代
思想的イジティハード(教義決定の努力)に関する最終的な権威を代表する」
(同法第 2 条)
旧アズハル組織法(1961 年 105 号法)による長い定義「アズハルとは、イスラームの遺産
の保全とその研究、その解明(タジリヤ)、その伝道を行ない、すべての諸国民に対してイ
スラームの宣託(リサーラ)を保持する責任を持ち、人類の進歩と文明の発展、そして現
世および来世のすべての人々に安寧と平穏と静逸の保障を図るために、イスラームの真実
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とその伝統を顕現する、イスラームの最大の学術的機構である<以下、省略>」
アズハル機構 Hay’a al-Azhar「モスク、ウラマー組織、大学、中・高校、法学委員会、教導
組織、出版局などを包含する学術・教育機構」
(小杉泰「アズハル」大塚和夫ほか編『岩波
イスラーム辞典』岩波書店、2002 年。)アズハル大学 Jāmi‘a al-Azhar はその一部、ナセル時
代の改革で総合大学化(現在、男子学部 40、女子学部 16)
。
同じ改革により、イスラーム研究アカデミーの設置と大ウラマー機構の廃止
アズハル高等委員会・アズハル担当大臣=国家統制の手段の強化
アズハル総長(Shaykh al-Azhar; Grand Imam; Rector)の大統領任命制
※ナセルの翼賛体制への組み入れ 対外宣教・公教育の拡大 近代アズハル改革の到達点
(2)アズハルの歴史-国家との関係
・ファーティマ朝の新都カイロの中央モスクとして西暦 970 年創建。<預言者の娘、聖フ
ァーティマの尊称「光り輝く者 Zahrā’」に由来する名前> マドラサ(学院)「世界最古の
大学」? → アイユーブ朝による閉鎖 →再開(1250/1172~ 1267 年)
・1383 年アズハル監督官(ナーズィル)職の設置(ブルジー・マムルーク朝)
・オスマン朝のエジプト支配とアズハル総長職の設置(17 世紀後半?)
:最初から任命制
マムルークに代表される軍事的支配者(
「城砦(カラア)の人々」
)と民衆を仲介する役割
(3)近代国家とアズハル
・ムハンマド・アリーの改革体制とアズハル・ウラマー
①ワクフ(宗教寄進財産)への
国家介入 ②近代西洋的教育制度 ③法制度の近代化(脱イスラーム法化)
・アズハル改革の三側面:(1)国家の介入 (2)制度的近代化 (3)伝統的権威の保持と発展
(1)1885 年アズハル行政委員会→1909・11 年アズハル高等委員会 →1936 年アズハル組織法
(2)1896 年近代的学位制度導入・マアハド(専修学校)設置 1930 年大学「伝統三学部」制
(イスラーム学、シャリーア、アラビア語) (3)大ウラマー機構 Hay’a Kibār al-‘Ulamā’
→ナセルによる改革へ →2011 年革命による変化
アズハル総長の国王任命の制度化=1923 年憲法 他の主要な宗教機関の長も国王任命(コ
プト派キリスト教徒総主教・大ラビ・アハマディーヤ教団長)
カリフ制問題と議会勢力の介入
2.2011 年エジプト革命とアズハルの対応
(1)近代エジプトにおける革命とアズハル
・反フランス占領軍闘争 シャイフ・オマル・マクラムの活躍
・エジプト三大革命(オラービー運動 1919 年革命 1952 年 7 月革命)
共通するパターン:アズハル上層部の体制寄り態度と下層・若手ウラマーの運動参加
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(2)革命直後のアズハルの対応
前総長ムハンマド・タンターウィー(在位 1996-2010 年)の悪評
現総長アハマド・タイイブ(1946 年生まれ)の出自と経歴 賢明な行動とバランス感覚
総長への任命直後に与党国民民主党政治局委員を辞任
革命当初、総長の「中立」的姿勢、しかし共和国ムフティー等上層部は体制寄りの態度 →
アズハル批判と若手ウラマーの弁明
→イスラーム研究アカデミー緊急会議で総長が「辞
任」を表明し、同アカデミーメンバーにより「再選」=自主選挙制の道を開く
「アズハルの独立」要求:総長の大統領任命制の廃止と大ウラマー機構の復活
(3)若者・リベラル勢力との協調-「アズハル文書」と新憲法制定
アズハルと革命の「三つの主役」
:①若者・リベラル勢力 ②ムスリム同胞団 ③軍
→長沢『エジプト革命
アラブ革命変動の行方』平凡社新書 2012 年
鈴木恵美『エジプト革命
軍とムスリム同胞団、そして若者たち』中公新書 2013 年参照
長沢「「7 月 3 日体制」下のエジプト」『石油・天然ガスレビュー』49.2、2015 年 3 月号
2011 年 3 月:暫定憲法の国民投票:軍の示した「行程表」
(議会選挙→大統領選挙→新憲法)
賛成したムスリム同胞団・サラフ主義(イスラーム厳格主義)者の勝利
⇔反対した若者・リベラル勢力(
「憲法を最初に!」)の敗退 →アズハルへの接近
「アズハル文書」Wathīqa al-Azhar(2011 年 6 月 19 日):国家とイスラームの関係の原則
“聖職者的な宗教国家”の否定 自由な直接選挙による民主的制度 アズハルの独立性
2012 年憲法をめぐるイスラーム主義勢力(同胞団・サラフ主義者)との確執
(4)イスラーム主義勢力との確執
同胞団とサラフ主義者:<共通点>「在野(アズハル外)」勢力・「平信徒(非ウラマー)」
知識人 ⇔ <相違点>明確な政治綱領と組織性の有無、サウジなどの支援
サラフ主義者:一貫してアズハルと敵対・緊張 有名モスクの占拠事件 ファトワー乱発
同胞団:最初は融和 憲法制定で敵対 タマッルド運動期に決定的対立 昔の恨み
(5)アズハルに対する軍の庇護
王制時代以来の関係(
「軍とアズハルは王冠の両翼」
) 「赤と黒」
アズハル組織法改革と軍の関与?
3.2012 年アズハル組織法改正とその歴史的背景
(1)アズハル組織法改正にいたる経緯
2011 年年末、同法改正委員会のターリク・ビシュリー元判事とアズハル総長の秘密会談
2012 年 13 号法(軍政下ガンズーリ内閣):2012 年 1 月 19 日
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新人民議会開会の 4 日前 同胞団・サラフ主義者の介入を避けるために(軍と連絡して?)
急いで公布(最終的には 2013 年 3 月シューラー〈諮問〉議会で修正後承認)
セリーム・アウワほかの批判
(2)新アズハル組織法の内容
①アズハルの独立性の明記
②アズハル総長の選挙による選出
③アズハル機構の組織改革 政府による統制条項の撤廃
④大ウラマー機構の復活
むすびにかえてー議論の小括
「アズハルの独立性」と何か
今回のアズハル組織法改正でアズハルは初めて国家からの独立性を回復したのか?
・
「国家の指」としてのアズハル高等委員会の「世俗的」性格
・近代以前と以後で異なる「独立性」の意味
経済的(財政的)独立性の問題
・2012 年(同胞団)憲法とその改正(2014 年憲法) 下線部の削除
第 4 条「高貴なるアズハルは、独立した総合的イスラーム機構である。アズハルは、自ら
に係る事柄の実施を、独占的に管轄する。アズハルは、エジプトおよび世界におけるイス
ラームの布教、宗教諸学およびアラビア語の普及を担う。シャリーアに係る事柄について
は、高貴なるアズハルに付属する大ウラマー機構の意見が聴かれることとする。
国は、アズハルがその目的を実現するために十分な財政基盤を保障する。
アズハル総長は、独立し、罷免されない。大ウラマー機構の構成員のなかからアズハル総
長を選出する方法は、法律で定める。
これらは、法律の組織するところによる」
(竹村和朗氏訳による)
・近代国家と一体化したアズハル 政治介入・政治不介入の姿勢と「超越性」の確保
「アズハルは“エジプトの家”
」(革命の若手ウラマーの一人の発言)
「エジプトはアズハルの国」
(シャイフ・シャアラーウィー)
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Abstract
Title: Al-Azhar and the 2011 Egyptian Revolution
Speaker: Eiji Nagasawa (Institute for Advanced Studies on Asia, the University of
Tokyo)
The problem of “Independence” of al-Azhar became one of central issues of state-religion
relationships in Egypt during the 2011 Revolution. This report attempts to explain a
brief history of al-Azhar, the principal center of Islamic Studies in Egypt and in the
Sunni Islamic World and its reforms in modern times at first, then to describe its
relations with major actors in the revolution, and finally to analyze the new al-Azhar
Organization Law (2012 No.13 Law) in its historical context. The contents of the report
is following:
Introduction: the historical perspective of the Arab Revolution
1. A Brief History of al-Azhar
(1) Contemporary Al-Azhar after the Reform in Nasser’s Era
(2) Al-Azhar in Pre-Modern Times
(3) Modern State and al-Azhar Reform
2. The Response of al-Azhar to the Revolution
(1) Al-Azhar and Revolutions in Modern Egyptian History
(2) Al-Azhar at the Time of the Uprising
(3) Al-Azhar and Revolutionary Youth and Liberal Forces
(4) Al-Azhar and Islamists (the Muslim Brothers and Salafists)
(5) Al-Azhar and the Army
3. The New al-Azhar Organization Law and its Historical Background
(1) The Political Background of the New Law
(2) The Contents of the New Law: Independence of al-Azhar; Election of Grand
Shaykh; The Organization Reform; Revival of the Body of Senior Scholars
Conclusion