2015年 8月号

地 域 の 話 題
福 島
能とともに隣接川内村
へ避難した。震災 5日
孫世代ために
故郷を取り戻したい!
後には郡山市に移り、
その後彼は親族のい
る埼 玉 県へ 行く。5 月
避難指示区域内
建築士の生き様
に新地町での耐震改
修の設計依頼があり、
避難区域(経済産業省 HPより)
福島市を拠点とした。その間、彼以外の家族 5 人は近隣
遠藤知世吉 遠藤知世吉・建築設計工房
県の茨城・栃木・埼玉などを経て、震災 5カ月後からいわ
き市に住んでいた。翌年、町議会議員に立候補、当選。
福島市郊外インターチェンジ近くのレストランにて待ち合わ
その年に仕事の拠点も福島市から家族が住むいわき市
せる。5 分前に駐車場に着くと、同時にいわきナンバーの
の工業団地内仮設事務所に移り、3 年後に同市内の現
ハイブリッド車が止まった。2 年ぶりの再会。事務所協会
の役員会で福島市に来るタイミングに合わせ、多忙な彼
住所に住居と事務所を移転した。
「その間のことを書くと
1 冊の本ができる」
と話す。ほかの家族の動きも聞いたが、
に話を聞いた。
それは把握することさえ難しく複雑だった。その間の家族
東京電力原発事故避難指示区域内の建築士会双葉
6 人の心境を思うと心が痛む。
支部長と事務所協会相双支部長を兼ねる遠藤一善氏
(54)
を紹介する。彼は建築設計事務所・建設会社の経営
ほか、消防団員、森の案内人など、建築だけでない多く
の活動に携わっている。初めて会ったのは 30 代初め、青
富岡町は事故を起こした東京電力福島第 1 原発と停
止中の第 2 原発の間にある。彼は
「前からまちづくりに関
心があり、震災が後押しとなり町議会議員に立候補した。
今は復旧よりも町の再生と思っている」
と言う。直近 1 週間
年会議所福島県ブロック協議会出向のときだった。彼は
の仕事内容を聞くと、月曜=避難指示区域内震災被害
周りを明るくする人で、その素養は今も変わらない。震災
調査書類まとめ、火曜=建設業の仕事、水曜=震災被
翌年、全域が避難区域の富岡町(人口約 1.5 万人)議会議
害調査、木曜=議会と建設業、金曜=議会と事務所協
員になる。震災後に会うのは 3 度目、詳しく話を聞くのは
会、土曜=設計事務所の仕事、日曜=消防団富岡町パ
今回が初めてである。
(無人の町内監視活動)
トロール
―と多種にわたり、いわき市・
木材製材業家の長男として生まれ、埼玉県で大学院、
双葉郡・郡山市・福島市間を飛び回っている。
助手そして設計事務所勤務を経て、1991(平成3)
年に故郷
「避難指示が解除されれば、すぐ帰りたい」
と言う。
しかし
「花と緑があふれる町」
富岡町に戻る。故郷の良さを再認
昨年 10 月の富岡町民アンケートによると、現時点で戻りた
識、子供たちを自然の中で育てたいとの思いからだった。
震災時、彼の住む富岡町夜の森は海から4kmにある
いと答える人が 11.9%と多くはない。
「町に若い人が住まな
いと意味がない。ここ10 年か 15 年自分たちが頑張り、若
高台で津波の被害はなく、地震の被害は住まい・事務所
い人が戻ってきやすい環境をつく
り、つなげていきたい」
「そ
ともに瓦が落ちた程度だった。地震直後は避難誘導など
こにいないと分からないことがあり、
どこが危険かも分から
の消防団活動に追われ、次の朝、消防団員として町機
ない。だから富岡に留まる。木材を90 年かけ孫のために
植樹するように、孫世代のため故郷を取り戻したい」
と木材
製材業家の長男として生まれた彼は笑顔で語ってくれた。
この 6 月、政府は同じ避難指示区域の福島県楢葉町
(人口約 7,400 人)
への避難指示を8 月に解除する方針を示
した。解除されれば 3 地域目になる。新たな局面を迎え
現在の夜ノ森駅前通り
(遠藤一善氏提供)
2015年8月号 no.1241
遠藤一善(かずよし)氏
ている今、建築界の果たすべき役割は大きい。
地域の話題
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