地 域 の 話 題 福 島 能とともに隣接川内村 へ避難した。震災 5日 孫世代ために 故郷を取り戻したい! 後には郡山市に移り、 その後彼は親族のい る埼 玉 県へ 行く。5 月 避難指示区域内 建築士の生き様 に新地町での耐震改 修の設計依頼があり、 避難区域(経済産業省 HPより) 福島市を拠点とした。その間、彼以外の家族 5 人は近隣 遠藤知世吉 遠藤知世吉・建築設計工房 県の茨城・栃木・埼玉などを経て、震災 5カ月後からいわ き市に住んでいた。翌年、町議会議員に立候補、当選。 福島市郊外インターチェンジ近くのレストランにて待ち合わ その年に仕事の拠点も福島市から家族が住むいわき市 せる。5 分前に駐車場に着くと、同時にいわきナンバーの の工業団地内仮設事務所に移り、3 年後に同市内の現 ハイブリッド車が止まった。2 年ぶりの再会。事務所協会 の役員会で福島市に来るタイミングに合わせ、多忙な彼 住所に住居と事務所を移転した。 「その間のことを書くと 1 冊の本ができる」 と話す。ほかの家族の動きも聞いたが、 に話を聞いた。 それは把握することさえ難しく複雑だった。その間の家族 東京電力原発事故避難指示区域内の建築士会双葉 6 人の心境を思うと心が痛む。 支部長と事務所協会相双支部長を兼ねる遠藤一善氏 (54) を紹介する。彼は建築設計事務所・建設会社の経営 ほか、消防団員、森の案内人など、建築だけでない多く の活動に携わっている。初めて会ったのは 30 代初め、青 富岡町は事故を起こした東京電力福島第 1 原発と停 止中の第 2 原発の間にある。彼は 「前からまちづくりに関 心があり、震災が後押しとなり町議会議員に立候補した。 今は復旧よりも町の再生と思っている」 と言う。直近 1 週間 年会議所福島県ブロック協議会出向のときだった。彼は の仕事内容を聞くと、月曜=避難指示区域内震災被害 周りを明るくする人で、その素養は今も変わらない。震災 調査書類まとめ、火曜=建設業の仕事、水曜=震災被 翌年、全域が避難区域の富岡町(人口約 1.5 万人)議会議 害調査、木曜=議会と建設業、金曜=議会と事務所協 員になる。震災後に会うのは 3 度目、詳しく話を聞くのは 会、土曜=設計事務所の仕事、日曜=消防団富岡町パ 今回が初めてである。 (無人の町内監視活動) トロール ―と多種にわたり、いわき市・ 木材製材業家の長男として生まれ、埼玉県で大学院、 双葉郡・郡山市・福島市間を飛び回っている。 助手そして設計事務所勤務を経て、1991(平成3) 年に故郷 「避難指示が解除されれば、すぐ帰りたい」 と言う。 しかし 「花と緑があふれる町」 富岡町に戻る。故郷の良さを再認 昨年 10 月の富岡町民アンケートによると、現時点で戻りた 識、子供たちを自然の中で育てたいとの思いからだった。 震災時、彼の住む富岡町夜の森は海から4kmにある いと答える人が 11.9%と多くはない。 「町に若い人が住まな いと意味がない。ここ10 年か 15 年自分たちが頑張り、若 高台で津波の被害はなく、地震の被害は住まい・事務所 い人が戻ってきやすい環境をつく り、つなげていきたい」 「そ ともに瓦が落ちた程度だった。地震直後は避難誘導など こにいないと分からないことがあり、 どこが危険かも分から の消防団活動に追われ、次の朝、消防団員として町機 ない。だから富岡に留まる。木材を90 年かけ孫のために 植樹するように、孫世代のため故郷を取り戻したい」 と木材 製材業家の長男として生まれた彼は笑顔で語ってくれた。 この 6 月、政府は同じ避難指示区域の福島県楢葉町 (人口約 7,400 人) への避難指示を8 月に解除する方針を示 した。解除されれば 3 地域目になる。新たな局面を迎え 現在の夜ノ森駅前通り (遠藤一善氏提供) 2015年8月号 no.1241 遠藤一善(かずよし)氏 ている今、建築界の果たすべき役割は大きい。 地域の話題 031
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