東京鐵骨橋梁百年史126頁

沿革編
グと東京ガスビルディングが建設されることとなった。ともに
ラスを形成する複雑さ、そして構成する部材の量たるや尋常な
1981(昭和 56)年、当社で鉄骨製作を請負ったが、中でも大
ものではなかった。そこで自社導入した鉄骨 3 次元 CAD/CAM
型の工事となったのが後者の浜松町ビルで、総鋼重 1 万 3,500 t
システム(詳細は後述)をフルに活用して製作に必要な加工情
中 7,860 t を受け持ち、久方ぶりの大型受注となった。施工者の
報を導き出したほか、仕口部材の精度管理などに慎重を期しな
清水建設からは厳しい品質管理要求がなされ、製作工期も
がら千葉臨海工場と取手工場で手分けして製作した。建築物と
10 ヵ月と短かったが、製品単品の精度のみならず工事現場に
しては珍しく、地組立を経て施工するという事例であった。全
おけるスパン精度の確保まで細心の注意を払い、工期も 1 ヵ月
体鋼重で 11,500 t に及ぶ大規模な工事で、うち当社は 2,300 t を
短縮して納めることができた。
受け持った。なお、幕張メッセ関連では 1990 年代半ばに北ホー
浜松町と隣接する当社本社(当時)のお膝元、芝浦・港南地
東芝ビルディング(東京都港区芝浦)
幕張テクノガーデンもまた、幕張新都心の一翼を担うべく建
の字地区」とされ、業務施設と共同住宅を中心に整備する計画
設されたオフィスビルである。24 階建て超高層 2 棟と低層棟 5
がなされ、元当社芝浦工場跡地では、まず日本航空田町ビル(現・
棟からなり、延床面積 20 万 9,755㎡は当時国内でも 1 ∼ 2 を争
JAL 田町ビルディング)の建設が着工され、1982(昭和 57)
う規模であった。ここでは高層棟の鉄骨製作を部分的に請負っ
年に当社が鉄骨製作を受注した(当社分 2,006 t)。更に芝浦清
た。なお、この時期に幕張ではセイコー電子工業幕張新社屋(現・
水ビル(当社分 3,200 t)、芝浦ビル(現・日本電気計器検定所
S Ⅱ幕張ビル、当社分 5,465 t)・NTT 幕張ビル(現・NM ビル、
本社、当社分 1,065 t)の建設も始まり、当社周辺でも 1986 年
当社分 2,570 t)・シャープ新都心ビル(当社分 856 t)などの高
以降に鉄骨受注が続いた。この内の芝浦清水ビルは、竣工後に
層ビルも手掛けた。
芝浦周辺では田町駅と浜松町駅のちょうど中間にツインビル
のシーバンスが建設された。中でも清水建設の新本社(当時)
が入居する S 館は、1988 年に当社ほか 4 社で鉄骨製作を受注(当
日本航空田町ビル(現・JAL 田町ビルディング)
(東京都港区芝浦)
BOX 柱に板厚 45 ∼ 80㎜の TMCP 鋼板を使用したことが特徴
ンペに参加し、その中から旧都庁舎と同様に丹下健三の設計案
であり、実物大の試験体を用いた溶接性等の実験や、試験体の
が採用された。高層ビルが林立する西新宿の中でも地上 48 階
一部を使った載荷試験も行い、品質を確認した上で製作を開始
建て・高さ 243m と最も高く、竣工時には池袋のサンシャイン
した。なお 1989(平成元)年には、ツインビルのもう 1 棟とな
60 を抜いて当時国内随一の高さとなった。総鋼重 4 万 6,000 t に
る N 館の鉄骨(当社分 3,333 t)も受注している。
及ぶ鉄骨の製作は 1988(昭和 63)年に当社を含め 11 社で受注し、
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当社はその内の 5,730 t を担当。柱は超高層ビルで多用される典
型的な大型ボックス柱だが、1 本で 35 ∼ 38 t もの重量があった。
1980 年代の半ば、都市再開発のキーワードとして関心を集
取手工場で建築用鉄骨の製作を行っていた第 1・第 2 工場では
めた言葉に「ウォーターフロント」があった。米国の臨海部・
取り扱いが困難なため、橋梁専門と位置付けていた第 3 工場で
わが国の神戸市での成功例に刺激を受け、千葉県の東京湾沿い
製作を担当する異例の対応をとった。製作と併せて 11 ∼ 20 節
1986(昭和 61)年には国鉄(現・JR 東日本)京葉線海浜幕張
駅も開業して交通インフラも整い、機は熟していた。
新都庁舎(建設中、東京都新宿区西新宿)
(20 ∼ 46 階)の現場施工も請負い、連日 30 ∼ 40 人の鉄骨・溶
接技術者を動員して工事を完遂へと導いた。
時代は前後するが、庁舎の建設では 1979(昭和 54)年に受
幕張新都心の開発において中核的な役割を担ったのが、広大
注した前橋市・新庁舎も特徴ある実績となった。地下 2 階・地
な敷地を必要とするイベント・コンベンション施設としての日
上 12 階建ての SRC 造(一部 S 造)で、建物の中央部と両翼に
本コンベンションセンター(以下、幕張メッセという)である。
鉄板壁を設け、柱は十字柱で構成されている。現場施工にあたっ
中でも鉄骨製作を5社で分担施工した国際展示場棟は、5万4,600
ては現地の施工条件に合わせて立向姿勢での炭酸ガス半自動溶
㎡という東洋一の広さにして 6,800㎡の無柱空間を 8 ユニット
接を選び、事前に同等条件での溶接訓練を経てから本番に臨ん
持つ。その構造形式を一言でいえば「ラーメン型立体トラス構
だほか、十字柱の組立時に熱影響による変形を未然に防ぐ工法
造」となるが、東西方向で長さ 516m に及ぶ極めて特殊な構造
を新たに考案し、製品精度の向上を図った。
であった。
幕張メッセ(建設中、千葉県千葉市美浜区)
この時代に手掛けた建築鉄骨工事の中で特に著名なのは、東
京都の新都庁舎である。日本を代表する名立たる建築家らがコ
の幕張を舞台に当時国内最大級の幕張新都心開発が進み始めた。
幕張テクノガーデン(千葉県千葉市美浜区)
東京都庁などの庁舎やドーム、
ミュージアムを手掛ける
社分 3,441 t)したほか、現場施工は当社が一括して受注した。
東京湾ウォーターフロント開発の幕張新都心
シーバンス(東京都港区芝浦)
ルの建設が進められ、ここでも鉄骨製作を請負った。
区でも開発が進んだ。当社周辺は港区の開発計画(当時)で「田
当社が一部を取得している(詳細は後述)。
◉ 第 7 章 逞しい成長の軌跡を描いて
新都庁舎(竣工)
同じく前橋市では市政 100 周年事業の一環で前橋公園イベン
幾何学的な線形に基づいた格点の空間座標は、当社施工分だ
トホール(グリーンドーム前橋、当社分 2,155 t)の建設が計画
けでも約 4,000 点に及び、これらが 3 次元継手となって立体ト
され、当社は 1988(昭和 63)年に下部鉄骨の一部と中心のリ
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