ネパール大震災視察報告 (2015/6/24-27 カトマンズ訪問) 平成 27 年 6 月 28 日 RID2700ICS 委員長 真鍋卓朗 2015/06/26 AM7:17 ここはコカナ村にあるユバ・プラティバスクール[01] RID2700 ネパール学校支援事業で 2002 年に建設した。 被災地とは思えないほど、早朝の校庭は穏やかだ 今年の 2 月に訪問した時、耐震工事が終わったばかりだった、 おかげで壁に傷などは見えない。 校舎の壁には政府が貼りつけた緑の安全マーク [02] が有る、赤のマーク[03]を貼られると使用禁止になる。 2015 年 4 月 25 日に発生したネパールの大地震(M7.8)は 9000 人余りの死者を出した。国際空港から市内に入 る道沿いは、何もなかったかのように普通の生活が流れている。崩れた建物もすぐには目に入らない。 今回 2700 地区(福岡)の熊澤ガバナーの動きは早かった、熊澤 G は阪神淡路大震災の緊急医療活動に携わった 経験が有り初期活動の大切さを熟知している。4 月 30 日には 2700 地区 61 クラブに向けて震災支援金のお願い を通達する。 熊澤 G の熱意にこたえ各クラブからの支援金は 5,455,946 円にも達した。 5 月 8 日に 1,999,986 円、 6 月 9 日に 3,441,169 円を送金し、6 月 24 日東海大付属 5 高インターアクトの浄財 14,791 円を持参した。 2700 地区の義援金を託したのは 18 年来の付き合いが有るヤラロータリークラブ、幸いにも 47 人の会員は無 事だ。会員の多くが被災しているにもかかわらず、彼らの動きは格段に早かった 4 月 27 日には地震対策委員会 を立ち上げ支援活動を始めた。地域を手分けし調査をした。多くの民家が崩壊したことを知り仮設小屋の設置を 即座に開始する。 ヤラ RC は前期ディレンドラガバナーを輩出し地区内での発信力は強い、3292 地区(ネパール&ブータン)だけ でも 100 万ルピーをヤラ RC の地震対策委員会に託した。日本との物価差を考えれば 2700 地区に集まった支援 金の倍以上の価値になる。前期に続き 4G のガバナー補佐であり AITM カレッジのプロモード教授が地震対策委 員会のリーダーになった、プロモード GA の知恵と実行力が素晴らしい。 調査の結果、2700 地区の支援金で 120 ヶ所の仮設小屋を即座に計画し、現在までに 28 ヶ所 が完成。弱者を優先して 10 項目の救済基準も決めた。雨季という事もあり伝染病対策として、 40 の村でトイレや安全な飲み水の設置、衛生管理の教育などを絵付きポスター[04]で実施する。 コカナ村は 940 軒の内 795 軒が被災した。震源地から 80km もあるのにレンガだけ の家は軒並み崩れた。[05]左の家は上階の瓦礫を道にかき出し、残った壁にトタンを 載せて生活している。多くの人は余震の心配をしながらいつ崩れるともしれない部屋 で生活している。家を無くした家族は無事な親戚がいれば疎開する、どこにも行け ない人たちが、国際援助のテントや仮設小屋を待ち、皆が譲り合い生活をしている。 [06]ここでお婆さんと娘と孫の三人が亡くなっている。この村で犠牲者[07]が 六人しか出な かった方が逆 に不思議だ。 都会では考えられないような光景が田舎で展開している。 震源地では建物の形もないという。 コカナ村には 6 世帯入る避難小屋[08]が完成していた、 土壁は暑くなくて快適らしいが、中の間仕切りはほぼオープン でプライバシーは全く無い。 仮設小屋の形態も地域により様々だ、 予算は一ヶ所 2 万ルピー(2 万 5 千円)だが平均 3 万ルピー以上はかかる、 不足分はコミュニテーや他の寄付から充填する。 即座に提供できたのがかまぼこ型の避難小屋[09・10]、工場 で生産したU字の鉄枠にトタンを張るだけ、その横にある小さな テントでも多くの人が生活しているが、毎日雨の中、人間らしい 生活は出来てないと思う。 カトマンズから約二時間半、標高 2000m の高地でも実施している[11・12]、トタンだけをカトマンズから運び 柱は現地の材木を手引きで柱にする。大変貧しい村だが山頂にある景色は素晴らしい 崩れた建物のわずかな隙間に避難小を[13・14]建築中、お爺さんの一人暮し、壁は竹を編み土壁にする。 プロモード教授はネパールに合った再生を[15-19]を提案している。崩壊した家はほとんどが土壁と赤レンガで 出来たもの、瓦礫とセメントを混ぜてレゴブロックみたいな物を作りそれで家を建てると 14,500US$で出来る、 相場の半値以下だ、鉄筋も入り耐震効果も有る。何よりも瓦礫を破棄する必要もなく、材料代も節約できる。 近隣の 12 の学校の補修をこの方法で再建する予定、多くの若者たちが無報酬でのボランティアに参加する、 なぜならその工法を学べば 10 年以上仕事は繁盛するはず。ネパールの産業の半分は観光、世界遺産は殆ど壊滅、 トレッキングも登山道が崩れている、観光産業は壊滅と言っていい。逆に数百万戸の復興事業が長期的な需要と して出てくるはず。ブロックを作る機械も安価だという。今建設している避難小屋はあくまでも仮住まいです。 政府の支援はほとんど進んでない。世界中から支援金や物資が届いているが公平を規す為と言いながら、現実 は今困っている人たちに全く行き届いてない。ロータリークラブなどの支援団体が積極的に実行すれば、政府の 支援も加速するでしょう。 2700 地区 ICS 委員会は長期的な支援を考慮し「ネパール震災復興&就学支援プロジェクト」を立上げます。
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