1602Hikari_no_joudo

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神通寺定例法座
あったかおでんをいただきます!
お昼 1 時と、夕方 7 時、2 回のご法座がつとまり
しょうしんげ
ます。正 信偈を唱和した後、住職よりご法話があり
さ
わ かい
こんしんかい
ます。 お昼は茶話会、夕方は懇親会がありますので、
ぜひお出かけください。
3 月は、あたたかいおでんを用意しておまちしてお
ります。お腹をすかせてお参り下さいませ。
神通寺報
PM1:00 〜
( 木 ) 〜
PM7:00
JINZUJI
おお の みつ お
2 月の定例法座では、八軒町の大 野 光 夫 さんより、
煮干し醤油の中華そばを振る舞っていただきました。
ほら ぐち よし たけ
れんにょしょうにん
ご ぶん
また、昭和町の洞口義武さんより、蓮如上人の御文
しょう
章 を自身で訳して下さり、披露していただきました。
ぶっぽうだんぎ
おかげさまで、尊い仏法談義の時間を過ごすことがで
きました。ありがとうございました。
第 269 号
(2016 年 2 月号)
〒 506-0021
高山市名田町 5-30
明林山 神通寺
住職 朝戸 臣統
0577-32-3614(TEL/FAX)
カラー版神通寺報はこちらから!→
[email protected]
www.jinzuji.com
神通寺報 配布スタッフの皆様(敬称略)
不破 朝子・三枝 勝・黒田 はな・中垣 久美子・中澤 一弘・塚本 清洋・中田 泰子・永富 登代子・
石垣 美代子・洞口 義武・松尾 衿子・片岡 節子・畠山 正一・松本 文男・阿多野 正昭・
柴田 和子・安藤 礼子・成畑 瑛子・松川 浩幸・大萱 勝・谷口 忠雄・若田 義隆・千原 繁・
大野 光夫・原田 尚子 1
第 269 号(2016 年 2 月号)
ひ
か
り
じ
ょ
光の浄土
う
ど
景ポイントでもあります。水平線の向こうまで広がる
広大な海を見ながら、光り輝く素晴らしい景色を見る
と
昨 年 は、 島
おう
根の義父が往
そかい
おし
ことができました。
じょう
わさん
☆★☆★☆★☆★
しょうしんげ
き を よ く「 海 」 に 喩 え て 下 さ い
たと
道中で休憩しながら、綺麗
ます。
うみ
親鸞聖人は、正信偈や和讃の中で、み教えのはたら
しんらんしょうにん
生の素懐を遂
げ、 実 家 へ ク
ルマで何度も往復しました。お見舞い、葬儀、法要と、
に輝く日本海を眺めること
ほうねんもんか
ができました。
仏弾圧という法難に遭われる中
あ
天候が荒れると、海は人間
で、 越 後 国 に 流 罪 と な ら れ、 居
ほうなん
さ れ た 後、 三 十 五 歳 の と き に 念
の力を寄せ付けませんけれ
多ヶ浜に上陸されたと伝えられ
た が は ま
こ
ども、穏やかなときは素晴
て い ま す。 そ の 後 の 数 年 間 を
越 後 国 で 過 ご さ れ ま し た。 身 を
るざい
らしい眺めが広がります。
も っ て、 広 大 な 海 の は た ら き を
えちごのくに
出雲市多伎町で休憩した
ときにであったのは、夕陽
感じていかれたのでしょう。
いずもしたきちょう
が傾きかけた穏やかな海で
ひゃくせん
百選」に選ばれている、絶
ゆうひ
し た。 こ こ は「 日 本 の 夕 陽
は、 荒 れ 狂 う 海 の 荒 波
一 つしに
ょうじ
くかい
を、「 生 死 の 苦 海 」 と 示 さ れ て、
海というのは、大きく二
つ の 側 面 を 持 っ て い ま す。
九歳で法然門下に入ら
二十
たりきねんぶつ
き え
れ、 他 力 念 仏 の み 教 え に 帰 依
「拝読 浄土真宗のみ教え」より。
第 269 号(2016 年 2 月号)
2
ぼんのう
煩悩の海に沈む私のあり方を明らかに
夕陽に輝く、出雲市多伎町の海岸線。
しんらんしょうにん
親 鸞 聖 人 は、 私 の い の ち の 行 き 先 で あ
じょう ど
ひかり
る お 浄 土 を、 光 の は た ら き で あ る と 示 さ
うしお
さ れ ま す。 も う 一 つ は、 全 て の 川 の 水
れます。
いちみ
を 受 け 入 れ て、 一 味 の 海 潮 と な っ て い
つ つ し ん で 真 仏 土 を 案 ず れ ば、 仏 は す な
くどく
しょうしんげ
ぶっぽう
そし
(正信偈より)
ふ か し ぎ こ う に ょ ら い
むりょうこうみょうど
けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい
しんらんしょうにん
げん
ど
じょう ど
むりょうこうみょうど
むりょうこうみょうど
ど
しんぶつどかん
ばしょてきひょう
ひかり
真仏土巻より)
らも光のはたらきなのです。
ひかり
現( 土 ) が「 無 量 光 明 土 」 で あ り、 ど ち
が「 不 可 思 議 光 如 来 」 で あ り、 場 所 的 表
ふ か し ぎ こ う に ょ ら い
ぶつ
く「 本 願 海 」 と 示 さ れ て、 煩 悩 を 抱 え
は ち こ れ 不 可 思 議 光 如 来 な り、 土 は ま た
えにゅう
おか
あん
たままの私がさとりの功徳に至ること
これ無量光明土なり。
つみ
く どく
しん ぶつ ど
のできるはたらきを明らかにされるの
(顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類
ぼんしょう ぎゃくほうひさ
ほんがんかい
です。
は、 さ と り の 世 界 と は「 光 」
親鸞聖人
おっしゃ
じんかくてきひょうげん
ぶつ
で あ る と 仰 る の で す。 人 格 的 表 現( 仏 )
ひじり
しゅじょううみ
凡 聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海
い
いちみ
に入りて一味なるがごとし。
ぼんぶ
な
凡 夫 も 聖 も、 罪 を 犯 し た り 仏 法 を 謗
あ み だ さま
ほん がん
る 者 も、 阿 弥 陀 様 の ご 本 願 を よ り ど こ
さと
ろとして歩む身と成らせていただいた
むみょう
くら
浄 土 が「 無 量 光 明 土 」 で あ る と い う
お
こ と は、 限 り な い 光 の は た ら き と し て 私
を照らして下さるということです。それは、無明の暗
たいかい
か ら に は、 必 ず 悟 り の 功 徳 に い た る の
です。どのような川の水であっても、大海に入ってい
闇を抱えて生きている私を照らし出し、進むべき方向
やみ
けば同じ海の味になっていくことができるのです。
ぼん
を明らかにして下さるはたらきだということです。
ぼん ぶ
しんらんしょうにん
親鸞聖人は、照らされて明らかになった私の姿を、
☆★☆★☆★☆★
りなく広大な海のはたらきは、あらゆる凡夫の煩
の限
う
く どく
てん
悩を包み込み、功徳の水へと転じて下さいます。
☆★☆★☆★☆★
第 269 号(2016 年 2 月号)
3
正信偈を唱和するご門徒の皆さん。
ぼん ぶ
ぼんのう
あ
み
だ さま
からこそ、煩悩を抱えながらも、必ず阿弥陀様の
ほだ
んがんかい
いち み
本願海に包み込まれて一味となることのできるいのち
凡夫と言い当てられまし
た。
むみょうぼん
をいただいているのです。今の私の人生を支え、照ら
ぼん ぶ
「凡夫」といふは、無明煩
して下さるはたらきとして届けられているのです。
のう
よく
み
悩われらが身にみちみち
いち み
こ
じょうど
もう
み
ひかり
あ
た
が はま
☆★☆★☆★☆★
う しお
えちごのくに
て、 欲 も お ほ く、 い か り、
しんらんしょうにん
は ら だ ち、 そ ね み、 ね た
親鸞聖人は越後国で、居多ヶ浜に沈む夕陽の光に、
広 大 な 浄 土 の は た ら き を 重 ね 合 わ せ て 下 さ い ま し た。
じょうど
そ こ に 開 か れ る の は、 私
むみょうせい
の無明性を照らして下さる
やみ
むこころおほくひまなく
無明煩悩の闇を抱えたわたしのいのちの行き先を、光
むみょうぼんのう
し て、 臨 終 の 一 念 に い た
り輝く浄土の海潮に一味となっていく世界であると示
いち ねん
る ま で と ど ま ら ず、 き え
されるのです。
いちねんたねんもんい
りん じゅう
ず、たえず
(一念多念文意より)
ひ
ねんぶつ
「浄土の光」をよりどころと
じ
じこちゅうしん
むみょうぼん
限りない光のはたらき
に照らされた明らかに
し て 歩 む 人 生 で す。 お 念 仏
だ さま
じょうど
な っ た 私 の 姿 は、「 無 明 煩
のう
み
だ さま
申 す 人 生 と は、 浄 土 に 支 え
あ
くらやみ
悩」から離れられない私の姿でありました。自己中心
むみょう
ら れ、 阿 弥 陀 様 の ぬ く も り
せい
性という、無明の暗闇を抱えているこの私に、慈悲と
にかなう生き方をめざさず
ち
え
智 慧 を そ な え た 阿 弥 陀 様 の は た ら き が、 無 量 の 光 と
とな
にはおれない生き方なので
な
なって届けられているのです。
われ
わ
す。
かなら
すく
必ず救うぞ。我にまかせよ。我が名を称えよ。
美味しい中華そばをご馳走になりました。
第 269 号(2016 年 2 月号)
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