日本史 名古屋大学 文 , 情 報 文 化 学 部 ( 社 会 シ ス テ ム 情 報 学 科 )( 前 期 ) 1 / 4 問題Ⅰ A 問1 国家が地方の鉱山に技術者を派遣するなど、国家主導の形での開発がすすめら れ、武蔵・周防・長門では銅、陸奥では金などの鉱山資源が採掘された。 問2 貨幣の元型を粘土板で挟んだもので鋳型をつくり、溶かした銅を流しこみ、銅 が冷えて固まった後、型から外し、鋳棹から切り離して一枚一枚整形した。 問3 この土地の経営方式は賃租経営である。1年と年限を区切って周辺農民に貸し 出し、春の耕作前に賃、秋の収穫後に租とよばれる、賃料である地子を徴収し た。地子は地域により違いがあるものの、収穫の5分の1程度とされた。 B 問4 荘園経済が発展し、安定した価値のある宋銭が日宋貿易で大量流入したため。 問5 代銭納といい、領主に年貢や公事を、収穫物ではなく銭で納める方式。 ©河 合 塾 2016年 日本史 名古屋大学 文 , 情 報 文 化 学 部 ( 社 会 シ ス テ ム 情 報 学 科 )( 前 期 ) 2 / 4 問題Ⅱ 問1 鎌倉幕府は武家法として御成敗式目を定めた際、それは武家社会だけに適用さ れるもので、公家法や律令法と並立し、その修正を迫るものではないとした。 問2 (正式名称)雑訴決断所 鎌倉幕府の引付を受け継ぎ、おもに所領問題などの訴訟の裁決にあたった。 問3 京都の警察権・民事裁判権や、土倉・酒屋などへの商業課税権を吸収した。 問4 禁中並公家諸法度での紫衣授与の規定が守られなかったため、幕府は後水尾天 皇の紫衣勅許を無効とし、抗議した大徳寺の沢庵らを処罰した。この紫衣事件 で、幕府の法度が天皇の勅許に優先することが示された。 問5 光格天皇の父閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を宣下したいとの朝廷の申し入 れ に 対 し 、松 平 定 信 は 拒 否 し 、関 わ っ た 武 家 伝 奏 を 処 分 し た 。こ の 尊 号 一 件 は 、 幕府・朝廷の協調関係が崩れる契機となった。 ©河 合 塾 2016年 日本史 名古屋大学 文 , 情 報 文 化 学 部 ( 社 会 シ ス テ ム 情 報 学 科 )( 前 期 ) 3 / 4 問題Ⅲ 問1 a 平戸 b フェートン号 d 四カ国条約 e 加藤友三郎 c パークス 問2 日本の近代法整備を評価し、ロシアの東アジア南下に警戒感を高めたため。 問3 扶清滅洋を唱える義和団が北京の列国公使館を包囲し、清も宣戦布告した。こ の北清事変は列国に鎮圧され、北京議定書が結ばれ清の弱体化が進んだ。 問4 青島を占領してドイツの山東権益を接収し、赤道以北の南洋諸島を占領した。 問5 アメリカの原爆投下やソ連の参戦を招くなか、本土決戦の声をおさえ、無条件 降伏を勧告するポツダム宣言を受諾して、アジア・太平洋戦争を終結させた。 ©河 合 塾 2016年 日本史 名古屋大学 文 , 情 報 文 化 学 部 ( 社 会 シ ス テ ム 情 報 学 科 )( 前 期 ) 4 / 4 問題Ⅳ 問1 蘭学は医学など実学中心に発展し、幕府は蛮書和解御用を設置して蘭学研究を 統制下に置く一方、幕政を批判する蘭学者に対して蛮社の獄などで弾圧した。 問2 初等教育の教科書が検定制から国定制にかわり、国家主義教育が徹底された。 <別解> 小学校令改正で義務教育を無償化し、さらに年限を4年から6年に延長した。 問3 大日本帝国憲法では天皇主権で、国民は臣民とされ、諸権利が制限されたが、 日本国憲法では国民主権とされ、国民の基本的人権の尊重が規定された。 問4 近世後期に、読み・書き・そろばんを教える寺子屋が普及した。明治政府は学 制で小学校を設立し、小学校令以降義務教育制を整え、就学率が向上した。一 方、教育勅語に基づき国家主義教育が進められ、戦時下に国民学校令で徹底さ れた。戦後は教育基本法で民主的理念を謳い、学校教育法で新学制を定めた。 ©河 合 塾 2016年
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