公共政策形成と世論の 新たなステージ

公共政策形成と世論の
新たなステージ
―― 東日本大震災以後のエネルギー・環境政策を題材に ――
村上 圭子
NHK 放送文化研究所メディア研究部
1
問題意識
3.1
民主党政権下のエネルギー・
3.2 自民党政権下の原発を巡る
世論調査
3.3 もう1 つの国民的議論
1.1 代議制の抱える課題
1.2 公共政策形成と世論
2
環境政策と世論
2.1 二項対立を乗り超える 宣言
2.2 「国民的議論」に至るまでの課題
2.3 「国民的議論」
の課題
2.4 二項対立の狭間に沈んだ
「国民的議論」
3
自民党政権下のエネルギー・
環境政策と世論
原発依存度 20 ∼ 22%
というエネルギーミックス
4
公共政策形成と世論の
新たなステージに向けて
4.1 熟慮型 世論調査
4.2 討論型世論調査の新たな模索
4.3 ミニ・パブリックスのネットワーク
4.4 マスメディアの取り組み
1
問題意識
も各政党がどんな社会を目指すのかを比較考慮して投票することが可能と
なった。とはいえ政党,
政治家の側の,
あえて票が割れる二項対立のテーマ
を争点化させない,耳触りのいい内容を掲げがち,等の傾向が解消された
相応しい判断を行っていくため,その判断に世論をどう接続させていくか。
わけではない。また有権者の側も,中長期的な国のあり方より自らの暮ら
その際の世論とは何を指すのか。これが本稿のテーマである。筆者は後述
しにつながるテーマに重きを置きがち,パッケージ化された公約全てに賛
する「討論型世論調査」について日本で実施される前から興味を持ち,そこ
同して投票するわけではない,等の状況がある。だからこそマスメディア
から公共政策形成と世論との関係について関心を広げてきた取材者である。
の議題設定機能が問われるのだが,その存在感の低下に加え,有権者に投
個別の調査の専門家でなければ世論の理論研究者でもない。しかし,だか
票の際にどのテーマを重視するかを尋ねてその順位を投票前に報じるとい
らこそ,変容し続ける世論を取り巻く現状を俯瞰し,少しでもその全体像
う,議題設定機能を有権者に委ねるかのような報道も日常化している。さ
に迫れるのではないかと考えている。冒頭で,なぜ今このテーマを考える
らに災害や外交問題等突発的事象の発生も合わせ考えると,数年に一度の
必要があるのか,筆者の問題意識を明らかにしておきたい。
選挙のみで後は白紙委任では,国民の納得が得られる政策が実施され続け
る保証はない。国を二分する判断困難な政策についてはなおさらである。
1.1 代議制の抱える課題
2 つ目は,公共政策形成の実質的なイニシアチブを握るのは原案をデッ
本来,困難な政策課題に判断を下すことこそが政治の究極の役割である
サンする官僚であるということである。日本の官僚機構は,かつては戦後
といっても過言ではない。本稿の射程は国政だが,国政では,選挙で国民
日本の経済成長の陰の立役者として全世界に紹介されたが 1),バブル崩壊
の負託を受けた国会議員がこうした判断を行う責任を負う。政治の専門家
後は一転して成功体験にすがり既得権益を守り続ける存在とされ,批判の
としての熟慮や国会の熟議に対する国民の期待は言うまでもない。これが
標的となってきた。右肩上がりの経済状況下で社会インフラの効率的な整
現在,多数の国家が採用する政治システムであり,いついかなる時もこれ
備を前提にデザインされた組織が,成長が鈍化した課題先進国の現実に適
が有効に機能するなら,世論を公共政策形成に接続させようと考える必要
応障害を起こすのはある意味当然である。政治家はこうした国民の批判を
はない。しかし今日,この代議制が様々な課題を抱えていることは多くの
背に受け,政治主導を謳い文句に官僚機構の改革を図っていくが,この取
専門家が指摘するところである。どんな課題があるのか。今日の日本にひ
り組みは時に天下り問題や業界との癒着の追及等の国民向けのアピールに
きつけ筆者なりに大きく 3 つに整理しておく。
陥りがちで,マスメディアによる官僚叩きも激化した。このことは,官僚
1 つ目は代議制の根幹を支える選挙を巡る課題である。制度そのものや
機構を国民の批判を過度に気にする内向き組織には変えたが,それによっ
進む低投票率化という課題もさることながら,ここでは,国民が直接,政
て本質的な改革がどれだけ進んだかは不明である。二項対立が続く困難な
党,政治家から政策が聞ける機会であるという点に絞って述べる。
政策課題ほど,官僚の影に産業界等ステークホルダーの旧態依然とした体
日本では 2003 年の衆議院議員選挙(以下,衆院選)以降,マニフェス
質は温存されていると思われる。
トが定着してきた。個々の公約を実現していく方法や期間,財源等が事後
3 つ目は,社会が向き合わなければならないテーマや課題が,複雑化,高
検証可能な形でパッケージ化されて示されるため,国民は従来の選挙より
度化していることである。地球環境や民族問題等のグローバルレベルでの
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第 3 章 世論が生まれる社会の困難 255
公共政策形成と世論の新たなステージ
国を二分する議論や二項対立が続く困難な政策課題に対し,社会がより
取り組みを半世紀以上続けてきている。最近はネット上のポータルサイト
つてのように増え続ける見通しのない富の再分配と,今後増え続けること
等も,政治意識等に関する調査に取り組んでいる。
が確実に予想される “ 負担の分配 ” によって考えなければならないのであ
また SNS 等の書き込みをビッグデータ解析し,意見募集や Q&A による
る。また科学技術がその進展と共に抱えることになった倫理的・法的・社
応答型調査ではなく,web 上の人々の履歴が形作る “ 仮想の社会 ” から市民
会的課題,いわゆる,トランスサイエンス 2)の領域も広がっている。さら
の意見や社会の雰囲気を抽出する取り組みも注目され,様々な主体によっ
に厄介なのは,長年に渡り二項対立が慣性化してきた政策課題のうち,基
て取り組まれ始めている。発信層に限定される制約はあるものの恣意性や
地問題,安保法制等,臨界点を迎えつつある課題が増えていることである。
バイアスがかからないマーケティング手法としてビジネスの分野では既に
本稿で扱う,東日本大震災(以下,大震災)後の日本社会が,原子力発電
定着しており,これを公共政策の分野にも応用していこうという流れは今
(以下,原発)とどう向き合いながらエネルギー・環境政策を進めていくの
後も広がっていくであろう。
かという課題は,上記のいずれにも当てはまる極めて判断困難な政策課題
もう 1 つ,政策形成への接続を強く意識しているのが,無作為抽出を始
である。
めとした何らかの方法で一般市民を集めて “ 社会を縮図化 ” し,テーマに
関するバランスの取れた情報を基に,専門家の意見も聞きながら討論する
1.2 公共政策形成と世論
“ 熟慮の過程 ” を組み込む「ミニ・パブリックス 4)」という欧米発の取り組
こうした中,公共政策形成に世論を接続させる重要性は日増しに高まっ
みである。手法は複数あるが現状認識と目的は以下で一致している。一般
ていると思われる。しかし,そもそも接続させるべき世論とは何なのだろ
市民の多くは,日頃はあえて複雑な社会問題や公共政策に対して関心を持
うか? これまでも世論を可視化すべく個々の主体による様々な取り組み
たない合理的無知 5)状態や,社会のムードやメディアの情報に流されやす
が行われてきたが,近年,“ より確からしい世論 ” を捉え,それを政策形成
い状態にある。そうした中で実施される既存の世論調査においては,回答
に接続しようとする新たな動きが生まれている。筆者はこれを公共政策形
者は質問に対して十分に考えることなく反射的に回答する(させられる)
成と世論の新たなステージと考えている。この議論に入る前に,個々に行
傾向が否めない。そのため,調査と討論を組み合わせることで,“ 練られ
われている現在の取り組みを主体別に確認しておきたい。
た世論 6)”,
「国民感情」ではなく「公的意見」= “ 輿論 7)” を導き出し,最
まず政策形成に接続を求める国民の側である。厳密にはプロの社会運動
終的な結果とそこに至る過程を政策形成に接続させていこうというもので
家と運動に賛同する人々に分ける必要があると考えるが,ひとまずここは
ある。1970 年代後半から欧米で取り組まれ始め,1990 年代後半からは日
同義とする。国会前や省庁周辺等での座り込みやデモを始め,個別テーマ
本でも海外事例の紹介と共に実験的に模索されてきた。主体としては公共
において国民投票を求める
3)
動きや,国政と地方政治を接続させて地方自
政策に接続させる国民の側,接続する(反映する)政策形成者の側,それ
治法上の首長リコールや住民投票の実施を求める動き等の直接民主主義的
らの共催等様々な活用があるが,代議制に取って代わる直接民主主義的手
手段がとられてきた。
法ではなく代議制を補強する手段として開発されてきたというのがポイン
マスメディアは,様々な政策課題においてその時々の国民の声を世論調
トである。
査で定量的に測定し,結果を報じることで間接的に政策形成に接続させる
最後に,国等の公共政策形成者側の取り組みである。2005 年,行政手
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第 3 章 世論が生まれる社会の困難 257
公共政策形成と世論の新たなステージ
課題の解決から,国内の地域や個々人の間の格差の是正に至るまでを,か
る特別世論調査,パブコメ,意見交換会,各種団体による意見表明を参考
パブリックコメント(以下,パブコメ)が制度化された。最近は制度によ
に決定を行った事例がある。しかしこの際はあくまで国が主体となって意
らない意見募集も実施されている。また第一次小泉政権以降,タウンミー
見聴取したもののみを横断的に検証し,また新たな潮流であるミニ・パブ
ティング,意見交換会等の名を掲げ,国民と閣僚・官僚等が重要な公共政
リックスの手法も取り入れられていなかったことから,
2012 年の民主党政
策について直接対話する集会も全国で開催されている。
権の取り組みを最初のケースと位置づけたことを断っておく。
以上挙げてきた多様な取り組みはそれぞれ特徴があって長所も短所もあ
筆者はこれまで日本で行われた全ての討論型世論調査並びに,2012 年
り,可視化できる国民の声の内容も違う。しかし,広義な意味で世論と扱
に実施された模索の現場の取材を行い,その後 2013 年に行われた,
「国民
われることも少なくなく,安易に使われがちな “ 民意 ” との区別も曖昧で
的議論」に直接・間接的に関わった専門家,行政・報道関係者による横断
ある。
的ディスカッション「Lesson Learning 2012 年夏のエネルギー・環境の選
こうした状況では,ともすれば何がどこまで世論であり,逆にはどこか
択肢に関する国民的議論とは何だったのか これからの「政策形成のあり
らは世論でないのかという議論が起きがちである。しかしその議論は,取
方」を考える 8)
(以下,Lesson Learning)」にも参加した。以上の経験を
り組みの正統性や流儀争いの議論に矮小化される危険がある。個々の手法
踏まえて本稿では,日本社会がこの模索から何を学び,何を今日につなげ
の信頼性を確保するための研鑽や相互批判は大いに必要であるが,前提と
るべきかを考えてみたい。
して,単独の手段・取り組みだけで世論を捉えることは困難であるという
具体的には,
民主党政権下での「国民的議論」について,
当時の資料や新
認識がそれぞれの主体に求められるであろう。そして,いま動いている社
聞報道,検証報告や筆者の取材等を通じて課題を検証する。次に自民党政
会に求められるのは,何が世論なのかを型にはめて無理に定義づけること
権下におけるエネルギー・環境政策と世論との関係を整理し,最後に様々
ではなく,それぞれ長所・短所併せ持った手法や取り組み,課題は多いが
な主体で始まる新たな手法開発や連携の動きに触れることで今後を展望し
可能性を持つ新たな取り組み等を政策課題に応じて連携させたり,可視化
たい。
された国民の声を鳥瞰,分析したりすることで,“ より確からしい世論 ” を
柔軟に捉えようとする姿勢ではないだろうか。それは公共政策形成者のみ
ならず,調査主体であるマスメディア,調査対象となる国民等,社会を支
2
民主党政権下のエネルギー・環境政策と世論
える全ての主体が共に考えるべきテーマである。こうした社会全体の模索
民主党政権下でのエネルギー・環境政策を巡る「国民的議論」が終わっ
こそが,筆者が考える公共政策形成と世論の新たなステージである。
て既に 3 年である。議論は困難の連続であり,難産の末に生み出した “ 戦
この模索が国のイニシアチブの下で初めて本格的に行われたのが,2012
略 ” も数か月後の政権交代で雲散霧消した。現在は自民党政権が策定した
年夏の民主党政権下での「エネルギー・環境戦略の選択肢に関する国民的
エネルギー基本計画の下で社会が動いている。では,この経験から我々が
議論(以下,
「国民的議論」
)
」であった。実は,国民的議論を銘打った国の
学ぶことはないのか。いや,失敗こそ学びの宝庫である。公共政策形成に
取り組みはこれが初めてではない。2009 年の自民党麻生政権下では,国
世論を接続するにはどんな困難があり,“ より確からしい世論 ” を捉えてい
の温室効果ガス削減の中期目標を 6 つの選択肢として示した上で,国によ
くにはどんな課題が残り,国が国民的議論を呼びかけることにはどんなリ
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公共政策形成と世論の新たなステージ
続法が改正され,政令,府省令,審査基準,行政指導指針等の案に対する