2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 ― 早稲田大学 ― 2 月 21 日 商学部 国語 解 答 一 問一 問二 a. 子午線 ハ b. 包括 問三 未来 問六 問十 植民(侵略) 科学技術 問七 ニ 問十一 ニ ニ ロ ニ (1) 知二君 問二 問六 c. 駆動 問四 自由や富や 問五 ハ 問八 ロ 問十二 ロ 問九 ロ 問三 問七 問四 問八 ハ ロ 二 問一 問五 問九 問十 入レ骨 ロ ハ 愛一 ホ A. ホ (2) ハ B. イ (3) ホ その他の大学・学部の解答解説はコチラ PC 用 解答速報ページ スマホ用 解答速報ページ 増田塾は早慶上智・GMARCH・関関同立などをはじめとした難関大学の解答解説を随時公開していきます。 1/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku 2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 解 説 一 問二 1 段落で近代社会が「自然・共同態から疎外」され時間は「均質・空虚・不可逆…」な ものとなりながら一方で「未来をもつ社会」になることを筆者は問いかけている。そし てその 1 つの答えとなるのが 6 段落。時間の均質・空虚・不可逆性を「肯定的に捉え返 す」ことで「未来をもつ社会」が出来あがる、とされていることから、そもそも時間の 均質・空虚・不可逆性自体は「否定的」であったと解釈すれば、正解はハ。イは 1 段落 「経験の空間に基づく ~ 安定した構造」などを踏まえていそうだが、この「構造」は 「人類の知」を指しているのではない。ロは 1 段落 3~5 行目によると時間を「数量的 に捉えること」と人類を「空虚な存在とすること」には因果関係はない。ニも時間を「客 観的に捉えること」と「安定した状態を流動化すること」に因果関係はない。 問三 傍線前後から「進歩」によって秩序はより高次に向かうとあり、進歩は常に「未来を 意識したもの」であるため(5 段落などを確認)、ここから正解は「未来」となる。 問四 傍線「意味論」に注目すると 3 段落 4~5 行目などに傍線の言い換えがある。ここで 「流動化し不安定化した」ものに意味を改めて与える、という内容は 2 段落 1 行目で 既に出ていることに気付けば、正解は「自由や富や知識などの肯定的な価値が増大して いく一定の方向性を持った過程」であると判断出来る。 問五 各選択肢の「なのに・かかわらず」が傍線「けれども」に対応していると考える。そ の上で傍線直前「進歩は人類の歴史を貫く客観的法則」は各選択肢でほぼ説明出来ると 確認できる(ニ「普遍的」は考慮が必要だが)。つまり、ポイントは各選択肢の後半部分 になるが、ここで 3~4 段落をまとめると、ネーションはそれぞれに「具体的な言語・ 歴史・伝統・領土」を持つものであり、それらを共通することでネーションごとに通時 的・共時的な同一性が生まれる、と述べられている。これを的確に捉えた解答がハ。イ・ ロはそれぞれ説明不足で、「地域ごとに」進歩の主体が形成されたことに触れられてい ない。またニは「進歩の主体」が形成されたことを押さえられていない。 問六 近代におけるヨーロッパ → 非ヨーロッパの「進出」とくれば一般的には「侵略」で あり、より具体的に言えば「植民」行為のこと。 「植民」 「侵略」どちらでも不適切な解 答とはならないと思われる。 問七 「ありあわせの素材」は 3 段落も踏まえると「かつてからそれぞれの地域にあった言 語・歴史・伝統・領土・文化」などのこと。それがネーション形成の「素材」になった、 ということだから正解はニ。イは「伝統」に限定している点が誤り。ロはネーションの 2/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku 2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 根源に「伝統的な価値観」があった、としているのが誤り。あくまで伝統的な価値観を つくる「言語・歴史・伝統・領土・文化」はネーション形成の「素材」でしかない。ハ は「他の地域の人々もみな同じ」が「ありあわせの素材=それぞれの地域にあった言語・ 歴史・伝統・領土・文化」に合致しない。 問八 傍線の根拠は同段落最終行の「それ(未来)がどのようなものであるのかが、何らかの形 で先取り的に知られているから」だが、これを詳しく言い換えているのが 8 段落 7~8 行目。ここと合致するのがロ。イは時間を不可逆的に捉えているのは時間を「均質・空 虚」と捉えている段階の話。ハは傍線直前に同内容があるが、これは傍線「この共同体」 の説明に留まっており、傍線「現在の」以降の内容に触れられていない。ニはネーショ ンを「空虚」としている点が課題文誤読。 問九 空欄直後「未来において反復」するという点に注目すると、 「過去と同じような出来事」 という意味が空欄には入る。以上から正解はロ。 問十 傍線直後に同義の言い換えがあり、ここで登場する「過去の歴史」が解答第 1 候補。 ただしこの語句では設問にある「傍線のために重要なものは何か」に応じたものとは言 い切れない。ここで 5 段落 5~6 行目で「科学技術」が「進歩・発展を可能にする」も のだとあり、さらに「目に見えるものにする役割を果たしてきた」とある。ここから「科 学技術」が傍線の進歩・発展を「了解」されるために必要なもの、と解釈できれば、 「科 学技術」が最適解だと判断できる。 問十一 8 段落 7~9 行目を根拠とする。ここでの「伝統」は過去においても「過去から現在 へと進歩し」続けていたことを意味する。以上を的確に説明できているのがニ。イは 8 段落 6 行目などを踏まえると「歴史」を誤解している。ロは「流動的でも不安定でもな い」が課題文誤読。2 段落 1 行目他多数で、近代社会は「流動化し不安定」であること は大前提で話は進められている。ハは「客観的な価値を持っている」が傍線直前で否定 されている。 問十二 3・5・8 段落を踏まえるとロが最適解。イは「時間的な~同一化させる」が課題文 中に記述なし。ハは「安定した歴史に見せる」は 8 段落 3~5 行目と合致しない。あく まで「非同一的な変化」を続けてきた過去がその後も「さらなる展開」として意味づけ られるのであり、これはつまり「安定した歴史」として了解はされていないということ。 同様の理由でニ「安定した過去に変換する」も誤り。 3/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku 2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 二 [出典解説] 袖中抄(=しゅうちゅうしょう)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期に顕昭(=けんしょう) が著した歌楽書。顕昭は同時代の歌僧である。 [本文大意] 在原棟梁の歌「秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く」(=秋風にフジ バカマが綻んだらしい。コオロギが「つづりさせ」というように鳴いている)、この和歌の 「つづりさせ」あるいは「させ」の解釈について 2 説が登場する(=「世俗説」と「通俊説」)。 まず 2 行目「世俗に…」(=ここからが「世俗説」)コオロギの鳴き声は「つづれさせ、かか はひろはむ」と世間ではいわれる、と顕昭は言う。「かかは」は「破れ布」と本文にあるか ら、世俗説の「させ」は「(継ぎはぎだらけの)衣」や「布」の類と大きく関係があることに なる(「させ」も「⦅針を⦆刺せ」であろう)。6 行目で「古き髄脳」が出てくるが、これは 独立した 1 つの説ではない。「昔は『きりぎりす』を『させ』と呼んだ」という紹介である。 そうであれば「させ」は「虫の名前」と「刺せ」の掛詞となる(=虫の鳴き声「つづりさせ」 ではなくなる)。顕昭はこの見方をする例として「通俊説」をあげる。なお「通俊説」の場合 には「つづり」も「破れ布」もあまり関係がない。筆者顕昭は、どちらが正しいとも判定を 下していない。どちらにも魅力があると思ったのであろう。11 行目「私の案ずるに…」以 降が顕昭の考えであるが、新説を打ち立てたというよりは、各説の整理である。まず「古き 髄脳」にある「『きりぎりす』を『させ』と呼ぶ」は、順序が逆で、在原棟梁の歌が先にあ り、そこから「きりぎりす」を「させ」と呼ぶようになったのではないかと推測する。次に 在原棟梁の歌は、やはり、この虫が「つづりさせ」と鳴く(と知っていた)から、そう詠んだ のであろうと言う。また(複数の説がある以上)「つづりさせ」と出てくる和歌を鑑賞するの に、必ずしも「つづり(=綴り)」「かかは(=破れ布)」などを連想する必然性はないという。 最後の段落は、秋の虫が「させる節なく」とされていることについての検討である。「ある 義」に「鶯・鶴などは白居易の詩などで美しい音の代表格になっているのに、虫にはそうい った(漢文の文献などの)裏付けはない」とあることに対して、顕昭は「そのいわれはない」 と反論する。その典拠として持ち出したのが古今序である。 問一 藤袴は秋の七草の一つ。「(花が)ほころぶ」とは、普通は「(花が)開いた(咲いた)」状 態を言い、答えそのものはこれだけでニと分かる。ではなぜ「花が開く」ことを「綻ぶ (=ほころぶ)」というのかと言うと、「綻ぶ」は本来「(糸で縫ってあったものの)縫い目 が解ける」ということであり「きちっとまとまっていたものの形が少し崩れた」状態だ からである。「藤袴ほころぶ」は蕾が解けて花びらが開きかけてきたということであり 4/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku 2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 「秋の到来」である。 問二 要するに「掛詞」なのであるが、イではない。イの「端正な」には、そう言いきる根 拠がないからである。では他に「意味を掛けた」となる選択肢はどれか。候補は二つあ る。「ロ 意味を言い加えた」もしくは「ニ 両義を調和させた」である。ロの方は、「同 じ箇所にもう一つの意味を持たせた」という意味になり、これは「掛詞」である。試み に傍線部に代入してみても「『つづりさせ』という意味を言い加えた」となり、すっき りする。では「ニ 両義を調和させた」はどうか。これも「掛詞」が持つイメージには 近い。だが「調和」とは何を指すであろうか。また、この言い方を傍線部に代入しても 「『つづりさせ』と両義を調和させた」となってしまい、ロに比べて、あまり通りがよ くない。よって正解はロ。 問三 いずれも丁寧語である。3 は本動詞「ございます・あります」などと訳す。5 は補助動 詞で、直前の「詠み」に丁寧の意味を添えているだけである(「詠んだのでございましょ う」などと訳せばよい)。地の文の丁寧語は、この文を読んでくれている相手、すなわち 「ホ 読者」に向けられている。 問四 「事(=こと)ふる」は「古くから(多くの人に)言われている」こと。(多くの人に言われ、 年月に耐えてきたことだから…という点で)価値が認められると顕昭は言っているわけ である。したがって、価値を認めない、マイナスにとらえるロ・ホは違う。また「然る べき典拠」ではない。「典拠」といった場合には「文献などに見える」よりどころであ るが、ここでは「多くの人に言い古されたこと」に価値を認めているのだから(実際に 文献に出ていたかどうかは関係なく)、これも違う。もう 1 つは「心にくし」である。 「奥ゆかしい・教養があって上品・深みがある」などの意味で、要するに「魅力的であ る」ことを言っているわけだが、ニでは「よく吟味され」に語句の意味からも本文から も根拠がなく、スムーズに訳せており問題がないのはハの方である。 問五 ここで言われているのは和歌を鑑賞・解釈する際の「イメージ・連想」である。世俗 説ならば「させ」は「つづり」と関係あるが、通俊説ならば関係なくなる。だから「さ せ」とあっても、必ずしも「つづり」を思い浮かべなくていい…というわけである。[本 文大意]にあるとおり「つづり」は「縫い綴じること」であるから「継ぎはぎの衣」を 連想させる。他の説だってあるから「どうしても」その連想をしなければならない「必 然性はない」のである。 問六 1 つずつ検証しても構わないが、「ハ 使役の助動詞」といえば「す・さす・しむ」し かないのだから、和歌中の「させ」が使役の助動詞でないと気づけばそれで事足りる。 使役の助動詞「さす」であれば、すぐ上は未然形であるが、ここでは「つづり」と連用 形になっている。未然形なら「つづら」であるし、そもそも四段活用の動詞であれば「さ 5/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku 2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 す」ではなく「す」を用いる。「させ」は、本文に複数の意味で出てくる。「刺せ」で あり、「させる」の一部であり、さらには「虫の名」でもある。なお「ロ 係助詞」は、 「は」が該当する。 問七 18 行目「前義」は「世俗説」。「つづりさせ」は「きりぎりすが『つづりさせ』と鳴 く」から。これを空欄 A に入れる。同じ行にある「次義」は「通俊説」。「きりぎりす の別名が『させ』」だから。これを空欄 B に入れる。 問八 「そのいはれ無きか」は「ある義」に対して言ったことである。「鳥の声は素晴らし いが、虫の音はそうではない」に対し、古今序という典拠を持ち出して「鶯も(虫も同じ く)すぐれた節はないと言われている」と反論したわけである。 問九 ニが成立するのは[本文大意]を参照。それ以外の選択肢の消去を以下に示す。 イ → 説は 2 つである。また「鋭く対立」もしていない。 ロ → そもそも話題になっているのはきりぎりすの「擬人化」ではなく「させ」という 言葉をどう解釈するかである。また「誤解」とは言えない。「誤解」というから には「正解」が決まっていなければならないからである。 ハ → 「新たに独自の説」とまでは言えない。顕昭のしたことは説の比較と整理である。 ホ → 顕昭は、白居易の詩や古今序の記述を比較したりして検討している。逆に言えば、 これらを「究極の権威」とまでは思っていないからこそ出来たことでもあろう。 問十 以下は白居易「五絃弾」の書き下し、並びに大意である。 [書き下し] 五絃を弾じ 五絃を弾ず 聴く者は耳を傾け 心寥寥(りょうりょう)たり 趙璧は知る 君が骨に入りて愛するを 五弦一一君が為に調(ととの)ふ 第一第二の絃は索索(さくさく)として 秋風 松を払ひて疎韻落つ 第三第四の弦は冷冷として 夜鶴子を憶(おも)って籠中(こちゅう)に鳴く 第五の絃声は最も掩抑(えんよく)す 隴水凍咽して流れ得ず [大意] 五絃(=五絃の琵琶)を弾じ(=演奏し)五絃を弾ず(そうすれば)聞くものは耳を傾けて聞 き惚れて心がうつろになる。趙璧はあなたが骨の髄までそれ(=五絃の美しい音色)を愛 するのを知り、五弦の一本一本を心を込めてあなたのために弾くのだ! 第一第二の絃は索索(=かわいたカラカラという音)として、秋風が松を払って疎韻が落 ちるよう(=枯れた味わいの音がする)。第三第四の絃は冷冷として、夜の鶴が子を思っ 6/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku 2016 増田塾 入試解答速報 早稲田大学(2/21)商学部 て籠の中で泣くかのよう、第五の絃は声最も掩抑(=低く抑える)にして、隴水の水が凍 りついて流れえないかのようだ。 (1) 解説は省略。「送り仮名は書かない」という指示には従う。 (2) 「夜鶴(=やかく)」。夜、巣の中で子を育む鶴は、母性愛の深いことの例えに も用いられる。 (3) 「隴水」が凍る…のだから、当然「流れなくなる」のである。「得」には「でき る」という意味がある。 その他の大学・学部の解答解説はコチラ PC 用 解答速報ページ スマホ用 解答速報ページ 増田塾は早慶上智・GMARCH・関関同立などをはじめとした難関大学の解答解説を随時公開していきます。 7/7 難関私大文系専門予備校 © 2016masudajuku
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