早稲田大学 - 増田塾

2016 増田塾
入試解答速報
早稲田大学(2/12)文化構想学部
― 早稲田大学 ―
2 月 12 日 文化構想学部
国語
解 答
(一)
問一
問二
問三
問四
問五
問六
問七
イ
黙読の~ざる可
ニ
ハ
イ
演劇
ホ
(二)
問八 ホ
問九 イ
問十 ハ
問十一 ロ
問十二 起源
問十三 ニ
問十四 1.耐性
2.詩的
(三)
問十五 ホ
問十六 ヘ
問十七 ニ
問十八 イ
問十九 4=ホ 5=ハ
問二十 イ・ロ
問二十一 ロ
問二十二 ニ
問二十三 ヘ
問二十四 ロ・ヘ
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解 説
(一)
問一
イ
A-2 段落 8 行目がポイント。「黙読によって書物が享受される時代に、音読の習慣が卓越す
る時代が先行する」のうち、
「音読の習慣が卓越する時代」が傍線 1 の「時代」。そこでイは
傍線 1 より後の時代の説明ということになるため、正解はイ。ロは A-4 段落 1 行目より適
切。ハは A-3 段落 1~4 行目より適切。ニは A-2 段落 4 行目より適切。ホは A-3 段落 3~4
行目より適切。
問二
黙読の~ざる可
空欄Ⅰの前後では「論理的読法の原則」について説明されている。そこで B 内で「論理的読
法」の説明がされている箇所に注目し、また空欄直前「音読の際はともかく」は B-1 段落
「必ずしも朗読の際に~」の部分と対応していると判断できれば、空欄に入るのは B-1 段落
2 行目「黙読の際には必ず用ゐざる可(からず)」となる。
問三 ニ
傍線 2「読者の享受態勢」から直前の「作者の~厳しい性格造型が要請される」に着目し、
そこからイ「書き手に要求する」と繋げたくなるが、イは「言語表現の美しさ」が不一致。
A-6 段落 1 行目で論理的読法は「形式美」を重視しないと指摘されているため読者は「言語
表現の美しさ」を求めているわけではない。では読者は作者に何を求めるかというと A-6 段
落 2 行目で指摘される「作者・作中人物との同化、思想・感情の追体験」であり、これは読
者が作品(作者)の「精神」的な要素により着目している(=これが読者の「要請」
「享受態度」)
と判断できる。この点から、ニ「精神性に向き合い」は正しい。また A-5 段落 7~9 行目や
12~14 行目の B 引用部などから「同化・追体験」とは作者・作中人物の「性情」を読者自
身のものとする、という意味だと解釈できる。それはつまり読者が自身の精神とも向き合う、
ということだからニの「内省的(自分の考えや行動などを深くかえりみること。)」という語
句も誤りではない。さらに課題文全体から、傍線 2「近代」の小説読者は最終的に「黙読に
よる享受方式が支配的になる(A-5 段落 10 行目)」とされるが、この黙読の特徴として A-1~
2 段落で「内面的・内的思考・内密・孤独」などが挙げられている。ここから逍遥が提唱す
る「論理的読法」が近代読者の「内的(≒精神的)」な享受態勢を規定した、とも解釈できる。
以上から正解はニ。ロは「近代的個の観念」が不一致。確かに黙読の特徴として A-1~2 段
落で「個人的」という語句も登場するが、論理的読法の要素である作者・読者の「性情」を
説明した表現としては不適切。ハの「聞き手を感動させる巧みな朗読技術」は B-1 段落「エ
ロキューション」的な朗読であり、「論理的読法」はそれからの「脱化」であるはずだから
不適切。ホは内容的に誤りの箇所は無いが、「心の中で音読」は「どのような」音読である
かが説明不足。また「なぜ」心の中での音読が作品理解につながるのかも説明不足。この「ど
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のような」「なぜ」を説明しているのがニの内容。以上から最適解はニとなる。
問四 ハ
B-1 段落 7〜10 行目での「美読法」の定義がポイント。「明瞭・有力・面白い」朗読ならば
ホエートリーが提唱する「感銘的読法」(B-1 段落 5 行目)と一致してしまう。それだけでは
なく読書の際には様々な「感情・本意・性情を活動・躍如たらしめる」必要がある、という
箇所がホエートリーの主張との違い、すなわち「小異」である。以上を的確にまとめている、
正解はハ。イは B-2 段落 1〜3 行目と一致しない。ロは B-1 段落 10〜12 行目などで「発音
を正す」ことへの言及はされているが、その原因が「日本の風土にあわない」事にあるとす
る記述はない。ニは「読み手が作品そのものを愛することが重要」とする記述はない。ホは
「その時々で自らの好むまま自由に朗読する」が B-1 段落 5〜6 行目と対応しているが、こ
れはむしろホエートリー側の主張。「小異」は筆者側の主張におけるホエートリーとの違い
のことだから、これも不適切。
問五 イ
B-1 段落 7〜10 行目での「美読法」の定義を参考に、各空欄直前の状況における「性情」と
して最適な選択肢を選ぶ。複数の空欄に入る語句の「組み合わせ」を問う問題は常に選択肢
の絞込みが容易な空欄から考えていくのが有効。今回は空欄 d、e などから絞込みを始める
と比較的容易だった。
問六 演劇
「美読法」については A-5 段落 10〜11 行目で「演劇的表現につながる朗読法」と指摘され
ている。ここで設問に注目すると、美読法に「相当する表現行為」を答えるよう指示がある。
傍線 4 と同義と言える A-6 段落 2 行目「同化」なども悩ましいが、これが「表現行為」であ
るとは言い切れない。以上からも最適解は「演劇」だと判断できる。
問七 ホ
各選択肢の正解・不正解根拠は以下の通り。
イ:B では朗読も作品受容のために有効な手法として取り上げられているため誤り。また
「副次的な産物」も A-4 段落などから不適切。
ロ:A で「音読は文学を享受する役には立たないと否定」している箇所はない。
ハ:B で「人に聴かせる朗読を重視」していたり、「感動的な朗読をするための手段」とし
て黙読を奨励している箇所はない。
ニ:B-1 段落 20 行目、B-2 段落 12 行目などから「性情的読法」
「活読法」
「美読法」は同義
として扱われている。以上から「これらの概念は違うものである」は誤り。
ホ:A が「前近代的な音読から近代的な黙読への読書方法の変化」に着目しているのは A-2
段落や A-4 段落 1 行目などでも確認できる。また A が B から「近代的文学受容の現象」を
見出している箇所は A-6 段落で確認できる。そして B が「作品を理解することから黙読を
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重視」しているのは B 全文から伺え、B-1 段落後半で「人に聴かせる朗読の表現方法」に触
れている事を踏まえると、正解はホ。
(二)
問八 ホ
1〜6 段落は栽培されたヒョウタン、すなわち「人間が伝えた(7 段落)」ヒョウタンについて
の話題。7 段落でようやく「自然に海流に乗って漂着」したヒョウタン、すなわち「野生」
のヒョウタンが登場する。ここから正解はホ。ハに注意。一見悩ましいが、5 段落以降でも
「人が運んだ」ヒョウタンについての説明が続く(つまり「野生ヒョウタン」の話ではない)
ため、ハの前後は「人間が到来する以前」の話題ではない。
問九
イ
空欄Ⅰ直前「人間が共生」から、「集落、人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系
が存在する山」という意味を持つ「里山」が最適解。ニに注意。たしかに空欄 2 行後に「森
の文明」とあるが、
「文明」には「人が手を加えたもの(人間側の一方的な働きかけ)」という
意味しかなく、「共生」の説明としては不適切。
問十 ハ
まず空欄Ⅱについて。9 段落 1 行目「人間が居住地域での栽培活動を止め、荒地になった」
が空欄Ⅱ直前「人間の介入が途絶えたところ」の言い換え。つまり 9 段落 1 行目前後がヒン
トとなりそうだが、すると 9 段落 1 行目で「ヒョウタンも姿を消している」とあるので、空
欄Ⅱには「消える」が入り、この時点でハとニに絞れる。続いて空欄Ⅲについて。9 段落 2
行目「洪水や土砂崩れ、地震や野火などの自然現象」が空欄Ⅲ直前の「自然の介入」の言い
換え。つまり 9 段落 2 行目前後がヒントとなりそう。すると 9 段落 2〜3 行目で「ヒョウタ
ンは〜土壌が急変した地域によく順応する」とあり、「順応する」とはこのような地域の方
がよく「育つ」ということ。以上から正解はハ。
問十一 ロ
8〜9 段落からレイスラプは栽培説を指示していることがわかる。ならばそのような立場か
ら投げかける「鋭い問い」とは、栽培説に対立する「漂着説」に向けたものだと判断できる。
以上から正解はロ。イ・ニはどちらも栽培説を支持する内容のため誤り。ハは 1 段落の時点
でヒョウタンの原産地について取り上げ、この「原産地」の特定にレイスラプが反論してい
る箇所はない。
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問十二 起源
「ヒョウタンの
Ⅳ
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にレイスラプがなぜこだわったのか」と同義は 4 段落「この問題を執
拗に追及した〜レイスラプ」。すなわち Ⅳ =「この問題」となるが、2〜3 段落での話題
は「ヒョウタンの起源」について。以上から正解は「起源」。
問十三
ニ
イはレイスラプの主張内にヒョウタンの「原産地が最古の文明発生地」だとする箇所はない。
ロは「原産地について示唆が得られる」とあるが、4〜5 段落での古代文明の話題中、古代
文明においてひょうたんが栽培されていた事に対し、「(レイスラプは)それがインカ帝国以
前の南米原産種と考えているわけではない」とあることから原産地への示唆は得られない。
ハは 6 段落を踏まえた内容だが、推測されているのはあくまで「森の文明」であり、「最初
の文明の発生地」というあらゆる「文明」の発生地としては指摘されていない。
ニは 8 段落に即した内容。
(三)
問十五 ホ
Ⅰは、特に迷うことなく「反抗的」が入る。「緑いろの表紙をした一冊の本」にあった「恐
ろしい四つの敵、―疑惑、恐怖、驕慢…」という否定的なニュアンスをもつ言葉を、主人公
の「僕」は「感受性や理智」といった(肯定的ないし、必ずしも否定的ではない)言葉で捉え
なおそうとしていることから「僕」は「反撥」に近い感情を抱いているとわかる。
また、4 行目で、ストリントベルグ「伝説」の挿し画を見た時にも「反抗的精神の起こるの
を感じ」とあり、これもⅠのヒントとしてよい。
Ⅰが「反抗的」に確定すれば、ホとヘの 2 択となる。Ⅱ・Ⅲそれぞれに「伝統的」
「近代的」
のどちらを入れるか、という点だけがポイントとなる。
「僕」が手にしている「緑いろの本」
が「宗教」のコーナーにあった…ことなどを考えれば、Ⅱは「伝統的」とわかる。Ⅲに「近
代的」が入る直接の根拠は文中にはない。ただ「『近代的』精神のせいで不幸になっている」
と「僕」が考えていた…と仮定しても、特に矛盾はない(だから、そこから逃れようと考え、
この時『伝統的』精神に向かおうとしていた…という解釈)。よって、Ⅲに「近代的」が入
っても、違和感のある文脈とはならない。
問十六 へ
「寿陵余子」は、前後の文脈から見て、不幸な運命を辿った人物と推測できる。甲A14 行目
「今日の僕は誰の目にも『寿陵余子』」というのは、主人公が「『現在の自分』は不幸な存在
である(という自覚がある)」ことを意味している。
さて、出題箇所である傍線 1「まだ地獄に堕ちていなかった僕」は、
「『現在の自分』と比べ
れば、そこまで不幸ではなく、また、将来不幸になるかどうかなどということについて特に
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考えていない『若いころの自分』」のことを指すであろう。その「若いころの自分」が「深
い考え」もなく用いたペン・ネエムが、まさしく「今現在の自分」の境遇(=「のちの自ら
の運命」)と、ぴったり一致してしまっている…ということを言っている。
また「若いころ、何の気なしに記していた言葉が、のちの不幸な運命を予言してしまってい
るように感じられる」というくだりは、甲A後半にある「ナポレオンとセント・ヘレナ島」
も同じ構造を持っており、この部分から推測して正解に辿りつくことも可能である。
なお、ニの選択肢は前半部分だけを見れば可能性がないわけではない。しかし「寿陵余子」
と「屠龍」は(同じ書物にあるものの)実際は、別のエピソードである。そのため、ニの選択
肢後半の「龍を殺すという真意」が「寿陵余子」に含まれる、という言い方には根拠がない。
よって、ニは誤り。
問十七
二
「短時間」は、「僕」がカッフェに「避難」してから、傍線 2 の時点までの「五分もたたな
い」間のことである。したがって、ロとハはすぐに除外できる。また、への選択肢は、
「僕」
が「カッフェから立ち去ろうとした」時のことなので、傍線 2 よりも後の時点のことになっ
てしまい、これも除外する。
次に、「カッフェの容子」が改まったというのは、何かが物理的に変化したというわけでは
ない。「僕」の内面の方が変化したのである(カッフェの内部は何ら変化していないとして、
ようするに「僕」の「見え方」の方が変化した…という意味である)。
主人公の内面を示す「恐怖」
「不快」
「人目に見えない苦しみの中に落ちこむ」などのマイナ
ス表現から、「幸福感が増し」とあるホの選択肢も、不適切とわかる。
残るイとニの比較であるが、イの「セント・ヘレナ島にいるような錯覚」は、本文に、確定
できるだけの根拠がない。したがって、残るニが正解。
ただし、この出題の場合、正解であるニの選択肢にも、検討の余地はある。「恐ろしい記憶
を呼び覚ました」きっかけとして「肖像画」はともかく「巻煙草の煙」はどうであろうか…
という点である。たしかに「巻煙草の煙」そのものは、主人公が何かを思い出す「直接のき
っかけ」にはなっていない。この点を考えると、ニの選択肢にも疑ってかかる要素はありそ
うである。しかしながら「巻煙草の煙」は、主人公の視線が「左の壁にかけたナポレオンの
肖像画」へと向かうことの「間接的なきっかけ」にはなっており「記憶を呼び覚ますこと」
と「巻煙草」の間に、何の関係もない…とまでは言い切れないであろう。そう考えれば、ニ
には矛盾がなかったと一応は言える。ニだけが、成立する唯一の選択肢であり、消去法的に
確定する。
問十八 イ
イとホで迷うが、以下の 2 つの理由からホを消去できる。
①傍線 3 の時点では、良秀が、見たこともないような炎を「観察」し、新しい何かを「発見」
している段階である。ホの選択肢のように「表現」(=「実際に描く」こと)は、その時点で
は「まだしていない」はずである。
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②「わらひ」の理由としては、あくまでも「高みに達した満足感」である。ホの選択肢のよ
うな「家などは今後何軒も建てられる」など、「(将来に向けた)計算づくの損得勘定」とま
で言い切る根拠はない。たしかに、傍線 3 よりも後の部分で「とぶらひに来たる者ども」に
向かって、良秀が、そのようなセリフを言っている場面はある。しかし、良秀の「実際の行
動」を考えれば、現在住んでいる家が燃えているのを見ても何も手を打とうとはしていない
点、また、妻子が炎の中に取り残されているのにも気づかない点…などから、良秀を「すぐ
れた絵を描くという目的が、何ものにも優先してしまっている人物」とする解釈も、成り立
つ余地があろう。そうなると(「百千の家」など現世の利益に関わる言葉を口にはしてはい
ても)実際には(それとは裏腹に)経済的な損得については、あまり関心を持たない人物と言
うこともでき、ホを唯一無二の解釈(=正解)とするのには、やはり無理がある。
問十九
4=ホ
→自分の家が燃えているのにも構わず、炎を観察し続ける、正気とは考えにくい良秀の様子・
行動に対し、
「とぶらひに来たる者ども」が「『物』でもとり憑いているのではないか」と言
うのである。選択肢の中では「ホ 悪霊」だけが、これに近く、正解となる。
5=ハ
→「とぶらひに来たる者ども」は、良秀の「家」が焼け落ちてしまうことを心配している。
それに対して良秀は「良い絵さえ書ければ家などいくらでも建つ(=「家(=財産)」などは
惜しくない)」と答える。つけ加えて「わたうたち(=あなたたち)こそ、大した才能もない
から『物』を惜しむのだ」と言い返している。つまり、ここでの『物』は、良秀と「とぶら
ひに来たる者ども」の間で、この時、話題になっているもの、「家」などの「財産全般」を
指すと考えられる。
問二十 イ
乙の文章中に現れる敬意を表す活用語の「敬語の種類」と「活用形」の組み合わせは、本文
に出てくる順に、以下のとおりである。
①本文 2 行目「おはしけり」→「尊敬・連用形」
②7 行目「立ち給へるぞ」
・同「物のつき給へる」
・10行目「物をも惜しみ給へ」→3 つとも
全て「尊敬・已然形」
③9 行目「書きたてまつらば」→「謙譲・未然形」
④10行目「おはせねば」→「尊敬・未然形」
このうち①と④が選択肢にある(イとロ)。②③は選択肢にない。
問二十一 ロ
荘子は、中国の戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省商丘あるいは安徽省蒙城)にうまれた思想
家で、老子と並び、道教の始祖の一人とされる人物である。老荘思想が最上の物とするのは
「道」である。「道」は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として
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使われる場合もある。道家の思想によれば「道」とは名付けることのできないものであり(仮
に「道」と名付けているに過ぎない)「礼」や「義」などを超越した真理とされる。荘子の思
想は特に「無為自然」を基本とし、「人為」を忌み嫌うものである。
丙の登場人物「朱泙漫」は、道家・荘子の思想から見て肯定的な「古(いにしえ)のすぐれた
人」の例としてとりあげられているのである。したがって、イ・ハ・ホは正解ではない。
残る選択肢の中で、へは「言葉に出すことができない」理由を「自然の存在を認めるため」
としているが、これには根拠がない。ニは「武力に訴えることも辞すことはなかった」とい
う説明が本文に反する。朱泙漫は、龍を屠る方法を知っていても、実際にはそれを用いてい
ない(=つまり、武力を用いていない)。また、最後の 3 行に「聖人」と「衆人」の比較があ
るが、「衆人」が「兵多シ」であるのに対し「聖人」は「兵無シ」とある。加えてニは「必
然を必然として考え」の部分も誤りである。
よって、残るロが正解。
問二十二
二
「三年にして技成りて、而も、其の巧を用うる所無し」。三年もの年月を費やして龍を屠る
技術は身につけたものの、実際にはその「巧」(=技術・テクニック)の使い道はなかった、
ということである(なぜなら、龍は実際には存在しないから)。
問二十三 へ
正解は「へ 万物斉同(ばんぶつせいどう)」。
「万物は道の観点からみれば等価である」とい
う、荘子が唱えた思想。
「イ 格物致知」は「礼記」に由来する儒家の言葉。
「ロ 経世済民」は「世を経(おさ)め、
民を済(すく)う」意味で、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経
済」とは異なり、広く政治・統治・行政全般を表す言葉。荘子・道家の思想とのつながりは
薄い。
「ハ 諸行無常」は仏教用語で、
「この世の現実存在はすべて、姿も本質も常に流動変
化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない」ことをいう。
なお「ニ 性悪説」は荀子、「ホ 性善説」は孟子である。
問二十四 ロ・ヘ
イ・ハ・ニ・ホの各選択肢を消去すべき理由を以下に記す。
イ→「自分の名前に含まれる龍を屠るという寓意」「(地獄を描いた理由)死への恐れを克服
するため」が、いずれも文中に、確定できる根拠がない。
ハ→甲Cの 8・9 行目を見れば「横川の僧都様」は、もともとは良秀を「罵る側」の「味方」
であった。完成した地獄絵の屏風を見て後、良秀を見る目が変わった。したがって「数少な
い良秀の庇護者であり」という記述が間違い。
ニ→「良秀」が「極楽に往生した」というだけの根拠が文中にない。むしろ、甲Cのラスト
2 行を見ると「死骸は今でもあの男の家の跡に埋まって」
「雨風に曝されて、とうの昔誰の墓
とも知れないよう」など良秀の死後に否定的なイメージを抱かせる記述もある。ニとは異な
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る解釈が可能となり、正解とは言い難い。
ホ→丙の冒頭 2 行が言いたいのは「道というものは(百歩譲って)知ることはやさしいかもし
れないが、知ったとしてもそれを言わないでいることが難しい。知っていても言わないこと
が、むしろ自然の道理だろう」ということである。問二十一の解説に記したとおり「道」と
は「名付けることができない(=言葉で表現できない)」ものである。
「知っていて言わない」
のは、ホの選択肢にあるような「人の道にはずれること」というニュアンスではない。「人
の道にはずれること」のままだと、後に続く「朱泙漫」のエピソード、「聖人」と「衆人」
の比較…とは全くリンクしない。「知っていても言わない」のは、荘子や道家の思想から見
て肯定的なこと、すなわち「天の道に通じること」などと解釈するべきであろう。
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