KH_021_2_003 - 国立民族学博物館学術情報リポジトリ

小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
物質文化 か らの民族文化誌的再構成 の試み
一
ク リー ル ア イ ヌを 例 と して
小 杉 康*
Ethnographic
Reconstruction
from
the Material
Yasushi
Culture
of the Kuril
Ainu
Kosuoi
This essay examines the methodical and practical reconstruction of
cultural ethnography from material culture, taking up, as an example for
analysis, the Kuril Ainu and their material culture, which has no successors today.
First, folk tools of the Kuril Ainu kept in Japan are compiled.
The
main part of the compiled materials were collected by Ryuzo Torii during his ethnological investigation in the Chishima (Kuril) Islands in
1899, and the rest include what government officials collected on their
way to Northern Chishima before the Kuril Ainu were forced to emigrate
to Shikotan Island in 1884. Torii's ethnological investigation was done
in order to prove his own theory explaining the origin of the Japanese
people, and the materials (folk tools of the Kuril Ainu) collected on this
occasion were influenced by this motive. He also attempted to restore
and record the unmodernized life-style of the Kuril Ainu, so only traditional tools were the objects of his collection.
Considering this, on analyzing the folk tools of the Kuril Ainu compiled for this study, it is necessary to pay special attention to the nature
of these materials and to amend this bias. The methods of analysis are
as follows: calculation of the ratios of kinds of raw materials composing
*共 立女子大学 ,国 立民族学博物館共 同研究員
Key Words : the Kuril (Chishima) Ainu, Ryuzo Torii, material culture, scale drawing,
reconstruction
キ ー ワ ー ド:ク
リ ー ル( 千 島)ア
イ ヌ,鳥
居 龍 蔵,物
質 文 化,実
測 図,再
構成
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国立民族学博物館研 究報告21巻2号
folk tools collected by Torii, those collected by other people, and archaeological materials of the Kuril Ainu; comparison of the ratios to
discover the degree of bias inherent in the materials; compensation for
the bias in compilation of the tools of the Kuril Ainu.
Secondly, the tools compiled as above are classified according to
their uses, characteristics of their form and manufacture are observed and
recorded, and a scale drawing of representative examples of each tool is
made (in the following studies dealing with individual materials, this
scale drawing will be indispensable in order to introduce the typological
analysis) .
It becomes possible to propose a new outlook on facts for which
records are lacking or insufficient in the existing ethnography.
For exam-
ple, (1) it can be reconfirmed that the Kuril Ainu adapted themselves to
a marine environment, fishing and hunting for a certain long period,
migrating from island to island; (2) while today the Hokkaido Ainu and
the Kuril Ainu are recognized as having once belonged to the same
cultural and ethnic group, they regarded each other as different: this is a
tendency which can be traced back rather a long time in their history; (3)
it is proved that iron and cotton products imported from Japan and
Russia greatly influenced the traditional raw materials of everyday tools
and the expression of sexual differences in their manufacture, and that at
last they brought about a revolution in the whole system of folk tools;
(4) in existing ethnography and historical documents, relations between
the Kuril Ainu and the Sakhalin Ainu are rarely recorded, but this essay
points out some direct contacts between them.
Today, when many traditional cultures are being rapidly changed
and destroyed, some leaving no successors, the importance of an attempt
to reconstruct cultural ethnography from a study of material culture in
everyday tools will increase.
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小杉 物質文化 からの民族文化誌的再構成 の試み
は じめ に
5.家
1,民
用 具(2)発
具 研 究 と物 質 文 化
事 に 関す る民 具 類 一
1.民
具 とは
6.家
2.民
具 研 究 の現 在
用 具(3)杓
3.民
具 か ら物質 文 化 へ
7.家
4.物
質 文 化 と考 古 学 研 究 法
用 具(4)木
5.型
式 学 的 分 析 と実 測 図 の 作成 に つ い
8.家
て
6.財
皿.ク
事 に 関す る民 具 類 一
リー ル ア イ ヌー
民 族誌 ・考 古学 か
料 理 ・食 事
子,椀
事 に 関 す る民 具 類 一
料 理 ・食 事
盆
事 に関 す る民 具類 一
育 児 ・教 育
事 に 関 す る民 具 類 一
裁 縫 ・工 作
9.家
の カテ ゴ リー体 系 と文 化 の傭 瞼 図
料 理 ・食 事
火具
(1)織
物,針 入 れ
10.家
事 に 関 す る民具 類 一
らの提 言
(2)エ
1. ク リール アイ ヌ とは
11.家
2.ク
リール ア イ ヌ民 族 誌
編み容器
3.鳥
居 龍 蔵 著 『千 島 ア イ ヌ』
12.家
4.中
近 東 起 源説 と2段 階 移 住説
暦
裁 縫 ・工 作
ペ ル ニキ,足 型
事 に 関 す る民具 類 輪
雑事(1)
事 に 関 す る民 具 類一一 雑 事(2)
5. 「還 元 的 土 俗 」
13.家
6.北
三 弦 琴,煙 草 入 れ,そ の 他
千 島 に お け る考 古 学 調 査 か らの提
事 に 関 す る民 具 類一
言
14.服
皿.ク
鳥 皮 衣,そ の他
リー ル ア イ ヌ民 具類 の性 格
雑事(3)
飾 に 関 す る民 具 類一
衣 服(1)
1.ク
リー ル アイ ヌ民具 類
15.服
2.前
期民具類について
腰帯
3.後
期民具類について
16.服
飾 に 関す る民 具 類 一
4.函
館 博 物 館 収 蔵 ク リー ル ア イ ヌ民 具
17.服
飾 に 関 す る民 具 類 i`物 ・被 物
類 の性 格
18.服
飾 に 関 す る民 具 類一i携
5.鳥
物入れ
居 龍 蔵 収集 の ク リー ル ア イ ヌ民 具
飾 に 関 す る民 具 類一
類 の性 格
19.服
6. 「
還 元 的 土 俗 」 の 実践(1)
火道具入れ
20.儀
一
模型品
飾 に 関 す る民 具 類 一
一
一
21.儀
】
〉.ク
リー ル ア イ ヌ民 具 類 の構 成
1.用
途 分 類 に よ る ク リー ル ア イ ヌ民 具
22.儀
一
V.ク
3.生
狩猟
一漁撈,そ
4.家
の他
事 に 関 す る民 具 類一
用 具(1)ま
仮面
祭具
業 活 動 と海 洋適 応
2.アイデンティ
3.民
料理 ・食 事
削 り掛 け
リー ル アイ ヌの民 族 文 化 誌 的再 構 成
1.生
業 活動 に関 す る民 具 類(2)
携 帯具(2)
礼 ・信 仰 に 関す る民 具 類(3)
2.生
一
帯具(1)
礼 ・信 仰 に関 す る民 具 類(2)
一
類 の構 成
業 活動 に関 す る民 具類(1)
装 身具
礼 ・信 仰0'関 す る民 具 類(1)
7. 「
還 元 的 土 俗 」 の 実 践(2)
原材料
衣 服(2)
テ ィ と ク リール文 様
族 接 触 と文 化伝 統
お わ りに
な いた,エ ペ ル ニキ
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国立民族学博物館研究報告 21巻2号
は じ め に
ク リー ル ア イ ヌに 関 す る民 族 誌 と しては 鳥 居 龍 蔵 に よるr千 島 ア イ ヌ』 旧 本 語 版
1903,仏 語 版1919】 が つ とに 著名 で あ る。 今 日で は 既 に,独
自の生 活 文 化 の直 接 的 な
継 承 者 が い ない ク リール アイ ヌに つ い て何 か を 語 ろ うとす る な らぽ,こ の著 書 に全 面
的 に頼 らざ るを え な い のが 現 状 で あ る。
鳥 居 に よ って著 され た ク リー ル アイ ヌの民 族 誌 は,1899年
の シ コタ ソ島 を 中 心 と し
た 千 島列 島 で の フ ィール ドワー クの記 録 に基 づ くも ので あ る。 当時,日 本 と ロ シア と
の領 土 的利 権 の狭 間 にあ った千 島列 島,そ の北 千 島 に住 む ク リール ア イ ヌは,1884年
に シ コ タ ソ島 へ と強 制 移 住 させ られ た 。 北千 島,シ
コタ ン島 で の 鳥居 の調 査 は1899年
の5月 か ら7月 に か け ての2ケ 月 あ ま りの もの で あ った が,収 集 され た民 族 資 料 は 単
に ク リール ア イ ヌの イ ソフ ォーマ ン トか ら聞 き取 った情 報 だ け に と どま らず,彼
生 活 用 具 も この 時 に収 集 され た。 そ の数 量 は80点 程 で,決
らの
して 多 い 数 とい え る も ので
は な いが,一 時 期 に 収集 され た ク リー ル アイ ヌの 生活 用具 と して は,国 内 外 に例 を み
な い充 実 した もの とい え よ う。
この よ うに 数 量 的 に は ご く限 られ た もの では あ るが,鳥 居 収 集 の ク リール ア イ ヌの
生 活用 具 は彼 の民 族 誌 に記 録 され た ク リー ル アイ ヌの 生活 文 化 の 内容 とは 異 な った情
報 を我 々に提 供 して くれ るで あ ろ う。 そ れ はr千 島 アイ ヌ』 の記 述 範 囲 か らは 抜 け落
ち て しま った情 報 であ った り,ま た当 事者 の言 説 に は 本 来 現 われ て こ な い で,物 質 文
化 に こそ よ りよ く具 現 化 され た情 報 で あ るは ず で あ る。
様hな 経緯 で これ まで に 収 集 され て きた ク リー ル ア イ ヌの 物 質文 化 一
類 で あ った り考 古 資料 であ った りす るが 一
そ れ は 民具
は,そ れ ぞれ の収 集 者 が どの程 度 自覚 し
て い たか の差 は あ る もの の,特 定 の文 脈 の下 に 収 集 された 資 料,即 ち 「翻 訳 」 され た
姿 で あ る こ とに 変 わ りな い。 本 研 究 が 目指 す べ き と ころ は,そ れ らの翻 訳 か ら直 ち に
新 た な翻 訳 をつ く り直 す こ とでは な い 。 各種 翻 訳 を 突 き合 わ せ てあ り うべ き 「語 彙 」
を で きる だ け網 羅 し,当 事 者 の論 理YYI_則した か た ちで それ らを配 置 し直 す。 そ こか ら
いか な る解 釈 を引 き 出す か は,や は り1つ の翻 訳 の営 み で あ るが,そ の よ うな翻 訳 の
行 為 を保 証 す る物 質 文 化 の体 系作 りが 第m的
に必 要 な の で あ る。
今 日,急 速 な勢 い で伝 統 的 な生 活 文 化 が変 容 あ る いは 崩壊 しつつ あ る多 くの 民族 に
お いて,さ
らに は既 にそ れ らの直 接 的 な 継 承者 を求 め る こ とが で き な くな って しま っ
た民 族 に お い て は な お さ らの こ と,彼 らの 生 活用 具 をは じめ と した物 質 文 化 の 体系 化
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小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
は 上記 の意 味 で 今 後 そ の重 要 性 を さ らに 高め るで あ ろ う。
本 稿 で は以 上 の よ うな観 点 か ら,鳥 居 に よる収 集 品 を 中心 と した 国 内 に あ る ク リー
ル ア イ ヌの生 活 用 具 を 集 成 し,ま ず 収 集 資料 の 性格 を検 討 し(第 皿章),次
に用途別
に分 類 した個hの 生 活 用具 の 内容 を 整理 しなが ら,相 互 の 関連 を 検 討 す る こ とに よ っ
て(第1>章),「
モ ノに よる文 化 の傭 鰍 図 」へ と全 体 を 近 付 け てゆ きた い。 そ して 物 質
文 化 か らの民 族 文 化 誌 的再 構 成 の試 論 と して,鳥 居 に よ る民族 誌 の 記 述 内容 と対 照 し
なが ら,ク リール アイ ヌの生 業,アイデンティ
テ ィ,民 族 接 触 に 関 して言 及 した い(第
V章)。 尚,主 題 に は い る前 に,民 具 研 究 の現 状 を 概 観 す る と同時 に,本 研 究 の 方 法
的 な立 場 を 明確 に し(第1章),ま
た ク リー ル ア イ ヌに関 す る これ まで の 研 究 成 果 か
ら得 られ た課 題 を整 理 して お く こ とにす る(第 皿章)。
1.民
1.民
具研 究 と物 質文 化
具 とは
鳥 居 龍 蔵 が ク リー ル アイ ヌの生 活 用 具 を 収集 した 時 代 に は,未 だ 「民 具 」 とい う用
語 も概 念 も登場 して きてい な い。 しか し,後 に論 じる よ うに 鳥居 は 「還 元 的 土俗 」 を
目指 して生 活 用具 の収 集 を 実 施 して お り,そ の結 果,そ の 収集 品 の 内容 は ほ ぼ民 具 に
相 当す る もの で あ る とい つて い い だ ろ う。 そ こで,ま ず 民 具 の概 念 が いか な る もの で
あ るか を こ こで確 認 して お く。
民具 の要 件 と して は,例 え ぽ 手 作 り,使 用者 が民 衆 で あ り,専 門 の職 人 が 作 った も
の で は な く,素 材 が 草木 ・動 物 ・石 ・金 属 ・土 な どで あ り,化 学製 品 は含 まれ な い,
等hが 挙 げ られ る こ とがあ る 【
宮 本 1979:76]。 また,実 際 に 使 用 され て きた伝 承 性
の あ る特 定 の 形 態 を と も な った 物 質,と
い った 幅 の あ る定 義 が な され た り1湯 川
1976:5】,ま た 「わ れ わ れ の 同胞 が 日常 生 活 の必 要 か ら技 術 的 に作 りだ した 身辺 卑 近
の 道 具一
庶 民 の生 活 用 具 全般 の 呼称 」 とい うよ うな概 括 的 な 内容 の場 合 もあ る 【ア
チ ッ ク ・ ミュー ゼ ア ム 1936:1】。 民 具 の定 義 は研 究 者 に よ って多 少 の振 れ 幅 の あ る
もの とな って い るが,何 が 民 具 で な い のか の 意 見 は ほぼ 一 致 して い る とい え るだ ろ う。
例 えば,カ
ンテ ラや 付 木 は民 具 であ りラ ンプや マ ッチ は そ うで は な い,即 ち機 械 製 品
や 工 業 製 品 は 民 具 か ら外 され る傾 向 が あ る 【
宮 本 1979:71】。 また,民 具 研 究 の 目的
が 生 活 文 化 の解 明 に置 かれ る一 方 で,上 記 の よ うな 民 具 の定 義 に 準 拠 す るな らぽ,そ
の 目的 は 自ず か ら伝 統 的 な生 活 文 化,古 い生 活 文 化 の 解 明 へ と実 質 的 に は移 行 してい
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国立民族学博物館研究報告 21巻2号
く とい え るで あ ろ う。
さて,民 具 研 究 に お い て は定 義 内 容 の 子細 に つ い ては議 論 の余 地 を 残 しな が らも,
以 上 の よ うな民 具 に 対す る認 識 が 共 有 され て い る が,本 稿 で は鳥 居 に よ って 収集 され
た ク リール ア イ ヌの生 活 用具,及 び シ コ タ ソ島 へ の強 制 移 住 以前 に開 拓 使 や 根 室支 庁
に よ って収 集(後 述)さ れ た生 活 用 具 を 概 括 的 に 「民 具 類 」 と表 記 して,以 下 の検 討
を進 め る こ とにす る。
2.民
具研 究 の現在
民具 を 研 究 対 象 とす る場 合,先 に確 認 した よ うな 定義 の問 題 も さ る こ となが ら,実
際 の個hの 民 具 に つ い ての 製 作及 び使 用 に関 す る技 術 的 な知 識 の理 解 や,場 合 に よ っ
て は研 究 者 自身 の あ る程 度 の 技 術 的 な 習熟 が 不 可 欠 とな って くる。 この技 術 的知 識 が
当 事者 側 の も の,即 ち エ ス ノ サイ エ ソス に おけ る技 術 文 化 で あ った り,あ るい は観 察
者 側 の もの,即 ち近 代社 会 に おけ る専 門 化 され た 技 術 文 化 で あ った と して も,従 来 通
りの イ ン フ ォー マ ソ トか らの聞 き取 り調査 だけ では 正 確 に理 解 す る こ とが 難 しい一 面
が あ る。 この よ うな こ とが背 景 に あ って,従 来 の民 俗 学 に お い て は民 具 に対 す る認 識
や 取 り扱 い方 が不 十 分 とな り,こ れ が か つ て 民具 研 究 が 民 俗学 の 中か ら引 き離 され,
改 め て 「民 具学 」 と して 提 唱 され た 理 由で もあ った とい え るで あ ろ う。
さ て,民 具 研 究 に しろ,ま た民 具 学 に しろ,民 具 を研 究 対 象 と した場 合 の研 究 方 法
に は,共 通 す る2つ の傾 向が 見受 け られ る。 また そ れ は,主 な 研 究対 象 が遺 物 や 遺構
で あ る考 古 学 に お い て も当 て は ま る内容 であ り,そ の意 味 で は 広 く物 質 文 化 一 般 に通
じ る研 究 方 法 と して 発展 させ る こ とが で きるで あ ろ う。
こ こで述 べ た2つ の傾 向 の具 体 例 を,例 えば 民 具 研 究 に おけ る河 岡 武春 に よる 「基
本 民 具」 の考 え方 【
河 岡 1972a,1972b】 と,小 野重 朗 の 「標 準 民具 」 の考 え方 【
小野
1972】 との対 比 に見 る ことが で き る。 そ れ ぞれ の 内容 を 一 言 で 要 約 す る と誤 解 が生 ず
る危 険 性 も高 いが,そ れ を恐 れ ず に敢 え て試 み る な らば 共 に地 域 の 生 活 文 化 を簡
明に 表現 し うる民 具 を 選定 し,そ の地 域 の特 徴 を 明 らか に し,ま た そ れ に よ って地 域
ご との比較 を行 って い くもの で は あ るが,そ の 際 に選 定 され る民 具 は 「基 本 民 具 」 で
は生 産 用 具 を 中心 と した 幾 種 類 か の民 具 の組 み 合 わ せ で あ り,「標 準 民 具 」 で は特 定
の地 域 だ け に 見 られ る民 具 が 指標 と して まず 選 定 され る こ とに な る。 そ してそ れ ぞれ
の研 究 方 法 に は,次 に続 く独 自の手 順 が 準 備 され て い るの で は あ る が,こ こで は 複数
の 民具 の組 み 合 わ せ を 問題 とす る方法 と,特 定 の 民具 を指 標 とす る方 法 とを対 比 す る
こ とに よって,こ の 問題 を 発 展 させ て ゆ きた い。
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小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
特 定 の民 具 を1つ の 指標 と して,そ の 有無 や(数 量 的 な,あ る いは 形 態 的 な)変 異
に着 目す る こ とに よ って,特 定 の地 域 を 抽 出 した り,さ らに それ を区 分 した りす る こ
とが 可 能 で あ る。 た だ しこの段 階 で は1つ の 「現 象 」 を 指 摘 した に過 ぎず,抽 出 され
た 空 間 的 な 広 が りが 実 際 に は何 を反 映 した もの で あ るか は 未 だ不 明 の ま まで あ る。 し
か し,そ の 広 が りが既 知 の地 域 や 集 団 関 係 とた また ま一 致,な い しは近 似 す る場 合 な
どは,問 題 とす る特 定 の民 具 が そ の地 域 な り集 団 関 係 な りの特 性 と して理 解 され て終
わ る結 果 とな る。 また,他 の民具 の空 間 的 な 広 が りと一 致,な い しは近 似 す る場 合 に
は,両 民 具 間 の 機能 的 な関 連 が検 討 され,仮 に そ こに有 意 な関 連 が 見 られ なか った と
して も,複 数 の 民 具 の空 間的 な広 が りに よって 抽 出 され た範 囲 は,よ
り実 在 性 の 高 い
地域 と して 解 釈 され て ゆ く。
一 方,複 数 の民 具 の組 み合 わ せ を 問題 とす る場 合 で は,そ こ に含 まれ る民 具 ど う し
が い か に機 能 的 に 結 び つ い て い るの か,さ
らにそ れ らに 当事 者 の行 為 や 観 念が どの よ
うに 介 在 して くるの か が 焦点 に な って くる。 そ して次 の 方 法 的手 順 と して は,特 定 の
機 能 的 な側 面 か らの解 釈 が な され た 複 数 の民 具 の組 み 合 わ せ が,ど の よ うな空 間 的 な
広 が りを示 す か が調 べ られ る。た だ し,こ の よ うな 検討 を効 果 的 に 実 施 す る ため に は,
対 象 とす る民 具 各種 の数 量 的 な把 握 が 必 要 で あ る。 しか し,数 量化 に は未 だ 多 くの 問
題 が残 され て お り,実 際 に は定 性 的 な解 釈 に と ど まる場 合 が 多 い。 そ のた め に,複 数
の 民具 が問 題 と され,そ れ らの特 定 の組 み 合 わ せ が一 定 の範 囲 に広 が っ て いた と して
も,そ の広 が りは特 定 の機 能 的 な側 面 か らの 解 釈 が成 り立 つ 範 囲 で は な く,単 に1つ
の 「指 標 」 と して の複 数 の民 具 の組 み合 わ せ の 空 間 的 な広 が りに過 ぎな い ので あ る。
即 ち,実 質 は先 の 「特 定 の民 具 を 指標 とす る方 法 」 と変 わ る ところ の な い ものに な っ
て い る。
3.民
具 か ら物 質 文 化 へ
では,複 数 の民 具 の 組 み合 わ せ を,当 事者 の行 為 や 観 念 と関連 させ た うえ で機 能 的
な側 面 か ら解 釈す る研 究 方 向 を先 に 示 した が,こ の ことは 実 際 に可 能 で あろ うか 。 民
具 の定 義 と して は,機 械 製 品 や工 業 製 品 は 民 具 か ら除 外 され る こ とに な るが,一 方 で
民 具研 究 の 目的 が 生活 文 化 の 解 明 に置 か れ るの で あれ ぽ,そ の 目的 を遂 行 す るた め に
は,こ
こで 定 義 され る民,具と,民 具 に該 当 しな い機 械 製 品 や 工 業製 品 な どの 生 活用 具
とが,同 時 に検 討 され な けれ ば な らな いは ず で あ る。 ま たそ うで な けれ ぽ,そ こで機
能 的 な側 面 か らの 解 釈 を行 うこ とは難 しいで あ ろ う。 た だ し,実 際 に この よ うな 研 究
が 実 施 され た場 合,そ れ が 「民 具 」研 究 と呼 べ るか 否 か が逆 に問 題 とな って こ よ う。
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国立民族学博物館研究報 告 21巻2号
この よ うな 懸念 が あ るか ら こそ,民 具 研 究 の射程 を伝 統 的 な生 活 文化 や 「古 い生 活文
化」 【
河 岡 1972a:9】 の うち に と どめ るべ きで あ る との見 解 が 示 され る こ とが あ るの
だ ろ う。
民 具 のみ が生 活 用 具 の全 て で あ る よ うな暮 ら しを,今
日の 日本 社会 に お い ては もち
ろ ん の こ と,「 民 具 」 の 用 語 が 登 場 した1930年 代 に お い て さ>z..も,実際 に 求 め る こ と
は現 実 的 で な い。 しか し,以 上 の よ うな提 言 は 「民具 」 の概 念 と用語 を否 定 す る こ と
で は な く,民 具 を含 めた うえで の生 活 用 具 の全 般 を対 象 に し うる研 究方 法 の模 索 を 要
求す る もの と して理 解 され るべ きで あ ろ う。 こ こに研 究 対 象 を 民 具 が ら物 質 文 化 に移
行 させ る こ との意 義 が あ る。 尚,こ の よ うな問 題 は これ ま でに も民 俗学 な い しは 民 具
研究 の側 か らは 当然 の こ と,文 化人 類 学 の側 か ら も幾 度か 議 論 され て きた もの であ る
【
加 藤 1978;祖 父 江 ・大 給 ・中村 ・大 塚 1978]。
4.物
質 文 化 と考 古 学 研 究 法
「わ が 国の 民 族 学 に お い て物 質文 化研 究 とい うと き,そ れ は イ コール 民具 研 究 であ
った 」 【
祖 父 江 ・大 給 ・中村 ・大 塚 1978:299】。 「… 文 化 人 類 学 全 体 の流 れ と民 具 研
究 の 流 れ とは,全
く水 とア ブ ラの 如 き関 係 」 で あ る 【
祖 父 江 ・大 給 ・中 村 ・大 塚
1978:288】。 こ の よ うな状 況 を踏 ま え た うえ で,文 化 人類 学 の 側 か らは,今 後,文 化
人 類学 と して物 質 文 化研 究 を実 施 す る こ との意 義 が 次 の よ うに ま とめ られ て い る。
先 ず,物 質 文 化 と社 会組 織 との 関 連 性 を重 視 す る点 に そ の特 色 が 示 され るべ きであ
る。 また,文 化 全 体 の な か に おけ る物 質文 化 の位 置 付 け を 明確 に示 す こ と も,そ の重
要 な 役 目 とな る。 そ して や や具 体 的 で は あ るが,モ ノの変 化 が与 え る人 へ の 影響 の分
析 や,技 術 そ の もの の フ ォー ク ・シス テ ムにつ いて の 分析 な ど も文 化 人類 学 に相 応 し
い 課 題 で あ る。 さ らに,調 査 方 法 と して は悉 皆 調 査 の 実 施や,先
に論 じた よ うに分 析
対 象 を 民具 に限 らず,美 術工 芸 品,工 業製 品,大 規 模 な 施設,設 備 へ と拡 張 して ゆ く
点 が 指摘 され てい る 【
祖 父 江 ・大 給 ・中 村 ・大 塚 1978]。 尚,こ の よ うな研 究方 針 の
前 提 と な る物 質 文 化 の 定 義 と して は,「 人 類 が 生 き て い くた め の物 的 手 段 」 とい う狭
義 の もの が とられ て い る 【
祖 父江 ・大 給 ・中村 ・大 塚 1978:283]。
さて,以 上 に掲 げ られ た研 究 方 針 に 含 まれ る個 々の 検 討項 目は,ど れ も フ ィー ル ド
ワー クの 場面 にお いて 収 集 す る こ とが 可 能 な情 報 で あ る。 しか し,現 在,当 事 者 か ら
の 情 報 の 収集 も実 質 的 に は 既 に不 可 能 に近 く,.か ろ う じて物 質 文 化 が 残 され た だ け の
文 化 も多 くあ る。 こ の よ うな条 件 の も とで は,上 記 の 研 究方 針 は理 念 的 な もの と して
は 参 考 に な る が,実 際 の 分 析 に は よ り物 質文 化 に即 した 方 法 が必 要 とな って くるはず
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小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
であ る。 この要 請 に,考 古学 に おい て 鍛 え られ て きた 型 式学 的分 析 を は じめ とす る一
連 の研 究 方 法 の導 入 が 有 効 で あ る と考 え られ る。
5.型
式 学 的 分 析 と実 測 図 の作 成 に つ い て
先 に 「民 具 研 究 の現 在 」 の特 徴 の一 翼 を な す もの と して挙 げ た 「特 定 の民 具 を 指 標
とす る方 法 」 に は,考 古 学 研 究 法 に おけ る型 式 学 的分 析 を直 ちに導 入す る こ とが 可 能
で あ る。 指 標 と して選 定 され た 民 具 は,そ の形 態 的特 徴 と製 作 技 術 的特 徴 とか らい く
つ か の類 型 に 分 類 され,類 型 間 の形 態 的 ・技 術 的 変 異 に つ い て の型 式学 的連 続 性 が 検
討 され る こ とに よ って,各 類 型 は 発生 的 に よ り原 型 的 な ものか ら漸 次 的 な変 化 形 態 へ
と配 列 され,同 時 に そ れ らの変 化 が発 生 した 技 術 的 な要 因 につ いて の 解 釈 が そ こに 付
け られ る こ とに な る。 また,各 類 型 の空 間的 広 が りを 調 べ る こ とに よ って,指 標 とす
る民 具 の発 生 と伝 播 の 過程 も復 原 し うる場 合 もあ る。
この よ うな型 式 学 的 分析 を よ り客 観 的 な もの と し,ま た そ の 効果 を最 大 限 に 発揮 さ
せ るた め に は,分 析 対 象 とな る物 質 文 化 の 実測 図 の作 成 が 不 可 欠 で あ る。 観 察者 の 問
題 意 識 が 凝 集 され た 実 測 図 は,対 象 の形 態 的特 徴 だけ を 描 き記 した もの では な く,製
作 か ら使 用,そ
して廃 棄 に 至 る過 程 に生 じた形 状 の変 化 を 技 術 的 観 点 か ら評 価 した ラ
イ ソで 表 現 した もの で あ り,こ こが設 計 図 とは 根 本的 に異 な る点 で もあ る。 また,そ
れ は第 三 者 に よ って追 検 証 され うる もの で あ り,こ の こ とが 型 式 学 的 分析 の客 観 性 を
保 証 す る こ とに な る。
6.財
の カ テ ゴ リー 体 系 と 文 化 の 傭 瞼 図
「特 定 の民 具 を 指 標 とす る方 法 」 へ の型 式 学 的 分 析 の 導 入 だ け で あ って は,文 化 人
類 学 と して物 質 文 化 研 究 を 実施 す る意 義 が達 成 され た とは い い難 い。 民 族 資 料 と して
の民 具 を は じめ とす る物 質 文 化 の分 析 に 型 式学 的 な 方 法 を 導 入 す るの で あ れ ば,「 特
定 の民 具 を指 標 とす る方 法 」 に よっ て特 定 の地 域 を抽 出す る こ とか ら始 め るの で は な
く,む し ろ民族 的 な い しは 文 化 的 に措 定 され る地域,そ
の 内に あ る主 要 な複 数 の 物 質
文 化 に対 して,先 の よ うな 型式 学 的 分 析 過 程 を導 入 した ほ うが 有効 で あ ろ う。そ して,
そ の前 提 と して は,措 定 され る地域 内 に存 在 す る各種 物 質 文 化 の リス トを整 理 し,物
質 文 化 間 の 当 事 者 に お け る社 会 的 な 価 値 関 係,所 謂 「財 の カテ ゴ リー体 系 」 【
冨尾 ・
上 野 1983:89】 を 明 らか に して お く必 要 が あ る。 それ は 帰 属 す る カテ ゴ リーの 違 い
に よ って,物 質 文 化 の形 態 的 ・技 術 的 変化 の速 度 が 異 な る こ とが予 測 され るか らで あ
る。また,民 族 資料 と して もは や物 質 文 化 だ け しか 得 られ な い よ うな文 化 につ い て は,
399
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
各 種 物 質 文 化 の リス トの作 成 と個 別 の物 質 文 化 に つ い て の型 式 学 的 分 析 とを行 うこ と
に よって,む
しろ欠 落 して しま った 財 の カ テ ゴ リー体 系 を復 原 し うる こ と も期 待 され
る。
ク リール アイ ヌの物 質 文 化 を 取 り扱 う場 合,各 種 の物 質 文 化 の 数 量 が 少 ない の で 直
ち にそ こに 型式 学 的分 析 を 導 入 す るの は必 ず しも効果 的 で は ない 。 数 量 的 な保 証 を 確
保 す るた め に は,各 種 の物 質 文 化 ご とに,北 海 道 アイ ヌや サ ハ リ ソアイ ヌに おけ る 同
種 の物 質 文 化 を も含 め た うえで の 型 式 学的 分 析 が 望 ま しい 且)。
よ って,本 稿 で は ク リー
ル ア イ ヌの 物 質 文化 の うちで も民 族 資料 と しての 生活 用具(民 具 類)を 集成 し,用 途
に即 した 基 本 的 な分 類 を行 うこ とに す る。 これ は ク リール ア イ ヌ文 化 の モ ノに よ る{府
瞼 図 とな るで あ ろ う。
ま た,個 別 の 生 活 用具 の型 式 学 的 分 析 は別 の機 会 に 行 う こ と と して,代 表 的 な生 活
用 具 につ い ては 型 式学 的分 析 に欠 くこ との で き な い実 測 図 を作 成 す る。 そ して,以 上
の作 業 過 程 で物 質文 化 か ら得 られ た 情報 を整 理 し,そ の 内容 を既 存 の ク リー ル ア イ ヌ
民族 誌 と対 照 させ る こ とに よって,現 時 点 で可 能 な ク リール ア イ ヌの 民 族文 化 誌 の作
成 を試 み る こ とに す る。
1[. ク リ ー ル ア イ
民族誌 ・考古学か らの提言
ヌ
1. ク リ ー ル ア イ ヌ と は
ア イ ヌ民 族 は 北 海 道 と エ トロ フ 島 や クナ シ リ島 な ど の 南 千 島 に 居 住 す る 北 海 道 ア イ
ヌ と樺 太 南 半 部 の サ ハ リ ン(樺
太)ア
イ ヌ,そ
し て 中 部 ・北 千 島 の ク リ ー ル(千
アイ ヌとに 区 分 され る 【
鳥 居 1913;大 塚 1993b】(図1)。
ロ シ ア と の 領 土 の 狭 間 に 位 置 した 樺 太 と千 島 列 島 は,あ
と き は 交 換 さ れ,そ
島)
近 代 国 家 と し て の 日本 と
る と き は 分 割 さ れ,ま
たある
こ に 生 き る 人 た ち の 生 活 を 苛 酷 な ま で に さ い な ん で き た 【中 村
1904;菊 池 1994】。
千 島 列 島 の 場 合,1771年
の ウ ル ッ プ 島 事 件 や,1803年
ヌ の ウ ル ップ 島 へ の 渡 航 の 禁 止,1811年
日露 和 親 条 約 調 印 に よ っ て,エ
を 日 本 が,中
の 幕 府 に よ る エ トロ フ の ア イ
の ゴ ロ ヴ ニ ソ事 件 を 経 て,つ
い に は1854年
ト ロ フ 島 と ウ ル ッ プ 島 と を 境 と し て 分 断 さ れ,南
部 ・北 千 島 を ロ シ ア が 領 有 す る こ と に な る 。 以 後,南
た ア イ ヌ の 中 部 ・北 千 島 へ の 渡 航 は 中 断 さ れ,中
の
千 島
千 島 に居 住 して い
部 ・北 千 島 を 中 心 に 居 住 す る ア イ ヌ
1) この よ うな観 点 か ら型 式学 的分 析 を 実 施 した もの に 「ア イ ヌの杓 子 」1小杉 1996】 が あ る。
400
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
図1 「19世紀前 後 の ア イ ヌモ シ リ」(大 塚 【1993b】よ り一 部 改 変 転 載)
と南 千 島 の ア イ ヌ との 日常 的 な 接触 の機 会 は 断 た れ,前 者 の ロ シア化 は 一層 促進 ぎれ,
一 方 で 後者 は北 海 道 ア イ ヌとの共 通 性 を 強 め る こ とに な る
。
よ って ク リー ル ア イ ヌとは,千 島列 島が エ トロ フ島 と ウル ップ島 との間 で実 質 的 に
南 北 に 分 断 され る19世 紀 初頭 以 降 で は,特 に 中 部 ・北 千 島 の アイ ヌを指 す のが 妥 当 で
あ る。 尚,拠 点 的 な居 住 地 は そ の後,次 第 に 北 千 島 へ と移 って い き,中 部 千 島 は 彼 ら
の 出漁(猟)区
域 とな って い く。
1875年,日 露 両 国間 で 樺 太 ・千 島交 換 条 約 が成 立 し,中 部 ・北 千 島が 日本 の 領 有 と
な る と,一 部 の ク リール ア イ ヌは ロシ ア領 の カ ムチ ャ ッカへ と移 住 す る。 そ の 後,明
治 政 府 に よ っ て1884(明 治17)年
に は,北 千 島 の シ ュム シ3島 に残 留 した ク リー ル ア
イ ヌは 南千 島 の シ コタ ソ島 へ と強 制 移 住 させ られ る こ とに な る。 そ の 際 の 人 口は97人
であ った。 シ コタ ン島 で は彼 ら本 来 の生 業 で あ る狩 猟 ・漁撈 とはか け 離 れ た 農耕 民 化
401
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
が強 要 され,ま た 生 活環 境 の劇 変 は 彼 らの健 康 を害 し,島 での 人 口は急 速 に減 少 す る。
1930年 代 まで に人 口は 半 減 し,1945年 の ソ連 軍 に よる千 島 占領 後 は,南 千 島 に居 住 す
る北 海 道 アイ ヌを は じめ と し,シ コタ ン島 の ク リール アイ ヌは北 海 道 へ と再度 の移 住
を強 い られ る結 果 と な った。 現 在,ク
2.ク
リール ア イ ヌ文化 を継 承 す る人 た ち は い ない。
リール ア イ ヌ民 族 誌
現 在,イ
ン フ ォ ー マ ン トを え られ な い ク リー ル ア イ ヌ に あ っ て は,残
され た 数 限 ら
れ た 民 族 誌 あ る い は そ れ に 準 ず る 文 献 記 録 と物 質 文 化 で あ る ク リ ー ル ア イ ヌ民 具 類 か
ら,そ
の 文 化 を 再 構 成 す る よ り他 に 術 が な い 。 ク リ ー ル ア イ ヌ に 関 す る 民 族 誌 的 記 録
は,彼
ら が シ コ タ ン 島 に 強 制 移 住(1884年)さ
せ ら れ る 以 前 に 記 録 さ れ た も の,即
よ り伝 統 的 な 生 活 を お く っ て い た 時 期 の も の と,強
ち
制移 住 後 に主 に シ コタ ン島で 採 録
され た も の と に 分 け て捉 え る こ とが で き よ う。
1884年 以 前 の も の と し て は ク ラ シ ェ ニ ン ニ コ フ 著 『カ ム チ ャ ッ カ 地 誌 』(1755年),
ポ ロ ン ス キ ー 著r千
島 誌 』(1871年)が18世
紀 か ら19世 紀 に か け て の ク リ ー ル ア イ ヌ
に 関 す る 記 述 と して 最 も 充 実 して い る 。 『カ ム チ ャ ッ カ 地 誌 』 で は,千
に 位 置 す る シaム
ル ア イ ヌ と,パ
島列島の最北
シ ュ 島 並 び に カ ム チ ャ ッカ 半 島 の 南 端 ロ バ トカ と に 居 住 す る ク リ ー
ラ ム シ ル 島 並 び に オ ソ ネ コ タ ソ 島 に 居 住 す る ク リ ー ル ア イ ヌ とが 対 比
さ れ る 。前 者 は 習 慣 の 面 で 後 者 か ら の 若 干 の 影 響 を 受 け て は い る も の の,カ ム チ ャ ダ ー
ル 語 を 話 し,多 くの 習 俗 は カ ム チ ャ ダ ー ル と 共 通 す る も の で あ り,本 来 は カ ム チ ャ ダ ー
ル で あ る こ と,よ
1-721。 一 方r千
って 両 者 は 同一 民 族 で は な い こ とが 論 じ られ て い る 【
村 山 1971:
島 誌 』 で は,コ
サ ッ ク兵 が カ ム チ ャ ッ カ に 進 入 し て き た 当 時,即
ク ラ シ ェ ニ ン ニ コ フ の 記 録 が な さ れ た 時 期,あ
チ ャ ッ カ半 島 の 南 端 か ち シ ュ ム シ ュ島,パ
は 「ウ ィ ウ トエ ス ケ 」 と呼 ば れ,そ
る い は そ れ を 幾 分 遡 る 時 期 に は,カ
ち
ム
ラ ム シ ル 島 に 居 住 し て い た ク リー ル ア イ ヌ
れ よ りも 南 に 居 住 す る ク リー ル ア イ ヌ が 「ア ウ ソ
クル 」 と 呼 ぼ れ て い 泥 こ とが 記 録 さ れ て い る 。 前 者 は カ ム チ ャ ダ ー ル と の 強 い 類 縁 性
を 示 す が,む
し ろ ク リー ル ア イ ヌ化 し た カ ム チ ャ ダ ー ル と い うべ き で あ る こ とが 論 じ
られ て い る 【
鳥 居 1903:24-26]。
及 ぶ も の で あ り,ち
尚,H. J.ス
ノ ー の 記 録 は1870年
代 か ら1890年 代 に
ょ う ど シ コ タ ン島 へ の 強 制 移 住 の 前 後 の 年 代 に あ た る も の で あ る
【
ス ノ ー 1897,1910】 。
1884年 以 後 の も の と し て は,移
住 直 後 の1888年
の 記 録 を と ど め たR.ヒ
に よ る 「エ ゾ地 の 古 代 竪 穴 居 住 者 」 【ヒ ッチ コ ッ ク 1892],シ
の 調 査 を 実 施 し,身
402
ッチ コ ッ ク
コタ ン島 で形 質 人 類 学
体 形 質 の 上 で ク リー ル ア イ ヌ と北 海 道 ア イ ヌ と は 等 し い も の で あ
小杉 物質文化からの民族文化誌 的再構成 の試み
る こ と を 示 した 小 金 井 良 精 の 研 究 報 告 【KOGANEI l894】 な ど が 比 較 的 早 い 時 期 の も の
であ る。
移 住 以 後 の 記 録 で は あ る が,ク
蔵 の2著
【
鳥 居 1903,1919]で
の 調 査 期 間 で あ っ た が,シ
リ ー ル ア イ ヌ民 族 誌 と して 最 も著 名 な も の は 鳥 居 龍
あ る 。1899年
の5月
コ タ ン 島 の み な ら ず,イ
を 携 え て 故 地 で あ る 北 千 島 へ も赴 き,移
に か け て の2ケ
月あ ま り
ン フ ォ ー マ ン トの ク リー ル ア イ ヌ
住 以 前 の伝 統 的 な生 活 の復 原 的 な記 録 を 試 み
た 充 実 した 内 容 の 記 述 と な っ て い る。 ま た,林
心 と し た 数 回 に お よ ぶ 調 査 を 重 ね,併
か ら7月
欽 吾 は1934∼1938年
に シ コタ ソ島を 中
せ て これ ま で の 民 族 誌 的 記 録 を 整 理 し て,「 南
千 島 色 丹 島 誌 ・色 丹 島 の ア イ ヌ族 」 【
林 1940】 と い う ク リ ー ル ア イ ヌ に 関 す る 総 合 的
な 見 解 を ま とめ て い る。
3.鳥
居 龍 蔵 著 『千 島 ア イ ヌ』
『千 島 アイ ヌ』 【
鳥居 1903】 と東 京 帝 国 大学 理 科 大 学 紀 要 「考 古学 民 族 学 研 究'・千
島 ア イ ヌ」(仏 語)【 鳥 居 1919】 とが鳥 居 龍 蔵 に よる ク リー ル ア イ ヌ民 族 誌 の2著 で
あ る(以 下,前 者 を 日本 語 版 『千 島 ア イ ヌ』 な い しは単 に 「日本 語 版 」,後 者 を 仏 語
版 『千 島 ア イ ヌ』 な い しは単 に 「仏 語 版 」 と略 記 す る)。 鳥 居 は 東 京 帝 国 大 学 理 科 大
学 人 類 学教 室 教 授 で あ る坪 井 正 五 郎 に よ って 命 じられ,1899(明
治32)年
に 千 島列 島
で調 査 を行 うが,前 著 はそ のす ぐ4年 後 に刊 行 され た もの で あ る。 鳥 居 自身 に よ って
「前 編 」 【
鳥居 1904:425】 と呼 ぽ れ る 日本 語 版 は,「 総 論 」 の 他,10章
か らな る。 ア
イ ヌの コ ロポ ッ クル 伝説 との関 連 で 併 載 され た 「第10章 オ ソキ ロ ソ人 種 」(1896年,
東 京 人 類 学 会 雑 誌128に 発 表 した チ ュ クチ の伝 説 的 な先 住 民 に 関す る もの)と 書 下 ろ
しの 「第7章 千 島 アイ ヌの 土 俗(序 論)」 とを 除 くと,他 は 全 て 調 査 直 前 の1899年
5月 か ら1901年 まで に発 表 され た 千 島列 島調 査 に 関 す る各種 論 文 を編 集 ・再 録 した も
の で あ る。 「後 編 」 【
鳥居 1904:425】 とな る仏 語 版 は,調 査 か ら20年 を 経 て 発 表 され
る。 全 体 の三 分 の一 の分 量 を 占め る 「第20章 千 島 ク シ=ア イ ヌの 習俗 」 は2頁 足 ら
ず で あ った 前 編 の 「第7章 千 島 アイ ヌの土 俗(序 論)」 の本 論 に あ た る も ので あ り,
後 編 の実 質 的 な 柱 とな って い る。40項 目に分 れ る第20章 の 内 容 は,調 査 時 に収 集 した
ク リール ア イ ヌ民 具 類 の解 説 で あ る。物 質 文 化 に対 す る鳥 居 の 民族 学 的 な 態度 が遺 憾
な く発 揮 され た ところ で あ り,ク リール ア イ ヌに関 す る他 の 民 族誌 には 見 られ な い特
徴 とな って い る。 本 稿 で取 り扱 う民 具 類 の 主体 は,鳥 居 に よって収 集 され た この一 群
の物 質 文 化 で あ る。
前 編 との最 大 の 相違 は,そ の 間 に 実施 され た 満 州 ・蒙 古 ・朝 鮮 の 調 査 を通 して培 わ
403
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
れ た 日本 人 の 起 源 に 関す る考 え 方 が基 底 に据 え られ てい る点 で あ る。 そ もそ も坪 井 正
五 郎 に よって 命 じ られた 千 島列 島の調 査 目的 の 主 眼 が,コ
ロポ ックル伝 説 の 真偽 を確
認す るた めの 日本石 器 時 代 人 種 論争 の文 脈 に の る もの であ るだ け に,そ れ は 当然 の こ
とで あ るか も しれ な い。 前 編 と比 べ 各章 の記 述 内容 は全 体 と して よ り詳 し く丁寧 な も
の とな って い るが,反 面,日 本 人 の ツ ソ グー ス起 源観 を前 提 と して ア イ ヌの起 源 に 関
す る見解 を立 証 す るた め の論 調 には,調 査 後 直 ちに ま とめ られ た 前編 に見 られ る簡潔
な 表 現 と記 録 性 が 薄 れ て い る。
尚,鳥 居 め こ の2著 に は,同 一 の 事柄 につ い てい さ さか 齪 齪 が 生 じて い る と ころ が
何 箇 所 か 見受 け られ る。 そ の理 由 と して次 の2つ を指 摘 で き よ う。1つ は上 述 した よ
うな鳥 居 自身 の見 解 の進 展 に と もな う解 釈 の変 更 に よ る もの で あ る。 後編 の仏 語 版 は
T.R. P. Ernest Auguste Tulpin Y`よ って仏 語 訳 され た もの で あ るが,専 門性 の高 い記
述 で あ るだ け に翻 訳 の 際 の表 現 の仕 方 の違 いが 内容 の ズ レを生 ん でい る と ころ も あ る
よ うだ が,こ れ が も う1つ の理 由で あ る。後 に これ らの箇 所 を参 照 す る際 に は,前 後
の文 脈 か ら よ り妥 当 な方 を採 用 す る こ とにす る が,判 断 がつ き難 い場 合 は記 録 性 の高
い前 編 の 方 に 重 きを置 くこ とに した い。
4.中
近 東 起 源 説 と2段 階 移 住 説
鳥居 の ク リール ア イ ヌ民 族誌 を参 照 す る際 の 留意 点 を こ こで整 理 して お こ う。1つ
は,先 に アイ ヌの起 源 に関 す る見解 を立 証 す る ため の論 調 が後 編 では 全 体 に わ た って
顕 著 であ る と述 べ た が,そ の 見 解 とは アイ ヌ中近 東 起 源 説,並 び に北 海 道一 千 島2段
階移 住 説 とい うべ き もの であ る。 ア イ ヌ中 近 東 起源 説 は,そ の 起 源地 をペ ル シ ア南部
周辺 に求 め る もの で,そ こか らユ ー ラ シア大 陸 を横 断 し,日 本 列 島 の九 州 か ら本 州 へ
とた ど り着 い た とす る考 え であ る。2段 階 移 住 説 とは一
後 に 大 陸 か ら本 州 へ と移住
して きた ツ ン グー ス に よ って 追 い立 て られ た 日本 列 島の 先 住 民 で あ る ア イ ヌの一 群
は,や が て北 海道 へ と移 住 す る(第1次
移 住 民)。 本 州 に残 留 して い た ア イ ヌの一 群
も,さ らに後 代 に な って本 州 か ら追 い立 て られ て 北海 道 へ と移 住 す る こ とに な る(第
2次 移 住 民)。 す る と第1次
と第2次
の移 住 民 との 間 で 玉 突 き的 な衝 突 が お こ り,本
州 に住 み 着 いた ツ ソグー スす なわ ち 日本 人 と接 触 して金 属 器 を 手V'`して いた 第2次 移
住 民 に よ って,第1次
移 住 民 は北 海 道 か ら追 い 立 て られ 自然 環 境 が厳 しい さ らな る北
の地,千 島列 島へ と移住 して い った一
とい うもの で あ る。
北 海道 ア イ ヌ及 び ク リール ア イ ヌの起 源 につ いて,現 在 この よ うな見 解 を支 持 す る
も のは 皆無 で あ ろ うが,鳥 居 の ク リール ア イ ヌ民 族誌,特
404
にそ の後編 を参 照 す る う>x
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
で は,こ の 点 に留 意 してそ こか ら情 報 を 引 き出 さ な くて は な らな い 。 つ ま りこ の民 族
誌 に は,両 説 を 前提 と した1)ア
に 受 け継 ぐもの で あ り,2)北
イ ヌは 南方(本 州 を 含 む)か
らの文 化 要 素 を基 本 的
海 道 ア イ ヌよ りも ク リール ア イ ヌの方 が 古 い,す なわ
ち 伝統 的 な生 活 形 態 を維 持 して い る,と い う解 釈 の準 拠 枠 が あ る の であ り,情 報 を読
み 取 る際 に は この 準 拠枠 を取 り外 す こ とが必 要 に な って くる。
5.「
還元 的土俗 」
民 族 誌 の 作 成 に あ た って は,往hに
して よ り伝 統 的 な 生 活形 態 が 指 向 され る傾 向 に
あ る こ とを 指 摘 で き るが,こ の 傾 向 は 日本 に お け る民 族 学 の揺 藍 期 か ら の こ とで あ る
よ うだ。 鳥 居 は 次 の よ うに述 べ て い る。
・
・
出 来 得 べ きだ け,彼 等 の 土俗 中 よ り固有 の土 俗 を還 元 して 見 ま した 。 … … 余 が これ か
ら記 載 せ ん とす る土 俗 は,決
して現 今彼 等 の 示 せ る土 俗 で は な く,還 元 した 土 俗 で あ りま
すi鳥 居 1903:77】(傍 点 は 原 文 の ま ま)。
これ が 前 編 中 の 唯 一 の 書 下 ろ しで あ る 「第7章
千 島 アイ ヌの 土 俗(序 論)」 で論
じられ て い る点 が 重 要 で あ る。 つ ま り,鳥 居 が 収 集 した ク リール アイ ヌ民 具 類 の 解 説
で あ る後編 の 「第20章 千 島 クシ=ア イ ヌの習 俗 」 の 記 述 は,こ の よ うな性 格 の も の
な の であ る。 同時 に,ク
リール ア イ ヌ民 具 類 の収 集 活 動 に も同様 な配 慮 が払 わ れ て い
た こ とが 予 測 され る。 それ らを 用 い て民 族文 化 誌 的 再 構 成 を実 施 す る際 に は この点 に
十分V'`留意 せ ね ぽ な らな い。 ク リール ア イ ヌ民族 誌 と民 具 類 との うち で,ど こ まで が
1899年 時 点 で の シ コ タ ソ島 で暮 ら して い る ク リール ア イ ヌの 姿 か,ま た何 が 移 住 以 前
の北 千 島 で の生 活 の姿 か が,一 つ 一 つ 検証 され ね ぽ な らな いだ ろ う。
尚,こ の点 につ い ては 林欽 吾 の 「南 千 島色 丹 島 誌 ・色 丹 島 の ア イ ヌ族 」 【
林 1940]
が参 考 に な る。 ク リール アイ ヌに関 す る民族 誌 的 記 述 が,ロ
侵 略 当時(18世
紀),1884年
シア に よ る カ ムチ ャ ッカ
の シ コタ ソ島移 住 以前 の 「北 千 島時 代 」,移 住 以後 か ら調
査 時 の1930年 代 まで の いわ ぽ シ コ タ ソ島時 代 に概 ね 区分 され て い る の で,鳥 居 の 「還
元 的 土 俗」 と対 照 す る こ とが で き よ う。
6.北
千 島 に お け る考 古 学 調 査 か ら の提 言
さて,千 島列 島 で の考 古 学 的調 査 と して は,北 千 島 に関 す る研 究 が 比 較 的 に進 ん で
い る。特 に馬 場 脩 に よ る一 連 の 発掘 調 査(1933∼1938年)に
よ って,北 千 島 で は 「オ
405
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
ホ ー ツ ク式 土 器 時 代 」,「内耳 土 器 時 代 」,「末 期 」 の3時 期 が 設 定 され,ま た そ の 考 古
学 的文 化 内容 が 明 らか に され て い る。年 代 観 につ い て は今 後 の 検 討 に まつ とこ ろが 大
きい 。北 海 道 の編 年研 究 を参 照 す るな らば,概 ね 道東 の オ ホ ー ツ ク文 化 は5・6世
紀
∼13世 紀 に,内 耳 土器 の時 代 は14∼15世 紀 とい った年 代 観 が 与 え られ て い るが,北 千
島 で は これ よ りも全 体的 に年 代 が 下 る傾 向 に あ る。 例 え ば北 千 島 の 内 耳土 器 の下 限 の
年 代 と して は17世 紀 中葉 か ら18世 紀 頃 が 示 され て い る 【
辺 泥 ・福 田 1974:95】。 年 代
的 に は文 献 資 料 に よ って遡 上 で き る年 代 と結 び 付 け る こ とが 一 応 可 能 な状 況 で あ る。
さて,最 古 の文 化 と され た オ ホ ー ツ ク式 土器 時 代 は,道 東 の オ ホ ー ツ ク文 化 とは 様
相 を だ い ぶ異 に して お り,住 居 形 態 や 炉趾,自 然 石 を 利用 した 石 ラ ソプ,逆 刺 の あ る
骨 鎌,鈷 頭 な どはむ しろ カ ムチ ャ ッカ との 関連 が強 く うか が え る。 これ に つ い て,こ
の時 期 の 北千 島 には カ ムチ ャ ダール に 代 表 され る よ うな カ ムチ㍗ ッカ系 統 の人 び とが
居 住 して お り,オ ホ ー ツ ク式 土 器 に 代 表 され る よ うな オ ホ ー ツ ク文 化 の要素 を部 分 的
に取 り入 れ る こ とに よ って,北 千 島の 固 有 な文 化 をつ く りあげ て いた とす る見 解 も示
され て い る 【
菊 池 1972:81】。これ に 反 して,北 海 道 か ら南千 島を 経 て北進 した オ ホ ー
ツ ク文 化 系統 の人 び とが,や が て北 千 島 の 自然 環 境 に 適応 し,周 辺 の カ ムチ ャ ダー ル
な ど との民 族 接 触 を 経 た 結 果 で あ る との 解 釈 も提 示 され て い る1馬 場 1939:114;山
浦 1989:3011。 また そ の 際 に は オ ホ ー ツ ク文 化 の民 族 的 帰 属 と して サ ハ リンア イ ヌ
系 統 の人 び とが想 定 され る こ と もあ る[山 浦 1989:307】。
続 く内 耳 土器 時代 には,前 代 か ら系 統 的 な 連続 性 を保 つ 石 ラ ソ プや 石 ナイ フ,断 面
三 角 形 の 磨製 石斧 な どの一 群 も存 在 す るが,内 耳土 器 に代 表 され る よ うな 北 海道 系 の
要 素 や ク リール ア イ ヌの物 質文 化 につ なが る要 素 な ど も登 場 して くる。 また そ の分 布
は カ ム チ ャ ッカ半 島 の南 端 まで広 が る こ とが 確 認 され て い る。 これ につ い て は,北 海
道 か ら南 千 島 を 経 て新 た に到 来 した ア イ ヌが,前 代か らの 「北千 島 オ ホ ー ツ ク文 化 」
の 人 び とや カ ムチ ャ ダー ル,ロ シア人 との民 族 接 触 を遂 げ た 結果 で あ り,こ の 「内耳
土 器 人 」 こそ が ク リー ル ア イ ヌ の 祖 先 で あ る と い う見 解 が 示 され て い る 【
馬場
1939:115]a
以上,北 千 島 を 中 心 と した 考 古学 的 成 果 は,今 後検 証 す るべ き課題 を多 く残 しなが
ら も,ク
リール アイ ヌの民 族 的 あ るい は文 化 的 な 系譜 関 係に つ い て年 代 を 遡 り,い く
つ か の可 能 性 のあ る解釈 を提 起 して い る。 検 証 課 題 の 一 つ には,両 者 の類 似 性 が比 較
的 に 高 いが ゆ え に,実 際 に は具 体的 な分 析 ・検 証 が な され る こ との な か った 内 耳土 器
時 代 の物 質 文 化 と ク リー ル ア イ ヌ民 具類 との検 討 が 含 まれ てい る。 当然 の こ と と して
考 古 学 で は 直接 的 な 分 析 対 象 が 物 質 文 化 で あ るた め に,発 掘 調 査 で 得 られ た 種 々 の
406
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
デ ー タ と収 集 された ク リール ア イ ヌ民 具 類 とを,型 式 学 的 分 析 を は じめ とす る考 古 学
研 究法 では 同一 の基 準 で比 較 検 討 す る こ とが 可能 で あ る。 物 質 文化 か ら民 族 文化 誌 的
再 構 成 を実 施 す る際 に最 も有 効 性 を発 揮 し うる一分 野 とな って こ よ う。
皿.ク
1.ク
リ ー ル ア イ ヌ民 具 類 の 性 格
リ ー ル ア イ ヌ民 具 類
前章 に述 べ た よ うに,現 在,ク
リー ル アイ ヌ文 化 を継 承 す る人 た ちは お らず,現 存
す る資料 群 がそ の全 て とい うこ とに な る。 他 の アイ ヌ民 具類 と同様 に,国 内を は じめ
と して ヨー ロ ッパ諸 国 や ロ シア共 和 国,ア
メ リカ合衆 国 な どに も分 散 して収 蔵 され て
い る のが 現状 で あ る。 本 稿 で は 国 内に 収 蔵 され てい る民 具 類 を対 象 と して,そ の全 体
像 を把 握 す る と と もに,そ れ らを用 い て物 質文 化 か ら の民 族 文 化誌 的 再 構 成 を試 み た
い(表5 ク リール ア イ ヌ民 具 類 リス ト参 照)。
ク リー ル アイ ヌ民具 類 は,彼 らが過 した苛 酷 な歴 史 に対 応 して,シ
コタ ソ島移 住 以
前 に 収集 され た 民 具類 と移 住 以 後 の 民 具類 とに 分 け られ る。 こ こで は これ らを 前 期 民
具 類 と後期 民具 類 と呼 ぶ こ とに し よ う。 また,北 千 島 の考 古 資 料 の 中 に は,そ の使 用
者 や 製 作 者 を個 人 の レベ ル で 比 定 し うるほ ど年 代 的 に 新 しい もの も含 まれ て い る。 こ
れ な ど も民 具類(前 期 民 具 類)に 準 ず る もの と して把 握 ・整理 す る必 要 が あ る。 しか
し,今 回 の検 討 か らは一 応 除 外 し,特 に論 究 す るべ き も のだ け を個 別 に取 り扱 い,そ
の 全 体像 の把 握 は 別 の機 会 に譲 りた い。
2.前
期民具 類に つい て
今 回確 認 す る ことが で きた 国 内に あ る ク リール アイ ヌ民 具 類 は156点 で あ る。 収 集
時期 が 判 明 しな い も の も若 干 数 あ る が,大 半 は後 期 民 具 類 に 属 す る もの で あ る。 前 期
民 具類 は 全 体 の 約15パ ー セ ソ トに過 ぎ な い。1875年 の樺 太 ・千 島 交換 条 約 締 結 以来,
開 拓使 あ る いは 根 室支 庁 に よっ てお お よそ隔 年 ご とに千 島巡 航 が 実施 され るが,多
く
はそ の 際 に収 集 され た もの で あ る。 また,当 時 い くつ か の博 覧 会 が 催 され るが,そ
こ
に 出品 され た ものが そ の ま ま各 所 で 保 管 され た もの もあ る。 そ の他 に土 産 物 と して エ
トロフ島 や北 海 道 に 渡 った もの が収 集 され た もの も含 まれ て い る。
407
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
3.後
期民 具類 につ いて
後 期 民 具 類 は 当 然 の こ と と して,シ
る が,や
は,鳥
コ タ ソ 島 で 収 集 さ れ た も の が ほ とん ど 全 て で あ
は り土 産 物 と し て 島 外 に 出 た もの が 収 集 され た も の も あ る。 中 心 を な す 資 料
居 龍 蔵 に よ る1899年
の調 査 の際 に収 集 され た もの で あ る。 この民 具 類 は 東京 大
学 理 学 部 人 類 学 教 室 で 長 ら く保 管 さ れ て き た が,1975年
に 寄 託 さ れ,現
博)
在 は 民 博 で 保 管 さ れ て い る 。 鳥 居 の ク リー ル ア イ ヌ 民 具 類 は80点 で あ
る。 こ の う ち の2点
が シ ュ ム シs島,1点
れ た も の で あ り,ラ
シ ョ ワの1点
託 以 前 に,徳
に 国 立 民 族 学 博 物 館(民
が ラ シ ョ ワ 島,1点
が エ トロ フ島 で収 集 さ
は 前 期 民 具 類 に 属 す る 可 能 性 が あ る 。(尚,民
博寄
島 県 立 鳥 居 記 念 博 物 館 に 貸 し 出 さ れ た ク リ ー ル ア イ ヌ 民 具 類3点
(Fa28, Fa71,Fa74)2)が
あ り,現 在 同 館 で 展 示 さ れ て い る。)民 博 に は こ の 他 に 鳥 居
収 集 民 具 類 で は な い が シ ュ ム シ ュ島,パ ラ ム シ ル 島 等 で 収 集 さ れ た 金 属 製 品 も7点(民
博 標 本 番 号K2358,K2365,K2369,K2370,K2371,K2372,K2390)3)保
管 さ れ て い る が,
これ らは 移住 以 前 の もの で あ る。
こ の 他 に,馬
場 脩,林
欽 吾,杉
山 寿 栄 男 な ど の 収 集 品 も あ る が,戦
ま っ た も の も多 い よ うだ 【
名 取 1959:99]。
災 で失 われ て し
こ の う ち 馬 場 の 収 集 品 は,膨
イ ヌ民 具 類 を 中 心 と し た 「馬 場 コ レ ク シ ョ ソ」 の 一 部 と して,現
大 な数 の ア
在 は市 立 函 館 博物 館
で保 管 され て い る 【
長 谷 部 1992】。馬 場 コ レ ク シ ョ ソ の 千 島 関 連 資 料 の 中 に は,ク
リー
ル ア イ ヌ民 具 類 と考 古 資 料 と が 含 ま れ て い る。 数 量 的 に は 考 古 資 料 が 大 半 を 占 め,ク
リー ル ア イ ヌ 民 具 類 と し て は シ コ タ ン 島 で 収 集 し た6点
4.函
を 数 え るだ け で あ る。
館 博 物 館 収 蔵 ク リー ル ア イ ヌ民 具 類 の性 格
こ こで取 り扱 うク リール アイ ヌ民 具 類 は 収 集 年 代 が 古 い も ので あ り,今 日的 な観点
か ら必要 不 可 欠 で あ る情 報 の多 くが 欠落 して い る こ と もや む を え な い面 も あ るが,収
集者 の収 集 基 準 と収集 品 に見 られ る偏 向の 程 度 は 確認 して おか ね ば な らない 。
まず,市 立 函 館博 物 館 に収 蔵 され て い る ク リール ア イ ヌ民 具 類 を 例 に して,資 料群
の 性 格 を検 討 して み よ う。 現 在,函 館 博 物 館 に 収 蔵 され て い る ク リール ア イ ヌ関 連 資
料 は,先 に紹 介 した 馬 場 コ レクシ ョンに含 まれ る一 群 と,開 拓 使 千 島巡 航 の際 に収 集
2) rFa番 号 」 は東 大 原 簿 番 号 を示 す 。
3) 「K番 号 」,「H番 号 」 は民 博 標 本 番 号 を示 す 。 また 以 下 に登 場 す る 「函 番号 」 は 「函 館
博 物 館 収 蔵番 号 」 の,「 北 番 号 」 は 「北大 農 学 部 博 物 館 収 蔵 番 号 」 の,「 開 番 号 」 は 「北 海
道 開 拓 記 念館 収 蔵 番 号 」 の,「 旭 番 号 」 は 「
旭 川 市 博 物 館 収 蔵 番 号 」 の,そ れ ぞ れ 略 号 と し
て 用 い る。
408
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試 み
表1 函 館博 物 館 収 蔵 ク リール ア イ ヌ民具 類 内 訳
※1函1182(木
※2函988(三
※3函1084
偶)を
含 む 値 で あ る。
弦 琴) ,989(楽
器),登
録 番 号 欠(子
供 用 獣 皮 服),以
,1140,1162∼1169,1171,1211,1216は
い る 。 函1036(玉)は
上 の3点
を 加 え た 値 で あ る。
他 の 資 料 と の 重 複 で あ り,欠
番 とな って
館 長 谷 部 一 弘 氏(学
誤 登 録 で あ る た め 当 該 数 値 か ら は 削 除 。 収 蔵 番 号 の 訂 正 は,函
芸 係 長)か
館博 物
ら の ご教 示 に よ る 。
され た 前 期 民 具類 の一 群,こ れ らに少 数 の 個 人 寄 贈 資料 等 を 加 えた ものか ら成 って お
り,総 数218点 で あ る(表1)【
市 立 函 館 博 物 館 1979:62-68]。 前 述 の 通 り馬場 コ レ
ク シ ョソ ・ク リー ル アイ ヌ関 連 資料 の 内訳 は,シ
コタ ソ島 で 収 集 され た後 期 民 具 類6
点 と主 に北 千 島 で 採 集 した考 古 資 料 に あ た る184点 で,総 数190点 であ る。(但 し,r市
立 函 館 博 物 館 蔵 品 目録1・ 民 族 資料 編7』 の ク リー ル ア イ ヌ関 連 の馬 場 コ レ クシ ョソ
に は,考 古 資 料 と して は 土器 と石 器 とが含 まれ て は お らず,骨 角製 品 ・金 属 製 品 ・繊
維 製 品 等 のみ が 登 録 され て い る。)開 拓 使 そ の 他 の ク リー ル ア イ ヌ民 具 類 の 内訳 は前
期 民 具 類20点,後
期 民 具 類8点,総
期 民 具 類20点,後
期 民 具 類14点),考
数28点 で あ る。 両 者 を 合 わ せ る と民 具 類34点(前
古 資 料184点 とな る。 以 上 の 民 具類 と考 古 資 料 と
表2 函 館 博 物 館収 蔵 ク リール アイ ヌ民 具類 材 質 別 比 率
【考古 資 料 】
材 質
【民 具 類 】
点 数
%
%
点数
木 材製 品
4
2.2
13
38.2
繊 維製 品
12
6.5
11
32.4
皮 革製 品
2
1.1
2
5.9
骨 角製 品
84
45.7
7
20.6
石 製 品
26
14.1
0
0
ガ ラス製 品
11
6.0
0
0
陶磁器製 品
6
3.3
0
0
金属 製 品
3S
19.0
1
2.9
そ の 他
4
2.2
0
0
合 計
184
100.1
34
100.0
409
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図2 ク リール ア イ ヌ民 具 類 材 質 別 比 率
の材 質別 の割 合 を 整理 した ものが 表2・ 図2a・bで
考 古 資 料 で は 骨 角 製 品 が 最 も高 く約46%,続
14%で,上
位3項
あ る。
い て 金 属 製 品 の約19%,石
製 品 の約
目で8割 近 い値 とな る。 ガ ラス ・陶 磁 器 と有機 質 の木 材 ・皮 革 ・繊
維 製 品 とが それ ぞ れ 約1割
皮 革 ・繊 維 製 品 が 約77%,骨
とい う値 に な って い る。 一 方,民 具類 では 有 機 質 の 木 材 ・
角 製 品 が 約21%,金
属 製 品 が3%の
割 合 にな って い る。
この よ うに考 古 資 料 と民 具類 とで は極 め て対 照的 な材 質 構 成 に な って い る点 が 注 目さ
れ よ う。
考 古 資料 で有 機 質 の 製 品 が少 な い のは 通 有 の傾 向 で あ るが,民 具 類 の値 と比 べ る と
そ の 差 は歴 然 と して い る。 考 古 資 料 で圧倒 的 に 高 い割 合 を示 す骨 角 製 品 が 民 具 類 で少
な いの は,時 間 の 経 過 に と もな う文 化 要 素 の 変化 を示 す もの と推 測 で きる。 石 製 品 に
つ いて も同様 の こ とが い え よ う。 骨 角 製 品 ・石製 品 の減 少 に 反比 例 して登 場 して くる
もの の一 つ に金 属 製 品 が考 え られ るが,民 具類 で はか え って 考 古資 料 よ りも小 さい値
とな って い る。 また,ガ
ラス ・陶 磁 器 が 考 古 資料 に は見 られ るが,年 代 的 に 下 る民 具
類 で 欠 落 して い る。 一 見,時 代 を逆 行 す るか の よ うな こ の値 の 開 きは何 を 意 味 して い
る のだ ろ うか。 民 族 誌 か ら も知 る こ とが で き る よ うに,ク
リール ア イ ヌに と って は 金
属 製 品 や ガ ラス,陶 磁 器 は 全 て他 の民 族 との 交 易 に よ っ て手 に 入れ た もので あ る。 つ
ま り,彼 らに とって 伝 統 性 が薄 い これ らの一 群 は民 具 類 と して は相 応 し くな い とい う
判 断 が働 き,収 集 の 対 象 か ら外 され た ので あ ろ う。 尚,考 古 資料 と しての 玉 類 の 多 く
は ガ ラス製 で あ り,そ の 大半 は墓 地 か ら発掘 され た もの で あ る。 民 具 類 に ガ ラス製 の
玉 類 が 欠落 す る のは,玉 類 を装 着 す る習 慣 が な くな った の か,あ る いは そ れ らが葬 送
行 為 と深 く結 び付 い て い る が故 に収 集 し難 か った のか,検 討 を要 す る点 で あ る。
以 上 の よ うな民 具 類 の 全体 に及 ぶ 傾 向 を理 解 した うえ で,個 別 の資 料 に対 す る分 析
410
小杉 物質文化か らの民族文化誌 的再構成 の試み
が可 能 に な るの で あ る。
5.鳥
表3 鳥居 龍蔵 収 集 ク リール ア イ ヌ民 具 類 材
質別 比 率
居 龍 蔵 収 集 の ク リール ア
【民 具 類 】
材 質
点 数
木 材製 品
2s
45.5
繊 維製 品
11
20.0
布
製 品
10
18.2
皮革製 品
6
10.9
骨角製 品
1
1.8
石 製 品
0
0
であ
ガ ラス製 品
0
0
図2c)。 有 機 質 製 品 の 割 合 の
陶磁器製 品
0
0
圧倒 的 な高 さ と,金 属製 品 の少 な さ,さ
金属 製 品
z
3.6
らに ガ ラス ・陶 磁 器 ・石製 品が 欠 落 す る
合 計
55
イ ヌ民 具 類 の性 格
同 様 に して鳥 居 龍 蔵 の ク リー ル ア イ ヌ
民 具 類 の 材質 構 成 を 検 討 して み よ う。 木
製 品 が 約46%,繊
が約38%,皮
維 製 品(布 製 品 を 含 む)
革 製 品 が 約11%,以
上3種
の有 機 質 の 製 品 で9割 を超 え,そ の 他 は
金属 製 品 が4%弱,骨
る(表3・
角 製 品2%弱
点 な ど,全 体 と して 先 の函 館 博 物 館 収 蔵
ク リール ア イ ヌ民 具 類 と近 似 した材 質 構
%
ili
*本 表 は 徳 島 県立 鳥 居 記 念 博 物 館貸 出 中の
3点 を 含 み,所 在 不 明品9点 ・模 型 品13
点 ・原 材 料3点 を 除 い た 値 で あ る。
成 とな って い る。 但 し,鳥 居 の 民具 類 で
は 骨 角 製 品 が極 端 に少 ない 点 が 函館 博 収 蔵 品 と異 な るが,こ れ は 鳥居 収 集 民 具類 の大
半 が 後 期 民 具 類 で あ る こ とに 帰 す る為 であ ろ う。 また,考 古 資料 とは異 な り,繊 維 製
品 の割 合 が 高 く,そ の 中で も布 製 品 は そ の半 数 を 占 め,全 体 と して も2割 と比較 的 に
高 い値 であ り,民 具類 の特 徴 を 良 く示 して い る4)0
6.「 還 元 的 土 俗 」 の 実 践(1)
ま た,鳥
居 の 民 具 類 に は,以
模型品
上 に提示 した数 値 か ら除 外 した もの と して模 型 品 と原
材 料 と が 含 ま れ て い る 。 模 型 品 の 内 訳 は 仕 掛 け 弓4点,弓2点,箭1点,船3点,酒
箸1点,墓
標1点,仮
集 さ れ て お り,シ
面1点
の 計13点 で あ る。 弓 は そ の 現 物(K2332図
版15-1)も
コ タ ソ島 移 住 後 も 使 用 され て い た こ と を 民 族 誌 【
林 1940:194】
ら知 る こ と が で き る 。 一 方,模
型 品 の 仕 掛 け 弓(K2374他
収
か
図 版1-2・3)は4点
と
数 が 多 くTま た 現 物 が 収 集 され て い な い こ とや,鳥 居 の 民 族 誌 中 の 記 録 で も 特 に ク リ ー
ル ア イ ヌに つ い て で は な く ア イ ヌ 全 般 に 関 す る記 述 に な っ て い る 点 を 考 慮 す る と,シ
コ タ ソ 島 で は 既 に 仕 掛 け 弓 が 使 用 さ れ な く な っ て い た か,あ
4)民
具 類 の 中 で も繊 維 製 品,特
るい は希 だ った こ とが推
に 衣類 は収 集 し難 い こ とが 指 摘 され て い る が
【
宮 本 1979:
13】,考 古 資 料 と比 較 す るな らば そ の値 は極 め て 高 い もの で あ る。
411
国立民族学博物 館研究報告 21巻2号
測 され る 。
酒 箸 と さ れ る 模 型 品 は 長 さ17.5cm,幅lcmの
表 側 に は 両 端 近 く に キ ケ(削
パ ス イ(削
花)が
り掛 け つ き棒 酒 箸)に
小 形 品 で あ る(K2341図
そ れ ぞ れ 作 り出 され て い る の で,む
版13-2)。
しろ キ ケ ウシ
該 当す る で あ ろ う
。 ク リー ル ア イ ヌ は 熊 祭 りを 行 っ
て い な か っ た こ と が 記 録 され て い る の で 【
鳥 居 1919:466],こ
の キ ケ ウ シパ ス イ は あ
る い は 祖 霊 祭 り用 の も の か も しれ な い 【
ア イ ヌ文 化 保 存 対 策 協 議 会(編)1969:585】
模 型 品 で あ る た め に か,「 パ ス イ パ ル ソペ(箸
【
萱 野 1978:242-244]は
「パ ス イ サ ソ ペ(箸
の 心 臓)」
つ け られ て い な い 。 両 端 の キ ケ は 共 に 内 側 か ら外 側 へ 向 か っ
て 削 り出 さ れ て い る が,中
掲 載 さ れ た 第68図[鳥
の 舌)」 や
。
央 に は キ ケ はつ け られ て い な い。 仏 語版
居 1919:4511に
『千 島 ア イ ヌ』 に
見 ら れ る 椀 の 上 に の っ て い る 「イ クeパ
シュ
イ 」 と され る も の が 当 該 品 で あ る 。 現 状 で は 当 該 品 の 先 端 側 の キ ケ は ほ と ん ど 剥 が れ
落 ち て し ま っ て い る 。 尚,同
図(写
真)中
の 椀 は 酒 杯 で は な く,別 の 項 目(第20章18)
で 「調 理 用 具 」 と し て 紹 介 され て い る も の で あ り,当 時 既 に カ ム イ ノ ミを 遂 行 す る 道
具 類 を 収 集 し難 い 状 況 で あ っ た こ とが 推 測 で き る 。 墓 標 は 海 岸 の 流 木 を 用 い て 作 っ た
長 さ1m程
の杭 で あ る と鳥 居 は 記 述 して い るが 【
鳥 居 1919:452】,林
欽 吾 は墓 標 の
全 て が 十 字 架 で あ っ た と記 し て い る 【
林 1940:188】 。 シ コ タ ソ 島 で の 実 際 の 墓 標 の 写
真 が 鳥 居 【1919:452,第71図1や
る が,そ
ヒ ッ チ コ ッ ク 【1892:28,図
版41に
よ って 残 され て い
れ を 見 る 限 りで は 十 字 架 に 近 い 形 態 で あ り,墓 標 の 模 型 品(K2344写
真1)
が ロ シア正 教 に 改 宗 す る以前 の古 い形 態 の もので あ る こ とが わか る。
7.「 還 元 的 土 俗 」 の 実 践(2)
原材料
原 材 料 は土 器 の 粘 土 の混 和 材(草)1点(K2337),竪
写 真1 墓 標(模 型 品)K2344
412
穴 住 居 の 内部 に 用 い る草1
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
写 真2 土 器 混 和材(草)K2337
点(K2357)で
K2355)が
あ り,こ の 他 に食 物 とさ れ る 資 料 が1点(食
土3ケ,樹
ノ実9ケ:
あ る。鳥居 調 査 時 の1899年 当時,70歳 余 の ス テ フ ァニや60歳 余 の グ レゴ リー
よ りも約3世 代前 に,北 海道 アイ ヌを介 して 日本 と ロ シアか ら鉄製 の道 具 が供 給 され
る よ うに な り,既 に土 器 作 りは 行 わ れ な くな って い る5)。粘 土 に は 砂 と細 か く刻 まれ
た ノ ッカ ンキ と い う草 が 混和 され 素 地 が 作 られ た と語 られ て い る 【
鳥 居 1919:434】
が,K2337(写
真2)は
は な い が 図 版7-2は
この ノ ッカ ソキ に相 当す る もの で あ ろ う。 鳥 居 収 集 民 具 類 で
パ ラム シル 島 の ベ トポ6)で 収 集 され た 青 銅 製 の浅 鍋(K2390)
で あ る。 口径23.5cm,器
高11cm,重
さ730 gで あ る。胴 下 半 部 の 内側 に緩 く括 れ る
部 分 が 著 し く磨 耗 して お り,そ の 補 修 のた め に短 冊 形 の銅 板 が 外 側 か ら当 て られ 鋲 留
め され て い る。 鉱 用 の ル ープ形 の突 起1対 が 口縁 外 側 の対 向す る位 置 に 取 り付 け られ
るの が本 来 の形 態 で あ る。 当該 品 で は そ の片 側 の ル ー プ形 の突 起 が 既 に とれ て しま っ
て お り,そ れ を 胴 下 半 部 の銅 板 補 修 と同 じ手 法 で補 修 して い る。 限 られ た 材 料 と技 術
とで長 期 にわ た っ て使 い こまれ て いた 状況 が彷 彿 とさせ られ る。
以上 の模 型 品 や 原 材 料 の 多 くが,シ コタ ン島 に お い て は既 に見 られ な い もの で あ り,
のみ な らず 移 住 以 前 に おい て もか な り古 い 時期 に 消失 して しま った もの も含 まれ て い
る。 この よ うに 鳥居 が 収 集 した 民具 類 も 「還 元 的土 俗 」 の考 え 方 に 基づ くもの で あ る
こ とを,そ の模 型 品や 原 材 料 か ら確 認 す る こ とが で きる。
5) 『あ る老 学 徒 の手 記 』1鳥居 1953:210】 で は ス テ フ ァニが 若 い 頃 に は まだ土 器 作 りを して
いた,と い う記 述 に な って い る。 また,グ レゴ リー もそ の 当 時 は 土器 を使 用 して いた こ とに
な って い る。rあ る老学 徒 の 手 記 』 中 の 「北 千 島 調 査 」 とr千 島 ア イ ヌ』[鳥居 1903,1919】
とでは,同 一 の こ とに つ い て の説 明が 若 干 相 違 す る箇 所 が あ る。 この よ うな場 合 には,原 則
と して 『千 島 アイ ヌ』 の記 述 内容 を 採用 す る こ と にす る。
6)パ
ラ ム シ ル島 の コ タ ン=バ に 相 当 す る 【
鳥居 1919:330】。
413
国立民族学博物館研 究報告 21巻2号
】V.ク
1.用
リー ル ア イ ヌ民 具 類 の 構 成
途 分 類 に よ る ク リー ル アイ ヌ民 具 類 の 構 成
鳥 居 収 集 の ク リール アイ ヌ民 具 類 は 「還 元 的 土俗 」 の性 格 を 多 分 に も った も ので は
あ るが,一 時期 に収 集 され た もの と しては 他 に 例 を 見 な い ま とま った もの で あ り,収
集 量 も最 も多 い。 そ の全 体 が 当 事 者 の暮 ら しを どの程 度 平 均 的 に 反 映 して い る のか を
見 るた め に,個hの
民 具 を そ れ ぞ れ の用 途 に よ って分 類 し,そ の割 合 を 比 較 してみ る
必 要 が あ る。 しか し,1つ
の 道 具 に1つ の用 途 が 必 ず し も対 応 す るわ け で は な く,使
用 す る状 況 に よ って 同一 の道 具 が 例>xば 狩 猟 具 に な る こ と もあれ ば,料 理 道 具 と して
使 われ る こ と もあ る。 この よ うな 場 合 は二 重 に カ ウ ソ トす るの では な く,よ り妥 当 と
推 定 され る方 に属 させ て数 え る こ とに す る。 但 し,こ こで の 用途 の推 定 は 基 本 的 に は
鳥 居 の見 解 に従 う。 また,模 型 品 も現 物 に 準 じた 取 り扱 い をす るが,原 材 料 と食糧 と
の3点(K2337, の3点(Fa28, K2355, K2357)は
Fa71, Fa74)を
対 象 か ら外 す 。 徳 島 県 立 鳥 居 記 念 博物 館 に 展示 中
含 め,合 計68点 の民 具 類 を こ こで の分 析 対 象 とす る。
尚,鳥 居 の収 集品 以 外 の ク リール ア イ ヌ民 具類 に 関 しては,こ
こで の カ ウ ソ ト数 に は
表4 鳥 居龍 蔵 収集 ク リール ア イ ヌ民 具 類 用 途 別 比 率
用途分類
点 数
生業活動
13
家 事
服 飾
儀礼信仰
(合計)
30
16
漁撈
19.1
44.1
23.5
点 数
狩猟
io
14.7
3
4.4
料 理 ・食 事
13
19.1
育 児 ・教 育
3
4.4
裁 縫 ・工 作
5
7.4
雑事
9
13.2
衣服
7
10.3
装身具
1
1.5
履 物 ・被 物
3
4.4
携帯具
5
7.4
9
13.2
68
100.0
9
13.2
(儀礼 ・信 仰)
68
99.9
(合計)
*本 表 は 所 在不 明 品(9点)
414
用途細分
,並 び に 原材 料(3点)を
含 まな い 値 で あ る。
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試 み
図3 ク リー ル ア イ ヌ民 具 類 集成
415
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
含 め な いが,関 連 項 目 ご とに適 宜 紹 介 す る。
まず,生 業 活動,家 事,服 飾,儀 礼 ・信 仰 の4つ の 大項 目を 設 定 し,さ らに そ の 中
を い くつか の小 項 目に分 類 し,そ の 数 量 と各 民 具 類 の 特徴 を 概 観 す る(表4・
2.生
業 活 動 に 関 す る民 具 類(1)一
生業 活 動 と して は 狩猟,漁撈,採
狩猟
集,栽 培 ・農 耕,牧 畜 な どが 該 当 して くる。 狩 猟
具 は 仕 掛 け 弓及 び 箭4点,弓3点,箭2点,弩1点
の 弓(図 版15-1)は
図3)。
全 長107.5cm,最
の計10点,14。7%で
大 幅3」cmで,オ
あ る。K2332
ソ コ(イ チ イ)を 素 材 とす る
白木造 で あ る。 鳥居 は北 海 道 アイ ヌの 弓 が樹 皮 で 上 張 りされ るの に対 して,ク
リール
アイ ヌで は 白木 の ま まで あ る点 を 指 摘 して い る。 弓筈 は左 右 両 側 か ら削 り込 み を入 れ
た だ け の単 純 なつ く り,ト ドの腸 を素 材 とす る撚 りのか か った 弓弦 が結 び 付 け られ る。
K2356の
箭(図 版1-1)は
全 長48.9cm,柳
材 の矢 柄 の 一端 を 筒 状 に 挟 り込 み,そ
こに
鎌 の 末端(茎 部)を 差 し込 ん で海 獣 の 腱 で巻 き締 め て固 定 した もの で あ る。 鎌 は 鎌 身
と頸 部 とが一 体 に 作 られ た よ うな形 態 の鯨 骨 製 の 長 大 な もの で14.4+αcm(α
は茎部
の 長 さ)。 茎 部 は 矢柄 に差 し込 む よ うに細 く仕 上 げ られ て い る。 鍬 身 は左 右 に1対 の
逆 刺 が つ く対 称 形 で,片 面 側 の 中央 部 に は9×3mm程
の 窪 み(エ パ イ)が つ け られ
る。 これ は毒 を塗 り込 め る ため の ル ムチ ッ プ 【
萱 野 1978:149jと 呼 ぼ れ る窪 み に相 当
す る もの で あ るが,北 海道 アイ ヌに 普 通 に 見 られ る もの よ りもか な り小 さい。 矢 柄 の
末 端 は 弓 弦 に か か る よ うにU字
形 に挟 り込 まれ て い る。 矢 羽 は 矢 柄 の末 端 寄 りに3
枚 付 け られ る。 海 獣 の 腱 を矢 羽 の両 端 に 幾重 に も巻 き,さ らに 矢 羽 全 体 に螺 旋 状 に巻
き付 け て 固定 す る。 当 該 品 で は羽 が 全 て抜 け落 ち て しま って芯 だ け に な って しま っ て
い るが,仏 語 版 には そ の素 材 と して 鵜(ウ イ リ)の 羽 が用 い られ て い る こ とが 記 され
て い る。
そ こで 問題 とな るの は,シ
コタ ン島 で 収 集 され た この鯨 骨 製 の箭 が 当 時 に お い て も
実 用 品 と して用 い られ て い た ものか,と い う点 で あ る。報 告 の中 で 鳥 居 は,古 老 の ニ
セ フ ォール や ア レキサ ソ ダ ーが若 い頃 に 遊 び用 の骨 鎌 を 作 った とい う話 か ら,鉄 鎌 が
一 般 に 普 及 す る の は40∼50年 前 以 降 の こ とで あ ろ う と推 測 して い る 【
鳥 居 1919:
457】。 しか し後 年 に な って 鳥 居 は,調 査 を 実 施 した 当時 にお い て も骨鎌 を製 作 ・使 用
して い る と グ レ ゴ リーが 述 べ て いた こ と,鳥 居 自らが シ コタ ン島 の彼 らの集 落 でそ の
よ うな骨 鎌 を収 集 した こ とを記 してい る 【
鳥 居 1953:2081。 両 記 述 内 容 が正 しい とす
るな らぽ,調 査 当時 よ りも40∼50年 前 ころ か ら鉄 鎌 が 普 及 しだ す が,現 在(当 時)に
お い て もな お骨 鎌 は 製 作 され,鉄 鎌 と併用 され て い た とい う状 況 が想 定 され て こ よ う。
416
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
馬 場 コ レ クシ ョンの ク リー ル アイ ヌ民 具 類 の 中 に は 骨 製 の 「鈷 先 」(函1172)と
る シ コタ ソ島収 集 の もの が1点 あ る。 形 態 上 はK2356の
され
鯨 骨 製 の鎌 部 とほ ぼ 同 じで
あ り,先 に 想定 した 状 況 の 妥 当性 を 示 唆 して い る。 た だ し,模 型 品 と して も同一 形 態
の木 製 の箭(仕 掛 け 弓用K2330図
版1-2)が
収集 され て い る こ とを考 慮 す る必要 が あ
り,や は り当時 に お い て は既 に 骨鎌 を収 集 し難 くな った 状 況 が 進 行 してい た のか も し
れない。
3.生
業 活 動 に 関 す る民 具 類(2)一漁撈,そ
弓 ・箭 を全 て狩 猟 具 と した ので,漁撈
の他
具 と して は模 型 品 の船3点(4.4%)が
該当
す るだ け であ る(こ こで は運 搬 具 の項 目を立 てて いな い の で船 は 漁 拷用 具 に 属 させ る)
(図版2-1・2)。
図 版1-4),雪
尚,鳥 居 収 集 品 以 外 の狩 猟 な い しは漁撈 具 と しては 手 ガ キ(K2358
眼 鏡(函1253)が
あ る。 共 に1884年 以前 に シ ュ ム シ ュ 島 で収 集 され た
もの で あ る。
採 集,栽 培 ・農 耕,牧 畜 に関 連 す る民具 類 は 鳥 居 に よ っては 収 集 され て い ない 。 函
館 博 物 館 に は シ ュム シ ュ島 で収 集 され た鉄 製 の鎌 が 保 管 され て い る(函1178小
島倉
太 郎 氏寄 贈品 1884年 受 入)。 重 量 感 の あ る大 き な柄 頭 と前 方 に 張 り出 した 柄 尻 とを
もった 頑 丈 な木 製 の 柄 に,内 反 りの鉄 製 の 刃 が取 り付 け られ た もの であ る。 シ コタ ン
島移 住 後,農 耕 が奨 励 され た が,1894年8月
に耕 地 が水 害 を 受 け て 以来 ほ とん ど廃 止
され て しま った1林 1940:195】。牧 畜 につ い て は,ロ
当 時(18世
紀),カ
シアに よ る カム チ ャ ッカ侵 略 の
ム チ ャ ッカ半 島南端 とシ ュ ム シ ュ島 に 住 む ク リール ア イ ヌが ロ シ
アの 影 響 に よって 牛 を飼 育 して い た こ とが論 じられ て い る1林 1940:179】。 しか しこ
れ らは,鳥 居 の 「還 元 的 土俗 」 の対 象 に は 入 っ て くる もの で は なか った。 以上,生 業
活 動 関 連 の民具 類 は13点,19.1%と
な る。
シ コタ ソ島移 住 後 の ク リール ア イ ヌの生 業 活動 は,北 千 島 で の漁撈 ・狩猟 とは異 な
り,漁 網 に よる 漁業 や 牛 ・緬 羊 ・豚 ・鶏 の 飼養,そ して 農耕 が 奨 励 され る よ うに な る。
これ らは成 功 す る こ とな くや が て廃 止 され,1930年
代 に は夏 季 の 海 草採 集 が 主要 な 生
業 とな って いた 【
林 1940:194-198】。 鳥居 の調 査 年 は そ の間 であ り,北 千 島 で の 生 業
活 動 の 姿 は もは や そ こに は なか った 。 そ ん な中 にあ って 鳥居 が 収 集 した生 業 関 連 の 民
具 類 は 狩 猟 と漁撈 を 示 す もの だけ で あ る。 しか も,狩 猟 具10点 の うち,実 際 には 性 格
が不 明 なK2348(弩)を
の2点(図
除 くな らぽ,実 質9点 中 に現 物 はK2332の
版15-1・ 図版1-1)だ
弓 とK2356の
箭
け で あ り,し か も鯨 骨 製 の 箭 は 既 に 希 な存 在 に な っ
て い た と推 定 され る。 残 る7点 は全 て模 型 品 で あ る。 狩 猟 関 連 の現 物 の民 具類 の収 集
417
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
数 の 少 な さは,こ の方 面 へ の鳥 居 の 関 心 の度 合 いの 低 さを示 して い るの で は な く,既
に 収 集 が 困難 に な りつ つ あ った状 況 を 示 して い る と理 解 した方 が よ いで あ ろ う。漁撈
に つ い て も同 じ状 況 が想 定 され る。 シ コ タ ソ島 での 新 た な漁 業 が 北 千 島 で の海 獣 を 捕
獲 対 象 と した漁撈 活 動 とは ま った く質 を 異 にす る もの で あ った こ とは想 像 に 難 くな
い。 模 型船3点 は そ の あ らわ れ で あ る。 しか も,そ の 内 の2点 は船 印を表 現 す るた め
の もので あ る(図 版2-1・2)。
この 点 は,む
しろ鳥 居 の関 心 の所 在 と前述 した 解 釈 の
準 拠 枠(中 近 東 起 源 説)が 強 く作 用 して い る可能 性 も高 い の で,改 め て後 で詳 述 した
い。 い ず れ に して も生 業 活動 関連 の民 具 類 の 実質 的 な収 集 数 の少 な さは 注意 す るべ き
点 で あ る。
4.家
事 に 関 す る民 具 類一
料 理 ・食 事 用 具(1)ま
な い た,エ
ペル ニ
キ
家 事 と して は 料 理 ・食 事,育
児 ・教 育,裁
は い さ さ か 漠 然 と し た も の で あ る が,前
縫 ・工 作,雑
出 の3つ
事 な ど が 該 当 す る。 雑 事 と
の 小 項 目に 属 し 難 い も の を 対 象 とす
る。
料 理 ・食 事 用 具 に は ま な い た1点,エ
杓 子2点,椀1点,木
径30cm,材
盆2点
の 厚 さ7cmの
ペ ル ニ キ(女
の 計13点,19.1%が
子 用 小 刀)1点,発
火 具6点,
該 当 す る 。 ま な い た は 長 径64cm,短
大 形 品 で あ る(K2310図
全 周 に わ た っ て 縁 が 立 ち 上 が っ て い る の で,ま
版4-1)。 平 面 形 は 半 月 形 を 呈 す る 。
な い た と い う よ り も 浅 鉢 な い しは 盆 に
近 い 形 態 で あ る 。 こ の 中 で 調 理 す る 肉 や 魚 を 切 り刻 ん だ と 記 録 さ れ て い る が1鳥
1919:434】,そ
の 痕 跡 を 示 す 刃 物 痕 が 底 部 内 面 に 顕 著 に 残 さ れ て お り,ま
居
た底 部 外 面
に も 少 し で あ る が そ の 痕 跡 が 認 め ら れ る。 同 様 の も の は 北 海 道 ア イ ヌ に は 認 め ら れ な
い が,形
態 的 に は 大 く り鉢(ポ
平 面 形 は む し ろ 木 製 の 箕(ム
ロ ニ マ)と
共 通 す る 点 が あ る 。 た だ し半 月 形 を 呈 す る
イ)【 萱 野 1978:212】
に類 似 してい る。
鳥 居 は 「18.調 理 用 具 」 の 項 目 で い つ も 腰 に つ け て い る 小 刀(エ
を 用 意 す る こ と を 記 述 して お り 【
鳥 居 1919:433],ま
で はK2351を
呈 示 し て 女 子 用 の 小 刀(エ
て こ こ で は,こ
版2-3)は
が 直 線 的 で あ り,こ
た 別 の 項 目 で あ る 「9.短
刀」
あ る こ とを記 して い る。 よ っ
な ど とい う も の が あ っ た か は 不 明 で あ る。
柄 と 刃 部 と が 直 線 上 に あ り,ま
た 鞘 に 差 した 状 態 で も 柄 と 鞘 と
の 点 が 北 海 道 ア イ ヌ の も の と形 態 的 に 異 な っ て い る 。 鞘 の 装 飾 も
独 自 な 表 現 で あ る が,こ
418
食事
の 女 子 用 の エ ペ ル ニ キ を 料 理 道 具 と し て 数 え る こ と に す る。 特 に 料 理
専 用 の ス ケ マ キ リ(庖 丁)1萱 野'1978:215】
K2351(図
ペ ル ニ キ)で
ペ ル ニ キ)で
の 点 に つ い て は 後 述 す る 。 尚,仏
語 版 の 第34図
と し て3点
の
小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
エ ペ ル ニ キ(1∼3)が
呈示 され て い る 【
鳥 居 1919:424]。
あ り,男 子 用 の3はK2354で
あ る が,残
る1点
女 子 用 の1はK2351で
の 女 子 用 の2(図
現 在 民 博 に 保 管 さ れ て い る も の の 中 に 該 当 す る も の が な い 。1よ
版XVdAと
同 一)は
り も ひ と ま わ り小 さ
い が,細 部 の 作 りや 文 様 は 著 し く類 似 し て お り,同 一 の 製 作 者 に よ る も の と 思 わ れ る 。
5.家
事 に 関 す る民 具 類 一
発 火 具 は 木 臼や,木 杵,押
K2345の
料 理 ・食 事 用 具(2)発
火具
木,弓 を 個 別 に 数 え た の で 数 字 が 大 き くな って い る。
木 杵(図 版3-2)とK2346の
木 臼(図 版3-4)は,イ
ソフ ォーマ ソ トと して
鳥 居 に 同行 した グ レゴ リーが シ ュム シ ュ島 で 製 作 した もの で あ る。 こ こで発 火 具 と し
て取 り上 げ る もの は摩 擦 式 の 発 火具 であ り,そ の うち で も弓錐 摩 擦 が 該 当 して くる。
弓錐 摩 擦 を 特 徴 付 け る 弓 と して は長 さ43cm,最
れ て い る もの が 収 集 され て い る(K2350図
大 幅1.5 cm,弓 弦 に ト ドの 皮紐 が使 わ
版3-1)。 摩 擦 式 発 火 具 につ い て鳥 居 は,
主 だ った もの と して 「発 火 用 紐 錐 二就 テ ノニ 事 実 」 【
鳥 居 1896b】 や 「人 類学 上 よ り
見 た る我 が上 代 の 文 化(1)」
【
鳥居 1925】 に 収 め られ た 「上 代吾 人 祖 先 の発 火法 」
等 の論 考 を残 して い る。 そ の 中 で 弓錐 摩擦 を 用 い る民 族 と して北 太 平 洋 地 域 の ア リ
ュー ト,エ ス キ モ ー,チ ュ ク チ,コ
端 に ク リー ル ア イ ヌ を位 置 付 け,こ
リヤ ー ク,カ ム チ ャ ダー ル7)を 挙 げ,そ の 最 西
の 方 法 を 北 方 式 発 火 方 法 と呼 ん で い る 【
鳥居
1919:115】。 これ に 対 して 弓 と押 木 を 用 い な い揉 錐 摩 擦 に よる もQ)が 南 方 式 発 火 法 で
あ り,以 前 の 日本 人 や 北 海道 ア イ ヌが 用 い る方 法 で あ る こ とが 指 摘 され て い る。 鳥 居
は縄 文 時 代 の 凹石 を根 拠 に して,北 海道 ア イ ヌ も以前 は 弓錐 摩 擦 の 発 火 法 で あ った こ
とを推 測 して い るが,こ の 論 証過 程 は今 日で は 容 認 しえ な い。 しか し,北 海 道 ア イ ヌ
も以 前 に 弓錐 摩 擦 の 発 火法 を 実 際 に用 い て い た か 否 か に つ い て は 検 討 を 要 す る 。rア
イ ヌの 民 具 』 【
萱 野 1978:93】 に は 「イ キ サ プ」 と して 弓 錐摩 擦 の 発 火 具 が 一 式 図示
され て い るが,そ れ に つ いて の解 説 は な され て い な い の で詳細 は不 明 で あ る。
6.家
事 に 関 す る民 具 類 料 理 ・食 事 用 具(3)杓
杓 子 は そ の 規 模 に よ り,大
粥 用(ル
き い 方 か ら酒 粥 用(サ
カ エ カ ス プ),汁
ル カ ス プ)な ど に 区 分 さ れ る 【
萱 野 1978:220,221,234】
らば,K2342(写
真3)とK2343(図
版6-2)は
子,椀
用(サ
。 こ の 基 準 に 従 うな
粥 用 の も の に 近 似 す る が,鳥
て記 録 され た 北 千 島 で の ク リール アイ ヌの 食 事 内 容 【
鳥 居 1919:4531を
7)た
ヨ カ ス プ),
居に よっ
考 慮 す るな
だ し,仏 語 版 【
鳥 居 1919:443】 では カ ムチ ャ ダ ール は 北海 道 ア イ ヌ と同 様 に揉 錐 摩 擦 法
を用 い る とさ れ て い る。
419
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
写 真3 杓 子 K2342
らば,そ の 用途 は改 め て検 討 す る必 要 が あ る。 形 態 的 に は平 面 形 が 円形 を呈 す る椀 部
の先 端 が 三 角 状 に突 出 し,ま た そ の反 対 側 の柄 と接 す る部 分 も同様 に三 角 状 に 突 出 し,
しか も左 右 が 対称 に な る もの が そ の基 本形 で あ る。 た だ し,柄 と接 す る側 は 台形 状 を
呈 した り(K2342),三
角状 の突 出 を痕 跡 的 に と どめ るだ け の もの(K2343)も
あ りバ
ラエ テ ィーが あ る。 鳥 居 収集 品 で は ない が 民博 が保 管 す る他 の2点 の ク リール アイ ヌ
の 杓 子(K1948, K2388)並
び に北 大 農 学 部 博 物 館 収 蔵 の1点(北160)は
良 くあ らわ して い る。 同 じ北 大 収蔵 の 団子 箆(北161図
版6-1)も
この特 徴 を
そ の 先 端 が 三 角状
に 突 出 して い て,形 態 上 の 特 徴 を共 有 してい る。 尚,こ の 団 子 箆 は杓 子 の よ うに 柄 と
機 能 部 で あ る箆 先 とが 角 度 を も って 結合 す る点 に 特徴 が あ り,北 海道 ア イ ヌの シ トペ
ラ(団 子 箆)に 多 く見 られ る全 体 が 直状 を 呈す る もの とは 際 立 った違 いを 呈 して い る。
椀(K2362図
版5-1)は
口径10.2 cm,器 高6.1cmの
小 形 の もの が1点 収集 され て
い る。 口縁 は対 向す る2点 が 小 さな 波 状 を呈 し,そ の片 側 に は波 頂 部 直 下 に注 口が付
け られ て い る。 『土 俗 品 目録 』8)に は 「海 獣 ノ脂 ナ ドヲ入 ル ル ニ ア リ。(?)」
と記 載
され て い る。 また,前 述 の よ うに仏 語 版 の第68図 では 「26.酒 の儀 式 」 と して 「イ ク
=パ シ ュイ」(模 型 品)を の せ た 状 態 の写 真 が 示 され て い る 【
鳥居 1919:451】。 以上
の よ うに そ の用 途 を 限 定 す る こ とは難 しい が,料 理 ない しは 食事 用 の容 器 として は 他
の 形式 の容 器 もあ った で あ ろ うこ とは想 像 に 難 くな い。 鳥 居 は 北千 島時 代 の食 器 に つ
い て,「 食 事 は一 種 の皿(二ni,サ
使 って い た」[鳥 居1919:4531と
ラsara)に 盛 りつ け,さ
じ(パ シ ュイpashoui)を
記 録 してい るが,そ れ は 当然,こ の 注 口付 きの 小形
椀 で もな け れ ば,先 の 杓 子 で もな か った で あ ろ う。 それ に該 当す る もの は,鳥 居 収 集
8) r土 俗 品 目録 』 は東 大 資 料 の収 蔵 原 簿 に あた る もの。 詳 し くは 佐 々木 ・宇 野 【1993:71】参
照。
420
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
品 で は な い が,シ
形 食 器 」(函1081∼
コ タ ン島 移 住 以 前 の1875年
函1083 図 版7-1)や1886年
に シ ュ ム シ ュ 島 で 収 集 され た 木 製 の 「船
収 集 の 匙(函1085,函1086,函1095)
に 相 当 す る も の な どで あ ろ う。 匙 は 椀 部 の 平 面 形 が 楕 円 形 を 呈 す る 点 が 杓 子 と異 な っ
て い る 。小 形 品 の 函1085と
函1086は,椀
部 の 先 端 が 三 角 状 に 突 出 して い る 点 で,ク
ル ア イ ヌに 特 徴 的 な 杓 子 の 形 態 と共 通 す る 。 大 形 品 の 函1095に
い が,後
リー
は そ の特 徴 は見 られ な
述 す る ク リー ル ア イ ヌ特 有 の 文 様 を 柄 に 表 現 し て い る 。
7.家
木盆2点
事 に 関 す る民 具 類 一
の平 面 形 はK2367(写
短 辺 を設 け た8角 形,共
もの で あ る。K2368の
料 理 ・食 事 用 具(4)木
真4)が
方 形, K2368(図
盆
版5-2)が
長 方形 の 四隅 に
に 内面 と 口唇 部 上 面 を ク リール アイ ヌ特 有 の文 様 で装 飾 した
木盆 の文 様 構 成 の 中心 とな る5つ の 円形 は コ ンパ ス(針 に糸 を
結 び 付 け た ものか)を 用 い て下 書 きを して い る。 木 盆 に は 日本人 向け に 製 作 され た土
産 物 も あ り,北 大 収 蔵 の 杉 本 目出平 作 とされ る木 盆(北10250)は
和 人 趣 味 の花 柄 を
彫 り出 した もの で あ る 【
伊 藤 1996:4】。 尚,盆 に は ム リ草(・ ・マ ニ ンニ ク)を 素 材 と
して コイ ル 編 み で製 作 した 丸盆 もあ るが,こ れ な ども土 産 物 と して製 作 され た もの で
あ ろ う。
料 理 ・食 事 用具 の収 集 量 が 多 い のは,当 然 の こ と と して収 集 の しや す さ とい うこ と
も考 慮 す る必要 が あ るが,移 住 に伴 う生 業 の 変 化 の 度合 い に比 べ る と,料 理 ・食 事 用
具 に はそ れ に 対応 す るほ ど の変化 が生 じてい な か った こ とがそ の根底 的 な要 因 と して
あ った とも考 え られ る。 しか し,シ ュ ム シ ュ島 で収 集 され た木 製 の 「船 形 食 器 」 や 鳥
写真4
木 盆 K2367
421
国立民族学博物館研究報 告 21巻2号
居 収 集 品 には 見 られ ない 匙 や 団 子 箆 が収 集 され て い る こ とを 考 え合 せ る な らぽ,な お
多 くの各 種 用 具 の存 在 や 移 住 以 前 以後 で の変 化 が推 測 され よ う。 料理 の際 の刃物 と し
て は女 子 用 の エ ペ ル ニキ が 用 い られ た とされ て い るが,こ れ は移 住 以 前 の こ とであ り,
移住 以後 シ コタ ン島 で ど うで あ った か は問 題 で あ る。 また,鳥 居 の収 集 対 象 か らは除
外 され て い るが,鍋(K2390図
版7-2)な
どの金 属 製 の 料 理 ・食 事 用 具 も当 然存 在 し
て い たは ず で あ る。これ ら も含 め た うえ で,使 用 時 に おけ る料 理 ・食 事 用 具 の組 成(数
量 的 な比 率)の 把 握 が 必要 で あ る。 さ らに 料理 材 料 お よび 料 理 方 法,食 事 作 法 な どに
関す る よ り濃 い情 報 と合 せ て,料 理 ・食 事 用具 の体 系 的 な 復 原 を,北 千 島 時 代 と シ コ
タ ソ島時 代 との それ ぞれ で 行 い,そ の変 化 と生 業 活 動 並 び に 家 族構 成 の変 化 とに いか
な る相 関 が あ るのか を比 較 検 討 す る こ とが 今後 の課 題 とな って こ よ う。
8.家
事 に 関 す る民 具 類 一
育 児 ・教 育 用 具 は 小 児 負2点,木
育 児 ・教 育
偶1点 の 計3点,4.4%が
背 負 うた め の道 具 で あ る(K2313, K2339図
版8-la,図
あ る。 小 児 負 は 幼 児 を
版9-lb)。 平面 形 が 舟 形 を 呈 し,
側 面 形 で は 中央 部 が 下方 に湾 曲す る腰 掛 け板 と,背 負 う者 の額 に 当て る帯 部(額 当),
そ して 両者 を結 び つ け る皮 紐 とか ら成 り立 って い る。 基 本 的 な構 成 は北 海 道 ア イ ヌの
イ エ オ マ プ(お ぶ い紐)と 変 わ らな いが,北 海 道 アイ ヌの もの で は腰 掛 け 部 が 丸棒 で
あ るの に対 して,ク
リー ル ア イ ヌの もの で は舟 形 に 作 られ た腰 掛 げ板 で あ る点 が 相違
して い る。 腰 掛 け 板 の上 面 に は 鳥 や 矢 を つが>xた 弓,鈷 な どρ 絵 が線 彫 りされ て い る
(K2313写
真5)。
これ らは 幼 児 が 有 能 な 漁 師 に な る こ とな どを願 って 描 か れ た もの
写真5 小 児 負(腰 掛 け ・部 分)K2313
422
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
で あ る こ とが,古 老 の 話 と して記 録 され て い る 【
鳥 居 1919:426】。 額 当 は布 地 に刺 繍
を施 した も の で,そ の 図柄 は布 製 の腰 帯 の文 様(K2382∼K2386)と
共 通 す る もの で
あ る。 小 児 負 の用 い方 は,背 負 った 幼 児 の尻 に腰 掛 け 板 を 当 て が い,そ の 両端 か らの
び る皮 紐 に取 り付 け られ た1枚 の額 当を 額 で受 け る よ うに して幼 児 を支 え る もの であ
る。 ヒ ッチ コ ック も同種 の もの(資 料 目録 番号150768)を1888年
に シ コタ ソ島 で収 集
して い るが,そ の用 い方 と して 背 負 う者 は額 で は な くて胸 当 と して それ を受 け る と記
して い る。 この 点 につ いて 北 構保 男 は,鳥 居 の 日仏 語 両 版 『千 島 ア イ ヌ』 に 掲載 され
て い る実 際 に そ れ を使 用 して い る と こ ろ の写 真1鳥 居 1919:426,第40図
】 と 「千 島
アイ ヌ老 女 と少 女」 【
鳥 居 1903:56】 とを指 示 して額 で受 け る のが 一 般 的 で あ り,ヒ
ヅチ コ ックが 述べ る よ うな胸 受 け の例 は例 外 的 な もの で あ る こ とを論 じて い る 【
北構
1985:39,224]0
北 大 収 蔵 品 には 「背 負 縄(ヌ マ ラ シ タ ラ)」 と して保 管 され て い る額 当 とそ の 両 端
に結 び付 け られ た 皮 紐 とか ら な る製 品(北190)が
あ る。 額 当 の表 地 は ム リ草(ハ
マ
ニ ンニ ク)と 木綿 糸 とを 織 り合 せ た もの で あ り,織 り特 有 の幾 何 学 的 な 格 子 の 図柄 が
表 現 され て い る。 裏 地 は 紺 色無 地 の木 綿 布 で,表 地 と綴 じ合 せ てそ の縁 を 獣皮 で覆 い
縫 い 付 け られ た もの で あ る。 両 端 に も獣 皮 が 半 環 状 に縫 い付 け られ,そ
m数10cmに
こに長 さ1
及 ぶ 皮 紐 が そ れ ぞ れ1本 ず つ 結 び付 け られ て い る。 皮 紐 の先 端 に は,
そ こに孔 を 開 け 反 対側 の端 を そ の孔 に く ぐらせ て輪 が作 られ て い る。 こ の製 品 は1910
年 に 発 行 され た 『札 幌 博 物 館 案 内 』 に も 「背 負 縄 ・61号(千
1910:55]と
島 國 色 丹 島)」 【
村田
して登 録 され て い る も の で あ り,収 蔵 当初 よ りこの よ うな形 態 で あ った
こ とが うか が わ れ る。 ク リー ル ア イ ヌ の タ ラ(背 負 縄)が 北 海 道 ア イ ヌの もの とは や
や 異 な り,こ の よ うな 形 態 で あ った と も理 解 され る。 しか し,皮 紐 の先 端 に作 られ た
輪 がK2339(図
版8-1a,図
版9-lb)の
腰掛 け 板 へ の皮 紐 の結 び方 と共 通 す る点 を 考 慮
す る な らぽ,こ の製 品 が ク リー ル ア イ ヌの小 児 負 の腰 掛 け板 が取 り外 され た状 態 の も
の で あ る可 能 性 も十 分 に考 え られ る。 尚,根 室 で収 集 され た もの で あ るが,ラ イ プ チ
ッヒ州立 民 族 学 博 物 館 に も 同 じ製 品(収 蔵 番 号OAs-1669)が
特 徴 的 な形 態 か ら,ク
収 蔵 され て い る。 そ の
リール アイ ヌの も の で あ る と指摘 され て い る1佐h木
1993:
1431,
鳥 居 は木 偶 が か つ て は崇 拝 の 対 象 で あ った が,現 在 で は玩 具 に す ぎな い とい うこ と
を再 三 強調 して い る 【
鳥 居 1919:444,449]。
「還 元 的土 俗 」 を 目指 す 鳥居 と して は他
の記 述箇 所 とやや 調 子 が違 ってい る点 で あ り注 意 が 必要 で あ る。 後 に言 及 した い 。 鳥
居 に よ り収 集 され た 木 偶(Fa74:現
品 は 徳 島 県立 鳥 居記 念 博 物 館 に展 示)は 衣 服 を
423
国立民族学博物館研 究報告 21巻2号
ま とい,帽 子 や靴 をつ け た写 実 的 な表 現 を した もの で あ り,当 時 の写 真 資 料 と共 に服
飾 に関 す る重 要 な情 報 を 提供 して い る。考 古資 料 と して は シ3ム シ ュ島別 飛 第3号 竪
穴 か ら出 土 した木 製 の人形(図 版13-4)が あ る。馬場 脩 に よる北 千 島 の時 代 区 分 で は,
別 飛 第3号 竪 穴 は 内耳 土 器時 代 に後 続 す る 「末 期 」 に属 す る こ とに な る。
9.家
事 に 関 す る民 具 類 一
裁 縫 ・工 作(1)織
裁 縫 ・工作 用 具 と して は織 物1点,針
1点,足
型1対 の計5点,7.4%で
入 れ(縫 針)2点,エ
物,針
入れ
ペ ル ニキ(男 子 用 小 刀)
あ る。
K2322は 製 作途 中 の織 物 で あ る。 織 物 の経 糸 には 恐 ら くム リ草(・ ・マ ニ ソニ ク)を
用 い,緯 糸 に は木 綿 の色 糸 が使 わ れ てい る。 そ の用 途 と して,鳥 居 は帯 で あろ うと想
定 して い るが,『 内 外 土俗 品 圖 集 』(第7輯)【 長 谷 部 1939:1】 で は小 児 負 の額 当 で あ
る と して い る。 こ の織 り方 と素 材 の用 い 方 とは,先 に紹 介 した北 大 収 蔵 の 「背負 縄 」
即 ち小 児 負 の額 当 と共 通 す る もの で あ り,後 者 の想 定 の 方 が 妥 当 で あ る。 尚,製 作 途
中 の収 集 品 と して は後 出 の編 み 容 器 の うち に も1点 あ り,鳥 居 が製 作 技 術 の把 握 に も
強 い関 心 を 示 して いた こ とが 良 く窺 え る資料 で あ る。
ク リール ア イ ヌの針 入 れ と して は2種 類 の ものが 知 られ て い る。1つ は 円筒形 に切
断 した 鳥 の管 骨 に皮 紐 を通 した 伝 統 的 な もの で あ る。 針 は 皮紐 に刺 して保 管す る。 か
つ ては 骨 製 の針 で あ った が,や が て難 破 船 の漂 着 物 か ら取 り出 した鉄 材 を 鍛 え 直 して
作 った 鉄 針 へ と変 わ って い った 【
鳥居 1919:422】。 馬 場 脩 に よる北 千 島の オホ ー ツ ク
式 土 器 時 代 に は 既 に 同 様 の針 入 れ が 出現 して い る1馬 場 1939:491。 鳥居 が仏 語 版 の
図版XVdD【
鳥 居 1919:533】 に 図 示 した針 入 れ は,皮 紐 の先 端 にエ トピ リカ鳥 の嗜
を飾 りと して付 け た もの で あ るが,そ の 当該 品 は民 博 が 保 管 す る鳥 居 収 集 品 の 中 には
見 られ ず,ま たr土 俗 品 目録 』 に も収 集 した こ とが 記 録 され て い な い。
他 の1つ は 「ケ モeオ ク」 と呼 ぽ れ る布製 の針 入 れ で,最 近(当 時)に な って カ ム
チ ャダ ール か ら伝 わ った もの で あ る。 鳥 居 収集 品 には2点 の布 製 の針 入 れ(K2349図
版10-1,K2380)が
あ る。 縦i長の長 方 形 の上 端 が 三 角 形 を 呈 す る布 地 の もの で,三 角
形 の頂 部 に は30∼40cm程
こ とが で き る。K2349(図
の紐 が 縫 い付 け られ てい る。3段 に折 りた た ん で携 帯 す る
版10-1)は
表 側 に3つ の ポ ケ ッ トが付 い て い て,全 体 が 刺
繍 で飾 られ て い る。 この針 入れ が ク リール ア イ ヌに 伝 統 的 な もの では な い の に鳥 居 の
収 集 対 象 とな った のは,そ の刺 繍 文 様 が ク リー ル ア イ ヌ特有 な表 現 で あ った た めで あ
る とも指摘 され て い る 【
大 塚 1993b:28】。
K2380の 頭 部 の三 角形 の部 分 に は鉄 針 が 刺
し留 め られ,そ の 針 穴 を 通 した 糸 が そ こに巻 き付 け られ て い る(写 真6)。K2349の
424
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
写 真6 針 入 れ(針
と縫 糸)K2380
上 端 の 三角 形 の部 分 は 布 地 に た るみ を もたせ,横 方 向 に の び る襲 が 作 りだ され て い る。
K2380の 針 の刺 し留 め を参 照す る な らぽ,こ の襲 は 偶 然 に 生 じた も の では な く,針 を
刺 し留 め 易 くす るた め の 工夫 で あ る と考 え られ る。
さ て,こ の2種 類 の針 入 れ は使 用 の場 に お い て は どの よ うな 関係 に あ った の か。 仏
語 版 には 鳥 管骨 の針 入 れ は 当 時 も使 用 され て お り,針 も鉄 製 で あ っ た こ とが 記録 され
て い るが 【
鳥 居 1919:422】,一 方 『土 俗 品 目録 』 に は 「此 針 入 ヲ用 ヰ ル ニ及 ビ彼 ノ骨
製 ノモ ノハ 廃 ル ル至 レ リ」 と記 され て い る。 布製 の針 入 れ が使 い始 め られ る よ うに な
った の が最 近(当 時)の こ とで あ る と して も,カ ムチ ャ ダール か ら伝 わ った と され て
い るの で,シ コ タ ソ島移 住 以 前 で あ る こ とは 確 か で あ る。 よって,鳥 居 の調 査 当 時,
布製 の針 入 れ が 一 般化 す る中 で,依 然 と して 伝 統 的 な骨 製 針 入 れ も細hと では あ るが
使 い続 け られ て いた 状 況を 想 定 す るの が妥 当 で あ ろ う。
10.家
事 に 関 す る民 具 類 一
裁 縫 ・工 作(2)エ
ペ ル ニ キ,足
型
工 作 用具 を代 表 す る もの は エペ ル ニキ(小 刀)で あ る。種 々 の木 製 品 の 加工 を は じ
め として,暮
ら しの 中で の様 々な切 載 の場 面 で用 い られ る。 先 に女 子 用 の エ ペ ル ニ キ
を料 理 用 具 と して扱 った の で,こ こで は 男 子用 の エペ ル ニキ(K2354写
真7)の
みを
カ ウ ソ トの 対 象 とす る。基本 的 な作 りは 女 子用 と同 じで,柄 と刃 部 とが 直線 上 に あ り,
鞘 も反 らず に 真 直 く・で,ま た鞘 に差 した 際 に も柄 と鞘 とは 直線 的 に な る。 女 子 用 と比
べ て鞘 と柄 の 装 飾 が簡 素 で あ り,鞘 に 「柳 葉 」形 の文 様 と三 角文(写 真8)が
られ る だけ で あ る。柳(ス
浅 く彫
ス)は ア イ ヌに と って神 木 で あ り,そ の文 様 で あ る この柳
425
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
写 真7 エ ペ ル ニキ(男 子用) K2354
写 真8 エ ペ ル ニ キの 鞘(部 分)K2354
葉 文 は 所 有 者 を 悪 霊 か ら守 る と説 明 され て い る[鳥 居 1919:423,4691。
また,埋 葬
の 際 に は エ ペ ル ニ キ を 帯 刀 させ 死 者 を 葬 った こ と が 記 録 され て い る 【
鳥 居 1919:
451]0
仏語 版 に は履 物 の 説 明 の項 で,海 獣 の皮 製 長 靴 と共 に 木製 の足 型(靴 木型)の 写 真
を 掲載 して い るが,そ の 足型(K2377写
真9)に
つ い て の解説 は 特 に付 され て い な い。
『土 俗 品 目録』 には 「長 靴 ヲ製 作 ス ル トキ用 ヰ ル足 型 ナ リ」 と説 明 され て お り,一 方
で収 集 され た 長靴(K2376)は
鳥 居 の た め に製 作 され た も ので あ る こ とが記 され て い
る ので 【
鳥 居 1919:425],こ
の種 の足 型 が そ の製 作 に用 い られ た と考 え られ よ う。 こ
の海 獣 皮 製 の 長靴 は,概 ね 底 ・踵 ・甲 ・脛 の4つ の部 分 か ら組 み 立 七 られ て い る立 体
的 な作 りの もの で あ る。 北 海 道 アイ ヌに見 られ る,踵 と底 とか ら足 の側 面 と爪先 とを
426
小杉 物 質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
写 真9 足 型(靴 木 型)K2377
包 み 込 む よ うに して 巻 き上 げ て 甲 の と ころ で ま とめ て縫 合 す る魚皮 製 の靴 な ど とは,
基 本 的 に異 な る作 り方 で あ る。 ク リール アイ ヌの製 作 と考 え られ る 同 じ形態 の足 型 が
ライ プ チ ッ ヒ州 立 民 族 学博 物 館 に も収 蔵 され て い る(収 蔵 番 号OAs-1667a-f収
集地
根 室)。 これ につ い て は ロ シア の影 響 を受 け た もの か との 想 定 が な され て い る 【
佐々
木 1993:101】。足 型 に つ い て で は な い が,鳥 居 は カ ム チ ャダ ー ル も 同種 類 の海 獣 皮
製 の長 靴 を 使 用 して いた と古老 が語 ってい た こ とを記 録 して い る 【
鳥居 1919:425】。
海獣 皮 を素 材 とす る長 靴 は と もか く,木 製 の足 型 に はRシ アの 影 響 が色 濃 く窺 え るた
め に,そ れ へ の 言及 が な され な か った とも考 え られ る。
以 上,同
じ小 項 目 「裁 縫 ・工 作 」 に属 す る もの と して,織 物 ・針 入れ(縫 針)・ エ
ペ ル ニキ ・足 型 を取 り扱 って きた。 しか し,織 物 は文 様 を表 現 す る と同時 に 素 材 そ の
もの を作 り出す もの で あ り,縫 針 や エ ペ ル ニキ な どの 刃物 類 は 様hな 製 作 や 加工 に 主
体 的 に 係 わ り,足 型 は 限定 され た 用 途 のみ に機 能 す る もの で あ る。 縫針 と織 物(織
の 技 術),並
び に エ ペ ル ニ キは 多 目的 な製 作 に 対 応 す る もの で あ る と同 時 に,彼
り
らの
物 質 文 化 の 中 で最 も巧 み な造 形 表 現 を可 能 にす る もの で あ り,他 の 道具 類 とは 本 質 的
に異 な る点 を指 摘 で き る。
11.家
事 に 関 す る民 具 類 一
雑 事(1)編
み 容器
雑 事 に 係 わ る 用 具 と して は 編 み 容 器7点,縄1点,暦1点
の 計9点,13.2%で
先 に も 述 べ た よ うに 雑 事 と は,家
児 ・教 育,裁
事 の うち 料 理 ・食 事,育
あ る。
縫 ・工 作 の
427
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
3小 項 目 に 属 さ な い も の を 一 括 し て 設 け た 小 項 目 で あ る。9点
す る が,そ
の うち の7点
K2319)で
あ る9)0ム
(巻 上 げ 技 法)に
は 編 み 容 器(テ
リ草(ハ
ソ キ6点:K2314∼K2318,K2352,盆1点:
マ ニ ソ ニ ク)を
素 材 と した 編 み 物 の 中 で も コ イ ル 編 み
よ る製 品 は 鳥 居 の 収 集 品 以 外 に も 多 く の も の が 残 され て い る 。 コ イ
ル 編 み に よ る 製 品 は テ ソ キ(蓋
付 き の 小 籠)の
他 に も盆 や 帽 子,杯
刺 入 れ な ど が 製 作 さ れ て い る 。 列 記 す る と,函
1097,函1205,函1207),北
35367)・
台,菓
子 入 れ,名
館 博 物 館 の テ ン キ4点(函1096,函
大 農 学 部 博 物 館 の テ ン キ3点(北10462,北10463,北
盆1点(北35368)・
れ1点(北10297)の
開ll355)・
の収 集 品 が そ れ に該 当
帽 子1点(北10465)・
計7点lo),北
盆2点
杯 台1点(北10461)・
菓子入
海 道 開 拓 記 念 館 の テ ン キ3点(開ll353,開11354,
・帽 子1点(開11356)・
菓 子 入 れ1点
・名 刺 入 れ1点
の 計8点11)
な ど で あ る。 こ の うち 製 作 年 な い しは 収 集 年 が 明 確iで1884年 の シ コ タ ン 島 移 住 以 前 に
製 作 さ れ た こ と が 確 認 で き る も の に は 函1205(テ
1879年)・
北10461(杯
台 1879年)が
ソ キ 1875年)・
あ る 。 盆 や 帽 子,菓
北10465(帽
子
子 入 れ な ど と い った も の が
土 産 物 と し て 製 作 さ れ て い た こ とは 明 ら か で あ り,テ ソキ も一 部 は そ うで あ っ た ろ う。
しか も そ の よ う な 製 作 が シ コ タ ソ島 移 住 以 前 か ら 行 わ れ て い た の で あ る 。 これ ま で に
確 認 して き た 鳥 居 の 収 集 方 針 か ら す る な らぽ,土
に も か か わ ら ず,収
る12)。 しか し,編
集 さ れ た 編 み 容 器 の 内 に1点
産 物 の 類 は 除 外 され る は ず で あ る 。
の 盆 が 入 って い る点 が 不 可 解 で あ
み か け の テ ソ キ が 収 集 さ れ て い る こ と な ど を も考 慮 す る な ら ば,そ
の 造 形 的 な 素 晴 ら し さ と と も に,鳥
居 の 製 作 技 術 に 関 す る 関 心 の 高 さ が 作 用 した 結 果
で あ る と 推 測 さ れ よ う。 雑 事 関 連 の 民 具 類 に 占 め る テ ソ キ を 主 体 とす る 編 み 容 器 の 数
量 の 多 さ も こ の た め と考 え られ る 。 尚,K2352(図
に用 途 が
「裁 縫 道 具 入 レ(?)」
版11-3)の
と記 録 さ れ て い る も の で あ る 。 内 面 に 紙 が 貼 り廻 ら
さ れ て 編 目 の 凹 凸 が 覆 い か く さ れ て い る。 こ こ で は 一 応,前
な くて,他
ム リ草(ハ
テ ン キ は 『土 俗 品 目録 』
記 の 「裁 縫 ・工 作 」 で は
の テ ンキ と共 に 本 小 項 目の 中 で 数 え る こ と に す る 。
マ ニ ン ニ ク)を
に 巻 き 上 げ て い く方 法(写
素 材 と した 編 み 物 に は,芯
真10),経
材 に1対
材 と巻 材 と を 用 い て コイ ル 状
の 編 材 を 交 互 に か ら め て い く 方 法,緯
9) 「テ ソキ」 は コイ ル編 み に よ る ム リ草製 品 の総 称 と して も用 い られ るが,本 稿 で は仏 語 版
の 「千 島 ア イ ヌは テ ソキTemkiと
い う蓋 付 き の小 籠 を 作 って い る」 【
鳥居 1919:432】 を 根拠
と して,蓋 付 きの小 籠 を 特 に 「テ ンキ 」 と表 記 し,他 は それ ぞ れ の 器種 名 で呼 ぶ こ とに す る。
10)北35367,北35368の2点
は製 作 地 不 明 だが,ク リール ア イ ヌ製 作 と推定 され る もの で あ る
(沖野 慎二 氏 御 教 示)。
11)盆2点,菓
子 入 れ1点,名
刺 入 れ1点 の計4点 は 現 在整 理 中 のた め 無 番 号(出 利葉 浩 司氏
御 教示)。
12) 『内 外土 俗 品圖 集 』(第7輯)【
長 谷 部 1939:61に
れ た もの で あ る こ とが 記 され て い る。
428
は,鳥 居 収 集 の盆 が 日本 人 向け に作 ら
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再 構成 の試み
写 真10 テ ンキ(部 分)K2352
材 を 一 定 間 隔 ご とにす だ れ状 に双 子 糸 で撚 り合 せ てい く方 法 な どの 代表 的 な3種 類 の
編 み 方 に よ る ものが あ る。 同 じ編 み 容 器 で あ っ て も,経 材 に編 材 を か らめ る編 み 方 に
よ る製 品 は 鳥 居 の収 集 品 の 中 に は見 られ な い。 こ の編 み方 に よる 口の 開 い た袋 状 の小
物 入 れ と して は,北 大 収 蔵 品 の1点(北9868),函
館 博 物 館 収 蔵 品 の1点(函1208)
が知 られ てい る。共 に シ コ タ ン島移 住 以 前 に収 集 され た もの と思 わ れ,後 者 の収 集 地
は シ ュム シx島 で あ る。 また,同 様 の編 み 方 に よる 「小 出 し」 が小 金 井 良精 に よ っ て
鳥 居調 査 以前 に シ コ タ ソ島 で収 集 され て い る13)。尚,緯 材 を 双 子 糸 で撚 り合 せ て い く
方法 は後 出の 「携帯 具 」 中 の物 入 れ の製 作 に用 い られ る もの で,北 海 道 アイ ヌと共 通
す る編 み 方 で あ る。
12.家
事 に関 す る民 具 類 一
雑 事(2)暦
仏語 版 『千 島 アイ ヌ』 の 「第20章 千 島 ク シ=ア イ ヌの 習俗 」 の 中 には 項 目立 て ら
れ て い な い が,本 文 中 に 引用 され た 近 藤 守 重 著 『辺 要 分 界 圖 考 』(1804年)の
一文 に
暦 に 関す る記 述 が 見 られ る。近 藤 は1711年 か ら1715年 に い た る正 徳 年 間 に お け る ロシ
アの 北千 島へ の侵 略,18世 紀後 半 に おけ る ク リール ァ イ ヌの ロ シア化 を 述 べ るな か で
「島民 らは 自分 た ち の風 俗 習慣 を捨 て て ロシア の風 俗 習 慣 を 身 に つけ ね ぽ な らな くな
った 。 帽子 を被 り,長 靴 をは き,モ ス ク ワ風 の ズ ボ ソを着 用 し,ロ シア語 を 話 し,ロ
シア の宗 教 を信 仰 し,そ の護 符 を 身 に つ け,ロ
シア の暦 を 用 い る こ とに な っ た」 【
鳥
居 1919:383】(傍 点 は 小 杉)と 記 述 して い る。 この ロシ ア の 暦 に相 当す る もの の1
13) ライ プチ ッ ヒ州 立 民族 学 博 物 館 収 蔵 品 ・収 蔵 番 号OAs-5987,1898年
受 入 れ1東 京 国立 博 物
館1993:76]。
429
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
つ が,K2347の
暦(図 版11-5)で
あ る と考 え られ る。
r土 俗 品 目録 』 に も この収 集 品
の説 明 と して 「う しあ ヨ リ学 ビタル モ ノ…」 の 解 説文 が付 され て い る。 上 端 を楕 円形
に か た ど り本 体 が 長方 形 を 呈 す る板 状 の もの で,縦30cm,横10.5 cm,厚 さ10mmを
計 る。楕 円形 と長 方 形 とが 接 す る括 れ部 に は三 角 形 の 突 起 が 左右 対 称 に1対 付 け られ,
全 体 と して 人 形(ひ
とが た)を 呈 して い る。 頂 部 に は1孔 が 穿 た れ,針 金 を通 して輪
が 作 られ て い る。 壁 な どに 吊 り下 げ られ た も ので あ ろ う。 楕 円 形 の頭 部 の縁 は黒 色 で
塗 られ,さ らに 左 右両 側 か ら対 向 す る弧 線 が 描 か れ る。括 れ る頸部 には 横 線 が ひか れ,
そ の 中央 に は 上 向 きの三 角 形 が や は り黒 色 で描 か れ る。 長 方 形 の 体部 の上 端 は黒 色 の
横 一 線 で区 切 られ,そ
こか らは 左 右 を均 等 に2分 す る垂 線 が 描 か れ て い る。2分
た 向か って左 側 の縦 長 の 区画 には,縦3列
され
×横10列 の 計30ケ の小 孔 が 穿 たれ,そ の右
隣 には縦 に1列,木
釘 で塞 がれ た5ケ の小 孔 痕 が 並 ぶ 。右 側 区 画 に は 左側 か ら数 え て
縦1列
か ら1番 目の 小 孔 の右 隣…
に も1孔 が穿 た れ て い るの で 正確 に は12
目に11ケ(上
ケ),縦2列
1列7ケ
目 ・3列 目に各10ケ の計31ケ の 小 孔 が 穿 た れ,や は りそ の 右 隣 に は縦 に
の小 孔 が並 ぶ が,こ れ は 左 区画 の 同位 置 に配 され た もの とは異 な り木 釘 で 塞
がれ てい な い。 左 区画 で は 左側 か ら数 えて縦2列
ら5∼7番
目で 上 か ら7番 目,縦3列
目の 小孔 の周 囲 に,同 様 に 右 区画 で は縦1列
目で上 か
目で上 か ら5番 目,最 右 列 で
上 か ら7番 目の小 孔 の周 囲 に,円 と十 字 とを組 み 合 わ せ た 図柄 が や は り黒 色 の顔 料 で
描 かれ てい る。 特 に,右 側 区 画 の7孔 が 縦 に並 ぶ最 右 列 の一 番 下 の小 孔 の 周 囲 の図 柄
は,4つ
の三 角 形 の頂 点 を1点 で合 せ た 十字 形 が浅 く彫 り込 まれ た う>xに 黒 色が 塗 ら
れ た も ので あ る。 三 角 文 を 組 み合 せ る文 様 は ク リー ル アイ ヌ特 有 の モチ ー フで もあ り
一概 に は言 え な い が ,こ の十 字形 の図 柄 は,例 え ぽ馬 場 脩 に よ って シ ュ ム シ ュ島 で採
集 され た 十字 架(函1051∼
函1053)の 外形 と比 較 的 に類 似 す る点 もあ り注 意 を 要 す る。
長 さ22mmと15mmと
の 大 小2本 の木 釘 が 小 孔 に 挿 し込 まれ る よ うに な って い る
が,恐
ら くこれ で 日に ち と曜 日,あ る いは 日に ち と月を 示 して い た ので あ ろ う。
13.家
事 に 関 す る民 具 類
雑 事(3)三
弦 琴,煙 草 入 れ,そ
鳥 居 の 収 集 品 に 見 ら れ な い 雑 事 関 連 の 民 具 類 に は 三 弦 琴,煙
1215),小
イ プ(函
筥 な ど が あ る 。 三 弦 琴 に は ア イ ヌ の 伝 統 的 な 楽 器 トン コ リ(五 弦 琴)と
形 態 で あ りな が ら3弦
で あ る もの(函988)と,樟
ュ ー ト形 式:北9486,函989,函1218,函1219)と
鳴 胴 が 三 角 形 の も の(函989)と,琵
中 間 的 な 形 態 の も の(函1218)も
430
草 入 れ,パ
の他
同
と 幅 広 の 共 鳴 胴 と か ら な る も の(リ
が あ る 。 後 者 の リ ュ ー ト形 式 は 共
琶 形(北9486,函1219)の
も の と が あ り,そ
の
あ る 。 いず れ も共 鳴胴 の 中央 に 小 さな響 孔 を 設 け て
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試 み
い る。 ヒ ッチ コ ックの記 録 に も共 鳴胴 が 三 角 形 の リュ ー ト形 式 の もの に 関す る記 述 が
あ り,「 ロ シア風 の形 式 が認 め られ る」 【ヒ ッチ コ ック 1892:36】 と記 され て い る。 ロ
シア 風 の形 式 とは バ ラ ライ カの こ とで あ ろ う。 また,「 明 らか に 日本 人 の三 味 線 を 模
倣 した,別 の形 の楽器 を作 ってい た 」 【ヒ ッチ コ ッ ク 1892:36】 と も記 され てい るが,
これ は共 鳴 胴 が 琵 琶形 を呈 す る リs一 ト形 式 の ものを 指 示 して いた ので あ ろ う。 こ の
記 述 か ら もわ か る よ うに,後 者 の リ ュー ト形 式 の系 譜 と して は バ ラ ライ カ説 と三 味 線
説 とが あ る。 函1218の よ うな 中間 的 な 形 態 の 共 鳴胴 の例 や 響 孔 の存 在 な どか ら,そ の
原 型 は 琵琶 形 も含 めて バ ラ ライ カであ った と考 え られ る。
煙 草 入 れ は北 海 道 アイ ヌの もの とサ ハ リ ソアイ ヌの も の とで は形 態 に差 が あ る。 前
者 は縦 長 で,後 者 は横 長 に な る傾 向に あ る 【
大 塚 1993a]。 中 空 の 胴 に 外 形 が 一 回 り
大 き い底 蓋 を は め こん で身 と し,これ に 底蓋 に対 応 す る形 態 の上 蓋 が 付 け られ る た め,
全体 と して は 上 下 が 幅広 で胴 が 細 くな る鼓 形 を呈 す る もの が一 般 的 な形 態 で あ る。 こ
の形 態 は北 海 道 アイ ヌの も の で顕 著 で あ り,サ ハ リソア イ ヌの も のは 底蓋 と上 蓋 との
張 出 しが そ れ ほ ど強 くは な い 。 函 館 博 物 館 収 蔵 の シ コ タ ソ島 収 集 の 煙 草 入 れ(函
1210図
版11-4)は,平
もの で,底
面 形 が舟 形 を 呈 す る横 長 の もの で あ る。 身 は 創 り抜 きに よる
と胴 とが 一 体 の 作 りとな り,底 蓋 に 相 当す る部 分 が胴 部 よ りも張 り出す こ
とは な い。 上 蓋 も身 と比 べ て,長 軸 方 向に 多 少 大 きい程 度 で あ り,短 径 は身 の 胴部 の
短 径 と同 じで あ る。 これ らの 形態 的特 徴 は サ ハ リソア イ ヌの 煙 草 入れ と共 通 す る。
小 筥(旭4960)は,身
と蓋 とか らな り,共 に 縦20cm,横14cmで,蓋
で の高 さは10.6∼10.8cmで
井板1枚,側
あ る(図 版15-2)。 身 は底 板1枚,側
を した 状 態
面 板4枚,蓋
は天
面 板4枚,各
計5枚 の板 を鉄 釘 で打 ち付 け て組 み 立 て て い る。 身 の側 面
板 の上 縁 か ら12∼15mm程
下 が った と ころ に は,短 側 面 で は2か 所 ず つ の計4か 所
に,長 側 面 では3か 所 ず つ の計6か 所 に,内 側 か ら外 側 へ と打 ち抜 か れ た 小 孔 が水 平
に 並 ん で い る。 これ らの 小孔 の存 在 か ら,こ の 小筥 は 身 の 内側 に細 長 い 板 を取 り付 け
て,蓋 を受 け る よ うに した 作 りであ った こ とが推 察 され る。 同 じ器 種 の もの は北 海 道
ア イ ヌや サ ハ リンアイ ヌに お い て も,ほ とん どみ うけ る こ とが な いが,比 較 的 に近 似
した形 態 の もの と しては ウイ ル タや ニ ブ フな ど,サ ハ リソか ら大 陸 にか け てひ ろ が る
北方 諸 民 族 のあ い だ で製 作 され て い る蓋 付 き樹 皮 製 容器 の存 在 が 注 目 され る。 蓋 付 き
樹 皮製 容 器 は 蓋 が 身全 体 を 覆 う作 りで あ り,ま た 外面 の装 飾 も蓋 に 主体 的 に施 され て
お り,身 の側 面 に も文 様 を描 く当 該 品 との隔 た りも大 きい。 しか し,描 かれ て い る文
様 自体 に は 次 の よ うな共 通 す る 一面 も うか が え る。 小 筥 の 蓋 の上 面 に は 後 述 す る ス
ペ ー ド形 渦 巻 文 が 対称 的 に配 され,4側
面 に は 窓枠 状 の区 画 文 様 が 描 か れ る。 身 の4
431
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
側 面 の うち,長 い 方 の2側 面 には そ れ ぞ れ に3個 の連 弧文 が上 下 か ら対 向す る よ うに
描 か れ,短 い 方 の2側 面 の1つ に は ス ペ ー ド形 渦 巻 文 系統 の文 様,他 の1面 には 左 右
か ら対 向す る二 重 の 弧 線文 が配 され る。 各文 様 は 沈 線 で 両側 が縁 取 られ た帯 状 の区 画
で表 現 され る。 以 上 の よ うな線 対 称 を 基 調 とす る文 様 構成 と帯 状 の区 画 とが,蓋 付 き
樹 皮製 容 器 に 特 徴 的 な 切 り抜 き文 様 の 表 現 と共 通 す る点 で あ る。 ただ し,当 該 品 は 彫
り窪 め た沈 線 内 を 赤 色 に塗 り,ま た 沈 線 で縁 取 られ た 帯状 の 区画 内を 黒 色 に塗 って い
るが,こ の赤 と黒 との交 互 配 色 は ク リール ア イ ヌ特 有 の表 現 方 法 であ る。 尚,蓋 の 裏
書 に は 「北 海 道 廃 根 室支 廃 治下 千 島 國 色丹 郡 醜 丹 港 住 蝦 夷 之 作 此 島居 住 蝦 夷 ハ
露 國 領千 島樺 太 交 換 ノ時我 臣民 トナ リシ者也 明治 十 九年 五 月 千 島國 澤 捉 島得 撫 島
巡 回 之 途 次 偶 寄 港 而 購 帰 ル モ ノ也 」,身 の裏 書 に は 「明 治 四十 二 年 十 二 月 寄 附 校
長
浅羽 靖 」 と記 され て い る。 こ の記 述 か ら,当 該 品 が シ コタ ソ島 で入手 され た の が
1886(明 治19)年
で あ り,そ の2年 前 に そ こに 強 制 移 住 させ られ た ク リール アイ ヌが
製 作 した もの で あ る こ とが確 か め られ る。
以 上,家 事 関 連 の 民 具類 に つ い て料 理 ・食 事,育 児 ・教育,裁 縫 ・工 作,雑 事 の小
項 目 ご とに,鳥 居 収 集 品 以外 の資 料 も参 照 しなが ら個hの 民 具 を概 観 して きた 。 数 量
お よび そ の比 率 を鳥 居 収 集 品 に 限 るな らば料 理 ・食 事 は13点 ・19.1%,育
3点 ・4.4%,裁
縫 ・工 作 は5点
類 全 体 で は30点,44.1%と
14.服
・7.4%,雑
身 具,履
衣 服 と し て は 衣 服2点,腰
衣 服(1)鳥
物 ・被 物,携
帯5点
の 計7点,10.3%で
ぶ っ て 着 る木 綿 製 の デ ム カ ム ル が1点(K2387)だ
ゥ シと 同 じ物),野
す る ツ ク ア ル=ウ
ロ ニ ブ や,北
あ る。 収 集 され た 衣 服 は エ ト
ー ル ル)が1点(Fa28),頭
海 道 ア イ ヌか ら 購 入 す る シ ケ メ カ ラ ペ(ア
ッ カ リ(海 豹)の
ル プ の 存 在 を 記 録 か ら知 る こ とが で き る 。 こ の4種
1919:419】 。 しか し,北
か らか
け で あ る。 この他 に ラ ッコの 皮 を
生 の 鴨 の 羽 を 素 材 と す る ハ ル フ,ツ
様 に 前 あ き の 作 り で あ り,素
さ れ た2点
皮 衣,そ の 他
帯 具 の小 項 目を用 意 す る。
ピ リ カ の 皮 を 縫 い 合 せ て 作 る前 あ き の チ ル フ(チ
素 材 とす る ラ コ ツ ア=チ
・13.2%と な り,家 事 関連 民 具
な り,他 の大 項 目と比 べ て最 も高 い 比 率 とな る。
飾 に 関 す る民 具 類 一
服 飾 に は 衣 服,装
事 は9点
児 ・教 育 は
皮 を素材 と
類 も チ ル フ と同
材 が 異 な る だ け で あ る こ とが 記 さ れ て い る
大 農 学 部 博 物 館 に 収 蔵 さ れ て い る1885年
の 鳥 皮 衣(北80,北81)は
ッ ト
【
鳥居
に シ コタ ン島 で 収集
前 あ き で は な く,頭 か ら か ぶ っ て 着 る 作 りの も
の で あ り 灘 波 1987:14】,む
しろ デ ム カ ム ル に 類 似 した 作 りで あ る 。 『土 俗 品 目録 』
で は,デ
族 ノ衣 服 二 模 シ テ 作 リタ ル モ ノ ニ シ テ往 昔 ヨ リ使 用 セ
432
ム カ ム ル はrAleut種
小杉 物質文化か らの民族文化誌 的再構成の試み
ラ レ… 」 と解 説 が 加 え ら れ て い る。 現 在 で は 木 綿 製 で あ る が,以
して 用 い て い た と も記 述 さ れ て い る 【
鳥 居 1919:4191。
も の1点
は3対
鳥居 収 集 品 と同様 に木 綿 製 の
が 函 館 博 物 館 に 保 管 され て い る(函1028)14)0函
ツ ク ア ルeウ
ル プ に 該 当 す る で あ ろ う子 供 服 も1点
の 紐 が 縫 い 付 け ら れ,こ
館 博 物 館 に は こ の 他 に も,
収 蔵 さ れ て い る 。 前 あ き で,襟
れ を 結 ん で 前 を 合 せ る よ うに な っ て い る 点 は,鳥
集 の チ ル フ と共 通 した 作 りで あ る15)。尚,鳥
居 の 記 録 す る と こ ろ で は,こ
衣 服 は 社 会 的 な 階 層 や 貧 富 の 差 に 対 応 す る。 ラ コ ツ アeチ
高 位 の も の や 富 裕 の 人 び と が も つ こ とが で き,チ
ツ ク ア ル=ウ
前 に は獣 皮 を素 材 と
に
居収
れ ら各 種 の
ロニ ブ と シケ メ カ ラペ とは
ル フ と ハ ル フ と は 一 般 的 な 衣 服 で,
ル プが 貧 しい 人 び と の 服 装 で あ る と され て い る 【
鳥 居 1919:419】 。
こ の 他 に,フ
ス ト と い う フ ー ド付 き の 雨 合 羽 が ク リー ル ア イ ヌに は あ っ た こ と が 記
録 され て い る 。 これ は ト ドの 腸 を 素 材 とす る も の で,海
上 で の漁撈 用 と し て 着 用 さ れ
た も の で あ る 。 これ を 着 て パ イ ダ ル カ風 の 船 に 乗 る こ と が 述 べ られ て い る の で,先
デ ム カ ム ル と と も に,ア
リ3 の
トな ど の 北 太 平 洋 地 域 の 諸 民 族 との 強 い 関 連 が うか が
わ れ る。
15.服
オ ユ=ク
飾 に 関 す る 民 具 類 衣 服(2)腰
ト と呼 ば れ る 木 綿 製 の 腰 帯(K2382∼K2386)は,半
く と き に 用 い る。 本 体 は 刺 繍 で 装 飾 した 布 地 で,一
ク ル,ボ
帯
素 材 は 転 用 品 で あ り,そ
大 幅2.8 cmで
ユ)を
は
端 には 止 め 具 と して ホ ックや バ ッ
タ ソ が 付 け ら れ る 。 バ ッ ク ル 付 き のK2386(図
対 側 の 端 に 長 さ18cm,最
ズ ボ ソ(オ
版9-2)に
は,バ
ックル の反
先 細 りの 皮 紐 が 縫 い 付 け ら れ て い る 。 皮 紐 の
の 先 端 寄 りの 片 側 に あ い て い る 数 個 の 小 さ な 孔 は バ ッ ク ル の
針 を 差 し込 む た め の も の で は な くて,以
前 に 使 用 さ れ た 際 の 縫 い 付 け に よ っ て 生 じた
孔 で あ る 。 バ ッ ク ル の 針 に 対 応 す る孔 は 開 い て い な い の で,バ
直 接 に 縛 り付 け て 用 い た も の と 想 定 され る 。K2383も
ッ クル の 環 部 に 皮 紐 を
同 様 に 一 端 に 皮 紐 が 付 く例 で あ
る 。反 対 側 に は お そ ら くバ ッ ク ル な い しは 半 環 状 の も の が 付 い て い た と考 え ら れ る が,
既 に とれ て し ま っ て い る 。K2384, K2385は
片 端 に 半 環 状 の 金 属 が 付 き,反
そ れ に ひ っ か け る 金 属 製 の ホ ッ クが 付 け られ る 例 で あ る 。K2382は
と で とめ る も の で あ る 。 オ ユ と い う鹿 皮 製 の 半 ズ ボ ンは,ア
対 側 には
ボ タ ン と ボ タ ン孔
シ カの皮 でで きた オ ル マ
カ と い う下 着 と共 に カ ム チ ャ ダ ー ル か ら伝 わ っ た も の で あ る,と
い う古 老 の 話 を 鳥 居
14)現 在,所 有 者 に返 却 して い る(長 谷 川 一 弘 氏御 教 示)。
15) 1979年 に道 立 中部 高 校 か ら函 館 博 物 館 へ寄 託(長 谷 川 一 弘 氏 御 教 示)。 同館Y'`て現 在 展示
中。 尚,本 資 料 は,1979年3月
され て い ない 。
に発 行 され た 『蔵 品 目録』 【
市 立 函 館 博 物 館 1979】に は 登 録
433
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
は記 録 して い る 【
鳥 居 1919:418】
の で,こ
の オ ユ=ク
ダ ー ル か ら 伝 え られ た も の な の だ ろ う か 。 オ ユ=ク
い た が,形
ト(腰 帯)も
同様 に カ ムチ ャ
トは 以 前 に は 海 獣 の 皮 で 作 ら れ て
態 と文 様 は 現 在 も 昔 と 同 じ で あ る と述 べ られ て い る が,こ
の 点 に も疑 問 が
あ る 。 後 に 取 り上 げ た い 。
16.服
飾 に 関 す る民 具 類 一
装身 具
腰帯 には オ ユ=ク トの他 に,前 出 の チル フに代 表 され る前 あ きの衣 服 に用 い られ た,
一端 に直 径10cm内
外 の 円板 を 付 け た長 くて細 い 皮紐 が あ る。 腰 紐 と呼 ぶ方 が 適 当 で
あ ろ う。この 腰紐 に付 く円板 は ク ックル ケ シ と呼 ばれ る もので,帯 留 と して 機 能す る。
木 材 や鯨 骨 を 素 材 と し,刻 文 ・彩 色 が 施 され た装 飾 性 の 高 い もので あ る。 こ こで は ク
ックル ケ シを装 身 具 の項 目 と して数 え る こ とにす る。 鳥居 の仏 語 版 に 掲 載 され た第36
図[鳥 居 1919:4241や 図版 ㎜A【 鳥 居 1919:5301か
品 の 存在 を知 る こ とが で きる が(Fa70∼Fa72及
らは,少 な く とも5点 程 の収 集
びFa73),現
在 保 管 され て い る 鳥居
の ク リール ア イ ヌ民 具 類 の 内 に は1点 を 確 認 で き るだ け で あ り(Fa71),装
身具 は
1.5%に 過 ぎな い分 量 とな って い る。
仏 語版 に は ク ラシ ェニ ン ニ コ フの記 録 と して,ク
リール アイ ヌは男 女 共 に 金属 製 の
耳 輪 を つ け て い た こ とが 紹 介 され て い る。 鳥 居 は この記 述 を 引用 しなが ら,現 在 で は
もは や 男 子 が 以前 に耳 輪 を 装 着 して いた こ と さえ も記 憶 され て い な い こ とを 述 べ,さ
ら に古 老 に描 い て も ら った 顔 の絵 【
鳥 居 1919:413,第19図
子 の顔 写 真[鳥 居 1919:528,図
版XA・Blを
】や1884年 移住 当 時 の 女
用 い て,女 子 の 耳輪 の装 着 が 最 近 まで
続 いて い た こ とを指 摘 して い る。 鳥居 の調 査 時 の 状況 は語 られ て い な い が,以 上 の こ
とか ら移 住 後15年 を経 な い うちに 女子 の耳 輪 装 着 の 習慣 が廃 れ て しま った こ とを 知 る
こ とが で き る。 収 集 品 の中 に は 耳輪 は含 まれ て い な い 。
ま た,民 具 類 を通 して そ の存 在 を確 認 す る こ とは難 しいが,か つ て 入墨 の慣 習 が あ
った こ とを 民 族 誌 か ら知 る こ とが で き る。 しか し,ロ シア政 府 に よ って 入墨 が 禁 止 さ
れ た ため に,シ コ タ ソ島移 住 時 には 入 墨 を してい る者 は い なか った とい う。 以 前 には
婦 人 が肘 か ら手 の 甲,指 先 にか け て と,唇 の周 囲 に 小 さ く入墨 を 施 して い た が,少 女
は未 だ施 す こ とが な か った。 よって,当 時 の最 年 長 の 婦 人 た ちが 成 人 す る以 前 には 既
に この慣 習 が 禁 止 され廃 れ て い た こ とが窺 え る。 また,男 子 には 以 前 か ら入 墨 の慣 習
が な か っ た と鳥 居 調 査 時 に は ク リール アイ ヌ 自身 に よって認 識 され てい た が,ク
ェニ ソニ コフ の民 族 誌(1755年
刊,記 録 時1738年)に
ラシ
は 男 子 も唇 の中 央 に 入墨 を して
い た こ とが記 され てい る。クラ シ ェ ニ ソ ニ コフの 記 録 は18世 紀 前半 の もの であ るか ら,
434
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
そ れ 以 後,恐
ら く鳥居 調 査 時(1889年)の
最年 長 者 よ りも少 な くとも3世 代 よ りも前
(概ね18世 紀 末 葉 か ら19世 紀 初 頭 頃 か)ま で の 間 に,男 子 の入 墨 の慣 習 は い ちは や く
廃 れ て い った の で あ ろ う。
鳥 居 収 集 品 の中 に は2点 の 櫛 が あ るが(Fa37, Fa38),現
て い る。1点
は シ コ タ ソ島 で 収 集 され た も の で,恐
在 そ の所 在 が不 明 に な っ
ら く仏 語 版 の 第22図[鳥
居
1919:417]に 掲 載 され た もの が該 当す る であ ろ う。頭 部 と歯 部 とが 一 体 の作 りの竪 櫛
で,頭 部 に は渦 巻 文 様 が 彫 られ て い る。 赤 く塗 られ て いた とい う記 録 が あ るが,全 体
が赤 彩 され て い た の では な く,ク リー ル アイ ヌの 他 の木 彫 を 参考 にす るな らば,彫
り
くぼ め られ た と こ ろが赤 く塗 られ て い た もの と推 測 され る16)0鳥 居 はr夷 俗 図 解 』 を
参 照 して,昔 か ら アイ ヌの女 た ち が 首飾 りのペ ン ダ ソ トと して櫛 を胸 上 に さげ て い た
こ とを のべ て い る。 第22図 の竪 櫛 に も,上 端 の突 起 に紐 通 し用 の孔 が 開 い て お り,類
似 した 使 用方 法 の あ った こ とが窺 わ れ る。 他 の1点 は シ ュ ムシ ュ島で 収 集 した もの で
あ るの で発 掘 品 の可 能 性 もあ る。
鳥 居 は 櫛 の素 材 が,以 前 は骨 製 で あ った が,現 在(当 時)は 全 て木 製 に な った と記
述 して い る。 仏語 版 に は新 石 器 時代 の もの と して,シ
ュム シ ュ島 で発 見 され た3点 の
鯨 骨 製 の櫛 が掲 載 され てい るが1鳥 居 1919:548,図 版XXX皿A-1,2,31,馬
この うち の曲 線 的 な刻 文 を施 したA-1の
骨櫛 【
鳥居 1919:488,第100図1が
場脩 は
明治 末期
に シsム シz島 別 飛 で 遠藤 吉 三 郎 に よ って採 集 され た もの で あ り,そ れ が 内耳 土 器 時
代 の もの で あ る こ とを 指摘 して い る 【
馬 場 1939:95】。
17.服
飾 に 関 す る民 具 類一
履 物 ・被 物 と して は 長 靴2足,カ
履 物 ・被 物
ソ ジキ1足 の 計3点,4.4%で
あ る。 長 靴 に は2
種 類 の ものが あ る こ とが紹 介 され て い る。1つ は漁撈 用 の大 腿 部 まで入 る長 靴 で,他
の1つ は 中位 の長 靴 と され る もの で あ る。 前 者 は既 に製 作 され て い な い こ とが 記 され
て い るが,シ
コタ ン島移 住 以 後 の漁撈 活動 の変 化 あ るい は衰 微 を 反 映 して い る のか も
しれ な い 。後 者 には 野 外用 と丁 寧 な 作 りの室 内用 とが あ る。K2376は
中 位 の長 靴 であ
り,鳥 居 の為 に作 られ た もの で あ る こ とが記 さ れ て い る。 しか しこれ は模 型 品 で は な
い。 仏 語 版 に は 同 じ形 態 の 中位 の長 靴 を 着 用 して い る シ コ タ ソ島 で の ク リール ア イ ヌ
の写 真 が掲 載 され て い る[鳥 居 1919:525,図
版∼
征A他
】
。 以上 の こ とか ら も,模 型
品 の性 格 を再 確 認 す る こ とが で き る。 す なわ ち,当 時 に お い て も 日常 的 に製 作 され て
16) 北 海 道 開 拓 記 念 館 に は 浦 川 太 八 氏 に よ っ て製 作 され た 同 品 の 模 型 品(開56450)が
れ て い る。
収蔵 さ
435
国立民族 学博物館研究報告 21巻2号
写 真11カ
い る も の は,注
ン ジ キ K2311
文 して 作 ら せ た も の で あ っ て も 現 物 を 収 集 す る こ と が で き た が,既
作 られ な く な っ て しま っ た も の,収
集 困 難 な も の は 模 型 品 と し て 再 現 され た,と
に
いえ
る で あ ろ う。
カ ン ジ キ は 鳥 居 が 長 年 に わ た っ て 抱 き 続 け た テ ー マ の1つ
1896a,1924,1936:117-119】
と,薄
。 雪 靴 に は 柳 で 枠 組 み を 作 り,皮
で あ る 【
鳥 居 1894,
紐 で 足V'`固 定 す る も の
く細 長 い 板 切 れ の 裏 側 に 毛 の 向 きを 反 対 に し た トナ カ イ の 皮 を 裏 打 ち した も の
と が あ る こ とが 紹 介 さ れ て い る が[鳥
る も の で あ り,チ
居 1919:428】,K2311(写
真11)は
前 者 に属 す
ン ル と 呼 ぽ れ る。 尖 っ た 前 端 部 が 上 方 に 反 る特 徴 的 な 形 態 は,瓢
形 を 呈 す る 北 海 道 ア イ ヌの も の よ り も,コ
箪
リヤ ー クや チ ュ ク チ の 同 種 の も の の 形 態 に
類 似 して い る 。 鳥 居 は チ ン ル の よ う な 網 状 の 雪 靴 が 起 伏 の あ る地 形 や 硬 い 雪 の 上 を 歩
く の に 適 して い る の に 対 して,後
者 の 「長 方 形 板 型 ス キ ー 」 は 平 坦 な 地 形 や 軟 ら か い
雪 の 上 で 用 い る の に 都 合 が 良 い と説 明 を 加 え て い る 。 尚,サ
ハ リ ソ ア イ ヌは 長 方 形 板
型 ス キ ー を 用 い て い た こ と も記 され て い る 【
鳥 居 1919:427r428]。
被 物 は 収 集 さ れ て い な い が,木
偶 の被 る帽 子
【
鳥 居 1919:531,図
444】 か ら そ の 概 要 を 知 る こ とが で き る 。 眉 庇 の な い,袋
偶 の もの で は 木 綿 製 だ が,実
され た 【
鳥 居 1919:423]。
る ム リ草(ハ
状 の 形 態 を 呈 し,素
際 に は 北 千 島 で は ラ ッ コの 皮 が 用 い ら れ,降
尚,鳥
マ ニ ソ ニ ク)製
居 の 収 集 品 に は 含 ま れ て い な い が,コ
の 帽 子(北10465,開11356)が
べ た よ うに 土 産 物 で あ り,本 小 項 目 と して は 扱 わ な い 。
436
版XVC,1899:
あ る が,こ
材は木
雪期に着用
イ ル編 み に よ
れ は先 に も述
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
18.服
飾 に 関 す る民 具 類 一
携 帯 具 と し て は 物 入 れ2点,火
携 帯 具(1)物
道 具 入 れ3点
入れ
の 計5点,7.4%で
物 入 れ は 男 子 用 の カ ロ ブと 女 子 用 の チ ヒ リの 各1点
(ハ マ ニ ソ ニ ク)を
素 材 と す る も の で,緯
あ る。
が 収 集 さ れ て い る 。 共 に ム リ草
材 を一 定 間 隔 ご とに す だれ 状 に双 子 糸 で撚
り合 せ て い く編 み 方 で 作 ら れ て い る 。 仏 語 版 『千 島 ア イ ヌ』 【
鳥 居 1919】 で は 物 入 れ
は 「16.頭 陀 袋 」 の 項 目 で 記 述 さ れ て い る 。 本 文 中 で は 第50図 即 ちK2320を
女 子 用 の チ ヒ リ と し,第51図
即 ちK2381(写
い る1鳥 居 1919:432】 。 一 方,長
真12)を
谷 部 監 修r内
も って
も っ て 男 子 用 の カ ロブを 示 し て
外 土 俗 品 圖 集 』(第7輯)で
は,逆
に
先 の 第50図 を も っ て 男 子 用 の カ ロ ブ,第51図
カ ロ ブが 火 道 具 入 れ で あ り(後
の で あ る か ら,折
K2320(図
の 用 途 か ら よ り高 い 防 水 性 が 必 要 と さ れ る も
り返 しの 蓋 付 き のK2320の
版14-1)の
等 分 に 折 り,2つ
述),そ
カ ロ ブは 縦52 cm,横32 で あ る 。 蓋 の 端 に は 中 央 に 長 さ1m程
cmの
ロ ブに 相 応 し い で あ ろ う17)。
長 方 形 に 編 み あ げ た 素 材 を 概 ね3
る1つ
分 を 折 り返 しの 蓋 とす る も の
の 紐 が 結 び 付 け ら れ て お り,蓋
に 巻 きつ け る よ うに な っ て い る 。K2381の
写 真12物
17)仏
方 が,カ
分 の 端 を 綴 じ合 せ て 身 と し,残
で 身 と共 に こ の 紐 を2重
語 版 『千 島 ア イ ヌ』 の方 が
し
チ ヒ リ と説 明 し て い る 。 北 海 道 ア イ ヌ の
を 閉 じた 状 態
チ ヒ リは2つ
折 り
入 れ K2381
挿 図番 号 と掲 載 写 真 とを 取 り違 え た単 純 な校 正 ミス と考>x..
られ る。
437
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
の 作 りで,口
に は木 綿 布 が縫 い付 け られ て い る。
鳥 居 収 集 品 以 外 の 物 入 れ と して は5点
の も の が 函 館 博 物 館 に 収 蔵 され て い る(函
1098,函1099,函1100,函1206,函1209)。
函1209は
シ コ タ ソ島 で 馬 場 脩 に よ っ て 収 集 さ れ た
緻 密 な 編 み 方 に よ る も の で あ り,鳥 居 収 集 品 と 同 様 な 編 み 方 で あ る他 の4点
と は 異 な っ て い る 。 移 住 以 前 の1875年
函1100の3点
は,共
に2つ
に シ ュ ム シ ュ 島 で 収 集 され た 函1098,函1099,
折 りの 作 りで,口
に は 獣 皮 が 縫 い 付 け られ て い る。 函1206
は 折 り返 しの 蓋 付 き の も の で あ り,蓋 の 端 に は 中 央 に 長 い 皮 帯 が 縫 い 付 け られ て い る。
K2320と
同 様 に,こ
の 皮 帯 を 巻 き つ け て 蓋 を 閉 じ固 定 す る よ うに な っ て い る。 受 入 れ
に 関 す る デ ー タ は 不 明 で あ る が,前3者
19.服
飾 に 関 す る民 具 類 一
と同 じ く移 住 以 前 の 収 集 品 と考 え ら れ る 。
火道 具 入 れ(K2323写
携 帯 具(2)火
真13左, K2359図
道 具入れ
版12-1, K2373写
真13右)と
は火打ち石や
火 口を入 れ る もの で あ り,海 獣 の 皮 を素 材 と し,身 と蓋 のそ れ ぞ れ2隅 を巻 き込 ん で
装飾 的 な突 起 を 作 り出 して い る。 身 と蓋 を締 め 付 け る皮 紐 には 根 付 と火打 ち金 が 付 い
て い る。 この よ うに 特徴 的 な形 態 で あ りな が ら,鳥 居 の仏 語 版 に は これ につ い て 触 れ
られ る と ころが 一 切 な く,や や 特 異 な取 り扱 い とい え る。 この点 に つ い て は後 に 言 及
す る。 尚,北 海 道 ア イ ヌに お い て は 火 道 具 入 れ とは 先 の カ ロブの こ とで あ り 【
萱野
1978:132】,そ の 中 に 火 お こ し道 具 と して は 火 打 ち 金(カ ラカ ニ)付
れ(カ
ラバ シシ ン トコ)や 火打 ち石(カ
きの 火 つ け 炭 入
ラス マ)を 入 れ て い る 【
萱 野 1978:90】。 これ
全 体 が 内 容的 には 鳥 居 収 集 の海 獣 皮 製 の 火道 具 入 れ に 相 当す る と いえ よ う。
以上,服 飾 関連 の民 具 類 に つ い て は衣 服,装 身 具,履 物 ・被 物,携 帯 具 の4小 項 目
写真13 火 道 具 入 れ:左 K2323,右
438
K2373
小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成の試み
を設 け て,そ れ ぞ れ に属 す る個 別 の 民具 類 の特 徴 を 概観 してみ た 。 鳥居 収 集 品 の 数 量
的 な割 合 は.衣服7点
5点 ・7.4%で,全
・10.3%,装
身 具1点
・1.5%,履
物 ・被 物3点
・4.4%,i携 帯 具
体 と して は16点 ・23.5%と な る。 特 に衣 服 類 の うち で も腰 帯5点 は
全体 の7.4%を 占 め る数 量 で あ り,鳥 居 の関 心 の 高 さが 窺 え る。 また,現 在 そ の 所 在
が確 認 で きた ク ックル ケ シは わず か に1点 だ け で あ った が,実 際 に は5点 程 の もの が
鳥居 に よっ て収 集 され て い るはず で あ る。 ク ックル ケ シは装 飾 性 が高 く,造 形 的 に も
優 れ た もの であ る。 そ の 出現 は北 千 島 の新 石 器 時 代(馬 場 脩 の 内 耳土 器 時 代)に
遡 って確 認 で きる もの で あ り1鳥居 1919:548,図
版XXX皿B-1,2],鳥
まで
居の還元的
土 俗 に適 った民 具 類 とい え よ う。腰 帯 に つい て も,鳥 居 は素 材 が 海獣 皮 か ら布 へ 代 わ
った だ け で あ り,形 態 や文 様 は以 前 の ま まで あ る と記 して い る の で,そ の是 非 は と も
か くと して,鳥 居 に と って はや は り還 元 的土 俗 た りうる もの で あ る こ とに な る。 た だ
し,腰 帯 の 刺繍 に よる文 様 表現 の豊 か さが,ク
ッ クル ケ シ と同様 に その 収 集傾 向 を よ
り高 め た で あ ろ う こ とは 十 分 に考 え られ る。
20.儀
礼 ・信 仰 に 関 す る民 具 類(1)一
削 り掛 け
儀 礼 ・信 仰 関 連 の 民 具 類 と して は 削 り掛 け3点,酒
巻1点,仮
面1点,祭
具1点,墓
標1点
の 計9点,13.2%で
削 り掛 け 即 ち イ ナ ウ に は 柳 樹 を 用 い,奉
1919:447】 。K2325の
箸1点,幣1点,男
子 儀 礼 用鉢
あ る。
る 神 に応 じて 削 り方 を 異 に す る 【鳥 居
削 り掛 け は 海 の 神 ア ツ イ カ=ワ
ン=カ
ム イ に 捧 げ る ラ ブ=イ
ナ
オ ま た は ラ ブ ス ペ と呼 ば れ る も の で あ る(『 土 俗 品 目録 』)。 そ の 他 の イ ナ ウ に は 特 定
の 名 称 は な い が,大(チzプ
カ シ)小(ナ
き い イ ナ ウ は 雷 神 カ ン ナ ンeカ
K2327は
ン トシ=イ
イ ナ ウ(図
版13-1)に
ろ を 起 点 とす る 下 向 き の 大 振 りの キ ケ チ ノ イ ェ(撚
振 りの キ ケ チ ノ イ ェは,正
背 面 左 寄 りに か け て3単
端 か ら7cmの
りを か け た 削 花:下
と が,左
右 対 称 に 計4つ
面 右 寄 りか ら 右 側 面 に か け て3単
位 の キ ケ とを 削 り出 し,キ
位 を1束
とこ
か ら上 へ と削
ケ1単
付 い て い る。 下 向 き の 大
位 の キ ケ と,左
側面か ら
位 ご と に 撚 りを か け,さ
ら
に し て,左 右 両 者 を 正 面 で 軽 く撚 り合 せ た も の で あ る 。
上 端 寄 りに は 正 面 と 両 側 面 の3面
に イ トクパ が 刻 ま れ て い る 。 イ トクパ は,両
は そ れ ぞ れ の 上 部 に ツ イ トクパ を 配 し,正
っ て,そ
は,上
と,そ れ ら の 上 隣 りに 作 りだ さ れ た 上 向 き の 小 振 りの キ ケ(削 花:
上 か ら 下 へ と 削 り下 げ た も の)1対
に 左 右 そ れ ぞ れ に3単
類 に 区 分 さ れ,大
ムイ に捧 げ る もの であ り 【
鳥 居 1919:448],K2326・
それ に 該 当す る。
K2327の
り上 げ た も の)1対
ナ オ)の2種
側面 に
面 に は そ の 下 部 に 斜 行 す る ツ イ トクパ が あ
の 上 下 に ア シ ペ イ トクパ が つ く も の で あ る[名 取 1959:102】 。 下 端 は9cm
439
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
の と ころか ら,前 後 左 右 の4面 と も削 られ 尖 らせ て あ る。
シ コタ ン島へ の移 住 に際 しては,既 に ロ シア正 教 に 改宗 しては いた が,乗 っ て きた
船 の 船 首 に は イ ナ ウが掲 げ られ て お り,「宗 教 上 であ ろ うとな か ろ うと,生 活 の 中 で
の 重 要 な 行動,わ け て も祭 礼 には イ ナオ を 欠か す こ とはで きな い 」[鳥 居 1919:448】
と記 述 され て い る。 で は,鳥 居 の 調 査 時 に は どの よ うな状 況 に あ った の か。 収 集 され
た イ ナ ウには 特 に模 型 品 であ る との 記 録 は ない の で,1899年
時 点 で も慣 行 と して イ ナ
ウを 用 い た儀 礼 的 行為 が 執 行 され て い た可 能 性 が 考 え られ る。 ロシ ア正教 の信 仰,先
に 確認 した カ ムイ ノ ミの衰 退,イ ナ ウを用 いた 儀 礼 的 な慣 行,こ れ らの重 層 した 儀 礼
体 系 を1899年 時 点 の シ コタ ン島 の ク リー ル アイ ヌの暮 ら しの中 に認 め る こ とが で き る
か も しれ な い。
21.儀
礼 ・信 仰 に 関 す る 民 具 類(2)
仮 面(K2378図
版12-2)は
仮面
模 型 品 で あ るが,現 存 す る ア イ ヌの 唯一
一の仮 面 と して 注
目を集 め て きた もの であ る。 縦16cm,幅9.5 cmで,実
際 に 顔 面 に装 着 す るの に は 小
さす ぎ る。 頭 頂 部 と両 脇 中 央 とに は1つ ず つ 計3つ の 小孔 が 穿 た れ て お り,仮 面 の裏
側 で紐 が逆T字
状 に な る よ うに結 び付 け られ て い る。 この紐 の 結 び 方 か ら,本 来 は
頭 に紐 を掛 け,顔 面 に装 着 す る もの で あ る こ とが確 め られ る。 す なわ ち,こ の 仮 面 は
模 型 品 と してや や 小形 に 作 られ た もの で あ り,本 来 は額 に掛 け る よ うな仮 面 で は な く
て,現 物 は も っ と大 きい もの で あ った と考 え られ る。 目 と鼻穴 に は実 際 に 孔 が 開 け ら
れ,口 は 軽 く開 いた 状 態 に 彫 りくぼ め られ,そ の 中 に歯 が 表現 され て い る。髭 は沈 線
状 の刻 み で表 現 し,彫 り込 ん だ と ころ を黒 く塗 って い る。 髪 と眉毛,腱 は 黒 色 の ペ イ
ソテ ィ ングで表 現 され る。 注 目す るべ き点 は,鼻 は鼻 先 が 向 か って左 側 へ 曲 が って お
り,ロ は 同 じ く右 端 が つ り上 が って斜 め にな って い て,全 体 と して左 右 非 対称 な表 現
が作 りだ され て い る ところ で あ る。 この仮 面 は フジ ル とい う伝 説 上 の化 物 が人 を お ど
す 時 に用 い る もの であ り,ま た人 が フ ジル を真 似 て他 の人 を お どす た め に付 け る仮 面
で もあ る こ とが 当事 者 に よ って語 られ てい る 【
鳥 居 1919:476】。 北 海 道 アイ ヌや サ ・・
リンアイ ヌの 間 には 仮 面 の存 在 は知 られ て お らず,ク
リール ア イ ヌの この仮 面 は海 岸
コ リヤ ー クや ア リュー トtア ラス カ のエ ス キ モ ー,北 米北 西海 岸 の諸 民 族へ と広 が る
北 太 平 洋 地域 とのつ なが りの 中 で理 解 で き る もの で あ る。
22.儀
礼 ・信 仰 に 関 す る民 具 類(3)一
祭具
こ こで 祭 具 と した もの は,流 星 形 の 片側 中央 に 三 角 形 の突 起 が1つ 付 い た,長
440
さ
小杉 物 質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
13cm,高
さ3.6 cmの 小 形 の 木製 品 で あ る(K2321図
版13-3)。 三 角 突 起 の反対 側 のや
や端 寄 りには 短軸 方 向 に1つ の 小孔 が穿 た れ て い る。 全 面 に 煤 が付 着 す るが,小 孔 部
に は煤 の付 着 が 見 られ な い ので,小 孔 が 穿 た れ た の は煤 の 付 着 以後 で あ る可 能性 が考
え られ る。 三 角 突起 の尖 端 と後 端部 の尖 端 とが摩 耗 して お り,木 の地 肌 が 露 出 して い
る。 『内外 土 俗 品 圖 集 』 には 「海 神 に 捧 げ る幣 に 附 け る饒 を 象 つ た もの」 と記 され て
い る。 鳥居 は1921年 の北 樺 太 の 調査 の際 に,キ
ケに くる まれ た 木製 の人 形 と獣 形 とを
北 樺 太 東 海 岸 で 数 点 収 集 して い る(K2537, K2703∼K2707)。
これ らはr内 外 土 俗 品
圖集 』 で は オ ロ ッコ(ウ ィ ル タ)の 神 像 で あ ろ うと説 明 され て い る。 獣 形 の もの は い
ずれ も煤 が 付 着 して い る点 が 本 品 と共 通 す る。 また,號 形 と され る本 品 は,鈷 先 に繋
が れ た綱 の末 端 に 結 び付 け られ る握 り手(例
えばrア イ ヌ民 族 誌 』 写 真182及 び 口絵
63参 照)と 類 似 した形 態 で あ る。1孔 が開 け られ て い る点 も共 通 して い る。
仏 語 版r千 島 アイ ヌ』「第21章 千 島 アイ ヌの伝 説 と神話 」中 の 「伝 説13 サ チ(魚
の一 種)物 語 」 に,第96図
「木 製 サ チ魚 」 【
鳥 居 1919:481】 と して掲 載 され て い るイ
ラス トが本 品を 描 い た もの で あ る。 た だ し,当 該 品 につ いて の 説 明 は一 切 な され て い
な い の で,に わ か に そ の用 途 を判 定 す る こ とは 難 しい。 全 面 に 煤 が 付着 す る な ど,ウ
ィ ル タの 「神 像 」 と共 通 す る性 格 を もつ も ので あ るな らぽ,イ
ノ カ(木 偶)と す る こ
とが で き よ う。 しか し,小 孔 が 穿 た れ て い る点 に 着 目す れ ば,鈷 綱 の握 り手 と も考 え
られ る。 ま た,両 用 途 の 間 で転 用 が あ った とも想 定 され る。 今 後 の 課題 と して,同 類
の 民 具 類 に 関す る使 用 痕 の観 察 と民 族誌 的 記 録 と の比較 が 必 要 とな って こ よ う。
儀 礼 ・信 仰 に 関す る民 具 類 は 総 数9点,13.2%で
あ り,4項
目中 で最 も低 い値 とな
って い る。 これ らの 民 具類 が他 の もの に比 べ て,本 来的 に収 集 し難 い性 質 であ る点 が
考 慮 され る。 また,ロ
シ ア正 教 化 に 伴 う伝 統 的 な信 仰形 態 の変 容 と,全 体 と して の 儀
礼 体 系 の重 層 化 とが,物 質文 化 の上 で還 元 的 土 俗 とい う観 点 か ら の収 集 を困 難 に して
い た こ と も推 察 され る。 そ して,シ コタ ソ島移 住 に よ る伝 統 的 な生 活様 式 の強 制 的 な
変 更 が,ク
リー ル アイ ヌの精 神 的 ・物 質的 な生 活 環 境 を急 速 に崩 壊 させ て い った こ と
が,そ の 背 景 に あ る こ とは 否 め な い事 実 で あ る。
V.ク
1.生
(1) リール ア イ ヌの民 族 文化 誌 的 再構 成
業 活 動 と海 洋 適 応
生業 関 連 民 具 類 の 収集 量 の 少 な さ
鳥 居 が 収 集 した民 具 類 の うち,生 業 関連 の もの は全 体 の20%に
も満 た な い が,そ れ
441
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
らか らは ク リー ル アイ ヌが狩 猟 採 集 民 で あ った こ とが 想 像 され る。 これ は 鳥居 の民 族
誌 とも矛 盾 しな い。 た だ し,先 に も想 定 した よ うに,鳥 居 の調 査 時(1899年)は
既に
還 元 的 土 俗 を復 原 す る うえ で,生 業 に関 す る民具 類 の収 集 が難 し くな りつ つ あ った 時
期 で あ る。 収集 した 生 業 の 民 具類 の ほ とん どが模 型 品 で あ った こ とは,収 納状 態 で の
規 模 が他 の 民具 類 と比 べ て 大 きい こ とも考 慮 しな けれ ぽ な らな いが,根 本 的 に は収 集
が 困難 な状 況 の表 れ で あ る と判 断 され る。
狩 猟 採 集 民 で あ る との想 定 は,そ れ に 関連 す る民 具類 の豊 富 さに よ る もの で は な く,
他 の 生業 関 連 の 民具 類 が 欠 如 す る こ とか ら の,む しろ 消去 法 的 な想 定 とい え る もの で
あ る。 しか も狩 猟採 集 とい って も,そ の 内容 は 実 際 に は狩 猟 にほ ぼ 限定 され る。採 集
に 関 して は,食 糧 品 と して木 の実 そ の ものが 収 集 され て は い るが,採 集 活 動 の存 在 を
積 極 的 に肯 定 す る道 具 は収 集 され た 民 具類 中 には 見 られ な い。また,漁撈 に 関 して は,
模 型 品 と して3点 の船 が収 集 され て は い る もの の,そ の うち の1点(K2379)か
の 形 態 を知 りう るだ け で,他
の2点 は船 に 描 か れ て い た 船 章(船
印,Irongot)を
ら船
説
明す るた め の ものに 過 ぎな い。 獲 物 を 直接 に捕 獲 す る鈷 や 漁網 な どの漁撈 具 は収 集 さ
れ てお らず,民 具 類 か ら漁撈 の 内容 を 想 定 す る こ とは 不 可 能 で あ る。
(2) ア イ ヌ民 族 起 源 説 と海 洋 適 応 の 否定
鳥 居 は 民族 誌 中 で,ク
リー ル ア イ ヌは現 在 に お い て も,ま た 過 去 に 遡 って も,「 海
洋民 族 」 で は な い こ とを 強 調 しい て る 【
鳥 居 1919:429】。 鳥 居 に よる ア イ ヌ の中近 東
起 源 説 と北 海 道一 千 島2段 階 移 住説 とを 立 証 す る ため には,ク
リー ル ア イ ヌが 海 洋民
族 で あ って は な らな い の で あ った。 か れ らの起 源 地 が 中近 東 で あ れ ば,「 必 然 的 に彼
らは好 戦 的 な 陸 上 生活 者 で あ る」 【
鳥 居 1919:429】(傍 点 は 小杉)こ
とに な る。 また,
北海 道 一 千 島2段 階移 住 説 に よる第1次 移 住 民 で あ る ク リー ル アイ ヌの祖 先 が,航 海
術 に長 け て い なか った か ら こそ,ひ
流 が 絶>x,第2次
と度 北 海 道 や 千 島 に渡 航 した が 最後,故 地 との交
移 住民 で あ る北 海道 ア イ ヌ との 間 に も,お 互 いが 本来 同一 の民 族 で
あ る とい う認 識 が 途 絶 え て しま った,と い うこ とに な る。
ア イ ヌの起 源 に関 す る記 述 の 中 には,上 記 の2説 が 繰 り返 し論 じられ る が,そ の物
証 の1つ とな りうる船 に つ い て の項 目 「第20章 千 島 ク シ=ア イ ヌの 習俗 」 「15.舟 」
【
鳥居 1919:429-432】 で は,こ れ を否 定 的 に取 り扱 う こ とが必 要 に な って くる。即 ち,
筏 以 外 に 航海 の術 を 知 らな か った ク リール ア イ ヌは,船 に 関す る一 連 の事 柄 を北 海 道
ア イ ヌか ら学 ぽ なけ れ ぽ な らな か った し,北 海 道 アイ ヌも元 は 日本 人 か らそ の技 術 と
知 識 を学 び と った,と い うこ とに な る。
442
小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
しか しな が ら,ア イ ヌの起 源 に 関 す る記 述 箇 所 か ら離 れ た と ころ に記 され て い る,
ク リール ア イ ヌの 海 との係 わ り方 は,か れ らが海 洋 民 族 で は なか った とい う主張 とは
む しろ反 対 の 内容 で あ る とい え よ う。 ク リー ル アイ ヌを 海 洋民 族 と呼 ぶ こ とが適 当 か
否 か の 問題 は あ るが,か れ らの海 洋 適 応 が どの程 度 の もの だ った のか を整 理 す る 必要
が あ る。 まず 民 族 誌 か らそ の よ うな 内 容 の箇 所 を抽 出 し,ク リー ル ア イ ヌの 生活 全 体
に 占め る海 との係 わ りの程 度 を検 証 す る。 先 に確 認 した よ うに,収 集 され た 民具 類 の
中 には 模 型 品 の船3点 の 他 に は,漁撈 活 動 に直 接 的 に 附随 した道 具 は 含 まれ て い な い。
そ こで,民 具 類 の素 材 に着 目 し,海 産 物 と して調 達 され た 素 材 が,収 集 され た 民 具類
へ
の素 材 と して どの程 度 使 用 され て い るの か を 調 べ て み る。
(3) セ ツ ル メ ン トに つ い て(1)一
鳥 居 は,ク
リー ル ア イ ヌ は1884年
パ ラ ム シ ル 島(約50名),ラ
るia)0仏 語 版
人 口,コ
タ ソ=バ
の シ コ タ ソ 島 移 住 以 前 に は シ ュ ム シ ュ島(約40名),
シ ョ ワ島(約40名)の3島
『千 島 ア イ ヌ』 の 「第6章
に 居 住 して い た と記 述 して い
千 島 ア イ ヌ の 年 間 移 住 」 に は,鳥
居 自 らが
ク リー ル ア イ ヌの イ ソ フ ォ ー マ ソ ト(グ レ ゴ リ ー,エ テ ィ ア ソ ヌ,ロ ー レ ソ ツ の3名)
か ら得 た 情 報 と し て,1876年
あ る。 これ に よ る と,北
か ら1883年
に か け て の 「定 期 的 移 動 」 に つ い て の 記 録 が
千 島 の 人 口 は1876年
に80人,1883年
に97人 で あ る が,し
か し
な が ら そ の時 点 で の 彼 ら の拠 点 的 な 居 住 地 は シ ュ ム シ ュ島 だ け で あ った こ とが わ か
る。
以 上 の こ とを 整 理 す る な らぽ,シ
は,ク
コ タ ン 島 へ の 移 住 の 直 前,な
い しは そ の 数 年 前 に
リ ー ル ア イ ヌの 拠 点 的 な 居 住 地 は シ ュ ム シ ュ 島 の み で あ っ た が,そ
れ 以 前(実
際 に 何 年 前 に ま で 遡 る か は 不 明 で あ る が,お そ ら くそ れ 程 昔 の こ と で は な い で あ ろ う)
に は,パ
ラ ム シ ル 島 と ラ シ ョ ワ 島 に も拠 点 的 な 居 住 地 が あ り,北 千 島 の 人 口 は 全 体 で
約130人 程 で あ っ た,と
い う こ と に な る 。 ま た そ の 当 時 は,パ
ア イ ヌの 生 活 の 中 心 で あ っ た が,ロ
ク の 開 設 に と も な い,カ
ラ ム シル 島 が ク リール
シ ア の カ ム チ ャ ッ カ へ の 進 出 や ペ テ ロバ プ ロ フ ス
ム チ ャ ッカ との 交 通 の 便 の 上 で,や
が て カ ム チ ャ ッ カ寄 りの
シ ュ ム シ ュ島 へ と ク リー ル ア イ ヌ の 生 活 の 中 心 が 移 っ て い っ た ,と
い う よ うな 北 千 島
で の 中 心 と な る拠 点 的 な 居 住 地 の 変 動 も あ っ た こ と が 窺 わ れ る 【
鳥 居 1903:13】 。
シ ュ ム シ ュ 島,パ
ラ ム シ ル 島,ラ
シ ョ ワ 島,こ
れ ら3島
の拠 点 的 な 居住 地 は
「コ タ
18) 島名 の片 仮 名表 記 に は何 種 類 か の ものが あ る。 日本 語版 『千 島 アイ ヌ』 【
鳥居 1903】 に 掲
載 され た 「明治 十 七年 以 前千 島付 近 二於 ケ ル各 種 族 分 布 図」 に お い ては 各 島名 が 漢 字 で 表 記
され て い るが,こ れ が 『鳥 居 龍蔵 全 集 』 第7巻 に 所 収 され る 際 に は 各 島名 が片 仮 名 表 記 に 改
め られ て い る 【
鳥 居 1903:6-7】。 こ こ では そ の 片 仮 名表 記 を 用 い る こ とに す る。
443
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図4 ソ=バ
コ タ ン=バ
」 と呼 ば れ た 。 各 コ タ ン=バ
に は 数 軒 か ら10軒 程 の 竪 穴 住 居 が あ り,40人
50人 程 度 の 人 た ち が 暮 ら し て い た(図4上
=チ
444
と オ ンル フス シ
か ら
表)。 竪 穴 住 居 は 「チ ェ ー」 ま た は 「 トイ
ェ ー 」 と呼 ば れ た 。 こ の 他 に シ ュ ム シ ュ島 だ け に は,6棟
の 高 台(高 床 式 の 倉 庫)
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
が あ っ た 。 こ れ が カ ム チ ャ ッ カ の 「バ ラ ガ ン」 に 由 来 す る も の か,あ
有 の 「プ ウ 」 で あ る の か,鳥
る い は ア イ ヌ固
居 も報 告 年 次 に よ っ て そ の 解 釈 に 変 化 が 生 じ て い る 。 日
本 語 版 『千 島 ア イ ヌ』 【
鳥 居 1903】 で は カ ム チ ャ ッ カ か ら の 由 来 の 可 能 性 を 指 摘 す る
が,仏
語 版 『千 島 ア イ ヌ』 【
鳥 居 1919】 で は 「プ ウ 」 の 可 能 性 へ と 見 解 が 移 行 し て い
る。
(4) セ ツル メ ン トに つ い て(2)一
一 船章
それ ぞれ の コタ ン=バ には漁撈 の た め の小 船 隊 が 組織 され て お り,そ の所 有 す る船
に は コタ ンeバ ご とに 図柄 を 異 に した船 章 が 舳 先 寄 り両舷 側 に描 か れ て い た。 海 上 で
は,こ の 船 章 に よっ て 自他 の コ タ ン=パ の 船 が 識 別 され た 。 図 版2-1・2a・2bは
船
章 を示 す た め に 作 られ た船 の模型 品 で あ る。 厚 手 の2に は片 面 ご とに 異 な る船 章 が,
薄手 の1に は 片 面 だ け に1種 類 の船 章 が描 か れ,2つ
の 模型 品 で都 合3種 類 の船 章 が
表現 され て い る。舳 先 を黒 く塗 り,ま た 中央 よ りもや や 後部 寄 りの 船 縁 が突 出す る部
分 を 黒 く帯 状 に 塗 る点 が,3例
1919:330】 第6図aに
に 共 通 す る表 現 に な って い る 。 図 版2-2a(【 鳥 居
該 当)は 帯 状 に縁 取 った 横 倒 しの 涙形 の 中央 に 円文 を配 す る 図
柄 で あ る が,鳥 居 の 記 述 に よれ ぽ これ は ラ シ ョ ワ島 の船 章 で,人 の 目(チ プ シキ)を
表 現 した もの で あ る。 図版2-2b(【 鳥居 1919:330]第6図bに
該 当)は 舳 先 の黒 塗
り部 の端 が渦 巻 状(ト モ エ=ノ ク)に な り,そ の脇 に 魚 形(號)が
描 か れ る もの で,
パ ラ ム シル 島 の船 章 で あ る。 薄 手 の 図版2-1に は ,そ の 片 面(【 鳥居 1919:330】 第6
図cに 該 当)に シ ュ ム シ ュ島 の船 章 で あ る人 面 が 描 か れ て い る。 鳥居 の記 録 で は,こ
の 人 面 は フ ジル(第IV章21「 儀 礼 ・信 仰 に関 す る民 具類(2) 仮 面 」 参 照)を 表
現 した もの で,実 際 に は舷 側 に フ ジル の 木面 が 打 ち付 け られ て い た とされ て い る。
(5) さ て,ク
セ ツル メ ン トに つ い て(3)一
オ ン ル フ ス シ,フ
リー ル ア イ ヌ は 拠 点 的 な 居 住 地 「コ タ ソ=バ
ハ ル ム コ タ ソ 島,シ
ャ ス コ タ ソ 島 ,マ
れ る 漁 場 を も っ て い た 。 漁 期(猟
期)に
ツ ワ 島,ウ
チ ャコラ
」 の 他 に,オ
ソ ネ コ タ ン 島,
シ シ ル 島 に 「オ ン ル フ ス シ 」 と 呼 ぼ
は コ タ ソ=バ
に 老 人 と 子 供 が 残 さ れ,若
者や
頑 健 な 男 女 が 各 オ ソル フ ス シ へ と 出 か け て い っ た 。 冬 期 に は こ こ で 越 冬 も さ れ た 。 オ
ン ル フ ス シ に は 「リア=チ
た が,こ れ は コ タ ン=パ
尚,コ
タ ソ=バ
ェ ー」 ま た は 「イ ヌ ソ=チ
ェ ー 」 と呼 ば れ る 漁 戸 が 作 ら れ
の 竪 穴 住 居 を ひ と ま わ り小 さ く した だ け の 住 居 で あ る(図4)。
で も,ま
た オ ン ル フ ス シ に お い て も,冬
に い くつ か の 狩 猟 用 の 仮 小 屋 が 作 られ て,狐
期 には そ の 島 内 の他 の 場 所
や 鳥類 の狩 猟 が 行 わ れ た。 この仮 小 屋 は
445
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
「フチ ャ コ ラ」 と呼 ぽ れ,漁 戸 よ りもさ らに 簡 単 な作 りの竪穴 式 の もので あ る。
以 上 の よ うに,ク
リール アイ ヌの生 活 は 拠 点 的 な居 住 地 で あ る コタ ソ=バ と,漁撈
狩 猟 期 間 の オ ンル フ ス シ とを 中心 と して,冬 期 に は さ らに そ の 周辺 に フチ ャ コ ラ とい
う仮 小屋 が作 られ て 狩猟 が 行わ れ る,と い うもの で あ った 。 ク リール アイ ヌの セ ツル
メ ソ ト ・シス テ ムは漁撈 狩 猟 を軸 に して組 み 立 て られ た もの で あ り,特 に 生 活環 境 が
島 嘆 ・海 洋域 で も あ り,漁撈
・移 動 ・運 搬 の 手 段 と して の船 及 び 航海 技 術 が 発達 し,
彼 らの 生 活体 系 が 海 洋 適 応 を1つ の根 幹 と して い た も ので あ る こ とが確 認 され る。 こ
の こ とは,コ タ ソ=バ とオ ソル フス シ との 間 で の住 み 分 け が,単 に季 節 的 な もの で は
な くて,数 年 に及 ぶ漁撈 狩 猟 期 間 の活 動 拠 点 とな るオ ンル フ ス シ と,漁撈 狩 猟 の 非適
齢 メ ソパ ーの居 住 及 び 財 産 保 管 の場 所 と して の コタ ソ=バ とい う機能 分 担 か ら成 り立
って い る点 か らも窺 うこ とが で きる。 この 点 を,次 に確 認 して み よ う。
(6) 長 期 出 漁(猟)型
海 洋適 応
ク リ ー ル ア イ ヌ の オ ン ル フ ス シ を 中 心 と した 活 動 に つ い て は,先
リ ー ら を イ ン フ ォ ー マ ソ トと す る 鳥 居 の 記 録 か ら,シ
る こ と が で き る 。1876年 当 時,実 質 上 の コ タ ン=バ
に 引 用 した グ レ ゴ
コ タ ン島 移 住 の 直 前 の 状 況 を 知
は シ ュ ム シs島
だ け に な っ て お り,
北 千 島 の 人 口 は80人 で あ っ た と 推 定 され て い る 。 そ の う ち の10名 の 者 は 既 に1873年
シ ュ ム シ ュ 島 を 出 港 して,他
の 島 々 へ と 出 漁(猟)し
に38名 の 島 民 が 出 漁(猟)す
る の で,シ
た ま ま で あ り,1876年
に
には新た
ュ ム シ ュ 島 に は漁撈 狩 猟 の 非 適 齢 メ ソ バ ー で
あ る 老 人 や 子 供 な ど32名 が 残 る こ と に な る 。
1876年 に 出 港 し た 一 行38名
男ll名
・女13名 の 合 計24名
の 内 訳 は,男20名,女18名
と,男9名
れ ぞ れ 小 形 船1艘
を 曵 航 し,ま
こ と に な る1873年
出 港 の 一 行 は 船1艘
っ た 。 ま た,シ
た 猟 犬 を5匹
の 船 が,70匹
ャ ス コ タ ン 島(1876年
越 年),マ
越 年),ラ
と が 分 乗 す る。 大 形 船 は そ
ず つ 乗 り込 ま せ て い た 。 途 中 で 同 行 す る
に 乗 員10名 で,そ
の 内 訳 は 男6名,女4名
ツ ワ 島(1877年
越 年)の
越 年),ラ
越 年) ,ウ
順 に 渡 航 し て漁撈
は10名(男5名
・女4名)が
446
越 年),
シ シ ル 島 ・ラ シ ョ ワ島(1881
そ の7年
死 亡 し,6名(男2名
と合 流 し,シ
シ ョ ワ 島(1878年
1883年 に シ ュ ム シ ュ 島 へ と 帰 島 して い る(図5)。
・女5名)が
であ
で あ る。 島 に は
年 中 に パ ラ ム シ ル 島 で 先 発 隊10名
シ ョ ワ 島(1880年
ャ ス コ タ ソ 島(1882年
の 船 に,
の 猟 犬 と共 に 残 され た 。
1876年 に 出 港 し た 後 発 の 一 行 は,同
年 越 年),シ
の 合 計14名
ュ ム シ ュ 島 に 残 留 し た32名 の 島 民 は,男16名,女16名
沿 岸 漁 業 用 の 大 小2艘
マ ツ ワ島(1879年
・女5名
で あ る 。 大 形 の2艘
狩 猟 を 続 け な が ら,
間 に は,シ
ュ ム シ3島
で
誕 生 して お り,一 方,
小杉 物質文化からの民族文化誌的再構 成の試み
図5 ク リー ル アイ ヌの長 期 出 漁(猟)型
航 海 中 の 一 団 で は6名(男6名)が
即 ち1883年
に は,シ
は 合 計 で97名(男46名
ュ ム シ ュ 島 で の 残 留 人 口 が28名,帰
・女51名)と
以 上 の 事 柄 の う ち で,次
及 ぶ 点 。 第2は
の4点
誕 生 して い る 。
島 組 が69名,北
千 島 の全 人 口
に 注 意 す る 必 要 が あ る 。 第1は
出 漁(猟)が
る 点 。 第3は,よ
ち 子 供 が 誕 生 す る 点 。 第4は
ど で あ る 。 即 ち,ク
・女14名)が
い う計 算 に な る19)0
壮 年 の 男 女 が 共 に 出 漁(猟)す
中 に 新 た な 成 員,即
な る 点,な
死 亡 し,27名(男13名
海洋 適 応
っ て 出 漁(猟)期
相 当 数 の 成 員 が 出 漁(猟)中
リ ー ル ア イ ヌ の セ ツ ル メ ソ ト ・シ ス テ ム は,生
の 舞 台 と居 住 場 所 と を シ ー ズ ナ リテ ィに 基 づ い て 循 環 す る 面 よ りも,彼
サ イ クル そ の も の が 生 業 活 動 の 中 に 埋 め 込 まれ て い る 点 に こ そ,そ
え よ う。 こ の 生 業 活 動 と は,オ
1903:52】
で は1984年
間
に亡 く
業活動
らの ライ フ ・
の 特 徴 が あ る とい
ンル フ ス シ の あ る 島 々 を 中 心 と した漁撈
19) 日本 語 版r千 島 アイ ヌ』 【
鳥居
とな って い る。
数年に
と狩 猟 で あ り,
当 時 の 男 女 別 人 口 は 男45名
・女52名
447
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
それ は優 れ た船 と航 海 術 に 支 え られ た長 期 出 漁(猟)型
海 洋 適応 とい え る もの で あ っ
た。
(7) 民 具 素 材 と海 洋適 応(1)一
民 具素 材 の分 類 と木 材 の利 用 率
鳥 居 収集 の ク リール アイ ヌ民 具 類,及 び民 族 誌 中 で言 及 され て い る民 具 類 を素 材 の
面 か ら概 観 す る と,主 な もの と して 木材,皮 革 及 び動 物 性繊 維,非 加工 植 物 性 繊 維(草) ,
紡 績 素材(糸
・布),金 属 の5つ に 区分 す る こ とが で き る。(こ の他 に も粘 土 と骨 角 素
材 の 民具 類 も紹 介 され て い るが,そ の 多 くは既 に製 作 され な くな って い る もの,あ る
い は 上 記 の うち の どれ か の 素 材 へ と転 換 され て し ま った もの が ほ とん どで あ る。)こ
れ らを材 質 の硬 度 な い しは柔 軟 性 に よ って,軟 素 材(皮 革 及 び動 物 性繊 維,非 加工 植
物 性 繊 維,紡 績 素材),準 硬 素 材(木 材),硬 素 材(金 属)に 分 類 す る こ とも可 能 で あ
る。 ただ し,素 材 の こ の よ うな 特 性 は,製 作 の 各工 程 に おけ る処理 の仕 方 に よって ,
例 えぽ 材 料 段 階 と製 品 段 階 とで は 異 な る こ と もあ り,そ の よ うな場 合 に は どち らの 状
態 を問 題 と して い る のか を 明 記 す る必 要 が あ る。
さ て,こ れ らの素 材 の うち で も,利 用 率 が 圧 倒 的 に 高 い の は準 硬 素 材 の木 材 であ る。
加 工 の し易 さの点 か ら も,木 材 は模 型 品 の製 作 に も頻 繁 に 用 い られ る。 よ って,模 型
品 が 多 い生 業 関連 の民 具 類 に つ い ては,必 然 的 に 木 材 の利 用 率 が 高 くな ってい るの で,
正 確 な 状況 が反 映 され た もの で あ る とは一 概 に い えな い 。 同 様 の傾 向は 収 集 民具 類 全
般 に い え る こ とで は あ るが,そ の点 を 考慮 した うえ で も,特 に木 材 が 素 材 と して優 先
的 に 使用 され る もの に,容 器 ・杓 子 類 と儀 礼 ・信 仰 関 連 の 民 具類 とが あ る。 鳥 居 収 集
の 民 具類 か ら金 属 製 の容 器 類 が 欠 落 す るのは,既 に 確認 した よ うに,還 元 的土 俗 が 一一
因 で あ る こ とは 明 らか で あ る。 調 理 の 際 の煮 沸 に は,水 を 入れ た 簡 易 的 な作 りの 木 製'
容器 に焼 け 石 を 投 入す る方 法 が 紹 介 され て い るが1鳥 居 1919:434】Tそ れ は金 属製 容
器 が普 及 す る以 前 に おけ る,土 器 の携 行 が 不 便 な 出漁(猟)先
での こ とであ り,そ れ
に該 当す る よ うな木 製 容 器 は 収集 され てい な い 。 鳥居 の調 査 時 に は金 属 製 容 器 に よる
煮 沸 と木 製 容 器 へ の盛 り付 け とい う コ ソ ビネ ー シ ョソが,よ
形 態 であ った と推 測 され る。 また,ク
り一般 的 な 調 理 と食 事 の
リール ア イ ヌを は じめ と して アイ ヌ全 般 に お い
て ・柳 が 神聖 で象 徴 的 な 存 在 で あ る こ とが述 べ られ て い るが1鳥 居 1919:469] ,柳 材
を素 材 とす る 削 り掛 け や 酒箸 が 中心 的 な位 置 を 占め る儀 礼 ・信 仰 関 連 の 民具 類 にお い
て も,必 然 的 に木 材 の利 用 率 が高 い値 を示 して い る。
448
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
(8) 民 具素 材 と海 洋適 応(2)一
海獣 皮 ・内臓,海 鳥皮 の有 用 性
皮 革 素 材 ・動 物 性 繊 維 は,そ の ものが 主要 素 材 とな る もの の他 に,副 素 材 と して も
多様 な用 い られ方 を して い る。 そ の よ うな場 合,外 見 の 肉眼観 察 だ け では そ れ が陸 獣
の ものか 海 獣 の ものか を 判 別 し難 い素 材 も多 い が,鳥 居 の民 族誌 中 に 明記 され て い る
事例 では 圧 倒 的 に海 獣 か ら採 られ た ものが 多 い 。 皮革 を主 要 素 材 とす る民 具 類 の代 表
と して は まず 衣 服 が挙 げ られ る。衣 服 は軟 素 材 で あ る獣 ・鳥 皮 製 品 と紡 績 製 品 とに 分
け られ る。 先 に 紹 介 した ラ コ ツ ア=チ ロ ニブや チ ル フな どの身 丈 の長 い6種 類 の上 着
の うち,北 海道 ア イ ヌか ら入 手 した シ ケ メ ガ ラペ(ア
ッ トゥシ)と カ ム チ ャダ ール や
コ リヤ ー クな ど と共 通 す る デ ム カ ムル(木 綿 布 製)と が紡 績 製 品 で あ るだけ で,残
の4種 類 は海 獣 皮 か 海 鳥皮 か の ど ち らか を素 材 とす る もの で あ る(ラ コ ツア=チ
り
ロニ
ブ 【ラ ッコ皮 】,ツクア ル=ウ ル プ 【アザ ラ シ皮 】,チル フ 【
エ トピ リカ鳥 皮 】,ハル フ 【
鴨
鳥皮D。 ま た,こ の他 の 衣類 と して紹 介 され て い る もの で は,チ
紡 績 製 品(モ
ャチ ャ ン ケ(揮)が
シの植 物 性繊 維 を使 用)で あ るだ け で あ り,鹿 皮 製 の オ ユ(半 ズ ボ ソ)
や ア シカ皮 製 の オ ル マ カ(下 着),ト
ドの腸 を 使 用 す る フス ト(雨 合 羽)な
どが 獣 皮,
と りわ け 海 獣 皮 や そ の 内臓 を 素 材 と して い る。
また,収 集 され た5点 の腰 帯(オ ユeク
ト)の 主要 素 材 は 木 綿 布 で あ るが,そ の片
端 に はバ ッ クル に 結 び付 け るた め の 皮紐(海 獣 皮 か)が 縫 い 付 け られ て い る例 も あ る。
鳥 居 は これ が 以 前 に は 全体 が 海 獣 皮 で作 られ て い た こ とを記 述 して い る。 さ らに,防
寒 性 や耐 水 性 な どの 高 い性 能 が 要 求 され る長 靴 や 帽 子 に は,ト
ド皮 や ラ ッコ皮 が 用 い
られ て い る。 これ も また高 い耐 水 性 が 必要 な も ので あ るが,収 集 され た 火道 具 入 れ は
海 獣 皮 を主 要 素 材 とす る もの で あ る。 この他 に も,海 獣 皮 や 内臓 は 副 素 材 と して 弓 の
弦 や 矢 羽 の緊 縛 糸 な ど と して も多 用 され て い る。
衣 類 の 素 材 と して海 獣 皮 や 内臓,海 鳥 皮 が 多 用 され る のは,素 材 そ の もの に備 わ っ
て い る保 温 性 や耐 水 性,耐 久 性,加 工 の し易 さな どの特 性 に よ る もので あ る。 また,
この よ うな 特 性 を備 えた 衣 類 を 強 く必 要 とす る生 活 で あ った こ との表 れ で もあ る。 一
方,海 獣 皮 や 海 鳥皮 を素 材 とす る服 飾 品 で 日常 的 に 身体 を取 り巻 き,ま た漁撈 具 や 狩
猟 具 の重 要 な部 品 と して海 獣 や 海 鳥 か ら得 られ る素 材 を利 用 し,か つ これ らを長 期 に
わ た って使 用 し続 け た こ との 結 果 と して,そ の 素 材 を 供給 す る動物 と 自分 た ち との 間
に観 念 的 な特 別 な関 係 が醸 成 され て い た状 況 や,あ
るい は これ とは 反対 に,そ の よ う
な観 念 の存 在 を前 提 と して,海 獣 や 海 鳥 の素 材 を 好 ん で 選択 す る とい う状況 が 形 成 さ
れ て いた 可 能性 も考 慮 す る必 要 が あ る。 いず れ に して も ク リー ル ア イ ヌが海 獣 や 海 鳥
か ら得 て い た 素材 の種 類 と量 は,北 海 道 ア イ ヌ と比 較 して も特 に豊 富 で あ り,彼 ら の
449
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
海 洋適 応 の一 面 が如 実 に反 映 され て い る とい え るだ ろ う。 この 点 は,鳥 居 に よ って収
集 され た 生 業 関連 の民 具 類 の 用 途 か らは直 接 的 に復 原 しえ なか った 内容 であ り,民 族
誌 か ら抽 出 した 長期 出漁(猟)型
2.ア
海 洋適 応 に 合 致 す る もの であ る。
イ デ ンテ ィ テ ィ と ク リー ル文 様
(1) 林 欽 吾 に よ る 定 住 群 族 と漂 泊 群 族 に つ い て
林 欽 吾 は,恐
ら く鳥 居 龍 蔵 著r千
シ コ タ ン 島 移 住 以 前 の 北 千 島(即
島 アイ ヌ』 【
鳥 居 1903,1919】 等 を 参 照 し な が ら,
ち 「北 千 島 時 代 」)の ク リ ー ル ア イ ヌ は 南 北 の2群
に 分 れ て お り,「 チ ュ プ カ オ ン ク ル 」(「東 方 人 」 の 意)と
群)が
呼 ば れ る 北 群(シ
定 住 群 族 で あ り,「 ル ー トモ ン ク ル 」(「 経 路 人 」 の 意)と
ョ ワ群)が
漂 泊 群 族 で あ っ た と論 じ て い る 。 「チZプ
ら シ ュ ム シ ュ 島,そ
「海 陸 獣 を 遂 ひ つ つ 島i/;r".間
を 移 動 生 活 し,或
カオ ン クル」 は パ ラム シル 島か
る期 間 の後 に 基地 に帰 還 す るが またそ れ
千 島 の ク リー ル ア イ ヌ の こ の2群
ロ ン ス キ ー 著 『千 島 誌 』 に 記 録 さ れ て い る18世 紀 代 に,カ
に 居 住 して い た 「ウ イ ウ トエ ス ケ 」 と,パ
ム チ ャ ッ カ半 島 及 び
ラ ム シル 島以 南 の 島 々 に居 住
し て い た 「ア ウ ン クル 」 と に 系 譜 が 辿 れ る こ と を 論 じて い る 【
林 1940:178-181】
池 勇 夫 は 文 化 年 間(1804-1818)の
地 惣 内 上 書 」 等 を も と に し て,18世
シ ョ ワ島 ・シ ム シル 島 の 集 団,エ
て,ラ
ト ロ フ 島 を 本 拠 とす る 集 団 で あ る 。 パ
シ ョ ワ ・シ ム シ ル の 集 団 と
集 団 で あ っ た と理 解 さ れ て い る。 これ に 対 し
シ ョ ワ ・シ ム シ ル の 集 団 と エ トロ フ の 集 団 と の 間 に は,言
れ た も の の,「 非 常 に 近 い 関 係 を 持 っ て い た 」 【
菊 池 1995:161]と
19世 紀 に 入 り,1803年
禁 止 し,1811年
さ れ て い る。
の ゴ ロ ヴ ニ ソ事 件 を 経 て,1854年
の 日露 和 親 条 約 に よ っ て エ ト ロ フ 島
ル ッ プ 島 以 北 の 中 部 ・北 千 島 が ロ シ ア に 領 有 され
の エ トロ フ 島 の ア イ ヌは 北 海 道 ア イ ヌ と の 同 化 の 度 合 を 強 め て い く。 そ れ と
は 反 対 に,パ
450
語 上 の地 域 差 が み ら
に は 幕 府 が エ トロ フ の ア イ ヌ が ウ ル ッ プ 島 に 渡 航 す る こ と を
以 南 の 南 千 島 が 日 本 に 領 有 さ れ,ウ
る と,先
の グル ー プに
。 そ れ らは パ ラ ム シ ル 島 を 拠 点 と
ラ ム シ ル の 集 団 は い ち 早 く ロ シ ア 化 した ア イ ヌ で あ り,ラ
は 交 易 関 係 で 密 接 な 往 来 が あ った が,別
。
「エ ト ロ フ 島 へ 渡 来 ラ シ ョ ワ人 取 調 菊
紀 後 半 に は 千 島 列 島 の ア イ ヌが3つ
分 れ て い た こ とを 論 じて い る 【
菊 池 1995:160-161】
した 集 団,ラ
シア
中 心 に 活 動 す る ク リー ル ア イ ヌ で あ り,
を 反 復 す る」 人 々 で あ る と され て い る 。 さ ら に,北
一 方,菊
シ
園 を 作 った り牛 を 飼 っ た り した と さ れ て い る 。 一 方,「 ル ー ト
モ ソ クル 」 は パ ラ ム シ ル 島 よ り も南 の 島hを
シ ュ ム シ3島
呼 ば れ る 南 群(ラ
して カ ム チ ャ ッ カ 半 島 に 居 住 す る ク リ ー ル ア イ ヌで あ り,ロ
人 と の 接 触 後 に はr菜
は,ポ
ュム シ ュ
ラ ム シ ル 島 の ア イ ヌを は じ め と して,ラ
シ ョ ワ島 ・シ ム シ ル 島 の ア イ ヌ
小杉 物質文 化からの民族文化誌的再構成 の試み
は 一 層 の ロ シ ア 化 を 促 進 す る こ と に な る。 林 が 論 じ る 「北 千 島 時 代 」 の ク リー ル ア イ
ヌ とは こ の 時 期 に 相 当 す る も の で あ る 。 即 ち 北 群(シ
ム シル の 集 団 に,南
群(ラ
す る で あ ろ う。 し か し,こ
シ ョ ワ群)が
の2集
ュ ム シx群)が
菊 池 の い うパ ラ
同 じ く ラ シ ョ ワ ・シ ム シ ル の 集 団 に ほ ぼ 対 応
団 を 直 ち に 生 業 活 動 の 相 違 と も結 び 付 け た うえ で,
鳥 居 が 記 述 す る と こ ろ の 「チ ュ プ カ ニ グル 」 と 「ル ト ソ=モ
ソ=グ
ル 」 とに 対 応 さ せ
る の に は 問 題 が あ る。
(2) ク リール ア イ ヌの 自称
そ の 経 緯 を や や 詳 し く説 明 す る 。 鳥 居 は 仏 語 版
『千 島 ア イ ヌ』 で,ク
は 彼 ら よ り も東 に 住 む カ ム チ ャ ダ ー ル を 「チ ュ プ カ=グ
住 む 人 た ち を 「ル トン=モ
ン=グ
リール アイ ヌ
ル 」(「東 ・人 」 の 意),西
ル 」(「西 に 住 ま へ る 人 」 の 意)と
に
呼 ん で お り,自
ら
を 「ア イ ヌ 」 と呼 称 して い た と記 述 して い る 【
鳥 居 1919:336】 。 し か し,日 本 語 版 『千
島 ア イ ヌ』 に お け る 同 一 内 容 を 記 述 し た 箇 所 の 説 明 は,こ
れ と や や 異 な っ て い る。 ク
リ ー ル ア イ ヌに よ っ て カ ム チ ャ ダ ー ル がChup'ka-an-guru(チ
と 呼 ば れ る 点 に は 基 本 的 な 違 い は な い が,ク
(ル ー ト ン=モ
ン=グ
ル)と
ュ プ カ=ア
「ル ー ト ソeモ
ンeグ
呼 称 す る こ とが 記 述 され て い るが 【
鳥 居 1903:28-29】,
ル 」(西 に 住 ま へ る 人)と
リ ー ル ア イ ヌが
客 体 化 して呼 ぶ こ と の矛 盾 が
解 決 さ れ な い ま ま に 記 述 さ れ て し ま っ て い る 点 で あ る 。 尚,日
で は こ れ に 続 い て,ク
ル)
リ ー ル ア イ ヌ は 自 らをRaton-mon-guru
こ の 段 階 で 鳥 居 自 身 に 誤 解 が あ っ た こ と が 推 察 さ れ る 。 す な わ ち,ク
自 らを
ソ=グ
リ ー ル ア イ ヌ は 自 ら も 含 め て 人 をAinoと
本 語 版 『千 島 ア イ ヌ』
呼 ぶ こ とが 記 述 され
て い る。
後 年,仏
語 版r千
島 ア イ ヌ』 を 執 筆 す る 際 に は こ の 矛 盾 点 に 気 付 き,修
れ る。 そ れ が 先 に 記 した,ク
正が加え ら
リ ー ル ア イ ヌが 自 ら を 中 心 に 置 き 「ア イ ヌ」 と称 し,そ
の 東 の カ ム チ ャ ダ ー ル を 「チzプ
カ=グ
ル 」,そ の 西 に 住 む 人 を 「ル トソ=モ
ソ=グ
ル 」 と 呼 称 す る 方 位 民 族 観 で あ る 。 しか し,鳥 居 の 仏 語 版 『千 島 ア イ ヌ』 で の 修 正 は,
よ り記 録 性 が 高 い 日本 語 版 『千 島 ア イ ヌ』 の 記 述 内 容 を 一 方 的 に 改 変 した だ け で あ り,
ク リー ル ア イ ヌ か ら の 聞 き取 り と そ の 記 録 の 際 に 何 故 そ の よ う な 矛 盾 点 が 生 じ て し ま
ったの か を 解 決 す る まで に 至 らな か った 。
(3) 千 島 列 島 の呼 称
この 問題 を 解 く緒 は,日 本 語 版r千 島 ア イ ヌ』 に お い て,ク
リール ア イ ヌ自 らが 住
ま う千 島列 島 を 何 と呼 ん で い るの か,に つ い て の記 録 の 中 に 見 い だ す こ とが で き る
451
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図6 1鳥居 1903:27-28]。
る 。 ま ず,千
さ れ,認
ク リール(千 島)列 島の 区 分 と呼称
そ の記 録 内 容 は 鳥居 が ヤ コフ とグ レ ゴ リーか ら聞 い た もの で あ
島 列 島 か ら カ ム チ ャ ッ カ 半 島 に か け て の 地 域 は,大
識 さ れ て い た こ と が わ か る(図6)。
ャ ッカ がChup'ka(チ
が 示 さ れ ず,続
ュ プ カ,東),シ
大 区 分 で は,北
ムチ
ュ ム シ ュ 島 ・パ ラ ム シ ル 島 に は 特 定 の 呼 び 名
ら に エ トロ フ 島 か ら北 海 道 ま で がYawani(ヤ
ュ ム シs島
の基 準 で 区分
東 側 か ら 順 に,カ
く オ ン ネ コ タ ン 島 か ら ウ ル ッ プ 島 ま で がR皦on(ル
で 注 意 す る べ き は,シ
小2つ
ワ ニ)と
ー ト ン,西),さ
呼 称 さ れ る こ とに な る 。 こ こ
・パ ラ ム シ ル 島 に 該 当 す る 名 称 が 欠 落 し て い る 点 で
あ る 。 イ ソ フ ォ ー マ ン トで あ る ヤ コ フ や グ レ ゴ リー の 住 ん で い た 拠 点 的 な 居 住 地 が,
シ コ タ ン 島 移 住 前 に は シ ュ ム シ ュ島 で あ っ た こ とを 考 慮 す る な らば,自
分 た ち が実 際
に 住 ん で い た シ ュ ム シ ュ 島 及 び そ の 周 辺 に つ い て は 特 定 の 名 称 を 必 要 とせ ず に,そ
を 中 心 と した 方 位 名 称 がChup'kaやROtonで
リー ル ア イ ヌ の 活 動 範 囲 は,シ
452
こ
あ った こ と が 理 解 さ れ る 。 た だ し,ク
ュ ム シ ュ島 と パ ラ ム シ ル 島 は も ち ろ ん の こ と,オ
ンネ
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
コ タ ソ 島 か ら シ ム シ ル 島 に 至 る ま で のR皦onの
義 的 に 評 価 した こ と が,日
大 半 に 及 ぶ も の で あ り,こ
本 語 版 『千 島 ア イ ヌ 』 に お い て 「ル ー トソ=モ
の点 を一
ン=グ
ル」
を も っ て ク リ ー ル ア イ ヌ 自 ら の 呼 称 と した 記 述 に 導 い て し ま っ た の で あ ろ う。
鳥 居 の 調 査 時 に,ク リ ー ル ア イ ヌ の 拠 点 的 な 居 住 地 は シ ュ ム シ ュ 島 だ け で あ っ た が,
彼 ら の 活 動 の 範 囲 は シ ム シ ル 島 か ら シ ュ ム シ ュ 島,そ
及 ぶ も の で あ っ た 。 こ の 範 囲 を1つ
つ の 基 準 に よ る 区 分,小
の 単 位 と し て そ の 内 部 を 区 分 した も の が,も
区 分 で あ る と考 え ら れ る。 す ら わ ち,北
チ ャ ッ カ か ら パ ラ ム シ ル 島 ま で のChup'ka,オ
Shinrud炙,ラ
シ ョ ワ 島 以 南(で,恐
も た ず に 全 体 が3つ
よ っ て,林
ら く シ ム シ ル 島 ま で)のSamuruと
し て,中
心を
相 当 す る も の で あ り,
「ル ー トモ ソ ク ル 」 の 範 囲 は 大 区 分Y'`よ るR皦onに
説 が 前 提 とす る 地 域 区 分 は,鳥
ム シ ル と に 分 れ て い た2集
団 が,シ
居 が 記 録 した2つ
の 基 準 が 交 錯 して は じ
コ タ ン 島 移 住 の 直 前 に は シ ュ ム シ ュ島 の み を 拠 点
居 の記 録 内 容 に よる な
シ ア 化 の 進 展 が 一 足 早 か っ た パ ラ ム シ ル 島 や シ ュ ム シZ島
に お い て も,ラ
の ク リール アイ ヌ
シ ョ ワ 島 ・シ ム シ ル 島 の ク リ ー ル ア イ ヌ と 同様 に 長 期 出 漁(猟)型
洋 適 応 を 遂 げ て お り,彼
海
らを殊 更 に定 住 群 族 と評価 す る のは 適 切 で は な い。
ク リ ー ル ア イ ヌ のアイデンティ
そ れ で は,シ
該 当す る。 こ
う。19世 紀 前 半 に お け る ラ シ ョ ワ ・シ ム シ ル とパ ラ
的 な 居 住 地 とす る ま で に い た る 経 過 の 詳 細 は な お 不 明 だ が,鳥
(4) ム
ソ ネ コ タ ン島 か ら マ ツ ワ島 ま で の
は こ の 小 区 分 に よ るChup'kaに
め て 生 じ う る も の で あ る と い>xよ
東 側 か ら 順 に,カ
が 定 住 群 族 の 「チ ュ プ カ オ ン ク ル 」 の 居 住 域 とす る カ ム チ ャ ッ カ か ら パ
一 方 ,漂 泊 群 族 の
ら ば,ロ
う1
に 区分 され る もの で あ る。
ラ ム シ ル 島 ま で の 範 囲 は,実
の よ うに,林
して カ ム チ ャ ッ カ 半 島 南 端 ま で
テ ィ
コ タ ン島 移 住 以 前 の ク リ ー ル ア イ ヌは 自 分 た ち のアイデンティ
テ ィを
ど の よ うに 認 識 して い た の で あ ろ うか 。 鳥 居 は ク リー ル ア イ ヌ が 現 在(当
時)に
て は ロ シ ア 人 や 日本 人,カ
た風俗や習
慣,伝
説,神
ム チ ャ ダ ー ル,ア
リ ュ ー トと の 混 血 が 進 み,ま
話 な ど に つ い て も カ ム チ ャ ダ ー ル や ア リz一
連 す る こ とを 指 摘 し な が ら も,形
おい
トな ど の 北 方 民 族 と強 く関
質 的 に も 言 語 的 に も北 海 道 ア イ ヌ や サ ハ リ ソ ア イ ヌ
と 同 じ 「真 の ア イ ヌ 」 【
鳥 居 1919:367】 で あ る こ と を 強 く認 め て も い る 。 し か し,シ
コ タ ン 島 移 住 以 前 に 北 千 島 で 生 活 して い た 頃 に は,ク
リ ー ル ア イ ヌは エ トロ フ 島 や ク
ナ シ リ 島 に 居 住 す る ア イ ヌ を 含 め た 北 海 道 ア イ ヌや サ ハ リ ン ア イ ヌ と 自 ら と は 異 な る
民 族 で あ る と認 識 し て い た こ と が 記 録 さ れ て い る 【
鳥 居 1919:367】 。 鳥 居 は こ の よ う
な 状 況 を 自 身 の 北 海 道 一 千 島2段
階 移 住 説 と 結 び 付 け て,ク
リ ー ル ア イ ヌ と北 海 道 ア
453
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
イ ヌと は 「幾 世 紀 に もわ た っ て互 い に 忘 却 され て い た 」,そ して 「互 いに 再 会 した の
は 最 近 の こ とにす ぎな い が,し か し,相 互 に(同 一 の 民族 で あ る と)認 め合 うこ とは
ない 」 【
鳥居 1919:368】(括 弧 内は 小 杉 補 足)と 結 論 して い る。
しか し実 際 には,北 千 島 の ク リール ア イ ヌ と南 千 島 の北 海 道 アイ ヌ との頻 繁 な接 触
が 断 たれ る の は,19世 紀 以 降 の,例 え ぽ1803年 の幕 府 に よるエ トロ フ島 の アイ ヌの ウ
ル ップ島 へ の渡 航 の禁 止 や,1820年
代 の露 米 会 社 に よる シ ム シル 島 ・ウル ップ島 へ の
ア リュー トの移 住 な どが 行 わ れ て か らの こ とで あ る。 そ れ 以 前 に お け る両 者 の交 流 な
い しは接 触 は,よ
り活 発 であ った はず で あ り,そ れ が 両 者 の 物 質文 化 にみ られ る強 い
共通 性 を維 持 させ て きた ので あ る。 ク リール アイ ヌにお い て は,北 海 道 アイ ヌ と比 較
して,鉄 製 品 の普及 が 遅 れ た り,あ る いは 土 器 製作 が 最 近 まで 続 いた り,ま た竪 穴 式
の 住 居 が 依 然 と して続 け られ て い た の は,鳥 居 の2段 階 移 住 説 で説 かれ た よ うな ク
リー ル アイ ヌが よ り旧い アイ ヌの伝 統 的 な 生 活形 態 を 維 持 して いた か らで は な く,そ
れ ぞれ が 位 置 す る歴 史 的 地 理 的状 況 や 自然環 箋 へ の適 応 の仕 方 が相 違 した こ とに 起 因
す る と考 え られ る。
(5) 文 様 表 現 とアイデンティ テ ィ
文 様 は しば しば 集 団 の シ ソボ ル と して機 能 す る こ とが あ る。 そ の文 様 は,そ れ を 見
る者 の脳 裏 に特 定 の事物 や事 柄 を直 接 的 に喚 起 させ うる具 象 的 な もの で あ った り,単
に集 団 と文 様 との任 意 的 な対 応 に よ る抽 象的 な もの だ った りす る。 また,集 団 の シ ン
ボル と して の文 様 の機 能 が,当 事 者 で あ る集 団 成 員 に よっ て認 識 され て意 図的 に 用 い
られ て い る場 合 と,他 者 がそ の文 様 を も って 特 定 の集 団を 認 識 す るため に 単 な る1つ
の文 化的 な指 標 と して用 い られ る場 合 とが あ る。 た だ し後 者 の 場 合,そ の よ うに して
認 識 され た 集 団 が,社 会 的 な単 位 とな りうる有 機 的 に結 び 付 い た実 体 と しての集 団 で
あ るのか,特 定 の 社会 的 な関 係 を反 映 した だ け の現 象 と して の 集 団的 な輪 郭 に過 ぎ な
い のか の判 定 が 必 要 に な って くる。
以上 の よ うな 文様 と集 団 とに つ い て の基 本 的 な関 係 を理 解 した うえ で,歴 史 的 状 況
的 に変 化 す る,特 定 の文 様 と特 定 の集 団 との 対 応 関係 を,そ の 時hの 対 応 関係 の 内容
の理 解 とそ の 通 時 的 な変 化過 程 の復 原 とを 通 して総 合 的 に整 理 す る こ とが ,物 質 文 化
か ら民 族 文 化 誌 的 な再 構 成 を 実施 す る際 に は,不 可 欠 な作 業 とな って こ よ う。 こ こで
は シ コタ ン島 移住 前 後 の 時期 に おけ る ク リー ル ア イ ヌ と彼 らの使 用 す る文 様 とが い か
な る関 係 に あ った のか を 整理 して お こ う。
454
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
(6) ク リール 文 様(1)一
連 続三 角 文
ク リー ル ア イ ヌの 文 様 は 「ク リー ル様 式 」1大 塚 1993b:15】 と いわ れ る こ とが あ
る よ うに,他 の ア イ ヌ,即 ち北 海 道 アイ ヌやサ ハ リソア イ ヌの文 様 とは 異 な った 特徴
を も って い る。 文 様 表 現 の 方法 は 彫 刻 や 刺繍,編 み 等 で あ るが,そ の うち で も彫 刻 と
刺 繍 に お い て は極 め て ク リール ア イ ヌ独 特 の文 様 が 表現 され て い る。彫 刻 で表現 す る
文様 と刺繍 の文 様 とは 基 本 的 に異 な って い る。 また,彫 刻 は男 子 が 行 い,刺 繍 は 女 子
が行 うとい う性 的 な区 分 もな され て い るの で,必 然 的 に製 作 時 にお け る男子 の文 様 と
女子 の文 様 との 明瞭 な違 い が 存在 して いた こ とに も な る。
彫 刻 の代 表 的 な文 様 と して は連 続三 角 文,柳 葉 文,連 続宝 珠 文,ス ペ ー ド形 渦 巻 文
が あ り,そ の 他 に蕨 手 文 な ど もあ る。 連 続 三角 文 と柳 葉 文 は主 要 な 文 様 図形 を浅 く彫
りくぼめ て 表 現 し,連 続 宝 珠 文,ス ペ ー ド形 渦 巻 文,蕨 手文 は線 彫 りで表 現 され る。
これ らの うちで も連 続 三 角 文 が ク リー ル アイ ヌに と って最 も特 徴 的 で,普 遍 的 な文 様
で あ る とい え よ う。 連 続 三 角 文 は,比 較 的 に 多 い事 例 では,1辺4mmほ
形 が 主要 な文 様 図形 とな る(図7a)。
どの正 三 角
正 三 角形 は1辺 か ら対 向す る頂 点 へ 向 け て斜 め
に彫 り込 まれ る。文 様 の 全 体 的 な表 現 に
は,正 三 角形 を 列 状 に 配 置 す る方 法(列
状 配 置 図7c∼e)や
既 存 の沈 線 に正 三
角 形 の1辺 を 付 着 させ て 連 続 的 に 配置 す
る方 法(付 着 配 置 図7f),数
個 の正 三
角形 を対 称 的 に 配 置 して単 位 文 とす る 方
法(単 位 文 配 置 図7g),他
の 主 要 な文
様 図形 の間 隙 を 充 填 す る方 法(充 填 配 置
図7h)な
どが あ る 。 さ らに 列 状 配 置 に
は,個hの
正 三 角 形 の一 辺 を揃 え て 連 続
的 に 配 置 す る場 合(図7c)や,2つ
の
正 三 角形 を頂 点 で 向 き合 わ せ て1単 位 と
し(図7d)り
あ るい は2つ の正 三 角 形 を
1辺 で向 き合 わせ て1単 位 と し(図7e),
そ れ らを連 続 的 に配 置 す る場 合 な どが あ
る。 また,連 続 して配 置 され る正 三 角 形
の彫 り くぼ め た 内部 を,赤 色 と黒 色 とに
交 互 に塗 彩 す る例 も多 い 。 この連 続 三 角
図7 ク リー ル 文 様(1)
455
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
写 真14杓
子(柄
・部 分)'K2388・
写 真15 小 児 負(腰 掛 け ・部 分)K2339
写 真16 煙 草 入れ 函1210
456
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
文 が 主 要 な 文 様 図 形 と して 彫 刻 され た もの に は 女 子 用 の エペ ル ニ キ(図 版2-3),杓
子(写 真14),盆(図
版5-2),小
児 負 の腰 掛 け 板(写
真15),煙
草 入 れ(写 真16)な
どが あ る。 また,充 填 配 置 や付 着 配 置 な どの 副 次 的 な文 様 図形 と して 用 い られ る もの
に ク ックル ケ シや 鳥管 骨 製 の針 入 れ な どが あ る。
(7) ク リール文 様(2)一
連 続 宝 珠 文,柳 葉文,他
ク ックル ケ シは 文 様 を描 く空 間 が 円形 を呈 す るた め,多 様 な文 様 表 現 が な され なが
ら も強 い共 通 性 を も った文 様 構 成 に な って い る。 先 に は連 続 宝珠 文(図8i)を
て お いた が,こ れ と関 連 す る連 続 ル ー プ文(図8j)や
称 す る のが 適 当 な一 群 の 文様 が,ク
環 状 鎖状 文(図8k)な
挙げ
ど と呼
ックル ケ シ と強 い相 関 を 示 して い る。 さ らに,ク
ッ クル ケ シ の 文 様 と し て は 以 上 の よ うな ル ー
プ ・宝珠 ・鎖 状 を基調 とす る一群 の文 様 に他 の文
様 図形,例
え ば ス ペ ー ド形 渦 巻 文(図81)が
み 込 まれ て,よ
る(図8m)。
組
り複 雑 な 文 様 表 現 を とる 例 もあ
尚,ス ペ ー ド形 渦 巻 文 は 複 雑 な 文
様 図 形 で あ りな が ら,そ れ 自体 が 左 右 線 対 称 を
なす 点 に特 徴 が あ る。2つ の スペ ー ド形 渦 巻 文
が 線 対 称 に 配 置 され た 文 様 構 成 を と る例 に,旭
川 市 博 物 館 に 収 蔵 され て い る 小 筥(旭4960)が
あ る(図 版15-2)。
柳 葉 文 は 木 葉 形 の浅 い彫 り込 み に,矢 羽 状 の
沈 線 で 葉 脈 を 表 現 した文 様 図形 を 基 調 とす る も
の で あ る(図7b)。
この文 様 図 形 が 枝 状 に表 現
され た 沈 線 に付 着 して,具 象 的 に 植 物 を表 現 す
る場 合 と,他 の 主要 文 様 図 形 で 構 成 さ れ た空 間
の充 填 文 様 と して 単 独 で 用 い られ る場 合 な どが
あ る。 尚,鳥 居 は柳 葉 文 を 説 明 す る 中 で,柳 が
ア イ ヌに と って 神 木 で あ る こ とを 付 け 加 え,ま
た男 子 用 の エ ペ ル ニキ の鞘 に彫 られ た柳 葉 文(写
真8)が
「所 有 者 を 悪 霊 か ら護 るた め 」 【鳥 居
1919:423】 の もの で あ る こ とを 記 して い る。 柳
葉 文 が 彫 刻 され た もの に は,こ
こに 引 用 した 男
図8
ク リ ー ル 文 様(2)
457
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
写 真17 木盆(部 分)K3268
写 真18 杓 子(柄
・部分)K2343
写 真19 木 …
盆(部 分)K2367
458
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
子 用 のエ ペ ル ニキ の他 に盆(写 真17)や 杓 子(写 真18)な
どが あ る。 ただ し,柳 葉 文
と類 似 した 文様 が北 海 道 アイ ヌに お いて も使 用 され る こ とが あ るの で注 意 を 要 す る。
蕨 手 文 は 充填 文 様 と して 盆 の文 様 表 現 に 用 い られ て い る例(写 真19)が あ るが,前
記 の文 様 ほ どに は広 く使 わ れ て い な い。 この 文 様 図形 は後 述 の刺 繍 特有 の双 渦文(写
真23)と
関 係 す る と考>xら れ る。即 ち双 渦 文 の 片 側 だ け を独 立 させ た ものが,こ の 蕨
手 文 で あ ろ う。文 様 図形 の輪 郭 が沈 線 で表 現 され,さ
らに そ の内 部 に1条 の沈 線 が 輪
郭 に沿 って 加 え られ る仕 方 は,並 行 す る複 数 の 条 で 文様 図形 を表 現 す る刺 繍 の 表 現 方
法 と共 通 す る もの で あ る。
(8) ク リール文 様(3)一
刺繍 文 様
刺 繍 の代 表 的 な文 様 と しては 直 列鎖 状 文,連 弧 文,双 渦 文,車 輪 文 な どが あ る。 刺
繍 に は 色 糸を 使 って チ ェー ソス テ ッチ で文 様 を 表 現 す る方 法 や,特 定 の文 様 図形 に 切
り取 った色 布 を 縫 い 付 け る ア ップ リケな どが 用 い られ る。 チ ェー ソス テ ッチ では1条
毎 に 色 を変 えた2か
ら3条 を1単 位 とす る太 い ライ ソで 文 様 図形 を表 現 す る。 収 集 さ
れ た 民 具類 に おい て 刺 繍 が 施 され た もの は,腰
帯,小 児 負 の額 当,布 製針 入れ の3種 類 で,木
綿 布 製 品 に 限 られ て い る20)0
直 列 鎖 状 文(図9n 写 真20)は2条
の波線
が 半 単 位 ず れ て重 な り合 った文 様 で,列 状 の文
様 構 成 とな る。 帯 状 に 区 画 され た空 間 の 端 か ら
端 ま でに 一連 の長 い直 列 鎖 状文 が描 か れ る場 合
や,短 い直 列鎖 状 文 が 他 の 文 様 図形 と組 み 合 わ
され て交 互 に配 置 され る場 合 な どが あ る。 連弧
文(図90写
真21)も
同 様 に,弧 線 形 の反 復
図9 ク リール 文様(3)
写 真20 腰 帯(部 分)K2385
20)市
立 函 館 博 物 館 収蔵 の物 入 れ(函1206)の
皮 帯 は,ク
リー ル ア イ ヌ特 有 の 刺繍 表 現 で あ る,
同 色 の2条 の チ ェー ンス テ ッチ の 間 に 異 な る色 の1条 のチ ェ ー ンステ ッチ を配 した3条1単
位 の短 直線 で 飾 られ て い る。
459
国立 民族学博物館研究報告 21巻2号
写 真21腰
帯(部 分)K2386
写 真22腰
帯(部 分)K2382
写 真23 腰帯(部 分)K2384
的 な繰 り返 しに よ って列 状 の文 様構 成 を とる文 様 で あ る。 帯 状 に 区画 され た 空 間 に連
弧文 が対 向 して 配列 され る と,中 央 に は連 続 す る菱形 の空 間 が,ま た両 側 寄 りに は連
続す る半 円形 の空 間 が必 然 的 に 作 り出 され,そ
こに は他 の文 様 図形 や 弧 線 形 が充 填 さ
れ て,複 雑 な 文 様 に仕 上 げ られ る。 双 渦 文(図9p, q)は 対 称 形 に 配 置 され た 蕨 手
文 を単 位 とす る もの で あ る。 帯 状 に 区画 され た 空 間 に双 渦 文 を 列状 に連 続 的 に配 置 す
る場 合(写 真23)や,2つ
460
の双 渦 文 を 対 向 させ て1単 位 と し,そ れ を配 列 す る場 合(写
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
真22)な
どが あ る。 こ の他 に,充 填 文 様 と して の 車輪 文(図9r写
方 法 の上 で車 輪 文 との 関連 が強 い 扇文(図9s写
真21)な
真22)や,表
現
どが あ る。
彫 刻 に よる文 様 と刺繍 に よる文 様 とは,例 えば 蕨 手 文 と双渦 文 と の よ うに一 定 の関
連 性 が あ る もの も認 め られ る が,基 本 的 に は それ ぞ れ 独 自の表 現 領 域 を 確 保 して い る
とい え よ う。 そ れ は,そ れ ぞれ の文 様 の表 現 者 が 男 子 で あ り女子 で あ った こ と,ま た
素 材 と加工 具 が 一 方 は 準硬 素 材 であ る木 材 や骨 角 とエペ ル ニキ で あ り,他 方 は軟 素 材
の木 綿布 と縫 針 で あ った こ とな どが 主 因 で あ る と考 え られ る。
(9) ク リール アイ ヌに お け る アイ ウシ(1)一
杓子
以 上 が現 在 確 認 で き る ク リール ア イ ヌの彫 刻 と刺 繍 に見 られ る文 様 の概 要 で あ る。
これ ら の中 に は アイ ヌ文様 の 基調 を なす モ チ ー フ と して 指 摘 され る アイ ウシと よぼ れ
る括 弧 文 や モ レ ウ と よばれ る渦 巻 文 を見 い 出だ す こ とが で き な い(図10)。
ただ し鳥
居 は,こ こで連 続 宝 珠 文 や 連 続 ル ー プ文,環 状鎖 状 文,ス ペ ー ド形 渦 巻 文 と した一 群
の文 様 を,ク
リール ア イ ヌに よる 呼称 と して 「モ リユ 二 同心 円Moriyou」
であ ると
紹 介 してい る 【
鳥 居 1919:469】。名 称 の問 題 もあ るが,特 に 北 海道 ア イ ヌに お い て モ
レ ウ とされ る文 様 と,こ こで 連 続 宝珠 文 以 下 の 一群 の文 様(但
しス ペ ー ド形 渦巻 文 を
除 く)と は,そ の構 成 が基 本 的 に 異 な る もの で あ る。両 者 の違 い は,型 式 学 的 に遡 及
で きるそ れ ぞ れ の変 化 過 程 を 比 較 す る こ とに よ って 明 らか に し うる。 さ らに,ク
リー
ル ア イ ヌの直 接 の祖 先 につ いて は,北 千 島 の オ ホ ー ツ ク式 土 器 時 代 の 後 に北 海 道 か ら
到 来 した ア イ ヌで あ る と も考 え られ て い
る【
馬場 1939:115】 が,ク
リール 文 様 の
代 表 例 とい え る連 続 三 角文 や 直 列鎖 状 文
に つ い て は,そ の 原 型 を 北 千 島 の 内 耳土
器 時 代,あ
るい は 北 海 道 の オ ホ ー ツ ク文
化 に まで 型 式 学 的 に 遡 らせ て 理 解 す る こ
とが 可 能 で あ る21)0
さ て,渦 巻 とい う普 遍 的 な文 様 図 形 に
対 して,ア イ ウシと よぼ れ る括 弧 文 は よ
り限 定 され た 形 態 で あ り,そ の空 間 的 な
広 が りは,そ の 内部 に お け る一 定 の 接 触
状 況 の 有 力 な 証 拠 に な り うる も の で あ
図10 「ア イ ヌ文 様 の 基 本 モ チ ー フ概 念 図」
(大塚[1993b】 よ り転 載)
21) これ らの 型式 学 的 な検 討 の 詳 細 は他 の 機 会 に論 ず る予 定 で あ る。
461
国立 民族学博物館研究報告 21巻2号
る。 そ こで注 目され る の が,器 形 の 特 定 の部 位 の 形 態 に 同化 した 状態 で見 いだ され る
アイ ウシの 存在 で あ る。 それ を最 も顕 著 に 確認 で き るの が,杓 子 の形 態 にお い てで あ
る22)0例 えぽK1948やK2342の
柄 頭 は装 飾 的 な 形 態 に仕 上 げ られ た もの で あ るが,
写 真24 杓 子(柄 頭)Kl948
写 真25杓
子(柄 頭 ・部 分)K2342
写 真26 団 子 箆(柄 頭 ・部 分)北160
22)他
462
に,男 子 用 エ ペ ル ニキ(K2354)の
鞘 尻 の形 態 も,そ の 平 面 形 の輪 郭 が ア イ ウシ状 を 二
して い る。 これ に つ い て は伊 藤 務 が 同様 の 指摘 を して い る1伊 藤 1996=9】。
小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
写 真27杓
写 真28杓
子(部 分)K2473
[サ ハ リンア イ ヌ]
子(部 分)Kl948
そ の 側 面 観 は ア イ ウシ状 を呈 す る もの
に な って い る(写 真24,25)。
同様 の
特 徴 は 団 子 箆 の柄 頭 の 装 飾的 な突 起 の
側 面 観 に も見 られ る(北160写
真26)。
また ク リー ル ア イ ヌの杓 子 の特 徴 の1
つ で あ る,椀 部 の先 端 と柄 に接 す る部
分 とが 三 角 状 に突 出す る形 態 に お い て
も,後 者 の 突 出部 の 上 面 観 が アイ ウ シ
状 を 呈 す る もの が あ る(写 真27)。 こ
れ が形 態 状 の偶 然 の類 似 で は な い こ と
の傍 証 と して,サ ハ リンアイ ヌの杓 子
写 真29
杓 子(部
分)K2478
[サ ハ リ ン ア イ ヌ]
ない しは匙 には,柄
と接 す る側 の椀 部
の 縁 が 肥 厚 して 面 を な し,そ
き る(写
こ に ア イ ウ シが 彫 ら れ て い る 事 例 な ど を 挙 げ る こ と が で
真28,29)。
(10) ク リール アイ ヌにお け る アイ ウシ(2)一
椀
ま た,鳥 居 収 集 民 具 類 の 中 の注 口付 きの 小形 椀(K2362)に
は,両 端 と中央 部 とが
深 くな る左 右対 称 形 の刻 み が,高 台 の左 右 両側 に1つ ず つ 施 され て い る。 椀 を 水平 に
置 き横 か ら眺 め る とき,や は りこの刻 み も アイ ウシ状 を 呈 す る こ とが み て とれ る(図
版5-1)。
この椀 は 注 口の付 く側 とそ れ に対 向す る側 の 口縁 とが 緩 く高 ま る2単 位 の
波 状 口縁 を呈 す る もの で あ るが,こ の波 頂 部 は 台 状 の平 坦 面 を な して い て,そ の 片側
463
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
には ア イ ウシそ の もの が彫 られ て い る(写 真30)。 この こ とか ら も高 台 の刻 み が ア イ
ウシの 形態 を 意 図 した もの で あ る こ とが 確 認 で きる。 尚,サ ハ リ ンアイ ヌに特 徴 的 な
把 手 付 き木 鉢 は,平 面形 が長 楕 円で長 軸 両端 が緩 く高 まる形 態 的 特徴 を有 して い る。
波 頂 部 は いず れ も肥 厚 して平 坦 な縁 を作 りだ してい るが,こ の平 坦面 に は ア イ ウシ(写
真31)や
玉 抱 き三 叉 状 の 文 様(写
真32)が
彫 られ る 例 が 多 い。 器 種 は 異 な るが,
K2362の 椀 の 波頂 部 平 坦 面 の アイ ウシの 施 文 は,こ れ と共通 す る表 現 で あ る。
北 海道 アイ ヌの特 徴 的 な文 様 の基 調 を な す アイ ウシが,こ の よ うな潜 在 的 な か た ち
で しか使 用 され て い な い状 況 は,先 に 点検 して きた ク リー ル アイ ヌ民 具 類 全 般 に 見 ら
れ た 北海 道 ア イ ヌとの共 通 性 の強 さ と比べ る まで もな く,ク リール ア イ ヌの文 様 体 系
に と って は 外来 的 な存 在 で あ る ことを 示 して い る。 この こ とは 逆 に,ア イ ウシに対 す
る北 海 道 ア イ ヌの 意識 の 内 に一 定 の帰 属 性 の発 露 を認 め る こ とが で き る ので あ れ ぽ,
ク リール アイ ヌと こ こで ク リール文 様 と して抽 出 した一 群 の 文様,少
写 真30 椀(部 分)K2362
写 真31把
464
手 付 き木 鉢(部 分)H23850[サ
ハ リンア イ ヌ]
な くと もそ の 内
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
写 真32把
手 付 き 木 鉢(部
分)K2615[サ
・・リ ン ア イ ヌ]
の 主要 な もの と の間 に も,同 様 な状 況 を想 定 す る こ とが 妥 当 で あ ろ う。
(11) ア イ デ ンテ ィテ ィ再 考
ク リール ア イ ヌの民 具 類 の 中 に は,北 海 道 アイ ヌの もの とは 異 な り,む しろ カム チ
ャ ダール や コ リヤ ー クな どの北 方 民 族 と共 運 す る要 素 が 多 く見 られ た。 そ の 詳細 は後
に取 り上 げ るが,そ
うは い うもの の,全 般 的 に は 生業 面 を は じめ と して家 事,服 飾,
儀 礼 ・信 仰 の 各 方面 で,北 海 道 アイ ヌ との基 本 的 な 類似 性 の高 さは否 定 し得 な い。
現 在,20世
紀 前 半 ま で の アイ ヌは そ の文 化 的 な特徴 に よって 北 海道 ア イ ヌ,サ ハ リ
ソ アイ ヌ,そ して ク リー ル アイ ヌの3つ の地 域 集 団 に 区分 され て理 解 され て い る。 こ
の よ うな捉 え 方 は,既 に 明治 時 代 の 初 め に遡 っ て な され て い る もの で もあ った 。 しか
し,先 に確 認 した よ うに,鳥 居 が調 査 した時 点 な い しは シ コタ ソ島移 住 以 前 に お い て,
ク リール ア イ ヌ自身 は,自 分 た ち と北 海 道 ア イ ヌ とは 異 な る民 族 で あ る と認 識 して い
た ので あ る。
そ の よ うな認 識 に至 る き っかけ を,両 者 の 頻繁 な接 触 が 断 たれ は じめ た19世 紀 初 頭
に求 め る こ とが で きるだ ろ うか。 あ る いは 千 島 列 島 の ア イ ヌが3つ の グル ー プに分 れ
て いた と され る18世 紀 後 半 に まで遡 らせ る こ とが で きるだ ろ うか。 鳥 居 が 調 査 を実 施
した の が1899年,シ
コタ ソ島 へ移 住 した のが1884年 で あ るか ら,こ の間 の年 数 は100
年 か ら150年 程 とい うこ とに な る。 は た して この 程 度 の 年 数 で,同
じ仲 間,同 一 民 族
で あ る とい う帰 属意 識 の 「記 憶 」 がT例 えば 男 子 の 入 墨 の記 憶 の よ うに,消 失 して し
ま うの で あ ろ うか 。
ク リー ル ア イ ヌは 形質 的 に も,ま た 言語 的 に もア イ ヌ と して位 置 付 け られ,さ
らに
465
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
民 具類 をは じめ とす る物 質 文 化 の面 で も,ア イ ヌー般 との共 通 性 が強 く認 め られ る。
反 面,主 要 な ク リー ル文 様 に 対 して,北 海 道 ア イ ヌの文 様 の基 調 を なす ア イ ウ シは潜
在 化 した存 在 で あ った こと も確認 された 。 先 に 予 測 を示 した よ うに ク リー ル文 様 の主
要 な要 素 が 少 な く と も北 千 島 の 内 耳土 器 時 代 に まで型 式 学 的 に遡 及 で きる ので あ る な
らば一
即 ち,北 海道 ア イ ヌの特 徴 的 な文 様 とは 異 な った,長 期 にわ った ての 独 自の
型 式 変 化 が 実 現 され た ので あ るな らば一,仮
に ク リー ル アイ ヌの直 接 の祖 先 が北 千
島 の オ ホ ー ッ ク式 土 器 時 代 の後 に 北 海 道 か ら到 来 した ア イ ヌで あ る とい う説 【
馬場
1939:115】 が 正 しい と して も 即 ち,北 海 道 ア イ ヌと ク リー ル ア イ ヌとの 文 化 的 な
系 譜 の 同一 性 が認 め られ る と して も一,彼
らが 中部 ・北 千 島 で の海 洋 適 応 を 果 たす
過 程 に お いて,必 ず し も当 事 者 の認 識 の 内 では 両 者 の間 に同 一 の 帰属 意 識 が 共 有 され
続 け て いた とは い え な い可 能 性 も十 分 に考 慮 す る余 地 が あ るで あ ろ う。
3.民
(1) 族 接 触 と文 化 伝 統
民 族誌 に 見 る民 族 接触
鳥 居 は 民 族 誌 の 中 で,カ
ム チ ャ ダ ー ル や ア リ ュ ー トな ど の 北 方 民 族 と ク リー ル ア イ
ヌ とが 多 方 面 に わ た っ て 接 触 した 状 況 を 記 述 して い る 。 そ れ は ク リ ー ル ア イ ヌの 伝 説
の 中 に 語 ら れ て い た り,地 名 の 由 来 に 登 場 して き た りす る 場 合 も あ る 。 ま た,イ
ソフ
ォ ー マ ン トと し て の ク リー ル ア イ ヌか ら直 接 に 語 ら れ た も の で あ る こ と も あ る 。 調 査
時 点 に お い て 鳥 居 は,ク
に つ い て 指 摘 し,ま
リ ー ル ア イ ヌ と こ れ ら 北 方 民 族 や ロ シ ア 人,日
た 習 俗 に つ い て は 「千 島 土 人 当 時 の 土 俗 は,ス
本 人 との 混血
ラ ボ ニ ッ ク的 の 所
が 中 々 多 い 。 一 見 ロ シ ア の 田 舎 百 姓 の 様 で す 。 又 今 日 は 色 丹 移 住 後,日
本 風 も 中 々多
く雑 じ っ て 来 た 。 され ば 現 時 彼 等 土 人 に 付 い て 千 島 固 有 の 土 俗 を 見 る は 最 も 困 難 で あ
る」 【
鳥 居 1903:77】
と論 じ て,当
時 の 顕 著 な 民族 接 触 につ い て の状 況 を 語 って い る
と こ ろ も あ る 。 さ ら に 北 海 道 ア イ ヌ,カ
ュ ク チ,そ
ム チ ャ ダ ー ル,ア
し て 日本 人 と の 関 係 に つ い て はT特
リ ュ ー ト,コ
リ ヤ ー ク,チ
に 項 目 を 設 け て 記 述 を して い る 。 次 に
そ の概 要 を 整理 す る。
(2) 北 海 道 ア イ ヌ,カ
ムチ ャ ダー ルに つ い て
交 易 関 係 に あ っ た 北 海 道 ア イ ヌか らは 鉄 鍋
シ,銀 製 ・鉛 製 耳 飾 り等 の 品 々 を 入 手 し,ク
綿 製 品,ガ
ラ ス 細 工,刀
リー ル ア イ ヌは 鷲 の 羽,テ
剣,ア
ッ トゥ
ンの毛 皮 等 を
交 易 品 と して 送 り出 した 。
カ ム チ ャ ダ ー ル と は,平
466
常 時 に は 交 易 関 係 を 維 持 し,ま
た 種hの
利 害 の 対 立 か ら両
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
者 が 戦 闘 態 勢 に 入 る こ と も あ っ た 。 ロ シ ア 人 が カ ム チ ャ ッ カ へ 進 入 す る 以 前 に は,ク
リ ー ル ア イ ヌ が 北 海 道 ア イ ヌを 介 し て 入 手 した 鉄 製 品 が,さ
供 給 され て い っ た 。 ロ シ ア 人 進 入 後 は,逆
に,カ
らに カ ムチ ャ ダー ルへ と
ム チ ャ ダ ー ル か ら ク リ ー ル ァ イ ヌへ
と鉄 製 品 等 が 供 給 さ れ る よ うに な り,債 務 を 負 っ た ク リ ー ル ア イ ヌは 妻 や 娘 を ひ き 渡
さ ざ る を え な い 状 況 に い た る こ と も あ っ た 。 こ の 他 に も,北
千 島 に い る 時 に ク リー ル
ア イ ヌ が 日常 的 な 接 触 を 最 も頻 繁 に し て い た の が カ ム チ ャ ダ ー ル で あ り,ク
イ ヌの 伝 説 の 舞 台 が カ ム チ ャ ッカ で あ る 場 合 さ え も あ っ た 。 尚,鳥
ろ で は な い が,カ
ム チ ャ ダ ー ル と の 関 係 は,北
り,当 時 の 北 千 島 の 人 々 の 文 化 が,カ
リール ア
居 の記 述 す る と こ
千 島 の ナ ホ ー ツ ク式 土 器 時 代 に ま で 遡
ム チ ャ ッ カ 系 統 の 人hに
由 来 す る の か,あ
るい
は サ ハ リ ソか ら道 東 に か け て の オ ホ ー ツ ク 文 化 の 人 々 に 由 来 す る の か と い う,ク
リー
ル ア イ ヌの 文 化 伝 統 を 考 え る 際 の 重 要 な 課 題 と な っ て い る 。
(3) ア リ ュ ー ト,コ
リ ヤ ー ク,チ
ュ クチ に つ い て
遙 か な 海 洋 に よ っ て 隔 て られ た ア リ ュ ー シ ャ ン列 島 の ア リ ュ ー ト と の 接 触 は,商
業
的 な ラ ッ コ猟 な ど を 目的 と した 露 米 会 社 に よ る シ ム シ ル 島 ・ウ ル ッ プ 島 へ の ア リ ュ ー
トの 移 住 に よ っ て 生 じ る こ とに な る23)。そ の 期 間 は1830年
代 か ら1877年
ま で の 約50年
間 に 及 ぶ 。 そ の 間 に ク リ ー ル ア イ ヌの 女 性 と結 婚 す る 例 も あ っ た よ う だ 。 さ ら に 鳥 居
は,ク
リ ー ル ア イ ヌ の 伝 承 の うち に,そ
や シ ュ ム シ ュ 島 に 来 島 し,ク
れ 以 前 に も ア リ ュ ー トが 北 千 島 の ラ シ ョ ワ島
リ ー ル ア イ ヌの 妻 子 を も っ た とい う こ と を 見 い だ し て い
る 。 ロ シ ア人 が 介 入 す る 以 前 の ア リ ュ ー トの 北 千 島 来 島 問 題 は,北
し て 発 見 さ れ た ラ ブ レ ッ トの 解 釈 を め ぐ っ て,そ
る 【
馬 場 1943;佐
藤 1967;山
存 在 を 知 らな か っ た の に も か か わ ら ず,両
を 提 起 す る。1つ
は,地
リー ル ア イ ヌ と コ リヤ ー ク と は お 互 い の
者 の 習 俗 や 伝 説 が 「ほ と ん ど完 全 に 類 似 し
と指 摘 す る 鳥 居 は,こ
の こ と を 説 明 す る た め に2つ
の 仮説
理 的 に ク リー ル ア イ ヌ と コ リヤ ー ク と の 中 間 に 位 置 す る カ ム
チ ャ ダ ー ル を 仲 介 と して,両
1つ は,両
の 当 否 に つ い て の議 論 が な され て い
浦 1989]。
ロ シ ア 人 の カ ム チ ャ ッ カ 進 入 以 前 に は,ク
て い る」 【
鳥 居 1919:374】
千 島 で考 古 資 料 と
者 間 に 間 接 的 な 文 化 の 交 流 が 生 じた,と
者 の 間 に は 以 前 に 活 発 な 通 商 関 係 が 成 立 し て い た が,そ
環 境 へ の 適 応 を 経 る う ち に,こ
の よ う な 関 係 は 断 た れ,あ
い うも の。 他 の
の 後,厳
しい 自 然
まっ さえ 以 前 の 関係 の記 憶
も 忘 却 さ れ て し ま っ た,と い う も の 。そ して 鳥 居 自身 は 後 者 の 可 能 性 を 支 持 して い る 。
23) シ ム シ ル 島 ・ウ ル ッ プ 島 へ の ア リa_ト
の移 住 に つ いて は 馬場
【1943】, シ ュ ー ビ ン[1990]
に 詳 しい。
467
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
チ ュ ク チ に つ い て は,か つ て ロ シ ア 人 が 乗 船 さ せ て きた 海 岸 チsク
チ が い た こ とを,
ク リー ル ア イ ヌ の 老 人 の 話 と して 記 述 し て い る だ け で あ る 【
鳥 居 1919:374]。
し か し,「 還 元 的 土 俗 」 の 復 原 を 目指 し,ク
リー ル ア イ ヌ に ア イ ヌ の よ り古 層 の 習
俗 が 保 た れ て い る と 考 え る 鳥 居 に と っ て は,以
上 の諸 点 に触 れ なが ら も民族 接 触 とい
う観 点 で の 観 察 と 考 察 は そ れ 以 上 の 深 ま りを 見 せ る こ と は な か った 。
(4) 民 具 類 に 見 る 民 族 接 触(1)一
ク リー ル ア イ ヌ の 民 具 類 の 中 で,他
家事関連
の 民 族,特
に北 方 民 族 との関 係 が 鳥 居 に よ って
指 摘 さ れ た も の に は 次 の も の が あ る 。 た だ し そ の 指 摘 の 仕 方 は,指
示 す る民族 か らそ
の も の が 直 接 に 伝 わ っ た とす る 場 合 と,同 類 の も の が そ の 民 族 に も見 ら れ る と さ れ る
だ け の 場 合 とが あ る。
ク リ ー ル ア イ ヌ の 発 火 具 は 弓 錐 摩 擦 法 に よ る も の で あ る が,こ
る 北 方 民 族 と し て は ア リ ュ ー ト,エ
ス キ モ ー,チ
ュ ク チ,コ
れ と 同 じ方 法 を 用 い
リヤ ー ク,カ
ムチ ャダ ー
ル 鱗)が 挙 げ られ て い る 【
鳥 居 1925:115】 。
伝 統 的 な 鳥 管 骨 製 針 入 れ は コ リヤ ー ク,チ ュ ク チ,エ ス キ モ ー と広 範 に 見 ら れ る が,
こ れ に 加 え て 新 たV'`取 り入 れ ら れ た 木 綿 布 製 針 入 れ(ケ
ク)は,カ
ム チ ャダ ー
ル か ら 入 っ て き た も の と さ れ て い る 。 当 該 品 は 針 入 れ とい う よ り も,針
刺 しの機 能 を
備 え る も の で あ り,エ
モ=オ
ス キ モ ー な ど の 針 刺 し と 共 通 す る 一 面 が あ る 。 ま た,直
関 連 は 指 摘 し え な い が,全
接的な
体 の 形 状 と作 りが 北 米 北 西 海 岸 の ト リ ン ギ ッ トや ツ ィ ム シ
ァ ソの 壁 掛 け 用 の 小 物 入 れ 袋 と類 似 す る 点 が 注 意 され る 。 次 に 示 す テ ソ キ 例 と共 に,
ア リ ュ ー シ ャ ン列 島 を 介 して の 北 米 北 方 民 族 と の 関 連 に つ い て 留 意 す る べ き 品 で あ
る。
ク リ ー ル ア イ ヌ の 代 表 的 な 民 具 類 の1つ
で あ る テ ン キ は,芯
材 と巻 材 とを用 い て コ
イ ル 状 に 巻 き 上 げ て い く方 法 で 製 作 さ れ た 蓋 付 き の 小 籠 で あ る が,同
類 の もの が コ リ
ヤ ー クや カ ム チ ャ ダ ー ル に も あ る こ と が ヨヘ ル ソ ソ 著 『コ リ ヤ ー ク 』 を 引 用 し な が ら
指 摘 され て い る 【
鳥 居 1919:433J。
コ リヤ ー ク 例 と は,赤
に文 様 を 表 現 す る点 まで共 通 す る 【
鳥 居 1926:265]。
も あ る1北 海 道 開 拓 記 念 館 1990:181。
と黒 の 色 糸 を 用 い て 市 松 状
当 該 品 との 類 例 は ア リ ュ ー トに
コ イ ル 状 に 巻 き上 げ て い く方 法 は ア メ リカ イ
ソ デ ィ ア ソ諸 族 の 間 に も広 く見 受 け られ る も の で あ り 【
関 島 1983】,そ
こ か ら北 太 平
洋 地 域 へ と 広 が る 分 布 圏 の 西 端 に ク リ ー ル ア イ ヌ例 を 位 置 付 け る こ と が 可 能 で あ ろ
う。
24)註7参
468
照。
小杉 物質文化か らの民族文化誌 的再構成 の試み
暦 に つ い ては,鳥 居 に よ って 引 用 され
た 近 藤 守 重 著 『辺 要 分 界 圖 考 』 中 に,18
世 紀 後 半 に おけ る ク リール アイ ヌの ロシ
ア化 の一 環 と して ロシ アの 暦 が 使 用 され
る よ うに な った とす る記 述 が あ るだ け で
[鳥居 1919:383】,具 体 的 な言 及 は な さ
れ て い な い 。 当該 品(図 版11-5)は,そ
の全 体 形 状 が コ リヤ ー クの 「神聖 発 火 器 」
の 木 臼(図11)と
類 似 す る。 この木 臼 は
長 方 形 の 体 部 に 円形 の頭 部 を表 現 した 人
形(ひ
とが た)を
した もの で,体 部 に は
弓錐 摩 擦法 に よ る孔 が 開 け られ て い る。
こ の孔 が 体 部 全 体 に 及 び 使 用 で きな くな
る と,こ の人 形(ひ
図11 コ リ ヤ ー ク の 神 聖 発 火 器(鳥
【1926】
よ り転 載)
居
とが た)の 木 臼は 一
定 の儀 式 を 経 て,「 一 つ の 神 力 が 加 わ り,人 間 に 利 益 を あた え る 」 【
鳥居 1926:288】
よ うに な る。 当該 品K2347の
暦 に もそ の体 部 に,日
に ち と曜 日あ るい は 月 を 示 す 木
釘 を挿 す た め の61個 の小 孔 が 開 け られ てお り,用 途 や 目的 は異 な るが この点 で も外 見
上 は コ リヤ ー ク例 と類 似 す る。 暦 と発 火具 とい うよ うに 機能 が異 な るか らに は,こ の
よ うな形 状 の類 似 は単 な る偶 然 の 可能 性 も高 いが,反 面,木 面 や 人 形 の写 実 的 な衣 服
の 着 け方 な どにつ い て も ク リール アイ ヌ と コ リヤ ー ク との 間 に は類 似 が 指摘 し うるの
で,〈人 形(ひ とがた)〉 の造 形 に 関す る情 報 の 共有 とい う点で は や は り注 意 を 要 す る。
ク リール ア イ ヌの ラ ソ プにつ いて は3種 類 の ものが 記 録 され て い る。1つ は 日本 か
ら もち こ まれ た陶 器 の ラ ン プ,他 の1つ が北 海 道 ア イ ヌと共 通 す る大 形 の海 産 二 枚 貝
を用 い た ラ ン プ,そ して残 る1つ が 舟 形 を 呈 す る石 製 ラ ソプで あ り,コ リヤ ー ク,チ
ュ クチ,エ
スキ モ ー の もの と同種 で あ る こ とが指 摘 され てい る 【
鳥 居 1919:442】。 こ
の 石製 舟 形 ラ ソ プは考 古 資 料 と して も北 千 島 の 内 耳 土 器 時 代 か ら 出現 す る もの で あ
り,シ コタ ソ島 移 住 以前(な い しは直 前)の 北 千 島 に お い て も依 然 と して この種 類 の
ラ ソ プが使 用 され て い たか は 疑 問 で あ る。 む しろ鳥 居 の還 元 的土 俗 と解 釈 した方 が 良
い で あ ろ う。
(5) 民具 類 に 見 る民 族接 触(2)一
服 飾,儀 礼 ・信 仰 関連
ク リール アイ ヌの 衣 服 に は,カ ムチ ャ ダ ールか ら伝 わ った と され る鹿 皮 製 の 半 ズ ボ
469
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
ン と ア シ カ 皮 製 の 下 着,ア
リ ュ ー トや カ ム チ ャ ダ ー ル,コ
キ モ ー と共 通 す る木 綿 布 製 の デ ム カ ム ル,ト
リヤ ー ク,チ
ュ ク チ,エ
ス
ド皮 製 の 舟(バ イ ダ ル カ)と 共 に ア リ ュ ー
トと の 関 連 を 強 く窺 え る ト ド皮 製 の 雨 合 羽(フ
ス ト)な
どの外 来 的 要 素 が強 い も の も
あ る。
ト ド皮 製 の 長 靴 は カ ム チ ャ ダ ー ル も 同 様 の も の を 作 っ て い た こ と が ク リー ル ア イ ヌ
の 古老 の 話 し と して記 録 され て い る 【
鳥 居 1919:425]が,ア
リ ュ ー トも ト ドの 頸 部
の 皮 で 作 っ た 長 靴 を 使 用 して い た こ と が 別 に 記 さ れ て い る 【
鳥 居 1919:3711。
ト ド皮
製 長 靴 も 北 方 民 族 に 通 じ る 要 素 と 考 え られ る 。
権 は そ れ を ひ く犬 と と もに カ ム チ ャ ダ ー ル か ら 伝 え られ た も の で あ り,カ
ソジ キは
コ リヤ ー ク や チ ュ ク チ の もの と 類 似 す る 形 態 で あ る
。
仮 面 は 北 太 平 洋 地 域 の 各 地 に お い て 広 く見 受 け られ る も の で あ る。 ク リー ル ア イ ヌ
の 近 隣 の 民 族 と し て は 海 岸 コ リ ヤ ー クや ア リ ュ ー ト,エ ス キ モ ー な ど が 挙 げ ら れ る 。
鳥 居 は 特 に コ リヤ ー クの 仮 面 と の 類 似 を 指 摘 す る 。 そ れ は ク リ ー ル ア イ ヌ の 仮 面 が 彼
ら の 伝 説 に 登 場 す る 怪 物 あ る い は 幽 霊 で あ る フ ジ ル を 表 わ した も の で あ り,同 様 に 海
岸 コ リ ヤ ー ク の 仮 面 も こ の フ ジ ル と似 た 性 格 を も っ た 伝 説 上 の カ ラ ウ と結 び 付 く性 格
の も ので あ るか らで あ る 【
鳥 居 1919:478】 。 尚,ク
ダ ー ル は 仮 面 を もた な い と さ れ て い る が,そ
リー ル ア イ ヌ に 隣 接 す る カ ム チ ャ
れ に もか か わ ら ず 伝 説 の フ ジ ル が 登 場 す
る舞 台 は カ ムチ ャ ッカ半 島 に まで及 ぶ 。
(6) 木綿 ・鉄 の 導 入 と民具 類 の新 局 面
民 族接 触 に よって,民 具 類 を は じめ とす る物 質 文 化 の 中 に 引 き起 こされ る変 化 は,
新 た な道 具 そ の もの の 導 入 で あ った り,ま た新 た な技 術 や 情報 の導 入 に よ る在 来 の道
具 の改 変 で あ った りす る。 同 類 の器 種 に お い て は,製 作 技 術 及 び使 用 技 術 の面 で よ り
効 率 的 な もの の方 が 選 択 され,従 来 か らの もの と置 き換 え られ る こ ともあ る。
以上 に 見 て きた 北 方 民 族 との 直接 的,間 接 的 な関 連 を示 す民 具 類 は,ク
リー ル アイ
ヌの 実際 の 日常 の 生 活 の 中 に 深 く根 を お ろ し,原 料 の 面 で 自給 す る こ とが で きな い も
の もあ るが,大 半 は ク リー ル アイ ヌ 自身 に よって 製 作 な い しは 加 工 され た も の であ る。
北 方 民族 との交 渉 に よ って採 用 あ るい は 改 良 され た これ らの新 しい道 具 や技 術 は,ク
リール ア イ ヌの生 活 の便 を 向上 させ た で あ ろ うが,そ れ らは あ くまで も個 別 的 な文 化
要 素 の レベ ル の こ とで あ る。これ に対 して,北 海 道 ア イ ヌや カ ムチ ャ ダー ルを 介 して,
日本 や ロ シアか ら持 ち込 まれ た鉄 と木 綿 は,希 少 なが ら も次 第 に従 来 か らの主 要 な素
材 で あ った 骨 角 と皮革 に取 っ て代 わ る と共 に,そ れ を 素材 とす る道 具 の形 態 や 製 作 技
470
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
術 を も連 動 して変 化 させ て い った とい え るだ ろ う。 そ の 過 程 を腰 帯 と針 入 れ,及 び縫
針 を 例 に して 以下 に論 じる。
(7) 腰 紐 と腰 帯
腰 帯 には,ク
ックル ケ シが 付 い た腰 紐 と呼 ぶ べ き皮 紐 の も の と,パ ッ クル が 付 いた
木綿 布 製 の腰 帯 とが 共 に使 用 され てい た こ とが 記 録 され て い る 【
鳥 居 1919:425】。 両
者 は用 途 が異 な り,前者 は 伝統 的 な衣 服 であ る鳥皮 衣 に用 い られ,後 者 は カム チ ャ ダー
ル か ら伝 わ った 半 ズ ホ ソ(オ ユ)に 用 い られ る もの で あ り,そ の名 もオ ユ=ク
トとい
うもの で あ った 。
オユ=ク
トは布 地 に 刺 繍 を施 した華 や か な もの であ り,金 属製 のバ ックル が付 く例
もあ る。 以 前 に は海 獣 皮 製 で あ った とされ るが,そ の と きに は バ ックルは 骨 角製 で あ
った の だ ろ う。 ただ し,文 様 と形 態 は木 綿 布製 に な って も変 わ りが な い と記 述 され て
い る。 オ ユ=ク
トに刺 繍 され た文 様 の大 半 は鎖 状文 や 連 弧 文,双 渦文 で あ り,こ れ ら
を基 調 と した文 様 は ク リール アイ ヌに お いて 独 自に発 達 した 文 様 と して位 置 付 け る こ
とが で き る もの で あ る。 そ うで あ るな らぽ,現 時 点(当 時)に お い て オ ユ=ク
トは カ
ムチ ャ ッカか ら導 入 され た 半 ズ ボ ソに専 用 的 に 用 い られ て は い る もの の,本 来 は ク
リー ル ア イ ヌ独 自の もの で あ った とい うこ とに な るが,は た して海 獣 皮製 で あ っ た と
きに も同 様 の文 様 が 刺 繍 され て い た の だ ろ うか。K2386(図
した 幅6.7cmの
布 地 の本 体 の 一 端 に幅2.5 cmほ
版9「2)に は,刺 繍 を施
どの 皮紐 が縫 い付 け られ て い る 。 こ
の 皮紐 が反 対 端 のバ ックル に結 び付 け られ る の で あ るが,以 前 に海 獣 皮 を素 材 と して
いた と きに は,腰 帯 全 体 の 幅 は現 品 の片 端 に 付 け られ た 皮 紐 程 度 の もので は な か った
か と推 察 され る。 では,腰 帯 の 本体 が布 地 へ と代 え られ た と きに,何 故 に 幅 広 に な っ
た のか 。 そ れ は布 地 の採 用 とそ の装 飾 方 法 と して の刺 繍 の採 用 な い しは発 達 とが 相 乗
作 用 を 働 か せ た結 果 であ る と考 え られ る。 この 一連 の変 化 過 程 の 背後 には,色 糸 と し
て の木 綿 糸 の導 入 と鉄 製 縫 針 の 普 及 が あ った こ とが推 測 され る。
(8) 針 と針 入れ
針 入れ に は,針 を刺 し留 め た 皮 紐 を 鳥管 骨 に通 す 伝統 的 な もの と,カ ムチ ャ ダー ル
か ら入 って きた木 綿 布製 の ケモ=オ
クとが あ る。 鳥 居 は 両 者 が共 に使 用 され て い た こ
とを 記 録 して い るが,新 来 の後 者 が 一 般化 す る なか で,依 然 と して前 者 が使 い続 け ら
れ て い る状 況 を先 に 想 定 して お いた 。 そ の 系譜 が オ ホ ー ツ ク文 化 に ま で遡 れ る鳥 管骨
製 針 入 れ は,鉄 が普 及 す る以前 に は骨 製縫 針 と共 に用 い られ る もの で あ った 。 ケ モ=
471
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
オ クが導 入 され た 段 階 で は,既 に 鉄 製縫 針 が 使 用 され て い た と考 え て い い だ ろ う。
両 者 は形 態 の うえ で も全 く異 な るが,同 時 に素 材 と装飾 の面 で も決 定 的 な違 い が あ
る。 鳥管 骨 の針 入 れ の 主要 素 材 は 骨 と皮革 で あ る。 皮紐 の先 端 には 装 飾 を兼 ね て エ ト
ピ リカの騰 が 用 い られ て い るが,針 入 れ の主 体 部 で あ る鳥管 骨 の外 面 は彫 刻 に よ って
飾 られ る。一 方,ケ
モ=オ
クは 木 綿 布 と木 綿 糸 を主 要 素 材 とす る。 縫 い 付 け られ た3
段 の ポ ケ ッ トは広 い 布 面 を提 供 し,そ こに色 糸 を用 い た 華や か な文 様 が 刺繍 に よ って
表 現 され る。
布 製針 入 れ が 鳥 管骨 製 針 入 れ に と って代 わ った わ け で は な い が,ま た 布製 針 入 れ の
登 場 と骨 製 縫 針 か ら鉄製 縫 針 へ の転 換 とが 同時 に進 行 したわ け で もな い が,変 化 の趨
勢 と して両 者 の相違 を整 理 す るな らば,素 材 の面 で は皮 革 か ら布(木 綿)へ
・骨 か ら
鉄 へ の方 向性,装 飾 の面 で は彫 刻 か ら刺繍 へ の方 向性,と い う こ とに な る。 この変 化
の趨 勢 は,先 に見 た 腰紐 と腰 帯 との 関 係 に も当 て嵌 ま る もの で あ る。
(9) 刺 繍 に よ る女子 の表 現 領 域
こ こで 注 目す るべ き点 は,彫 刻 が 男 子 の仕 事 に属 す た め に,必 然 的 に 男 子 が介 在 せ
ざ るを>xな か っ た装 飾 の工 程 を,素 材 と して木 綿 布 と木綿 糸 が導 入 され る こ とに よ っ
て,女 子 が主 体 とな り実施 し うる条 件 が整 え られ た こ とを意 味す る。 鉄 製 の 刃 を備 え
た エ ペ ル ニキ の普 及 が 男子 の彫 刻 に よ る表 現 能 力 を一 段 と高 め た よ うに,木 綿布 ・木
綿 糸 と鉄 製 縫 針 の普 及 は 女子 の刺 繍 に よる表 現 領 域 を 格段 と広 げた とい え よ う。
先 に彫 刻 の文 様 と刺繍 の文 様 とは,そ れ を表 現 す る性別 の違 い もあ り,原 則的 に は
相 互 に排 他 的 で あ る と記 した。 しか し,こ こに見 て きた よ うに,彫 刻 に よ る表 現 領 域
が 刺 繍 に よる表 現 領域 へ と変 化 して い くよ うな場 合 に は,両 者 の性 的 な 区 分 基準 に 混
乱 が 生 じ,即 ち従 来 の 規制 が緩 和 され,表 現 方 法 と文 様 との新 た な組 み 合 わ せ が成 立
す る余地 が生 じる。 そ の 実例 と して,木 綿 布 製 の腰 帯 に お い て発 達 す る刺 繍 に よる鎖
状 文 や連 弧 文,双 渦 文 の生 成 過 程 を 理 解 す る こ とが 可 能 で あ る。
海 獣皮 製 の腰 帯 に お い て は,帯 幅 が そ れ程 広 くなか った と予 測 され るの で,そ こへ
の装 飾 も,ク ッ クル ケ シが付 く皮 紐 と同 じ よ うに未 発 達 で あ った可 能 性 が 高 い。 腰 帯
の素 材 が海 獣 皮 か ら木綿 布 へ と代 わ るの に伴 って,刺 繍 に よ る装 飾 が 顕 著 に な り,こ
れ が 帯 幅 の拡 幅 化 を 促 した と先 に想 定 した が,こ の際 に刺 繍 に よる文 様表 現 の原 型 と
な った もの と して,同 類 の道 具 と して は 最 も装 飾 性 が 高 い腰 紐 の ク ックル ケ シの文 様
が 第 一候 補 と して考 え られ る。 即 ち ク ックル ケ シの連 続 宝珠 文 と腰 帯 の 鎖 状文 との 間
に は 一定 の型 式 学 的 な 関連 性 を指 摘 す る こ とが可 能 で あ る。 また,ク
472
ックル ケシの環
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
状 鎖 状 文 に は ス ペ ー ド形 渦 巻 文 が 組 み込 まれ る例(図8m)が
あ るが,こ れ と腰 帯 の
双 渦 文(写 真23)と の 型式 学 的 な関 連 性 も指 摘 し うる。
以 上 に例 示 した よ うに,ク
リー ル アイ ヌに取 り込 まれ た 木 綿 布 ・木綿 糸 と鉄 製縫 針
は,以 後 に連 鎖 的 な一 定 の 変化 を惹 起 す る とい う点 で,そ の もの だ け,あ る いは 関 連
す る い くつ か の文 化 要 素 の取 り込 み だ け で終 わ る こ との多 い 他 の 場合 とは,異 な った
様 相 を 呈 して い る。 そ して,木 綿 と鉄 との導 入 を起 点 とす る一 連 の変 化 が ク リール ア
イ ヌの 民 具類 に新 しい 局 面 を もた ら した とい え る。 即 ち,一 面 で は ク リー ル アイ ヌの
民 具 類 に お け る特 色 を さ らに 引 き立 た せ,反 面 で はr還 元 的 土 俗 を復 原 せ ざ るを え な
い状 況 へ と よ り一 層 押 し進 め た の であ る。
(10) 先 に,民
サ ハ リ ン と の 関 連 に つ い て(1) 具 類 に 見 る 民 族 接 触 と して,鳥
民 族 と の 関 連 の 有 無,程
新 来 の 民 具,習
は,還
火道 具 入 れ に つ い て
居 が 収 集 した 民 具 類 を 中 心 に し て,周
辺諸
度 につ い ての 言及 を整 理 してみ た 。 例 え ば暦 な どの 明 らか に
俗 に つ い て は,収
集 は さ れ て い て も,そ
元 的 土 俗 と い う 鳥 居 の 観 点 を 考 慮 す れ ば,容
火 道 具 入 れ は ど うだ ろ うか 。3点
れ に つ い て の言 及 が ない こ と
易 に 納 得 で き る こ と で あ る 。 で は,
の 火 道 具 入 れ が 収 集 さ れ て い る が,ど
で あ り,変 化 の 趨 勢 と して は 古 層 の 様 相 で あ る と い え よ う。 ま た,形
れ も皮 革 製 品
態的 にもユニー
ク で あ り,同 じ用 途 と され る 北 海 道 ア イ ヌ の も の と も ま っ た く異 な っ て い る 。 し か し,
これ に つ い て の 言 及 は ど こ に も な さ れ て い な い 。
同 類 の 火 道 具 入 れ の 分 布 は サ ハ リ ソか ら ア ム ー ル 河 流 域 に か け て 広 が っ て い る こ と
を 確 認 す る こ と が で き る25)0鳥 居 は1921年
の 北 サ ・・リ ン の 調 査 の 際 に,ツ
の ア ドッ イ ミで 皮 帯 に 小 刀 と火 打 ち 袋,火
口入 れ,根
い る が(写
真33),こ
イ ミ河 中 流
付 を 取 り付 け た も の を 収 集 し て
の 火 口入れ こそが シ コタ ソ島 で収 集 した 火道 具 入 れ と同類 の も
の で あ る 。 これ を 使 用 して い た の が ニ ブ フ か ウ イ ル タ か の 記 録 は な い 。1925年
「人 類 学 上 よ り見 た る 我 が 上 代 の 文 化(1)」
ク 氏 に よ る)」 【
鳥 居 1925:123】
した も の で あ り,そ の う ち の7番
(図12)。
刊行の
に 「黒 龍 江 畔 マ ソ グ ソ 火 打 ち 金(マ
と し て 引 用 した も の は,ア
ー
ドツ イ ミ例 に 極 め て 近 似
が ま さ に 火 道 具 入 れ な い し は 火 口入 れ に 他 な ら な い26)
鳥 居 は 「… 黒 龍 江 ・ウ ス リー ・シ ベ リア な ど に 居 る ツ ン グ ー ス も,皮
帯 の
前 に 火 打 ち 袋 と火 打 ち 金 と を 下 げ て 居 る 」 と解 説 を 加 え て い る1鳥 居 1925:116】 。 仏
25)馬
場 脩 は 同 種 の 火 道 具 入 れ は ア イ ヌ 本 来 の も の で は な く,ア
ム ー ル川 河 口流 域 の 民 族 か ら
模 倣 した も の で あ る 可 能 性 を 述 べ て い る 【BABA 1949:230】 。
26)た
だ し,R. K.マ
ー クは 図12の4番
を 「ホ ク チ 入 れ 」 と し,7番
を 「そ の 他 の 物 を 入 れ る
雑 嚢 」 と 記 し て い る 【マ ー ク 1859:2141。
473
国立民族学 博物館研究報告 21巻2号
K2417,右:火
写 真33 左:小 刀 ・火 打 ち袋 等 付 き皮帯
[サ ハ リン ・ア ドツイ ミ]
語 版r千
t
口入 れ(同
左 部 分)K2417
島 ア イ ヌ』 の 刊 行 が1919年
る か ら,鳥
であ
居 は そ の時 点 で は この 火道 具
入 れ を 知 ら な か った 可 能 性 も考 え られ る
8':it 煮 4
'
が,そ
ラ
2
1
れ に つ い て の言 及 が な され て いな
い と い う こ と は,む
3
5 6
て い た う え で(例
7
図12黒
しろそ の 類 例 を知 っ
9
龍 江 畔 マ ソ グ ン 火 打 ち 金(鳥
え ば 「黒 龍 江 畔 マ ソ グ
ソ 火 打 ち 金 」 の 出 典
居
11925】 よ り転 載)
1859nンmeucecmeue 通 し て),そ
〔MaaK, P.1く.
Ha AMype〕
な どを
れ が ク リ ー ル ア イ ヌ独 自 の
もの で は ない とい う判 断 の も とに,そ の解説 が割 愛 され た と考 え るほ うが 自然 で あ る。
仮 に,他 の地 域 や 民族 の類 例 を 知 らな か った とす るな らば,な お さ らの こ と ク リール
ア イ ヌ独 自 の もの と して言 及 され た はず で あ る。
(ll) サ ハ リ ソ と の 関 連 に つ い て(2) こ の 問 題 を 解 く緒 と し て,ク
シ ャマ ニズ ム
リール アイ ヌ とシ ャ マ ニズ ム との関 連 に つ い て鳥 居 が
終 始 否 定 的 な 見 解 を と っ て い た 理 由 を 考 え る こ とが 必 要 で あ る 。 そ れ は サ ハ リ ソが シ
ャマ ニズ ム との関 連 が 深 い地 域 だか らで あ る。
鳥 居 が 収 集 し た 民 具 類 に つ い て の 解 説 の 中 で,シ ャ マ ニ ズ ム に つ い て 言 及 す る の は,
イ ナ ウ と 鉢 巻(チ
著 書 の 中 で,ク
バ ニ ッ プ)に
つ い て の 説 明 に 付 随 して で あ る 。 ポ ロ ソス キ ー が そ の
リー ル ア イ ヌ は ロ シ ア 正 教 会 信 者 で は あ る が,「 シ ャ マ ソ教 」 を 崇 拝
し て い た と記 述 し て い る 点 に 対 し て,ポ
474
ロ ンス キ ー が ク リ ー ル ア イ ヌ の こ と を 記 し た
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
当 時 は そ うで あ っ た か も し れ な い が,「 現 在 は ま っ た くそ う で は な い 」 と 述 べ,さ
ら
に 昔 か ら多 神 教 で あ っ た ク リー ル ア イ ヌ が 「あ る 一 時 期 に シ ャ マ ソ と い う名 の 神 を 崇
拝 し た と し て も,そ
の 神 は シ ベ リア,モ
ン ゴ ル,満
州 の 原 住 民 た ち の シ ャ マ ン とは 何
らの 関係 は なか った の で あ る」 【
鳥 居 1919:4491と
し,ア
イ ヌ に は 神 を 祈 る ツ ス=ク
ル(あ
ハ リ ソ ア イ ヌ に お い て は こ の ツ ス=ク
ギ リ ヤ ー ク(ニ
ブ フ)や
全 面 的 な 否 定 を 行 っ て い る。 た だ
る い は トス グ ル)と
ル が シ ャ マ ソ と して 振 る 舞 う。これ に つ い て は,
ツ ソ グ ー ス(当
該 文 脈 で は ウ イ ル タ に 相 当)か
た も の と解 釈 され て い る 【
鳥 居 1919:451,1923:509】
ま た,こ
在(当
ら影 響 を受 け
。
れ と関 連 して ク リー ル ア イ ヌ の 仮 面 と木 偶 と に つ い て も,シ
の 関 係 が 否 定 され て い る 。 木 偶 に つ い て は,現
調 さ れ,ま
呼 ば れ る 人 が い るが,サ
時)は
ャ マ ニズ ム と
玩 具 にす ぎ ない こ とが強
た 仮 面 に つ い て も 「シ ベ リア 等 に 行 わ る る よ うな シ ャ ー マ ン巫 人 の 用 い る
も の で は な 」 い と記 し,共
に 「我 が 国 石 器 時 代 」 の 土 偶 や 仮 面 と 関 連 す る こ と が 指 摘
され る 【
鳥 居 1933:449】 。
こ の よ うに 論 じ られ る こ と の 背 景 に は,シ
達 し て い る こ とや,鳥
ャマ ニズ ムが ツ ソグー ス諸 族 に お い て発
居 の 持 論 で あ る 日本 列 島 の 先 住 者 で あ る ア イ ヌ は 後 続 の ツ ン
グ ー ス に よ っ て 北 海 道 以 北 へ と 追 い や られ た こ と,ア
を 離 れ る 際 に は 既 に ア ニ ミズ ム で あ った こ と,サ
道 ア イ ヌ)と
彼 ら に 併 呑 さ れ た 第1次
イ ヌは そ の 起 源 地 で あ る 中 近 東
ハ リ ソ ア イ ヌは 第2次
移 住 民(北
移 住 民 の ア イ ヌ とか ら な っ て い る こ と,等
え 方 が 作 用 して い る こ とが 推 察 さ れ る 。 す な わ ち,ア
イ ヌは 民 族 的 に も,あ
海
の考
るい は文
化 的 に も ツ ン グ ー ス と は 関 係 す る と こ ろ が な く,居 住 す る 領 域 が 接 す る サ ハ リ ソで は
サ ハ リ ソ ア イ ヌ と ツ ソ グ ー ス との 多 少 の 接 触 や 影 響 関 係 は 見 られ る も の の,基
は ア イ ヌ と ツ ン グ ー ス と の 間 に 有 意 な 関 係 は な い,と
本的に
い う考 え 方 が 鳥 居 に あ った と 考
え ざ るを え な い。
北 千 島 と サ ハ リ ソ と で は 地 理 的 に 離 れ て い る こ と も あ る が,以
上 の よ うな 事 情 が,
ク リ ー ル ア イ ヌ とサ ハ リ ソ に 居 住 す る ウ イ ル タ や ニ ブ フ と の 関 係 に つ い て の い か な る
言 及 も許 さ な か っ た し,さ
らに は ク リール ア イ ヌとサ ハ リソア イ ヌとの 関 係 につ い て
も 具 体 的 な 論 究 が な さ れ な か った 理 由 で あ ろ う。
(12) サ ハ リソとの 関連 につ いて(3)一
さ て,ク
椀
リール ア イ ヌの 民 具類 の 中に は,先 に例 にひ いた 火道 具 入 れ の 他 に もサ ハ
リソと関 連 す る数 例 の もの を確 認 で き る。 そ れ は,既 に ク リール文 様 に 関 す る考 察 の
と ころで 取 り上 げ た椀 や 杓 子,煙 草入 れ な どで あ る。 それ ら と同一 の も のが サ ハ リソ
475
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
に あ るわ け で は な い が,先 に も指 摘 した よ うに,サ ハ リソの 同器 種 の もの との関 連 を
考 え なけ れ ば 成 立 しえ な い要 素 を もつ もの とい え よ う27も
ま た,先 に ク リー ル ア イ ヌの 注 口付 き椀 の 口縁 部 の縁 に彫 られ た ア イ ウシと共 通 す
る表 現 を と る もの と して,器 種 は 異 な るが サ ハ リソア イ ヌに特 徴 的 な把 手 付 き木 鉢 を
例 示 した 。 こ こに も ク リール アイ ヌ とサ ハ リソ アイ ヌ との関 係 の 一端 を予 測 す る こ と
が で き るが,そ れ 以上 に,こ の 注 口付 き椀 そ の もの が サ ハ リ ンアイ ヌに特 徴 的 な 丸 椀
と直 接 的 な関連 が あ る こ とが 指 摘 で き よ う。 緩 い2単 位 の波 状 口縁 と,底 部 に付 け ら
れ た彫 り込 み文 様 を もった 高 台 とは,丸 椀 全 て に 共通 す る形 態 的 な特徴 で あ る(写 真
34)。 また 口縁 部 の 縁 に文 様 が 彫 られ る例 もあ る。 これ に 対 して ク リール アイ ヌの 注
口付 き椀(図 版5-1)に
は,口 縁 部 に注 ロが 付 くな どの サ ハ リンア イ ヌの丸 椀 に は 見
られ ない 要素 もあ るが,そ の 口縁部 形 態 が 緩 い2単 位 の波 状 口縁 を 呈す る点 や,底 部
形 態 と して は彫 り込 み 文 様 を い れ た高 台が 丸 底 に 付 く点 な ど,サ ハ リンア イ ヌの 丸 椀
と極 め て 強 い 関連 性 を もつ もの で あ る。 サ ハ リンア イ ヌの丸 椀 に 関す る情 報 一
く十 全 で な い情 報,あ
恐ら
るい は厳 格 な規 範 か ら逸 脱 した情 報 の 介在 な く しては,ク
リール アイ ヌの この椀 は 製 作 しえ なか った とい え る で あ ろ う。 で は,こ の よ うな不 完
全 な情報 を持 ち,あ るい は 厳 格 な規 制 を被 らず に,こ の注 口付 き椀 を製 作 しえた のは
誰 か 。 そ れ を サ ハ リンアイ ヌに 求 め る こ とは で きな い で あ ろ う。 や は り,何 らか の 経
路 を 伝 い,サ ハ リソアイ ヌの 丸椀 や 把 手 付 き木鉢 の情 報 を 知 り得 た,あ る いは 見 聞 し
た ク リール ア イ ヌに よって製 作 され た と考 え る の が妥 当 であ る。
(13) ク リー ル ア イ ヌ と サ ハ リ ン
以 上 の よ う に,ク
リー ル ア イ ヌ の 民 具 類 か ら は,鳥
居 の民族 誌 に は欠 落 してい た サ
27) ク リー ル ア イ ヌ とサ ハ リン ア イ ヌ との 関 係 につ い て は,言 語 学 か らの 言 及 が な され て い る
476
【MmuYAMA 1968;中 川 1996]。 例 えば 中川 裕 は 「星 」 の ア イ ヌ語 方 言一 樺 太 ・宗 谷 ・
千 島 に分 布 す るketa(星)と
い う語 形 一 に つ い て,サ ハ リンの 内路 と ライチ シ カ とで記 録
され て い るnoociw(星)と
い う語形 に注 目 し,「…noociwの 方 がむ しろ残 存 形 で あ り,樺 太
でnoociw→ketaと
い う変 化 が起 こ った とい う解 釈 が成 り立 つ 。 ただ しそ の場 合 に は,樺 太
と千 島 が海 路 で つ な が って お り,ketaの 方 が新 しい語 形 と して 海 を渡 っ て広 ま った と考 え る
しか な い」 【
中川 1996:ll】 と述 べ て い る。 これ に続 け て 「この 解 釈 は 他 の 図(ア イ ヌ語 に
お け る語 形 の分 布 図)の 解 釈 に も影 響 を 及 ぼ す 非 常 に 大 きな 問 題 を 含 ん で い る … 」 【
中川
1996:11】(括 弧 内 は小 杉 補 註)と 述 べ て い る こ とか ら も,そ の こ と の重 大 性 が 察せ られ る。
た だ し,さ ら に 「…現 在 の と こ ろは これ 以上 論 じる段 階 に な い 」 【
中川 1996:11】 と続 け て
お り,そ の積 極 的 な評 価 に は 至 って い な い。 ち な み に 「母 」 の アイ ヌ語 方言 の うち,サ ハ リ
ン と千 島 とがnanna類
の 語形 とな って い る 【
中 川 1996:13】。 そ の場 合,親 族名 称 であ るだ
け に 通 婚 圏 の 問 題 に 発 展 す る 可 能 性 も でて くる 。 本 研 究 で提 示 した 物 質 文 化 レベ ル で の ク
リー ル ア イ ヌ とサ ハ リ ン,な い しは サ ハ リ ソア イ ヌ との関 連 性 と も合 わ せ て,今 後 の 具 体 的
な課 題 とな ろ う。
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試 み
写 真34
丸 椀 K2638[サ
ハ リ ン ア イ ヌ]
ハ リ ソな い し は サ ハ リ ソ ア イ ヌ と ク リ ー ル ア イ ヌ と の 関 係 の 存 在 を 抽 出 す る こ と が で
きた 。 そ こ で 改 め て,鳥
居 の 民 族 誌 を 点 検 す る な らぽ,そ
の 中 に サ ハ リソと ク リール
ア イ ヌとの 関連 を推 測 し うる記録 が あ る こ とに 気付 く 【
鳥 居 1919:467】 。 そ れ は,サ
477
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
ハ リ ンの ポ ロナ イ川 河 口付 近 の ナ ヨ ロでは,他 の地 域 とは異 な り,海 岸 沿 いに 樹 木 の
枝 葉 でつ くった サ イ=チ セ とい う夏用 の住 居 と,山 中 に トイeチ セ とい う冬 用 の竪 穴
住 居 とが 作 られ,季 節 的 に住 み分 け られ て い る こ とが記 録 され て い る と ころで あ る。
鳥居 は この点 が ク リー ル アイ ヌ と類 似 す る こ とを 指摘 しなが ら も,そ れ を 自説 の北 海
道一 千 島2段 階 移 住説 で解 釈 す る結 果 に終 わ って い る 【
鳥居 1919:438-439】。
ク リー ル文 様 に は,北 海 道 のオ ホ ー ッ ク文 化 へ とそ の 原型 が型 式 学 的 に遡 及 し うる
もの が あ る こ とは 先 に 触れ た。 オ ホ ー ッ ク文 化 は サ ハ リソか ら道 東 沿 岸,そ
して南 千
島 に か け て分 布 圏 を広 げ る。北 千 島 の オ ホ ー ツク式 土器 時代 は,文 化 系統 の うえで は,
そ の 名 の示 す 通 りに オ ホ ー ツ ク文 化 を担 う人 び とが 主 体 とな り活 躍 した のか,あ
るい
は 実 際 に は カムチ ャ ッカ系統 の人 び とが 居 住 し,オ ホ ー ツ ク文化 の要 素 は 部 分 的 に取
り入 れ られ ただ け に 過 ぎな い のか,オ
ホ ー ツ ク文 化 の 民 族 的 帰属 の 問題 とと もに,議
論 が 分 れ る と ころ であ る。
こ の よ うな考 古 学 サ イ ドの研 究 状 況 も考 慮 に いれ,ク
リール アイ ヌ とサ ハ リ ソアイ
ヌ との関 係 に つ い ては,考 古 資料 だけ では な く,両 者 の民 具 類 の 型 式学 的 な分 析 を 踏
ま えた 上 で の,民 族 文 化 の系 統 的 な復 原 が 今 後 い っそ う必 要 とな って こ よ う。
お わ り に
以上,国
内に あ る ク リー ル アイ ヌの 民具 類 を集 成 し,用 途 に即 した 基 本 的 な分 類 項
目 ご とに個 別 の 民 具 を観 察 し,そ の 内 容 を記 録 した 。 また,代 表 的 な各 種 民 具 に つ い
て は,将 来 的 に型 式学 的分 析 を実 施 す る際 の基 礎 資 料 とす るた め に も,実 測 図 を 作 成
した。 これ らの集 成 ・資料 化 され た 民 具 類 に 関す る情報 の全 体 を も って,ク
リール ア
イ ヌ文 化 の 全体 的 な 輪 郭 を傭 瞼 す る こ とが で きる であ ろ う。
そ して この よ うな観 察 と分析 の過 程 を 通 して,民 具 類 か ら直接 に 得 られ た 情 報 を 体
系 的 に 整理 す る こ とに よ って,既 存 の民 族 誌 に は 記 録 が欠 落 してい た り稀 薄 だ った 点,
ま た特 定 の 問 題 意 識 の た め に 実 際 とは 異 な った 評 価 が くだ され て いた 点 な どに つ い
て,新 た な見 解 を 提示 す る こ とが で きた。そ の1つ は ク リール アイ ヌの長 期 出漁(猟)
型 海 洋 適 応 の再 確 認 で あ る。 鳥居 の問 題 意 識 に 強 く引 き寄 せ られ た 従来 の解 釈 は,ク
リー ル ア イ ヌは 「海 洋 民 族 」 で は な い とい うもの で あ った 。 この 点 に つ い ては,民 族
誌 の記 述 内 容 を 丁寧 に読 解 す れ ぽ 自ず か ら修 正 され る こ とで は あ るが,ク
リール アイ
ヌの民 具 類 の素 材 の供 給 源 を調 べ る こ とに よって,そ の海 洋 適 応 の度 合 い の高 さが 追
検証 で きた 。
478
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成 の試み
2つ 目は ク リー ル アイ ヌのアイデンティ テ ィに つ い て であ る。 シ コタ ン島移住 以前
に は,ク
リー ル ア イ ヌは 自 ら と,北 海 道 アイ ヌや サ ハ リソアイ ヌとは別 の民 族 で あ る
と 自認 して い た こ とが 記 録 され て い るが,両 者 の物 質文 化 に は 本 質 的 な相 違 は 見 られ
な い。 しか し,ク
リー ル アイ ヌが 各種 の民 具 類 に 表 現す る特 徴 的 な 文様 は,北 海 道 ア
イ ヌの文 様 と単 に異 な るだ け で は な く,む しろ排 他 的 と もい え る関 係 に あ る こ とが 確
認 で きた。 これ は文 化 的 ・民 族 的 に は 同一 の集 団 と して括 られ なが らも,日 常 的 な生
活 感覚 に おい て は よ り小 さ な規 模 の 集 団単 位 が 実 質 的 に機 能 して いた こ とを表 わ して
い る。
また,民 具 類 中 に認 め られ た 周 辺 の 他 民族 に 由来 す る要 素 の豊 富 さは,民 族 誌 に記
録 され た民 族 接 触 の 状 況 を補 足 す る もの で あ った。 そ の うち で も,日 本 や ロシア か ら
入 手 され る よ うに な った鉄 製 品 と木 綿 製 品 とは,ク
リール アイ ヌの生 活 用 具 の伝 統 的
な素 材 と造 形 的 な表 現 領 域 とに大 き な影 響 を 与 え,そ れ ら と関 係 す る一 連 の 要 素 を 変
革 す る こ とに な るが,そ の 実 際的 な変 化 過 程 も民 具 類 の 中に 認 め る こ とが で きた 。 そ
して,民 具類 の分 析 に よ って 今 回提 示 す る こ とが で きた最 大 の 要 点 は,ク
リール アイ
ヌ とサ ハ リソ との関 連 性 に つ い て で あ る。 この 点 は 民族 誌 の中 に は ほ とん ど表 わ れ る
こ との なか った情 報 で あ る。 当 時 に おけ る具 体 的 な 両者 の接 触 状 況 と,歴 史 的 に 遡 り
うる両 者 の関 係 とが共 に想 定 され,こ れ は ク リー ル アイ ヌの文 化 伝 統 の 問題 と して 今
後 の重 要 な検 討課 題 とな ってゆ くだ ろ う。
そ して その 際 に は,本 稿 では 実 施 す る こ とが で き なか った が,第1章
中 に論 じた よ
うな個 別 の民 具 に対 す る型 式 学 的 分 析 が効 力 を発 揮 す るだ ろ う。
謝
辞
本 稿 の執 筆 に先 立 って大 塚 和 義 氏(国 立 民 族 学 博 物 館 教 授)か
らは 本 研 究 に着 手 す る契 機 と
種 々 にわ た る ご指 導 を頂 き,ま た 秋道 智 彌 氏(国 立 民 族 学 博 物 館 教 授)に
は 本草 稿 を通 覧 して
頂 いた 。 深 く感 謝 申 しあ げ た い。 また,資 料 調 査 に 際 して は,宇 野文 男,宇 治 谷 恵,手 塚 貴 子,
菊 池 俊 彦,沖 野 慎 二,青 柳 信 克,長 谷 部 一 弘,野 村 祐 一,霜 村 紀 子,山
氏(敬 称 略 ・順 序 不 同),並
田健,出 利 葉 浩 司 の 諸
び に 国立 民 族 学 博 物 館,市 立 函 館博 物 館,函 館 市北 方 民 族 資 料 館,
北 海道 大 学 農学 部 博 物 館,北 海 道 開 拓 記 念 館,旭 川 市 博 物 館 の諸 機 関 に,各 種 の ご配 慮,有 益
な ご教 示 を頂 い た 。 厚 く御 礼 申 しあ げ た い。
尚,本 稿 は 平 成8年 度 か ら始 ま った 国 立 民 族 学 博 物 館 共 同 研 究 「北 方 先 住 民 社 会 に お け る交
易 」(代 表者:大 塚 和 義 教 授)に お い て 「ク リー ル ア イ ヌの 〈も の〉 か らみ た 交 易 」 と題 して発
表 した も のを 基 礎 に して書 き改 め た も の で あ る。 発 表 に あ た って は,共
同研 究 員 各 位 と の討 論
を 通 して 有 益 な ご教 示,問 題 点 の ご指 摘 を頂 き,そ の い くつ か の 点 に つ い ては 本 稿 に て さ ら に
479
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
考 察 を深 め る こ とが で き た と考,xて い る。 合 せ て御 礼 申 しあ げ た い。
文
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482
小杉 物 質文化か らの民族文化誌 的再構成の試み
表5 ク リー ル ア イ ヌ民 具 類 リス ト
【主 要 材 質 】
○ 生 業活動一
掛 け 弓(模
型 ・箭)
K2328
2.仕
掛 け 弓(模
型 ・箭)
K2330
型 ・弓)
K2334
掛 け 弓(模
4.仕 掛 け弓(模 型 ・仕掛 け)
K2374
5.仕 掛 け弓[詳 細不 明]
K2363
6.弓
木材
木材
木材
木材
○後期
o後 期
1-3
15-1
○後期
K2332
木 材 ・ ト ドの 筋
o後 期
型)
K2333
○後 期
8.弓(模
型)
K2336
木材
木材
K2356
鯨 骨 ・木材 ・鳥 羽
・海獣 の腱
○後期
K2361
木材
骨
骨
骨
骨
木材
○後 期
9.箭
型)
11.鎌
函1149
12.鎌
函1150
13.鐡
函1151
14.鎌
函1152
15.弩[千
16.鳥
島]
K2348
○後期
1-1
前 期?
前 期?
前 期?
前期?
○後期
o所 在 不明
Fa23
ヲ捕 フ ル 具
1-2
○後期
7.弓(模
10.箭(模
【図版 番 号 】
狩猟:19点
1.仕
3.仕
【備 考 】
・後 期
1
○所在 不 明
Fa36
17,鈷
・後 期
18.鈷
先
19.雪
眼 鏡[シ
函1172
ュ ム シ ュ 島]
函1253
骨
木材
馬 場 ・後期
前期
○生業活動一漁撈:4点
○後期
2-1
○後期
2-2
前期
1-4
20.船(模
型)
K2335
21.船(模
型)
K2338
木材
木材
K2358
鉄 ・木材
K2379
木材
函1178
鉄 ・木 材
K2365
鉄 ・木 材
K2310
木材
o後 期
4-1
鉄 ・木 材 ・樹 皮 ・獣 皮
○後期
2-3
22.手
ガ キ[シ
23.船(模
型)
○ 生業 活動一
掘 り道 具
○ 家事 一
26.ま
27.エ
28.エ
o後 期
栽培 ・農 耕:2点
24.鎌[シaム
25,土
ュ ム シ ュ島 ユ
シ ュ 島]
〔パ ラ ム シル]
前期
料理 ・食事:27点
ない た
ペ ル ニキ(女
ベ ル ニキ(女
子 用)
子 用)
K2351
Fa40
○所在 不 明
K2324
木材
木材
o後 期
3-3
o後 期
3-5
木 材 ・ ト ドの 皮
o後 期
3-1
木材
木材
○後期
・後 期
29.発
30.発
31.発
火 具(木
火 具(木
杵)
臼)
火 具(弓)
K2340
K2350
32.発
火 具(木
臼)
33.発
火 具(木
杵)[シ
K2360
ュム シュ島] K2345
○後期
3-2
483
国立民族学博物館研 究報告 21巻2号
臼)[シ
○後期
3-4
○後期
写 真3
K2390
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
鉄
ュムシ ュ島] K2346
34.発
火 具(木
35.杓
子
K2342
36.杓
子
K2343
37.杓 子[北 海道]
K1948
38.杓
子
K2388
39.杓
子
北160
40,匙
函1085
41.匙
函1086
42.匙
函1095
43。 団 子 箆
北161
44.椀
K2362
45.船
形 容 器[シ
ュ ム シ ュ 島]
函1081
46.船
形 容 器[シ
ュ ム シ ュ 島]
函1082
47.船
形 容 器[シ
ェ ム シ ュ 島]
函1083
48.木
盆
K2367
49.木
盆
K2368
50,木
盆
北10250
51.小
樽
K2312
52.鍋
○ 家事一
○後期
6-2
写 真24
写 真14
後期
後期
後期
後期
6-1
○後期
5-1
前期
前期
前期
7-1
○後 期
写真4
○後期
5-2
7-2
育 児 ・教 育:5点
53.小
児負
K2313
木綿 布 ・木材 ・獣皮
○後 期
54.小
児負
K2339
木綿 布 ・木材 ・獣皮
○後 期
55.小
児 負(「 背 負 縄 」)
北190
ハ マ ニ ン ニ ク ・木 綿 糸
写真5
8-la,9-lb
後期
・木 綿 布 ・獣 皮
56.木
偶
57.木
偶[シ
○ 家事一
ュ ム シ3島]
Fa74
木 材 ・鳥 皮 ・布
・鯨 の 筋 ・ ト ド皮
函1182
木材
○後 期
馬 場(考 古)
13-4
裁 縫 ・工 作:9点
58.編
物
K2322
木 綿 糸 ・ハ マ ニ ン ニ ク
○後 期
59.針
入れ
K2349
木綿布
○後期
io-i
60.針 入 れ(縫 針付 き)
K2380
木綿布 ・鉄
○後 期
写 真6
61.エ
ペ ル ニ キ(男
K2354
(鉄)・ 木 材 ・海 獣 の 腱
○後 期
写真7
62.エ
ペ ル ニ キ
K2370
63.エ
ペ ル ニ キ
K2372
子 用)
K2371
鉄
鉄
K2377
木材 ・獣皮
○後 期
○後期
K2369
64.斧
65.Chiota mukaza
11-1
11-2
[パ ラ ム シ ル 島]
66.足
型
○ 家事一 一雑 事:38点
67.編
み 容 器(テ
ンキ)
K2314
ハ マ ニ ソ ニ ク
68.編
み 容 器(テ
ソキ)
K2315
ハ マ ニ ソ ニ ク
○後期
69.編
み 容 器(テ
ンキ)
K2316
ハ マ ニ ン ニ ク
○後期
70.編
み 容 器(テ
ンキ)
K2317
ハ マ ニ ン ニ ク
○後期
484
写 真9
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
71.編
み 容 器(テ
ソキ)
K2318
ハ マ ニ ソ ニ ク
○後期
72.編
み 容 器(テ
ン キ)
K2352
ハ マ ニ ソ ニ ク ・木 綿 糸
○後期
73.編
み 容 器(テ
ン キ)
函1096
ハ マ ニ ソ ニ ク
馬場 ・後 期
74.編
み 容 器(テ
ン キ)
函1097
ハ マ ニ ソ ニ ク
馬場 ・後 期
75.編
み 容 器(テ
ン キ)
函1205
ハ マ ニ ソ ニ ク
前期
後期
11-3
[シ ュ ム シ ュ島]
76.編
み 容 器(テ
ン キ)
函1207
ハ マ ニ ソ ニ ク
77.編
み 容 器(テ
ンキ)
北10462
ハ マ ニ ソ ニ ク
78.編
み 容 器(テ
ンキ)
北10463
ハ マ ニ ソ ニ ク
79.編
み 容 器(テ
ンキ)
北35367
ハ マ ニ ソ ニ ク
80.編
み 容 器(テ
ンキ)
開11353
ハ マ ニ ソ ニ ク
81.編
み 容 器(テ
ンキ)
開11354
ハ マ ニ ソ ニ ク
82.編
み 容 器(テ
ソキ)
開11355
ハ マ ニ ン ニ ク
K2319
ハ マ ニ ソ ニ ク
83.編 み容器(盆 形)
○後期
84.編
み 容 器(盆
形)
北35368
ハ マ ニ ソ ニ ク
85.編
み 容 器(盆
形)
開 ・整 理中
ハ マ ニ ソ ニ ク
86.編
み 容 器(盆
形)
開 ・整 理 中
ハ マ ニ ン ニ ク
87.編
み 容 器(杯
台)
北10461
ハ マ ニ ソ ニ ク
88.編 み 容器(菓 子 入れ)
北10297
ハ マ ニ ソ ニ ク
89.編 み 容器(菓 子 入れ)
開 ・整 理 中
ハ マ ニ ソ ニ ク
90,編 み 容器(名 刺 入れ)
開 ・整 理 中
ハ マ ニ ソ ニ ク
91.編
北10465
ハ マ ニ ソ ニ ク
開11356
ハ マ ニ ソ ニ ク
北9868
ハ マ ニ ソ ニ ク
前期?
函1208
ハ マ ニ ン ニ ク
前期
95.縄
K2364
K2347
草
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
牙
木材
○後期
96.暦
木綿布
木綿布
鳥皮
鳥皮
○後期
[エ ト・ フ 島]
み物(帽
子)
後期
[エ ト ・フ 島]
92.編
み物(帽
子)
93.編 み容器(小 物 入れ)
[工 卜・ フ島]
94.編 み容器(小 物 入れ)
[シ ュム シ ュ島]
97.三
弦 琴[シ
ム シ ル 島]
函988
98.三
弦 琴[胆
振]
函989
99.三
弦琴
函1218
100.三
弦琴
函1219
101.三
弦琴
北9486
102.煙
草入 れ
函1210
103.パ
イ プ
函1215
104.小
筥
旭4960
○服 飾一
○後期
11-5
前期
後期
後期
馬 場 ・後 期 11-4
馬場 ・後期
後期
15-2
衣服:11点
105.衣
服
K23$7
106.衣
服
函1028
107.衣
服
Fa28
108.衣
服
北80
後期
○後期
後期
485
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
K2382
鳥皮
海獣皮
木綿布
o後 期
K2383
木綿 布 ・(海)獣 皮
o後 期
帯
K2384
写 真23
K2385
木綿布
木綿布
o後 期
帯
o後 期
写 真20
帯
K2386
木綿 布 ・(海)獣 皮
○後期
9-2
Fa70
木材
o所 在 不 明
109.衣
服
北81
110.衣
服
函 ・整理 中
111.腰
帯
112.腰
帯
113.腰
114.腰
115.腰
後期
写 真22
○服飾一 装身具:6点
116.帯
留
・後 期
117.帯
留
Fa71
118.帯
留
Fa72
木材
木材
o後 期
O所 在 不 明
・後 期
119.帯
Fa73
留
木 材 ・獣 皮 ・鳥毛
・鳥 虜
Fa37
i20.櫛
木材
o所 在 不 明
・後 期
Q所 在 不 明
・後 期
121.櫛[シ
ュ ム シ ュ 島]
Fa38
骨?
○所在 不 明
・後 期
○ 服飾一
履 物 ・被物:6点
122.長
靴
123.長
靴[エ
124.長
靴
トβ フ 島]
靴[シ
127.カ
ソ ジ キ
○ 服飾一
ト ド皮
○後 期
K2255
ト ド皮
o後 期
ト ド皮
函1080
アザ ラ シ皮
後期
前期
K2311
木 材 ・獣皮
○後 期
K2375
125、 長 靴
126.長
K2376
北9459
ュ ム シ ュ島]
写真11
携帯具:11点
128.物
入 れ(男
子 用)
K2320
ハ マ ニ ン ニ ク
o後 期
14-1
129.物
入 れ(女
子 用)
K2381
ハ マ ニ ソ ニ ク ・木 綿 布
o後 期
写真12
前期
前期
前期
函1098
ハ マ ニ ン ニ ク ・獣 皮
131.物
入 れ[シ ュ ム シ ュ 島 コ
函1099
ハ マ ニ ン ニ ク ・獣 皮
132.物
入 れ[シ ュム シ ュ島]
函1100
ハ マ ニ ソ ニ ク ・獣 皮
133.物
入れ
函1206
ハ マ ニ ン ニ ク ・獣 皮
前期?
134.物
入れ
函1209
ハ マ ニ ソ ニ ク
馬 場 ・後期
130。 物 入 れ[シ
ュ ム シ ュ 島]
前期
135.物
入 れ[エ
北9865
ハ マ ニ ソ ニ ク
136.火
道 具 入 れ[千
島]
K2323
鮫 皮 ・鹿角 ・金属
○後期
137.火
道 具 入 れ[千
島]
K2359
海獣皮
o後 期
12-1
138.火
道 具 入 れ[千
島]
K2373
海獣皮 ・鹿 角 ・金 属
o後 期
写真13
木材
木材
木材
o後 期
トロ フ島]
写真13
○ 儀 礼 ・信 仰 一 一儀 礼 ・信 仰:11点
139.削
り掛 け
K2325
140.削
り掛 け
K2326
14L削
り掛 け
K2327
142.削
り掛 け
函1179
486
o後 期
○後期
後期
13-1
小杉 物質文化 からの民族文 化誌 的再構成の試み
143.酒
箸(模
144.酒
箸
K2341
型)
K2331
145.幣
K2353
146.男 子 儀礼 用鉢 巻
K2366
147.仮
K2378
148.祭
149.墓
面(模
型)
具[ラ
シ ョ ワ島]
標(模
K2344
型)
○ 原材 料 ・食 物一
K2321
木材
木材
木材
木材
木材
木材
木材
○後 期
器 作 り用 具
K2337
151.建
築 材料用 草
K2357
草
草
北9869
(ハ マ ニ ン ニ ク)
ソキ グサ[エ
153.角[パ
ト ロ フ島]
ラ ム シル 島]
○ 原材 料 ・食 物一
154.食
物[千
島]
函1220
○後期
○後期
12-2
○前期?
13-3
○後期
写真1
○後 期
写真2
○後 期
前期
前期?
食物:1点
K2355
○その他 3点
居模型
Fa77
156.紐
付 き棒
K2329
157.木
具
K2389
155.住
○後 期
原材 料:4点
150.土
152.テ
13-2
木の実
○後期
○所在不 明
・後 期
*考
*資
*備
*備
*備
古 資 料 は 本 文 中 で言 及 した57(函ll82)の み を掲 載 す る。
料 番 号 に つ い て は本 文 註2・3参
照。
考 欄 の 「○」 印 は 鳥居 龍 蔵 の収 集 品を 示 す 。
考 欄 の 「馬 場 」 は 馬場 コ レ クシ ョソを示 す 。
考欄 の 「前 期 」 は 前期 民具 類,「 後 期 」 は後 期 民 具 類 を示 す(第 皿章 参照)。
487
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図 版1 488
ク リー ル アイ ヌ民具 類 実 測 図(1)箭,仕
掛 け 弓[模 型],他
小杉 物 質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
図 版2 ク リ ー ル ア イ ヌ民 具 類 実 測 図(2)船[模
型],エ
ペ ル ニキ
489
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図 版3 490
ク リー ル アイ ヌ民具 類 実 測 図(3)発
火具
小杉 物質文化からの民族文化誌的再構成 の試み
図 版4 ク リー ル ア イ ヌ民 具 類 実 測 図(4)ま
ない た
491
国立 民族学博物館研究報告 21巻2号
図版5 492
ク リール ア イ ヌ民 具 類 実 測 図(5)椀,木
盆
小杉 物質文化か らの民族文 化誌 的再構成 の試み
図版6 ク リール アイ ヌ民 具 類 実 測 図(6)団
子 箆,杓 子
493
図 版7 ク リール ア イ ヌ民 具 類 実 測 図(7)舟
形 容 器,鍋
図 版8 ク リール アイ ヌ民具 類 実 測 図(8)小
児 負[腰 掛 け]
495
図 版9 496
ク リール ア イ ヌ民 具 類 実 測 図(9)小
児負[額 当],腰 帯
図版10 ク リール アイ ヌ民 具 類 実 測 図(10)針
入れ
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図版11 ク リール アイ ヌ民 具 類 実測 図(11)斧,編
498
容 器,他
小杉 物質文化か らの民族文 化誌的再構成の試 み
図 版12 ク リー ル ア イ ヌ民 具類 実 測 図(12)火
道 具 入 れ,仮 面[模 型]
49
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図版13 ク リール アイ ヌ民具 類 実 測 図(13)削
500
り掛 け,酒 箸[模 型 コ,他
小杉 物質文化か らの民族文化誌的再構成の試み
図 版14 ク リー ル ア イ ヌ民 具類 実 測 図(14)物
入れ
501
国立民族学博物館研究報告 21巻2号
図 版15 502
ク リ ー ル ア イ ヌ民 具 類 実 測 図(15)弓,一
小筥