1 2016 年2月 7 日 聖書:ダニエル1章1-16 聖書:ダニエル1章1-16節 1章1-16節 February 2nd, 2016 The Bible: Daniel 1:1-16 タイトル:世にあるクリスチャン タイトル:世にあるクリスチャン(4) 世にあるクリスチャン(4):ダニエル (4):ダニエルに見るそのモデル :ダニエルに見るそのモデル(1) に見るそのモデル(1)「信仰と常識 (1)「信仰と常識」 「信仰と常識」 Title: Christians in the World (4): The Model Seen in Daniel (1) “Faith and Common Sense” 序 論 Introduction ●先週は、David 先週は、David 先生を通して、第二ペテロの手紙 3 章 9-16 節を通して、素晴らしいメッセージを 頂いた。 Last week, through Pastor David, we heard a wonderful message from 2nd Peter 3:9-16. 1. 主は必ずもう一度来られる。しかし、それが遅れている。 は必ずもう一度来られる。しかし、それが遅れている。 1. The Lord will certainly come again. However, that coming is delayed. 2. The reason is not that it’s due to the Lord’s negligence or powerlessness. 3. It is part of the Lord’s plan that we repent and that we are saved, 4. And that we wait in anticipation for the Lord’s presence – what we learned as “the Lord’s patience”. 2.その 2.その理由は、 理由は、主の怠慢でも、無力さからでもない。 は、主の怠慢でも、無力さからでもない。 3.それは、主のご計画のうちに、 3.それは、主のご計画のうちに、悔い改めて、救われる者が起こされ 主のご計画のうちに、悔い改めて、救われる者が起こされ、 悔い改めて、救われる者が起こされ、 4.また私たちが主のご来臨に備えられ 4.また私たちが主のご来臨に備えられるのを待っておられる また私たちが主のご来臨に備えられるのを待っておられる、「 るのを待っておられる、「主の 、「主のご 主のご忍耐」 忍耐」の故であるというこ とを学んだ。 ●このように、やがて主 このように、やがて主は必ず やがて主は必ず来られ は必ず来られる 来られる。そして、私たちは天に召される。或いは、それが遅くなるな そして、私たちは天に召される。或いは、それが遅くなるな ら、私たちが地上での使命を終えて、主の御許、天国に召される日が先に来る ら、私たちが地上での使命を終えて、主の御許、天国に召される日が先に来るであろう。 来るであろう。 Thus, in the end, the Lord will comme. And we will be taken into Heaven. Or, if it’s too late, we will meet our fate in Hell and the Lord’s coming and the day we are taken into Heaven will pass us by. ●その日が来るまで、私たちはクリスチャンとして、 その日が来るまで、私たちはクリスチャンとして、この地上に住み、 この地上に住み、この世に生きるのである。 に住み、この世に生きるのである。 Until that day comes, as Christians we will live upon this earth and live in this world. ●この世に生きつつ、私たちクリスチャンは、 この世に生きつつ、私たちクリスチャンは、 While living in this world, we Chistians 1.様々な試練、試み、誘惑に会い 様々な試練、試み、誘惑に会い、さながら、火で精錬される金のように、その品性を 、さながら、火で精錬される金のように、その品性をきよめられ 精錬される金のように、その品性をきよめられ、 きよめられ、 その信仰に成長し、キリストに似るものとされるのである。 その信仰に成長し、キリストに似るものとされるのである。 1. Will meet many tests, trials, and temptations, such as when gold is refined by fire; and our character will be purified, our faith will grow, and we will be made into people like Christ. 2.また、この世にいる また、この世にいる人々にイエス様の福音を持ちゆき、伝えるのである。 この世にいる人々にイエス様の福音を持ちゆき、伝えるのである。 2. And, we take and spread the Gospel of Jesus to the people in the world. ●このように、世に生きるクリスチャンは、ただ漫然とイエス様の来臨を待つのではない。目的と期待 があるのである。 In this way, Christians who are in the world are not aimlessly waiting for the coming of Jesus. We have a goal and expectation. ●ある意味で、聖書に書かれていることは、基本的にすべて、世にあるクリスチャン、世に生きるクリ スチャンは、どのように生きるべきかを教えていると言って過言ではない。 One meaning is that of what is written in the Bible – in simple terms, everything, Christians in the world, Christians living in the world – it is not an exaggeration to say it teaches us how we ought to live. ●今年は、できるだけ、聖書をその観点から学びたいと願いつつ礼拝メッセージを取次ぎ始めた。すで にそのためにヨセフの生涯を一つのモデルとして学んだ。 This year, as much as possible, we’ve started to hear messages during worship with the hope of learning from the Bible about that perspective. We’ve already covered Joseph’s life as one such model. 2 ●今日から、ダニエルの生涯をもう一つのモデルとして学びたい。 今日から、ダニエルの生涯をもう一つのモデルとして学びたい。 From today, I want for us to learn with Daniel’s life as another such model. 本 論 Main Message Ⅰ.まず最初に、ダニエル自身がどういう人物で、また、どのような状況にあった人かについて触れたい。 I. Firstly, to begin, I want to touch upon what kind of person Daniel was and in what circumstances he lived. A. ダニエルはユダヤ人であった。当時、ユダヤという国が全体としてどういう状況にあったかを説明したい。 A. Daniel was a Jew. I want to explain to you what kind of circumstances the country of Judea was facing, as a whole, at that time. 1.1-2節 -2節を見ると、「・・・・・」 を見ると、「・・・・・」とある 「・・・・・」とある。 とある。 1. If we look at verses 1-2, we see... 2. The Assyrian Empire, which had controlled the world with its center in the Middle East, had fallen, and in its place was the Babylonian Empire. 2.それまで中近東を中心に世界を支配していたアッスリヤ帝国が滅び、取って代わったのは、 2.それまで中近東を中心に世界を支配していたアッスリヤ帝国が滅び、取って代わったのは、 バビロニヤ帝国であった。 3.そのバビロニヤ帝国軍の最高司令官を務め、 3.そのバビロニヤ帝国軍の最高司令官を務め、ユダヤを そのバビロニヤ帝国軍の最高司令官を務め、ユダヤを陥落させた ユダヤを陥落させたのが 陥落させたのが 1 節のネブカデネ 節のネブカデネザ ルである。まもなく彼は父を継ぎ、ユダヤを含めた大帝国の王となる。 3. The supreme commander of the Babylonian army, the one who subjugated Judea, is the Nebuchadnezzar found in verse 1. (1)即ち、ダニエルが生まれ育ったユダヤという国は、当時敗戦国であった。 (1) That is, the country of Judea in which Daniel was raised was, at the time, a country in defeat. B.次に、そのような状況の中で、ダニエル自身はどういう人物であり、どんな状況にあったかを学びたい。 B. Next, I want us to learn about what kind of person Daniel was and what circumstances he faced given the times. 1.当時バビロニア帝国は、敗戦国に対してアッスリヤ帝国より柔軟な政策を取った。 を取った。即ち、敗 戦国の中核をなすリーダー格の人物を抜擢してバビロンに してバビロンに捕虜として連れて来た れて来たのである。 のである。 1. At that time, the Babylonian Empire had a more lenient policy than the Assyrian Empire toward defeated countries. Namely, persons with leadership characteristics which had supported the defeated countries were promoted and taken to Babylon as prisoners. (1)そうすることによって、バビロンの国に (1)そうすることによって、バビロンの国に優秀な人物を取り入れることができ、 れることができ、更には、 (1) Due to this practice, the country of Babylon accepted in many excellent figures, and moreover (2)敗戦国の力を骨抜きにして、 きにして、反逆することができ することができないように ことができないように弱体化することができた。 することができた。 (2) Removed the backbone of power in the defeated countries and made them weak so as to prevent them from rebelling. 2.3-4節「・・・・」 3-4節「・・・・」にあるように、 「・・・・」にあるように、ネブカデネ にあるように、ネブカデネザル王は、それら優秀なユダヤ人の中から、 更に、優秀で自国のために 国のために役に立ちそうな人物を選んで自分の側近としようとした。 2. As in verses 3-4, “...”, King Nebuchadnezzar, from among the superior Judeans and also to strengthen his own country, choose people and brought them to his side. (1)そのための (1)そのための第一の そのための第一の前提的条件は彼らの家柄であった。彼らは、貴族・王家の出身でなけ ればならなかった。 (1) The first assumed requirement for this was their lineage. They had to be of noble or royal birth. (2)王が挙げたそれに続く条件は、4 は、4 節に記されている。「・・・・」。 (2) The next requirement of the king which followed from that is found in verse 4: “...” (3)その (3)そのようにして そのようにして選ばれた人々の中に、ダニエルと れた人々の中に、ダニエルと彼の友人である、ハナヌヤ、ミシャエ ル、アザルヤがいた。 (3) Of the people chosen this way, there were Daniel and his friends, Hananiah, Misha-el, and Azariah. 3 3.このように 3.このように選ばれることは、彼らにとってはこの世的に言うなら、 らにとってはこの世的に言うなら、一 この世的に言うなら、一面極めて名誉なことで あったであろう あったであろう。 であろう。なぜなら、何しろ彼らは、敗戦国の国民でありながら、大帝国バビロン の帝王の特別に選ばれた側近なのであるから。 3. To be chosen in this manner was for them, to put it in worldy terms, in one way likely quite an honor. That is because, at any rate, they were citizens of a defeated country and were specially chosen to be beside the emperor of the great Babylonian Empire. C.しかし、同時に、それは彼らにとって大きなチャレンジでもあった。 C. However, at the same time, it was a great challenge for them. 1.第一のチャ 1.第一のチャレンジは、 ンジは、彼らにバビロン人としての名前が与えられたことである。それは えられたことである。それは以下 のようである。7 のようである。7 節 1. The first challenge was that they received names as Babylonians. This can be seen below. Verse 7 ヘブル語名 意味 バビロニヤ名 意味 ダニエル 神は我が裁き主 ベルテシャザル バビロンの神の軍 ハナニヤ 主の賜いしもの シャデラク 王の朋友 ミシャエル 神は比類なく尊い メシャク バビロンの神を礼拝せよ アザリヤ 主の助けるもの アベデネゴ 神は星座の軍なり Hebrew Name Daniel Hananiah Misha-el Azariah Meaning God is my judge The Lord’s precious stone God is matchless honor One who helps the Lord Babylonian Name Belteshazzar Shadrach Meshach Abednego Meaning Army of the god of Babylon The king’s friend Worship the god of Babylon God is the army of constellations (1) これらのバビロニヤの名前は、みな異教の神々、特にベルと呼ばれる神の名前に関係す るものであった。 (1) These Babylonian names invoked gods of other religions, in particular the god called Bal. (2) (2)自分の名前を強制的に変えられることは、 えられることは、受ける側にすれば、自分のIDと人格、プラ イドの否定であり、屈辱以外何ものでもなかった。 ものでもなかった。 (2) To be forced to change one’s own name, in order to accept it, meant that one had to deny one’s ID and character and pride and was nothing but humiliated. (3) (3)しかし、近年の歴史においては、それこそが、第二次 においては、それこそが、第二次戦争前・中に、日本が、韓国の 方々にしたことであった。 (3) However, in more recent years, this is exactly what Japan did before and during World War II to Koreans. (4)ダニエルとその (4)ダニエルとその友人たちも同様な屈辱とチャレンジを受けていたのである。 (4) Daniel and his friends also accepted this humiliation and challenge. 2.そこに更に、もう一つのチャレンジが来た。それが今日のメッセージの ンジが来た。それが今日のメッセージの背景である。 2. And there was one more challenge which presented itself. This is the backdrop of today’s message. (1)5 節に、 節に、それが書かれている。 それが書かれている。 (1) This challenge is written about in verse 5. (2)王様は「 様は「宦官の長」と 官の長」と呼ばれる政府のトップの高官に 高官にダニエルとその ダニエルとその他選ばれた者たち が王様の毎日食べるご馳走とブドウ酒から同じように食べ・飲むようにするべく ようにするべく命 するべく命じた。 (2) The king commanded the top government official, the one called the “chief eunich”, that Daniel and the others eat and drink the same food and wine which the king enjoyed to his fill every day. (3)これは、ダニエルを始め、 (3)これは、ダニエルを始め、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤたちには次の 2 つの理由で 大きなチャレンジであった。 4 (3) This was first to Daniel – and then to Hananiah, Misha-el, and Azariah as well – a big challenge for the following 2 reasons: ●ユダヤ人たちには律法で「汚れたもの」として食べてはならないものがあった(例: ウロコのない魚、ひづめの分かれていない動物など)。異教の王であったネブカデネ ザル王の食事メニューにそれらが ーにそれらが含まれていたら、それは まれていたら、それは律法を犯すことになる。 すことになる。 Jews had things which, by law called “unclean things”, could not be eaten. (e.x.: fish without scales, animals with uncloven hooves, etc.) If these were included in King Nebuchadnezzar’s, a king of a foreign religion’s, menu, then it would violate their laws. 大きなことは、ネブカデネザル王が食べる物は、みなまず異教の神の 祭壇に一旦捧げられたもので、それを食べることは、偶像礼拝に加担することになる。 3. このようにダニエルたちは、正に異教の世界の真っ只中に生きていた。即ち、 3. In this way Daniel and his friends truly lived right at the center of the world of another religion. Namely, (1)自分たちの信仰のことなど全く理解してくれない、 (1) It did not allow for their own faith at all, (2)否、それどころか、理 、それどころか、理解するつも するつもりは全くない、否、しばしば反対でさえある、 ●しかし、もっと (2) Or, rather, it may have been that or that it didn’t intend to allow it, or perhaps even was entirely opposed to it, (3)異教の王、異教の上司、異教の仲間、周囲中異教の人々ばかりの中に生きていたのである。 (3) And in such surroundings which such a king, superiors, friends, and environment of another religion they lived. (4)そのような世界に (4)そのような世界に彼らは、働き、生きていた き、生きていたのである。 ていたのである。 (4) This is the kind of world in which they worked and lived. (5)しかも、異教の、 教の、最高権威を持つ帝王の最も近いところで、即ち、逃げ出すことも、ごまか すこともできない場所で、彼らは信仰者として生きたのである。 (5) Moreover, they were close to the emperor who was of another religion and held final authority, namely in a place from which they couldn’t run and in which they couldn’t deceive, yet lived as persons of their faith. (6)パウロも私たちクリスチャンの置かれた状況についてエペソ書 2 章 2 節で、サタン( タン(悪魔)を 「空中の権威を持つ支配者として」描き、ネブカデネザルならぬ悪魔が帝王として君臨する 世界に私たちが生きていることを述べている。 (6) Paul also paints the picture in Ephessians 2:2 of the state in which we Christians are placed, saying Satan (the Devil) “is holder of authority over the sky”, and this is comparable to the us living in the world under the rule of a devil like Nebuchadnezzar as emperor. 4.ダニエルたちは、 4.ダニエルたちは、そのような は、そのような異教の世界のど 教の世界のど真ん中を信仰者として生き ん中を信仰者として生きた。その 生きた。その姿こそが、今、 私たちクリスチャン 私たちクリスチャンが、 クリスチャンが、不信仰に満ちたこの世を生きるためのモデルなのである ちたこの世を生きるためのモデルなのである。 なのである。 4. Daniel and his friends lived right in the middle of this other religion’s world. These figures are the the model now for us Christians in order to live in this world which does not believe. Ⅱ.それでは、ダニエルたちは、「世にあるクリスチャン」として、異教世界をどのように生きたのか? II. Well then, in what way did Daniel and his friends live as “Christians in the world” in a world of another religion? A. 第一に、彼らは、この世のど真ん中にあっても、自分の信じることに対して『誠実』『真実』であった。 A. Firstly, even though they were at the very center of this world, what they believed was “genuine” and “truth”. 1.このことを、そもそも信仰とは何か?という観点から考えたい。 1. I would like us to consider this from the perspective of ‘what is this, or for that matter, what is faith?’ 5 (1)多くの場合、人々が、「信仰がある」「信じる」と言う時、ほとんどの場合、何かが 「できる」という「力、能力」と関連した信仰である。即ち、「誰かがそれをできると いう、その能力を信じる」ことにフォーカスが行きやすい。 (1) In many cases, when people say “I have faith” or “I believe”, most instances of this is a faith implying the “strength” or “ability” to “be able to do” something. That is, it is easy to focus on “I believe in the ability that someone is able to do that.” (2)しかし、 2)しかし、ヘブル語の「信じる」「信頼する」に当たる「アマーン」と言う言葉の本来の 意味は、当てになること、確かさ、誠実さ、真実さ、というもっと内面的なことである。 (2) However, the true meaning of the Hebrew word “aman” as approximated by the words “believe” and “to trust” is more akin to ‘certainitude’, ‘genuinity’, ‘trueness’ or other such internalized things. (3)私たちがお (3)私たちがお祈りの最後に唱える「アーメン」は、この「アマーン」から出ている言葉で あるが、意味は、その祈りが真実・誠実な心からであることを宣言するものである。 (3) The “amen” which we intone at the end of our prayers comes from this word “aman”, and the meaning is the statement that the prayer is truly and genuinely from the heart. (4)即ち、聖書的に、信仰の人とは、第一に「自分の信じていると告白していることに、誠 実な人」のことである。 (4) Namely, biblically, people of faith are firstly those “people who are genuine about what they believe and confess”. 2.ダニエルたちはその意味で「信仰の人」であり、自ら信じるところに「誠実な人」であった。 な人」であった。 2. Daniel and his friends were, in this meaning, “people of faith”, and were of their own volition “genuine people” in what they believed. (1)彼らは、天地の造り主なる神、ヤーウェーなる神を信じていた。即ち、 (1) They believed in the Lord God Creator of the Heavens and the Earth, the God Yahweh. Namely, ●偶像と呼ばれる、他の神々でなく、 Not other gods which were called idols, ●今で言うなら、イエス様によって明らかにされた唯一の神様を信じ、従っていた。 But rather, if we were to say it now, they believed and followed the one and only God revealed through Jesus. (2) しかし、ある日突然に、その信仰に対して挑戦と誘惑が訪れた。 (2) However, suddenly one day challenges and temptations came calling to that faith. ●異教の王であるネブカデネザル王の食卓に上った食事と葡萄酒を、ダニエルたちも食 べ、また飲まなければならないという王からの命令であった。 The king of a foreign religion, Nebuchadnezzar, ordered Daniel and his friends to eat and drink the food and wine served at the king’s table. ●彼らは、それが、彼ら自身も偶像礼拝に加担することになると理解した。 They understood that to mean that they themselves would be participating in idol worship. ●即ち、それは、彼らの信じる神様と、またその神様を信じる自らの信仰に不忠実、不 誠実、不真実になることを知っていた。 Namely, they knew that that meant that would be disloyal, ungenuine, and untruthful to the God they believed and their own faith in believing God. ●それゆえ、彼らはそれを拒絶したのである。 Therefore, they refused to do it. (3) 偶像礼拝を嫌うこと、偶像礼拝を空しいことと軽蔑し、笑うことも、拒絶することも、 ある状況では、必ずしも、決して難しいことではないかもしれない。 6 (3) It is probably not a difficult thing at all, under certain circumstances, to have contempt for, laugh at, and refuse idol worship as something hated or futile. (4)例えば、今のような民主主義の時代、あるいは、文化的多元主義(Pluralism)の時代なら、 王様が偶像礼拝者であろうと、周囲のほとんどの民衆が偶像を拝んでいたとしても、そ の中で、一人、少数派として、偶像礼拝を拒むことは決して難しくないであろう。 (4) For example, in an era like today’s with democracy, or in an era which has cultural pluralism, it likely isn’t a difficult thing for one person or even a small number to refuse idol worship even if the king is an idol worshiper and the surrounding populace largely worships idols. (5)そのような状況下で、たとい偶像礼拝を拒否したとしても、それが、自らの信じる神、 自らの信じていることに対して忠誠、忠実、誠実な人の姿とは言い切れない。 (5) Under such circumstances, even if one were to refuse idol worship, it is not enough to say that those type of people are faithful, loyal, and geuine to the god they believe or what they believe. (6) (6)しかし、ダニエルたちが、王様からの食べ物と葡萄酒を断って、偶像礼拝を拒絶したと きは、それらとは全く違う状況であった。 (6) However, when Daniel and his friends declined the food and wine from the king and refused to idol worship, the circumstances were completely different. ●それは絶対専制君主の時代であり、王の命令に従わないなら命のない時代であった。 That definitely was an era of absolute monarchy, an era in which not following the orders of the king meant losing one’s life. ●それゆえ周囲の人々は当然のように、全員偶像礼拝者であり、そのような偶像礼拝者 の目がいつもそれに反する者たちを監視していた。 Therefore, of course all people all around, everyone, were idol worshipers, and the eyes of these idol worshipers were always upon those who were against it. ●その真っ只中で、ダニエルたちは、偶像礼拝を拒否・拒絶したのであった。 At the center of all this, Daniel and his friends rejected and refused idol worship. ●従って、ダニエルたちが、偶像礼拝とのつながりから、王の食事と葡萄酒を拒絶する ことは、言語道断であり、許されぬことであった。 Accordingly, for Daniel and his friends to refuse the king’s food and wine due to the connection to idols was unspeakable and unforgiveable. ●それ故、それは、仕事も、生活も、家族も、命も、何もかもを失うことを覚悟したも のであり、正に命懸けの行為であった。 Hence, that was the resolve to lose their work, their lifestyles, their families, their lives, and everything, truly an act of risking life or death. ●神様は、そこに、彼らの本当の信仰の姿、即ち、彼らの真実と誠実を見たのである。 God, in that place, saw their true state of faith, namely their truth and genuineness. (7)真の信仰とは、何かでっかいことを期待するものではなく、事情・状況が変わり、自分 に都合が悪くなっても、変わらない、当てになる、堅い決意に満ちた心の姿勢である。 (7)True faith is not waiting in anticipation of something huge; it is the state of having an unchanging, reliable, and steadfast resolve filling one’s heart even if things or circumstances change or one’s own convenience is not good. ●イザヤ 26:3「 26:3「志の堅固な者をあなたは全き平安のうちに守られます。その人があな たに信頼しているからです」。真の信仰とはどんなときにも信頼を変えない心である。 Isaiah 26:3 “Thou dost keep him in perfect peace, whose mind is stayed on thee, because he trusts in thee.” True faith is a heart which does not change its trust in any circumstance. 7 ●詩篇 15:4「損になっても、立てた誓いは変えない」 Psalm 15:4 “…who swears to his own hurt and does not change.” 3.私たちクリスチャンの生きている時代は、かつてダニエルたちが生きていた時代と似ている。 代と似ている。 3. The era in which we Christians live certainly resembles the era in which Daniel and his friends lived. (1)教会 (1)教会外の周囲のマジョリティーは、私たちの信仰を無視する、否定する、嘲笑する、馬 鹿にする、反対する時代に生きている。 (1) The majority of those outside of the Church ignore our faith, deny us, scorn us, disparage us, and oppose us in the era in which we live. (2)それがゆえに、教会 (2)それがゆえに、教会内で告白していると同じ信仰を、教会の外で、告白したり、その信 仰に生きることを恐れ、躊躇したり、妥協したりしている人が少なくない。 (2) Therefore, there are not just a few people who confess outside of the Church the same faith we confess within the Church or who fear, hesitate, or compromise on living by that faith. (3)しかし、ダニエルたちは、そうではなかった。 (3)しかし、ダニエルたちは、そうではなかった。むしろ、その時代、この世の真っただ中 で、自らの信仰に誠実であり、真実であることを命を懸けて貫いたのである。 (3) However, Daniel and his friends were not like that. Of course, in that era, they went through the ordeal of risking life or death over whether their faith was genuine and true while at the very center of things. (4)私たちは、これを GOOD FOR THEM と他人ごとのように済ましてはならない。 (4) We must not simply treat this as something someone else did and say “GOOD FOR THEM”. ●信仰に対する挑戦が起こるたびに、信仰に対する誠実さを失い、カメレオンのように 信仰の態度を変えていては、世に生きるクリスチャンとして輝くことはできない。 When challenges to our faith appear, losing the genuineness of our faith and changing the attitude of our faith like cameleons does not let Christians living in the world shine. ● 即ち、私たちは、自らの信じ、告白する信仰に対する断固とした誠実さを実践するこ となくして、世に生きるクリスチャンとして輝くことはできない。 That is, losing our genuinity and practical determination with regard to our own believed and confessed faith does not let Christians living in the world shine. B. 第二に、だからと言って、彼らは、決して狂信的で、極端で非常識な行為に出たのではなかった。 B. Secondly, and to say as a result, they certainly weren’t fanatics or didn’t do anything extremely unreasonable. 1.言い換えるなら、彼らは、自らの信仰に誠実、真実であろうとして、社会的に非常識な行動 に出たのではない。むしろ、きわめて常識的な道を歩んだのである。 1. To put it another way, while they held their faith genuinely and truthfully, they did not do anything socially unreasonable. Rather, they walked an extremely reasonable path. 2.クリスチャンはこの世の者ではない。だから 2.クリスチャンはこの世の者ではない。だから尚のこと彼らにとって常識は重要である。 2. Christians are not persons of this world. Therefore, for them common sense was all the more important. 3.米国クリスチャン史上最も有名な伝道者の一人 D. L. ムーデーは「クリスチャンは 3 つの 洗礼が必要である。第一水の洗礼、第二火の洗礼、第三常識の洗礼である」と言った。 3. One of the most famous evangelists from American Christian history, D.L. Moody, had this to say: “Christians require 3 baptisms. The first is baptism by water, the second is baptism by fire, and the third is baptism by common sense.” 4.自分の信仰を熱心に守り、実践しようとする余りに、人のことを考えられなくなり、人がど うなるかなどお構いないという非常識な態度を取るクリスチャンが少なくない。 4. There is no small number of Christians who protect and practice their faith too ardently, instead adopting unreasonable mannerisms such as not thinking of others or stopping to care about what is happening to others. 8 5.しかし、ダニエルはそうではなかった。彼は自らの信仰に誠実であっただけでなく、他人の ことを考える常識のある信仰であった。 5. However, Daniel was not like that. He was not only one whose faith was genuine – his faith was also that which had the common sense to think of others. 6.これこそが、世にあるクリスチャンには必要な姿勢である。 6. This is the necessary approach for Christians in the world. 7.このことは 8-16 節を見ると明白である。 7. This is obvious when looking at verses 8-16. (1) ダニエルは自らの信仰に誠実であろうとして、 であろうとして、宦官の長に王様からの食事と葡萄酒を避 けたい旨を伝え願った。 (1) Daniel, in order to stay genuine to his own faith, he explained this in principle to the head eunich in order to avoid the king’s food and wine. (2) この宦官の長は、それをかなえてやりたかったが、それは、王の命令に背くことであり、 自分の立場を危うくするばかりか、命の危険もあることを言って、躊躇した。 (2) This head eunich, though he wanted to grant that wish, said this was disobedient to the king’s orders, severely jepordized his own position, and put his life in danger, and so hesitated. (3) そのとき、ダニエルは、宦官の長とその下に働く世話役に言った。「それなら、10 に言った。「それなら、10 日 間試させてください。私たちには野菜と水だけをください。 だけをください。10 い。10 日後に、王様のご馳走 を食べ、葡萄酒を飲んでいる人たちと、私たちとどちらが顔色が良いか見比べてくださ い。それであなたが私たちの申し出を受け入れられるか決めてください」と。 (3) At that moment, Daniel said to the head eunich and those working in roles under him: “Test your servants for 10 days; let us be given vegetables to eat and water to drink. Then let our appearance and the appearance of the youths who eat the king’s rich food be observed by you, and according to what you see deal with your servants.” (4) 10 日後に、世話役が実際に比べてみると、ダニエルたちの方がズーッとはるかに顔色 が良かった。そこで世 かった。そこで世話役は、ダニエルの願い通りにしてやった。 (4) After 10 days, when actually compared with the servants, Daniel and his friends definitely had better facial complexion. Thus the servants did as Daniel wished. 8.ダニエルの取った道は、異教の人々、今で言うならクリスチャンでない方々にも、納得し てもらえるものであった。彼は、関係する人々、周囲の人々を悩ませたり、混乱させたり、 迷惑をかけることがないように十分に常識的な配慮をしたのであった。 8. The path which Daniel took was something which people of another religion – today, those who are not Christian – could also comprehend. He took especial care with common sense to not cause those involved with him and around him to suffer, cause them confusion, or be a nuisance to them. C. 最後に、ダニエルたちは、世に生きるクリスチャンとして、彼らのために何かを必ずしてくださる神の配剤と 介入を信じていた。 C. Finally, Daniel and his friends, as Christians in the world, believed in God’s dispersal and intervention as one who would do something for them without fail. 1.野菜と水だけを食べる人と、肉を中心とした贅沢の極みを尽くした王室の料理を食べる人と 比べて、どちらが元気で力強いか? 1. If we were to compare people who ate only vegetables and water with people who ate royal cuisine which was focused on meat and extremely luxurious, which group would be well and strong? (1)実質面から考えるとき、「菜食」と言っても、例えば、大豆が大いに用いられ植物性の タンパク質の摂取が研究されたり、配慮されたりしていた訳けではないだろう。 (1) When we consider it substantively on its face, even though it is a “vegetarian diet”, doesn’t mean – for example – that the many vegetable protein qualities of tofu have been studied and help. (2)一 (2)一般のイメージから言っても、今のような菜食主義が謳歌されている時代とは違う。野 菜も食べ方によってすごい栄養価の高い食事となるなどという理解も知識もなかった。 9 (2) If when saying it from a general perspective, this is different from the vegetarianism which is praised today in this era. They did not understand or know of things such as the very high nutrional value of meals which depend on the way in which vegetables are consumed. (3)むしろ当時野菜 当時野菜を中心とした食事は、栄養に乏しく貧しい人たちの食事の象徴であった。 誰もが、肉を中心とした食事は、贅沢で栄養価満 栄養価満点の、健康的食事と考えた時代である。 (3) Rather, at the time a meal centered around vegetables had the image of a meal nutrionally weak and for poor people. It was an era in which everyone thought that a meal centered around meat was a luxurious and nutritionally well-rounded healthy meal. 2.しかし、そのような中で、ダニエルは、野菜と水だけの彼らが、決して肉食グループに健 康・元気さにおいて負けないと確信していた。それは、神様が必ず、信じ、従う者を祝福 し、このことに介入して、彼らを勝たせてくださると信じたからである。 2. However, amongst all this, Daniel showed that they – those who had only vegetables and water – definitely would not lose in terms of health and wellness to those in the meat eaters group. That is because those who believe and follow God without fail believed that He would intercede and bring them victory. 3.神様はその信仰に答えて、この事件に介入し、ダニエルたちのために三つのことをなさった。 3. God answered this faith, intervened in this case, and caused three things to happen for Daniel and his friends. (1)第一に、 (1)第一に、9 第一に、9 節を見て頂きたい。「宦官の長」と呼ばれる、この事件の政府側最終責任者 である人物が、ダニエルに好意をもつように「神様」が仕向けられたのである。 (1) First, let us look at verse 9. The figure who held final authority in this case, the one called the “head eunich”, was sent by “God” to have compassion on Daniel. (2)第二は、 (2)第二は、彼だけでなく、「世話役」と呼ばれる直接の担当者も好意的理解を示すように 神様が図られたことが感じられる。 (2) Second, we can feel how God planned to not only have him but also those who held direct authority, those called “servants”, to show compassionate understanding. (3)第 (3)第三は、何としても、周囲のすべての人々の のすべての人々の予想と不安を裏切るように、ダニエルたち の顔色も健康状 健康状態も、すべて王の食事と飲み物を頂いている者たちよりも勝っていたこ とである。 (3) Third, no matter all else, as if betraying everyone else around’s expectations and suspense, Daniela and his friends’ facial complexion and health condition won out over all those who received the king’s food and drink. 4.この神様は必ず何かをしてくださるという信仰なくして、私たちは世にあるクリスチャンと して輝くことはできない。神様は必ず、あなたの信仰と服従に答えて何かをしてくださる。 4. If we lose the faith that God will certainly do something for us, then we cannot shine as Christians in the world. God will, without fail, answer your faith and obedience and do things for you. 結 論 Conclusion ●三谷康人:サラリーマン人生にとって致命傷と言える 3 回の左遷、3 回の降格という経験。そのほと んどの理由が、工場長として会 長として会社行事としての神社参拝の問題をどうするかなど、自らの信仰に誠 実に生きようとした為 に生きようとした為であった。しかし、その度に神 であった。しかし、その度に神様はビジネス・アイデアを下 様はビジネス・アイデアを下さったり さったり、彼の 生涯に不 生涯に不思議なように 思議なように介 なように介入し、遂 し、遂には大 には大昇格してカネボ してカネボウ株式会 株式会社の筆頭専 筆頭専務#2の地位 2の地位についた。 についた。 Yasuto Mitani: He at the experience of being demoted 3 times, which can be said for a salaryman’s life to be a fatal wound. The better part of the reason for this was, as the factory manager, he sought to live genuinely to his faith when it came to things such as problems arising from shrine visits during company functions. However, when that occurred God gave him a business idea, He intervened in his life in a mysterious way, and he reached the number 2 rank of head administrator through a great promotion in Kanebo Inc.1 1 A cosmetics company
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